思考法と思考の整理 ー なぜ「考えられない人」が増えているのか?

最近、考え方について教えて欲しいと言われました。

 

確かに、考える方法についての本がたくさん出ています。

私はある会員制のライブラリーの会員ですぐに話題の新刊に触れるので、けっこう敏感です。

 

 

この写真は、この2週間だけで目にした「考える系」の書籍です!(びっくり)

 

 

確かに、考えられない人が増えている、とよく聞きます。

なんでも、ググッてなんらかの情報が得られるからでしょうか。

 

AI(人工知能)の時代が始まっているのをリアルに感じ始めてるからでしょうか?

今の教育と社会や企業のニーズがあってないとも聞きます。

 

詰め込み式の暗記教育は今の問題を解決できない、とも言われなす。

今の問題は複雑すぎて、今までの知識の延長で答えがでるわけじゃないからです。

 

 

しかも、問題が複雑になればばるほど知識の価値は下がる、という公式があります。

それは本当にその通りだと思います。

 

世界が複雑になると知識の価値は落ちる

 

⏫ Q思考より

 

では、「考える」ってどういうことをいうのでしょうか?

 

それに答えるために、そもそも「考えてない」と言われる現象はどういうことなのかを見てみたいと思います。

 

ー今までと同じことしか出てこない

ー頭がからっぽになる

ーモヤモヤしたままで思考停止状態になってしまう

ー会議で意見を求められても無難なことを言ってしまう

ーここではこういう意見が求められているだろうと思われていることを言う

ー答えはこうだろう、先生はこういう答えを欲しているだろう、という意見を言う

ー思っていることが口に出せない

ーこんなこと言ってもいいんだろうか、と自分の意見を引っ込めてしまう

ーどうせ私の意見は大したことないし、と思ってしまう。

ーマニュアルじゃないことは答えられない

 

 

さらに、それを掘り下げてみます。

それってどういうことでしょうか?

 

ー視野が狭い(同じ延長しか考えられない)

ー教えられたとおりにしかできない(自分で判断できない)

ー自分の意見を表現する自信がない

ー自分の意見を否定されるのがこわい

ー自分の意見が大したことないと言われるのがこわい

ー感情がモヤモヤとなって見えなくさせている

ーさめてる

ー諦めてる

ーどうでもいいと思ってる

ー不安でいっぱい

ー失敗するのがこわい

ーこうであるべきだという自分の中の理想像や完璧主義で自分を縛っている

ー対立や摩擦がきらい

ー他人に合わせているので自分の意見がわからない

 

 

その原因は?

ーいつもこうやるべきだというやり方を教えられてきた

ーピラミッド型の組織で自分の判断を求められることがない

ー自分の意見が本当に尊重された体験がない

ーただいろんな意見があってもいいという場を体験したことがない

ー自由にみんなが意見を出してそれが一つのより大きな答えを生み出す体験をしたことがない

ー正解があると思っている

ーお手本がどこかにあると思っているから考えるのをやめてしまう

 

思いついたことをブレスト的にリストアップしてみました。

 

ではどうしたら自分で考えられるようになれるか?

 

なかなか深いテーマですが、続けて書いていきたいと思います。

なぜ一流に触れるのがいいのか?ー身体とハートが天才性に「共振する」ということ

 

最近では「共振」(coherence)の効果が科学的にも証明されつつあります。

 

フラストレーションや不安を感じる人が感謝や慈愛を感じている人のそばにいるだけで、自分の感情もより落ち着いてくる、という実験があります。

 

上のリズムは人が不安やフラストレーションを感じている時のハートの振動やリズムをグラフ化したもので、下のリズムは感謝や慈愛を感じている人のハートの振動とリズムだそうです。

 

coherence

 

coherent-heart-graph

 

出典: ハートマスインスティテュート(heartmath institute)より

 

いわば、メトロロームのような役割です。

 

スキップができる人が二人いて、できない人がその間にはさまれてスキップの練習を始めるとできなかった人までスキップができるという実験もあるそうです。

 

まったく、同じ原理で、私たちは彼らの天才性にふれるとことで、私たちの誰の中にもある天才性を感じることができます。

 

もし、それを自覚できないと感じたとしても、人間の体は70%が水分でできているので、私たちの身体の細胞が「一流」という周波数に共振する、と考えればいいでしょう。

 

私の場合、最近では、世界的指揮者として知られるズービンメタの指揮に触れた時に身体と魂が震えるような感覚を体験しました。

 

ズービンメーターは、ウィーンフィルのニューイヤーコンサート過去最多指揮の一人です。

 

「『巨匠』ってこういう人のことを言うんだ💡💡💡

 

昨年来日したウィーンフィルの公演で彼の指揮に触れた後は、私はしばらく文字通り「恍惚状態」でいました。

 

そして、彼がどうやってあの領域に至ることができたのかをどうしても知りたくなって私は数日間彼が登場するインタビュー動画を見まくりました。

 

彼の演奏に触れた一週間後、今度はあるイギリス人の指揮に触れる機会がありましたが、かえって巨匠ズービンメータの演奏がいかに「格別」だったかがより一層浮き彫りになりました。

 

 

巨匠ズービンメーターがどうやってあの領域に至ることができたのかは、まだ研究中です。

 

 

小沢征爾氏が影響を受けた一人としても知られるフランス人の指揮者シャルル・ミュンシュが書いた「指揮者という仕事」という本があります。

 

指揮者が書いた本でありながら、リーダーシップに関する本としても知られています。

 

ミュンシュは、指揮者の仕事についてこう言っています。

 

「壇上に立ち、第一拍を振り始める瞬間、あなたには無数のまなざしが向けられ、観客はそれぞれが自分の光と熱をそこから汲み取ろうとする。」

 

 

「指揮者(conductor)という言葉自体には統率するという意味も含まれていますが、大事なのは、命令を与えるというよりも、自分自身がそれを身振り、態度、そして抗じ難い放射によって、表すことです。

 

(中略)

 

ミュンシュはさらに言います。

 

「指揮者が楽曲を忠実に再現することによって、聴いている人の思考や感情が指揮者の思考や感情と同時に再創造される」と。

 

確かに、演者と会場が一体になるような演奏を体験することがあります。

 

そんな演奏に触れると、

 

何かが腑に落ちたり 

直感的に何かが突然分かったり

突然涙がでてきたり、

洞察やインスピレーションを受け取る

ことがあります。

 

 

音楽を通じて表現され創り出されるハーモニー(調和)が、私たちの誰の中にもある直感や内なる声とつながりやすくしてくれるのでしょう。

 

まったく個人的な感覚ですが、ズービンメーター指揮から醸し出される音色とベートーベンの第九からは「人類への祝福」すら感じました。

 

ジャズピアニスト、キースジャレットの演奏でも似たような体験をしたことがあります。

 

 

そうした超一流演奏者が醸し出す音楽を通じて、私たちは、より高い意識の世界・景色を垣間見せてもらうことができるのです。

 

 

そして、改めて確信したことは、それがどんな分野であろうが一流は一流の周波数を持っているということです。

 

だから、それが音楽家でも料理人でもアスリートでも、私たちが吸収するのは技術でもなければ専門知識でもありません。

 

私たちは彼らの「一流っぷり」を感じとっているのです。

 

だから、気になる人やお気に入りの人がいたら、どんどん彼らの演奏や動画、本に触れてみてください。

 

私たちは身体全体で、彼らの考え方や世界観をどんどん吸収することができます。

 

一流に触れているとにせものに触れる時「気持ちが悪い感じ」がします。

変なセールスやメッセージに騙されることもなくなります。

自分にとって必要なものかどうかも分かってきます。

 

 

 

ぜひ、たくさんの人や本に触れて、自分の心の響くものを見つけてください。😊

 

 

ps. 記事画像= ベネズエラ出身の天才指揮者 グスターボ・ドゥダメル(Gustavo Dudamel)

 

「暴力や貧困から若者を守るために音楽を教えるベネズエラのプログラム、エル・システマ(El Sistema )」で音楽を習う。ベルリンフィルやウィーンフィルを最年少で指揮するなど「100年に一人の天才指揮者」と言われている。南米のリズム感も持ち、クラシック音楽は高尚であるという既成概念を軽々と打ち破っている。

会話を深め、相手との関係を深めてくれる魔法の質問ー対話の力

私たちはもっとお互いに突っ込みあっていいと思います。

 

どんな時に私たちは相手のことを理解したと感じて、自分のことを理解したと感じるのでしょうか?

 

よく多様性がイノベーションを生むと言われますが、仮にいろいろなバックグラウンドを持った人たちが100人集まってもこの人たちが、相互作用を及ばさなかったら、何の化学反応も新しいことも生みません。

 

例えば、こういう例です。

 

Aさんがある映画が楽しかったと言ったとします。

Bさんはそれを聞いて、「私はね、あの映画が好き」と言います。

 

AさんもBさんも「ふーん」と思って、その会話は終わります。

 

Aさんはあの映画が好き。Bさんは別の映画が好き。

 

この会話に何も間違ありませんが、それ以上二人の会話は深まりません。

 

二人の場合でも、仮に100人いても千人いても、

それぞれが自分の意見をただ一方的に表明するだけなら、何の相互作用も起こりません。

 

私は国連ニューヨーク本部での軍縮国際会議で、193もの加盟国が主張をし続けるのを聞き続けながら、この会議はいったいどこかへ向かっているんだろうか、何かを生み出しているのだろうか?と感じたこともあります。

 

最近は傾聴の力がよく言われていますが、日本では逆に会話の「その先」があまりないと感じます。

 

175カ国の人たちと一緒に働いてきた感覚からすると、突っ込みが足りないと思います。

 

では、どんな時に私たちは会話が深まり、相手のことを理解したと感じるのでしょうか?

 

例えばこういう質問です。

 

どうしてそう思ったの?

それってどういう意味?

なんでそう考えるの?

 

つまり、相手がそのような考えをもつに至った理由や背景まで踏み込むことです。

 

実際、そうした質問は相手との関係性を深めるのに役立ちます。こうした質問は、相手へのより深い関心と興味を示すことでもあるからです。

 

自分の考えについて聞かれることで、相手は理解されたと感じるでしょうし、少なくとも相手が理解しようとしていると感じます。

 

時にはあなたの質問自体が思わぬ気づきを相手にもたらすこともあります。

 

なぜなら、本人もなんでか考えたことがないかも知れないからです。

 

そして、信頼関係の構築にもつながります。

 

私がこうした質問を意識するようになったのは南スーダンで兵士の人たちとの関係構築のために彼らに会いに通っていた時でした。

 

私は彼らと一緒に仕事をする上で、まず彼らを理解しないといけないと思っていました。

 

わたしはこんな質問をしていました。

 

「今、あなたが仰った事はとても大切だと感じました。あなたが仰ったことを理解したいと思っているのですが、よかったら、どうしてそのように考えるようになったのか教えていただけませんか?

 

こう質問をすると、彼らは喜んでいろんなことを話してくれました。

 

他にはこういう質問です。

◎ どのような考えでその結論にいたったのですか?

◎ そうおっしゃるののはどんな理由があるからですか?

◎ 今のあなたの意見に関係することで私が知っておくべき歴史や体験がありますか?

 

つまり、彼らがなんでそう考えるのか、というその理由や背景を聞き続けたのでした。

 

これは「対話」と呼ばれるアプローチです。

 

当時はそんなことは知りませんでしたが、まったく違うバックグランドの人たちを理解しようする中で、本能的にたどり着いた方法だったと思います。

 

対話の聞く目的とは、

 

自分の理解を広げるために聞くこと

自分とは違う意見や異なる視点を理解するために聞くこと

相手がどのような体験を経て、そのような考えを持つように至ったのか聞くこと

自分の推測に基づいて聞くのではなく、新しい理解や可能性にオープンになるために聞くことです。

 

 

 

これとは逆なのが「伝達」か「議論」です。

私たちが触れるほとんどの情報発信は、このどちらかです。

 

伝達とは、情報のA地点からB地点への移動(ほとんどの情報発信、通達はここに分類さ れる) であり、

議論(discussion)は、自分の意見の優位性を主張し、相手を説得する(どちらかが正しい、どちらかが「勝つ」)のが目的です。

 

議論も対話も必要な場合はありますが、お互いの理解が深まったり、新しい見方ができるようになったり、同意が生まれる時には、なんらかの形で対話的な要素が必要となってきます。

 

私たちは日常的にもっと突っ込んでいいと思うのです。^^

QUIET REVOLUTION 人口の三分の一は内向型ー社会を変える「静かな革命❗️」②

内向型の強みとして、共感能力の高さ、感受性の高さが挙げられます。

  

ここで言う「繊細な」という意味は、その人の「構造」というか「つくり」というか、特性が繊細であるという意味であって、「ナイーブ」であるとも「弱い」という意味とも違います。

 

別の言い方をすると、感じ取る能力が高い人、共感能力の高い人たちです。

 

「繊細」とだけ聞くと、「競争社会」の基準からすると「弱み」のように聞こえるかも知れませんが、これからの時代、「感受性が高い」ということはますます「大きな武器」となっていくことでしょう。

 

 

では、「感受性」が高いことの「強み」とは例えばどういうものでしょうか?

 

例えば、相手が伝える1の情報から、その何十倍もの情報を読み取る能力です。または、より大きな流れや全体像をつかむ能力です。

 

これは、「洞察力」(insight)と呼ばれます。

 

例えば、この人は、言葉ではこう言っているけど、その人の本心はいったい何なんだろう?または、「ミーティングで部長はこう言っているけど、どうも他の人たちはしらけてるなあ。みんなの本心はいったい何なんだろう?

 

今、会議で起きていることやこの組織全体で起きていることは何だろう?」といったより深層の部分に意識がむく能力です。

 

 

これは、人と関わる仕事、交渉や仲裁、ファシリテーション、リーダーシップといった分野で大きな力になります。

 

 

紛争地の現場でも、私にとってこの力が大きな助けとなりました。

 

例えば、南スーダンのような紛争地では、この先数ヶ月、政情がどうなるのか分からないというような環境に置かれます。

 

そのような環境の中で、国連のスタッフは、いろんな人に会って情報収集をし、あり得るシナリオなどを考え、分析を加えながら、それぞれの場合どう対処したらいいかを決定していきます。

 

私は、そういう地で仕事をする人として、いろいろな人に会って生の情報(感覚)を得て、この先の流れを掴んでおくことは、決定的に大事なことだと感じていたので、できるだけそういう時間は意識的にとるようにしていました。

 

そうした習慣もあったので、政情的に何かが起きたり、新しいニュースがあったとしても、「ああ、これはこれ以上『大事』にはならないな」、「今回は注意」など、ある程度予測がついたりしました。

 

私の「鋭敏なアンテナ」が、相手が伝える1の情報からその何十倍もの情報を読み取ってくれるのか、私の分析が流れを読んでいた、全体像を掴んでいた、ということは実際にありました。

 

同じ街にいながら、同じ国にいながら、同じ人に会いながら、同じ情報を耳にしながら、その人が導き出す結論や分析はまったく人それそれでした。

 

断片的な情報から、全体像を「掴んでいく」能力はまさに大きな力です。

 

こうして、私の感受性の高さ・繊細さは「分析力」「判断力」「紛争解決力」(仲裁力・対人関係能力)として、紛争解決の最前線で大きな武器となってくれました。

 

言葉で伝わるのは10%にも満たないと言われていますが、 

 

例えば、

初めて会う人との関係構築の中で、

 

全く新しい環境 (組織や街や国など) に慣れるために、

 

お互いに母国語ではない言語で話している時など、「感受性」が役に立つ場面はけっこう多いのではと思います。

 

この力は、そしてコーチ・カウンセラー・講師として発揮されています。

 

ある方の相談内容について聴いている時に、その方が言わんとしていることの全体像や課題の根っこの部分が「パッと」把握できる能力です。

 

もちろん、いくつか質問をして、課題を探ったり、それを確認してきますが、洞察力が大きな土台をつくってくれています。

 

実際、最近は、この「感じ取る能力」・「共感能力」のビジネス上の価値が科学的にも証明されつつあります。

 

5年連続で全世界での視聴回数ベスト5内にランクインし続け、2016年12月現在で全世界での総視聴数が27,677,409回(!)を超えているTEDがあります。

 

ヒューストン大学の心理学者ブレネーブラウン による「Power of Vulnerability」です。共感の力こそが、クリエティビティーやイノベーションへの入り口だと言っています。

 

世界中の企業や組織がクリエティビティーやイノベーションを求めています。

ただ、 それが大事だろうとは思っていながら、それがどうしたら起こるのか分からない。

 

そして、人間はいくら理性的に判断し、行動していると思っていても(そう信じたくても)、実際には感情で動く生き物だということも私たちは知っています。 

 

誰でも傷つくのは怖い。批判されるのも失敗するのも嫌。

 

 

見えないところで直感やイノベーション、クリエイティビティーを潰しているのはこうした「不安」や「恥」の意識だと言われています。

 

そして、その「解毒剤」こそが「共感」であると、このTEDの著者ブレネーブラウンは言っています。

 

そして、「共感」が起こる時の大きな要素として、「相手の感情がわかること」(feeling with the other)が挙げられています。

 

このTEDの後、彼女のところには、アメリカ中のCEOや企業からイノベーションを起こす秘訣を教えて欲しいと、講演の依頼が殺到したそうです。

 

 

「共感の力」とビジネスの接点が科学的に証明されつつあること、このテーマが全TEDの中でもベスト4にランクインし続けている事実そのものが興味深い現象だと思います。

 

感受性や共感能力はビジネス上でも大きな価値なのです。

「なんかよさそう」「やってみたい」「会ってみたい」ーその純粋な感覚に勝る『何かをする理由』はない

 

 

「自分にはまだ無理だ」「まだ準備が足りない」と感じる方は多いようです。

 

 

コーチングや講座なりが、すぐに分かりやすい「成果」や「結果」を生むかどうかは人それぞれなので正直わかりません。

 

ただ、なんらかの「結果」を生まなければいけない、という発想自体が、社会的に植え付けられた「成果志向」で、ある意味で私たちはそれに縛られ過ぎているかなと思う面もあります。

 

 

結果や成果は大事だと思いますが、それが前提だとただ体験したり、新しいことを試したり、新しい人と会ったり、といったことのハードルがすごく高くなってしまいます。

 

個人的には、「なんかよさそう」「やってみたい」「会ってみたい」「試してみたい」という感覚がもっと尊重されてもいいのかなと感じます。

 

 

「なんかよさそう」「やってみたい」「会ってみたい」「試してみたい」という理由だけで、何かをやるには十分な理由だと思います。

 

 

もっとはっきり言うと、自分の内側から湧いてくる純粋な感覚に勝る『何かをする理由』はないと思っています。

 

 

なんらかの結果や成果を出した人に私たちが触れる時、その人の成果や結果が目につきますが、

 

その影にはその何十何百倍もの「トライ・アンド・エラー」があるものです。

 

いろんな人と会って、刺激的な時もあれば、あんまり面白くなかったなと感じることもあれば、「やっぱり」と思うこともあれば、「え、意外!」という驚くこともあるでしょう。

 

それこそが「体験」です。

 

文章にしても際に人の目に触れられる文章は、実際書いたものの1割もないかも知れません。

 

私自身、最初に文章を書き始めた頃は、とても人様に見せられるような内容でも文章でもありませんでした。

 

(なにせ、私はほぼ10年間英語で仕事をしてきたのでそもそも日本語を書く環境にいなかったのです。)

 

最初は自分のために書いていたものが、だんだんと慣れていく内に人に伝えたい、とより意識をするようになっていきました。

 

今はもっと自分の体験を還元するという目的が強いですが、最初はもっと純粋に自分の興味・関心や整理のためだったので、私は自由に楽に始められました。

 

最初から何かに連載をするためだったら、私の中の書くハードルは高くなって楽しめなくなっていたかも知れません。

 

 

どんな分野でも、「成果」や「結果」の影にはその何十倍もの「準備」や「無駄」があるものです。

 

一番はじめの書いたものの10の内の7割〜8割が削られる時もあります。そうして研ぎ澄まされた文章となっていくのでしょう。

 

でも、削られた部分は「無駄」ではないのです。

 

目に見えないけれども、そうした部分が見える部分に「深み」をもたらしてくれるのです。

 

読む人も文字となっている何倍以上ものことを感じとってくれます。

 

 

 

子供の時には、私たちは「最短で」「一つの正解」にたどり着く方法を訓練されます。

 

大人の生活では、私たちは「一直線」でゴールにたどり着くわけではありません。

それがいい訳でもありません。

ましてや、たった一つの正解はありません。

 

 

「急がば回れ」じゃないですが、いろいろなことを「体験すること」こそが長いスパンでは結果を生むということもあるようにも感じています。

 

 

「体験する」にもいろいろな種類があるとは思いますが、自分の視野や世界が広がるもの、自分が自分を知る・発見すること、人との関係性を深めるものは、投資をする価値があるでしょう。

 

 

コーチング・カウンセリングの大きな意義の一つは、まさに、「自分が自分を知る・発見」し、「自分との関係性を深める」ための「自分のための時間を持つ」ということだと思います。

 

 

もしよかったら、ただ自分のために「心地よい時間を持つ」という贈り物をされてみてください。

 

素敵な春の日をお過ごしください。

 

新しいチームに参加するとき、リーダーや上司になった時、周りの人たちの強みをどうやって発見すればいいのでしょうか?

新しいチームに参加するとき、新しいプロジェクトに関わるとき、リーダーや上司として誰かに関わる時、周りの人たちの強みをどうやって発見すればいいのでしょうか?

 

人は第一印象だけでは判断できないし、その人さえもが気づいていない強みを見てあげることがその人のサポートになる、そして究極的には自分をも助けることになる ー この点についてとても意識をすることになった体験があります。

 

アジアと中東8カ国の軍隊での訓練の講師を務めていた時のことでした。

 

その訓練は、国連の平和維持活動に参加する軍に平和維持活動について理解をしてもらい、仮想国のシナリオを元に演習を行うことでした。

 

参加国は、ネパール、スリランカ、フィリピン、バングラデシュ、モンゴル、ヨルダン、タイ等でした。

 

全員が同じ演習をこなすのですが、それぞれのパフォーマンスにはそれぞれの国の特質が見事に表れました。

 

演習では、住民のデモ隊に対して対峙するものもあれば、人道支援の車列が武装勢力に襲われ、それに対処するというシナリオもありました。

 

演習でありながら、決して簡単な内容ではないのですが、ある国の軍隊の番で、判断に躊躇があるというか、私の目には「および腰」のように見える態度がありました。

 

その様子に私は「本番だったらどうすんだ!」と自分でもびっくりする位に怒っていました。

 

演習でありながら、実際に起こりえることばかりなので、ただの演習だと思えなかったのだと思います。

 

そして、そのことをその日の夕食で同席したある元PKO司令官に話すことになりました。

 

彼は紛争地の最前線で30何カ国もの軍人、1万人もの国連軍を指揮した人です。

彼は落ち着いた口調で私にこう言ってくださいました。

 

「いろいろな国の人たちがいるところがチャレンジでもあるけど強みだよ。」と。

 

たしかに!

この一言が私の頭の中でこだましました。

 

「きっとあの国の人たちの得意な分野があるはず!」

 

ともかく明日は、もっとこの国の人たちについて理解してみよう、と思いました。

 

神さまに、この人たちを昨日までの「私の目」ではなく、まったく「新しい目」で見せてください、とお願いしました。

 

私の相手への見方らや捉え方が変わったからでしょうか、彼らは、次の日の演習では素晴しいパフォーマンスをはじめました。

 

そして、前日の演習では、通訳や上官からの指示が誤解されて伝わっていたことが判明しました。

 

昨日の原因は、彼らの能力の問題ではなく、指示系統に問題があったのです。

 

 

そしてさらに!

演習後に行なわれていた、国別対抗のサッカー大会でそのチームが見事に優勝したのです。

 

身体的にもっと大柄なヨルダンやネパールチームを断然に引き離してぐんぐんと勝ち抜いての優勝は本当に見事なものでした。

 

私はサッカーは詳しくないのですが、素人目から見ても、パス回しとチームワークが抜群でした。

 

サッカー大会で優勝できたなら演習が出来ないはずがない!、と改めて思いました。

 

たった1日だけの演習で、しかもその日の私の見方だけで、彼らの能力を判断しようとしていた自分を反省しました。

 

 

 

どんな人にでも得意な分野がある。

そこに目を向けて伸ばし、活かすことー

すべての人の強みや特性が上手く活かされたらどんなチーム・組織になるんだろう?

 

司令官はそんな楽しみを私に教えてくれました。

アメリカ人の50%は自分を社会不安(social anxiety)があると思っている?!ープレゼンで緊張が一瞬でなくなる仏教の言葉

私たちに力をくれる意図とは反対に私たちの力を削ぐものに、私たちの「怖れ」や「欲」があります。

 

かっこいいことを言わなきゃいけない

優秀そうなことを言わなきゃいけない

失敗しちゃいけない

賞賛されたい

勝ちたい

相手に仕返しをしたい

などです。

 

これは自分の意識が「内」に向いている状態です。

自意識が内に向いている時には「外」に出すパワーになりません。

 

 

とはいえ、私自身、国連ニューヨークの本部にいた時には、とてもそんな風には思えず、会議でも何か「かっこいいことを言わなきゃいけない」というプレッシャーを感じていました。

 

ニューヨーク本部にいた時には、国連の中でも花形部署のさらに花形部署で働く機会をえて、とても優秀な上司や同僚たちに恵まれました。

 

その後の国連キャリアを考えても、そのような人たちと一緒に働くことができて、それは本当に恵まれたことだったのですが、周りを特に優秀な人たちに囲まれて、自分が自分に必要以上にプレッシャーをかけていたのだと思います。

 

ニューヨークにいた時には、週末にスピーチのクラスを受講したこともありました。

 

ニューヨークという場所がら面白かったのは、同じクラスに女優志望などいろいろな職業の人たちがいたことです。

 

当時の私から見たら、その彼女は十分に堂々として見えたのですが、オーディションにもっと自信をもってのぞみたい、ということでした。

 

そして、そのクラスに出て、私がびっくりしたのは、一見自信のありそうな人たちがみんな自信がない、と言っていたことでした。

 

アメリカ人の50%は自分を社会不安(social anxiety)があると思っているという数字もあります。

 

ニューヨークという中で、会議では常に優秀でスマートで、しかも、プライベートでも社交的でなければならない、というようなプレッシャーのレベルが高いのだろうなと思いました。

 

そして、最近も似たような相談を受けました。

 

彼女はアメリカ在住で、あるグローバル企業の海外事業部の統括(マネージャー)を任されている方です。

 

一見小柄な体つきながら、とても努力家で仕事に全力、そして愛されキャラなので、ほとんど周りはアメリカ人という職場環境の中で上司や周りからも信頼をえている様子が伺えます。

 

近いうちにさらに大きな仕事を、という話しもあるそうです。

 

彼女いわく、「周りからは気付かれてはいないけれども、大きな会議やプレゼンの前には実はドキドキするんです。意識が自分に向いてしまうんです。」と。

 

会議の前に、心の中で緊張したり不安を感じている人は実は意外に多いのではないかと思っています。

 

私自身は、自分がどう思われているか、ということよりも、現場ではこんなことが起こっている、もっとこうした方がいいと思う、という点により意識が向くにつれて、自分が楽になっていったという体験を持っていますが、それでも不安を感じる時の対処方をお伝えしました。

 

それは、会議やプレゼンの前に、事前に参加者に「祝福を送る」というものです。

 

これは私がスリランカ軍の講師を務めることになり緊張していた時に、あるベテランの同時通訳者の方から教えてもらったものです。

 

そして私のメンターの先生からは、唱えるだけで自分の状態(周波数)がかわるマントラを教えてもらいました。

 

聞く側というのは話し手に尊重されているかどうかをとても敏感に感じるものですから、そういう意味でも効果的です。

 

なにより、自分の意識が「内」から「外」へ向かうのを助けてくれます。

 

 

May I be happy.

May I be well.

May I be free from suffering.

 

私が幸せでありますように。

私が健康でありますように。

私が苦しみから自由でありますように。

 

May you be happy.

May you be well.

May you be free from suffering.

 

あなたが幸せでありますように。

あなたが健康でありますように。

あなたが苦しみから自由でありますように。

 

May we be happy.

May we be well.

May we be free from suffering.

 

私たちが幸せでありますように。

私たちが健康でありますように。

私たちが苦しみから自由でありますように。

 

以上は、ハートスートラ(般若心経)の文言ですが、これ自体に非常に強い言霊が込められているので、この文言自体がとても周波数の高い言葉です。

 

グーグルで行われているマインドフルネストレーニングでも似たようなトレーニングが行われていることを知りました。

 

自分の中の「心の準備」がえきて、自分の心の中で「落ち着き」を感じられると、事前に「これはイケる!」と感じられるようになって、始まる前から成功を確信することさえあります。

 

なにより、自分が感情的に落ち着いていられると、一息つける余裕が生まれます。

 

余裕ができると、相手のことや会議で今何が起きていているかを観察できるようになります。

 

観察できるようになると、じゃあ何をしたらいいのか、何を言ったらいいのか、ということが自然に分かるようになります。

 

ぜひ試してみてくださいね。

^○^