ガツガツ自己主張しなくても、自分の強みを伝えるにはどうしたらいいのか❓② ー「リーダーシップ」編

欧米の子供たちはリーダーシップがあるかどかの前に、何が聞かれ、何をどう表現したらいいかを小さい時から訓練されていると書きました。

 

例えば、国際機関や外資系企業、欧米の大学・大学院や奨学金の応募で、よく聞かれるのが「リーダーシップ」に関する質問です。

 

仕事についてからも評価項目の中にも「リーダーシップ」が含まれると思っていていいでしょう。

 

リーダーシップについて質問されたとしたら、ガツガツ自己主張しなくても、自分の強みをきちんと伝えるにはどうしたらいいのでしょうか?

 

まず、彼らのいう「リーダーシップ」について理解しましょう。

 

相手は何について聞きたいのでしょうか?

 

まず、「リーダーシップ」とは、社長とも部長とも委員会の委員長といった正式な役職や係とは違います。役職と権限は「リーダーシップ」とイコールではありません。

 

古いリーダーシップは一人のリーダーがチームを引っ張るトップダウン型でしたが、今は一人一人がそれぞれの役割と責任を持っているという意味で誰もが「リーダー」であるという考え方にシフトしてきているからです。

 

「リーダーシップ」と聞くと、「大きなこと」や「立派なこと」を話さないといけないと思うかも知れませんが、人は一人で成し得ることは限られているし、ただ文句を言うだけの人も、自分の意見だけを主張してチームとして動けない人も困りますから、小さいことでもいいから自分の役割を自覚し、誠実に取り組むことのできる姿勢は重宝されると言えます。

 

 

なので、「リーダーシップ」に関する質問をされたら、

 

例えば、

身近なことでいいので、

会社の行事の幹事をした時とか、

「私はそのことを通じてこんな体験をして、こんなことを学びました」というように、

 

「ああ、この人は、『チームワーク』『リーダーシップ』について自分なりに学んだ体験があるんだな、チームで成果を出すための自分の役割とは何か」を体験的に分かっているな、という事が具体的な例と共に相手に伝わることが大切です。

 

私の友人で、「不法移民」だったので正式な職歴が短く本人も半分諦めていたのに、アメリカ連邦政府の幹部プログラムに受かった人がいます。

 

彼女と一緒に考えた作戦は、ウェイトレスとしての「リーダーシップ」体験を話すことでした。

 

正式な職歴はとても限られていましたが、イトレスとして働いていたレストランでは若い人たちに慕われ、いつも人の相談を受けていました。

 

二人で相談して、以下の点にフォーカスすることにしました。

 

同僚の間で常に信頼が高かったこと、

若い人のよい相談役になってきたこと、

時には職場内のいざこざを解消してきた事、

そして、不法移民でも諦めずに10年以上英語をコツコツ覚え続け、

働きながら大学院を修了した体験に関して、

どんな状況でも諦めずに道を切り開いてきたこと、

を全面に押し出しました。

 

彼女は見事に合格しました!

 

今ではワシントンDC郊外に3軒の家を所有し旦那さんと息子さんと幸せに暮らしています。

 

あまり正式な職歴はありませんと言うのか、こんな経験がありますと言うのか、「言い方」「魅せ方」一つで全く印象が変わります。

 

何をどう表現するかはとても重要です!

 

《まとめ》

 

1、一人のリーダーがチームを引っ張るトップダウン型から、一人一人がそれぞれの役割と責任を持っているという意味で誰もがリーダーであるという考え方にシフトしている

 

2、相手が何について聞いているのか、何を求めているのかを見極め、きちんと質問に答えること

 

3、事例やある結果など小さくてもいいので「根拠」を入れること

 

4、『リーダーシップ』について自分なりに学んだ体験を伝える

 

5、小さいことでもリーダーシップ(面接で聞かれるテーマ)を学んだ機会として組み立てる練習をする

 

Good Luck❗️❗️❗️

 

 

 

 

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世界の思想家トップ100、ビジネス界のインフルエンサーThinkers50アレクサンダー アレクサンダー・ベッツ オックスフォード大学教授に会ってーこれらの時代を動かす仲介者(mediator)とは?

ちょっと興奮気味で帰ってきました。

 

アレクサンダー・ベッツオックスフォード大学教授の講演に参加してきました。

 

アレクサンダー・ベッツ教授は、世界の思想家トップ100、ビジネス界のインフルエンサーThinkers50に選出され、TEDトークの視聴者300万人を超えます。

 

今世界で求められている資質の一つは「仲介者」(mediator)だと言われますが、それをまさに実践している一人が、アレクサンダー・ベッツオックスフォード大学教授だと思います。

 

 

仲介者とは、分野や業種を超えて橋をかけられる人のことを言います。

どちらのことも分かって彼らに伝わる言葉で表現できる人です。

今の世界の課題は一つの分野で解決できるものじゃないからです。

 

 

彼は最年少でオックスフォード難民研究センターの所長に就任し、オックスフォード大学教授という「バベルの塔」の頂点にいながら、研究という世界を超えて、難民問題について積極的に関わり、世界的な課題の中心に飛び込んでいく勇気を持っている人です。

 

オックスフォードの大学院ではすごく鍛えられましたし、一流の知性に触れる機会をたくさんいただきましたが、伝統を重んじるオックスフォードでは、私がいた時には、実践的な課題に取り組むことは学問的ではない、という風潮がありました。

 

今回とても印象的だったのは、ベッツ教授が自ら握手をしながら挨拶をしに来てくれたことだけでなく、新聞社の記者からNGOの実務者、研究者などの一人一人の話しにとても「共感的」に耳を傾けていたことでした。

 

Alex Bets 3

 

テーマは、世界の難民問題。

 

決まった答えがあるわけでもないし、理論で説明できるわけでもありません。人の感情が揺さぶられ、かつ、人間の倫理が問われるテーマでもあると同時に、一段上から正義感をふるって説教しても人の心に響くわけでもありません。

 

しかも、現場の最前線にいる実務者は大きなフラストレーションを体験していることもけっして珍しくありません。そういう意味でもけっして簡単なテーマではありません。

 

今回の講演には、朝日新聞と読売新聞社の記者から実務者、研究者など様々な立場の人が参加していましたが、研究者には研究者の言葉を使って学術的な言い回しで返答し、日本の難民問題に関わる人たちは、実証的なデータを武器にいかに政策に働きかけていくか、というメンター的な立ち位置で返答されていました。

 

まさに両方のことをわかり、かつその二つを橋渡しをしながらギャップを埋めていく「仲介者」的な役割が際立っていると感じました。

 

ひと昔のオックスフォードにこのような方はおらず、学術会にも1980年生まれの彼のような新世代が登場しているのだと思いました。

 

公演後の食事の席ではブレグジットにも話題が及び、移民が一番少ない地域で移民に対する不安(離脱支持)が一番高かった点に触れて、

 

「人が移民や『グローバリゼーション』に対して不安を感じるならば、それを丁寧に理解していかないといけない」と言っていました。

 

ワインを片手に続けて彼が投げかけてくれた質問が「学術界と実務者にどうしたらクリエーティブな解決策を促すことができると思う?」とこれまた超ド直球でした。

 

思わずワインを3杯も飲んでしまったよ(笑)

 

ホンモノは「知性」をなんのためにどのように使うのか知っている❗️❗️❗️

 

彼のTEDトークオススメです!

 

 

 

Alex Bets.jpg

 

 

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「新しい時代をほんとうの自分で生きるためのガイド』EMPATHY IMPACTに「仲介者とは?」という投稿を載せました。

https://www.facebook.com/empathyimpact/

 

与えられた問題を解こうとするのではなく、どんな問題を解くべきかを根底から考えることができる人。

複雑な事態やあいまいな状況にも耐え、急激な変化にも対応できる人。

ある時には、徹底的に人に寄り添いながら、別の場面では、誰にも遠慮せず、自らの率直な言葉を発することのできる人。

 

続く

 

すごく納得します。ぜひご覧になってください!

 

https://www.facebook.com/empathyimpact/

 

 

子どもがオックスフォード大学から奨学金をもらうか or そんなの関係ないと思うか? ー中学生165名にお話しして気づいたこと💡💡💡

今回、初めて中学生にお話ししました。

 

中学3年生総勢約165名。「総合的な学習」の時間です。

 

大学生に話すのとほぼ同じピッチで、

 

しかも、たぶん、ノーベル賞受賞者の方とお話しさせていただいた時とあまり変わらない次元で(笑)お話ししていました。

 

だって今の若い子たちはとても賢くて、本質をわかっているし、知りたいと思っているから。

 

私が話すテーマは表面的には、

 

南スーダンをの事例を中心に、世界の平和のために行われている国連などの活動・取り組みや紛争はどうしたら防げるのか?

 

だったりしますが、

 

本当にお伝えしているのは、

 

もっといろんな生き方があるし、正解はないし、答えはひとつじゃないんだから、自由に探求していい!

 

もっと世界(視野)を広げようよ、世界は楽しいよ!ということ、だと思っています。

 

 

6年続けて年末に大学で講義をして、上智大学で講義をして、就活生のコーチングもしたりとミレニアル世代と接した体験から確信をもって言えるのは、

 

彼らもそういうことをもっと知りたいし、探求してみたいのです。

 

彼らが知りたいのは、彼らが疑問に思っていることに、一人の大人がどう向き合ってきて、何を感じ、何を体験し、何が大切だと思っているかというその人自身の言葉です。

 

 

大人の正直な感想を聞きたいのです。

 

 

私はみなさんの前に立っているけど、答えを知っているわけではありません、と先に言うし、

 

すごい人である必要もないし、実際、「答え」を知っているわけじゃない。

 

そして、いろんな国の同僚の写真を見せたり、南スーダン軍とスーダン軍と一緒に座ってとった写真を見せたりします。

 

軍や国は争いあっていても、個人同士では信頼関係ができるのを見たよ、という仲裁のお話しは興味を引くようです。

 

今は、YuutubeとかFacebookとかこれまで大きな組織しかできなかったことが個人でもできるようになったから、アイデア次第ではいろんなことができるよね。

 

そのためにも、いろんな人の意見がいるよね。 

 

 

だから、みんなも自分の目で見て、感じて、たくさんのことを体験してきてね、

というようなことを言います。

 

 

彼らは、実際、今の自分の勉強がどんな意味があるのか知りたいし、社会の役立つことに関わりたいと思っています。

 

 

先日、Facebookの創業者マークザッカーバーグがハーバード大学で行ったスピーチが、スティーブジョブスのスピーチを超える!と話題になりましたが、その中でも注目されたのは、「ミレニアル世代は、Purpose(目的、意義)を大切にする、そしてそれを全員に広げること」というPurpose(目的、意義)という単語でした。

 

マークザッカーバーグのハーバード卒業式スピーチに何度も出てくる単語「Purpose」ーこれこそ日本の問題を解決する鍵だ!

 

 

 

ミレニアル世代にとって、「Purposeが大事」と世界的にはこの数年よく語られるところですが、日本でも同じことが起きていることを肌で実感します。

 

 

彼らが必要としているのは、

 

ー今自分が勉強していることがどうより大きな世界と繋がるのかという動機づけ

 

ー何をどう調べてたらいいのか、というきっかけ

 

ー「答えはひとつじゃないからいいんだよ」自由に考えて感じていいんだよ、と言ってくれる人

 

ー彼らの問いを受け止めてあげて、一緒に興味を持ってくれる人

 

ーそんな疑問を「おかしい」と言うのではなく、それを励ましてくれる人

 

ー問いを追求する楽しさを教えてくれる・一緒にやってくれる人

 

ー問いを探求していい!という、奨励されるような環境

 

ーかわいそうな人でも悲惨な世界でもなく、それを超越して世界のことを見ることのできる人の視点

 

ーそして、「職業も可能性も世界に視点を広げてみたら。だってそれ思ってるより簡単だよ」と言ってくれる人

 

 

そういえば、今回、オックスフォードでのチュートリアルでは、「答えは一度も言われなかった」というお話しをしました。

 

変化の激しい時代こそいかに学ぶか①: オックスフォード流「考えるステップ」

 

 

まだ暗記式の受験勉強の世界にいる中学生たちは、みんなびっくり!😆していましたが、

 

一度学校を卒業したら、答えのある問題なんてないし、そういう課題にも向き合えるようになるための土台を身につけようね、と言いました。

 

 

問いを持つことが、

私にオックスフォードで勉強する機会(奨学金)をくれ、

国連で働き紛争地へ行く言動力となってくれたので、

「問い」を持つことが私の人生を引き上げてくれたと言っても言い過ぎはないと思います。

 

そんな話しをしたら、こんな感想をいただきました。

 

「答えを提示するわけでもない」という言葉に触れて、「自分の考えが間違いでも答えが一つだけではないと教えてもらい、私の支えとなりました。」

 

 

「私が使っている教科書には、紛争が起こる原因として宗教の違いと書かれて、私もそうだとずっと思っていました。

 

でも、大仲さんのお話しの中で、ケニアの難民キャンプでは宗教が違くても普通に暮らしていたと伺いました。それを聞いて、紛争が終わらない理由は、みんなが宗教の違いが原因だと思い込んでいるからだと思いました。」

 

 

「一番印象に残っているのは、『大人になったら答えのない問題に立ち向かわないといけなくなる。だから、学生のうちから答えのない問いに立ち向かっていく勇気を持つことが大切』というお話しです。これからはこのことを意識して生活していきたいと思います。」

 

 

「現代社会の先端を生きる大仲様の話しはとてもおもしろかったです。」

(笑)

 

 

子どもの好奇心の芽をつぶさない為にも、ぜひ以下のことを意識していただきたいと思います。

 

大人が言ってはいけない言葉

(子どもの好奇心をつぶしてしまう言葉)

ーそんなの無理

ーそんなの無駄

ーそんなことやって何になるの?

 

そして、もしそう言いたくなったら、それはあくまでもあなたの世界や体験の中での考えや思い込みであると気づいてください。子どもの可能性は本当に測りしれないのです。

 

そして、子どもが自分とは違った分野で、チャレンジをしてくれる、違う世界を見せさせてくれる(「成果」や「結果」があろうとなかろうと)と思いましょう。

 

オックスフォードは別に一つの例に過ぎませんが、

 

大人自身が、「どうせ無駄」「そんなの無理」といった心の中にある諦めや失望感、無力感を下の世代へ受け継ぐのではなく、一人一人がそれに気づき、癒し、自分ができることを選ぶことができます。

 

 

例えば、少額の寄付でもなんでもいいから自分も「参加する」ことは、自分自身をあきらめや無関心、無力感から救うことにもなります。

 

 

そういう意味では寄付でもなんでも、自分のためにやっているとも言えますが、それでもいいんです。

 

 

世界を大切にすること=自分を大切にすること

自分を大切にすること=世界を大切にすること

だから。

 

 

ただ、その時は義務感ではなく、自分で調べて納得して、心から応援したいものを選びましょう!

 

 

 

講演の依頼受け付けています。(^^)ニコ

 

講演テーマ例

 

ー子どもの好奇心を引き出す対話術

ー紛争の話しなのに気分があがる大人が学ぶ戦争と平和についてのなぜ?

ー日本にいながら海外の教育を取り入れる方法

ーオックスフォード式 本当の考える力を身につける方法

ーすべての考えは「問い」から始めるー自分の答えを引き出す「問いの力」

 

 

お問い合わせは以下までお気軽にどうぞ❗️

info(at)peaceblossom.net

2ヶ月で10倍の資料をこなせるようになったお話しー自分の中の「基準」と「当たり前」がまったく変わること

オックスフォードの学生がチュートリアルで習得することは、自分の中の「基準」と「当たり前」がまったく変わることです。

 

「こんな量どうしたらこなせるんだ?」と感じられたことが、いつの間にか「出来そう」に変わっていくことです。

 

オックスフォードのチュートリアルで読む文献の量は、1週間で20冊~50冊位の量に及びます。

 

もちろん英文です。

しかも、難しそうに書いてあります。

 

最初は、まずこの大量の文献の量に圧倒されることになります。

 

いったいこの量をどうやって読めばいいんだろう?と途方にくれそうになります。

 

どこから手をつけていいか分からなくなって何度も泣きそうになりました。

 

しかも、読んでも簡単に分かるようなものでもありません。

 

私は、18世紀に建てられた寮の一室で、分からないのは自分だけなんじゃないか?と落ち込みました。

 

どうして学者という人たちはもったいぶったように難しく書くんだ。

もっと簡単に書いておくれー!と何度も言いたくなりました。

 

本を読む量が追いつかない。気持ちは焦るばかり。

 

それでも教授とのチュートリアルの日は刻々と迫ってきます。

 

大人数の講義だったらなんとかごまかせるだろうことでも、一対一なのでごまかせません。

 

ただ安心したのは、そのように悩んでいたのは私だけではなかったという事実でした。

 

私が当時暮らしていた寮では、ポルトガル人、インド系イギリス人、スリランカ系イギリス人、タンザニア人、中国人、イギリス人と日本人の私が一緒に住んでいました。

 

この文献の量に誰もが戸惑い、文字通り格闘していました。

 

そして、自分に問いていくのです。

 

どうしたら、これを時間内でできるのか?と。

 

そして、自分の方法をみつけていくのです。

 

なんとか最初の学期の8週間が終りました。

最初の8週間を乗り切って、心底ホッとしたのを覚えています。

 

文字通りなんとか乗り切ったという感覚で、ともかく終えられてよかった、と思いました。

 

そして、クリスマス休暇に入り、束の間の休憩を過ごしました。

 

年が明けて、再びオックスフォードのキャンパスに戻りました。

 

二学期目を迎えようとしている自分の心境の変化に気がつきました。

 

その文献の量を目の前にしても、前よりも落ち着いている自分がいたからです。

 

文献の量は相変わらず多く、課題の答えもすぐに分かりそうなものではありません。

 

 

内容に手応えをつかんだとまではいきませんでしたが、チュートリアルとはこういうものなのだ、と、思っている自分がいました。

 

「こんな量どうしたできるんだ?」と感じられたことが、この量が「当たり前」になっていたのです。

 

そして、その量が当たり前と感じられると、最初はただただ圧倒されていた量を目の前にしても、「出来そう」だと感じられたのです。

 

1983年に陸上のカール・ルイス選手が100メートル走で9秒台を出し、「10秒の壁」を破った時に彼は超人と言われました。

 

ただ、「10秒の壁」を一人が超えると、人間の身体能力自体はそれほど変わっていないはずなのに、その数年内で9秒台で走る人が続出しました。

 

「できる」ことが当たり前になってくるからです。

 

オックスフォードのチュートリアルで体験したのは、自分の基準が上がることでした。

 

私たちは自分の中で「もう無理」「もう限界」だと感じた時点で、人間としての潜在能力の2割も使っていないと言われています。

 

スポーツ競技だけでなく、そのような環境に身をおくことでそのようなことが起こります。

 

あなたの中の「もう無理」や「もう限界」は本当にそうですか?

 

ほとんどの人は、自分の能力の1割か2割も使っていないのです。

 

 

ちょっと想像してみてください。

 

今の自分の能力の10倍のことができるとしたら、どんなことができると思いますか?

 

どんなことが可能だと思いますか?

 

なんだかそっちの方が楽しそうだと思いませんか〜? ^^

 

 

仕事できる人はやっているー分かってもわからなくても、ともかくどんどんパラパラと本のページを開いていくオックスフォード式ゼロ秒勉強法

オックスフォードでは、チュートリアルといって教授と生徒が一対一で学ぶ制度を通じて、一年間の学びが進められていく、というお話しをしました。しかも、一年間で一度も答えが示されなかったともお伝えしました。

 

オックスフォードの学生はこのチュートリアルで何を学んでいるのでしょうか?

 

どんな能力や資質を体得しているのでしょうか?

 

オックスフォードのチュートリアルで学ぶポイント、それは私たちにどう関係するのか、そして、日常的にどう活かすことができるのかを解説していきたいと思います。

 

このチュートリアルが鍛えてくれる能力の一つは、分からなくても進むという能力です。

 

チュートリアルでは、学生は、事前に大量の文献を読み、そのテーマについてどんなことが言われていて、何が大切だとされているかについてまとめ、小論文という形でまとめ、課題の質問に答えます。

 

文献の量は、1週間で20冊~50冊位の量に及びます。

 

オックスフォードでは、この作業を一年で、一学期8週間×3学期=計24回を繰り返します。

 

それだけ聞くと、さすが頭がいい人は読むのが早いんだろう、そんなにできるんだ、と思われるかも知れません。

 

ここでのポイントは、そうではありません。

 

ここで習うこととは、まず「あたりをつける」ということです。

 

結論はこうだろう、とまず自分なりの「あたり」をつけて(仮説をたてて)、読み始めるのです。

 

脳は意識が向けられている情報に向かっていくと言われています。

 

なので、自分の結論をバックアップする情報が目に入りやすくなります。

 

または、それをサポートしない情報も目に入りやすくなります。

 

そして、次の本を手にとって、目次を読んで、あたりをつけてそのページから開きます。

そして、仮説があっているのか、それを証明するためにどこを引用するのか、または、どこをもっと調べないといけないのかwp見つけていきます。

 

そこで書かれていることを目にしたら、そこで書かれていることが完全にわからなくても、次の本を手に取ります。

 

次の本でも、同じことが言われているのか、または違うことが言われているのかを確認します。

 

同じことが言われていたら、それは大事なポイントですでにある程度の合意があること、もし、違うことが言われているのを発見したら、どこがどう違うのか?と見つけていきます。

 

そして同じことを繰り返して、自分が言おうとしていること(仮説)が合っているかどうかを検証していくのです。

 

私がオックスフォードに入学したばかりの頃は、1冊目の本にかなり時間をかけていました。

 

そして、提出まで残り2日しかないのに一文字もかけてない、しかも、何が結論なのかさっぱり検討もつかない!

 

読んでもわからないのは自分だけなんじゃないか?と、

途方にくれて泣きたくなることが沢山ありました。

 

ただ、そんな作業を毎週続けてようやく分かりました。

 

単純にそれでは間に合わないのです。

 

できないと落ち込むのではなく、やり方を変える必要があったのです。

 

 

そして、完璧に理解したから書き始めるのではなく、まず分かっているところからかじょ書きで書いてみるのです。

 

たったの一文字でもいいから紙に書いてみると、すごく進んだ気がします。

 

やってみたら分かりますが、たった一行でもたった一文字でも、まったくの「ゼロ」の状態とは違います。

 

できるとことから進めるのです。

 

結論が完璧に分からなくても、わからなくても、「あたり」でいいからどんどんパラパラと本のページを開いていくのです。

オックスフォードで学んだ「一流」とは悔しい思いをたくさんした人ーみんな何者かになりたくて悩みもがく日々

「考える力」という視点から最近、オックスフォードで勉強してきたことを書いています。

 

オックスフォードで勉強したのは、私にとってはもう随分と前のことですが、改めて書いてみると、「一流」ってどういうことなのか?何がどう一流なのか?

 

それをどう日常的なことに応用できるのか?という視点で振り返るいい機会になっています。

 

今日のテーマは、何が「一流」を「一流」にたらしめているのか?です。

 

オックスフォードやハーバードと聞くと、どんなイメージでしょうか?

 

きっとみんな自信満々の天才なんだろう、と思いますか?

 

頭脳明晰で自信に満ち溢れた人たちを想像するかも知れません。

 

でも、私の知っている等身大のオックスフォード大の学生たちはそうではありませんでした。

 

 

むしろ、私も含め、みんな何者かになりたくて悩み、もがいていました。

 

そして、自分の能力の限界や無力感に打ちひしがれていました。

 

なぜなら、できる人たちが一杯いるからです。

 

ちょっと努力しただけではとてもかないそうもないことをすぐに発見するからです。

 

 

これまでの環境では、自分はある程度できる人だったかも知れないけれども、オックスフォードに入ったらそれは当たり前になります。

 

そして、自分にはできないことを簡単にやってしまう人たちがいるのをまさに目の当たりにします。

 

入学してまず私がびっくりしたのは、クラスメートの経験でした。

 

 

私が学んだ人類学部は、学問の内容から旧植民地出身の人たちが多く、オックスフォードのなかでも特に多様性の高い学部の1つでした。

 

2015年度の留学生の出身国は約140ヵ国・地域にものぼり、大学院では62%を留学生が占めています。

 

クラスメートの出身国はフランス、アメリカ、エジプト、トルコ、南アフリカ、ジンバブエ、マリ、パキスタン、インドなど本当に多種多様でした。

 

私がチュートリアルのペアを組んだ女性は、インド系3世の南アフリカ人でした。1994年にアパルトヘイトが終わって、ようやく英国で学ぶ機会を得たのだそうです。

 

当時はまだ、アパルトヘイトが終わって数年しか経っていない時期で、彼女は母国の現状を次のように話してくれました。

 

「マンデラ大統領は、黒人と白人の間で衝突が起きてもおかしくなった状況の中で国を一つにまとめるという偉業を成し遂げてくれた。ただ、私の国では人種の断絶や暴力の種がまだまだ大きいの。南アフリカの未来はこれからよ。」

 

 

パキスタン出身でジャーナリストの女性は、長年パキスタンの女性の地位について関わり、研究してきました。

 

オックスフォードでは、婚前交渉・婚外交渉を行った女性は家族全体に不名誉をもたらすという理由で、家族の名誉を守るために女性が殺される慣習(オナーキリング=honor killing)をテーマにしていました。

 

 

さすがに、奨学金をもらえないと留学できないという国から選ばれただけあって、みんな優秀で賢明なだけでなく、とても勇気のある人たちばかりでした。

 

日本ではほとんど聞いたことがなかったようなリアルな「世界」が、クラスメートの口から次から次へと語られることに私は圧倒されました。

 

 

そして、そんな彼らの姿に触れると、私はそんな問題に直面することもなくぬるま湯につかっ過ごしてきた世間知らずの日本人のようにさえ感じました。

 

 

そして、そんな彼らの姿に触れることで、「じゃあ、あなたは何をしたいの?」という常に問われているように感じたものでした。

 

こんな大きな問題に私ができることことなんていったいあるんだろうか???

 

民族紛争について研究したいと思っていたのに、彼女たちのように自信をもって答えられない自分がいました。

 

自分の能力の限界と同時に、無力感さえ感じたことは一度や二度ではありません。

 

オックスフォードやハーバードの学生と聞くと、頭脳明晰で自信に満ち溢れた姿を想像するかも知れません。

 

でも、人が自分の専門分野やなんらかのテーマを追求していく過程では、誰もがなんらかの形で自分の限界や無力感を感じるのではないかと思います。

 

ただ、今になって振り返ると、こうしたプロセスこそが、私が後に国連や米軍で働くために必要な土台をつくってくれたとわかるのです。

 

他の人にかなわないことを痛感してこそ、または、限界や無力感を感じるからこそ、自分にしかできない分野やテーマを探すようになるからです。

 

自分にできないことが分かって自分にできることを必死に求めるからです。

 

そして、自分の限界や無力感に触れると、「表面的な理由」や「にせものの理由」がはぎ落とされていきます。

 

「なぜあなたはそのテーマに興味があるのか?」「それでもあなたはやりたいのか?」と問われ続けても、イエス!と言えることだけが残るからです。

 

私は、オックスフォードといった一流が集う環境に身を置く一番の価値はまさにここにあると思っています。

 

本当に悔しかった。何度も泣きそうにもなった。

 

それでも、誰かに当時の体験を取り上げるよ、と言われたら私はきっと必死になって抵抗するでしょう。だって、そんな体験を通じて自分を発見し、自分を知るのだから。

 

一流とは一部の才能に恵まれた人ではありません。

 

一流とは、悔しい思いをたくさんした人なのです。

 

そういう意味では、自分の弱みも強みもわからない人というのは、ぬるま湯に浸かったままなのかも知れません。

 

 

そして、私はそんなオックスフォードでの一年間を経て、ある思いがさらに強くなっているのに気がつきました。

 

 

人類学という視点が民族紛争の解決に役に立つことは確信した。

では現場ではどんなことが議論されていてどう扱われているのだろうか?

南スーダンの部族について書かれた民族誌についてはたくさん読んだけれども、今現在南スーダンで起きていることが知りたい!

今の世界で起きていることに関わりたい!!!と。

 

 

一流との交わりは、自分の奥深くにある思いを揺さぶるのです。

 

 

その後、4年間も南スーダンで働くことになるとは全く想像もしてみなかったのでした。

国連で働いて学んだことー「問い」を持つことこそが運を上げ、才能を引き出してくれる❗️

若い人たちは内向きなのではないー誤解をしているだけ

 

私は長年の海外勤務から日本に帰って来てから、気づいたことがあります。それは日本人の共感能力の高さです。当たり前のようにも思っている人が多いかもしれませんが、これは世界的に見ても非常に稀有な能力です。

 

これからの時代、感じるとる能力はますます求められていくと思います。

 

 

同時に、そのせっかくの共感能力が、ある誤解のために活かされていない、ケースも多いと感じます。

 

 

それは、問題とは解決しないといけないから、もし解決できないのなら取り組むことさえ無駄だ、という誤解です。

 

 

私は日本に帰ってきてから、若い人たちにもっと世界のことに関心を持って欲しいと思いました。

 

 

最近の若い人は内向きだと聞いたことはありましたが、それってなんでだろうと自分の中でも腑に落ちない部分がありました。

 

 

でも実際に若い人たちと接してみると、若い人たちは世界のことに関心はあるし、実はもっと知りたいと思っている、感じました。

 

私が南スーダンのことについて話すと興味を持って聞いてくれました。他人事のように聞こえるニュースには関心は持てなくても、身近な人が実際に体験したことには興味を持つ、と感じました。

 

 

そして、関心がないのではなく、すぐに解決できないことや、やっても無理そうなことは無駄、という意識があるように思いました。

 

 

そこには、問題には答えがあるはずだ、という根本的な思い込みがあるのかもしれません。

 

 

または、課題を追うよりも解決することの方が価値がある、という前提があるのかもしれません。

 

 

私はこれまで五人ほどのノーベル賞受賞の方と会議などでご一緒して、直接質問をする機会もいただきました。

 

 

ハーバード大学のケネディースクール行政院で生徒に最も影響を与えた教授に選ばれた先生から直接リーダーシップに関するトレーニングを受けたこともあります。

 

そうした人たちに共通していたのは、すぐには答えの出ないような問いに向き合い続けるという姿勢でした。

 

彼らが追ってきたのは、世界の平和や、平等、格差の是正などすぐに答えも成果もでないものばかりです。

 

 

そんな人たちに触れる中で、彼らだけが格段別格の頭脳や才能を与えられた訳ではなく、問いを追いかけ続けたからこそ彼らの中の能力や才能、ひらめきが引き出されたのだと思うようになりました。

 

 

問いを持つことは私たちの能力を引き出し、視点を引き上げてくれます。

 

 

私がオックスフォード大学大学院から奨学金をもらえたのは、「民族が違うだけで人はほんとうに争うの?」という自分の中で生まれた問いがきっかけでした。

 

 

 

今でもこの問いに対する完全な答えが出たとは言えません。

 

 

実際に、国連に入ってからも、現場での問題に触れる度にこのやり方でいいのだろうか?という問いに何度もぶつかりました。

 

それに対しても決まった答えはありませんでした。

 

でも、その問いがあったからこそ、現場へ行き、自分の目で見て感じ、いろいろな人に会い、そして国連や米軍で働くなどいろいろなことを体験させてくれました。

 

現場で自分が見て感じたこと、体験したことの全てを含めて自分なりの答えや結論を出していくという大きな機会をもらったのだと感じます。

 

 

そういう意味では、私の仕事の本質は、問い続けることだったのかも知れません。

 

紛争地での勤務と聞くと、「さぞかし、大変だっただろう」と思われるかも知れませんが、私にとっては、ある課題を追求・探求できるということ自体が「プライスレス」な体験でした。

 

問い続けることは、私に湧き出る力、そして「運」もくれました。

 

 

私たちが何かの答えを求めるとき、その方が一直線で一見効率がよさそうに見えます。

 

 

この問題に対してピンポイントにすぐに答えが欲しい、という場合ももちろんあると思います。

 

 

 

問いを持つことは、答えをくれると同時に、その人の理解や視点全体を底上げしてくれます。

 

 

 

 

問い続けることは、自分の中の勇気や底力を呼び覚ますことでもあるのです。