「~しなければならない」は、自分のパワーを奪う言葉ー自分が選択することが自分が体験すること❗️

このところ続けて強いインスピレーションを受け取っています。

今の世界の情勢は、私たちが同じ生き方を続けられないと知らせてくれています。

 

前回の記事で、今自分がいるところからしか始まらない、とお伝えしました。

 

別の言い方をすると、自分の選択に責任をもち直すということです。

「原因と結果」に責任をもつということです。

責任のレベルを上げるということです。

 

この場合の責任とは役職や重苦しい義務を指すわけでもありません。

 

ここで言う責任とは、自分の行動・言動(選択)に完全に受け止めるということ、誰かのせいにもしないということです。

 

それこそが自分に本当の力や勇気、インスピレーションをくれるからです。

 

「『誰かのせい』なんてしてないよ」と思うかもしれませんが、

私たちの口ぐせや意識には、会社上司のせい、政府のせいや学校のせい、無意識的には親のせい、などなど、誰かのせいにしている部分がけっこう多いのです。

 

明らかに「誰かのせい」にしてないと思う場合でも、自分の言葉に気づいてください。

 

あなたが一日でとるすべての行動に対して、あなたは100%はっきりと「したいからする」と言えますか?

 

とりあえず

した方がいい

~しなければならない

~するべき

 

これらはすべて自分からパワーを奪う言葉です。

 

会社に言われたから?

家族に言われたから?

親に言われたから?

みんながそうしているから?

これまでそうだったから?

 

確かにそういう状況はあるでしょう。

でも、そうした言い方は完全に自分の選択を認めていない、ということになります。

 

どこかで、「~に言われたから」という逃げ道と言い訳をのこしています。

 

これでは自分の本当の力も才能も発揮することができません。

受け身で、逃げ腰です。

 

責任をもっている人は、自分が選択することが自分が体験することだと知っています。

 

自分が望むことを明確にすることに時間をとり、自分が望むことを選び続け、求め、それを体験します。

 

もし自分が望まないことがあるなら、選択をし直します。

 

自分が選択することが自分が体験することなのです。

広告

一つの意見が優勢になってくると逆の立場をとろうとする力が強くなるー中庸とバランスに向かうまで

前回、バランスや中庸ということについて書きました。

 

記事⇨新しい仕事/パートナー/家/お金/人間関係があったら人生はもっとよくなると思っている時ー感情的な「幻想」をつくりあげてしまってませんか?

 

何もこれは難しいことではなく、私たちは本能的にやっています。

 

例えば、この数年の国政選挙でもそうした傾向が見られました。

 

一つの意見が優勢になってくると逆の立場をとろうとする力が強くなるという力学です。

 

戦争でたいへんな思いをした体験から、戦後長い間、現在の憲法には強い支持がありました。

 

一方で、「『平和憲法』って言うけどさ、憲法さえ自分たちで書いてもないし、戦争反対とはいってもすでに国内(沖縄)から戦争にも(例えば、アフガニスタンへの攻撃)かかわってるじゃん」という意見がでてきます。

 

沖縄に核が配備されることはほぼ既成の事実として知られていますし、日本は唯一の被爆国なのに、「核兵器禁止条約」には参加しない、という、あくまでも「アメリカの核の下における『平和』」という矛盾もよりはっきりと見せつけられることになりました。

 

その延長として、だから日本も「普通の国」になろうよ、という意見もでてきます。

 

同時に、とはいえ、十分な議論もないままに長年の国の方針を一内閣の「解釈」で変えられちゃうのってやっぱ「おかしいじゃん」という意見もでてくるわけです。

 

だから、「保守」と「リベラル」の間をいったりきたりする有権者は少なくなく、今回の選挙で言えば、立憲民主党にそうした票が流れたのでしょう。

 

日本における平和や憲法をめぐる議論は、極端に流れがちだったので、

私は個人的にはそうした投票パターンはこのテーマに対する議論がより深まっていくまでありえると思っています。

 

そこで議論が終わらず、これからさらに議論を深めていくことが大切でしょう。

 

中庸やバランスの原則は国単位の政策も議論も当てはまるのです。

なぜ小池都知事は自信まんまんに「排除します」と言ってしまったのか?ー力士やフツーの人もキレさせてしまう正体「シャドー」について

弁護士によるタクシードライバーへの暴行

横綱力士による暴行

感情をおさえきれなくなって一時間も車で暴走を続けた会社員。。。

 

最近、「爆発」を抑えなくなる人たちの例が続けてニュースになっています。

 

世界情勢も騒がしいこともあって、なんだか社会も人間もおかしくなっていってるのではないか、という印象を受ける人もいるかもしれません。

 

確かにそういう面もあるとは思いますが、

にんげんという存在が突然変わったわけではなく、

人間がそもそも持っている「シャドー」や社会の「闇」が表面化しているのだと思います。

 

シャドーとはユングがつくった言葉ですが、

自分の中の「嫌な部分」「認めたくない部分」です。

 

今は、テクノロジーの進化などと合わせて、今は、隠されてきたものがどんどん明らかになっていく「透明化」(transparency)の流れがあります。

 

ウィキリークスの暴露があったりと、数年前からこの流れは強くなっていて

 

ごく最近では、

東芝の不正会計

神戸鉄鋼

日産の検査

から

 

ハリウッドスターに対するセクハラ告発

それに伴うme tooムーブメント

 

また

 

パナマ文章

パラダイスペーパー

などなど、これらも同じ流れだと言えます。

 

またアメリカでは、

トランプ大統領の移民制限政策に刺激されて

人種差別や分裂がさらに表面化しました。

 

 

孫子の兵法には、「敵を知り己を知れば百戦危うからず」という有名な言葉があります。

概念としては聞いたことはあっても、実際にこのことを実感している人は少ないのではないかと感じます。

 

『敵』とは、「私たちが理解していない(扱い方)を知らない自分自身の衝動」のことです。

 

それを否認したり抑制している限り、私たちは本当の「敵」(シャドー)に負け続けることになります。

 

弁護士がタクシードライバーをけった事件も、

普通の会社員が車を商店街を暴走して人をひいてしまったのも

 

はたまた

政治家が突然おかしな「暴言」(本音)をはいて失脚するのもシャドーがでてきてしまうからです。

 

小池東京都知事が自信まんまんな顔で「排除します」と言ってしまったのも「シャドー」がでてきてしまった例と言えます。

 

1980年代以来、北アイルランドやボスニア・ヘルツェゴヴィナなどの数々の紛争で、当事者間の対話に携わってきたアーノルド・ミンデルはこう言ってます。

 

「反テロや反差別主義は、その問題に取り組むことをかえって難しくしてしまう。

 

もし、本当の解決を願うならば、一人一人が自分の中にあるおそれや弱さ、差別意識や偏見などを一度浮上させ、自覚する必要がある」と。

 

先日2017年11月11日にクーリエジャポンで配信された記事の中で、なぜ内戦が泥沼化したのかという南スーダンの例をつかってお伝えしたのも、「私たちは自分たちが否定し、避けようとしているものになる」という力学でした。

 

反テロや反差別を道徳的に訴えることはできますが、それでは双方の怖れや偏見を一時期地面の下に埋めてしまい、根本的な解決をかえって遠ざけてしまいます。

 

ましてや反差別叫んでも相手側の気持ちを変えることはできません。

 

また、誰かを一方的に「悪」とし、排除しようとすれば、その力そのものが更に彼らの抵抗を生みます。

 

本当の解決を願うならば、一人一人が自分の中にあるおそれや弱さ、差別意識や偏見などを自覚する必要があるのです。

 

反テロや反差別を道徳的に訴えることはできますが、それでは双方の怖れや偏見を一時期地面の下に埋めてしまい、根本的な解決をかえって遠ざけてしまいます。

 

ましてや反差別叫んでも相手側の気持ちを変えることはできません。

 

また、誰かを一方的に「悪」とし、排除しようとすれば、その力そのものが更に彼らの抵抗を生みます。

 

さらに、

 

自分のやりたいことが分からない

本当の気持ちがわからない

自分をもっと伸び伸びを表現したいのに小さく縮じこまっている…

 

という人の場合、

そのより根本的な理由はまさに「シャドー」だったりします。

 

なぜなら、

「本当の自分がでてきてしまったらどうしよう?!」と無意識に自分を抑えてしまっているからです。

 

でも困ったことは、抑えてしまうのはシャドーだけでなくて、自分の才能やありのままの表現でもあることです。

 

今の時代、世界の動きがとても激しいので、それを抑えようとするだけで多大なエネルギーを使うことになります。

 

自分の可能性や才能をみつけるどころかエネルギー切れをおこしたり、文字通り息づまったり、やる気を失ってしまいます。

 

今までなんとかかろうじて抑えられてきたつもりのことも、無理になっていくでしょう。

 

グッドニュースは、シャドーは受け入れ、統合すれば光となって、自分のエネルギーとなってくれることです。

 

自分が欠けた存在であるという認識から「これもわたし。それでもオッケー🙆」という「安心感」「全体感」を取りもどさせてくれます。

 

いい面しか持たない「片面」だけのにんげんなんてそもそも存在しないのです。

 

才能を発揮し、輝いている人たちは、自分の嫌な面を受け入れ「統合」したか、乗り越えた人たちです。

 

それができるまで形を変えて、いろんな形でそのシャドーに出会うことになるでしょうから、やっぱり根本的な解決方法はシャドーに向き合うことです。

 

でもいざ向き合ってみると、「自分がこわがっていたものはこんなんだったの?!」とその小ささにびっくりすることもあります。

 

最後にシャドーのみつけ方&統合のエクササイズを紹介します。

 

シャドーなんてないよ〜という人はにんげんではありません(笑)

または幻想の中に生きています。

 

周りの人に見える自分をイライラさせるものーそれは自分の中のシャドーだと思っていいでしょう。それを単に人に投影しているだけからです。

 

やってみるととても楽になるので驚きますよ。

 

そして一度はまるとその効果にやみつきになるかも知れません!😊

 

《エクササイズ》

嫌な気持ちをさせる相手や出来事を象徴するものを3メートルくらい先におく(人形やペットボトルなどを置いてもいい)。

その人(もの)に向かって一歩一歩進む。

一歩進む度に、心の中で「あなたはわたしです。わたしはあなたです。これを見せてくれてありがとう」と言う。

相手のところまで来たら相手をハグする。

相手の中に見ていたシャドーが光になるのを感じる。

 

楽になっていくまでぜひ続けてみてください!

 

 

新しい仕事/パートナー/家/お金/人間関係があったら人生はもっとよくなると思っている時ー感情的な「幻想」をつくりあげてしまってませんか?

幸せという状態について多くの人は大きな誤解をもっています。

 

例えば、

幸せというのは、

 

心通うパートナーがいて、通じあう体験や会話があって、

ときに笑いがあって、

自分を大切に扱ってくれて、

安らげる住まいがあって、

やりがいのある仕事があって、

助け合う人間関係があって、

充足感を感じていて、

いろんなことを話せる友人がいて、

健康に恵まれ、

充分なお金もあって、たまにはおしゃれして豪華な食事をしたり、旅行にいったりコンサートにもいくことができる。。。

 

社会の価値観が多様化しているので、

幸せの形もいろいろあると思いますが、

多くの人が思い描く「幸せ像」の一例をあえて言葉にしてみるとこういう形ではないでしょうか?

 

これ自体にはなんの異議もないのですが、

でも、「幸せ」や、または「人生」というゲームについては大きな誤解があるようなのです。

 

どんな誤解かというと、

そうでない状態は幸せではない、という誤解です。

 

例えば、仕事で嫌な人に会うこともあるかも知れません。誰かに自分の意見を否定されることもあるでしょう。

 

でも、それは、人になんと言われてもぶれない自分の自信を身につけることに役立っているかも知れません。自分のにんげんとしての器を広げるためかも知れません。

 

協力的な人間関係を築いていく「過程」には、もしかしたら「衝突」や「行き違い」があるかもしれません。

 

充実した仕事の影には、

試練も障害も

元気づけられることも

骨のおれることも

平和的なことも

対立的なことも

協力的なことも

競争的なことも

楽しいことも

苦しいことも

あります。

 

同様に、

人との関係でも

この楽しさをシェアできる人がいてくれてよかった

やっぱり食事は一人より二人の方が美味しい

と思うときもあれば、

けんかをする

相手の都合で何かをキャンセルすることになった

などなど、

 

パートナーがいるからこその喜びもあれば、

その逆もあります。

 

シングルの人は既婚者をうらやましがって、

既婚者は自由な独身者をうらやましがる、

というジョークは世界共通なくらいですから😅

 

つまり、

どんなことであっても、片面だけで成りたつことはありえません。

 

幸せというにはいつも望み通りにスムーズにいっている状態のことを

指すわけではありません。

 

試練を乗り越え自信をつけていくからこそ、充実感も感じるのです。

 

人生という「ゲーム」においては

半分だけを取り出して体験することはできないのです。

 

ちょっと、想像してみてください。

仮にあなたの周りにいる人たち全員が

みんなあなたを褒め称え、賞賛するとします。

誰もがあなたに向かって、ただただ賛同するのです。

 

最初のうちは確かに気持ちがいいかもしれません。

でも、あなたはきっとすぐに飽きるでしょう。

 

そして、相手に挑戦したくなるでしょう。

「何かあなたの。意見はないの???」と。

反対意見や刺激を求めたくなるのです。

 

ごうまんになって、チャンレジすることも人間としての成長も止めるでしょう。

なにより意欲ややる気自体を失うかもしれません。

 

多様性がないと人間は生きていけないですから。

 

なんでもうまくいって、

自分が絶好調だと思っているとき、

なんらかの予期せぬ出来事を体験することもあります。

 

どんな状況でも、常に物事には「両面」あります。

楽しいだけのこともないし、苦しいだけのこともありえません。

これは、単に表面的な慰めで言っているのではありません。

 

新しい仕事/パートナー/家/お金/人間関係(など)があったら人生はもっとよくなるに違いないと思いがちです。

 

でも、それは実際のところ、感情的な「幻想」をつくりあげて、逃げているだけかも知れません。

 

自分が見たいようにしか見ていないのかも知れません。

 

もしそうだとしたら、せっかく新しい仕事に恵まれても、人や職場がかわっても、別の装いで自分が避けてきたことを体験することになります。

 

どんな状況でも、常に物事には「両面」あります。

 

中庸、バランス、調和ー

 

仏教、ヨガ、ヒンズー教ー表現こそ違え、ありとあらゆる教えの中で、中庸の大切さが言われてきました。

 

人間が体験することのすべてはこのことを体験し、学び、人生を通して「中庸」にいたるためにあるとも言ってもいいのかも知れません。

 

真実は両方、そして目指すのは「中庸」ーその真ん中です。

実は「このままでいいんだろうか?」という思いながら、一歩踏み出したいけど一歩踏み出せない人の中で起きていること

一歩踏み出したいけど、不安やネガティブなことばかり浮んでしまって一歩踏み出せないという声を聞きます。

 

「ライフシフト100年時代の人生戦略」が話題になったように、人生を学校→会社→引退という3つのステージで捉えてきた前提自体が変わっていくと多くの人が感じとっている、

 

だからこそ、「このままでいいんだろうか」「なにか新しい可能性に挑戦したい」という意識が社会全体的に高まっているという背景もあるようです。

 

しかし、自分の方向性を見つけていく過程は、すぐに答えが見えないので「今自分が向かっている方向はあっているんだろうか」と悩むことは尽きないし、自分の判断基準をもつこと、自分の感覚を信じることが何度も問われます。

 

「こんなに努力しているのに。。。」「どうせわたしは無理なんじゃないか」「なんか自信をもてない。。。」と自信も失っていくこともあるでしょうし、あまりにもそうした体験が続くと、自分にとって明るい展望を信じることも難しくなってきて、周りの人にも「懐疑的」になっていくこともあるかも知れません。

 

一生懸命に努力しているのになかなか成果が見えず、グルグルと回りをまわっているように感じる時は本当に辛いです。

 

途中でやめたくなることもあると思います。

 

または、幸いにずっと望んでいたような仕事についたり、ある程度やり遂げたし、成功も体験したのに、相変わらず心の奥底には、自信のなさや劣等感があるのに気づいて、がっかりしたり、または、ある程度何かに取り組んだからこそ次の壁に直面して、自分の無力感や虚無感を感じることさえあります。

 

週末はカフェにいったり、ジムに行ったり、友人とワインを飲んだりそれなりに楽しいことがあるので、そんなこと「ないふり」もできるのですが、

 

実は「このままでいいんだろうか?」という思いを感じている人は少なくないようです。

 

そして、そうした嫌な気分を埋めるためには「頑張ること」が大切だと思って、何かに対してがんばろうとします。

 

この資格がとれたら、

大学院を卒業したら

MBAをとれたら

昇進したら

転職したら

。。。

 

と考えてみるのですが、こんな思いも時々頭をかすめます。

「こういうものを表面的に埋めようとするのは無理なのかもしれない。。。」

でも、それを認めるのはこわいし、でも、どうしたらいいのか分からないから多くの人がそこで思考停止状態になってしまいます。

 

そんな時に役に立つことは、まずは、自分の中の「葛藤」に気付くことです。

 

この場合の葛藤とは、

「自分はこうあるべきだ」という理想の自分像と、「ほんとうの自分」との葛藤です。

 

『ほんとうの自分』とは、「こう見せようとしているけど、実は自分ってこうなんだ」と自分で気づいている部分のことです。

 

一生懸命に鎧でおおって、埋め合わせしようとしている部分のことです。

 

たとえば、

かっこ悪い自分

みえっぱりな自分

「私ってたいしたことないな」と感じる自分。

恥ずかしがり屋な自分

批判に過度に反応してしまうジブン。

実はこわがりな自分。

本当はなまけもののワタシ。。。

実はわがままなジブン。。。

実はできないワタシ。。。

傷つきやすいワタシ

などです。

 

誰もがこうした部分を自分の中にもっています。

 

でも、私たちは、「自分はこうあるべきだ」という理想の自分像を信じたいので、

こうしたありのままの自分を受け入れ、認めるのが難しくなってしまうのです。

 

「一歩踏み出せない」という人の多くは努力家で勉強熱心で、能力もスキルも高い人が多いと思います。

 

おそらく能力やスキルという観点から言うとそれぞれの分野で十分に準備ができている人は多いのではないかと思います。

 

でも、一歩踏み出すのがこわい、と言うのです。

 

やってみないとわからないし、やりながら進んでいくものだよ、と頭でわかってはいても、やっぱり「こわい」のです。

 

でも、何がほんとうに「こわい」のか?

実は本人の自覚がないことも珍しくありません。

 

もう一度聞きますね。

 

何がほんとうに「こわい」の?

「こわい」の正体はなあに?

 

 

一つの理由は、

たいしたことのない自分

思ったよりもできない自分がこわいのです。

 

そして、一生懸命にやったとしてもできない分野があること

に直面するのがこわいのです。

 

でも、そこからがほんとうの始まりなのです。

 

「一生懸命にやったとしてもできない分野があること」とは努力を否定するわけではありません。

 

人にはそれぞれの分野や役割があるということです。

 

人との競争ではなく、ほんとうの自分の強みをみつけることを求められていたり、人生の方向転換を求められてる場合もあるでしょう。

 

または、自分が努力しても人生のすべてをコントロールできるわけではない、という事実を受け入れる、という学びである場合もあるでしょう。

 

かくいう、私も国連時代も含め、とくに新しい分野に挑戦し始めたばかりの時は、まさにこれに直面しました。

 

自分の強みを知っている人

本当の自信がある人

自分の軸がある人

自分の役割・使命を知っている人、は、

 

すごいスキルを持った人でも

完璧な人でもなく

等身大の自分を知っている人です。

 

逆説的に聞こえるかもしれませんが

「ああ、この分野ではとうてい自分はかなわない」

「自分ってたいしたことないな」という事実に直面するからこそ、

 

だからこそ

 

人は死ぬ気で必死になって自分の強みや自分の方向性・使命をみつけだそうとするのです。

 

もし、自分は準備のために多くの時間を費やしてきたけど、

なんか周りをグルグルと周り続けているなあ、と感じている人へ。

 

もしそうだとしたら、前に進むために役に立つ方向性は、

 

自分を守るための「鎧」をさらに増やすのではなく、

そういう「自分」を拒否するのではなく、

そんな自分も丸ごと受け入れることです。🙆🙆🙆

 

グッドニュースは、仮に「自分ってたいしたことなくても」死ぬわけじゃないこと(笑)

 

しかも、実は周りの人はとっくに気づいているし、みんなも同じだから。

 

そして、「たいしたことのない自分」を受け入れた自分って愛らしいのです。

 

「自分はこうでなければいけない」と鎧で覆っている自分よりも「楽チン」なのです。

 

「たいしたことのない自分」ーそれでもあなたは愛されてます!💛💛💛🙆🙆🙆

 

 

Facebookの最高責任者サンドバーグさんが突然夫を亡くしてから言ったこと「人はどんなことを成し遂げたことだけでなく、(逆境を)どう乗り越えたかで判断される」

「レジリエンス」「逆境力」

 

人が困難な状況から再び立ち上がっていくプロセスに注目が集まっています。

 

例えば、レジリエンスという概念が注目され、「精神的回復力」、「復元力」
などと訳されています。

 

Facebookの最高執行責任者のサンドバーグ氏が、「どうしたら女性が仕事で成功できるか」を書いた前作「LEAN IN」発表後、突然の事故で最愛の夫を失い、いかに逆境に向き合いそれを乗り越えるか「レジリエンス」について学ぶことになった、と語っています。

 

その時の体験については今年5月にカリフォルニア大学バークレー校の卒業式のスピーチで、初めて公けに彼女の体験や心境について語っています。
その中で、彼女は「人はどんなことを成し遂げたことだけでなく、(悲劇的な状況を)
どう乗り越えたかで判断される」という言葉を残しています。

 

また、全世界でもっとも視聴されたTEDベスト5にランクインし続けるブレネーブラウンの最新刊「立て直す力」も、人はどうしたらそんな状況から立ち上がれるのか?まさに似たようなことをテーマにしています。

 

立て直す力.jpg

 

逆境力、レジリエンス、回復力、立て直す力、トラウマ後の成長(post-traumatic growth) ー 言葉こそ違えど、そんな人たちの体験やPTSDからの回復に関する研究からは、ある共通項があることがわかりつつあります。

 

そうした過程にある共通点の一つは、自分のストーリーの再構築です。

 

自分の人生のストーリーを紡ぎ直すことです。

 

同じ場にいて、同じ人の話しを聞いていても、人それぞれ印象も覚えているところも違うことを体験したことがありますか?

 

私も南スーダンで分析の仕事をしていた時、同じ国にいて同じ人から同じ話しを聞いても人によって視点がまったく違ってびっくりしたことがあります。

 

そう。「現実世界」は一つしかないように見えても、感じ方・読み取り方は人それぞれ本当に違います。

 

社会認知に関する研究が示すとおり、私たちは人それぞれの「認知」や「観念」「レンズ」を通じて、身の回りの出来事や世の中を見ています。

 

つまり、自分が「事実」だと思っていることと、自分の「解釈」や「物語」とは同じとは限らない、ということです。

 

人間は「意味」を求める生き物なので、人は日々目にすること、耳にすること、体験することを自分なりの視点で判断し、「意味付け」しながら生きています。

 

そうして日々意味付けされたものの連続が、その人の「人生の物語」をつくっている、と言えます。

 

もっと言うと、自分の「解釈」や「物語」こそが、日々の「体験」をつくっている、とも言えます。

 

場所や職場、関わる人が変わっても、似たような体験をすることがあるのはこのためです。

 

「逆境」は、自分の「解釈」や「人生の物語」を含め、それまで自分が考えも疑いもしなかったことを見直す機会をくれます。

 

じゃあ、今度は、自分はどんな物語を紡ぎたいのか、どんなことを体験したいのか?

 

まったく新しくフレッシュに自分の「ストーリー」「物語」「体験」を始める機会を持てるのです。

 

「人生ってどうせこんなもの」?

「人生は苦労するもの」?

 

「人生は奇跡と喜びに溢れている✨✨✨」

 

せっかくなら、そんな物語がいいなと、私自身これを書きながら改めて思っているところです!

 

 

トラウマとまで言わなくても、人生では自分の思うようにならない時もあれば、理不尽なことも起こります。一人ではどうしたらいいのか分からなくなることもあるでしょう。

 

そんな波の中にいる時にどうしたいいのか?

 

少しでもそんなヒントになるように、トラウマやPTSDの回復理論やレジリエンスに関する研究と私自身の燃え尽き症候群やPTSDからの回復体験を質問形式にしてまとめました。

 

ここで挙げている質問は、リラックスして、まずは眺めてみて、思い浮かぶことをありのままに観察してみるというアプローチをオススメします。

 

質問を読んでもに何も思いつかなくても、ふとした瞬間に何か思い浮かぶ事もあるでしょう。

 

自分が前に進んだからこそ、意味を持ってくる質問もあるので、ぜひ定期的に眺めてみて下さいね。

 

ダウンロード・登録⭕️こちら⭕️よりどうぞ 

 

だからこそあなたが輝くための55の質問目次.001

 

目次

あ、今の自分の状態について把握する

い.自分の「ストレス反応」を知る

う.今気になっていることについて観察する

え.喪失 (後悔、自責、サバイバーズギルト)に気づく

お.自己像、自己肯定感、自己受容度に気づく

か.自分の中の「不安」を意識化・言語化する

き.自分のコーピングスタイルを知る

く.自分と相手との優先順位(境界線)と当事者レベルを知る

け.自分のストーリー(解釈・認知)に気づく

こ.回復のストーリーをみつける

さ.試練の中の「意味」について知る

し.再結合・新しい自己の創造

す.回復・再生のためのステップ 

せ.トラウマからの回復・再生のプロセスで体験しうること

そ.トラウマからの回復の三段階

 

ダウンロードは⭕️こちら⭕️よりどうぞ 

 

思考法と思考の整理 ー なぜ「考えられない人」が増えているのか?

最近、考え方について教えて欲しいと言われました。

 

確かに、考える方法についての本がたくさん出ています。

私はある会員制のライブラリーの会員ですぐに話題の新刊に触れるので、けっこう敏感です。

 

 

この写真は、この2週間だけで目にした「考える系」の書籍です!(びっくり)

 

 

確かに、考えられない人が増えている、とよく聞きます。

なんでも、ググッてなんらかの情報が得られるからでしょうか。

 

AI(人工知能)の時代が始まっているのをリアルに感じ始めてるからでしょうか?

今の教育と社会や企業のニーズがあってないとも聞きます。

 

詰め込み式の暗記教育は今の問題を解決できない、とも言われなす。

今の問題は複雑すぎて、今までの知識の延長で答えがでるわけじゃないからです。

 

 

しかも、問題が複雑になればばるほど知識の価値は下がる、という公式があります。

それは本当にその通りだと思います。

 

世界が複雑になると知識の価値は落ちる

 

⏫ Q思考より

 

では、「考える」ってどういうことをいうのでしょうか?

 

それに答えるために、そもそも「考えてない」と言われる現象はどういうことなのかを見てみたいと思います。

 

ー今までと同じことしか出てこない

ー頭がからっぽになる

ーモヤモヤしたままで思考停止状態になってしまう

ー会議で意見を求められても無難なことを言ってしまう

ーここではこういう意見が求められているだろうと思われていることを言う

ー答えはこうだろう、先生はこういう答えを欲しているだろう、という意見を言う

ー思っていることが口に出せない

ーこんなこと言ってもいいんだろうか、と自分の意見を引っ込めてしまう

ーどうせ私の意見は大したことないし、と思ってしまう。

ーマニュアルじゃないことは答えられない

 

 

さらに、それを掘り下げてみます。

それってどういうことでしょうか?

 

ー視野が狭い(同じ延長しか考えられない)

ー教えられたとおりにしかできない(自分で判断できない)

ー自分の意見を表現する自信がない

ー自分の意見を否定されるのがこわい

ー自分の意見が大したことないと言われるのがこわい

ー感情がモヤモヤとなって見えなくさせている

ーさめてる

ー諦めてる

ーどうでもいいと思ってる

ー不安でいっぱい

ー失敗するのがこわい

ーこうであるべきだという自分の中の理想像や完璧主義で自分を縛っている

ー対立や摩擦がきらい

ー他人に合わせているので自分の意見がわからない

 

 

その原因は?

ーいつもこうやるべきだというやり方を教えられてきた

ーピラミッド型の組織で自分の判断を求められることがない

ー自分の意見が本当に尊重された体験がない

ーただいろんな意見があってもいいという場を体験したことがない

ー自由にみんなが意見を出してそれが一つのより大きな答えを生み出す体験をしたことがない

ー正解があると思っている

ーお手本がどこかにあると思っているから考えるのをやめてしまう

 

思いついたことをブレスト的にリストアップしてみました。

 

ではどうしたら自分で考えられるようになれるか?

 

なかなか深いテーマですが、続けて書いていきたいと思います。