震災の時神戸に行って、紛争の南スーダンを経て、23年ぶりに神戸の街を歩いてみて感じたこと

神戸の街を歩きました。

 

神戸は仕事が目的でしたが、阪神淡路大震災から丸22年経って「日本の目覚め」はどうなったのか?

 

私たちは何を学んだのか?何が変わったのか?変わらなかったのか、を自分の目で見て感じたいと思ったからでした。

 

1995年は「ボランティア元年」と呼ばれました。

 

私も救援物資を集める活動に参加して、1日中鳴りやまない電話の受付けをしたり、神戸へ行って、集まった洗濯機や自転車を配布しました。

 

ボランティアスタッフの移動と物資の運搬のためにトヨタ自動車が無償で大型バスを提供してくれたり、運輸省(当時)の人も一緒に来てくれたりと、「何か今までとは違うことが起きている」という感覚がはっきりとありました。

 

1日中鳴り続ける電話をとり続けて、人の中には「自分も役に立ちたい」という気持ちがあるものなんだ、と感じたり、みんなが一つになることによる「人間の底力」も「より大きな力」も感じました。

 

神戸東遊園地①

 

神戸東遊園地②

⬆️三宮駅 神戸市役所すぐ側の慰霊が行われる東遊園公園。

 

「シンドラーのリスト」など、数々の名作を世に送り出したスティーブン・スピルバーグ監督が「なぜ戦争をテーマとした映画をつくるのでか?」と聞かれて、こう答えています。

 

「戦争は人間を極限におき、人間の選択を問うからだ」と。

 

大変な時こそ、人と社会の真価が問われるという面があるのですね。

 

神戸で読んだ新聞の震災後23年の特集にはこうありました。

 

「震災がなかったら起業なんて考えなかった。でも一生懸命に生きることが生き残った人の使命だから」

 

震災がきっかけで奮起された方が人知れずたくさんいらっしゃるのだと思いました。

 

神戸新聞.jpg

 

国や社会全体がどう変わって、変わっていないのかは、改めてもっと詳しく書きたいと思いますが、

 

「復興」という時、私たちは元と同じように戻ることといった漠然としたイメージを思い浮かべますが、これだけの震災・災害が起きた後で、当然ながら街が単に元どおりに戻るわけではありません。

 

戦後の経済復興を経て、大きいもの・ハコモノが幅をきかす、それまでの延長ではなく、21世紀に向けて日本はどんな社会をつくりたいのか?どんな価値を新たに生み出し、世界に発信していきたいのか?という私たちの「再生」と「持続可能な社会」のビジョンが求められていたのだと思います。

 

その宿題は、東日本大震災へ持ち越され、そして少子化、人口減少が急速に進む中で、現在進行形で今でも続いています。

 

日本人は決められたレールを真面目に懸命に取り組むのは得意ですが、これからは新しい発想や価値を生み出すことにもっと重きをおくことができます。

 

それから、南スーダンなどにいた体験から感じたのは、それぞれの方の個人レベルでの「傷ついた体験」は23年経ってもまだ癒されていない面が大きいのではないか?ということでした。

 

南スーダンにしろ、いわゆる「トラウマ」の影響というのは、時間が経てば自然に解消するものではありません。

 

そうした影響は「世代間トラウマ」と呼ばれ、数十年、大きな戦争になると100年(4世代〜5世代)単位で影響があるとも言われています。

 

神戸生まれ・神戸育ちで、自らも被災して、避難所暮らしを送ったという友人に区役所や公園を案内してもらいましたが、被災して住宅をなくして以来、大阪や東京へ引っ越して「神戸はこわい」とそれ以来ほとんど戻ってきていない人も実はけっこういるということでした。

 

東日本大震災のときに始めて、「ああ自分は当時の影響がまだ残っているかもしれない」と気づく人も多かったそうです。

 

東日本大震災でこそ、心のケアや傾聴ボランティアがより一般的に認知されましたが、1995年当時はPTSDやトラウマケアという言葉もほとんど知られていませんでした。

 

また、ベトナム戦争やアフガンとイラク帰還兵がごく身近に存在して、PTSDが一般的な社会問題として認識されているアメリカと違い(逆になんでもPTSDというレッテルを張り過ぎる傾向もありますが)、また、日本人の気質からそうしたことを話したり、認めることは「恥」であるという感覚はまだ強いように感じます。

 

ただ、最近では、トラウマケアは「心の傷」というよりは、全身体的な課題であって、PTG (post-traumatic growth=トラウマ後の成長)という概念があるように、新しい自分に生まる「再統合」の機会としても認識されています。

 

人間は危機を体験すると、本能的に「闘争/逃走反応」 (fight or flight)として知られる「戦う」、または「逃げる」行動をとります。

 

戦うことも逃げることもできなかった時には、身体は文字通り身体はフリーズし、竜巻のようなエネルギーが外へ解放されず身体の中に溜まることになります。

 

そのエネルギーが数週間のうちに解放されるか統合されないと、いわゆる「トラウマ」の状態を引き起こすことになります。

 

危険を察知し身体全体に信号を送る「扁桃体」は、まだ「非常事態」が続いていると認識するため、「交感神経」が 優位になり、副交感神経系が機能できません。

 

結果、常に身体に緊張や凝りがあったり、眠りが浅い、リラックスできなかったり、不安や怖れが深い部分で残っていたりします。

 

鹿などの小動物がライオンやチーターなどの肉食動物に追われてうまく逃げられた時、 追われた動物は、「ぶるっぶるっ」と体を震わせて生体に留まっていたエネルギーや恐怖をふるい落とします。

 

動物ぶるぶる②

人間の場合、動物のようにエネルギーの解放ができるわけではないので、人間は身体に残っているトラウマのエネルギーを意識的に外に出す(解放する)必要があります。

 

 

南スーダン勤務による二次受傷(PTSD)からの回復した自身の体験を基に、丁寧に向き合います。

 

どうぞお気軽にご連絡ください。

 

info(at)peaceblossom.net

 

 

身体はトラウマを記憶する

 

 

周りの人の強みや得意分野を相手に見れるほど、自分の強みも受け入れられるようになる

どんな人にでも強みや得意な分野がある。

そこに目を向けて伸ばし、活かすことー

すべての人の強みや特性が上手く活かされたらどんなチーム・組織になるんだろう?

元司令官はそんな楽しみを私に教えてくれました。

 

そして、人の強みに目を向けることの更なる効果も感じています。

 

実は人の強みや得意分野に目を向けることによって助かるのはなにより自分じゃないか?と思うのです。

 

私たちは、うまくいっていないことや、人の間違いはいくらでも目につきます。

 

世界のニュースを開けば、毎日新しい「問題」と「危機」を耳にします。

 

いくら指摘してもきりがないほどです。

 

でも、人の強みや得意分野に目を向けることによって助かるのは実は自分だと思うのです。

 

私たちは自分で自分がやってきたことを評価することや、自分の強みを認めることにはあまり慣れていません。

 

自分に厳しいタイプの人はなおさらです。

 

日本人は世界の中でも、強みを苦手な分野を克服しようとする傾向が最も高いそうです。

 

無意識的には、私たちは周りに与えたものが自分に返ってくることを知っています。

 

そういう意味では、私たちは周りの人たちの人の強みや得意分野にも目を向けるほど、自分の強みを認めたり、自分が自分を認めることを「訓練」し許可しているのです。

 

世界65カ国以上で実践されているものに、Nonvioent Communication(NVC)=非暴力コミュニケーションというものがあります。

 

学校やコミュニティー、会社・組織でのコミュニケーションを活性化するツールとして知られています。

 

そこで教えられている原則はこう言っています。

 

「相手のどこが悪いのかに焦点を当てるのではなく、『助言する』立場にある自分に焦点を当てる」

 

私がカウンセラーとしてのトレーニングを受けた時にも、相手の「完全な姿」を見るというトレーニングを受けました。

 

私たちは誰もがなんらの課題やチャレンジを持っていますが、それはその人自身に問題があるというわけではありません。

 

仮に病気をしていたとしてもその人の回復した姿を見ることができます。

 

いまなんらかの課題を持っていてもそれを乗り越え、より強くなって姿を見ることができます。

 

自信がないと言っている人がいたとしても、私たちはその人の本来の才能や能力を見ることができます。

 

実は、震災などで被災した人のニュースを見る時、紛争の被害にあっている人のニュースを見る時にも当てはまります。

 

もし、彼らを、「かわいそうな人」と見るとしたら、私たちは彼らを「弱体化する」エネルギーを送ることになってしまいます。

 

替わりに、彼らが生活を再建し、被災した人たちがお互いを助け合い、逆行を乗り越えた勇気あるストーリーが新聞一面を飾っていることを想像することができます。

 

 

 

 

問題や大きな課題があってもその人自身は人間として欠けているわけではないのです。

 

同じ職場の人、チームの人の強みや得意分野を書き出してみましょう。

 

周りの人の強みや得意分野を相手に見れるほど、自分の強みも受け入れられるようになりますよ!

燃え尽き症候群とPTSDからどうやって回復したのかーその体験から今同じような体験をしている方にお伝えしたいこと

もう同じアプローチでは限界。

もっと別のやり方があるんじゃないか?

より高い次元のアプローチを見つけたい。

 

 

南スーダンや国連ニューヨーク本部等で約10年間、国連職員として和平合意の履行支援や元兵士の社会復帰支援に関わり、国連を辞めると決めた時のことです。

 

 

南スーダンでは、大きなプロジェクトの多国籍チームのリーダーを務め、長い間不可能だと言われていた南スーダン独立のための住民投票が実施されるのを見届け、「やりきった」と感じていました。

 

なんらかの形でまた「世界」に関わりたい。でも、何か違ったやり方があるはず。

 

 

ナイル川を見ながら、それがどういう意味か分からないけど、漠然とそう思ったのを覚えています。

 

しかし、帰国してからの私は、そんな思いとはほど遠い状態でした。

 

 

それまでの緊張の糸がプッツンと切れてしまったのでしょう。

私の身体は空っぽになってしまったかのように、まったく力が入らなくなってしまいました。

 

国連での勤務を終え、日本に帰国した後、もしかしたら何かがおかしいんじゃないか?と初めて感じたのは、満開の桜の下に立っていた時でした。

 

10年ぶりの桜を楽しみにしていたのに、満開の桜の真下に立ちながら、私にはうんともすんとも、美しいとも、きれいだとも何も感じることができなかったのです (PTSDの過程の中で、人間の「防衛反応」として、感情を抑圧し、numbingという無感覚になる過程があります)。

 

一日のルーティンといえば、ゆっくり起きて近くを散歩するのがやっと。

人に会う気力もないし、こんな姿を誰にも見られたくない。。。

少しよくなって動けるようになったと思ったら、また起きられない。。。

 

 

ともかく身体が「重い」のです。。。

 

紛争を思い出させるものに触れたくなかったのか、私は世界のニュースを見ることもなくなりました。南スーダンに関する記憶は断片的で、思い出す部分もあれば全く思い出せない部分もありました。

 

 

当時、私が「二次的外傷性ストレス」(secondary trauma)と呼ばれる症状を受けていたことを知ったのはもう少し後のことでした。

 

 

国連時代に受講した「トラウマケア」に関する研修の資料にこう書いてあります。

 

「安全を脅かすような出来事に会ったり、極度の緊張状態が続いている時、それは脳の神経系統に影響を及ぼします。それは竜巻のようなエネルギーが身体の中に溜まっている状態で、そのエネルギーが解放されるか統合されないと、いわゆる『トラウマ』の状態を引き起こします。

 

そうした環境に長い間身を置くこと、または、そうした影響を強く受けた人たちに関わることによっても同じ症状を受けます。それは『二次的外傷性ストレス』(secondary trauma)と呼ばれる。」

 

少しよくなってきたかと思ったら、私にとってさらに衝撃的な出来事が起こりました。約40年続いた内戦を経て和平合意が結ばれ、2011年7月にやっとのことで独立を果たした南スーダンで再び内戦が始まったのです。

 

停戦から独立までの6年間の間に少しづつ築き上げられた街は一変。見慣れたはずの首都ジュバの幹線道路は逃げまとう人たちで溢れかえっていました。

 

そして、元同僚からは、「これまで見た中で一番ひどい状況」が伝えられ、南スーダン人の友人からは姪っ子を亡くしたという連絡が届きました。私の中の「世界」がガラガラと音をたてて崩れていくのが分かりました。

 

プツンと糸が切れるように「心の堰」が決壊したのでしょうか。私の中から激怒が溢れ出てきて、しばらくすると、「もう何も信じられない」という無力感と絶望感に襲われました。すっかり「意味」を失った私は、何の気力も意欲も感じられず、暗くて長いトンネルの中に入り込んでしまったような気がしました。

 

しばらくして、海外のカウンセリングを紹介され、それがきっかけで、心理学やカウンセリング、ヒーリングについて興味を持ち、学ぶようになりました。

 

その過程の中で、わたし自身高い共感能力を持つこと、同時に周りの環境に影響を受けやすいエネルギー的に非常に繊細・敏感な構造を持つ面があること等を知りました。

 

当時に、それらは強みやギフトでもあり、その同じ特質が、国連で働いていた時に、洞察力や直観力として発揮されてきたこと、紛争地の現場で試行錯誤しながら学び発揮されていったリーダーシップのスタイルや自分の強みが改めてわかりました。

 

また、燃え尽き症候群といった現象は、紛争地でなくとも、医療従事者やソーシャルワーカーといった対人援助職でも多く見られることで、自分が責任を持つ範囲を明確にする健全な「境界線」(boundary)を持つことが大切だと知りました。

 

 

癒しは段階的に進んでいきました。そして、わたしは心の中の葛藤を外に出す必要がありました。「人間はどうしてこんなに残酷なことができるんだ。」

 

そんな思いがどうしても拭いきれなかった時に、触れたものにこうありました。

 

「自分の力では変えられないものを受け入れることから回復が始まる。」

 

それから、アメリカをはじめ世界各地で実践されている「セレブレートリカバリー」と呼ばれる回復のアプローチを一つ一つ実践していきました。その中で、過去をありのままにとらえるというものがありましたが、ある時に自分の中での過去への見方が変わったと感じる瞬間がありました。

 

これまで、たくさんの学びや解放、ヒーリングを受ける恵みに授かりました。重かった身体が嘘のように元気になっているだけでなく、新しい身体と心を与えられ、前よりもさらに良くなっているという感覚を今はっきりと受け取っています。

 

「時が解決する」という一般的な考え方がありますが、時間が経てば解決されるとは限らないと言われています。実際、時間が経っても「心の重荷」がのしかかったままのケースも沢山ある中で、本当にここまで回復し、再生されたことに心から感謝です。

 

その中でも一番の感謝は、その大変だった時期について、昔とはまったく異なる理解が与えられたことです。

 

「ファイナルクエスト」(リック・ジョイナー、生ける水の川出版、2000年)という本の中にこうあります。

 

「負を負うこと大変名誉なことなのです。私たちも打たれて傷を負うことによっていやしの権威を授かるからです。…  わたしたちが傷ついた場所で、ひとたびいやしを受ける時、私たちは他の人をいやす力を授かります。いやしの働きを通して他の人々への憐れみが満ちあふれるためです。… すべての傷、すべての災いが、善を行うための権威になります。」

 

回復・再生した際には、その自分が通った体験を通じて、今度は人を助けることができる、ということです。

 

私の例は少し極端かも知れませんが、人生では予期せぬことが起こります。

 

ただ、そうした体験は、自分の人生の方向性を見直す機会だったり、自分が生まれた目的やギフトに招かれていく機会とも言えます。

 

自らの回復の経験から、同じような体験を持つ方々のサポートをしたいと思い、これまで、医師、医療従事者、臨床心理士、JICA職員、元国連職員といった対人援助職の方などの燃え尽き症候群からの回復をサポートしてきました。

 

次のような方はぜひご相談ください。

 

⭕️ 対人援助職で身体的な疲れ以上のものを感じている方、燃え尽きた方

⭕️ 対人援助職は自分の適職、天職だと感じているが同じやり方では続けられない、別の方法を身につけたいと感じている方

⭕️ 転職をするかどうか迷っている方へ

⭕️人生の転機にあると感じている人

⭕️より効果的に人に関わり援助できるようになりたい方へ

 

どうぞお気軽にご連絡ください。

https://chikaonaka.com/トラウマケア

 

お申込み・お問い合わせは info@peaceblossom.netまでお願いいたします。

 

《カウンセラー・セラピスト関連資格》

ー米国バージニア州イースタンメノナイト大学 The Center for Justice and Peace-buildng, STAR (Strategies for Trauma Awareness and Resilience)トラウマケアトレーニング修了

ーVison Dynamics Institute, Relationship Therapist Course 修了

ー 在米CAPACITAR INTERNATIONAL Module1、Module2、Module 3、Module 4修了

ー 在米CAPACITAR INTERNATIONAL Advance Course修了

ー21Century Christ Church プロフェティッククラス終了

ー21Century Christ Church サーバントクラス終了

 

 

 

 

燃え尽き症候群や他人にノーと言えない人は自分の領域をチェックしよう

ストレスへの対処の仕方はいろいろあるけれども、より根源的な見方の一つに、「境界線(boundary)」または「領域」という視点があります。

 

領域とは何かと言うと、簡単に言うと、自分がコントロールできる範囲のことです。

 

境界線について自分も体系的に学びたいし、上手く説明できたらいいな、と思っていたら、バイロン・ケイティー(彼女の著作「タオの教え」は読むだけで心が落ち着きます)の「ザ・ワーク」という本の中にとても分かりやすく説明されている一節をみつけました。

 

katie

(以下彼女の本を元に少しアレンジ)

 

世界にはたった三種類の領域しかありません。

 

私の領域、他人の領域、そして神の領域です。

 

 

私の領域とは何かと言うと、簡単に言うと、自分がコントロールできる範囲のことです。

 

私たちがコントロールできないもの、それが神の領域です。

 

ストレスの多くは、自分の領域から離れた時に起こります。

 

(あなたは)時間通りに来るべきだ

(あの人は)仕事に就くべきだ

(彼は)もっと愛情表現をするべきた

(母は)もっと私を理解するべきだ

(洪水は)起こるべきではない

(戦争は)起こるべきではない

などなど。

 

そう考えている時、私たちは「他人の領域」に入り込んでいます。

 

 

もし、地震や洪水、戦争や死などについてすごい心配したり怒っていれば、神の領域に入っていることになります。

 

イライラしたり、傷ついたと感じたり、無力感を感じる時には、私たちはたいてい他人の領域に踏み込んでいる、とバイロン・ケイティーは言います。

 

これは特に「燃え尽き症候群」の人に当てはまります。

 

なぜなら、たいてい私たちは、他人の領域、または神の領域をなんとかしようと常に忙しく、自分の領域がほっぽらかしになっているからです。

 

または、自分の領域に他人が侵入していて、自分の領域がのっとられている状態かも知れません。

 

例えば、他人に「ノー」と言えなかったり、自分の価値観ではなく他人の価値観を優先させている場合です。

 

これらは、疲労困憊の原因になります。

 

または、エネルギー的にとても敏感というか繊細なつくりを持っている方で、他の人の不安が心配などのエネルギーが自分の領域に入り込んでいて、それによって本人の自覚はなくても大きな影響を受けている人もいます。

 

私のところにセッションに来られる方も含め、この境界線があいまいになっているケースは少なくないようです。

 

境界線は、何が「自分」であり、何が「自分でないのか」を明確にします。

 

 

自分が何をやりたいのか分からない、ということをよく聞くことがありますが、もしかしたら自分の領域が「自分でないもの」でいっぱいになっていませんか?

 

そういう人は、ぜひ「ノー」と言うことを学んでください。

 

 

スティーブ・ジョブズは、彼はIphoneの完成にたどり着くために少なくとも1000回は「ノー」と言ったそうです。

 

彼はNoを通じて、Yesにたどり着いたのですね。

 

そうでなかったらあんなスタイリッッシュなIphoneもIpodも生まれなかったのかも知れません。

 

逆説的に聞こえるかも知れませんが、「自分でないもの」がそぎ落とされることで、「自分」が残るのです。

 

自分の領域とは自分のための時間、身体、心、感情、思考、内なる声、魂などです。

 

今の「自分の領域」はどんな状態で、何パーセント位が「自分のもの」なのか、ぜひ意識を向けてみてください。

 

 

もし、自分のものではないもの(感情、思考、信念なども)があったら、外に出て行ってもらいましょう。

 

 

自分の領域の状態を整えることは自分の心の状態や才能の基盤になる部分です

そして、自分の領域が強固になっていくにしたがって、直感や才能は開き始め、自分が望んでいること、やりたいことも自然に明確になっていくでしょう。

 

 

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⭕️それはあなたの不安ですか?

 

 

もしかしたら、それはあなたの不安でも焦りでもないかも知れません。

 

このセッションでは、あなたの領域からあなたでないものに出て行ってもらうお手伝いをします。

 

自分の領域の状態を整えることは自分の心の状態や才能の基盤を整えることです。
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これって燃え尽き? ①燃え尽き症候群の徴候って?

 

最近、私のところに燃え尽き症候群でカウンセリングに来られる方が増えています。

実際、この数年において、燃えつき症候群(バーンアウト症候群)になる人が増えているようですね。

これから、3回にわたって、燃え尽きの症候群の徴候や対策を一緒に考えていきたいと思います。

 

燃え尽き症候群になることは恥ずべきことでも珍しいことでもありません。そうした状況で役に立つことを自分自身の体験も含めてまとめてみました。

 

 

燃えつき症候群とは?

 

燃え尽き症候群 (Burnout Syndrome)とは、それまで何かに取り組んで来た人が、過度のストレスに晒されることにより、疲労感や無力感に襲われ、あたかも燃え尽きたかのように気力を失してしまう状態のことを言います。

より具体的には、朝起きられない、意欲が湧かない、イライラが募る、集中力できない、対人関係において引きこもりがちになるなどの兆候がみられます。病気に対する抵抗力も低下するなど、うつ病に至ることもあります。

「バーンアウトシンドローム」は精神心理学者のハーバート・フロイデンバーガーによって用いられた造語で、日本語では「燃え尽き症候群」と呼ばれています。燃え尽き症候群という概念が紹介された当初は、対象者は主に医療や教育、福祉関係者などの対人援助職に従事する人とされてきましたが、現在では、スポーツ選手、ビジネスマン、研究者、エンジニアなど、他のさまざまな職種や業種にも見られるとされています。

 

燃えつき症候群の徴候

燃え尽き症候群の特徴は、単なる肉体的な疲労だけでなく、文字通り「気力が枯渇したような消耗感」が伴うことで、「長期間、感情的な負担を必要とされる状況に関わることによって生じた身体的、情緒的、精神的な消耗感」とも表現されています。いわば、エネルギーが枯渇した状態です。

では、日常的にはどのような徴候が見られるでしょうか?

  • 仕事、職場、同僚に対する不満や批判が募る

ささいなことでイライラしたり、批判的になったり、怒りっぽくなる。今までなら、問題なく適応できたようなことに対応できなかったり、仕事、職場、同僚に対する不満を覚えたり、批判的になる。

  • 人間関係が億劫になり、引きこもりがちになる。

こちら側がエネルギーを消耗させている状態であるために、相手のために気を配ったりする余裕がを持てなくなり、人間関係が億劫になってしまい、人とのかかわりを避けるようになり、引きこもりがちになる。

  • 無関心・冷めている

今まで関心のあったことや今までの自分が打ち込んでいた現象に対して、無関心になる。

  • 先延ばしが多くなる

小さな作業が大きな作業のように感じられ、圧倒される(overwhelming)感じがするために、簡単なメールさえ返信ができなくなるなど、先延ばしが多くなる。

  • 集中できない・身が入らない

目の前にやるべき事が沢山あるのは頭で分かっているのに、身体が動かない、仕事に集中できない。ミスが多くなり、仕事の質が下がりがちになる。

  • 「行き詰まり」・停滞感を覚える

自己否定しがちになり、仕事に成果があったとしても、その成果を実感できなくなり、「行き詰まり感」を感じる。

  • ストレス性の身体症状

朝起きられない、寝ても疲労が抜けずに、全身の倦怠感を覚える。仕事に行きたくないと感じる。頭痛、肩こり、食欲不振、潰瘍などのストレス性胃腸障害がある。体重が減ったり、寝つきが悪い、眠りが浅いなど、睡眠障害等の症状が出ることもあります。

 

バーンアウトを起こしやすい要因としては、以下の点が挙げられます。

燃えつき症候群を引き起こしやすい要因(続く)

 

これって燃え尽き?② 燃え尽きを引き起こしやすい要因とは?

では、燃え尽きを起こしやすい要因としてはどういうものがあるのでしょうか?

 

燃えつき症候群を引き起こしやすい要因

バーンアウトを起こしやすい要因としては、以下の点が挙げられます。

 

①「どこまでやっても終わりがない」

燃え尽き症候群が多く見られる職種としては、従来から教師、医師、看護師、ソーシャルワーカーなどが挙げられてきました。こうした「対人援助職」の仕事の特徴の一つは、仕事に終わりがないこと、どれだけ仕事をやっても患者や症状など、いつでも状況が求める状況に終わりがないこと、同時にそうした状況に対して、必ずしも目に見える成果や「達成感」に繋がるとは限らないことです。

 

②「この状況をどうすることもできない」

人間とは、基本的には、自分で考え、自分の能力を使って目の前にある問題を解決したいと望む生き物です。

一方的に決められた方針に従わざるを得ないのか、決定事項はどのように伝えられるのか、それとも、意思決定になんらかの形で参加できるのかどうか、自分が関わっている仕事において、または、目の前の状況に対して、なんらかの形で自分が能動的に関わっているという感覚を持てるかどうかは、動機付けを影響する大きな要因になります。

また、与えられた状況に対して、自分が望むように対処できないと感じる時、人は無力感を感じることがあります。

 

③ サポートやコミュニティーの欠如

燃えつきを引き起こす要因となりやすいもう一つの要因は、職場におけるサポートやコミュニティーの崩壊です。どんな組織や人の集まりでされ、お互いがお互いに対して深い関わりを持っていくには意識的な努力が要ります。果たして、このチームは長いこと続くのだろうかと思ったり、また、時には、あるポストをめぐって、メンバー同士が競争しなければならない場合などはお互いのサポートが特に難しくなります。

また、組織の理念と現場との状況に大きなギャップがある時、または、現場で必要とされることと逆に見えるような決定が行われたりすること、時には自分の考えとは違う組織の方針について説明したり弁明することになったり、時には相容れない選択が求められる場面に周囲のサポートがないような状況です。

 

④ 「対人援助過労」(caregiver fatigue)

対人援助職に従事する人の中には、自分が人の役に立っていると感じられることに充実感を感じ、それをさらなる原動力とモーチベーションとするタイプの人たちも多くいます。自分のためだけには頑張れなくても、なんらかのチャレンジに置かれても、自分の目に前の人の状況のためになんとかしたいと思うことで、大きな力を発揮するような人たちです。

同時に、自分の目の前にいる人がなんらかの苦痛を抱えている状態に対して、自分が何もできないと感じたり、自分が思うように応えられていないと感じると大きなストレスを感じます。

そういう時には、自分に対して落胆したり、無力感を感じたり、無意識レベルにおいては、「自分は価値がない」とも感じがちです。そうした無力感を補うために、必要以上にワーカホリックになることもあります。

また、「彼らはもっと困っているのだから、自分の悩みはとるに足らない」、「彼らはこんなに苦労しているのだから、私もそうあるべきだ」と、自分のケアよりも相手のケアを優先し、自分を犠牲にしてまで周囲の要求に応えようとします。

また、誰かの役に立つことと、自分のアイデンティティーが同一化されてしまうと、「なんとかしたい」「自分がいなければならない」と思うあまりに、何らかの問題が起こると、自分のせいじゃないかと、さらにストレスを溜め込みます。

また、「あの時はもっとこうできたんじゃないか?」「自分は十分にできていないのではないか?」といった失敗感を抱える傾向も高いのです。

こうした現象は、カウンセラーやソーシャルワーカー、医療従事者などの対人援助職の間で、「対人援助過労」(caregiver fatigue)と呼ばれています。援助する側と援助される側との関係性において健全な境界線(boundary)を持てなくなると、仕事での役割と個人としての人格を別けることが困難になるのです。

こうした傾向は、ある面においては、その人たちが元々持つ共感能が高いからこそ起こりうる現象でもあると言えます。自分の中にある他者への共感や人を思いやる気持ちが高いからこそ、自分が思うように応えられない事に対して、必要以上に厳しくなることがあるからです。

 

では、燃え尽きのよい根源的な要因とは何でしょうか?

今すぐに出来ることは何でしょうか?

 

燃え尽き症候群③ 燃え尽き症候群の間違った対処法 vs. より効果的な対処法