「自分の軸で生きる練習ーオックスフォード・国連で学んだ答えのない時代の思考法」上梓のお知らせ

さて、この度大和書房より「自分の軸で生きる練習~オックスフォード・国連で学んだ答えのない時代の思考法」を上梓させていただきましたのでお知らせさせていただきます。

 

https://www.amazon.co.jp/自分の軸で生きる練習~オックスフォード・国連で学んだ答えのない時代の思考法-大仲千華-ebook/dp/B088ZR7FB8/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=カタカナ&dchild=1&keywords=自分の軸&qid=1591106362&sr=8-1

 

2016年よりクーリエジャポン(講談社)で「答えを求めない勇気」を連載をさせていただいてから、今思えば変化の時代(不確実性の高い時代)の兆候がすでに始まり、そのための考え方やメンタリティーを考え、文字にするということが当時からすでに始まっていたのだと今思い始めています。

 

当時連載させていただいたものも再構成されてこの本に再編されていますが、この時代になって全体像ができ内容がより活きていると感じています。そういう意味でも、このテーマで刊行するには今がベストタイミングだったようです。

 

個人的には、南スーダンという国を体験させてもらった者として、南スーダンでの日々から学んだことを還元する手段の一つとして、ようやく一つの形にすることができ(変な言い方かも知れませんが)、少しホッとしています。

 

今回、コロナやそれに関連することでいろいろな意味で揺さぶりが起きていますが、南スーダンという国は、私にとって(そこを訪れるほとんどの外国人にとって)まさに人を揺さぶる国でした。

 

人の生死を目の前にして(目の前で人が死んでいくという意味ではありませんが、死がより身近にある環境において)、やはりいろいろなものを突きつけられます。

 

それこそが今思えば、とても豊かな大きな恵みであったと感じています。

 

南スーダン後は、コーチングに携わり、大学で教え、若い人たちに触れることも多いので、学校や試験といった一部分での評価基準だけで自分を評価しないで欲しい、もっと全体的に自分の価値を捉えて欲しいという願いも含まれています。

 

直接的には、南スーダンについて書いているわけではありませんが、南スーダンでの熱い格闘の日々?!から得たものが、手に取る人になんらかの形で伝わるのではないか思っています。

 

「これまで生きてきたことに対する答えらしきものがみつかって一人で興奮しました。」

「本なのになぜか大仲さんのパワーが伝わってきて不思議でした。」

「清々しい読了感を感じています。」

「子どもに読ませたいです。古本屋には回せないだろうなと思っています。」等、励まされたという感想をいただいています。感謝です。

 

自分の軸で生きる練習pic

 

以下紹介です。

 

私たちは今「答えのない時代」を生きています。国際情勢から為替の変動、未知のウイルスなど、一つ一つの出来事が複雑に影響し合い、思わぬ方向に発展するような事態も発生しています。このような状況においては、すべての問題を解決できる唯一無二の答えは存在しません。

 

では、「答えのない時代」を生きる私たちにとって大切になるのはどのようなことでしょうか?その一つは、現状と課題を理解するための視点と、さらに、自分にとって必要な答えを導き出すための考えるステップ(思考プロセス)を修得し、そのためのメンタリティーを身につけることです。

 

一見複雑に見える現象や新しいテーマであっても、自ら調べ、一つ一つ分かる範囲が増えていき、自分の中での理解が深まっていくにつれ、これまでは分からなかったことが確実にわかるようになっていきます。

 

自ら答えを導き出し、「わかっていく」体験は、確実に自信となり、人生においても大きな力となってくれることでしょう。(第1章自分の頭で考えるより)

 

全ての状況が今すぐ解明、解決されるわけでもなく、仮に、動きたくても今すぐに動けるような状況ではない、というようなもどかしい状況であったとしても、⭕️⭕️⭕️の3つがわかっていれば、日々の情報や外部の状況に圧倒されることなく、より落ち着いて考え、判断をすることができるようになるはずです。(第1章自分の頭で考える p.58)

 

がんばってものすごい努力をして倍率5,000倍から10,000倍の倍率を勝ち取る道もあるのだろうけれども、⭕️⭕️によって、拓ける道があるのです。(第2章ブレない自信をつかみとる p.133-134より)

 

世の中には競争は選考というものが存在します。適材を見極めるための方法や選ぶ過程自体がまったく完璧でない場合もあります。自分が選ばれる場合もあれば選ばれない場合もあります。自分のメンタルやパフォーマンスのためにも、⭕️⭕️が自分のためになることがあります。(第2章ブレない自信をつかみとる p.143より)

 

強みや能力というと、学校教育の影響を受けた私たちの中には大きな誤解があって、学校教育や試験というたった一つの狭い指標で自分の能力を判断しがちです。

 

ただ、その人の独自性、人生の方向性、目的というのは、その人の経験や視点、感じ方など全てを含めたより全体的なものです。その中でも「資源」となるのは⭕️⭕️です。(第3章 決める力を養う p.174-175より)

 

自分の軸で生きる練習pic

 

自分の軸で生きる練習~オックスフォード・国連で学んだ答えのない時代の思考法

オリンピックか予選敗退か?ー「力を弱める考え方」と 「力を強める考え方」

 

昨日は、「水の怪物」と呼ばれ金メダル23個という神業 (?!)を成し遂げたアメリカのフェルペス選手が、北京とロンドンオリンピックで圧勝した後に目標を失い、一時期は自殺も考えた時期から、どうやってその「逆境」を乗り越えることができたのかという彼のストーリーを紹介しました。

記事はこちら⇨フェルペス選手はどうやって逆境を乗り越えることができたのか?

 

 

高校野球を見ていても、一回戦で圧倒的な勝利を収めたチームが二回戦では気持ちが緩んだのか、同じチームとは思えない位ぼろ負けをすることがあります。

 

最初は、純粋に上手くなりたいと思い、練習し、挑戦することを楽しんでいた選手たちが、予選で上手くいったり、新記録を作ったりすると、期待に応えないといけないプレッシャー、または、プライドや誰かを打ち負かしたいなどの気持ちがむくむくと沸き起こってきて、彼らの調子を狂わせる。。。

スポーツではそんな様子をとても分かりやすく目の当たりにします。

では、そんな時に「人の力を弱める考え方」、または「人の力を強める考え方」とはどういうものなのでしょうか?

 

 

 

デンマーク王室から称号を授与されたデービッド・ホーキンス博士は、著書『パワーかフォースか』の中で、キネシオロジー(筋肉反射を利用したテスト)を使って、どんな考え方(意識のレベル)が私たちに力となるのか、をスポーツや芸術、政治などいろいろな分野で実験し、その結果を紹介してくれています。

 

 

例えば、実力のある選手に、相手を打ち負かすことや有名になること、たくさんのお金を稼ぐという願望を頭に思い描いてもらうと、その鍛えられた筋肉は、私たちが軽く押すだけでも下がってしまう位弱い反応をする、そうです。

 

では、「一番になること」はどうでしょうか?

 

「一番になること」という目標も弱い反応しかくれず、「一番になること」や相手を打ち負かすことは、ある時期には力になるようにな見えるものの、本当の力にはならず、必ず限界を迎えるそうです。

 

ゴルフチャンピオンのタイガーウッズは、対戦相手がパッドを打つ時にでも、「このボールが入りますように」と心の中で祈っている、と言われています。

 

彼は、自分自身のために、そういう意識のあり方の方が効果的だということを体験しているのでしょう。

 
では、逆に、力を与えてくれる考え方とはどういうものでしょうか?

 

 

愛する人に捧げること

自分が出来る限りのベストを尽くすこと

最高の努力をできる機会を持てることを喜ぶこと

チームを勝たせること

周りの人たちに希望や勇気を与えるため

 

 

等、だそうです。

 

今朝方、接戦の上で銅メダルを勝ち取った卓球女子チームは、まさに自分よりも「チームを勝たせる」というあり方が力になっていたように見えました。

 

 

オリンピックの決勝レベルになると、身体の大きさが圧倒的に有利になる一部の競技を除いて、身体能力の「差」はごく僅かで、身体能力や技術がある段階に達成すると、その先の能力を決めるのは「意識のレベル」だと言われています。

 

 

深海ダイバーとして世界一の記録を持ち、映画『グランブルー』で映画化されているフランス人のジャック・マイヨールという人がいますが、彼が潜っている時の意識というのは、瞑想をしている時と同じような意識の状態だそうです。

 

 

その瞑想のような意識の状態の中で、生理的な「変性状態」が起き、肉体の通常の限界を越えることが可能になる。。。

 

 

マイヨールの友人も彼と同じ深さに挑戦しますが、肉体の限界を超えるのに必要な意識のレベルに達していなかったために死んでしまいます。

 

 

マイヨールにとって、潜ることは、

個人的な記録への挑戦から、人類にとっての「未知の世界への挑戦」となり、

その目的は、「人間の潜在能力や偉大さを示すこと」になる。

 

 

ホーキンス博士は言います。

 

究極的に力をくれる考え方とは、

 

『自分の力は人間の能力を表す人類すべてのものである』というもの。

 

 

ちなみに、彼の映画を観ると、観る人は彼が潜水中に体験しているのと同じような変性状態になり、至福の状態で映画館を出てくるのだそうです。

 

 

武道の世界では、「動機」と「原理」が究極的に重要である、と言われています。

 

 

そういう意味では、私たちがスポーツ選手のプレーに感動し、讃えるのは、こうしたより高い原理に自らを捧げ、弱気になる自分も含め、個人的な欲望やエゴに打ち勝ったことを、彼らの内に直感的に感じ取るからなのかも知れませんね。

 

 

ビバ! Human Being!!!😊