75%案件に注意❗️「転職エージェントの勧めにしたがったけれどもまったく幸せになれなかった」ケースー「なに」を選びかよりも⭕️⭕️で選ぶか

転職エージェントの勧め通りにしたがったけれども、まったく幸せになれなかったという方の相談にのったことがあります。彼女はベンチャーと大企業の両方の勤務経験を持つ転職エージェントから誰もが羨ましがるような経歴をお持ちでした。

 

別の方では、30代半ばの女性で、今は子育てに専念したいという方がいらっしゃいました。

 

仕事は好きでバリバリ働いてきましたが、今は定時通りに帰れることを優先基準にしました。

優秀な方なので、できたら自分の興味のある分野だったら嬉しいということでした。

子育てをしながらの転職活動中はたいへんだったのですが、幸い旦那さんの協力も得て、幸いすぐにいくつかの案件があがって、面接も通りました。

 

前の職場から今の職場への移動もズムーズにいったのですが、彼女が今悩まれていることは、定時通りに帰れることを基準に選んだはずなのに、帰れないことが続いているという状態です。

 

日本の会社でそんなことは当たり前だよと言い捨てるのは簡単ですが、今思えばその点についての判断がブレたかもしれない、と振り返ります。

 

数件の中から選ぶことになったのですが、「どこも定時に帰れます」という条件の中で、最終的にポイントとなった点の一つは、その会社が業界で有名だったことです。

いくつもの大会社とのコネクションを持っていることでした。

そういう場に身をおくことで、次の転職に役に立つかもしれないと思ったのです。

その判断自体は、しごくまっとうな理由だと思います。

 

ただ、だからこそ、本当に定刻通りに帰れる職場環境で上の方の理解がありそうなのか、その点について見極めるのが甘かったかもしれないと言います。

 

とくに日本人は、前ほどではないとはいえ、まだまだ大企業主義や権威主義があります。

 

わたし自身、国連をやめようかということが頭によぎってから、実際に辞めるまでに2年半もかかりました。

 

自分のことを振り返ってもよくわかりますが、人は弱いので大きな組織、有名な組織のかさの下にいることで安心したいと思います。

 

自分の中に自信のない部分があったり、なんらかの過去の体験やコンプレックスを持っていると、肩書きや組織など華やかな業界などで「そこで働いているわたし」という外のイメージでそれを埋めようとします。

 

そういう部分は誰にでもある程度あると思いますが、何か重要なことを決めるときの自分の状態に気づいていることがとても重要になるのは、それによって自分の判断がぶれることがあることです。

 

しかも、それは「75%案件」といって、一見ほぼいい案件なのです。

「ほぼいい案件」なので、それが悪いわけではけっしてありません。

 

ただ、残りの25%が思っていたよりもけっこう重要だった、ということがあります。

 

彼女の場合、苦労をして転職活動をしたにもかかわらず、まだ苦労の日々が続いています。

 

人間ですから、そういう選択をすることはあります。

 

実際に体験してみてわかることもたくさんあります。

 

そういうことも含めて、自分で選択することこそ、生きるということを学ぶことなのかも知れません。

 

ただ、なんだか同じようなことを繰り返しているなと思ったら、自分が「なんで」それを選んでいるのか気づきましょう。

 

孫子の兵法には、「敵を知り己を知れば百戦危うからず」という言葉があります。

 

もちろん、 100%完璧な同僚や上司、職場や仕事があるわけではありませんし、問題もない完璧な職場や仕事が存在するわけはありません。

 

でも、この人とはご縁を感じるというような同僚がいたり、魂が満たされるような深い友情を体験したり、魂のファミリーと感じる人に会ったり、最初は大変だったけれどもすごく鍛えられたというような体験があったり、その先につながるようなスキルを身につけさせてもらっているような体験があったりと、直感的に「ああ、ここには導かれてきたなあ」という感覚のある職場のことです。

 

仕事だけではなく、日々「選択」は続きます。

 

転職、仕事、パートナー、マンション買うか買わないか、どこで買うか、どこに住むのか。。。

 

自分の選択がどこから来ているかに気づきましょう。

「愛」か「おそれ」か?

 

「愛」を選びたいですか?「おそれ」を選びたいですか?

 

愛とはワクワクする状態、広がりを感じる状態、穏やかさを感じる状態です。

 

おそれとは「ちゃんとしないといけない」といった義務感や世間像にあわせること、自分の過去やコンプレックスからその選択が生まれている状態です。

 

前者は軽やかでスムーズです。守られているような感じがします。

 

後者は重荷をかつぐような重い感じがします。

一生懸命にやらないといけないというふんばりやがんばらないといけないと感じます。

 

愛からの選択を求めましょう。

 

あなたは愛を受け取るのにふさわしい存在です!

 

愛から選ぶと決めましょう。

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自分の力を超えた大きな力を味方にしたい人へ!2018年後半あなたの運を上げるために知っておくこと

先週末、ガーナから日本にやってきたばかりの友人の子どもたち二人がうちに遊びにきてくれました。

 

簡単なご飯をつくったのですが、中一と高三の男の子なので、びっくりする位にたいらげるよ!と聞いてはいたものの、わたしの用意した分があっという間になくなって、びっくりしました(!)😆

 

みごとな食べっぷりでした!

 

それを見ながら、高校二年生のときにニュージーランドに留学したときのホストファミリーを思い出して、一年間もほんとうによく毎日ご飯をつくってくれたものだと感謝の気持ちで思い出しました。

 

私が帰国した後、わたしの両親が今度はうちの番だといって、一年間フランス人の男の子を迎えホストファミリーになりました。

 

わたしが大学一年生のときで、妹とわたしは部屋を彼に渡して、和室に布団を敷いて寝たりしたのですが、彼がきっかけでうちの家族はワインとチーズにはまり始め、その後、両親は彼の家族に会いにフランスに旅行をしたりしています。

 

父はもう30年以上も毎週末ある電話当番のボランティア活動をしています。

 

ガーナの子たちの食べっぷりを見ながら、わたしは両親から「与えるのは受け取ること」という原則を教えてもらっていたなと思います。

 

母としては4人分つくるのも5人分つくるのも変わらないと思っていたのかもしれないけれども、たった一回ご飯をつくるのは簡単だけど、一年になるとまったく違いますよね。

 

日本語のわからないときには、気をつかうこともありますし、病気になったら病院に連れていったり、保護者会にも出席します。

 

でも、新しく誰かを家族として迎えるという体験、彼の家族とのフレンドシップ、その後も続いている手紙、その後妹が留学したこと、などなどすぐに思い出す思い出や恩恵だけでもたくさんあります。

 

でも、もっと感じるのは、これは直感的に感じることなのですが、それ以上に宇宙から何十倍もの恩恵が両親、そして家族全体に与えられてきたと感じることです。

 

それは、何をしたというよりも、見返りを求めないあり方に対してだったと思います。

 

一昨日から、私たちの選択には究極的には「愛」(安心・やすらぎ)か「おそれ」(不安・孤立・無力感)の二つしかありません、というお話しをしています。

 

愛がわからないと思うのなら、愛を与えましょう。

 

愛を人に求めると自分の期待通りにならないのでフラストレーションばかりたまりますが、愛を与えると自分も愛を体験します。

 

与えることは受け取ること、だからです。

 

同時に与えるとは「なにかをすること」とは限りません。

 

例えば、

誰かにあいさつをする。

笑顔をかえす。

目の前の人のいい点をみつける

相手をほめる

家族、友人、知人に思いやりのある言葉をかける

相手の健康や幸せ、成功を祈る

 

などでです。

 

4歳の姪っ子は与えるのがとても得意です。

 

近所の電気屋さんのおじさんに満面の笑顔でニコニコと笑顔をふりまきます。

 

わたしは思い立ったら「元気?暑いけど元気でね」と頭に浮かんだ人にLINEメッセージを送ります。気持ちは姪っ子のように(笑)

 

日々の生活の中に愛を増やしましょうね。

(*^-^)ニコ

 

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世界の荒野でたった一人でもがいているような孤独感におそわれたらー30代から自分らしく幸せに成功するために知っておくこと

数年前ある方に言われたことを思い出します。

「まだまだわたし大丈夫ですって顔してるわね」

 

はい?大丈夫だって顔して何が悪いの?と思うかも知れません。

 

わたしは赴任地の南スーダンはもちろん、リベリアやシエラレオネなどいろんな国へ出張もし、羽田から3回乗り継ぎ(羽田ー関空、関空ードバイ、ドバイーハルツーム、ハルツームージュバ)なんて丸48時間を越す日程を何度も往復しながら、一度も「ロスバゲ」(途中で荷物がなくなること)もしたことがないなどいつも「大きな力」に導かれ、守られている感覚を持っていました。

 

国連でのキャリアにしろ、もちろん本人の努力は前提ですが、点と点がつながり道が拓かれていったのは、けっして自分の力だけではありませんでした。

 

ただ、ある種の成功体験が自分の中でできると、人間はそれを繰り返そうとします。

 

それまで上手くいったやり方を繰り返そうとします。

 

ただ、私の場合、それまで上手くいっていたことがまったく上手くいかなくなってしまいました。

 

自分の努力が足りないのだと思い、さらにがんばろうと思いました。

 

それでも、結果はさんざんで、いくらがんばっても、疲労困憊と達成感のなさと孤独感だけが残りました。

 

そして、ようやく本当に気づき始めました。

 

物事が順調に進んでいる時にはなんでも自分の努力の結果だと錯覚してしまいますが、国連時代の自分の経歴はけっして自分の力だけではなかったこと。

 

自分の情熱・意思と「大きな力」の意思が一致していたからこそ「結果」となったこと

 

いま、自分で正しいと思っている方向へ一生懸命に進もうと思っても、そこに大きな力のサポートがない時、この世界の荒野でたった一人でもがいているような孤独感におそわれているように感じること、でした。

 

ただ、パタリと運がとまってしまったように物事が行き詰まってしまい、今までのやり方がまったく通用しなくなってはじめて、今わたしはどうしたらいいんだろうか?と真剣に求め始めたのです。

 

それにはなんとなく気づきながらも、「がんばればなんとかなる」という考えを変えるのはそれでもしばらく時間がかかりました。

 

このあたりは人の性格にもよると思いますが、わたしはけっこう頑固なタイプだったのだと思います。

 

冒頭のまだまだ「わたし大丈夫ですって顔してるわね」という言葉は、

「まだまだわたし一人でがんばります」、「自分でやります」、「自分の努力でできると思っています」と思っているでしょ、という意味でした。

 

皮肉なのは、能力のある人ほど自分でふんばってがんばってしまうことです。。。

もっと楽なやり方があるのにもかかわらず。。。

 

そのことを本当にわかるまでに私は数年を費やしました。

 

もちろん、10代や20代は、社会で自分の役割を果たすために必要なことを学ぶためにがんばることも努力をすることはおおいに必要です。

 

ただ、「わたし一人でがんばります」、「自分でやります」、「自分の努力でできると思っています」の別の言い方は「自我」です。

 

ただ、人生は自我の果てしない欲求を満たすためにあるのではありません。

 

ある有名なビジネスマンは彼にとってビジネスとは自我をなくすことを学ぶ手段だった、と言っています。自我をなくした時成功は自然についてきたと言います。

 

ある程度の成功者には「自分でがんばって」なれるけど、ほんとうの成功者は自分を超えた力によって与えられた恩恵や祝福にたいする感謝の言葉を語っています。

 

自我があると他力が入ってこれません。

 

聖書には「わたしは、高く聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだった人とともに住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすためである」という箇所があります。

 

わたしはこういう苦労はほんとうにいるのだろうか、と何度も思った末に、ようやく頑固な自分も受け入れて、「ゆだねる」ことの軽やかさを体験しています。これは本当に楽です。

 

今でも「自分でがんばろう」とするくせはまだあって、

 

時々、疲労困憊と達成感のなさと孤独感を感じたら、そんな時は、こっちじゃないなと思ってさっさと方向転換をします。

 

「またやっちゃった」と一瞬思いますが、昔のやり方をやってしまう自分も受け入れて気軽に軌道修正することを学んでいます。(*^-^)ニコ

 

今では、なんでもっと早くこの楽な方法をやってこなかったんだろう、と思っています。

 

なにか悩んでいることがあったら、「この件が宇宙とわたしにとって最善の結果になりますように」とお祈りしてみてください。

 

どうぞお気軽にやってみてくださいね。

 

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今の時代は「何をするか」よりも「何のためにするか」の方が大事なワケー自分にとっての⭕️⭕️を持っている人は魅力的

わたしは国連や海外で働きたいという人のためのコーチングも行っています。

 

p.11と呼ばれる国連応募用の書類やカバーレターについての書き方についても面接官を務めた視点からアドバイスしています。

 

海外で働きたいという人たちがいたら叶えて欲しいと思いますし、若い人たちにはどんどん現場を体験して欲しいと思っています。

 

とはいえ、「ライフコーチング」という視点では、わたしは国連や平和構築、国際協力といった体験をもっと広い視点から捉えています。

 

国連や国際協力が視野を広げてくれ、新しい体験をさせてくれるのはそうだと思いますし、わたし自身貴重な体験をさせてもらったと思っています。

 

当然自分のキャリアについて書こうとすると国連時代の体験談が多くなるのですが、

わたしが今一番伝えたいことは、今の時代は、「何をするか」よりも、「何のためにするか」の方が大事だということです。

 

なんのためにがあれば視野も広がり、チャンスも引き寄せますし、なにより自分にとっての「なんのために」(ミッション)を持っている人は魅力的です。

 

「なんのために」(ミッション・存在意義)があれば、形や組織は変わってもそれが自分の軸として自分の中で育まれ、一つのことが次のことを生み出してくれ、人生100年を楽しく豊かに生きていけるでしょう。

 

わたし自身、南スーダンでやりきったと感じ、国連を離れて「何か違うやり方があるはず」と思いながら、しばらくそれが何なのかがわからなくなってしまった時には「なんのために」生きていけばいいのか、さっぱりわからなくなってしまいました。

 

生きる気力さえ失ってしまい、まったく起きれなくなった時期がありました。

 

国連時代にわたしの言動力となってくれた「なんのために」はあったのですが、

それさえも一度崩壊してしまい、これからの自分を支えてくれる「なんのために」がわからなくなってしまいました。

 

そして、わたしは自分の人生の支えとなる「新しいなんのために」を選択することになったのです。

 

ある時期、自分を奮い立たせてくれる目標は必要だと思います。

 

ただその目標は20代、30代、40代と変わっていく可能性はおおいにあります。

 

自分を無理やりふるいたたせるのではなく、

安心感とやすらぎの中で自分の指針となる「なんのために」を持つことができます。

 

国連や平和構築、国際協力を仕事にしようとする人、仕事にしている人、または次のステップを探している人は、とくにこの「なんのために」を改めて意識することをお勧めします。

 

大学やこれまですべての職務経験を踏まえて、「分野や職種は変わってもこの視点にいつも興味を持ってきた」「自分にしかできないこと」「存在理由」(ミッション)はなんだと思いますか?

 

急がば回れのようだけど、「なんのために」がほんとうの力をくれるのです。

 

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「愛がなければすべて虚しい」ー私たちの選択は究極的には二つしかない

先々月、母校(高校)の全学年合同の同窓会に参加する機会がありました。

 

そのときに学園創始者のカナダ人のシスターが残された言葉をまとめた冊子をいただきました。

 

改めて素晴らしい教育をいただいたものだと感謝の気持ちで包まれて帰ってきたのですが、その中でいくつか印象に残った言葉があります。

 

その一つは、「愛がなければすべて虚しい」という言葉でした。

 

その先生は今から50年以上前にカナダから来日され、まったくゼロから日本語を覚え、当時は電車も開通していないジャングルのような土地に校舎を建てられ、これまらゼロから学校設立の審査をやり遂げたそうです。

 

文部省の課す書類や基準には何度も気をくじかれそうになったものの、類まれなリーダーシップを発揮され、彼女の凛とした姿に文部省の官僚も最後はカナダ人を先頭とする新しい学校の設立に協力的になり、学校みんなが一丸となって学校設立にこぎつけたそうです。

 

結果からみたら、50年後、ジャングルだったような土地には立派な校舎はもちろん、1000人以上を収容するホール、温水プール、テニスコート、立派な音楽室ばかりか、なんとホールには昨年イギリスから職人さんたちを呼んで取り付けてもらったというパイプオルガンまでありました。

 

母校の発展ぶりに、なんと祝福された学校であったことかとそこで学べたことに改めて感謝しました。

 

そして、その校舎を見ながら、創設者のカナダ人の先生の言葉を思い出しました。

 

仮にいくら立派な校舎やパイプオルガンがあっても、「もしそこに愛がなければむなしい」と感じるのだろう、と。

 

逆に学校が始まってまもない時、大きな校舎に生徒たった11人で高校が始められた時でも(今は中高合わせて1,000人強います)、今のような設備はまったくなかったけれども先生と生徒の絆は強く、先生たちは情熱に溢れ、学校は愛に満ちていた様子が先生の言葉を綴った冊子から伝わってきました。

 

私は先生から当時愛を教えて貰っていたことの価値を改めて思いました。

 

昨日から、私たちの選択には究極的には「愛」(やすらぎ)か「おそれ」(不安・孤立・無力感の二つしかありません」というお話しをしています。

 

とはいっても、あまりにも不安やおそれに慣れてしまって愛という状態を忘れてしまっているという人も多いかもしれません。愛がわからなくなってしまっているかもしれません。

 

愛を別の言い方で表現すると、

安心、安らぎ、リラックス、広がりや拡大です。

 

自分の選択が愛に沿っているとき、

 

「なぜか大丈夫だろうと感じる」「人生が上向いているように感じる」、「よくわからないけどいい感じがしている」といった安心感のある、広がっていく感じ、開けていく感じを体験します。

 

6回セッションを受けられて、自分でもびっくりする位に予想を超えた新しい体験をされた方がいらっしゃいますが、彼女は、「その期間中まさに自分の力を超えた力があった」とお話しされていました。

 

この体験が貴重なのは、愛についていくら何かを読んで頭で理解しようとしてもそれは難しいことですが、彼女はその感覚をまさに体感したことです。

 

もちろん、人生ではいろいろなことが起こります。

いつも自分の望むように展開するとは限りません。

自分の望みどうりになるわけでもありません。

 

愛を忘れそうになることもおこります。

 

でも、そんな時でさせあなたの身体と魂は愛のある状態を覚えているのです。

 

「愛に戻りたい」というのは人間の魂レベルの本能だと思います。

 

しゃけみたいですね(笑)

 

さあ、みんなで愛に戻りましょう (*^-^)ニコ

 

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「ちゃんとしなさい」「めいわくをかけてはいけない」と生きてきたけど、就活や転職のときに「なにをしたいのか聞かれてもわからない」という人が多い理由

私たちは誰もが次の世代に平和を残したいと思っています。

 

実際、私たちの誰もが平和へ貢献するという「大仕事」を与えられています。

 

それは、親の世代から引き継いだ「ちゃんとしなきゃ」や「めいわくをかけてはいけない」といった「おそれから生まれた人生観」を乗り超えて、「愛から生まれた人生観」に書き換えるということです。

 

平和を残すというと別世界の事かと思うかも知れませんが、

これは私たちに与えられたほんとうに大きな仕事です。

 

私はやさしかった祖母が大好きで、たくさんの思い出がありますが、祖母はともかく「めいわくをかけてはいけない」ということを強く思っていた人でした。

 

どうして祖母がそう思うことになったのか、戦時中に夫を亡くし、戦後の混乱期に子供7人を育て上げた祖母の苦労は私の理解を超えたものだと思います。

 

いろんな理由や状況があって、文字通り生き残るためにそう思うようになったのだと思います。

 

こうしたものは言葉として発しても発しなくても、伝わり受け継がれるものです。

 

その観念を母が受け継ぎ、そして私や妹に受け継がれました。

 

いつからか私も人に頼るのが苦手になりました。

(この数年「リハビリ」をするように人に頼ってもいいということを学んでいます)

 

そうして、私たちは仕事を選ぶとき、何か大事なことを決断するとき、知らぬ間に親(もっと言うと、祖父母、曽祖父母)の価値観の影響を受けています。

 

そして、それは大抵の場合、自分はどんな人生を生きたいのか?自分は何を大切に人生を生きたいのか?といった創造(クリエーション)= 「愛 (love)」に向かうものではなく、「ちゃんとしなきゃ」や「めいわくをかけてはいけない」という「怖れ(fear)」から生まれているものなのです。

 

出発点が「怖れ」(fear)に基づいているかぎり、ダーメージや失敗を避けたり、自己防衛をすることためにはある程度役立つように見えても、自分の能力や可能性を発見したり、外に広がっていくような体験をすることはできません。

 

「ちゃんとしなさい」「めいわくをかけてはいけない」と言われてそう生きてきたけど、就職活動の前に急に「なにをしたいのか聞かれてもわからない」という人が多いのは、まさにこうした背景があるのだと思います。

 

私たちの日常は選択の連続ですが、選択は究極的には「愛」(やすらぎ)か「おそれ」(不安・孤立・無力感の二つしかありません」というお話しをしました。

 

関連記事→ 満たされたと思ってもその満足感があっという間に消えてしまうときー外のもの(学歴、会社、結婚)をいくら求めても満たされないわけ

 

自分の人生を選ぶということは、怖れを出発点としていることを解除して、新しいキャンパスに自分の人生を描き始めることです。

 

あなたはどんな人生を生きたいですか?

どんな人生を望んでいますか?

あなたの絵を自由に描きましょう!

 

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満たされたと思ってもその満足感があっという間に消えてしまうときー外のもの(学歴、会社、結婚)をいくら求めても満たされないわけ

自分に与えられた「学歴」や「経歴」を思うとき、だからこそ伝えることがある、だからこそ言うべきことがあるとこの数年よく思います。

 

それは「外のもの」(学歴、肩書き、会社名、経歴等)をいくら求めても、いくら集めても「満たされる」わけではないということです。

 

わたしは国連の中でも国連ニューヨーク本部のとくに優秀な人たちが集まる花形部署で勤務し、オックスフォード大学大学院からは奨学金をもらい、国連特使から仕事のオファーもいただき、ある世界的なプログラムでは唯一の日本人女性として教官も務めました。

 

東ティモール、カザフスタンとニューヨーク本部でそれぞれ経験を積み、その上で再び「独立国の誕生にかかわりたい」という願いも叶い、独立前の南スーダンに派遣され、上司にも恵まれ責任のある立場も任されました。南スーダンではある意味自分の力を引き出してもらいました。

 

そんな体験をさせてもらったことは、私にとって大きな財産ですが、それでも私の内側の世界には、怒りや混乱、そして虚無感がありました。

 

私の場合、それをはっきりを自覚したのは帰国して3.11に遭った時でした。

 

それまで長い間蓋をしていた蓋が外れたのです。

それまでつっ走っていた中で自分の内の思いや感情は一生懸命おさえられていたのだと思います。

 

その時に自分の中の混乱に直面して痛感したのは、肩書きや経歴や学歴といったものがあることと心の状態が穏やかで休まっているかどうかはまったく別のものだということでした。

 

外のもの(学歴、肩書き、会社名、結婚、子供の有無、高級マンションなどなど)をいくら求め、集めても満たされることはありません。

 

実際、そういうものを持っていても幸せを感じられない人はたくさんいますし、それどころか、いくら求めても満たされない「never enough=足りない病」になってしまうことは珍しくありません。

 

外のものは「条件付きの愛」です。

でも外に愛や承認を求めるかぎり、それはいくらあっても内を満たすことはでません。

 

精神科医で自身の離婚を経て、「愛とは怖れを手放すこと」など何冊もの著書を書くことになったジェラルド・ジャンポルスキー博士は、こう言います。

 

「私たちは過去にとらわれ、未来をコントロールしようとし、孤立し、切り離され、ただ一人で愛されもせず愛される魅力もないと感じています

 

満たされたと思ってもその満足感はあっという間に消えてしまいます

私を含めて多くの人が、いらだちや争い、苦痛、病気から逃れようとしてかなわず、むなしさを感じながら、その一方で古い考え方にしがみついています。

他の人や世間から何かを「手に入れる」ことを望んでいて、それがうまくいかないと、そのストレスが欲求不満、うつ病、肉体的な痛み、病気、死といった形で現れる結果になります

 

今と違った世界を見るためには、過去を捨て去り、みずからの考え方を変え、『今』をもっと強く感じ、心の中のおそれを消滅されることをよしとしなければなりません。」

 

私たちの内から満たしてくれるのは愛です。

 

愛はすでに与えられているものであり、何かをしたから愛されるわけではありません。

愛や承認を得るためにがんばらなくていいのです。

 

私たちの日常は選択の連続です。

 

選択は究極的には二つしかありません。

「愛」(やすらぎ)か「おそれ」(不安・孤立・無力感)です。

 

あなたがキャリア、仕事、人間関係、人生に求めているものは何でしょうか?

 

外のものや他人はやすらぎをあなたにもたらすことはできません。

 

満たされた人同士が幸せを分かち合うことができるのです。

 

心のやすらぎを求めましょう。

 

自分の内を満たすことを求めましょう。

 

https://www.amazon.co.jp/愛と癒し―ジャンポルスキーの「生き方を変える癒しの12の原則」-ジェラルド・G-ジャンポルスキー/dp/4899760760

 

 

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