自分の中に目的や問いがある時、脳はそれに関連することや役立つことを常に探している

何かを検索するときに、集中している時ほど、一番初めに開いたサイトでまさに探していた情報をピンポイントでみつけることがあります。

 

 

逆になんとなくネットサーフィンをしている時には、最初何を見ていたのか忘れてしまうくらいに、気が付いたら数時間経っていたということがあります。

 

 

自分の中に目的や問いがある時、脳はそれに関連することや役立つことを常に探していると言われています。

 

 

問いや目的がはっきりしている時ほど、必要な情報に気づきやすいのです。

 

私も、連載原稿を書く時によくそういうことを体験しました。

 

原稿を書く時、まず最初に全体のテーマを考えます。だいたいの方向性が決まっ具体的な構成案を紙に書き出していくと、たまたまその時にセッションにいらしたクライアントさんからそのテーマに関して質問されたり、たまたま会った人との会話が自分が頭の中で思っていたテーマに及ぶ、ということがよくありました。

 

そしてそんな会話の中からヒントをもらったり、または、この方向でいいんだ、と確認をすることがあります。

 

そういった形でもたらされる情報やヒントは本当に多いのです。

 

これを偶然といえば偶然とも言えますが、私はそうは思いません。

 

問いや目的がはっきりしている時ほど、必要な情報に「共鳴」するとも言えるでしょうか。

 

これは大きなことから小さいこと、いろいろなことに当てはまるように思います。

 

今日1日の「目的」を決めます。

本を読む時に「目的」を決めます。

人と会う時に「目的」を決めます。

打ち合わせの「目的」を決めます。

ブログ記事を執筆する「目的」を決めます。

プレゼンの「目的」を決めます。

 

このような目的を先に設定することで大きな方向性を作ってくれます。

本当のおもてなしのために知っておきたいオリンピックの歴史ー1964年東京五輪参加国数から2016年リオ五輪でなぜ倍になったのか?

「パースペクティブ・テイキング(perspective taking)」という言葉があります。

 

自分の視点と考えから一旦距離をおいて、相手の視点と立場に立ち、相手の相手の思考のフレームワーク、価値観や感情を理解すること。

 

いったん相手の意見を受け止め、なぜ相手はあのような事を言うのか、と相手の視点で物事を見ること。

 

 

こうした力は、世界で活躍する人が持つ力としても挙げられるものです。

 

これは、相手のことを理解するのは大切です、というモラルの話しではありません。

 

相手と見ている全体像が違ったとしても、相手の立場から同じ状況を見て、そこから互いの共通点を探っていく能力は、いろいろな意見を建設的な方向に導くリーダーシップ能力としても捉えられています。

 

 

私は、ニューヨークの国連本部で仲裁(mediation)と交渉に関するトレーニングを受けたことがありますが、その中でも関係者の意見や見解を相手の視点で理解するということをはとても重要とされました。

 

 

 

さて、2020東京オリンピックに向けた施設負担の議論が連日続いています。

 

 

2020東京オリンピックは東京に住む人だけでなく、多くに人にとってエキサイティングなイベントなのは間違いないでしょう。

 

 

でも、私たちは相手国を迎える立場です。

主役は参加する選手の人たちです。

 

 

もう少し相手の視点に注目がされてもいいと思うのです。

 

 

ではそんな視点から質問です。

 

 

 

1964年 東京五輪に参加した国と地域はいくつだったでしょうか?

 

2016年 リオデジャネイロ五輪に参加した国と地域はいくつだったでしょうか?

 

 

答えは、 以下の通りです。

 

1964年 東京五輪参加国・地域=94

2016年 リオデジャネイロ五輪参加国・地域=207

 

2倍以上もの差があります。

 

 

さて、この差は何でしょうか?

この期間に何が起こったのでしょうか?

 

 

私たちが「おもてなし」できるためにも、どんな歴史があって、どんな人たちが参加するのかは知っておきたいところです。

 

 

答えは、

中東とアフリカの植民地の独立です。

 

 

例えば、

 

1952年4月 – 日本が独立を回復。

 

 

1956年 スーダンがエジプトおよびイギリスから独立。

1961クウェートがイギリスから独立。

1963年12月 – ケニアがイギリスから独立

1965年7月 – モルディブがイギリスから独立

1965年8月 – シンガポールがマレーシアから独立

などです。

 

アフリカの国のほとんどは、まだ独立していなかったか、または独立して間もなくてオリンピック委員会への登録などの制度が間に合わなかったという訳です。

 

 

今ではあんなに発展しているシンガポールの独立がたったの1965年だったということは今見ると少しびっくりします。

 

 

日本の独立回復もたったの1952年で、オリンピックは日本の主権復活を世界にアピールするものでしたが、世界の半分しか当時は参加していなかったことになります。

 

 

 

そういう意味では、アフリカを含め文字通り「世界の祭典」となったのはごく最近のことなのですね。

 

 

さて、ロンドン五輪には参加しなかったけれども、リオ五輪で増えた参加国の一つは南スーダンです。

 

南スーダンが独立する前には、南スーダン出身というだけで公務員試験すら受けらなかった歴史的背景があるので、いくら優秀でも紛争と南北格差・差別で出場できなかったかも知れません。

 

なので、彼らにとってリオオリンピックがはじめて自由に平等に参加できるオリンピックでした。

 

東京オリンピックのニュースも施設や予算のことが多いですが、当然ながら参加する人たちの歴史や体験、視点というのがあります。

 

 

本当の「おもてなし」のためにも、ホストされる側の視点や事情を学んでおきたいところです。

オックスフォードの教授との個人指導では一年間で一回も答えが言われない❗️じゃあ何を学ぶの?

オックスフォード大学の大学院ではあまり授業の数は多くはなく、チュートリアルと言われる教授との一対一の個人指導で一年間の学びが進められていく、というお話しをしたことがあります。

 

記事⇨ オックスフォード流「考える力」ー一流は何をどの順番に考えればいいのかを知っている

 

授業を受けずに一対一の個人指導を受けるという制度にもびっくりしたのですが、さらにびっくりしたのは、一年間で一回も答えが示されないことでした。

 

一年のうちに約24回ほど小論文を書き、教授とのチュートリアルの時間を持ちました。

 

その一年間、私は教授からこれが答えだ、というようなことを一度も聞くことがありませんでした。

 

こんなままで年度末の試験を受けて受かるんだろうか、という心配が何度も頭をよぎりました。

 

なぜなら、自分の答えが合っているかどうかが分からなかったからです。

 

正直、この間の期間はシンドかったです。

学生が年度末試験に向けて感じるプレッシャーは相当なものです。

イギリスの場合はいくら年度中に真面目に講義を受けていたとしても、最後の試験でできなければ修士号を受けられないからです。

 

 

 

何度も、教授に「答えは何ですか?」「これでいいんでしょうか?!」と聞きたくなったものです。

 

でも、自分の意見が正しいのか合っているのかは、誰も言ってくれません。

 

 

その替わりに聞かれるのは、決まって同じ質問でした。

 

「なんであなたはそう思うのか?」と。

 

 

これは私の担当教授がいじわるだったという訳ではなく、オックスフォード大学のチュートリアルの目的とは、

 

ある一つの「正解」を聞く・知る・学ぶためではなく、自分なりの意見をや考え方をつくっていくための訓練をする時間だったからです。

 

 

そもそも試験で出される問題にさえも「正解」は存在しなかったのです。

 

私の場合は、人類学という分野の背景や鍵になる先行理論を理解して、それを踏まえているかどうかは判断されますが、その上でどんな意見を述べるかには、正解はなく、基本的にその人の思考プロセスを確認するのが試験のポイントなのです。

 

これまでの学校教育では、決められた範囲の試験の問題に対して、一つの正解を出すのが勉強だとされてきました。

 

日本で教育を受けた私たちは、問題にはなんらかの「答え」が存在するものだと思っています。

 

でも、そうした勉強の仕方では私たちが直面する問題には対処できなくなってきました。

 

スマホとYoutubeの発達で人間が一日に接する情報量は数百倍~数千倍になり、少し前の「最新情報」はすぐに「最新」ではなくなります。そして、世界情勢の変化も早く、予測不可能なことが増えています。

 

これまで上手くいった方法が万能でもありません。より柔軟に問題に対応していくこと、そして新しいアイデアや解決法が求められています。

 

ますます私たち一人一人の考えが自分の考えを持つことが大切になっています。

 

考えるために私たちの頭を柔らかくして、自分で考え新しい発想ができるようになるためにまず理解するべきことは「答えは一つではない」という事実です。

完全に自信がなくても前に進めるー今世界中のエリートが切望している「◯◯の勇気」とは?

 

最近、二回続けて海外の友人からあのTEDトーク見た?と聞かれたTEDがあります。

このTED。なんと5年連続で全世界視聴総数がベスト5内にランクインし続けています。

 

日本では、彼女の二冊の本が両方日本語に翻訳されていて、一冊目は本田健さんによる訳書でベストセラー入りしています。

 

さて、その話題のテーマとは???

 

Power of Vulnerabilityです。

 

はて、Power of Vulnerabilityとは???

 

日本語にするのが少し難しい表現なのですが、

 

「生身をさらす勇気」とか「ありのままであることの力」

 

などと訳することができると思います。

 

 

とくに今時代が大きく変わりつつある中で、

今までの自分の小さな世界を超えて新しいことを始めたいと思う時、

まったく違う分野に足を踏み入れようとする時、

自分がまったく初心者として何かを一から始める時、にとても関係あります。

 

 

例えば、私も原稿を書こうとする時(ずい分と少なくなってきましたが)「この記事いったい誰が読むんだだろう」といった「ささやき」がやって来るのを感じていたからです。。。

 

 

他に「生身をさらす時」(vulnerableに感じる時)はどういう時かと言うと、

 

・昇進したけど成功する自信がない時

・愛していると伝えたけど、相手の気持ちが分からないとき

・妻・夫・パートナーをセックスに誘うとき

・新しいことに取り組むとき

・一般受けしない意見を言うとき

・新製品に何の反応もないとき

・3度流産した後で妊娠がわかったとき

・恋に落ちたとき

・自分の作品や文章を発表するとき

・離婚後初めてデートをするとき

・批判やうわさに立ち向かうとき

・家族をなくしたばかりの友人に電話をかけるとき

 

などです。

 

うんうん。本を読みながら頷いてしまいます。

 

グッドニュースは、心理学者として何千人もの人をインタビューし、それまでの10年にも及ぶ研究の成果と合わせて、彼女がこの「仕組み」を解明してくれていること、

 

そして、

 

これはほとんどの人が体験するパターンで、けっして一人だけの悩みではないということです。

 

では、こういう時の、人を悩ますパターンはどういうものでしょうか?

 

1、自分の価値と作品の評価が結びつくと思うと、人に見せようとしなくなる。

見せるにしてもリスクを減らすために、独創性や斬新さをそぎ落してしまう。心のままに生み出したものを差し出すのは、あまりにも大きな賭けだから。

 

2、期待通りの反応が返ってこないと、ぺちゃんこに潰れてしまう。

独創性をそぎ落とさずに見せたとしても、作品の評価がダメなら自分もダメ。フィードバックを求めたり、再挑戦したり、一からやり直すということもなく、心を閉ざしてしまう。「だからやめとけばよかったのに」、「あなたでは無理だ」とエゴが耳元でささやく。

 

では、周りから高く評価されればいいかと言うと、今度は「有能であれ、完璧であれ、人を喜ばせよ」という完璧主義の呪縛にはまって、自分を苦しめることになる。。。

完璧主義の呪縛については→ 完璧主義は向上心ではないー「人からどう見られるか」から「私はこれでよい」へ

 

見えないところで創造性やイノベーションを潰しているのはこうした不安や恥の意識だと言うのです。

 

誰でも傷つくのは怖いし、批判されたら腹が立つし、失敗したら恥ずかしい。

 

でも、ブレネー・ブラウンは言います。

 

このVulnerabilityから扉を閉ざすことは、人生の情熱や目的や意味を遠ざけることにもなってしまう、と。

 

なるほど。。。

 

こうしたことが言語化されていて、この悩みをもっている人が世界中にいること、TEDをよく見る人たちというのは、「教育レベルの高い人」「エリート層」が多いと言われている中でこのテーマ自体が5年連続で上位にランクインし続けているという事実に少し「ホッと」とします。

 

では、私たちはどうしたらいいのでしょうか?

 

ブレネーブラウンが、家庭、学校、企業などで5,000人以上もの人達にインタビューして、Vulnerabilityと創造性がどう作用しているかを研究して分かったのは、傷つく怖れを超えて、Vulnerabilityを力にできる人には以下のような共通点があるということです。

 

 

自分の弱みや限界を受け入れていること、

自分がどういう時に傷つきやすいかを認識する力を育んでいること、

積極的にフィードバックを求めること、

受け入れることの力があること、

失敗から学ぶ姿勢を持っていること、などです。

 

「不確実性」や「傷つく怖れ」は誰にとっても居心地の悪いことなので、何とかして避けようとします。

 

ある時は、何も感じないように自分の心を麻痺させてみたり、クールに装ってみたり、時には、先手を打って誰かを攻撃したり批判したり。。。

 

ブレネーブラウンは、弱みを受け入れることこそ本当の強さであって、それらの「精神的な武装」を捨ててこそ、

 

「Vulnerability」が、創造性やイノベーションの源泉になると言うのです。

 

 

このスピーチの後、彼女のところには、アメリカ中のCEOや企業から講演の依頼が殺到したそうです。

 

「Power of Vulnerability」は、別の言い方をすると「自分がありのままである」とも言えますね。

 

自分が自分の弱みも強みも受け入れ、自分が自分であれば、自然とそこから表現されるものがあって、自分であること自体が創造性やイノベーションを生むのです。

 

自分が自分であること、ありのままの力すごしです!

 

ブレネーブラウンのスピーチはこちら (日本語字幕付き)