一流はたった一文のために本を読む。 優等生は最初から最後までちゃんと読む。

一流は自分が知ることを先に決めて本を開きます。

 

自分に必要な一文を探すためにページをめくります。

 

それを学んだのは、オックスフォード大大学院でのチュートリアルでした。

 

チュートリアルとは、教授と学生が1対1、もしくは1対2で対話をしながら学んでいく個人指導でした。

 

アメリカの大学が授業でのディスカッションへの参加と毎週出される課題を中心に進んで行くのに対し、オックスフォードではこのチュートリアルこそが日々の学びのメインであって、講義の数自体もそんなに多くなく、講義はチュートリアルを補完するものとしての位置付けでした。

 

オックスフォード大学といえば、最新の世界の大学ランキングでは堂々の1位になりましたし、ノーベル賞の受賞の数も世界トップクラスです。

 

(世界の大学ランキングは、中国政府が世界の大学ランキングをビザ申請のポイントに加算すると発表したことでも話題になりました)

 

 

学生は、チュートリアルの前に資料(文献)を読み、そのテーマについてどんなことが言われていて、何が大切だとされているかについてまとめ、小論文という形で課題の質問に答えます。

 

文献の量は、1週間で20冊~50冊位のリストが渡されます。

 

オックスフォードでは、この作業を一年で、一学期8週間×3学期=計24回を繰り返します。

 

それだけ聞くと、さすが頭がいい人は読むのが早いんだろう、それだけできるんだ、と思われるかも知れません。

 

ここでのポイントは、そうではありません。

 

頭がいい人というのは「読み方」を知っているのです。

 

頭がいい人は、必要なところだけを読みます。

本は最初から最後まで読みません。

自分が知る必要があることは何か?と先に決めて、目次を読んで、あたりをつけてそこから読みます。

 

それがなんとなく分かったら次の本を手に取ります。

そして同じことを繰り返して、仮説を検証していくのです。

 

私が入学したばかりの頃は、1冊目の本にかなり時間をかけていました。

 

そして、提出まで残り2日しかないのに一文字もかけてない、しかも、何が結論なのかさっぱり検討もつかない!

 

読んでもわからないのは自分だけなんじゃないか?と、

途方にくれて泣きたくなることが沢山ありました。

 

ただ、そんな作業を毎週続けてようやく分かりました。

 

単純にそれでは間に合わないのです。

 

できないと落ち込むのではなく、読み方を変える必要があったのです。

 

 

最近、「考える力」に教えて欲しいと言われたので、考える力についてどんなことが言われていて、何が大切なのか調べたいと思って、まとめて15冊くらいはざっと目を通しました。(チュートリアルと一緒ですね)

 

思考法、クリティカルシンキング、質問する力、などのタイトルでした。

 

その中の数冊はパラパラ開いて1分でおしまいになりました。

その中の数冊は一冊につき、30分くらいかけて目を通しました。(付箋が3つくらいついてメモしました)

その中の2冊はジムでバイクで6キロ走りながら30分で読みました。

 

その中でも、じっくり読みたいと思ったのは一冊。数時間かけて楽しみました。

 

 

もちろん、カフェで本を片手にのんびりしたいという時に読む本もあります。

寝る前に読む本というものもあって、こちらは読むと精神が落ち着くような一日一章じっくり味わって読むようなものです。

 

 

ここでお話ししているのは、限られた時間内になんらかのアプトプットをしないといけない場合のことです。

 

これは、社会人の仕事のやり方にそのまま当てはまります。

 

大量の仕事が目の前にあるときに、これを真面目に最初から最後までちゃんとしたいと思ったら終わりません。

 

残業が続いて、自分をすり減らすことになってしまいます。

 

これを終わらせるために、ぜったいに外してはいけないポイントは何か?を先に見極めることが大切です。

 

そして、それに自分しかできない付加価値を加えられるとしたらなにか?自分にしか言えないこと、自分にしかできないことは何か?を自分に問い続けることです。

思考法と思考の整理 ー なぜ「考えられない人」が増えているのか?

最近、考え方について教えて欲しいと言われました。

 

確かに、考える方法についての本がたくさん出ています。

私はある会員制のライブラリーの会員ですぐに話題の新刊に触れるので、けっこう敏感です。

 

 

この写真は、この2週間だけで目にした「考える系」の書籍です!(びっくり)

 

 

確かに、考えられない人が増えている、とよく聞きます。

なんでも、ググッてなんらかの情報が得られるからでしょうか。

 

AI(人工知能)の時代が始まっているのをリアルに感じ始めてるからでしょうか?

今の教育と社会や企業のニーズがあってないとも聞きます。

 

詰め込み式の暗記教育は今の問題を解決できない、とも言われなす。

今の問題は複雑すぎて、今までの知識の延長で答えがでるわけじゃないからです。

 

 

しかも、問題が複雑になればばるほど知識の価値は下がる、という公式があります。

それは本当にその通りだと思います。

 

世界が複雑になると知識の価値は落ちる

 

⏫ Q思考より

 

では、「考える」ってどういうことをいうのでしょうか?

 

それに答えるために、そもそも「考えてない」と言われる現象はどういうことなのかを見てみたいと思います。

 

ー今までと同じことしか出てこない

ー頭がからっぽになる

ーモヤモヤしたままで思考停止状態になってしまう

ー会議で意見を求められても無難なことを言ってしまう

ーここではこういう意見が求められているだろうと思われていることを言う

ー答えはこうだろう、先生はこういう答えを欲しているだろう、という意見を言う

ー思っていることが口に出せない

ーこんなこと言ってもいいんだろうか、と自分の意見を引っ込めてしまう

ーどうせ私の意見は大したことないし、と思ってしまう。

ーマニュアルじゃないことは答えられない

 

 

さらに、それを掘り下げてみます。

それってどういうことでしょうか?

 

ー視野が狭い(同じ延長しか考えられない)

ー教えられたとおりにしかできない(自分で判断できない)

ー自分の意見を表現する自信がない

ー自分の意見を否定されるのがこわい

ー自分の意見が大したことないと言われるのがこわい

ー感情がモヤモヤとなって見えなくさせている

ーさめてる

ー諦めてる

ーどうでもいいと思ってる

ー不安でいっぱい

ー失敗するのがこわい

ーこうであるべきだという自分の中の理想像や完璧主義で自分を縛っている

ー対立や摩擦がきらい

ー他人に合わせているので自分の意見がわからない

 

 

その原因は?

ーいつもこうやるべきだというやり方を教えられてきた

ーピラミッド型の組織で自分の判断を求められることがない

ー自分の意見が本当に尊重された体験がない

ーただいろんな意見があってもいいという場を体験したことがない

ー自由にみんなが意見を出してそれが一つのより大きな答えを生み出す体験をしたことがない

ー正解があると思っている

ーお手本がどこかにあると思っているから考えるのをやめてしまう

 

思いついたことをブレスト的にリストアップしてみました。

 

ではどうしたら自分で考えられるようになれるか?

 

なかなか深いテーマですが、続けて書いていきたいと思います。

変化の激しい時代こそいかに学ぶか②: オックスフォード流「考えるステップ」

 

この変化の早い不確実性の高いこれからの時代においてはもはや決まった正解はなく、正解のないような問いに対してどうやって考えるか・アプローチするかがますます問われるようになること、

そういう時代においては、一つの正解を求めるのではなく、

新しい解を導き出すための「考え方」(思考プロセス)を学ぶことがますます大切になるだろうとお伝えしました。

 

ではその考えるステップとはどういうものなのでしょうか?

例えば、オックスフォード大学のチュートリアルでは実際に何をどのように学ぶのでしょうか?

 

チュートリアルは、週に1回1時間程度、教授と学生が1対1もしくは1対2になって行われ、学生が、毎週与えられたテーマについて事前に調べ、そのテーマに対する回答を小論文として書いて臨みます。

 

チュートリアルでは、

そのテーマについてはすでにどういう事が言われていて(先行理論のレビュー)、

その点で大切だとされていることは何かをまとめ(論点の整理)、

課題の質問に答えることになります(議論の結論)。

 

1、これまでの論点をを理解し・整理し、結論を出す

 

毎週新しいテーマが与えられ、毎回新しい文献を読み、新しいテーマを理解し、整理し、言語化します。そのテーマに関する、それまでの何十年もの(何百年、何世紀もの)洞察の積み上げを、自分の言葉で表現していく作業です。小論文を通じ、これまでの研究では何がすでに明らかになっていて、何が重要なのか、まだどんな課題があるのか、について全体を構成し、結論を出します。

この作業を一年で、一学期8週間×3学期=計24回を繰り返します。

 

2、その結論にいたったプロセスを確認する

完成した小論文を教授に渡し、チュートリアルが始まります。教授に質問されたことは主に三点でした。

 

「それはどういう意味なのか?」

「そこをもう少し説明してくれる?」

「どうしてそういう結論になったのか?」

(私、もしくは、もう一人の学生に対して)

 

「どうして」「なぜ?」と質問されることによって、

または説明を求められることによって、

 

不明確なところは明確にし、

意見の根元にある前提を確認し、

その結論にいたったプロセスを確認しています。

 

 

3、洞察を深める

その上で、一つの意見を掘り下げ、洞察を深めていきます。

このテーマに関して言えば、今の時点ではこうだけど、この点に関してはまだ足りない、という認識の上で、あなたはどう思う?「こういう意見もあるけど、それ対してはどう思う?」と、自分の意見が求められ、時には、自分とは異なる意見に対する意見が求められます。

 

4、何が分かっていて何が分かっていないのか?

そのような質問をされると、自分の中で理解できている時には答えることができても、理解が足りない時には上手く言語化できなかったり、説得力のある答えができなかったものでした。こうした質問のやりとりによって、どこを分かっていてどこを分かっていないのかが明らかになっていきます。

 

5、理解を「積み上げる」

オックスフォードでのチュートリアルでは、ある問いに対する答えや解が一つでないこと自体は問題にされません。

 

むしろ、

解は一つとは限らないこと、

誰も一人では理解を深めることは出来ないという前提の上で、

 

お互いに意見を交わし、自分とは違う意見についても聞くことによって、自分はなぜその結論にいたったのか、という自分の思考プロセスを確認する、という作業が求められました。

 

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⬆️ デービッド・パーキン学部長とクリスマスパーティーにてー授業がパブで行われたことも

 

理解や解はある日突然やってくる訳ではありません。「閃き」も、何千回、何万回もの地道な作業の延長にやってくると言われるように、この時の体験から「理解」とは「積み上げる」ものなんだと学んだように思います。

 

「考える」という作業にも「型」があり、

新しい解やオリジナルな解も「型」を経て到達すること、

一つ一つ成功体験を積み重ねていくこと、

 

そして、

多様な意見があってよいこと、

誰も一人では理解を深めることができないという前提は、

 

変化が激しく、不確実生の高い時代に生きる私たちに大きなヒントを示してくれているように思います。

 

(まとめ)

⭐️解はまったくゼロの状態から導き出すのではない。

⭐️ 新しい解やオリジナルな解にも「型」を経て到達する。

⭐️理解を積み上げる先に解がある。

⭐️解は一つとは限らない。

⭐️ 誰も一人では理解を深めることは出来ない。

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マイストーリー③就職活動で落ち込みミャンマーへ行くー私ってすっごいバカかも?!

私は恋に落ちていました。相手は大学のクラスメートの留学生でした。日本での留学を終え自分の国に帰った彼でしたが、私は学期中にアルバイトしたお金で、彼に会いにも行き、ご両親に好かれようと彼の国の言葉まで一生懸命練習しました。

「私、大学中退してここの大学に通うね!」と息まいて帰ってきたこともありました。

結局、「大学を卒業したらどこでも行っていいから大学は日本で卒業しなさい」、という親の助言に従いましたが、自分が逆の立場だったら本当に冷や汗ものです(笑))

 

そんな私も、もうすぐ大学4年生になろうとしていました。

 

さて、私は何をしたいのだろう?

 

リクルートスーツとバックといった外見はまず揃いました。

「とりあえず」エントリーシートを数十件記入し、筆記試験も受けに行き、面接も受けました。

「なぜ弊社に興味を持っていただいたのですか?」

採用の面接なら必ず聞かれるであろう質問なのに、上手く答えられなかったり、それなりに答えたと思ったのに不合格の通知を受け、さっぱり分からなくなってしまいました。。。

 

周りのクラスメートが内定をもらい始める中、日々「焦り」がつのる日々でした。

ここならと望みをかけていたJICAや協力隊にも落ち、自信はさらにガラガラと崩れ落ちていきました。。。

 

就職スーツを初めて着た時には紅葉深まる秋だったのに季節は一週しようとして、秋から冬に、桜が咲き、内定が一件もないままついに夏になりました。

 

一人取り残されたような気持ちで、日本から逃げ出し気持ちで、ミャンマーに出かけました。

ともかくどこか違うところに行きたいー心の中は泣きそうな気持ちで一杯でした。

 

行きたかったパガンというクメール遺跡の地で、美しい遺跡がポツポツと目の前にいっぱいに拡がっているのを毎日一日中ただ眺めていました。

 

一日ただ遺跡を眺めていました。

次の日もただ遺跡を眺めていました。

次の日もただ遺跡を眺めていました。

 

3日を過ぎたくらいの時に何か特別大きなことが起きたわけでもなんでもないのだけど、

ふと気づいたのです。。。

 

ああ、私国連で働きたい。。。

ただ自信がないのでそれを「封印」したまま就職活動を始めたものの、落ちてすっかり自信をなくしてしまったことを。

 

単純に思いました。

国連で働くなんてどんな確率で可能なのかさっぱり分からないけど、そんな叶うかどうかも分からないことにチャレンジしてみたい。

ハハハ、私ってすっごいバカかもしれない。

しかも、すっごい頑固。

でもなんかしょうがないな。

南国の風に助けられたからか、いい意味で「諦める」ことにしました。

 

ミャンマーから帰ってきて、すぐに親に伝えました。

国連で働きたいと思ってること、国連で働くには大学院に行く必要があるからイギリスの大学院を目指すこと、日本で就職はしないこと、ただ、国連という組織はいろいろな国の人が働いているところなので、海外で働くという体験が将来ぜったいに役に立つと思うので、大学院に入る前に海外でのインターンを探す、と。

 

緊急会議が開かれました。

周りに国連で働いてる人はいるのか?

その国連っていうのはどうやって入る仕組みがあるのか?などと質問をされました。

 

質問をされても、科学的にも理論的にも説得力ある説明ができません。

当時はFacebookもなく、ネット上の情報も限られていて、

今ほど「国連」がキャリアの一つとして認識されているわけでもなく、

大学の就職課でそんな話しができる感じでもなく、

 

私にとっての唯一の頼りだったのは、

「明石康国連に生きる」と「カンボジア元気日記」という国連ボランティアの人の手記とアルク出版の「国際協力ガイド」だけだったのです。。。

 

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「緊急家族会議」が結論に近づいてきました。

「そんな夢みたいな事を言ってないで就職しなさい」。

 

 

かくして、

娘と両親は、同じ家に住みながら卒業までほぼ半年も口を聞かなくなってしまったのでした。

 

さて、私の方は、さっそくアイセックという団体での海外インターンに申し込むことにしました。

 

アイセックとは元々ドイツで始まった学生団体で、世界中にある受け入れ企業と、世界中にいるインターンを希望する学生をマッチングさせる団体でした。

 

インターンと言っても、数ヶ月~一年以上フルタイムでその企業の一員として働き、生活費ももらえるので職種や業界によってはかなりやりがいのある仕事ができるという仕組みでした。

 

英語の試験を受け、

異文化の適応力があるかなど簡単なインタビューの要件を満たしたら、

こちら側のバックグランドや希望を伝え、

企業のオファーを待ち、

互いに希望がマッチングするかを確認するという流れです。

 

私が応募していた時期はちょうどインドのITブームが始まりかけていて、

インドのバンガロールがいいとか、IT系・技術系の人も多かったのですが、

私の目的は多国籍な環境で働くための体験だったので、

「対人的な仕事」であれば国はどこでもよい、というなんとも大雑把な希望を出しました。

 

さて、再び季節は巡って再び秋です。風が冷たくなってきたなあと思えばもう卒業まであと3ヶ月半しかありませんでした。

就職活動に落ち「退路」を断たれた状況でもあったので、私にとって、大学院入学が「最後ののぞみ」をかけた「一大プロジェクト」になりました。

 

まず、直面した現実。

今のままでは成績がギリギリなので今期はなんとしてでも成績をかなり上げる必要があること、

苦手なマクロ経済が必須科目として残っていること、

英語力(スコア)を短期で上げる必要があること、

合格するには小論文と志望動機が重要であること、です。

 

もうかっこつけてる場合じゃありません。

私は毎日大学の図書館に通い詰めました。

 

最近まで教室の後ろの方でつまらなそうに授業を受けていた人が、

突然、まるで別人のように最前列に座り質問までし始めるのです。

苦手だったマクロ経済を最優先にして必死にがんばりました。

(やればできるじゃん、と自分で自分にツッコミを入れたくなりそうです(笑))

 

大学院に行くためにモーチベーションを保つことも大切でした。

この時に考えた私の「作戦」は、面白しろそうな大学院の科目を聴講させてもらうことでした。

あるイギリス人の先生を訪ね、断られるのを覚悟で直談判に行きました。

 

「私、今度イギリスの大学院に行こうと思っています。

以前受けた先生の授業が面白しろかったので、出来たら大学院の授業を聴講させていただきたいと思っています。課題もちゃんと読んで参加します。」

 

。。。

 

一瞬間が空いた後で、「いいよ。」とのお返事。(ほっ)

 

この先生の授業は面白く、合格するかどうかも分からない大学院応募のモーチベーションを保つのにとても役立ちました。

同時に、留学生も交じりながら少人数で議論が行なわれていく空間に身を置きながら、もしかしたら私でも大学院に行けるかも。。。段々とそんな気がしてきたのでした。

 

大学院の相談にものって頂きました。

ある日、志望動機を見てもらった時のことです。

 

「なんでオックスフォードには願書を出さないの?

ロンドン大学もオックスフォードもそこまで変わらないし、受験料はタダだよ。」

 

へっ、そうなの???

オックスフォードってあの皇室の方が行くところじゃなかったっけ?

 

まず、海外の大学院に行こうと思った時に、アメリカではなくてイギリスを選んだ大きな理由は「期間」と「費用」でした。

アメリカで大学院を終了するのは2年間かかるのに対し、イギリスでは一年で終わること。授業料も生活費も一年多いだけで全然変わるので、資金面での理由でした。

そして、次の選択ポイントは学部でした。

国連で働くには、国際関係が有利なのか、経済学が有利なのか?そんなことも考えましたが、私は好きな科目と苦手な科目の成績の差が激しいタイプだったので、有利そうだけど苦手そうな科目を選ぶという選択はあまり合いそうもなく、勉強した分野は仕事には直接あまり関係ないので自分が好きで得意な科目を選べばよいというアドバイスに従い、社会学・人類学を選びました。

 

 

そして、大学院の入学のために大切な一つが志望動機でした。

ボスニアでの民族紛争やルワンダでのジェノサイドがショッキングだったこと、私の中には「民族」や文化の差が紛争になる時はどんな時で、それはどうしたら防げるのか?という関心がありました。

「民族」や「紛争」という現象について人類学・社会学的な視点から検証することはきっと必要とされると思う。そして将来、国際機関で紛争予防にかかわれる専門性を身につける事が私が大学院で勉強する目的ですーそれがそのまま志望動機になりました。

 

英語の筆記テストのスコア、英文成績表、推薦証、小論文、志望理由の一式が揃った時には、思わず封筒に向かって手を合わせました。

 

後は結果を待つだけ。

卒業まであと3ヶ月でした。

さて、大学院の通知とインターンの結果を待ちながら最後の学期の試験とレポートの季節がやってきました。

以外なところから「最後の関門」がやってきました。

15年も飼っていた愛犬が、急に体調を崩しはじめ、動物病院の先生から「もう先は長くないかも知れない」と言われたのです。

最後のレポートを提出しないといけない、それでないと卒業できないというまさにそういうタイミングで、側で見守る中亡くなりました。。。(涙)

泣きはらした顔のままなんとかかろうじて書き終えたレポートを提出して、ホッとしたのを覚えています。

 

そして、朗報とは突然やってくるようです。

 

インターンの受け入れ先として興味を持ってくださったドイツの会社の社長さんが日本に来るので面接がてら会いたいとの連絡を受けました。きさくにおしゃべりが進み、ぜひお越しくださいとのこと。採用決定です!

そして、大学院からも合格通知が届きました!

なんと「奨学金の受給候補者になったので、数日中に面接を受けてください」とのニュース付きでした。

 

全く予想外の展開でした。

 

なんで人類学を勉強したいのですか?

なんでオックスフォードで勉強したいのですか?

卒業後は何をしたいのですか?

 

就職活動の面接も無駄じゃなかったかも知れません。

今度はスムーズに応えることができました。

結果は合格。

 

あまり知られていませんが、外国人にとっては、オックスフォード大学は大学院に入る方が門戸が広くなります。世界的な大学として、多くの国からの学生が集まることを一つの大きなアピールポイントとしているため、奨学金を出して各国から留学生を集めるためです。ちなみに、2006年度で138カ国から学生が集まり、大学院では63%が外国人留学生です。

オックスフォード大学留学生比率

 

さっそくイギリス人の先生に報告をしました。

とても喜んでくれました。

 

そして、ようやく両親にも報告できました。

今なら分かります。

親は自分たちの体験や想像を超えたことは単純に分からないこと。

そして、ある意味「通過儀礼」だったと。

反対することを通じて、親はあなたはどれだけ本気なの?と私にチャレンジを課すという「役割」だったこと。

 

私はこの体験を通して、

仕事の場や機会は日本だけを見ていたら「ない」ように見える時でも、

日本の「当たり前」は世界では必ずしも「当たり前」ではないこと、

世界に目を拡げたら全く違う大きな機会が目の前に開けること

そして、

道は拓けることを体験したのでした。

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マイストーリー④ 日本生まれ日本育ちの私がオックスフォードに入る

ボスニアやルワンダで民族紛争と虐殺が起きた5年後、私はオックスフォード大学院に入学しました。

専攻は社会人類学(Social Anthropology)です。

オックスフォード大学と言えば、数々のノーベル賞受賞者や首相や哲学者を生んだところ。大学内には博物館のようなところさえあります。

 

わたし授業についていけるんだろうか?

どんな人達がいるんだろう?

どんな勉強するんだろう。(ドキドキ)

 

緊張と興奮が混じり合った気持ちで、9月のある日、ロンドンのヒースロー空港からバスに乗って、オックスフォード大学のキャンパスに到着しました。

ここはどこ???

目の前には、まるで中世にタイムトリップしてきたかのような世界が広がっていました。

 

Sheldonian_Theatre_Oxford

 

オックスフォードにはいわゆる大学の校舎というものがありません。キャンパス一体には、学部とカレッジなどの石作りの建物と普通の家が研究室になったような建物が点在しています。学生はカレッジと学部の両方に所属し、基本的にはカレッジが提供する寮で暮らし生活をしながら、研究をしに学部に通います。

古いカレッジになると創立は12世紀とされ、それはまさに「ハリーポッター」の世界です。

 

その象徴の一つが、カレッジのホールで食事をするというフォーマルディナーと呼ばれるものでした。そのディナーでは、教授たちが「ハイテーブル」という一段高いテーブルに並び、全員がガウンを着て、食事の前には、ゴーンとゴングが鳴り、ラテン語で「グレイス」と呼ばれるお祈りをしてから食事をするという伝統がありました。全員が横長いテーブルに席に着き、スープからメインからデザートからコーヒーまで付くフルコースです。

 

 

ドレスコードはガウンと以下のようなものでした。

男性: 白蝶ネクタイ、白シャツ、黒スーツ、黒靴下、黒靴。

女性: 黒リボン、白ブラウス、黒スカート又はズボン、黒タイツ、黒靴。

オックスフォード入学式②

⬆️ 入学式にて。フォーマルディナーにはこのガウンを着て参加する。

 

このディナーはオックスフォードの特徴の一つで、いろいろな学部の教授や学生(修士と博士課程)たちが隣合わせで食事をすることで、自分の研究に多様な視点を取り入れることができる効果があると言われています。

教授と学生が一緒に食事をすることも、多様な視点を取り組むこともおおいに賛成!

 

ただ、あのー、もう21世紀だという時代に学ぶ私としては、ぶっちゃけ「違和感」もあります。

 

あのー、「ハイテーブル」って今でも必要なんでしょうか?

あのー、ガウンぶっちゃけ面倒くさくないですか?

もう制服とは一生おさらばしたと思ったのに。。。やれやれ。

 

実際、そう思う現代人は少なくないらしく、彬子女王殿下でさせ「赤と青のガウン オックスフォード留学記」の中で、もっと表現はもっと穏やかでも似たようなニュアンスのことをおっしゃられているのを発見した時、わたしは皇室に大きな親近感を覚えたのでした(笑)。

 

これでも私の所属していたカレッジはかなり簡素化されていたらしいですが、よくも悪くも「伝統」というものの力を感じたものです。

 

ただ、多様な視点をお互いに交換できる環境や仕組みがあるというのは学校や学生全体にとってとても大きなメリットだと思いました。

 

私がとてもワクワクしたのは、学部と寮がまさに「多様性」だった点でした。

オックスフォードの教員の41%は100ヶの国や地域の出身者で、留学生の出身国は140の国(と地域)にのぼり、大学院では62%がイギリス以外の国からの留学生です。

 

4階建ての一軒家が「寮」となりました。ハウスメートは、ポルトガル系アメリカ人、インド系イギリス人、中国人、タンザニア人、スリランカ系イギリス人とイギリス人夫婦、そして日本人の私でした。

オックスフォード寮

⬆️ 寮のハウスメートたち。楽しみは一緒にご飯を食べること

毎日、本を読んで小論文を書くことの繰り返しの生活。私たちの大きなの楽しみは一緒にご飯を食べたり、外に食べに出かけることだったのですが、これだけの人たちが共同生活をするのです。時には、キッチンの使い方でけんかもありました。

「また、『あのタンザニア人』キッチン汚しっぱなし。」

「なに、『あの日本人』いつもうるさい」

かくして、私の「民族紛争」に関する研究は寮のキッチンが現場の一つになりました。(笑)

 

私が所属した社会人類学学部(Faculty of Social Anthropology)は、学部の性質上、おそらくオックスフォードの中でも一番多様性(国籍)が高い学部の一つだったと思います。人類学部のクラスメートは、トルコ人、エジプト人、パキスタン人、マリ系フランス人、イギリス人、日本人、インド人、インド系南アフリカ人などでした。

 

学問柄、旧植民地の人たちが多く、そして、当時わたしが日本では聞いたことのないような、リアルなその国の問題が議論されることが多く、最初は日本では聞いたことのない話しばかりで本当にびっくりしたのでした。

 

パキスタンから来た二人の女性の留学生は、奨学金をもらえないと留学できないという国だけあって、二人とも優秀かつ賢明な女性で、一人は、「honor killing」と呼ばれる、婚前交渉・婚外交渉を行った女性は家族全体に不名誉をもたらすという理由で、この行為を行った女性の父親や男兄弟が家族の名誉を守るために女性を殺害する風習についてをテーマにしていました。

(うわー、すごい勇気あるなあ)

インド系の南アフリカ人の女性は、アパルトヘイトが終わり、マンデラ大統領が大統領任期を終えたばかりの南アフリカのことを、「大統領は素晴らしい成果をたくさん残してくれた。ただ、南アフリカでの人種の断絶や暴力の種はまだ大きいの。私たちの国の本当の将来はこれから。」と言っていました。

 

私が人類学を志望した理由ー

それは、ボスニアでの民族紛争やルワンダでの虐殺がショッキングだったことから、民族や人種が違うとなんで争うのか、民族の違いが紛争になる時はどんな時で、それはどうしたら防げるのか?ー「民族」や「紛争」という現象について人類学・社会学的な視点から検証すること、そして民族や宗教の違いを争いの素にするのではなく、多様性にすること。

私は、さっそく、彼女たちの口から語られるリアリティーに圧倒されそうになりました。

 

そして、オックスフォードで、もう一つびっくりしたのは、学生と教授が1対1もしくは1対2で議論をしながら学んでいくチュートリアル(個人指導)というシステムでした。アメリカの大学や大学院が授業(議論)への参加と小論文の提出など授業と課題中心で進んで行くのに対し、オックスフォードでは一対一の指導が授業そのもので、授業の数自体はそんなに多くなく、チュートリアルを補完するものと考えられています。

チュートリアルには、週に1回、1時間程度、学生は、毎週与えられたテーマについて調べ、小論文を書いてのぞみます。

 

1週間で20冊位の文献リストが渡され、

そのテーマについてはすでにどういう事が言われていて(先行理論のレビュー)、

何がその点で大切だとされていることは何かをまとめ(論点の整理)、

課題の質問に答えることになります(議論の結論)。

 

言うは易し。

学期が始まるやいなや、キャンパスでは一斉に「メンタル・アスリート」のような生活が始まります。

①メンタルアスリート的生活: 読む・考える・書く

まず、20冊以上もの文献を読まないといけません。まず、図書館に行き、コピーマシーンの前に立ち続けながら、黙々とコピーの作業を始めるのが日課になります。当時はまだデジタル化されておらず、大量なのですぐに5千円のコピーカードが終わってしまうのにはびっくりしました。そして、課題のテーマについて読み始めます。

時には、何度も何度も何度も読み返します。だって、意味が分からない。。。でも、この本だけに時間はかけられない。。。ここのポイントは何なんだ?!今から残りの時間でどの本を読んで、どの部分に時間をかけて、何て結論をしたらいいんだろう。時には、自分だけが分からないんじゃないかと落ち込みながら(みんな一緒なのですが)、百年、何十年にもわたる引用と洞察の積み上げを自分の中で理解し、言語化するという作業の始まりでした。

②メンタルアスリート的生活: 伝える・議論する「なぜそうなるの?」

週一回のチュートリアルの日、徹夜明けの目をこすりながら、教授の部屋に行きます。自分の書いた小論文を読んでと促され、声に出して読みます。読み終わると、私の担当の先生は、あまり多くを語らない方でしたが、ぼそっと「これはどういう意味?」「そこをもう少し説明してくれる?」と一つか二つの反応が返ってきます。課題に対する洞察が足りない場合や全体の展開が甘い場合はその点を指摘されたりもしました。

③メンタルアスリート的生活: 私は今何が分かっていて何が分かっていないのか?

先生によってチュートリアルの雰囲気も内容もかなり変わるらしいのですが、一旦その週の課題を終えて、ホッとするも、答えがあったようななかったような、自分の中で理解が進んだような進んでいないような、大きな雲をつかむような作業が果てしなく続くように感じたものでした。

私は、「解のない問い」に向き合い自分なりの解を導き出すために必要な、「理解を積み上げるための作業」の真っ只中にいました。

そんなチュートリアルをこなしながら、同時に自分で試験の準備をしないといけません。年度末の試験で不合格になった場合、追試はなく、退学しかないという制度は私に大きなプレッシャーとしてのしかかりました。

 

毎週「本の山」と格闘。毎回ぎりぎりまでこの抽象的な議論をどう結論づけるのかに頭を悩ませ、徹夜で仕上げるのも珍しくなく、チュートリアルを楽しむ余裕はなかったのですが、

このチュートリアルは、文献や理論にもとづき議論を展開するという訓練であると同時に、

 

基本的には、正解を求めるというよりは、先人の歩みを追いながら自由に考え、新たな考えを導き出す考える過程(思考プロセス)を習っていたのだと思います。

 

今思えば、「どんなテーマでも本質的に考えることを常に追及して良い」というオックスフォードの雰囲気は、私に「自分でテーマを切り開き追求する楽しさ」、「多様な視点があってよいこと」、「解のない課題に対して考える姿勢」の土台を身につけさせてくれたように思います。

 

そして、授業が始まりました!

まず、基本課題の文献リストにびっくりです。

 

ほとんどが20世紀の文献で始まるのです。

オックスフォードの人類学は、20世紀はじめに南スーダンの部族を研究し有名になったイギリス人の人類学者であるエバンス・プリチャード(後に伯爵)が学長をつとめていた所ですが、彼の書いた南スーダンのヌエル族に関する民族誌が必須文献の一つでした。

ただ、これが1940年に書かれたとは思えない位、今現在の世界での現象にも本質的に当てはまることに驚きます。エバンス・プリチャードの著書「ヌエル族」にこうあります。

「集団との対立においてのみ、彼は自分がある集団の成員であることを認識する。」

自分たちに近ければ近いほど、ヌアーは相手の民族に近親感を抱くと同時に、容易に敵対関係にも入り、また融和することもできる。

 

簡単に言うと、部族や集団のアイデンティティーというのは、一人で確立されるものではなく、誰かとの関係において決まるものであり、人がどの集団のアイデンティティーを強調するかどうかは、その時の政治的な状況によって決まる、という訳です。

なるほど(!)、今、世界で見られる民族や宗教対立にも当てはまるように思います。

 

そして、同じ頃、前年に経済の分配と貧困・飢餓に関する研究でノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センがオックスフォードに講演にやってきたのでした。ホールはいろいろな学部の学生と教授で満席でした。

9歳の時に、200万人を超える餓死者を出した1943年のベンガル大飢饉でセンの通う小学校に飢餓で狂った人が入り込み衝撃を受け、同じ時期、ヒンズー教徒ととイスラム教徒との争いで多数の死者が出た記憶と、インドはなぜ貧しいのかという疑問から経済学者となる決心をしたと言われるセン。

経済学の中でも高度な数学論理学を使う牽引者でありながら、彼が言ったことはとてもシンプルながら、私の心に響きました。

 

経済学は数字だけを扱うのではなく、「共感性・関わり合い・利他性」(コミットメント)を重視し、弱い立場の人々の悲しみ、怒り、喜びに触れることができなければそれは経済学ではないと。

 

学生から出た質問に丁寧に応え、どこからの教授から出た難しい質問にはとても単純に応えていたのが印象に残りました。

 

真実や本質というのは多分とてもシンプルなものなんだー

 なぜかそう感じました。

 

Amarthya Sen.jpg

 

そして、私の中である思いがさらに大きくなっていました。

さて、人類学や社会学という視点が民族紛争の解決や予防に役に立つことは自分の中で確信した。

 

では現場ではどんなことが議論されていてどう扱われているのか?

20世紀始めの出来事じゃなくて、今現在南スーダンで起きていることが知りたい!

今の世界で起きていることに関わりたい!!!

 

その後、4年間も本当に南スーダンで働くことになるとは全く想像もしてみなかったのでした。

 

マイストーリー⑤初めての国連面接ー電気のないところで暮らせますか?

マイストーリー③私ってすっごいバカかも知れない!

話さないスピーチ⑨ 講師は全部知っていなくていい?!

スピーカーや講師という立場としてのプレッシャーを感じている時によくあるのは「全部知っていなければいけない」という思い込みです。

 

私自身、講師としてあるコースの準備をしていた時、いくらやっても準備が終わっていないような不安な時がありました。

 

「これを聞かれたらどうしよう?」

「これについても調べておかなきゃいけない。。。」

芋ずる式にどんどん出てきて、さっぱり準備が終わりません。

 

「でも、これが相手が知りたいことなんだろうか?」

さすがに真っ当な疑問が湧いてきます。

 

そもそも相手が聞きたいことは何だろう?

これを抑えればこのコースのポイントは抑えたと言えるポイントは何だろう?

(8:2の法則)

 

全てを知っていなければならないと思うと、大きなプレッシャーになりますが、全てを知っているのはそもそも無理ですよね。

 

相手があるトピックに関する知識を求めていて、それをこちらが知らない場合には、単純に調べてお伝えします、と答えても問題はないものです。

 

相手はあなたという人の体験や、あなたならこの課題についてどう考えるのか、を知りたいと思っていることも多いので、そうならば、そのトピックに関する自分の考えをお伝えすればいいですね。

 

earth observatory

海外に行きたいのに親に反対されたら(7)

さて、大学院の通知とインターンの結果を待ちながら最後の学期の試験とレポートの季節がやってきました。

以外なところから「最後の関門」がやってきました。

15年も飼っていた愛犬が、急に体調を崩しはじめ、動物病院の先生から「もう先は長くないかも知れない」と言われたのです。「犬」だけれども、15年も一緒にいた家族の一員。ショックで心配で全くレポートが進みません。

最後のレポートを提出しないといけない、それでないと卒業できないというまさにそういうタイミングで、側で見守る中亡くなりました。。。(涙)

一晩中泣きはらし、信じてもらえるか分からないけれども、先生に直接会って説明するしかないと思い、泣きはらした顔のまま締め切りに遅れた訳を説明しました。幸い先生は何も言わずにレポートを受理してくれました。

理想を言えば、最後はもう少しいい成績で終えたかったけれども、無事に最後の提出物を終えることができてホッとしたのでした。

 

そして、朗報とは突然やってくるようです。

 

受け入れ先として興味を持ってくださったドイツの企業の社長さんが日本に出張に来るので面接がてら会いたいとの連絡を受けました。きさくにおしゃべりが進み、ぜひお越しくださいとのこと。採用です!

そして、大学院からも合格通知が届きました!

なんと「奨学金の受給候補者になったので、数日中に面接を受けてください」との予想外の嬉しいニュース付きで。

全く予想外の展開でした。

 

なんで人類学を勉強したいのですか?

なんでオックスフォードで勉強したいのですか?

卒業後は何をしたいのですか?

 

就職活動の面接も無駄じゃなかったかも知れません。

今度はスムーズに応えることができました。

結果は合格。

 

あまり知られていませんが、外国人にとっては、オックスフォードは大学院に入る方が門戸が広くなります。世界的な大学として、多くの国からの学生が集まることを一つの大きなアピールポイントとしているため、奨学金を出して各国から留学生を集めるためです。ちなみに、2006年度で138カ国から学生が集まり、大学院では63%が外国人留学生です。

オックスフォード大学留学生比率

 

さっそくイギリス人の先生に報告をしました。とても喜んでくれました。

それ以来、似たような立場の人に会ったら私も肩を押してあげられるようになろうと思えるのはこの時の体験があったからです。

 

そして、ようやく両親に報告できました。今なら分かります。

親は子どもには苦労して欲しくないーだから安全や安定を優先するもの。

自分たちの体験や想像を超えたことは単純に分からないこと。

そして、ある意味「通過儀礼」だったと。

反対することを通じて、親はあなたはどれだけ本気なの?と私にチャレンジを課すという意味で応援してくれていたこと。

 

私はこの体験を通して、

仕事の場や機会は日本だけを見ていたら「ない」ように見える時でも、

日本の当たり前は世界では必ずしも当たり前ではないこと、

世界に目を拡げたら全く違う大きな機会が目の前に開けること

 

そして、

 

信じれば道は拓けることを体験したのでした。

 

あなたの努力が報われるときがきっと来ると信じています。

 

海外に行きたいのに親に反対されたら(了)