環境や仕事は変わったのになぜか同じようなことを繰り返し体験するときー⭕️⭕️の連続こそが、人生をその先に進ませることを避けていることがある

もし本気で人生をよくしたいと思うならば、わたしたちは「原因」と「結果」についてより高い視点から理解することが必要です。

 

宇宙の視点からみると、人生の目標とは、私たちが人格的に成長することなので、人生ではいろいろな出来事や課題を体験します。

 

宇宙の視点からみると、私たちが愛する子供たちにできることならなんでも与えてあげたいと思うように、それは愛する我が子に体験を積ませるための機会とも言えます。

 

そして、一つづつ課題をクリアすると自分の経験値と総合的な実力があがっていることに気づき、それに合わせて仕事の機会も広がり、影響力もあがっていきます。

 

なので、その時々に現れる自分の課題に向き合うことはとても大切です。

 

同時に、環境や仕事は変わったのになぜか同じようなことを繰り返し体験する、ということがあります。

 

その時には、一度落ち着いて、自分の「内面」に、なにかそうした体験を生み出す考え方やパターンがあると疑った方がいいでしょう。

 

または、なぜか、いつも問題解決ばかりに追われているような気がする、ということがあります。

 

その場合には、その先に進むのが「こわい」ために問題をつくり出し続けている可能性があります。

 

人は潜在意識レベルで「問題をつくる」ことがあるのです。

 

そんなバカな?!と思うかも知れません。。。

 

でも、ほんとうなのです😅

 

人間って時どきそういうことをすることがあります(潜在意識レベルでの話しです)

 

そんな時には、問題を解決しようとがんばるだけでなく、

 

「そもそもこの問題は必要なんだろうか?」と聞いてみてください。

 

そして、なにより重要なのは、自分はこの人生でどんなことを望んでいるのか?という自分の人生の方向性(ビジョン)を持つことです。

 

問題解決によって、懸命に努力をしているつもりなのですが、時にその問題解決の連続こそが、人生をその先に進ませることを避けていることがあるのです。

 

しかも、そのパターンに気づきにくいのは、自分は一生懸命に努力している、がんばっている、という感覚が仮に同じところをグルグルと周っていたとしても、それを見させにくくしてしまうのです。

 

そんな時には、人生に問題解決や受動的で決まりきった行動パターンだけでなく、なんらかの新しい体験や創造(creation)の体験を取るこむことが役立ちます。

 

自分のこころに正直になって、自分に問いかけるならば、何十時間も、何百時間も、または、何千万円、何億円もの損失を防ぐくらいの価値があると言ってもいい過ぎではないかもしれません。

 

どんな体験を望んでいるのか、自分の理想のライフスタイルとはどういうものなのか?と改めて問いかけてみてくださいね。

(*^-^)ニコ

 

あなたの人生を生きるためのライフコーチング

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私は私❗️ー大阪選手に学ぶ「自分の ことを決められるのは自分しかいない!」ということ

大阪選手が日本人で初めて4大大会で優勝したことが話題になりました。

 

男子では錦織選手が世界第四位になっていますが、日本人で優勝は初めてだそうです。

 

大阪選手はハイチ系アメリカ人のお父さんと日本人のお母さんから生を受け、4際以降米国で生まれ育ったので、国籍は日本であるものの、はたして彼女は「日本人」と言えるのか?という議論が一部でおきたそうです。

 

すると、そもそも「日本人」とは何か?という問いが生まれます。

そんな反応に対する大阪選手の発言に注目していました。

 

ちょっとシャイで言葉少なめな彼女ですが、彼女が言ったのは「私は私」でした。

 

短い言葉ですが、すごく核心をついていると思って、すごく共感してしまいました。

 

わたし自身、大学を卒業して以来、組織人としてのキャリアをほとんどを国際機関で働いて過ごし、英語で仕事をしてきたので、思考プロセスも文章の書き方もかなり英語脳的です。

 

国連で働く際には、「どの国の利益も代表することなく国連憲章の理念に従います」、という宣誓書に署名をしましたが、今でもそのメンタリティーは変わっていません。

 

(というか、元々そういうメンタリティーを持っていたので、国連で働くことに魅力を感じたのだと思います)

 

「日本人」というのは、だいたいこういう行動やメンタリティーを持つものだという「日本人像」が存在するのは理解していますが、個人的には彼女の発言こそが、今の時代の特徴を示してくれているような気がして面白いなあ、と思いました。

 

それは、「究極的に自分がどんな人であるのか決められるのは自分しかいない」という点です。

 

私たちは思春期のときや就職活動のときに、自分はいったいどんな人で、自分の強みはなんだろう?という問いかけに直面します。

 

エントリーシートを埋めたり、面接に通るためにとりあえずの「答え」を埋めることはなんとかできるものですが、

 

「わたしは⭕️⭕️だ」と言うのは案外難しいものです。

 

わたしは

〜の職員だ

母親だ

わたしは料理人だ

わたしは姉だ

 

というように職業や所属する組織をあげることは簡単ですが、

 

わたしは

 

自分はこういう人だ、

 

と言えるかどうかは自分について知るという時間と努力が要ります。

 

でも、もしそれが言えるようになり始めたら

 

自信というものが生まれてくるように思います。

 

 

親や学校や周りの人はそれぞれお互いのことを「あなたってこう」というようなことを言うでしょう。

 

そして、いろんな診断を受けることもできるし、

そしてもちろんある程度の客観性は必要ですが、

 

自分はどういう人間なのか

自分の長所はどういうところなのか、

自分は自分のことをどう思っているのか

 

けっきょく、

自分はこうだ!と決めることができるのは、究極のところ自分しかいないのです!

 

人の意見は人の意見。

これは客観性やデータの問題ではなく、

自分の意思やセルフイメージについてです。

 

誰がなんと言ってもそれを信じる必要はありませんし、

人の承認も意見も待つ必要はありません。

(人からの承認はもろくほんとうの自信にはなり得ません)

 

自分はどんな人間なのか、を決める権利は他の人にはありません。

 

 

私は私!

私はこういう人です。

誰がなんと言おうとも自分で決めればいいのです!

(*^-^)ニコ

「国連勤務」と「コーチング」「子育て」の共通点とは⁉️①ほんとうに強い人は自分の弱みを知っている人

山梨県の道志川に夏休みの旅行に行ってきました。

 

富士の北東に位置する「清流道志川」の水は、船乗り達に「赤道を越えても腐らない水」と言われて重宝されたそうで、山から流れてくる水はひんやりと涼を運んでくれるだけでなく、川に足をつけているだけで、豊かに注がれる川の流れに「清めらた」ように感じました。

 

さて、この夏休みに、姪っ子の自由研究の「ガイド役」の役割を与えられたわたしは、「せっかくの夏休みはのびのびと過ごしてほしい」という思いと「夏休みが残り数日のうちに自由研究を自主的にやって終わらせてほしい」という思いにしばらく葛藤していました。

 

そして、子育てと国連の勤務には大きな共通点があると思いました。

 

いまどきの学校は宿題も多くて子どもも親もストレスが多いのでのびのび過ごして欲しいな、と思っていました。

 

自由研究は旅行を題材にしようと思っていたので、けっして忘れていたわけではないのですが、同時に旅行中にある程度、自分で自分の興味のあることをみつけて欲しいとも思っていました。

 

それで、プールで大はしゃぎの姪っ子の姿を見ながらどのタイミングで宿題のことを言い出せばいいのか迷っていました。

 

押し付けてしまうことで、勉強がつまらないものと思ってしまうことも避けたい。。。

 

自由研究の一番大事なところはテーマを「自分でみつける」ことだと思うから、そうして欲しい。。。

 

まあそれが「理想」なのですが、けっきょくどうなったかと言うと、つい口出ししてしまって、ああ言いすぎてしまったと思い、やり始めたと思ったら、また言いすぎてしまって自分の口を止める、という体験を繰り返しました。

 

「やりなさい」と言うのは簡単ですが、大人がそう言ったところで子どもその通りにやるわけでもありませんし、仮に一時的にやったとしても自主的にやってもらうのはまったく別の話しです。

 

そして、大人が持っている「武器」もふだん使っている「方法」もあまりに貧しく、すぐに尽きてしまうことを改めて思いました。

 

そして、これはたった数日の体験ですが、一人の人格を持った子どもを大人になるまで育てることがいかに大仕事であるかということを改めて思いました。

 

そして、子育てとは、「相手に主体的に動いてもらうこと」を学ぶチャレンジングな「一大プロジェクト」にもなりうると思いました。

 

「コーチング」を仕事とする前から、国連勤務のときに南スーダン軍の人たちと接する中で、「国連の肩書きだけで動いてくれるわけではない相手の協力を得るためにはどうすればいいのか」、ということを考え、試行錯誤せざるを得ないことがたくさんありましたが、子育てにかんする視点も合わせて、相手に自主的に動いてもらうためのヒントを探ってみたいと思います。

 

心理学者のトマス・ゴードン博士による「叱らなくても子どもに動いてもらえる方法」を教えている「親業」と呼ばれるプログラムがあります。

 

ゴードン博士がこのプログラムを始めたのは、叱っても罰を与えても上手くいかず、怒鳴ってしまって自己嫌悪になったという自分自身の体験があったからだでそうですが、ここで紹介されている原則は、コーチやカウンセラー、講師、国連職員やNGOの人たちなどが効果的に相手を援助するためにも当てはまることです。

 

まずゴードン博士が伝えているのは、大人が子どもに対してやってしまうこと、または援助者が被援助者にやりがちなことと、その副作用です。

 

それは力で相手を従わせようとすることです。

 

ここで言う『力』とは、大人が子どもに対して持つ「賞罰を与える力」のことを指します。

 

ゴードン博士は、相手の行動を変えようとして人が典型的にとる行動を挙げています。

 

ここでは、宿題ができずに困っている生徒への教師の対応を例にあげます。

 

以下引用です。

 

=======

1.命令、指示

「文句ばかり言ってないで、さっさとやってしまいなさい。」

 

2.脅迫、警告

「いい成績を取りたければ、今すぐやったほうがいいと思うよ。」

 

3.義務(すべき、当然のこと、など)

「宿題はやるのが当然だよ。」

 

4.提案、助言、忠告

「もっと上手に時間を使えるように計画を立てなさい。そうすれば、宿題は全部できるだろう。」

 

5、説教・説得

「いいかい。宿題を提出するまでもう三、四日しかないよ。よく覚えておくんだね。」

 

6.批判、非難

「お前はひどい怠け者だ。さもなければグズだ。」

 

7.悪口、侮辱、はずかしめる

「来年は中学生だというのに、これじゃあ、まるで小学四年生程度ね。」

 

8.断言、思い込み

「宿題をやらずにごまかすにはどうしたらいいのか、そればっかり考えているんじゃないのか?」

 

9.尋問 

「どれだけ時間をかければすむの?」

 

10.皮肉

「誰かさんは、人にこんなに何度も言わせてまるで何様のつもりなのか」

 

ちょっと胸が痛いですね。

 

ゴードン博士の調査では、講座に参加した親や教師の90%以上がこれらの対応をしていたといいます。相手の心は閉じてしまい、問題の解決から遠ざってします。

 

とくに、6~10は「あなたはちょっと変だ」、「わたしはあなたよりも上だ」というメッセージが隠されている、とゴードン博士は言います。

 

言い方はもっと丁寧ですが、南スーダンの国連PKO活動が、南スーダン軍の人たちに接していたときに、こちらが少しでも横柄な態度を隠しもっていたり、相手を変えようとしたときには、本能的にそうした力関係を嗅ぎ取る嗅覚が優れているのか、彼らはすぐにこちらの言うことを聞かなくなってしまったことを思い出します。

 

さて、こうした態度をされた相手は次のように反応し、感じます。

 

1.これ以上話してもムダだ、と黙りこむ。

 

2.防御的、反抗的になる。

 

3.強く主張する。反抗する。

 

4.憤慨する。腹を立てる。イライラが増す。

 

5.自分はダメだ、劣っていると感じる。

 

6.自分は間違っている、悪い、罪深いと感じる。

 

7.自分をあるがままに受容されていない、と感じる。

 

8.あなたが自分を変えようとしている、と感じる。

 

9.自分の問題解決の力を、あなたが信頼していないと感じる。

 

10.自分の問題をあなたがとりあげてしまったと感じる。

 

11.自分が理解されていないと感じる。

 

12.自分の感情には正当な理由がない、と思わされる。

 

13.中断された、切り離されたと感じる。

 

14.誤解され、抑圧されたと感じる。

 

15.証言台に立たされて、反対尋問されていると感じる。

 

16.あなたは興味がなくて、問題から逃げたがっているのだ、と感じる。

 

17.子どものようにあやされている、と感じる。

 

トマス・ゴードン「親業」より引用終わり

=======

 

改めて読むとこちらも胸が痛いですね。

 

ただ、これはこんな風にしてしまいがちな自分を責めるためのものではありません。

 

立場が上にある人たちやアドバイスする立場にある人たち(親、教師、講師、コーチ、カウンセラー)により効果的な方法を伝えることが目的です。

 

実際にはこんな理論のようにうまくはいかないよ、と思う人も多いかも知れません。

 

そして、それもその通りで、親も先生もコーチやカウンセラーといった人たちも、たくさんの間違いをしたり、もっとこうすればよかったという体験を繰りかえして学んでいくのだと思います。

 

 

そして、大人側の視点で見ると、ほんとうはもっと優しくしたいし、「相手のいいところを伸ばしましょう」という本の理論も知っているのですが、つい言い過ぎてしまったり、イライラしてしまって、「自己嫌悪」を覚えてしまうことに悩んでいる人がほとんどだと思います。

 

大人といえどもまったく完璧ではないし、完璧からはほど遠いように感じることもしょっちゅうです。

 

大人の中にも子どもの部分がありますから、実際のところ、大人もサポートが必要です。

 

 

仕事ではなんとか「完璧」を装うことができても、子どもはコントロール不能なので、子どもを相手にすると自分の感情が刺激されて、いつもの行動のパターンがに振り回されることがもっと起きやすくなります。

 

自分がまったく完璧でないことや自分の弱みや心の中のコンプレックス浮き彫りになりやすくなります。

 

そんなときに、人はそれを恥ずかしいと思って、こんなんではいけないと思って、それを隠そうとしたりするのですが、そんな時に現れる「自分の弱さ」や「過去の影響」を知ってそれを宇宙に預けることができる、という

 

わたしたちに与えられている恩恵の機会であって、「効果的に援助する」、「人との関係を持つ」ためにも役に立つ、わたしたちをより根本的な解決方法に導いてくれるヒントではないかと思うのです。

 

(続く)

 

国連や海外、外資系企業で働きたい人必見❗️自分の⭕️⭕️を知ること、日本人特有の謙遜の表現を言い直すこと

先日国際学会登壇エントリー用の英訳を頼まれたのですが、それが、見事に今度シンガポールで開催される国際学会でのプレゼンテーションの一つに選ばれたという嬉しい報告をいただきました。

 

ご縁のある先生から頼まれて引き受けた件だったのすが、同じ大学の他の先生のエントリーは通らなかったのにもかかわらず、わたしが英訳したものは通ったそうです。それがこの2年半ほどで数回続いています。

 

ちょっと振り返ってみると、そのコツは、英語力でも翻訳力でもなく、論点を明確にするということ、そして「日本人的な謙遜」を超えて健全な意味で自分の仕事や研究の価値を認識し、さらに言うと、自分の「差異性」を認識するということ、だと思います。

 

これは国連に応募する人(p.11の書く人)、海外で仕事をしたい人にもすごく関係することなので、どういうことなのか、ちょっと記事に書いてみたいと思いました。

 

わたしは約10年国際機関というあまり日本人のいない環境で英語で仕事をしてきたのでテーマによっては英語で話す方が楽なのですが、翻訳に関してはとくに訓練を受けたことはありません。

 

でも、イギリスの大学院で鍛えられてすごく意識することは、とくに学会発表用の要約の場合、この論文はいったい何を言いたいのか?という論点を冒頭で端的に明確にする、ということです。

 

自動的に訳を当てはめるのではなく、発表者の方が一番言いたいことと論拠や全体の結論を理解した上で英語脳的な思考回路で全体の構成を組み立て、最適な訳を当てはめるていくことをやっていきます。

 

洗練された英文表現を考えるのは三番目くらいの優先順位で、論点をはっきりさせること、次に構成(ロジカルに結論まで展開されているか)の方が断然に大事だと思います。

 

英語では、この研究はなんで重要なのか?この研究からどんな結論が導かれるのか?が非常に重要になるからです。

 

シカゴ大学を卒業した大学時代の社会学のアメリカ人の先生はなんども「So What」? と言ってこの点を強調していました。

 

これは、英語で仕事をする人、英語でプレゼンをする人、英語で書く人にも共通する点なので、「英語脳的仕事術」もぜひ読んでいただきたいと思います。

 

関連記事⇨国連ニューヨーク本部で学んだ「英語脳的仕事術/

 

そして、次に重要なのは、日本人特有の謙遜の表現を、言い直すことです。

 

日本の方が書かれるものは、結論もタイトルも全体的に控えめなものが多いように感じます。

 

日本の社会では「わたしすごいでしょ」的な表現方法は好まれないので、ちょっと控えめな表現になるのだと思いますが、

 

ただ、あまりに控えめすぎると、英語という言語ははっきりとした結論を求める構造を持つ言語なので、この論文はいったい何を言いたんだろう?となってしまいます。

 

そして、おそらく一番大事なことは、自分のやってきた仕事や、研究、作品や創作活動の価値を世界の文脈で捉え直して、その価値を相手にわかりやすいように表現しなおすことです。

 

2020東京オリンピック誘致コンサルタントだったニックバレリーが、東京はなぜ2016年立候補の時は都市の機能も予算も世界一だったのに落選したのか?という点で同じことを言っています。

 

僕たちは「謙遜が美徳だっていう『日本の文化』に直面したんだ。僕にしてみれば、世界の経済大国と言えばアメリカと日本。

 

それ自体大きな強みなのに2009年の第一回目の誘致プレゼン(2016年度)では、それを十分に伝えられなかった。日本で当たり前のことが世界では当たり前じゃないことを認識することは大切。

 

でも、これをプレゼンするのは日本の人たちだから、委員に伝えたい日本の魅力を本人たちに納得してもらうまでコミュニケーションを続けたんだ。」

 

これはオリンピック誘致に向けた世界の中で「トーキョー」がどう見えるのか、という点ですが、これは個人にもそのまま当てはまります。

 

あなたにとって当たり前だけど、世界から見たら当たり前じゃないことは何ですか?

 

世界の中の日本の強みを活かして、あなたの論文や経歴や仕事のどの部分を強調すればいいでしょうか?

 

一見違う業種だけれども仕事の本質の部分でその応募する業種との共通点はありますか?

 

例えば、国連や国際機関、外資系企業などに応募をするならば、

 

(1)相手が求めていることは何か?

 

(2)自分のやってきた仕事はそれにどう当てはまるのか?

 

(3)相手の視点からみた自分の資質や仕事、経歴の強み・競争力は何か?

 

(4)自分が一番のCandidateであることの説得力や経歴とポストとの一貫性をどう持たすことができるのか?

 

(5)それをどう表現すればいいのか?

 

という5点を改めて見直す必要があります。

 

国連に応募する方のp.11を何件か見せてもらったことがありますが、日本の文脈で自分がやってきたことの羅列に終わっているケースがほとんどです。

 

別の表現でいうと、

 

自分のやってきた仕事や、研究、作品や創作活動の価値を(一)世界の文脈で捉え直して、(二)その価値が説得力をもつように、(三)相手に伝わるように表現しなおすことがポイントいなると思います。

 

 

あなたにとって当たり前だけど、周りから見たら当たり前じゃないことは何ですか?

 

この質問を自分に問い続け自分が答えを出し続けることができたら、ほんとうの強さと自信を得ることができますね。

 

正攻法が実を結んでいくいい時代です。

 

P.11のアドバイス、

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プレゼンコーチングしています。

 

お気軽にご連絡ください。

 

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なぜチコちゃんが流行るのか?「ボーッと生きてんじゃねえよ❗️」と叱ってもらいたい現代人の心理

チコちゃんが人気だそうです。

 

NHK番組「チコちゃんに叱られる」のキャラクターで、「ボーッと生きてんじゃねーよ!」とキレるあのチコちゃんです。

 

番組の視聴率も毎回上がっているそうです。

 

番組は日常の題材を取り上げてなんで?とクイズ方式で番組に登場する芸能人に聞きます。

 

「かんぱーいってするときにグラスをカチン、あれはなぜするの?」といった、「5才のチコちゃんが問いかける素朴な疑問」という設定ですが、

 

ほとんど考えたことのないようなものばかりで大抵は答えられず、チコちゃんに「ボーッと生きてんじゃねえよ!」と叱られるのです。

 

お盆の帰省先でこの番組を見ながら、母は「チコちゃん嫌い」と一人つぶやいていましたが、わたしは単純にけっこう楽しんで番組をみました。

 

そして、このキャラがウケるのもわかるなと思いました。

 

私たちは、本能的に時代の変化や変化が当たり前の日々というのを直感的に感じています。

 

記録的大雨

観測史上初

前代未聞。。。

 

国際政治はもちろん、日々のお天気ニュースでもそんな形容詞がつくニュースが溢れています。

 

時代の変化とは一言で何かというと、

 

右肩上がりの経済を前提とした働き方や価値観がもはや今のわたしたちに当てはまるわけでもないのをわたしたちは感じているので、

 

「今までと同じではやっていけなさそう」「なにか自分も変化しないといけない」「親や世間の価値観を信じてこのまま生きていっていいんだろうか?」といった、自分にあった働き方や仕事やライフスタイルはなんだろう?という本能的な「内なる訴え」があるのだと思います。

 

とはいえ、人間というのは基本的には「変わりたくない」と思っている部分の方が強いので、惰性で日々はいとも早く過ぎていきます。

 

だからこそ、人はときに誰かにお尻をたたいて?欲しいのだと思います。

 

わたしのカウンセリングの先生はカナダ人で、世界学会でも講演し、世界各地にクライアントを持つ方ですが、彼女のセッションの通訳を務めていた時に何度か叱られたことがあります。

 

こんな風に言ったら日本人にはきつ過ぎるんじゃないか?ダイレクト過ぎるんじゃないか?と勝手に心配をして、表現をソフトにした時でした。

 

先生はそれを察知して、わたしを止めて「もう一度言葉をそのままに言い直してちょうだい」と言いました。

 

通訳をしながら、こんなことを言ってもいいんだろうか?と内心ヒヤヒヤしたことが数回あったのですが、私がその体験で学んだのは、

 

それで今の状況が変わったり、何か打開策や解決策があるのならば、もっとよい人生が開けそうだったりするのであれば、ほとんどの人は「はっきり言ってもらうことを望んでいる」ということでした。

 

一見ショックに聞こえることでも、私が立ち会ったセッションでは例外なく、最後はみなさんとてもすっきりした顔で帰られていきました。

 

逆に、日常の当たり障りのない距離感の関係であれば、人のことに踏み込むことも踏み込まれることも躊躇することも多いですし、はっきり言ってくれる人の方がまれだと思います。

 

もちろん、ただはっきり言えばいいというものではありませんが、チコちゃんと見ていると、人は今「「ボーッと生きてんじゃねーよ!」と言ってもらうことを求めているんじゃないか?、と感じたりします。

 

それは、どこかで自分が変わるきっかけを求めていたり、一歩踏みさせないことがあったり、気になっていることがあるけどどうしたらいいのか分からないことが誰の中にもあるからだと思います。

 

仕事やキャリア、自分の目ざす方向性について「これからどうしたいのか?」と思っているのなら一人で悩んでいるよりも、プロのサポートを受けるのは一つの手です。

 

アメリカではコーチングを受ける人がごく身近にいました。

 

「これからどうしたいのか?」について整理するのをプロにサポートしてもらいたい方、どうぞお気軽にご相談ください。

 

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⭕️今の仕事にギャップを感じている方

⭕️「私はこのままでいいのか?」と感じ始め、その先に進みたいと思っている方

⭕️  忙しい日々の中で、改めて自分の人生や仕事について見直したい方

⭕️ これまでの体験を整理し、「これからどうしたいのか?」について整理するのをプロにサポートしてもらいたい方

⭕️ 目的の達成のために、自信をもって前に進めるようにサポートして欲しい方

⭕️ 職場での対人関係、人間関係をより根本的に改善したい方

⭕️より効果的に人に関わり援助するスキルを身に付けたい人へ

⭕️部下を持ち、自分らしいリーダーシップスタイルを発見し、より相手を効果的にサポートできるスキルを身につけたい方

⭕️ もっと自由に自分を表現したいと思っている方

⭕️人生の転機にあると感じている方

 

プレゼンコーチングもしています。

 

あるグローバル企業でマネージャーを務める米国在住の日本人の方で、全世界の支社を集めたグローバル会議でプレゼンをするのに緊張してしまうという方がいらっしゃいましたが、コーチングで緊張の「原因」を扱った結果、緊張がずいぶん減って、グローバル会議を楽しむくらいになられて、そのプレゼンが社長にも好評でディレクター候補に昇進された方もいます。
英語脳的思考からのフィードバック、「ステージファイト」緊張を和らげることのサポートをすることができます。
わたしはプレゼンに苦手意識があって困っていましたが国連勤務でスピーチクラスを受けたり、「場数」を踏んで逆にプレゼンが得意になりました。
国連事務総長特別代表養成研修でパネリストを務めたときには、それが好評で米海軍大学院の専門家に推薦され、フィリピンやスリランカ、バングラデシュ軍で国連の平和維持活動について教える講師を務めました。

 

わたしの経歴を見ると人は勝手にいろんなことを想像したり判断するのだと思いますが、思ったよりもぜんぜん優しかったです、とよく言われます。笑

 

もし、「ボーッと生きてんじゃねーよ!」と言ってもらいたい方がいましたら対応いたします。

 

大丈夫です。優しいバージョンにしましょうね(笑)

 

詳細はこちらより⇨ https://chikaonaka.com/coaching/

コフィーアナン元国連事務総長死去にあたってーここでほんとうに歴史が動くかも知れないという高揚感と期待を国連全体に生み出したアナン氏の「魂の報告書」

先日2018年8月18日コフィーアナン元国連事務総長がスイスで死去しました。80歳でした。

 

わたしはいい時期に国連で働くことができたと思っていますが、彼がトップだったことも大きかったと思います。彼が事務総長だった時代にニューヨーク本部で働くことができたのは光栄した。

 

組織や会社はトップの人の意識レベルで雰囲気もやり方もかなり変わりますが、国連といった大きな組織でさえも彼の影響は大きく、事務総長が潘基文、そして今のグテーレス事務総長に変わってからとくにそれを感じたと言っていた同僚がたくさんいました。

 

アナン氏は、物静かな方であまりたくさん話しませんが、口を開くと周りを引きつける智慧のある言葉を話される方でした。本物だけが持つオーラと独特の存在感を放っていました。

 

彼が事務総長として任期を努めた時期の前後90年代始めという時期を改めて振り返ってみると、冷戦が崩壊し、国内紛争が各地で起こり始めた時期でした。

 

日本が初めてカンボジアのPKOに参加したのは1993年でしたが、その時に国連本部PKO局を指揮していたのはアナン事務次長でした。

 

そして、同じ時期にはルワンダの虐殺(1993年)とボスニア、スレブレニッチアの虐殺(1995年)が起きています。

 

国連事務総長としての10年の任期の真ん中に差し掛かる前には9.11が起き、アメリカがイラク戦争に踏み切り、それに対する報復テロが新たな国際的な課題となり始めていました。

 

2005年には、緒方貞子氏やアマルティアセン氏 (ノーベル経済学賞受賞)などをメンバーとするハイレベルパネルが設置され、新たなテロや紛争にどう取り組むべきかという「脅威・挑戦・変化に関するハイレベル・パネル」によるレポート(A/59/565)が発表され、テロを生み出す根源に取り組む必要性が強調されました。

 

そして、2000年に全加盟国が採択した「国連ミレニアム宣言 」以降の進捗状況を審査することになっている2005年の国連総会時には、アナン氏は、「2005年は歴史的な好機」であり、「今後10年で地球上の貧困を半減させる全ての条件は整っている」とはっきり宣言し、世界の指導者に「国連ミレニアム宣言 」の履行を求めました。

 

国連という組織は年に何千もの報告書を作成し発表しますが、新しい機運を生み出したのは、「本報告書を作成するにあたっては、私の事務総長としての8年にわたる経験、私の良心と信念、そして、私自身がその原則と目的を推進する責務を負う国連憲章に対する私なりの理解を拠り所とした」という全文で始まる、日々変わりゆく世界の課題とビジョンを記した「国連事務総長報告書ーIn Larger Freedom」(A/59/2005)でした。

 

2005年の国連総会に向けて加盟国に提示された「In Larger Freedom」と「ハイレベル・パネルレポート」の二つのレポートは、単なる報告書というよりは、アナン氏、緒方貞子氏、アマルティアセン氏による協働作品とも言えるような魂のこもった報告書でした。

 

私はちょうどその頃国連ニューヨーク本部で働いていましたが、2005年は特に、ここでほんとうに歴史が動くかも知れないという高揚感と期待が国連本部全体に広がったのを覚えています。

 

世界が新たに直面する課題についてデータも含め実証的に提示し、かつ緒方貞子氏やアマルティアセン氏といった人たちによる新しい課題に対する分析や洞察、そして具体的な方策を提示しながら、同時に、国連全体と加盟国が向かう全体の方向性をビジョンと希望を持って示してくれました。

 

そして、彼の時代を振り返ってみて、今私の心をとらえるのは、彼がPKOを指揮していたときに起こった数々の国連が直面した大きなチャレンジです。

 

ルワンダの虐殺、スレブレニッチアの虐殺、イラク戦争の開戦、セルジオデメロ元国連人権高等弁務官が亡くなった国連イラク事務所の爆破。。。

 

カンボジアの国連PKOでは日本人もなくなりました。

 

どの事件をとっても国連はもちろん世界全体を揺るがした大事件でした。

 

だからこそ国連改革が起こったのですが、それらの出来事は国連の事務局と安保理との関係など国連の構造や制度の根幹に関するものでもありました。

 

国連の採用面接で「失敗」やこれまで体験して難しかったことについて聞かれるとお伝えしたことがあります。

 

難しい課題に直面した時にどう対処しましたか?そこから学んだことは何ですか?

 

仕事でうまく行かなかった体験はありますか?なにかに失敗した時どう対処しましたか?

 

仕事上で自分の苦手分野を発見したことはありますか?それに対してあなたはどうしましたか?といった質問です。

 

これらの質問が聞いているのは、「この状況や課題から学ぶことは何だったのか?ほんとうの問題は何だったのか?同じことを繰り返さないために改善できる点は何か?という視点です。

 

その質問を知ったときには、単なる面接の対策として考えていましたが、

 

アナン氏を通じてその時代の出来事を振り返ってみると、そうした質問の意味がよりリアルにせまってきます。

 

私たちは過去に起こったことにたいして、

 

「どうしてああしなかったんだろう」

「ああ、もっとああすればよかった」と思いがちです。

 

私も4年ほど働いた南スーダンで内戦が再発して見慣れた首都ジュバの街に避難民が溢れている様子を見たときに、「ああ、もっとああすればよかった」という思いが押し寄せてきたこともありました。

 

いくらでも「後悔」することは簡単なのですが、ただ、すでに起こったことが変わることも、過去がよくなることもありません。

 

過去が役に立つとしたら、私たちが過去の体験から「学び」賢くなって、顔を上げて前に進むことなのだと思います。

 

アナン氏死去のニュースからそのことを改めて教えてもらっているように感じます。

 

この困難と混乱の時代に、人々に耳を傾け、対話の空間と問題解決の場所を与え、平和と平等への取り組みを決して諦めなかった彼の精神がこれからも私たちを鼓舞し続けてくれるように願います。

 

コフィーアナン氏、

 

あなたは世界と国連全体が前代未聞の数々の大きなチャレンジに直面していた時代に、惨事のときさえも謙虚に智慧とゆるしの精神を持って国連と人類が前に進む方向を粘りづよく探り続け、利害がぶつかり合う時でも、国連全体と加盟国が向かう全体の方向性をビジョンと希望を持って示してくれました。あなたが示してくださった精神と功績に心から敬意を表し、哀悼の意を表します。

 

新しいことに取り組むのがこわい、完璧主義、失敗を避けようとする人へー「ちゃんとしなきゃ」よりももっともっと大切な質問

つい昨日のことです。

 

最近参加したある勉強会の第二回目の会がありました。

 

テキストがあって、宿題をしておくことになっていました。

 

それが私だけ別のところをやってきてしまっていて、身に付けたいことがあってわざわざ時間をとって来てるのに、ちょっと「恥ずかしいな」と思いました。

 

ちょっと心を落ち着けてみると、

 

そういえば講師の方が「次回だけ順番が変わりますのでご注意くださいね」と言っていたことを思いだして、

 

ちゃんと講師の方の話を聞いていなかったなあ、と思いました。

 

そして、何か新しいことを習い始めるために大切な「謙虚さ」が足りなかったなあ、と思いました。

 

ある程度なにかの仕事をマスターしたり、なにかに成功すると人は「こうすれば上手くいくという自分のやり方」を身に付けます。

 

人が仕事で経験を積み、学んでいくことで、体験することで得ていく仕事や人間についての洞察や理解といったものがあるのだと思います。

 

それはとても有難いことで、だからこそわたしは人さまの相談にのれるのですが、

 

ただ、そうした過去の成功体験が新しいことを学ぶときには邪魔になってしまうことがあるのですね。

 

自分自身に言うつもりで言っていますが、新しいことを学ぶときにはピュアでオープンな気持ち、そして謙虚さが大切です。

 

初めてのことをやるときには間違えることもあるし、最初からできるわけじゃないし、周りの人たちに教えてもらったり、助けてもらう必要もあります。

 

日本人は「失敗」を極端に避けようとすると言われます。

 

海外に12年いた経験から言ってもそれは肌レベルで感じます。

 

どうしてなんだろう?と少し思ってみると、

 

わたしたち(日本人)は、

 

自分にできないことがあること

人に教えてもらうこと

自分が一番でないこと

完璧にできないこと

「普通に」できないこと

自分の期待していたようにできなかったことも

 

「はずかしい」(恥)と感じて、

 

それまでも「失敗」とっても呼ぶ傾向が強いんじゃないかな?と思いました。

 

新しいことに取り組むのがこわい

自分の作品を発表するのがこわい

あたり障りのない意見を言おうとする

相手にほんとうの気持ちを伝えるのがこわい

完璧主義になる

失敗を極端に避けようとするのも同じメカニズムです。

 

でも最初からなんでもできるスーパーマンのような人はいませんし、完璧な人もいませんよね。

 

これを書きながら、高校生のときに会ったブラジル人留学生の友人がどんなことがあってもあまりにも、「あっけらかん」としていて、ちゃんとがんばる日本人のカルチャーしか知らなかった私は、かなりのカルチャーショックを受けたのを思い出しました。

 

そういえば、国連の採用面接で失敗について聞かれることにも最初はびっくりしたものです。

 

「あなたが失敗したことは何ですか?そこからあなたが学んだことは何ですか?」という質問でしたが、計画してもその通りにいくことなんで稀だし、人は間違いをするし、そのときにどうするかの方が大事ですよ、という意味だと理解しました。

 

わたしたちの多くは、「ちゃんとしないといけない」と育てられるのですが、その体験から何を学んだか?という「リフレクション」(振り返り)の視点はあまりないように思います。

 

大切なのは、間違いを避けることではなく、その体験から何を学んで、次はどうしたらいいのかな?という視点なんですね。

 

昨日は帰ってきてから、さっそくその日までに出来なかった宿題を終えて、次回の分の宿題も終えました。

 

「宿題」を出されたり、宿題をやるのも二十年?かぶりですが、ピュアな気持ちで楽しめそうな予感がしています (*^-^)ニコ

 

ps. 完璧主義や失敗をさけようとするメカニズムをわかりやすく説明している本自体あまりないのですが、この本はとても面白いです。