ドイツのツアーガイドから国連へーツアーガイドにも国連の仕事にもどんな仕事にも「一番大切な共通点」があるということ

私の大学卒業後の一番初めの仕事はドイツ、ドレスデンにある旅行会社でツアーガイドでした。

 

ドレスデンは旧東ドイツの街ですが、2時間ほどでチェコのプラハがあり、そしてその先にはハンガリーのブダペストやウィーンがあるなど、東欧一帯を周る周遊が旅慣れた旅行者の注目先になっていた時期でした。アメリカ人旅行者に次いで日本人観光客が多かったので、日本語でツアーガイドが出来る人が欲しいということ、日本人の視点から新しいツアーを企画したりして欲しい、ということでした。

 

当時ドイツの企業を選んだ目的は、国連で働くための「多国籍な環境で働くための資質」を身につけることだったので、「対人的な仕事」を優先順位としていたからです。

 

人と接することに価値をおくのは国連時代も今でも変わっていませんが、今改めて振り返ってみると、このツアーガイドという仕事を通じて「プレゼン能力」がだいぶ鍛えられ、国連時代につながり、今でもプレゼンや表現活動はもちろん、どんな仕事にも関係する仕事のスキル、人間関係のスキルの「一番大切なこと」を実践の中で学ばせてもらったと思います。

 

ドレスデンという街は、ヨーロッパ有数のオペラハウスがあったり、美術館にはラファエロの絵画もあるなど、歴史も芸術もとても豊かなところで、覚えなければいけないことは沢山ありましたが、芸術や音楽、東ドイツの歴史などしゃべる内容に困るということはありませんでした。

 

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とは言え、一番初めのツアーはともかく覚えた内容を伝えるのに必死で、最初から最後まで緊張でドキドキしっ放しでした。

 

つたない日本語で途中つっかえたりもしたのに、初めてのツアーのお客さんから暖かい拍手をいただいたことは、ありがたくて今でも覚えています。たぶん涙がぽろっと浮かんでいたかもしれません。

 

最初の数回はともかく一生懸命で楽しむ余裕もなかったのですが、

 

幸いに「一生懸命でよかった」と言ってくれる優しいお客さんたちに恵まれ、なんとか回を重ねて、最低限のことはそれなりにスラスラと言えるようになりました。

 

ただ、数回のガイドを終えてすぐに気づいたのは、東ヨーロッパ(ドレスデンのような芸術の街)のツアーガイドというのは、「目に見えない価値」を提供する、というなかなか難しい仕事だ、ということでした。

 

行き先は東ヨーロッパですから、お客さんはある程度旅慣れた人たちです。

 

定年退職をしたからゆっくり旅行をしよう、というご夫婦などで、非日常を楽しみたい、きれな街なみの中でカフェでお茶をしたい、ヨーロッパの美術や芸術をじっくり味わいたい、自分の世界を広げたい、ドイツ文学の軌跡を感じたい、ドイツの統一や東欧の歴史について感じたい、などです。

 

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ですから、私が旅行客だったらどういうことを知りたいだろうか?という風に考えて、ただ建物の様式や建築年を伝えるだけではなく、別世界に誘うように話すということを意識しました。

 

例えば、あたかも当時の王様のおもしろエピソードなどを交えながら、18世紀のザクセン王国にタイムトリップしたかのように当時の様子をイメージできるように話しました。

 

ゴシック建築とバロック建築との違いをわかりやすく説明したり、お客さんに質問をしてクイズ風にしたり、ただ一方的に話すだけでなくお互いのやり取りが生まれるようにも心がけました。

 

日本と共通点があることを知るとより親近感もわくだろうと考えて、博物館の伊万里焼について触れたり、戦争からの復興という点でも日本と共通点があるので、戦後のドレスデンと今のドレスデンを一瞬で比較できるように第二次世界大戦後の焼け野原の街の様子を絵ハガキにしたものをお見せすることもありました。

 

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他には、旧東ドイツに実際に住んでみての感想を加えたり、日々反応を見ながら、より分かりやすい言い回しに変えたり、またグループの反応を見ながらエピソードを選んだり、強調するところを変えたりすることもできるようになりました。

 

(相手の反応を見ながら、内容を変えていくのは今のコーチングや軍人に講師を務めた時にも同じです)

 

そんな工夫を続けていると、日本との取引きをほぼ一手に引き受けるスイスの大手旅行会社から連絡をもらいました。

 

帰国されたお客様のアンケートで何度も私のガイドが「とてもよかった」という感想が何件もあったというのです。

 

そんな感想をもらっていたことに私自身がまず驚いて、「何百ものツアーをやっている中で何度も名前が挙がるので、ぜひお会いしたいと思ってやって来ました」とスイスの本社の方が、別々に二人もわざわざスイスから来てくださったことに更にびっくりしました😵

 

「どのようにガイドをされているのですか?」と聞かれて、

当時それをどれだけ体系的にお答えできたかはわかりませんが、人が「旅行」というものに求めるものはなんだろう?ということは常に意識をしていました。

 

わたしの体験から言うと、ツアーガイドという仕事は一見簡単に見えて、いくらでも表面的にもできますが、突き詰めるとなかなか難易度の高い仕事です。

 

なぜなら、人が「旅行」というものに求める「目に見えない価値」を理解し、その場の一人一人が求めるものを細かく察し、それに対して「話すこと」でそれに応える、という仕事だからです。

 

例えば、目に見えない価値とは、「素敵な街並みのカフェに行きたい」とか、「優雅な気分を味わう」「非日常を感じる」などです。

 

なので、数字やデータ、事実だけでは、東欧のヨーロッパ旅行のガイドとしてはちょっと無機質です。

 

ガイドという仕事は、エピソードやたとえ話しを加えたり、「話すこと」でそれに応えるのです。

 

それには、面白い話しを探したり、相手の興味を惹きつけることも含まれます。

 

でも、そもそも相手が何を求めているのか、が分からなければそれに応えられません。

 

同時に、仮に完璧に練り上げれた内容をアナウンサーのようにペラペラと話せたとしても、お客さんが求める欲求には応えられるとも限りません。

 

ですから、聞き手をよく知ること、そのためには聞き手をよく観察することが決定的に重要になるのです。

 

伝える側(とくに伝えたいことがいっぱいある時ほど)やプレゼン・発表する側は、伝える内容に意識をおきがちです。

 

または営業をする側は商品の性能やスペックに注目しがちです。

 

でも、伝える内容を考えるくらいに、相手は何を求めているか、について「より一歩深いレベルでの理解」が重要なのです。

 

これを書きながら「なるほど」と感じるのは、ガイドの時も今のコーチングでもそれは同じだなあということです。

 

相手の方のお話しや相談内容を聞きながら、わたしの方がご本人よりも先に、そして3歩くらい?深いレベルで相手が求めていることを理解することを意図して意識して聞いています。

 

つまり、先に言う事が決まっているわけではなく、

相手はどんな人か?聞く人・読む人はどんな人か?ということがわかってはじめて、

何をどう伝えるかを効果的に考えることができます。

 

そして、相手にわかりやすいエピソードやたとえ話、切り口を選ぶことができます。

コミュニケーションは、発しただけで終わりではなく、相手にどのように受け取られたかという視点を持ってはじめて成立します。

 

そうでないと自分本位の一方通行なものになってしまいますね。

 

これはプレゼンのスキルとして語っていますが、営業やすべてのコミュニケーション、書くといった表現活動にも当てはまります。

 

主役は「受け手」です。

 

物語の主人公は自分ではなく「相手」の人なのです。

 

相手はどんな人か?

相手は何を求めているのか?

どんな言い方をしたらより伝わるのか?

 

これはどんな仕事にも当てはまる共通の大切な仕事のスキル、人間関係のスキルです。

 

この視点を持っているかどうかで結果は大きく変わってくると思います。

 

どんな仕事にしろ、ぜひこの点について学んで欲しいと思います

(*^-^)ニコ

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究極の弱肉強食の世界でも「強いもの」がいつも「弱いもの」に勝つわけではない❗️ーケニアでみたライオンといぼいのししの勝負

ケニアに野生動物を見にいった時に

とても印象に残っているシーンがありました。

 

目の前でイボイノシシの親子たちがのどかに草をはんでいました。

イボイノシシとは、一見ぶたのようなちょっと短足なちょっと

「かわブサイク」な子です(失礼!)

 

子供たちはまだ産まれて数ヶ月なのでしょう。

母イノシシの周りで草をはんでいます。

 

そんなのどかな風景がありました。

それが一転緊張状態に!

 

数百メートル先にいたライオンが急にむくっと立ち上がり、イノシシたちに狙いを始めたのです。

 

野生の動物を見るということは、自然界のなりたちを見るということ。

 

それこそが見る価値があるということなのでしょうが、ライオンが一気にダッシュを始めた時には私は思わず一瞬息を止めてしまいました。

 

イボイノシシママはライオンのダッシュを察知するやいなや、一斉に号令を出したようでした。「散らばれ!」と。

 

子供たちは四方八方に散らばりました。

 

すると❗️

 

ライオンはイボイノシシの子供たちが四方八方に逃げていくのについていけず、「捕獲」は失敗したのです。

 

身体の大きさも足の長さも速さもすべての面で「勝っている」と思ったライオンでしたが、小回りは苦手だったのです。

 

これを「勝敗」とするならば、イボイノシシがライオンに勝ったのです。

 

究極の弱肉強食の世界でも、「強いもの」がいつも「弱いもの」に勝つわけではありません。

 

誰にもどんなものにも長所と短所の両面あります。

 

例えば、きりんは優雅に歩き、長い首のおかげで草原を遠くまで見渡し、

敵の動きをいち早く察知できますが、水を飲むのは大変です。

 

 

ライオンはライオン。シマウマはシマウマ。イノシシはイノシシ。

ライオンだけがいても自然じゃないし面白くありません。

 

ぜんぶの存在があることが「自然」。

 

人間も自然界の一部です。

 

ps. ちなみに、目の前で見る野生の象やキリン、ライオン、チーターの迫力満点です。動物園で見るのはまったく違う感動があります。

 

ドバイ経由で行くとヨーロッパに行くのとフライト時間はほぼ一緒です。

 

おすすめです!!!(*^-^)ニコ

 

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Photo: Chika Onaka

 

 

コーチ・講師・伝える人必見❗️世界を舞台に学んだ「人を動かす伝える力」ー人は正論では動かない?!それならどんな時に動くのか?

人間はそれほど理性的ではありません。

 

例えば、「経済は感情で動く」という本では、人は何かを選ぶときに、合理的に判断しているつもりでも実際には感情といった要素の方が強く判断に大きく影響するという例がたくさん紹介されています。

 

世界累計200万部のベストセラー作家であるマルコム・グラッドウェルは、34カ国で翻訳された「『最初の2秒』の『なんとなく』が正しい」で、長時間考えてたどり着いた結論よりも、『最初の2秒』でもたらされた直感やひらめきの方が正しい、と言っています。

 

これまでの教育制度や従来のビジネス慣習では、感情などの主観的なものは出来る限り排除して考え、説明し、対処できることがプロフェッショナルだと思われてきました。

 

ただ、最近は商品の性能だけでなく共感といった要素が購買の基準になっていることに見られるように、「人が何かを選び、判断する理由は合理的な要素だけではない」ということ、そして、この合理的な要素でない部分の方がビジネスやプレゼン、人間関係の成功に大きく影響している、と言われています。

 

とくに、今の時代に大きな価値となるのは「信頼」です。

 

なぜなら、スマホと一緒に寝起きをするような「情報洪水の時代」を生きる私たちは常に「この情報が正しい」「これを買えば幸せになれる」「これを信じれば上手くいく」、といった無数のメッセージや広告にさらされ、大量にやってくる情報に対して守りの姿勢にあるからです。

 

相手は常にアンテナをはっていて、「あなたの情報は耳を傾けても大丈夫なのか?」「あなたの情報は信頼できるのか?」とあなたのことを判断しているのです。

 

つまり、まずあなたと相手との間にある溝に橋をかけないと、こちらが相手にとってどんなに有益な情報や商品、サービスを持っていたとしても耳を傾けてもらえないのです。

 

同時に、人は信用したいと思っています。

 

人を信じたい、善を信じたい、世界はいいところだと信じたい、なにより自分を信じたい、と思っています。

 

でも、そう思えない時もあるからこそ、人は信頼できる人や対象を常に求めています。

 

だからこそ、信頼が大きな価値となる時代なのです。

 

信頼してもらうには、あなたの人となりを知ってもらうことです。

 

聞き手があなたに求めているのは知識だけではありません。あなたの本音から生まれる言葉やあなた自身の個人的な経験です。

 

私は米軍の専門家としてスリランカ軍に派遣され、国連の平和維持活動について教えるトレーニングの教官・講師をしていた時に、ある難しい質問をされた時に、「正しく答える」をやめて、国連の公式見解も米軍の専門家という立場もすべてとっぱらって、自分がどう思うかという個人的な体験を語ったことで、逆に信頼を勝ち得たことがあります。

 

少しその時にお話しをしたいと思います。

 

スリランカ軍といえば、26年も続いたわたる内戦の当事者で、内戦終結時には制圧を断行したことで何十万人もの犠牲者を出し、国連の人権委員会などから批判を受けていた張本人でもありました。

 

研修は始まったものの、 最初の数日は、相手は紛争解決や国連PKOについてどれだけ本気なんだろうか?と、しばらくお互いに「腹の探りあい」のような状況が続きました。

 

さて、今日もそろそろ研修が終わりという時、講義の最後の最後に質問の手があがりました。

 

「とはいっても、国連はシリアで何も出来ていないじゃないか?」

 

部屋全体に緊張が走り、

部屋にいた全員の視線がいっせいにこちらに向けられたのを感じました。

 

なるほど。。。

 

この予期しなかった質問に一瞬ドキっとしましたが、同時にこの質問はしごく健全なコメントだとも思いました。

 

なぜなら、私自身を含め、全く同じようなフラストレーションを感じていましたし、もし逆の立場だったら、私もまったく同じような質問をしたかも知れなかいと思ったからです。

 

その質問に対してはいろんな角度から答えることはできましたが、この発言の真意は別のところにあると感じました。

 

その質問の真意とは、

「公式意見じゃなくてあなた個人の意見を聞きたい。」

 

もっと言うと、

「あなたはどういう意気込みでこの課題を捉えているんだ?」

 

さらに言うと、

「あんたってどんな人なんだ?」

 

そして、究極的には「僕たちは内戦をしてきた軍隊なんだ。理論も単なる理想主義も信じられない。どうしたらあなたの言うことを信じられるんだ?」ということだったと思ったのです。

 

経験上、こちらの本気度が試されていることを直感的に感じとった私は、腹をくくりました。

 

私は真っ直ぐ彼の方に向きなおし、ゆっくりと一言一言はっきりと話し始めました。

 

「私個人の意見をお話しします。。。」

 

その瞬間から、流れが一気にガラッと変わったのをはっきりと覚えています。

 

私は驚くような解決策を提示したわけでもなければ、誰もがはっとするような意見を述べた訳でもありません。

 

ただ、その地球的な課題に対して今自分がどう考えているのか、何がほんとうの問題だと思うのか、どんなことが必要で大切だと思うのか、を自分の言葉ではっきりと伝えました。

 

何を言ったのかは正直もう覚えていません。

 

でも、そこから「じゃあ、あなたの言うことに耳を傾けてみようか」という相互プロセスが確かに始まったのです。

 

その日以来研修は順調に進み、スリランカ軍の参加者が個人的な体験を打ち明けることもありました。国連や外部の調査団の立ち入りを何度も拒否してきた歴史を考えると、まったく私の予想を超えた展開でした。

 

この件以来、私は正直に自分の考えや体験を伝えることで信頼を得ることができることを体験して、とても楽になりました。

 

そして、人が話し手や講師、リーダーに求めているのは知識だけでなく、その人の体験やそこから生まれたその人自身の考え方であること、そして、人は「信じられるもの」があると目の前の問題さえ克服していく力を取り戻すことができることを、この体験から学びました。

 

人は知らない人を信頼しません。

 

でも、人は信じたいのです。

 

データや分析、数字だけでなく、あなたの言葉でなぜこれがいいと思うのかを伝えてください。

 

人はクールで冷静なビジネスマン・ビジネスウーマンとしてのあなたではなく、人間としてのあなたを知りたいと思っています。

 

あなたという人はどんなことを大切にしているのか自分の言葉で伝えてください。

 

「完璧な人」ではなく「リアルな人間」としてのあなたはどんな人なのか相手に見せてあげてください。

 

あなたが自分に正直にオープンになれば、あなたの心と相手の心の間に言葉を超えた「橋」がかけられていきます。

 

相手にあなたを信じさせてあげてください。

 

今年 8〜9月に書籍を出版予定です。

その章の一つは「世界を舞台に学んだ人を動かす伝える力」についてです。

 

面白い内容に仕上がってきています。

 

どうぞ楽しみにしていてください!

 
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内心怒って満員電車でぶつかる人が多いのは、自分で決めてないからー義務とほんとうの責任の二つの違いをまなぶ時

自分で「決める」たびに本来の力を取り戻していく体験をお話ししました。

 

その選択が自分の価値観に沿っているときには、

いい気分がして、物事も身体も自然に動きます。

 

自分で決めると納得感がありますし、なにより自分で決めたという体験自体が自信になります。

 

自分の意思で決めたので多少の困難があっても、ふんばれます。

 

関連記事⇨10年働いても指示待ち&自分で考えられない人 vs どんどん自信をつけていく人ーその差は普段自分はどうやって○○○しているかを意識しているかにあった!

 

 

では自分で決めないとどうなるでしょうか?

 

「こんなはずじゃなかった。」

「そんなこと聞いてなかった」と

誰かのせいにしたくなる気持ちがでてきます。

 

この数年「アンガーマネージメント」が注目されていますが、内心怒っている人が増えているのは実は自分で考えて決めていないことに対する不満が無意識でたまっているからじゃないか、と私は思っています。

 

深層の部分では自分で決めていない、自分で自分の人生の責任をとっていないことを自分で知っているので、自分が自分に怒っている、という訳です。

 

 

「決める」の別の表現として「意思決定」、英語ではdecision-makingという言葉があります。

 

では、decision-makingの「反対」は何でしょうか?

 

ちなみに、英語を英語のニュアンスで覚え身につけていく英語脳的学習法の一つに、新しく覚える単語を英語の類義語(synonyms)と反対語(Antonyms)と関連させて覚えていくという方法があります。

日本語よりも英語の方がよりダイレクトな言語なので、「決めないこと」「決めること」のニュアンスが、反対語と類義語を引用することでより伝わるなかと思い、それぞれ辞書を引いてみました。

 

⭕️decision-makingの「反対語」は

 

untrustworthy=信頼できない

immature=成熟していない

immune=逃れている

exempt=外れている(免除された)

excused=言い訳的な

 

⭕️decision-makingの「類義語」は

 

responsible=対処能力のある

accountable=責任を持つ

in charge=仕切っている

engaged=関わっている

in control=主導権を握っている、制している、掌握している

 

です。

 

こうやっていざ並べてみるとそのニュアンスがよりはっきりすると思います。

 

とくにダイレクトな意味である

immune=逃れている、と

exempt=外れている(免除された)で、

 

自分で判断して決めないというのは、「人生から逃れている、自分で自分の人生から外れている」ということと同じだよ、とはっきりと伝えてくれています。

 

 

ところで、英語で「責任」というと「Responsible」を思い浮かべるとおもいますが、

Responsibleの本来の意味は、日本語の責任という言葉が持つ「重荷」のニュアンスとはまったく違います。

 

「Responsible」の意味は、

Response (対処)+ Able(能力がある)= 対処できる、

という直訳で、「自分の本来のパワー」というニュアンスを伝えてくれています。

 

対処できる、というのは、目の前にある状況や結果を引き受け、所有すること、その中で出来うる最善を尽くす、という意味です。

 

もし、責任という言葉に対して重荷を感じるとしたらそれは「義務」とごちゃ混ぜになっています。

 

義務は自由ではありませんが、自分で選んだ選択や状況にたいして自分で責任をとっていくという意味での責任は、大人で成熟した態度ですし、自由や解放といったニュアンスも含みます。

 

なにより、私たちにはそもそもこんなに選べることがあると改めて気づかせてくれます。

 

ちなみに私が働いていた南スーダンといった国では紛争があったり、職業が限られていたり、いろいろな意味で選択が制限されています。

 

アイスクリームショップで今日はどの味にしようかなと、色とりどりのアイスを眺めながら少し迷ってみるのも楽しみの一つだけれども、

 

ただ、私たちが決めることはほんとうはおそらくとてもシンプルです。

 

他人の人生を生きるか

自分の人生を生きるか

 

そして、心の内では答えは知っているのです。

 

大丈夫。🐱

 

勇気をもって進みましょう。

なぜ職業に自分を合わせる時代は終わりなのか?ー人生100年時代輝く大人でいるための一つの質問

職業に自分を合わせる時代は終わりだと言いました。

 

それには二つの意味があります。

 

一つ目は、自分を殺して働かないといけないような働き方では自分の才能や可能性に気付くこともできないし、活かすことも自分のほんとうの価値も能力もみつけることはできない、ということ、

 

二つ目は、自分でなくても出来る仕事はこれからAIがとって変わってくれること、

 

三つ目は、自分が望むことをほんとうにしようと思った時には、それは既存の職業のリストにあるとは限らず、肩書きを複数持つこともフツーで、あくまでも自分という存在が先にあって、それを活かすのに最適な機会が与えられて、それを表現するのに一番近い職業や肩書きがその時々に選ばれ、つくられていく、という意味です。

 

「自分が望むような仕事は既存の職業のリストにあるとは限らないけれども、それを叶えるベストな機会が与えられた」、というのは私が米軍の専門家になった時に実感したことでした。

 

わたしは国連で勤務し、国連PKOに約10年ほどかかわった後、米軍の専門家として、スリランカやフィリピンなどの軍に派遣され、訓練の教官・講師を務めました。

 

その時には、

世界を舞台に

個人として

多国籍な同僚たちと一緒に働き

オープンマインドで尊敬できる人たちをチームを組み

自分の好きな

「教えること」と

「平和支援に関わる」ことにかかわり

人にインスピレーションを与えることが

全て叶ったと感じました。

 

国連で働いていた最後の2年間ほどは、ある大きなプロジェクトのリーダーを任されていたので、プレゼンをしたり、国連代表として南スーダン軍とのやり取りをすることも多かったのですが、そうした中で私はプレゼンをしたり、教えることが好きだ、ということを発見していました。

 

逆にあまり好きでなかったことは、

誰が読むのかわからないような分厚い報告書の作成にかかわること

予算管理(画面上で数字の管理をすること)

南スーダンにいながら簡単なものをウガンダから調達するためにニューヨークで決められた規則に合わせるだけのために何十枚もの書類を準備すること

予算の執行や進捗状況などを正当化するためだけの理由を考える立派な文章を並べること、などでした。

時差ぼけがあること

でした。

 

もちろん、どんな仕事でもそういった面はありますし、そうした仕事を体験したからこそ分かることもあります。

 

でも、一旦ゼロベースで自分がやりがいを感じるもの、望む働き方を明確をすることはあなたの能力や才能を引き出し、活かせる新しい可能性を引き寄せるための重要なベースです。

 

わたしの場合、そうした基準が自分の中で先にあったからこそ、米軍の専門家という働き方に巡り遭えたと思うのです。

 

そして、アジア・中東約400人の軍人の人たちと接する中で、彼らが軍人としてのスキルを人と助けるためにも使えると知って、息が吹き込まれるように目を輝かせる姿をみた時、

 

わたしは人の肩書きや表面的な姿を越えて、その人の中にあるほんとうの想いや願いを引き出すことに大きな価値を感じる、ということを思い出し、

 

教えることや人をサポートをする中でも自分が目指すもののさらにその本質がわかり、人のほんとうの願いや才能をみつけ活かすサポートをするコーチングをしよう、と思ったのでした。

 

私の大学卒業後の一番はじめの仕事(大学院へ行く前)はドイツの旅行会社での仕事でした。

 

ちょうどインドのITブームが始まりかけていた時期でインドのバンガロールでの仕事も選ぶことができた中でドイツの企業を選んだ目的は、テクノロジーよりも

 

国連で働くための「多国籍な環境で働くための資質」を身につけることだったので、「対人的な仕事」を優先順位としていたからです。

 

対人的な面に価値をおくのは、大学卒業当初から今でもあまり変わっていませんが、私にとってのプレゼンのように働き始めてある程度たってからリストに上がってくるものもあります

(長い間苦手意識の方が強くて自分がやりたいこととは意識にあがっていませんでした)。

 

このように体験を積む中で、そして、人生のライフステージごとに変わっていくものもあります。

 

また、ある段階をクリアしたからこそ見えてくるものもあります。

 

ですから、最初からわかろうとするのではなく、経験を積む中でその時々でわかるものがあるのが普通だと思っておいてください。

 

リストは常にアップデートし続けるものと考えればいいと思います。

 

こんな仕事できたらいいなと思うこと、理想の働き方、あなたが仕事に求めるもの、やりがいを感じるもの、価値をおくもの、こんな職場があったら最高だなと思うことは何ですか?

こんなの無理とか、そんな仕事がいったいあるの?と頭に浮かぶかもしれませんが、まずは自由に発想してみましょう🎵

 

でも自分が望むことを自分で明確にしなければ、そのチャンスを引き寄せることもないし、その世界をみることはありません。

 

あなたが自分が望む体験を自由に発想するのはあなたの権利です❗️

楽しくやっていきましょう🎵

 

世界を飛び回ること

世界各国のひとたちと一緒に働くこと

人に希望を与えること

人に勇気を与えること

世界にかかわっていると感じられること

自分が成長している実感を感じられること

意義を感じられる仕事

誰かの役に立っていると感じられること

自分である程度進められる裁量があること

お互いに尊重があってコミュニケーションがある職場

助け合うような人間関係がある職場

みんなで一緒にやり遂げるチームワークを感じられること

自分の能力をかってくれる上司のもとで思い切り働けること

正直まだよくわからないけど、自分の能力が活かせるところ

早く出世できるところ

ステータスの高い仕事

お金を稼げるところ

早く帰れて家族との時間を優先できるところ

スーツを着なくてもいい仕事

スーツを着る職場

語学力を活かせる仕事

おしゃれな人たちを一緒に働けること

デザインや感性を活かせる会社

クリエイティブな会社

勢いのある会社

自由な雰囲気があるところ

ものづくりに関われるところ

フレキシブルなスケジュールで働けるところ

企画力を発揮できるところ

プログラミングにかかわれること

新しいアプリを開発できること

 

さて、あなたの感覚に近いものはありますか?

 

自分が望むことを明確にすることこそが大切なスタートの一歩です。

 

自由に楽しく発想し続けてくださいね (*^-^)ニコ

自信がない人は自分に非現実的な期待をしすぎー 他人と自分にたいする「期待」をやめたら人生とても楽になる!

他人にも自分にも期待はしない方がいいです。

 

なんでそんな「夢のないこと言うの?」と思う人がいるかもしれないですが、

 

自分を信じるという意味でのfaith(信じる)と、他人は自分はこうあるべきだというニュアンスを含む(期待する)はまったく意味が違います。

 

私たちは現実的でない期待と幻想をして、他人がその欲求をを叶えてくれないことにイライラして、または、自分に過度な期待をかけて落胆をして自信をなくしていることがあまりに多いからです。

 

そうは言っても、人間は「期待」をしてしまうので、自分に「現実的な」期待をしよう、という言い方にしました。

 

始める前はすごくテンション高くワードプレスやる!とかブログやる!と言ってたのに、思うように反応がないのでそれで止まっている、という方がいました。

 

これはどういう問題でしょうか?

能力の問題なのでしょうか?

 

一度でも書いた人はわかると思いますが、今の情報過多の時代にブログを書いても最初は検索エンジンに認識すらされませんし、ましてや人が検索してくれて、それで問い合わせや申込みがくる、までにはそれなりの継続と情報量の積み上げがいります。

 

これは、書くスキルの問題ではありません。

 

まず、今の情報過多の時代でサイトやブログを立ち上げるということに対する現実的な事実の把握が欠けている、という問題です。

 

そして、自分にたいする期待の問題です。

 

もしかしたら、すべてに気付いていなくても自分はこうでありたい、自分はこうであるべきだ、という自分に対する「期待」が心の中ではたくさんあるかも知れませんが、私たちは「スーパーマン・スーパーウーマン」ではありません。

 

語学力にしろ、スキルが身についたり、何かの成果が生まれるまでにはある一定量の時間もエネルギーもいります。これは単純に物理の法則です。

 

もし自分はいつもどこかで自信がないな、と感じる人は、「自分はスーパーマン・スーパーウーマンだ」という「期待」をやめましょう。

 

期待には、事実をありのままに確認して判断してその中で考えられる最善の対策をとる、というよりも、幻想や妄想(~だったらいいな、これがあれば幸せになれるだろう、こうあるべきだ)を含むニュアンスがあります。

 

事実関係や現実をありのままに見ているというよりは、自分の独特のレンズで目の前の出来事を判断して、自分のパターンで結論をだしている、という可能性がある、と考えてみましょう。

 

そして今やっていることを楽しみましょう。

 

何か大きなことを達成したから喜ぶのではなくて、今日自分がベストを尽くしたこと、今日新しい体験をしたこと、今日新しく発見したこと、学んだこと、今日はじめて作ってみた料理を喜びましょう。

 

その中で、昨日できなかったことをもし今日できるようになったらそれはとてもラッキーです。

 

ほんとうにそうだと思います。

 

楽しいことは続けられますから、気づいたらその延長で語学が伸びているかも知れませんし、何かが出来るようになっているかも知れません。

 

イチロー選手は毎日一ミリ足の位置を調整して自分のベストな打ち方を毎日一ミリでも研究して、改善することをおこたらなかったそうですが、イチロー選手にとっては一つ一つの行為自体が「喜び」だったのでしょう。

 

誰にも自分にも期待しないで、ありのままの自分と付き合う方がよっぽど楽で生産的なのです。

 

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ウィーンフィルのバイオリニストは5年間毎年東北を訪れて何を感じたのか?「東北」と「世界」が会って生まれたもの

3.11から丸7年が経ちました。

 

3.11の風化の懸念や福島の問題が未だに根本的な解決が見えないことが残念ですが、

その時の体験や心の深い部分で私たちにいろいろな意味で転換を促した感覚は、まだ確実に心の中に残っていると思います。

 

そして、3.11は「日本人」にだけ特別な意味を持つ出来事ではありません。

 

3.11では海外から合計1640億円もの支援金が寄せられ、同年緊急人道支援を受けたソマリアの713億円の2倍以上で短期間における支援額ではダントツで世界一位でした。

 

そして、支援金だけでなく、多くの人が支援に関わりましたが、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(ウィーンフィル)が震災後の5年間、毎年東北を訪問し続けていたことはあまり知られていません。

 

ウィーンフィルといえば、元旦に行われるニューイヤーコンサートが世界40カ国に同時中継される言わずも知れた世界最高峰のオーケストラです。

 

ウィーンフィルは、震災以降、5年間東北を訪れ、これまで計42人の団員が宮城県仙台市・岩沼市、岩手県山田 町、福島県郡山市・南相馬市で演奏活動を行い、中高生に音楽を教えてきました。

 

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岩手県の浄土ヶ浜などで、鎮魂のための献奏も行ってきました。

 

その中の一人であるバイオリニスト、ダニエル・フロシャウワーは、過密なスケジュールにもかかわらず、5年間毎年続けて東北を訪れ、中高生に音楽を教えてきました。

 

彼は東北を訪れて何を感じたのでしょうか?

彼を毎年東北に足を運ばせたのは何だったのでしょうか?

そして地元との出会いは何を生みつつあるのでしょうか?

 

私は、それをどうしても彼の口から直接聞きたいと思い、取材を申し込み、2016年10月16日東京赤坂のサントリーホールに向かいました。

 

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⬆️ 東北の学生たちに音楽指導をするウィーン・フィルのバイオリン奏者フロシャウワー(中央)(写真提供: SUNTORY HALL)

 

 

2016年10月16日、サントリーホールでは、「こどもたちのためのコンサート特別公演」が開催されていました。

 

これは被災3県の中高校生が、ウィーン・フィルと共演する夢の舞台です。

5年間の集大成の日です。

 

ウィーンフィルのメンバーを含め、その日の舞台をまとめるコンサート・ミストレスは15歳の高校一年生でした。小学校5年生のときに震災に遭いましたが、それでもバイオリンを続けたいという想いが強く、ウィーンフィルが東北を訪れるのを知ったときにはすごく嬉しかったそうです。

 

その彼女の隣には、彼女が送る合図にぴったりと意識を合わせ、あたかも全身で彼女をサポートするかのようなバイオリニストの姿がありました。

 

それがフロシャウワーでした。

 

彼の真剣な様子から、弱冠15歳のコンサート・ミストレスを一人前の奏者として、そして、共にステージを創り出す仲間として尊重しているのが客席にまで伝わってきました。震災に遭った体験を経て、すっとこの日のために音楽を練習してきた彼女を始め、今日のこの日を迎えステージに立つ中高生全員の勇気をたたえているようでした。

 

 

私はその四日前にも、ウィーンフィルの演奏を聴いていました。世界的指揮者ズービン・メータを迎えての公演は、それはそれは素晴らしいものでした。

 

同時に、私の目の前には、その日にも劣らないくらい懸命に、いや、もしかしたらそれ以上の力で演奏するフロシャウワーの姿があり、私は彼の演奏にどんどん引き込まれていきました。

 

 

演奏後、フロシャウワーにインタビューをする機会を得た私が、「四日前の記念公演とも変わらないくらい、またはそれ以上の渾身の演奏でしたね」と伝えると、即答がありました。

 

 

「当然です。世界的指揮者とでも中学生とでも、演奏家は常に全力で演奏するものです。

私は町民の半分が津波で流された町(山田町)で演奏した日のことを、いまでもはっきりと覚えています。そのとき、自分の音楽が誰かの役に立ったと感じることができたのは音楽家にとって大きな喜びでした。

 

それは、音楽家にとってとても光栄なことです。」

 

「それに」といって、彼はニコッと笑いながら最後にこう付け加えました。

 

「ウィーン・フィルは伝統を重んじるオーケストラですから、たとえばモーツアルトを演奏するとしたら、その伝統的な解釈に準じます。

 

でも、東北の中高生の奏でるモーツアルトは、『ああ、こんなモーツアルトがあるんだ』と私を新鮮な気持ちにさせてくれました。だからこれはWin-Winの関係なんですよ」

 

舞台上で見せる「神々しい音楽家」とはちょっと違う、人間としてのフロシャウワーに触れ、私は彼の言葉を理屈を超えて理解できた気がしました。

 

 

ウィーンフィルフルート奏者

⬆️ 特別公演でソロ演奏をしたフルート奏者ディータ・フルーリーに質問をする学生。「どうしたらあんなに透き通った音色を出せるんですか?」「自分の出したい音を想像するんだ。そしてそれを技術や呼吸、自分の持っている全部を使って表現する。その音に近づくために一生練習し続けるんだよ」

 

アフリカには、「人は人を通じて人となる」という格言があります。

 

人は誰もが誰かの役に立ちたいと願う生き物。

人は、他者の存在を通じて自分を知ります。

人の役に立ったと思ったときに、自分の想いや能力、存在意義を発見したり、再確認します。

人の才能も能力も、それを必要としてくれる人がいて成立するとも言えます。

 

私自身、南スーダンなどの紛争地で働いていた時、困難を乗り越えようとする人たちを目の前にしていたからこそ、「私もベストを尽くそう」と、自分の力を「引き出して」もらったと感じたことは何度もありました。

 

では、最後に、東北の中高生は何を感じ学んだのでしょうか?

 

ベートーベンの第九の合唱を一生懸命に練習してきたという福島の女子中学生に、今回の体験を通じて学んだことについて聞くと、こんなことを言ってもいいのかなと、一瞬周りの顔を探るように見渡した後で、こう伝えてくれました。

 

 

「合わせるのは大切だけど『自分』を出すことです」と。

 

 

「世界」との交わりは、世界という「鏡」を通じて「自分」をより浮き彫りにするのでしょう。

 

 

「世界」が東北を知り、東北も「世界」を知る。

そして「世界」を通じて自分を知る。

東北と世界との間で生まれ始めた化学反応。

 

中高生と合同でコンサートをしたのは世界の中でも東北が初めてだったというウィーンフィル。

インタビューをした団員全員が東北への訪問をそして中高生とのコンサートを「満たされる体験だった」と語ってくれました。

 

 

震災による被害や、高齢化や過疎化、人口減少などといった「課題先進国」と呼ばれる東北の問題を決して軽く捉えているわけではありません。でも、震災を経て生まれたものもあるように感じました。

 

 

東北と世界とのつながりがさらに強くより大きく広がっていって欲しいと願っています。

 

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⬆️ 特別公演後、ウィーンフィルメンバーと中高生との記念撮影。

(写真提供: SUNTORY HALL)