イギリスEU離脱の根本にあるもの? 「少し想像してみて。隣の国には国境管理がなくて。。。」やっぱり行ってみて感じないとわからないこと

先月、出張で14年ぶりにロンドンへ行く機会がありましたが、久しぶりの印象がいくつかありました。

第一に、キャッシュレスが浸透していることでした。

一緒にいたある同僚は、そもそも成田空港で両替をするつもりもなく、実際、出張の8日間の間の買い物と食事の全てをクレジットカードのみで通していました。

 

第二に、いろんな国の料理・レストランが増えたことでした。

オフィスと宿泊先のあった「第二の金融街(シティー)」と呼ばれる高層ビルに囲まれた再開発地区だったのですが、繁盛していたレストランはトルコ料理だったり、インド料理だったり、タイ料理でした。

 

第三に、これはレストランが増えたという点とも繋がるのですが、移民というか、いわゆる白人以外の人たちが圧倒的に増えたという印象でした。

 

14年ぶりのロンドンで、その間にオリンピックもあったし、ロンドン市長はすでにパキスタン系イギリス人になって数年経つので、それは「想定内」のことではあったのですが、空港へ行くタクシーのドライバーの人はロシア系の人だったし、スーパーのレジや空港のチェックインカウンターの受付の人や空港で働いている人たちの7割以上が非白人系の人でした。

 

今回はパリ経由だったのですが、パリの空港でも事情はほぼ同じでした。

そして、ロンドンーパリ間のエールフランスの乗客も、7割近くが非白人系の乗客でした。

(旅行客というよりも通勤?住んでいる人のように見えました)

 

20年前もすでに「イギリス料理で一番美味しいのはインドカレーだ」などと言われていて、インド料理はイギリス社会にすでに浸透していていたように、旧植民地のとくにインド系やパキスタン系の二世の人たちが社会の第一線で活躍し始めていましたが、トルコ系の人たちはこの20年の間の新しい移民の人たちなのだと思います。

 

ロンドンでもニューヨークのようにまではいかないけれども、SUSHIやみそ汁やうどんなどが普通のモールの中の小洒落たお店で食べることができるのは私みたいなたまに訪れる人にとっては有難いし、いろんな国の料理を食べられるようになって嬉しいけれども、気になるEU離脱(BREGXIT)に関するイギリス人の本音については、こんな声も耳にしました。

 

「君も、少し想像してみて。隣の国から国境管理もなく大量の人が押し寄せてきて、いつの間にか周りは隣の国の人たちばかりなんだよ。そして自分の国の経済のことなのに、毎回毎回となりの国と一緒に議論しないといけないんだよ。キミ、それ我慢できる?」

 

それを聞いたとき、そういう意見があることもわからなくはないなあ、と思いました。

 

もちろん、意見を聞く相手がロンドンに住む人か、地方に住む人か、または、若い人でEU圏内で働くことができるなどの恩恵を受けているかどうなか相手によって返ってくる意見もまったく違うでしょう。

 

クーリエジャポンに、ちょうどEU離脱が決まったばかりの時期に住民投票を左右したのは、いずれにせよ、イギリス人の「エモーションだった」という趣旨の記事を書いたこともありますが、人間はロジカルなようでも、まったくロジカルではないので、わたしたちは、人間の価値観や安全というものをもっと丁寧に扱っていかなければいけないのだろう、と改めて思います。

 

「今のような変化の時代には、『技術的な課題』ではなく、『適応課題』(Adaptive Challenges)に私たちが向き合うことができるようになることが重要である」、とハーバード大学のロナルド・ハイフェッツ教授は指摘します。

 

ハイフェッツ教授は、各国の大統領、首相、IBM、マイクロソフト、マッキンゼー、世界銀行、CIAなどのアドバイザーを務め、ハーバード大学ケネディースクールで35年間リーダーシップについて教鞭をとっていますが、さらにこう言います。

 

「わたしたちは問題に対して、技術的に解決しようとするが、この変化の早い時代にわたしたちが直面する多くの課題は、技術的な問題ではなく、人の適応や価値観の転換に関する課題であって、その本質は「適応」に関する課題」だ」と。

 

とくに制度や社会の構造が変わったり、人が不安を感じたり、自分の安全を脅かされたと感じるときには、とくにこの視点が大事とされ、そういう時にこそ、社会や組織の人たちが大切にしている価値観や信念を明らかにし、彼らが変化に適応できるように戦略的、かつ、政治的に対処することが鍵とされ、そうした適応の過程をサポートする働きは「適応型リーダーシップ」(Adoptive Leadership)と呼ばれています。

 

例えば、人はどのようにしたら別のやり方を受けいれやすいのか等を理解し、もしなんらかの不安や障害があるならば、それに気づいて安心を与えること、そして、新しい方向性を示すことです。

 

国連職員として南スーダンで元兵士の職業訓練に関わっていたとき、釘やネジ一つ隣国のウガンダやケニアから輸送しなければいけない中で苦労をして、元兵士の人たちに職業訓練などの技術的な支援を提供することはできましたが、本当に求められていたのは、「適応」に関するサポートだったということは多々ありました。

 

最近のヨーロッパの動きは、どの国でも起こりうることで、日本も無縁ではありません。

 

そして、自分の目で見て感じることを大切にしながら、日本の歴史における鎖国の解禁や、江戸から明治の近代国家への移行、終戦後の国づくりなど、改めて勉強してみたいと思っています。

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はじめて富士通に入社するウガンダ人

本当の話し。アフリカフェスティバルで、あるおじさまが隣の友人に話しかけてきました。

「あのウガンダの子ね、すごくえらいの。孤児で大学行けないから育英会で日本に呼んだんだけど、早稲田ですごい優秀な成績おさめたの。 六年前に空港に降り立った時から面倒見てるからかわいいんだ。黒人で初めて富士通に入社するんだよ。ヘンケンに負けないで頑張って欲しいよ。」

そばには息子夫婦とお孫さん達の大応援団がいました。日本とアフリカを超えた絆がありました。思わず目から涙がポロポロ…

「小学校さえ行きづらい私たちにとって、大学など夢のまた夢。」実際これまで高校を卒業したエイズ遺児は村でたった1人だったそうです。学校へ行く諦めていたところに出会ったのが育英会の支援制度だったそうです。

エイズで親をなくしたウガンダの子たちが対象で、今や京大の医学部で勉強中の人もいるとか。彼ら・彼女たちの奮闘でたくさんのウガンダの子たちが日本への留学を希望しているそうです。

みんながんばれ!!!

Uganda April 2007 014