オリンピックーなんで日本人選手しか報道されない?Tokyoでは難民チームのドラマも見たい

もうすぐリオパラリンピックが閉会します。

 

華やかな舞台の陰には猛烈な練習があるんだろうなあ〜と、

人間の底力を思い出せてくれるような選手のみなさんに感謝です。

 

 

でも、2016年という時代に一つ大きな違和感があるのです。。。

 

なんで日本人選手しか報道されないの(ほぼ)???

 

いろんな人間のドラマが見たかったし、

難民チームのドラマも見たかった。

 

 

 

コマーシャリズムにドーピング妥協策、地元スラムを無視したIOC優先主義で、

今回の五輪の「意識レベル」はかなり下がったと言われています。

 

 

 

マザーテレサが愛読書だったことでも知られるホーキンズ博士の著書の中に

オリンピックについて書かれた箇所があるので以下引用します。

 

 

「オリンピックには、個人的なプライドより『無条件の愛』を表現するという全体的な設定があります。

 

私たちが一流選手を讃えるのは、より高い原理に自らを捧げ、個人的なエゴに打ち勝ったことを彼らの中に認めるからです。

 

彼らの存在自体が人類の励みになります。

 

このような能力やパフォーマンスは尊重されるべきであり、メディアやビジネスの悪用から守られなければなりません。

 

Excellence(卓越さ)を育み、その価値を認めることは人類の責任です。

 

オリンピック精神は私たちの心の中にあります。」

 

「パワーかフォースか」デヴィッドホーキンズ博士より

 

今度はTOKYO 2020。

 

今度はホスト国としてもっとオープンな五輪にしたいものです!

オリンピックか予選敗退か?ー「力を弱める考え方」と 「力を強める考え方」

 

昨日は、「水の怪物」と呼ばれ金メダル23個という神業 (?!)を成し遂げたアメリカのフェルペス選手が、北京とロンドンオリンピックで圧勝した後に目標を失い、一時期は自殺も考えた時期から、どうやってその「逆境」を乗り越えることができたのかという彼のストーリーを紹介しました。

記事はこちら⇨フェルペス選手はどうやって逆境を乗り越えることができたのか?

 

 

高校野球を見ていても、一回戦で圧倒的な勝利を収めたチームが二回戦では気持ちが緩んだのか、同じチームとは思えない位ぼろ負けをすることがあります。

 

最初は、純粋に上手くなりたいと思い、練習し、挑戦することを楽しんでいた選手たちが、予選で上手くいったり、新記録を作ったりすると、期待に応えないといけないプレッシャー、または、プライドや誰かを打ち負かしたいなどの気持ちがむくむくと沸き起こってきて、彼らの調子を狂わせる。。。

スポーツではそんな様子をとても分かりやすく目の当たりにします。

では、そんな時に「人の力を弱める考え方」、または「人の力を強める考え方」とはどういうものなのでしょうか?

 

 

 

デンマーク王室から称号を授与されたデービッド・ホーキンス博士は、著書『パワーかフォースか』の中で、キネシオロジー(筋肉反射を利用したテスト)を使って、どんな考え方(意識のレベル)が私たちに力となるのか、をスポーツや芸術、政治などいろいろな分野で実験し、その結果を紹介してくれています。

 

 

例えば、実力のある選手に、相手を打ち負かすことや有名になること、たくさんのお金を稼ぐという願望を頭に思い描いてもらうと、その鍛えられた筋肉は、私たちが軽く押すだけでも下がってしまう位弱い反応をする、そうです。

 

では、「一番になること」はどうでしょうか?

 

「一番になること」という目標も弱い反応しかくれず、「一番になること」や相手を打ち負かすことは、ある時期には力になるようにな見えるものの、本当の力にはならず、必ず限界を迎えるそうです。

 

ゴルフチャンピオンのタイガーウッズは、対戦相手がパッドを打つ時にでも、「このボールが入りますように」と心の中で祈っている、と言われています。

 

彼は、自分自身のために、そういう意識のあり方の方が効果的だということを体験しているのでしょう。

 
では、逆に、力を与えてくれる考え方とはどういうものでしょうか?

 

 

愛する人に捧げること

自分が出来る限りのベストを尽くすこと

最高の努力をできる機会を持てることを喜ぶこと

チームを勝たせること

周りの人たちに希望や勇気を与えるため

 

 

等、だそうです。

 

今朝方、接戦の上で銅メダルを勝ち取った卓球女子チームは、まさに自分よりも「チームを勝たせる」というあり方が力になっていたように見えました。

 

 

オリンピックの決勝レベルになると、身体の大きさが圧倒的に有利になる一部の競技を除いて、身体能力の「差」はごく僅かで、身体能力や技術がある段階に達成すると、その先の能力を決めるのは「意識のレベル」だと言われています。

 

 

深海ダイバーとして世界一の記録を持ち、映画『グランブルー』で映画化されているフランス人のジャック・マイヨールという人がいますが、彼が潜っている時の意識というのは、瞑想をしている時と同じような意識の状態だそうです。

 

 

その瞑想のような意識の状態の中で、生理的な「変性状態」が起き、肉体の通常の限界を越えることが可能になる。。。

 

 

マイヨールの友人も彼と同じ深さに挑戦しますが、肉体の限界を超えるのに必要な意識のレベルに達していなかったために死んでしまいます。

 

 

マイヨールにとって、潜ることは、

個人的な記録への挑戦から、人類にとっての「未知の世界への挑戦」となり、

その目的は、「人間の潜在能力や偉大さを示すこと」になる。

 

 

ホーキンス博士は言います。

 

究極的に力をくれる考え方とは、

 

『自分の力は人間の能力を表す人類すべてのものである』というもの。

 

 

ちなみに、彼の映画を観ると、観る人は彼が潜水中に体験しているのと同じような変性状態になり、至福の状態で映画館を出てくるのだそうです。

 

 

武道の世界では、「動機」と「原理」が究極的に重要である、と言われています。

 

 

そういう意味では、私たちがスポーツ選手のプレーに感動し、讃えるのは、こうしたより高い原理に自らを捧げ、弱気になる自分も含め、個人的な欲望やエゴに打ち勝ったことを、彼らの内に直感的に感じ取るからなのかも知れませんね。

 

 

ビバ! Human Being!!!😊

 

金と銀の差を分けるものーフェルペス選手はどうやって逆境を乗り越えることができたのか?

連日リオデジャネイロ・オリンピックの接戦が繰り広げられていますね。

 

その中で、「水の怪物」と呼ばれているアメリカのフェルペス選手が、北京とロンドンオリンピックで圧勝した後に目標を失い、アルコール依存になったり、一時期は自殺を考えた時期から、どうやってその逆境を乗り越えることができたのかに興味をそそられました。

 

実際に彼は、北京オリンピックと、ロンドンオリンピックが終わった時点で、それぞれこう言ってます。

 

「北京のような練習をもう一度するなんて冗談じゃない。もう目標を達成したから、やるべき事なんてない。世の中にはもっと楽しいことがある。自分探しをしたい。」

 

2年ほど経ってから、ロンドン五輪を目指して再びプールに戻ってきたものの、目標は明確ではなく、練習への遅刻、無断欠席が続いたそうです。

 

「何もかもどうでも良かった」

 

「30歳になったら泳ぐのを絶対にやめるんだと自分に言い聞かせてきた。30歳の人を悪く言うわけではないけれど、それを自分にずっと言い聞かせてきた。あと3年後には30歳になる。だから、今後3年間を泳いでいきたいとは思わない。」とも言っています。

 

私たちがテレビで目にするのは華やかな舞台ですが、その影にはものすごい練習量があって、自分を支える新しい「目的」や「意味」を探しているようなニュアンスも伝わります。

 

そんな彼が、いったん目標を失った後、再び泳ぎ始めるきっかけとなったのは何だったのでしょうか?

 

フェルペス選手は、7歳の時に父親が家を出て行ってから、母子家庭で育ち、1つのことに集中できず、色々なものに注意がいってしまって落ち着きがないことからADHDと診断され、これを克服するために水泳を始めたと言われています。

 

そして、彼の才能を見抜いてくれたバウマンコーチとの運命的な出会いを経て、北京とロンドンで18個ものメダル獲得する偉業を達成。

 

ロンドンオリンピックの後には、バウマンコーチに「最高の水泳選手になることができたのは、ここまであなたと一緒にやってこれたからです。」と感謝の言葉を伝えます。

 

メディアにも「彼がしてくれたことがなければ、今僕はこの場になっていないでしょう。この15年間、クズみたいな僕にずっと我慢して面倒を見てくれた彼に心の底から感謝しているし、愛しています。文字とおり、感謝してもし尽くせません」と語っています。

 

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そんな彼ですが、ロンドンオリンピック後、アルコールとカジノに溺れ始めます。

 

「家族は母と姉2人で男は僕1人。北京、ロンドンというような節目に、これからどう生きていったらいいんだろう。そう思っても導いてくれる父親がいなかった。辛かった。」

 

家族の誇りであり続けなければならないプレッシャー。

相談する相手もいない。

またお金目当てで近づいてくる人たちにも疲れて、アルコール依存に陥った、と言われています。

(http://number.bunshun.jp/articles/-/826266より)

 

 

一時期は自殺を考えるほどになります。

 

日本ではあまり報道されていませんが、彼は米国のメディアで当時の心境を赤裸々に語っています。

 

“I was a train wreck. I was like a time bomb, waiting to go off. I had no self-esteem, no self worth. There were times where I didn’t want to be here. It was not good. I felt lost,” Phelps revealed.

 

「一時期は、自分がこの世の中からいなくなったらいいのに、とさえ思った。まったく自信をなくし、自分に価値があるとも思えなかった。」

 

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そして、一週間ほぼ何も食べず、ほとんど眠らず、自殺することを考える。。。

 

そんな時期、フェルペス選手の長年の友人で、NFLで活躍するレイルイス選手が、フェルペス選手にアルコールを断ち切るためのリハビリ施設に入ることを勧め、ある一冊の本を彼に手渡します。

 

その本とは、アメリカで発売後1年で1000万部を越え、現在では3000万部を超えるRick Warren著の、The Purpose Driven Life (邦題: 人生を導く5つの目的―自分らしく生きるための40章)でした。

 

PurposeDrivenLife

 

そして、フェルペス選手は、その二日後にリハビリ施設からルイス選手に電話をします。

 

“Man this book is crazy! The thing that’s going on…oh my gosh…my brain, I can’t thank you freaking enough, man. You saved my life,” Phelps told Lewis with excitement.

 

「この本はクレイジーだ!オーマイガッシュ。。。信じられない。君にはお礼を言っても言いきれない。君に救われたよ。」

 

 

別のインタビューでは、さらにこう答えています。

 

In a recent interview with ESPN Magazine, Phelps explained that the book “turned me into believing there is a power greater than myself and there is a purpose for me on this planet.”

 

「自分の力よりも大きな力が存在するってことを信じるようになったんだ。そして、この地球に生まれた目的があるってことを。」

 

Lewis

 

 

そして、彼はさらに、母親が離婚して以来ほとんど会ったことのなかった父親に会いに行くことを決めます。

 

“I didn’t want to have that ‘what if.’ I didn’t want to go through life without having the chance to share emotions I wanted to share with him. That’s what I missed as a kid,” Phelps said.

 

「僕の気持ちを伝える機会を一生逃したくないと思ったんだ。僕は子どもの頃から自分の父親に自分の気持ちや感情をシェアしたいってずっと思っていたから。」

 

 

そして、その3ヶ月後、彼は、長年のガールフレンドだったニコールにプロポーズをして籍を入れます。

 

そして、すぐに子どもに恵まれます。(ちなみに、子どもの名前のミドルネームにはコーチへの尊敬の念を示して、コーチの名前をつけています。)

 

愛する家族に自分のプレーを見せること、が彼の新しい原動力になり、3連覇、金メダル23個、という今回の「偉業」につながったのです。

 

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陸上やラグビ一など体が大きい方が圧倒的に有利な競技はありますが、オリンピックの決勝レベルになると、身体能力の差はごく僅かだと言われています。

 

高校野球を見ていても、一回戦で圧倒的な勝利を収めたチームが二回戦では気持ちが緩んだのか、同じチームとは思えない位ぼろ負けをすることがあります。

 

そんな時に人に「力」をくれる「考え方」とはどういうものなのでしょうか?

 

もし、身体能力にはそれほどまでの「差」がないのだとしたら、最終的に金メダルと銀メダルの「差」を決めるものは何なのでしょうか?

 

 

続く