2020東京五輪ホスト国として知っておきたいことー1964年東京五輪から2016年リオ五輪参加国はなぜ2倍になってるのか?

1964年東京オリンピック参加国はいくつでしょうか?

なぜリオではおよそ2倍になってるのしょう❓

1964年から2016年の間に何がおこったのでしょうか?

 

国連加盟国よりもリオ五輪参加国が多いのはなぜでしょうか❓

 

東京オリンピック vs リオ五輪.001

 

まず先に答えをお伝えします。

 

1964年東京オリンピック参加国は=94

2018年国連加盟国数=193

2016年リオデジャネイロオリンピック参加国=207です。

 

リオ五輪参加国がおよそ2倍以上になっているのは、1964年当時アフリカは多くの国がまだ「植民地」だったからです。

 

まだ独立国として東京五輪に参加できていなかったからです。

 

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「1964年10月24日、東京五輪閉会式の日、アフリカのザンビア共和国は独立した。
開会式とは違った新国旗を持って、残留したたった一人の選手が、誇りたかく入場行進してきた。満員の観覧席からは、精一杯の拍手が送られた。」 吹浦忠正(ユーラシア21研究所理事長)「新・徒然草」より

 

当時の読売新聞にはこうあります。

 

「ザンビアのプラカードと旗手が入場し、最後に開催国日本の旗手・小野喬(体操)が入場した直後、各国の選手たちが一丸となって入り混じり、互いに手を握り、肩を叩き、抱き合い、踊りながら入場してきた。そして、すぐさま追いついた、日本とザンビアの旗手を肩車にして担ぎ上げた。」

 

1964年東京五輪は、敗戦後の悔しさから日本が国際社会への復帰をアピールする機会だと捉えられました。

 

では当時参加する人たちにとって1964年東京五輪はどんな機会だったのでしょうか?

 

アメリカの選手団もほとんどが白人選手です。まだ人種差別が公然と行われていた時代でした。

 

「平和の祭典」と言っても、世界の半分も参加していないということになりますね。

 

では2020年東京五輪に参加する人たちにとって、五輪というのはどういう場なのでしょうか?2020年五輪には国籍のない人たちや「難民」と呼ばれている人たちも参加できるのでしょうか?

 

ほんとうの意味での「平和の祭典」にするには、ホスト国として「私たちの視点」だけでなく、「彼らの視点」も持ちたいものです。

 

さて、中学校の総合的な学習の時間ではそんなお話しもしました。

 

なにより、国連の現場で見て感じたことをそのまま伝えることを一番大切にしています。

 

専門用語は使わず、わかりやすく心に届くようにお話しします。

 

「世界のことをもっと知りたいです!」
「勇気をもらいました!」

 

本何十冊読んでもピンとこなかったことが、腑に落ちる、

世界の最前線の現場の生の声に触れることで、もっと知りたいと思うようになったーそのような感想をいただいています。

 

他にはこのような感想をいただいています。

 

「答えを提示するわけでもない」という言葉に触れて、「自分の考えが間違いでも答えが一つだけではないと教えてもらい、私の支えとなりました。」

 

「私が使っている教科書には、紛争が起こる原因として宗教の違いと書かれて、私もそうだとずっと思っていました。でも、大仲さんのお話しの中で、ケニアの難民キャンプでは宗教が違くても普通に暮らしていたと伺いました。それを聞いて、紛争が終わらない理由は、みんなが宗教の違いが原因だと思い込んでいるからだと思いました。」

 

「一番印象に残っているのは、『大人になったら答えのない問題に立ち向かわないといけなくなる。だから、学生のうちから答えのない問いに立ち向かっていく勇気を持つことが大切』というお話しです。これからはこのことを意識して生活していきたいと思います。」

 

「現代社会の先端を生きる大仲様の話しはとてもおもしろかったです。」(笑)

 

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詳細はこちら➡️goo.gl/stsivZ

 

どうぞご連絡ください。

たくさんの人にお話しできることを願っています!

 

ウィーンフィル奏者に取材して発見した’共通点’ー一見まったく違う分野の人の体験から学ぶことができれば、人生100倍うまく生きることができる

NHKに「達人たち」という番組があります。まったく違う分野で功績を持つ人たちが、互いに仕事の極意や大変だったこと、苦労の乗り越え方などを伝えあいます。

 

私が見たのは、井村雅代 シンクロコーチと欧州で指揮者として活躍し、大河ドラマのテーマ曲を指揮したことでも知られる指揮者広上淳一さんのクロスインタビュー。

 

いろいろなテーマがでてきますが、音大で若い人たちに音楽を教える広上は、どうしたら今の若い人たちを、一から指導し、8回連続オリンピックメダル獲得という偉業を成し遂げることができるのか、の秘訣を探ろうとします。

 

一方はシンクロコーチ、片方は指揮者(音楽家)。

 

一見、まったく違った分野で闘っている二人ですが、二人の会話を通じて、世界を舞台とすることのメンタリティーなど自然と共通点が浮かびあがってくるのが面白いところです。

 

どの回を見ても、全く違う分野の人たちが対談をしますが、まったく違和感はないし、逆に、それぞれのユニークな体験の中に、お互いが自分に当てはまることを見つけていきます。

 

一流が一流たるゆえんは、きっと一見全く違うような文脈の中に、より大きな普遍性や法則性を見出せることなのかも知れません。

 

一人では一つの人生しか生きることができないけれども、いろいろな分野の先人たちの体験から学ぶことができたら、いろいろな人生の対処法も知恵も身につけることができますよね。

 

映画などを見てる時でも、「ああ、わかったっ!」と、自分の頭の中でとつぜんパッと💡ひらめき💡が起こるような瞬間があったりします。

 

ウィーン管弦楽団(ウィーンフィル)でソロ演奏も担うフルート奏者、ディータ・フルーリーに取材をさせてもらっ際に、私も似たような体験をしました。

 

その中で、「どうしたらあんなに透き通った音色を出せるんですか?」と、日本の中学生からよせられた質問に答える場面がありました。

 

彼の答えはこうでした。

 

「何よりも先に自分の出したい音を想像するんだ。

それを技術と呼吸、そして、自分の持っている全てを使って表現するんだ。

その音に少しでも近づくために一生練習し続 けるんだよ。」

 

私はそれを聞いて、なるほど!とガッテンして、私も同じだ!と嬉しくなりました。

 

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私の表現方法は「書く」というものですが、私にとって書く体験とは、「まず先に全体像が頭の中にぱっと浮かんで、それをなんとかメモして、言語化していく」プロセス です。

 

言葉が追いつかなくて、全体像が浮かんでいるのに全体がまとまらない時は「気持ち悪くて」、文字にすると「すっきり」します。

 

彼にそのことを説明したら、全く違う分野の人(彼は私のことをジャーナリストだと思ったかもしれません😊)も似たような体験をするんだ、と新鮮に感じたようです。

 

来日公演時の懇親会の席では、「興味深い会話をありがとう」と立ち去る前に最後に声をかけてくれました。

 

なんでもいいから、一生懸命に何かに打ち込んだり、探求したり、何かを突き詰めた体験があると、入り口はどんな分野であっても、人間や人生についてのなんらかの普遍的な理解や洞察に至るのかもしれないと感じました。

 

試験では最短で最小限の労力で合格する作戦がある時点では成功しても、人生では、もっと長期的な戦略が必要です。

 

一見、「無駄」に見えること(すぐに結果や答えのでないことを追求してきたか)をやってきた体験があるかないかは、長い人生のスパンでは、大きな「差」となってでてくるように感じます。

 

一見、すぐに仕事につながらないように見えることでも、自分が興味を持ったこと、知りたいこと、なんで?と思ったことを追求するのをやめないでください。

 

そういう体験が、自分の「軸」となる土台をつくってくれます。

そういう部分がないと、人はすぐにポキっと折れてしまいます。

その人の「幅」になってくれ、「器」をつくってくれます。

 

それが誰にでも認められるような功績として現れていなくても、自分が自分の興味を尊重し、大切にしてきた、というその時間と体験が深い部分で、自分の器を大きくしてくれています。

 

ウィーンフィル取材の記事➡️

「世界のトップ」はなぜ東北を目指すのか? ハーバードとウィーン・フィルが教えてくれた世界の中の「東北」②

 

 

金と銀の差を分けるものーフェルペス選手はどうやって逆境を乗り越えることができたのか?

連日リオデジャネイロ・オリンピックの接戦が繰り広げられていますね。

 

その中で、「水の怪物」と呼ばれているアメリカのフェルペス選手が、北京とロンドンオリンピックで圧勝した後に目標を失い、アルコール依存になったり、一時期は自殺を考えた時期から、どうやってその逆境を乗り越えることができたのかに興味をそそられました。

 

実際に彼は、北京オリンピックと、ロンドンオリンピックが終わった時点で、それぞれこう言ってます。

 

「北京のような練習をもう一度するなんて冗談じゃない。もう目標を達成したから、やるべき事なんてない。世の中にはもっと楽しいことがある。自分探しをしたい。」

 

2年ほど経ってから、ロンドン五輪を目指して再びプールに戻ってきたものの、目標は明確ではなく、練習への遅刻、無断欠席が続いたそうです。

 

「何もかもどうでも良かった」

 

「30歳になったら泳ぐのを絶対にやめるんだと自分に言い聞かせてきた。30歳の人を悪く言うわけではないけれど、それを自分にずっと言い聞かせてきた。あと3年後には30歳になる。だから、今後3年間を泳いでいきたいとは思わない。」とも言っています。

 

私たちがテレビで目にするのは華やかな舞台ですが、その影にはものすごい練習量があって、自分を支える新しい「目的」や「意味」を探しているようなニュアンスも伝わります。

 

そんな彼が、いったん目標を失った後、再び泳ぎ始めるきっかけとなったのは何だったのでしょうか?

 

フェルペス選手は、7歳の時に父親が家を出て行ってから、母子家庭で育ち、1つのことに集中できず、色々なものに注意がいってしまって落ち着きがないことからADHDと診断され、これを克服するために水泳を始めたと言われています。

 

そして、彼の才能を見抜いてくれたバウマンコーチとの運命的な出会いを経て、北京とロンドンで18個ものメダル獲得する偉業を達成。

 

ロンドンオリンピックの後には、バウマンコーチに「最高の水泳選手になることができたのは、ここまであなたと一緒にやってこれたからです。」と感謝の言葉を伝えます。

 

メディアにも「彼がしてくれたことがなければ、今僕はこの場になっていないでしょう。この15年間、クズみたいな僕にずっと我慢して面倒を見てくれた彼に心の底から感謝しているし、愛しています。文字とおり、感謝してもし尽くせません」と語っています。

 

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そんな彼ですが、ロンドンオリンピック後、アルコールとカジノに溺れ始めます。

 

「家族は母と姉2人で男は僕1人。北京、ロンドンというような節目に、これからどう生きていったらいいんだろう。そう思っても導いてくれる父親がいなかった。辛かった。」

 

家族の誇りであり続けなければならないプレッシャー。

相談する相手もいない。

またお金目当てで近づいてくる人たちにも疲れて、アルコール依存に陥った、と言われています。

(http://number.bunshun.jp/articles/-/826266より)

 

 

一時期は自殺を考えるほどになります。

 

日本ではあまり報道されていませんが、彼は米国のメディアで当時の心境を赤裸々に語っています。

 

“I was a train wreck. I was like a time bomb, waiting to go off. I had no self-esteem, no self worth. There were times where I didn’t want to be here. It was not good. I felt lost,” Phelps revealed.

 

「一時期は、自分がこの世の中からいなくなったらいいのに、とさえ思った。まったく自信をなくし、自分に価値があるとも思えなかった。」

 

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そして、一週間ほぼ何も食べず、ほとんど眠らず、自殺することを考える。。。

 

そんな時期、フェルペス選手の長年の友人で、NFLで活躍するレイルイス選手が、フェルペス選手にアルコールを断ち切るためのリハビリ施設に入ることを勧め、ある一冊の本を彼に手渡します。

 

その本とは、アメリカで発売後1年で1000万部を越え、現在では3000万部を超えるRick Warren著の、The Purpose Driven Life (邦題: 人生を導く5つの目的―自分らしく生きるための40章)でした。

 

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そして、フェルペス選手は、その二日後にリハビリ施設からルイス選手に電話をします。

 

“Man this book is crazy! The thing that’s going on…oh my gosh…my brain, I can’t thank you freaking enough, man. You saved my life,” Phelps told Lewis with excitement.

 

「この本はクレイジーだ!オーマイガッシュ。。。信じられない。君にはお礼を言っても言いきれない。君に救われたよ。」

 

 

別のインタビューでは、さらにこう答えています。

 

In a recent interview with ESPN Magazine, Phelps explained that the book “turned me into believing there is a power greater than myself and there is a purpose for me on this planet.”

 

「自分の力よりも大きな力が存在するってことを信じるようになったんだ。そして、この地球に生まれた目的があるってことを。」

 

Lewis

 

 

そして、彼はさらに、母親が離婚して以来ほとんど会ったことのなかった父親に会いに行くことを決めます。

 

“I didn’t want to have that ‘what if.’ I didn’t want to go through life without having the chance to share emotions I wanted to share with him. That’s what I missed as a kid,” Phelps said.

 

「僕の気持ちを伝える機会を一生逃したくないと思ったんだ。僕は子どもの頃から自分の父親に自分の気持ちや感情をシェアしたいってずっと思っていたから。」

 

 

そして、その3ヶ月後、彼は、長年のガールフレンドだったニコールにプロポーズをして籍を入れます。

 

そして、すぐに子どもに恵まれます。(ちなみに、子どもの名前のミドルネームにはコーチへの尊敬の念を示して、コーチの名前をつけています。)

 

愛する家族に自分のプレーを見せること、が彼の新しい原動力になり、3連覇、金メダル23個、という今回の「偉業」につながったのです。

 

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陸上やラグビ一など体が大きい方が圧倒的に有利な競技はありますが、オリンピックの決勝レベルになると、身体能力の差はごく僅かだと言われています。

 

高校野球を見ていても、一回戦で圧倒的な勝利を収めたチームが二回戦では気持ちが緩んだのか、同じチームとは思えない位ぼろ負けをすることがあります。

 

そんな時に人に「力」をくれる「考え方」とはどういうものなのでしょうか?

 

もし、身体能力にはそれほどまでの「差」がないのだとしたら、最終的に金メダルと銀メダルの「差」を決めるものは何なのでしょうか?

 

 

続く

Tokyoオリンピック誘致プレゼンに見る世界を動かすコミュニケーション(2)

東京オリンピック誘致チームは東京をどう世界にプレゼンしたのか?東京オリンピック誘致のコンサルタントチームのコメントを見ていくことで、世界を動かすコミュニケーションのコツが見えてきます。

2016年の時にTokyoの魅力を上手く伝えられなかったという反省から、Tokyoの強みとストーリーを再定義することから準備が始まったことを前回紹介しました。

ではプレゼンの練習で重要だったことは?プレゼンコーチ、Martin Newmanさん(キャメロン首相やプーチン大統領のコーチもつとめた人です)が、誘致プレゼンにとって一番大事だったことを講演で伝えてくれました。

(3)どんな印象を残したいのかを決める

人は言葉の7パーセントしか覚えていない。だから、大切なのはどんな印象を残したいかを決めること。当時のTokyoの印象は、安全だけどつならなそう。。。

「まず、東京チームは自分たちの残したい印象を『Shining』(輝いていること)に決めた。その精神は発表者全員によく浸透して、練習が上手くいかない時や迷った時には、Shiningしてるかを基準にして互いに助けあっていた。情熱を伝えることをとにかく重視した。猪瀬知事は英語が苦手で日本語でやってもいいと言ってあったんだけど、自分も輝いていることが大事だって言って一生懸命英語のスピーチを練習していたよ。」

(4)表現力を高める

「太田選手には『銀座のパレードには50万人もの人が集まりました』の感動が本当に伝わるまでそれこそ何百回も練習してもらった。佐藤選手のスピーチは感動的だったので、それが伝わるように彼女には間をとることを意識してもらった。」

(5)頭とハートを繋げる

「画像を通じてTokyoのワカモノの躍動感を伝えることを意図したように、舞台でも佐藤選手、太田選手や滝川クリステルさんといった若い才能ある人達に思いっきり彼らの魅力を表現してもらうことを心がけたよ。

こうして『安全だけどつまらなそうな東京』は『安全かつエキサイティングで行ってみたい東京』になって、IOC委員の頭とハートの両方を勝ち取ることができたと思うよ。」

なるほど。どんな印象を残したいのか?を先に決めておく。それに従ってどんな言葉回しがいいかを決めていくー。私たちはかっこいい言葉使いを考えることに時間を使ってしまいがちですが、メラニアンの法則が教えてくれているように人は言葉の7%しか覚えていないのですよね(笑)。とすると、自分が伝えようとしている内容と一環したエネルギーを放っているのか?その一点に尽きるというわけですね。納得です。

最後の言葉も印象的でした。「『日本には出る杭は打たれる」というフレーズがあるらしいけど、今回発表してくれた若い人達が見せてくれた。思いっきり出てしまえばいい。そしたら金メダルだよ!」