国連でも必須!「聴く力」こそ世界に誇れる日本の武器だ

世界で活躍するためには、何か特別な資格や能力が必要だと考える人は多いだろう。だが、日本人が得意とする「聴く力」は国連職員の研修項目に入るほど、重宝される力なのだという。

バングラデシュ女性とセックスの話をして気づいたこと

 

ある日のこと、私はバングラデシュの首都ダッカで12人ほどの現地の女性たちと一緒に座っていました。バングラデシュ人の友人に誘われ、「あるテーマ」について話し合う会に参加するためでした。

テーマは、「セックス」です。

人間として当たり前の営みでありながら、途上国、特にイスラム圏では、セックスについて母から娘に正しい知識が伝えられることも、女性同士で語り合う機会もほとんどありません。

それゆえ、結婚年齢の早いバングラデシュでは、セックスについて人知れず悩んでいる人が多い、ということをその友人から聞いていました。

 

「だからこそ、女性同士で自由にこの話題をシェアできる会を持ちたいの。セックスは秘密でもないし、苦痛なことでもない。人間としてあたり前のことだって伝えたいの」

 

友人の熱意と意気込みをはっきりと感じました。

 

イスラム圏では、たとえ女性同士であってもセックスについて話すことには、大きな勇気が要ります。だからこそ、彼女の勇気とパイオニア精神を応援したいと思い、私は会に参加することにしました。しかし実際にその場に行くと、不慣れなテーマに、私はすっかり委縮してしまったのです。

 

「私はセックスの専門家でもないし、自信を持って人にシェアできる体験があるわけでもないんだけど……」

 

つい、そう言い訳してしまった私に、友人はきっぱりとこう言いました。

 

「あのね、チカ。私は専門家の意見を求めているわけじゃないの。私は同じ女性の一人として、あなたにそこにいて欲しいの」

 

その言葉で、ようやく私は自分に何が求められていたのかを理解しました。私は当時、国連の平和維持活動(PKO)訓練の講師を務めていました。その仕事柄、何に対してもエキスパートで答えを持っていなければならないと思い込んでいたのです。

 

友人のその言葉のおかげで気が楽になり、彼女たちの話を聞くこと、そしてなにより、言葉や文化も越えて心が通じ合える瞬間を、私は純粋に楽しむことができました。

 

女性たちも、「日本人のチカが参加してくれたことが単純に嬉しかった」と言ってくれたし、私がそばにいて「心強かった」と友人にも感謝されました。

いま求められる「聴く力」

 

世界を舞台に仕事をしたいと思ったとき、私たちは「何か大きなことをしないといけない」とか、「目に見える成果や結果がないと意味がない」と思いがちです。

でも、本当にそうなのでしょうか?

実は、私がバングラデシュで体験した「一緒にいること」こそ、いまの世界で求められている

ことであり、なおかつ日本人の得意分野でもあると思うのです。

 

この連載の第一回目では、国連職員として南スーダンで働いていたとき、「仲裁」にかかわった体験を紹介させていただきました。

仲裁とは、中立の場をつくり、それぞれの言い分を聴き、その橋渡しをすることです。

この仲裁には、とても大きな力があります。

 

世界でも最も争いの根が深いと言われている南スーダンでさえ、仲裁によって、敵同士でも個人のレベルでは信頼関係が築かれるのを目撃しました。

仲裁の立場では、基本的には助言をしません。逆に、何か言いたくなる衝動を抑える訓練を受けるくらいです。

 

アドバイスもせず、本当に解決方法が見つかるものなのでしょうか? もし本当にそうだとしたら、いったいなぜでしょう?

 

それは、「聴く力」によるものなのです。

 

話をほんとうに聴いてもらえる時人は「変わる」ことができる

 

もちろん、ここで言う「聴く」とは、ただ単に音が耳に入ってくることではなく、より能動的な聴く姿勢を指します。

 

ちなみに、国連ニューヨーク本部で職員が受ける研修では、2日間のうち丸一日を「聴く」訓練に費やします。仲裁や交渉といった専門的な研修だけでなく、全職員に推奨されていたコミュニケーションの研修でも、一日をかけて「聴く」訓練をしました。

 

聴く力は、国連という175ヵ国もの人たちが働く場におけるコミュニケーションの「核」とされているのです。

 

NASAやマイクロソフトのコンサルタントをつとめるアネット・シモンズは、『プロフェッショナルは「ストーリー」で伝える』(海と月社)のなかで、「聴く力」の効果を次のように列記しています。

 

● 話を聞いてもらえる「安心感」

● なんでも自由に話してもいいと思え、相手に受け止めてもらえる体験

● 話すことで、自分が何が理解できて、かつ、理解できていないのかがはっきりする

● 話していくうちに、自分のなかの「理屈では説明できない部分」に気づき、その部分が受け止められることも含め、自分の思考や行動が整理されていく

● 話すことで、自分の話を自分で聞くことになるので、それを再検討できる

● 頭が整理・統合された結果、知恵や創造性が引き出される

 

ハーバード大学のキーガン教授は、人がほんとうに変わろうとするときは、自分が語りつづけるストーリーを自分が検討できるスペースをもてるときだ、と言っています。

 

「『敵』も人間だと気づいた」──兵士たちが漏らした本音

 

私がほんとうに「聴く力」を学べたと感じたのは、PKOの仕事で南スーダンに駐在したときでした。

 

南スーダンのようないつ紛争が再発するかわからないような国では、この先の状況がどうなるのか予測するために自分なりの価値基準や判断材料を持っていなければなりません。

 

そのためのヒントを少しでも得ようと、南スーダン政府や軍関係者に会いにいくのですが、もちろん彼らは簡単に本音を言ってはくれません。

 

そんな状況ですから、彼らの話を聴くときには発する言葉だけでなく、ちょっとしたしぐさや表情にも全身で耳を澄ませるようになりました。

 

そして、言葉では表現されない、彼らの背景やニーズ、動機を探り、「この人たちは本当に和平合意を守るつもりがあるのか?」「本音を言っているのか?」といったことに対するヒントを何とか見つけようとしていました。

 

そんな体験を重ねるにつれ、私の「聴く力」も向上し、相手に対する理解も深まり、自然と信頼関係ができあがっていきました。

 

国連PKO訓練の講師をつとめていたときには、内戦を経験した軍人たちが、本音を打ち明けてくれることがありました。

 

「国に戻ったらこんなことは言えないけど、私はずっと反政府勢力(毛派)と、もっと対話をするべきだと思っていた」(ネパール軍の士官)

 

「私は2回目のイラク派遣で『敵』も人間だと気づいた。戦争は相手を打ち負かせば終わりというわけじゃない」(米軍の同僚)

 

「長年、軍隊にいたせいでずっと葛藤していたけど、『人間』らしさを自分に求めていたんだと気づいた。実は僕、軍隊をやめようと思っているんです……」(ある国の士官)

 

「最近は他の国に紛争の調停に行くようになったけど、私に初めて異文化体験をさせてくれたのは日本の厚木だった。米国の田舎生まれの私の目を世界に開かせてくれた日本に感謝している」──そう話してくれた米軍のとある将校は、北朝鮮への対応で注目を集めるアジア・大平洋司令部ハリー・ハリス司令官の直属の部下でした(当時)。

聴く力には10段階ある

 

そうした体験を経て、私は「聴く」ことにもいろいろなレベルがあるのだと気づくようになりました。以下はこれまでの体験をもとにまとめた「聴く力の10段階」です。

1、相手の言葉を聴く
2、相手のニーズ・心配を聴く
3、相手の動機を聴く
4、相手の考えの「背景」を聴く。どんな理由があって、こう考えるようになったのだろう。
5、相手の感情を聴く
6、相手の強みや才能を聴く
7、相手の願いや望みを聴く
8、相手に対して自分はどう思っているのか、という自分の反応を聴く
9、相手との共通点を聴く
10、相手の本当の姿を聴く

ここで挙げている「聴く」対象は、言葉に表現されているものだけはありません。

まだ、表現されていない、または、本人さえ自覚していないニーズや動機、望みも含まれます。それらにも意識を向け、聴き、感じ、本人以上に理解することが大事なのです。

 

家族や親しい友人ですら、そんなふうに話を聴いてくれることはめったにありませんから、やはり聴いてもらえる体験はありがたいものです。

 

最近のMBAプログラムでは、ジャズの即興演奏を聞きにいったり、アロマの香りを試したり、ダンスをしたり、みんなで一緒に暗闇を体験したりして、「どんなときに人は安心して相手に心を開くのか」を学ぶそうです。

 

こうした取り組みには、従来のトップダウン型からチームの能力を引き出すことのできるフラット型へ、求められるリーダーシップ像が変化しているという背景があります。

 

現代のような変化の早い時代には、一人の人間がすべての答えを出せるとは限らないので、これまでのやり方にとらわれずに新しいアイデアを取り入れることが重要である、という認識が急速に広まっているのです。

 

米軍で国際治安支援部隊司令官などを務めたスタンリー・マッククリスタル氏も、近年、求められる軍人像が「強くて頼りになるリーダー」から代わってきたとTEDで語っています。

https://embed.ted.com/talks/lang/ja/stanley_mcchrystal

 

「この15年であらゆるものが変化しました。まず、地理的な活動範囲が広がり、テクノロジーが使われるようになりました。作戦も多様化して、多くの民間人がかかわるようになっています。

 

そんな変化のなかで、私が直面した大きなチャレンジは、文民や民間人も混じったチームを命令以外の方法で動かすこと。そして、まったく違う価値観やスキルを持った『ミレニアル世代』に積極的に耳を傾け、彼らのテクノロジーのスキルを活用しながら環境を整え、全員を共通の目的に向かわせることでした」

 

それを成し遂げるためにこそ、マッククリスタル氏は「聴く力」を磨いたのだと言います。

日本人の「聴く力」は突出している

 

これは米軍の例ですが、価値観が多様化するなかで、立場や世代を越えて、互いの意見にオープンに耳を傾ける姿勢の重要性はどんな業界にも当てはまるのではないでしょうか。

 

その根本に「聴く力」があるのだとしたら、世界的に見ても日本人はその能力に非常に長けています。

 

私は日本でファシリテーションや仲裁のスキルについて教えたことがありますが、国連の職員が2日間かけてようやく掴みかけるレベルの「聴く力」を多くの日本人がすでに持っているのを見て、驚きました。

 

実際、日本人は「聴く力」や「感じ取る力」を日常的に発揮しています。

 

「あの人は会議でああ言っていたけど、本当に言いたかったのはこういうことだったんじゃないか?」といった深層の部分を洞察することを、みなさんも自然にやっているのではないでしょうか?

 

日本人には当たり前のように聞こえるかも知れませんが、これは世界的にみると稀有な能力です。そして、この力こそがいま世界で求められているのです。

 

たとえば、2011年に独立した後、内戦が再発している南スーダンには、生まれたときから戦争しか知らず、教育を受ける機会もなく、話し合うことを一度も体験したことがないまま大人になった人たちが大勢います。

 

彼らは銃や武力でしか、相手を動かす方法を知りません。いくら話し合いが大事だと言われたところで、彼ら自身一度も「聞いてもらった」体験がなく、話し合うということがどんなものなのかわからないのです。

 

しかしながら、もし、彼らが武器を手に取る前に、誰かが話を聴いてくれていたら、どうでしょう。

 

人は争いを体験するほど、聞いてもらうこと、理解されることを、強く求めるのではないかと思います。生存や安全と同じくらい、人間は社会に承認されることを求める生き物だからです。

 

そもそも、世界にかかわりたい、自分が属している社会をよくしたいと思うのは人間の本能的な欲求です。それが、国連やNGOといった職種に就かないとできない、という状況も変わるべきときなのでしょう。

 

「聴く力」は世界で通用する大きな武器なのです!

 

 

 

人生から成功も幸せも奪う「いい人」という病──国連ニューヨーク本部で学んだ真実|大仲千華 「答えを求めない勇気」

「人から認められたい」「誰からも嫌われたくない」という思いから、ついつい「いい人」を演じてしまう人は多いのではないだろうか。だが、他人から高評価を得るためのこの行動が、実は成功や幸せを遠ざける原因になっているという。

「いい人」は損もしないが得もしない

 

「『いい人』のままでは、誰にも君のことを覚えてもらえないよ」

 

これは、私が国連のニューヨーク本部で働いていたときに当時の上司に言われた言葉です。いい人は無難な意見ばかりを口にするけれど、そんなものは国連では何の役にも立たないし、誰の記憶にも残らない。彼にそう言われて私はかなりショックを受けましたが、「確かにその通りだ」とも思いました。

 

当時、私は国連平和維持活動(PKO)に携わっていました。国連が扱う業務のなかでも最も直接的に紛争にかかわり、国際政治や人の生死にも影響を与える仕事が単なるいい人に務まらないことは、私にも本能的にわかっていました。

 

しかしながらいい人を否定することは、私にとっては大きなチャレンジでもありました。日本で生まれ育った私に、「いい人であることは悪い」という発想はまったくなかったからです。けれども上司のその一言によって、いい人でいることは、大きな損はしないけどその代わり得もしない、いわば「守りの姿勢」ではないかと考えるようになりました。

 

いい人を演じれば、自分の本当の意見や立場を明らかにする必要がないので、自分が受け入れられなかったり、批判にさらされたりする危険を避けることができます。

 

実際、国連本部で働きはじめてからまだほんの少ししかたっていないにもかかわらず、気がつけば私は発言を求められると公式見解を繰り返すようになっていました。官僚の答弁のような物言いをすることによって、私は自分が傷つく事態を懸命に防ごうとしていたのだと思います。

「いい人」ほどトランプに怒りを感じる

 

私には米国やカナダで暮らすコーチ・カウンセラー仲間が何人かいるのですが、彼らに言わせると、いい人ほどトランプ氏が米大統領選に勝利したことに失望を感じていたそうです。

 

この場合のいい人は、「自分はいい人であるべき(はず)」、または「自分は正しい」という思いが強い人を指します。たとえば、社会的な役割が多い人、仮面(ペルソナ)を何重にもかぶっている人、公的な立場と自分のアイデンティティが一体化している人などがこれに当たります。

 

特に欧米では、社会的地位の高い人ほど「ポリティカリー・コレクト」(発言やふるまいに差別や偏見がなく、道徳的)であることが求められるので、 肩書きや社会的役割と自分のアイデンティティが同一化されていく傾向が強くなります。

 

もちろん、トランプ大統領の乱暴な物言いや、移民・イスラム教徒に対する差別的な発言に、純粋に怒りや不快感を覚えた人も多いでしょうが、「自分はいい人で正しい」と思っている人ほど、トランプの傍若無人な言動が許せないと感じたそうです。

 

人間には誰でも強みと弱みがあります。自分のなかにはいい部分もあれば、嫉妬や無力感に苦しむ嫌な部分もあることをみんな理解しています。しかし、「自分はいい人で正しくなければいけない」と思い込んでいる人ほど、人間の性質をありのままに受け入れることが難しくなってしまうのです。

 

いい人でいることのもう一つの恐ろしい弊害は、いい人を演じ続けなけばいけない義務感、そしてこうすれば人から評価されるという期待感に囚われてしまうことです。

 

「いい人」ほど怒りをため込む

 

私たちは子供の頃から勉強ができるとかスポーツが得意とか、行儀がいいとか褒められた体験を通じて、「こうすれば認められる」という観念体系を学んでいきます。そしてその経験は、大人になってからも私たちを「人を喜ばせよ、有能であれ、完璧であれ」と煽りたてます。

 

そこには、「自分の価値は、残した実績に対する他人からの評価によって決まる」という思い込みがあります。内なるモチベーションよりも、他人からどう見られるかに意識が向いてしまうのです。

前回の記事で、ニューヨークで働いていたときの私は、能力も努力も常に足りない気がして焦燥感とストレスに悩まされていたと書きました。いま思うと当時の私を苦しめていたのは、「国連の本部で働く人はこうあるべき」という思い込みと、「自分をそう見せなければ」と自ら課したプレッシャーでした。

 

このように、私たちは人に認められたいあまりにヘトヘトになり、心をすり減らしてしまうのです。しかも、そんな人ほど実は心のなかで怒っているのです。

 

彼らは「自分はこんなに我慢しているのに」「自分はこんなに尽くしているのに」と思う一方で、相手からは期待するような反応や評価が返ってこないことに対し、常にイライラや不満をためているのです。自分の満足が、コントロールの及ばない他人の反応に左右される状況は、当然、人に非常に大きなストレスを与えます。

日本人特有の「受動攻撃性」とは

 

私が長年の海外生活を経て日本に帰国して驚いたのは、日本人の受動攻撃性の高さでした。

受動攻撃性とは、あからさまに怒りをぶつけて攻撃をするのではなく、無視、無関心、連続して遅刻やミスをするなどの無気力な態度で「抗議」することを指します。私は日本人特有のこの性質を、満員電車の乗り降りのときに特に強く感じました。これも恐らく普段からいい人を演じていることからくる弊害なのでしょう。

 

いい人は、自分の意見を持たない、もしくは自分よりも他人の意見や価値観を優先させることによって、自分で自分を傷つけています。我慢し過ぎて自分の希望がわからなくなったせいで、無気力に陥り、鬱を発症するケースさえあるのです。

 
また、必要以上にいい人になろうとすると、期待に応えられなかったらどうしようという不安にとりつかれ、失敗や批判が怖くてたまらなくなります。その結果、ちょっとした失敗に対しても自己嫌悪を感じる状態に陥ってしまいます。つまり、いい人でいることは、成功の妨げにもなるのです。

 

このような状況から抜け出すには、自分で自分に課しているハードル、そして、社会やメディア、学校や親から植え付けられた以下のような「理想像」に自分が無意識に囚われていることにまず気づかなければなりません。

 

男性は「弱み」を見せてはいけない。
いつもいい成績をとらなければいけない。
絶対に失敗をしてはいけない。
周囲の人に賞賛されなければいけない。
やるからには成功しならなければいけない。
誰よりも優れていなければいけない。
スマートでなければいけない。
もっと痩せなければいけない。
人気者にならなければいけない。
かっこよくなければいけない。
おしゃれでなければいけない。
女性は若くなければいけない。
母親は常に子供思いで優しくなければいけない。

 

私がこうした「いい人」の呪縛から逃れられたのは、ニューヨークでストレスのピークを体験した後にPKOで南スーダンに赴任したことがきっかけでした。

まず、灼熱の南スーダンで、私はスーツを着なくなりました。

 

そして、国連で働く人はこうあるべきだという思い込みを実現するためではなく、現地の状況に合わせて最善を尽くすことに自分の目的がシフトしたとたん、変化が起きました。このとき初めて私は、自分のエネルギーが内から外に向かうのを感じました。

 

人の評価を求めてストレスにさらされるよりも、少しでもいいから毎日自分が成長したと感じられるほうが、自分の力で人生を歩んでいる実感が得られます。南スーダンでは別の意味でのチャレンジがたくさんありましたが、これに気づいたおかげでどれだけ気持ちが楽になったかわかりません。

 

それからは、多国籍チームのリーダーに抜擢され、国連の幹部に「うちの部署で働かないか」と誘われたこともありました。南スーダン政府や南スーダン人民解放軍との会合では、私が話しはじめると白けていた人たちが耳を傾けてくれるようにもなりました。

 

当時の南スーダンは、いつ紛争が再発してもおかしくない状況でした。そんななか、「たったいま、私がここにいる人たちに届けられる一言は何だろう?」と私なりに必死に考え、それを伝えようとしたことによって、気持ちが相手に伝わったのだと思います。

 

人は「正論」では動きません。なんらかのメッセージが人の心に届いたとしたら、それはその意見が立派だからでも正しいからでもありません。伝える人間が心の奥から湧き出るものを表現しようとするときにこそ、言葉を超えた思いが相手に伝わるのです。自分の保身のためにいい人を演じ続けていたら、言葉さえ力を失ってしまいます。

 

「どんなときでもあなたは一人しかいない。だから、あなたの表現は必ずユニークなものになる。もしそれを表現しないのならば、それは世界にとっての損失である。自信を持って踏み出しなさい」──これは、モダンダンスを開拓した米国の舞踏家マーサ・グラハムの言葉です。

 

彼女の言う通り、あなたという存在からしか伝えられないものが必ずあります。

 

私たちはもっと自分が自分であることを表現し、もっと正直にわがままに生きていいのです!

 

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《新プログラム》開始しました❗️

 

沖縄には、人がその人本来の姿でない状態を表わすのに「魂が抜けている」と言うことがあります。人は、その人の自然な想いや本当の気持ちに繋がるとき、その人本来の力と輝きを取り戻します。

 

自分の人生について改めて考えたい、前に進みたいという時に、普段の環境と切り離されることはとても役に立ちます。

 

普段無意識に感じている「こうでなければならない」という囚われや集合意識、過去の経験から物理的に離れることができるからです。
この特別プログラムでは、世界の中でも自然がピュアで、生命エネルギーが高い形で残る沖縄の西表島へ行きます。

 

https://peraichi.com/landing_pages/view/krgi1

 

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ビルゲイツが支援している大学でMBAも授業料完全無料!194カ国の学生とタダで一緒に勉強できるのに、なぜ日本の大学なのか❓❓❓

なぜ日本の大学なのか?

海外の大学ではなくなぜ日本の大学なのか???

日本の大学を出ると、どんなスキルが身につけることができてどう役立つのか???

 

 

これまで、海外(アメリカやイギリス)の大学を出ることことの一番のネックは学費と語学力、そして、治安(実際の治安状況というよりは親の心配)でした。

 

授業料は高いし、生活費もかかります。

 

オンラインで、アメリカの大学卒業資格が無料(試験料あり)で得られる時代になった、とお伝えしました。

 

オックスフォードやハーバードの教授たちが軒並み顧問に就いていている、University of the Peopleです。

 

ビルゲイツが、アメリカの教育費が高すぎることが問題だとして、しかもオンラインの時代にあった教育改革をしようという試みの一つとして、支援しています。

 

なぜ無料でできるかというと、ハーバードやMITなどの無料公開講座を講義コンテンツとして利用しているからです。

 

無料公開講座とは言え、質はかなり高いです。

 

しかも、名門ニューヨーク大学(NYU)とも提携をしています。

すでに、3千人以上の卒業生がいて、世界194カ国❗️以上もの学生が学んでいるそうです。

 

2009年に事業開始、卒業はアメリカの四年制大学の卒業資格として認められます。

 

入学条件は高校を卒業していること、英語で授業を受けられること。

 

面白いのは、世界194カ国から参加するクラスメ-トが20名前後でクラスを組み、
オンラインで課題を提出しながら、互いに学び合う仕組みです。

 

ビルゲイツも応援する授業料が無料の大学が開講 !

University of the Peopleに入ってみました

 

そもそも大学を出ることは必要なのか?という議論もありますが、

 

いろんな国の人たちと一緒に学ぶこと、多様性に降れることはそれだけでも十分に価値があると個人的には思います。

 

そして、この大学では科目は主に、Business Administration(MBAの大学版)とMBA、そしてプログラミングとHealth Scienceに特化しています。

 

3年前に初めて聞いた時には、MBAはありませんでしたが、MBAも始まっていました。

こちらも無料です!

 

大学ではもっと幅広い教養を身につけるべきだ、という意見もあります。

 

私個人は、大学では考える力を身につけることが大事だと思っていますが、実業に近いものを学ぶという選択は理解できます。

 

 

さて、では次の質問です。

日本の大学を出ると、どんなスキルが身につけることができてどう役立つのでしょうか❓❓❓

 

この数年、このギャップがかなり深刻な問題として認識されてきています。

 

最近もある現役女子大生の方から、大学で勉強していることと自分が知りたいことが全然違う、という声を聞きました。

 

 

もう一つ、海外の大学卒業生は日本の企業の就職に不利だと言われてきました。

 

4月一斉入社前提で大企業に雇われることを最優先としたら、10年間にはそういう面も確かにあったでしょう。

 

でも、グルーバル人材をなんとしても欲しいという企業にとってそういう人は即戦力になります。

 

ちなみに、イギリスの大学を卒業をした友人で、通常の採用プロセスを経たら倍率何十倍だったであろうところを、外国人のマネージャーとの面接たった一回で、五つ星ホテルに就職を決めた人がいます。

 

しかも、これまで日本のホテル業界の慣習だった、専門学校をでて、ベッドメイキングから修行をするというコースを、ベッドメイキングもドアベル(玄関でお迎えする人)も各一日で終え(人事がそうしてくれたそうです)、一気にそれを飛び越して、フロントを経て希望だったマーケティング部署に一気に行ってしまいました。

 

彼女は、イギリスの大学で勉強していたのですが、最終学年在籍中に、ロンドンの「ザ・サボイ」でアジア人女性初のインターンとして雇われました(ちょっと時代錯誤に聞こえますが、本当の話しです)。

 

彼女は学校から奨学金をもらい、インターン最終段階でサボイに属したまま日本へ調査に来ます。

 

当時、東京で外資系の5つ星ホテルがちょうど進出ラッシュだった時期で、「世界のホテルの中のホテル」と言われる「サボイ」ブランドの力はすごくて、どこも快く調査に協力してくれたそうです。

 

それだけでなく、5つ星ホテルの人事担当者からそれとなく採用の話しをもちかけられたそうです。

 

そして、すでにお話したように、採用されただけでなく、これまでの日本の慣行とされてきたベッドメイキングから修行をするというコースさえも一気に飛び越えていってしまいました。

 

Savoy

Reardon-Savoy

London Hotel Savoy

 

この話しをしたポイントは、「そもそもなんで?」という質問をあえて提起したかったからです。

 

そもそもなんで日本の大学なのか?

 

そもそもなんで日本の企業なのか?

 

 

日本の企業には、どこに配属されるのか分からない、そしてどんなキャリアパスがあってどんなスキルを身につけられるのか分からない、という点があります。

 

専門家よりも、その会社特有のやり方や会社人間を育てることに重点がおかれます。

 

だからこそ、入る方も目的意識をもたないといとも簡単に目的を見失ってしまいます。

 

 

いちおう大学はいこう。

とりあえず塾はいこう。

とりあえず受験勉強はした方がいいだろう。

 

 

「とりあえず」、「いちおう」ばかりに時間を費やすほど人生は長くありません。

 

 

受験勉強⇨大学⇨流企業

 

このモデルの限界をどこかで知りつつあるのに、そうでない自分にとっての幸せのモデルがわからないという面もあるのでしょう。

 

日本全国とりあえず受験勉強、いちおう大学、やっぱり一流企業という「思考停止」状態に陥っているように見えます。

 

受験勉強に向かって努力をしていれば、がんばっている感も得られるので、それ自体がそれなりの安心や満足感にもなるのでしょう。

 

 

でも、今こそ「そもそも」が大切な時代です。

 

そもそも何のために、この勉強をしているのか?

そもそも何のためにそれを目指しているのか?

そもそも、それをすると自分は幸せになれるのか?

 

 

そういう「そもそも」に一人一人が向き合う時代なのです。

国連での勤務の1年目、苦い体験を通して学んだ本当の議論のためのルール

自分がある出来事についてどう思っているかは、自分が決めればいい、というお話しをしました。

 

でも、みんながそれそれ違う意見を持ったらどうなるの?

という漠然とした疑問というか、不安を持つ人もいるようです。

 

 

それは、

日本では、

議論のルールというものを習ったことがない

議論というものをしたことがない

または、本当に違う意見を交わしてより理解が深まったという体験したことがない、

または意見はトップダウンで決められるものでただ従えばよい、

答えは「上」から与えられるもの

という権威主義的なやり方を当たり前とする文化や経験の問題だと思います。

 

 

でも、自分の意見を言わないことは、

相手を尊重していることにはならないし、

本当の関係を築くことにならないのも事実です。

 

そして自分の意見を持つことを止めるものに、いろんな誤解が理由としてあるようですが、

 

その一つは、人の意見と人格を同一視してしまうというものです。

 

 

私はその誤解を国連での勤務の1年目、苦い体験を通して学びました。

 

国連勤務の1年目初めての赴任地東ティモールでの出来事でした。

 

初めて、オーストラリアのダーウィンから初めて国連機というものに乗って東ティモールの首都、ディリに向かった日のことは今でも覚えています。

 

一緒に働くことになったのは、

チリ生まれのオーストラリア人、パキスタン人、イギリス生まれのパキスタン人、カメルーン生まれのドイツ人、オーストラリア警察から出向中のオーストラリア人の女性と日本人のわたしでした。

 

さて、チリ生まれのオーストラリア人はチリ人っぽいのか、それともオーストラリア人っぽいのか?

国籍を聞いただけではこの人たちはどんな人たちなのかさっぱり分かりません。

 

さて、始めての会議。

 

その中でチームリーダーに選ばれた一回り年上のパキスタン人の同僚の口からは、ショックな言葉が続きました。

「女は仕事ができない。」

そして、男性には挨拶をして、女性は無視するかのような態度。

 

オーストラリア警察から出向していた女性と私は顔を見合わせてまず怒りました。

そして、悩みました。

 

結論から先にいうと、そんな言動が続き、本部からヒアリングと事実確認、調停を担当する人が派遣されてきました。

 

その調停人の方は、まず双方の言い分を聞き、事実確認をするための質問をいくつかしました。

私は事前に書面で伝えていたことと同じことを伝えました。

 

そして、何回かそのようなやり取りが続きた後、

途中「だからこの人は何もわかってない!」と

私の方がカッとなってしまいました。

 

私がよく覚えているのは、その時の調停人の言葉です。

 

彼は落ち着いた口調でこう言いました。

「事実と人格を分けてください。」

「ここで聞いているのは(確認をしている)のは事実関係です。

何があったのかという「事実」だけを述べてください。

相手のパーソナリティーに言及することは慎んでください。」

 

私は、その瞬間にハッ!と気づいて本当にその通りだと思ったのです。

 

「「事実」だけを述べてください」とは、日本人の感覚からするともしかしたら冷たい印象を与えるのかも知れません。

でも、その時に私はすごく解放された気がしたのです。

 

 

この人はイスラム圏で生まれ、おそらくこれまで女性と働いたことがなかったんだろう。

そういう文化背景で、おそらくそういう考え(女性は仕事はできない)を持つようになって、

ただそれだけなのだ、と。

 

 

そういうことを平然と言い続ける人と一緒に働くのは決して心地よかったわけじゃないけど、

私個人に向けられたものではなかった、と。

 

 

私たちは、自分とまったく違う意見と持っている人に会ったり、自分の意見が否定されたりすると、あたかも自分という個人が否定された、と感じがちです。

 

相手の意見と人格をごちゃまぜにしてしまいがちです。

 

でも、その人の意見は世界の72億あるうちのたった一つの意見であって、

 

自分にとって真実でもなければ、同意する必要もないし、

その人の意見個人的に捉える必要はまったくないのです。

 

最近続けて職場でハラスメントを受けている・受けていたという相談を受けていますが、

それを聞く中でも、そこにショックや傷ついた体験がごちゃまぜになっていることが多いのを感じます。

 

まず、事実と感情を分けること、

事実と人格を分けることが大切です。

 

すると、事実関係が自然に整理されていきます。

 

 

《まとめ》

事実と感情をわける

意見と人格を分ける

事実を淡々と整理する

人の意見が自分の意見と違うからといって、それは個人的に嫌われたとか、尊重されていないとは違う

もしそういう感情や感覚があるとしたら、それは本当にそうなのか確認すること。

国連のトップのトップ研修では答えではなく理由を聞かれる。

さて、この数日間、オックスフォード大学で行われるチュートリアルと呼ばれる一対一の個人指導の体験を例に、答えは一つではないこと、をお伝えしてきました。

 

これを読んでいるみなさんの中には、でもそれは学校という場だから成り立つんだろう、と思う人もいるかも知れません。

 

では、国連での研修を例にとって、「答えは一つではない」ということがどのように捉えられ、実践されているのかお伝えしたいと思います。

 

私は国連事務総長特別代表候補者養成研修(Senior Mission Leaders’s Training)というものに参加したことがあります。

 

これは、国連事務総長の代表として紛争地の最前線で国連のPKO活動を指揮する国連のトップのトップを養成する研修です。

 

国連事務総長特別代表とは、閣僚経験者などが任命されることも多く、この研修に参加できる人は各国から推薦された警察や軍隊のトップ、国連で働く人の中でも参加できるのはほんのわずかです。

 

そんな私が30代半ばにして参加できたのは、南スーダンなどでの経験や経歴が評価され、「オブザーバー」という正式に参加する(選抜される)権利はないけれども、研修には参加してもいいという機会をいただいたからでした。

 

さて、そんな研修ですから講師陣には経験豊富な方々が並んでいました。

 

女性で世界で初めての防衛大臣になったフィンランドの元大臣、内戦中の軍隊と交渉を担ってきたある国連特使、元国連事務総長特別代表、そして、紛争地で一万人以上の国連軍を指揮してきた元司令官など、経験豊富な方々が並んでいました。

 

参加者の人たちの多くは、国を代表している立場であり、「国連事務総長特別代表」として任命され、その国の外交プレゼンスを上げることが目的なのでかなり真剣でした。しかも、2週間も続く研修では、10センチ近い資料も渡されました。

 

私と言えば、紛争地の最前線で指揮をとってきた方々から直接体験談を聞ける機会がありながら、課題をこなしたり発言をするプレッシャーから解放されているのですから、ある意味とても理想的なシチュエーションだったかも知れません。

 

米軍が作っただけあって課題はけっこう本格的で、内容が面白かったので、正式には何の評価にもならなかったけれども、資料は読んだし、私だったら答えはこうかなあと課題にも取り組んでました。

 

さて、そんな機会に恵まれた私が興味を持ったのは、研修の内容や講師の方々の体験談もそうでしたが、この研修がいったいどのように評価されているのか?という点でした。

 

研修は、講義と演習の組み合わせで構成されていました。

 

演習では、毎日渡される課題に対して、仮想国のトップとして自分ならどう判断するのか、という意思決定の過程を学んでいくものでした。

 

その演習の策定には、米軍も関わっているというだけあって、シナリオは世界各地の事例が集約されたような本格的な内容でした。

 

事例には、例えばこのようなケースがありました。

 

ーある勢力間で武力衝突が起こる可能性が高いという情報を受け取った。国連はどう対処をするすべきか?

 

ー国の北部で部族間衝突がおきた。隣国が国境を封鎖し、避難民が足止めされることになった。国連がとる手段は何か?

 

ー国の東部と北部でそれぞれ避難民が発生した。水と食料を必要としているが、現在確保されている輸送能力と人員では全ての人に配給することはできない。次の物資補給までには少なくとも3~5日がかかる。今ある資源を何に使いどこに向けるべきか?

 

ー来週ある大規模なデモが予定されている。そのデモが国連事務所へ向かう可能性がある。国連はどう対応するべきか?

 

ー過去に民族衝突が起きたことのある地域住民から弾圧の恐れがあるという訴えを受け、保護を求められた。国連はその要請を受け入れるべきかどうか?

 

ちなみに、ここで挙げられた例は、多少形こそ違えど、私が働いてきた国でも体験してきたことでした。

 

私は、こうした課題をする必要はありませんでしたが、あまりにリアルな課題だったので、

 

その事例に触れただけで、すっかり目が覚めてしまいました。

 

私の頭は急回転し始めました。

 

さて、

 

いったい何が「答え」なんだろうか?

そもそも「答え」などあるんだろうか?

講師の人たちは何と答えるんだろう?

 

そして研修は、参加者が事例に取り組む時間が与えられた後で、講師の人たちから意見を求められたり、質問が投げかけられる、といった形で進んでいきました。

 

そして、それぞれの参加者の意見や回答に対して、そこで鍵となる点に対して、それぞれの講師の人たちから体験談やコメントがシェアされました。

 

それぞれの方の体験談自体もとても興味深かったのですが、個人的に面白いと思ったのは、たった一つの「答え」もなければ、その場にいた講師の人たち全員が用意した「共通の回答」があった訳でもなかったことでした。

 

そして、面白かったのは、参加者と講師陣との間のやり取りでした。

 

講師の人達から参加者の人たちに繰り返し投げかけられていた質問はこのようなものでした。

 

なんでそう思ったのですか?

それはどういう意味ですか?

こういう可能性についてはどう思いますか?

 

あなたは、「なぜそう考えたのか」という根拠と思考プロセスを確認するという作業でした。

 

そして、「こういう可能性についてはどう思いますか?」という議論から漏れていた視点についての問いかけがあったり、思考を広げるような別の視点が投げかけられることがありました。

 

ここでも質問されていたのは、オックスフォードのチュートリアルとまったく同じ趣旨の質問でした。

 

つまり、何か決まった「回答」がある訳ではなく、ここでも問われていたのは、あなたはなぜその結論にいたったのか?という意思決定にいたるまでの思考プロセスでした。

 

国連のトップのトップ研修が教えてくれるように、課題が難しいからこそ、決まった「答え」ではなくその考えにいたるまでのプロセスを鍛えていくのです。

仕事できる人はやっているー分かってもわからなくても、ともかくどんどんパラパラと本のページを開いていくオックスフォード式ゼロ秒勉強法

オックスフォードでは、チュートリアルといって教授と生徒が一対一で学ぶ制度を通じて、一年間の学びが進められていく、というお話しをしました。しかも、一年間で一度も答えが示されなかったともお伝えしました。

 

オックスフォードの学生はこのチュートリアルで何を学んでいるのでしょうか?

 

どんな能力や資質を体得しているのでしょうか?

 

オックスフォードのチュートリアルで学ぶポイント、それは私たちにどう関係するのか、そして、日常的にどう活かすことができるのかを解説していきたいと思います。

 

このチュートリアルが鍛えてくれる能力の一つは、分からなくても進むという能力です。

 

チュートリアルでは、学生は、事前に大量の文献を読み、そのテーマについてどんなことが言われていて、何が大切だとされているかについてまとめ、小論文という形でまとめ、課題の質問に答えます。

 

文献の量は、1週間で20冊~50冊位の量に及びます。

 

オックスフォードでは、この作業を一年で、一学期8週間×3学期=計24回を繰り返します。

 

それだけ聞くと、さすが頭がいい人は読むのが早いんだろう、そんなにできるんだ、と思われるかも知れません。

 

ここでのポイントは、そうではありません。

 

ここで習うこととは、まず「あたりをつける」ということです。

 

結論はこうだろう、とまず自分なりの「あたり」をつけて(仮説をたてて)、読み始めるのです。

 

脳は意識が向けられている情報に向かっていくと言われています。

 

なので、自分の結論をバックアップする情報が目に入りやすくなります。

 

または、それをサポートしない情報も目に入りやすくなります。

 

そして、次の本を手にとって、目次を読んで、あたりをつけてそのページから開きます。

そして、仮説があっているのか、それを証明するためにどこを引用するのか、または、どこをもっと調べないといけないのかwp見つけていきます。

 

そこで書かれていることを目にしたら、そこで書かれていることが完全にわからなくても、次の本を手に取ります。

 

次の本でも、同じことが言われているのか、または違うことが言われているのかを確認します。

 

同じことが言われていたら、それは大事なポイントですでにある程度の合意があること、もし、違うことが言われているのを発見したら、どこがどう違うのか?と見つけていきます。

 

そして同じことを繰り返して、自分が言おうとしていること(仮説)が合っているかどうかを検証していくのです。

 

私がオックスフォードに入学したばかりの頃は、1冊目の本にかなり時間をかけていました。

 

そして、提出まで残り2日しかないのに一文字もかけてない、しかも、何が結論なのかさっぱり検討もつかない!

 

読んでもわからないのは自分だけなんじゃないか?と、

途方にくれて泣きたくなることが沢山ありました。

 

ただ、そんな作業を毎週続けてようやく分かりました。

 

単純にそれでは間に合わないのです。

 

できないと落ち込むのではなく、やり方を変える必要があったのです。

 

 

そして、完璧に理解したから書き始めるのではなく、まず分かっているところからかじょ書きで書いてみるのです。

 

たったの一文字でもいいから紙に書いてみると、すごく進んだ気がします。

 

やってみたら分かりますが、たった一行でもたった一文字でも、まったくの「ゼロ」の状態とは違います。

 

できるとことから進めるのです。

 

結論が完璧に分からなくても、わからなくても、「あたり」でいいからどんどんパラパラと本のページを開いていくのです。

「問い」を持つことが力を引き出してくれる

若い人たちは内向きだと言われることがありますが、実際に若い人たちと接してみると、若い人たちは世界のことに関心はあるし、実はもっと知りたいと思っている、感じます。

 

南スーダンのことについて話すと興味を持って聞いてくれますし、他人事のように聞こえるニュースには関心は持てなくても、身近な人が実際に体験したことには興味を持つ、という体験をしています。

 

しかし、一見、「関心がない」と表現される現象においても、少し検証がいるようにも感じます。

 

 

一つは、単に、関心がないのではなく、すぐに解決できないことや、やっても無理そうなことは無駄、という意識があるよう感じることはあります。

 

 

そこには、問題には「正解」があるはずだ、という根本的な思い込みがあるのかもしれません。

 

 

または、課題を追うよりも解決することの方が価値がある、という前提があるのかもしれません。

 

塾や大学受験で叩き込まれた影響かもしれません。

 

ただ、わたしの体験を振り返っても、「問いを持つこと」が、次の道を開いてくれました。

 

例えば、「民族が違うからといって本当に人は争うのだろうか?」という疑問が紛争地にわたしを向かわせました。

 

その問いがあったからこそ、現場へ行き、自分の目で見て感じ、いろいろな人に会い、そして国連や米軍で働くなどいろいろなことを体験させてくれました。

 

実際に、国連に入ってからも、現場での問題に触れる度にこのやり方でいいのだろうか?という問いに何度もぶつかりました。それに対しても決まった答えはありませんでした。

 

ただ、自分が見て感じたこと、体験したことの全てを含めて自分なりの答えや結論を出していくという大きな機会をもらったのだと感じます。

 

そういう意味では、私の仕事の本質は、問い続けることだったのかも知れません。

 

私たちが何かの答えを求めるとき、その方が一直線で一見効率がよさそうに見えます。

 

 

しかし、人生とは直線ではなく、そのような問いが様々な機会や出会いをくれ、扉を開いてくれるのです。

 

FOR IT IS GOD WHO WORKS IN YOU TO WILL AND TO ACT IN ORDER TO FULFILL HIS GOOD PURPOSE. Philippians 2:13