山梨県の道志川に夏休みの旅行に行ってきました。
富士の北東に位置する「清流道志川」の水は、船乗り達に「赤道を越えても腐らない水」と言われて重宝されたそうで、山から流れてくる水はひんやりと涼を運んでくれるだけでなく、川に足をつけているだけで、豊かに注がれる川の流れに「清めらた」ように感じました。
さて、この夏休みに、姪っ子の自由研究の「ガイド役」の役割を与えられたわたしは、「せっかくの夏休みはのびのびと過ごしてほしい」という思いと「夏休みが残り数日のうちに自由研究を自主的にやって終わらせてほしい」という思いにしばらく葛藤していました。
そして、子育てと国連の勤務には大きな共通点があると思いました。
いまどきの学校は宿題も多くて子どもも親もストレスが多いのでのびのび過ごして欲しいな、と思っていました。
自由研究は旅行を題材にしようと思っていたので、けっして忘れていたわけではないのですが、同時に旅行中にある程度、自分で自分の興味のあることをみつけて欲しいとも思っていました。
それで、プールで大はしゃぎの姪っ子の姿を見ながらどのタイミングで宿題のことを言い出せばいいのか迷っていました。
押し付けてしまうことで、勉強がつまらないものと思ってしまうことも避けたい。。。
自由研究の一番大事なところはテーマを「自分でみつける」ことだと思うから、そうして欲しい。。。
まあそれが「理想」なのですが、けっきょくどうなったかと言うと、つい口出ししてしまって、ああ言いすぎてしまったと思い、やり始めたと思ったら、また言いすぎてしまって自分の口を止める、という体験を繰り返しました。
「やりなさい」と言うのは簡単ですが、大人がそう言ったところで子どもその通りにやるわけでもありませんし、仮に一時的にやったとしても自主的にやってもらうのはまったく別の話しです。
そして、大人が持っている「武器」もふだん使っている「方法」もあまりに貧しく、すぐに尽きてしまうことを改めて思いました。
そして、これはたった数日の体験ですが、一人の人格を持った子どもを大人になるまで育てることがいかに大仕事であるかということを改めて思いました。
そして、子育てとは、「相手に主体的に動いてもらうこと」を学ぶチャレンジングな「一大プロジェクト」にもなりうると思いました。
「コーチング」を仕事とする前から、国連勤務のときに南スーダン軍の人たちと接する中で、「国連の肩書きだけで動いてくれるわけではない相手の協力を得るためにはどうすればいいのか」、ということを考え、試行錯誤せざるを得ないことがたくさんありましたが、子育てにかんする視点も合わせて、相手に自主的に動いてもらうためのヒントを探ってみたいと思います。
心理学者のトマス・ゴードン博士による「叱らなくても子どもに動いてもらえる方法」を教えている「親業」と呼ばれるプログラムがあります。
ゴードン博士がこのプログラムを始めたのは、叱っても罰を与えても上手くいかず、怒鳴ってしまって自己嫌悪になったという自分自身の体験があったからだでそうですが、ここで紹介されている原則は、コーチやカウンセラー、講師、国連職員やNGOの人たちなどが効果的に相手を援助するためにも当てはまることです。
まずゴードン博士が伝えているのは、大人が子どもに対してやってしまうこと、または援助者が被援助者にやりがちなことと、その副作用です。
それは力で相手を従わせようとすることです。
ここで言う『力』とは、大人が子どもに対して持つ「賞罰を与える力」のことを指します。
ゴードン博士は、相手の行動を変えようとして人が典型的にとる行動を挙げています。
ここでは、宿題ができずに困っている生徒への教師の対応を例にあげます。
以下引用です。
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1.命令、指示
「文句ばかり言ってないで、さっさとやってしまいなさい。」
2.脅迫、警告
「いい成績を取りたければ、今すぐやったほうがいいと思うよ。」
3.義務(すべき、当然のこと、など)
「宿題はやるのが当然だよ。」
4.提案、助言、忠告
「もっと上手に時間を使えるように計画を立てなさい。そうすれば、宿題は全部できるだろう。」
5、説教・説得
「いいかい。宿題を提出するまでもう三、四日しかないよ。よく覚えておくんだね。」
6.批判、非難
「お前はひどい怠け者だ。さもなければグズだ。」
7.悪口、侮辱、はずかしめる
「来年は中学生だというのに、これじゃあ、まるで小学四年生程度ね。」
8.断言、思い込み
「宿題をやらずにごまかすにはどうしたらいいのか、そればっかり考えているんじゃないのか?」
9.尋問
「どれだけ時間をかければすむの?」
10.皮肉
「誰かさんは、人にこんなに何度も言わせてまるで何様のつもりなのか」
ちょっと胸が痛いですね。
ゴードン博士の調査では、講座に参加した親や教師の90%以上がこれらの対応をしていたといいます。相手の心は閉じてしまい、問題の解決から遠ざってします。
とくに、6~10は「あなたはちょっと変だ」、「わたしはあなたよりも上だ」というメッセージが隠されている、とゴードン博士は言います。
言い方はもっと丁寧ですが、南スーダンの国連PKO活動が、南スーダン軍の人たちに接していたときに、こちらが少しでも横柄な態度を隠しもっていたり、相手を変えようとしたときには、本能的にそうした力関係を嗅ぎ取る嗅覚が優れているのか、彼らはすぐにこちらの言うことを聞かなくなってしまったことを思い出します。
さて、こうした態度をされた相手は次のように反応し、感じます。
1.これ以上話してもムダだ、と黙りこむ。
2.防御的、反抗的になる。
3.強く主張する。反抗する。
4.憤慨する。腹を立てる。イライラが増す。
5.自分はダメだ、劣っていると感じる。
6.自分は間違っている、悪い、罪深いと感じる。
7.自分をあるがままに受容されていない、と感じる。
8.あなたが自分を変えようとしている、と感じる。
9.自分の問題解決の力を、あなたが信頼していないと感じる。
10.自分の問題をあなたがとりあげてしまったと感じる。
11.自分が理解されていないと感じる。
12.自分の感情には正当な理由がない、と思わされる。
13.中断された、切り離されたと感じる。
14.誤解され、抑圧されたと感じる。
15.証言台に立たされて、反対尋問されていると感じる。
16.あなたは興味がなくて、問題から逃げたがっているのだ、と感じる。
17.子どものようにあやされている、と感じる。
トマス・ゴードン「親業」より引用終わり
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改めて読むとこちらも胸が痛いですね。
ただ、これはこんな風にしてしまいがちな自分を責めるためのものではありません。
立場が上にある人たちやアドバイスする立場にある人たち(親、教師、講師、コーチ、カウンセラー)により効果的な方法を伝えることが目的です。
実際にはこんな理論のようにうまくはいかないよ、と思う人も多いかも知れません。
そして、それもその通りで、親も先生もコーチやカウンセラーといった人たちも、たくさんの間違いをしたり、もっとこうすればよかったという体験を繰りかえして学んでいくのだと思います。
そして、大人側の視点で見ると、ほんとうはもっと優しくしたいし、「相手のいいところを伸ばしましょう」という本の理論も知っているのですが、つい言い過ぎてしまったり、イライラしてしまって、「自己嫌悪」を覚えてしまうことに悩んでいる人がほとんどだと思います。
大人といえどもまったく完璧ではないし、完璧からはほど遠いように感じることもしょっちゅうです。
大人の中にも子どもの部分がありますから、実際のところ、大人もサポートが必要です。
仕事ではなんとか「完璧」を装うことができても、子どもはコントロール不能なので、子どもを相手にすると自分の感情が刺激されて、いつもの行動のパターンがに振り回されることがもっと起きやすくなります。
自分がまったく完璧でないことや自分の弱みや心の中のコンプレックス浮き彫りになりやすくなります。
そんなときに、人はそれを恥ずかしいと思って、こんなんではいけないと思って、それを隠そうとしたりするのですが、そんな時に現れる「自分の弱さ」や「過去の影響」を知ってそれを宇宙に預けることができる、という
わたしたちに与えられている恩恵の機会であって、「効果的に援助する」、「人との関係を持つ」ためにも役に立つ、わたしたちをより根本的な解決方法に導いてくれるヒントではないかと思うのです。
(続く)