レストランや入った先でうん?と思ったらーいつも我慢しすぎだからこそその一言を言うチャンス

ランチやレストランで入った先での接客で、うん?と思ったことはありませんか?

 

こっちはお金を払う側なのに、なんで?

 

私もつい最近入ったところで、目の前のシェフとウェイターの人が「最近、ぜんぜん休みがないよなー」と文句と言い始め、ため息をつきながら準備を始めました。

 

ため息をつきながら作られるものは食べたくありません。

私たちが取り入れるのはそのエネルギーだからです。

 

うん?なんかおもかしいと思いました。

 

でも、言うのも面倒くさいなという考えも一瞬よぎりました。

 

でも、やっぱり、そんなものをお金を払って自分の体に入れるなんて理由はありません。

 

パスタがすでに茹で始められたのが目に入りましたが、出ることにしました。

 

ウェイターの方を呼んで、「ため息をつきながら作られるものは食べたくありません。ドリンク代は払うのでお会計をお願いします。」と言いました。

 

相手は少し驚いたように、私の顔をじーっとみました。

すぐ側にいた二人組みも私と二人の様子を見ていました。

 

私は例え、ドリンクはまだほとんど飲んでなかったけれども、それでもドリンク代を払ってでも、そんな空間に身を置きたくない、と思いました。

 

自分の体に取り入れるものの方が大切です。しかもそんな振る舞いやエネルギーを受ける必要はありません。

 

私にとってははっきりしていました。

 

そんな様子が伝わったのか、シェフが謝り、ドリンク代はけっこうです、ということになりました。

 

周りのお客さんは、「どうぜ、そんなものだ」と受け入れていたのでしょうか。

もし、そうだとしたら、自分も相手も甘やかしています。

なにより、自分を大切にしていません。

だって、そんな空間もサービスも振る舞いも受ける必要はないのです。

 

私はカザフスタンという旧共産圏で働いたことがありますが、ソ連から独立してまだ10年も経っていない時でしたので、まだサービスという概念もお店の種類もまだまだ限られていました。

 

私たちが住んでいるのは日本です。

私たちには選べる自由があります。

 

それはお金を大切にするということでもあります。

自分がお金と交換に受け取る価値に納得してその使い方に責任をとるということです。

そして、自分を大切にするということです。

 

もし、そんな体験をしたら、自分が自分を大切にする、ということを意思表示するチャンスをもらっています。

 

いつも我慢し過ぎ、または半分あきらめて「どうせそんなものだ」だと思っているのかも知れません。

 

だからこそ、声に出して「やっぱりやめます。」「帰ります。」「やっぱりけっこうです。」と言うのです。

 

不快だった感覚がその一言を口にした途端たった1分で快感になりました。

 

その一言で自分に力を取り戻します。

嫌いな仕事に1日15分取り組んで10日たったらー自分が自分の約束を守るとおきた奇跡

今日は奇跡がおきました!

 

 

それは私の苦手で嫌いなことを楽しい!と思えたのです。

 

しかもやりたい!とさえ思ったのです。

 

それは何かと言うと、経理作業についてです。

 

最近はいろんなクラウドソフトがあって、入力作業もバランスシートなどの必要書類の準備もクリック一つで簡単にできます。

 

それでも、私にとっては正直あまり好きではない作業です。

 

なので、こうした作業をつい後回しにしてしまうパターンを繰り返していました。

 

でも、ついに、同じことをやってる自分が嫌になって、

毎日15分でいいからルーティン化することにしました。

 

とはいえ、

 

正直、最初は腰が重いというか「イヤイヤ」やってました。

 

10日間位たった頃でしょうか。

 

楽しい!と思ったのです。朝起きて早くやりたい!とさえ、思ったのです。

 

驚きました😝

 

だって、クリエイティブな作業の方がずっと得意な私みたいなタイプの人にとって、経理作業というのはその逆に位置するものだからです。

 

確かに地味だし、クリエイティブとは真逆的な作業ではあるでしょう。

 

そういう作業が好きな人というのが世の中には存在すると思うので、

きっと誰かにお任せすることになるでしょう。

 

でも、誰かに任せるにしても、この作業に対する漠然とした苦手意識を感じたままじゃ嫌だなと思ったのです。

 

さて、

このプロセスは何だったのかなと考えてみると、

経理作業そのものというよりは、

 

たとえ自分にとって嫌いな分野でも

自分が自分に対して決めたことに対して責任をもつということ、

それを守ったことによる「快感」だったと思います。

 

もし、頭に脳波を測る装置をつけたら、きっとなんらかの脳内分泌が起きていたと思います😇

 

そして、セッションの予約を5件続けていただきました。

 

しかも。お手伝いしますというお申し出までいただきました!(本当です)

 

 

自分が自分に対して決めたことを守ること、

つまり自分が自分を尊重するというのは、

こんなにもパワーをくれるものなんだ!💡と正直驚きました。

 

苦手な分野なだけになおさらですね。

 

つまり、自分の信頼度を貯金しているわけですね。

 

それで予約がすぐに入ったので、宇宙は分かりやすい印をくれるものです。😊

 

逆にいうと、自分の信頼とパワーをそぐものに要注意です。

 

例えば、

誰にでも簡単に約束すること

自分が望まないことにイエスと言うこと

やると言ったのに実行しないこと

 

やりたくないならノーという方が誠実ですし、

 

目標を立てても心の底ではやりたくないのならば、やる気のあるふりをするよりも、その根本原因に取り組む方がよっぽど誠実です。

 

そして、どうしても好きになれない仕事を自分をだましながらやっているのならば、それも自分に正直ではありません。

 

もし、今の段階ではできない事があったら自分を責めるのでもなく、その原因を理解して、どうしたら改善できるのか考えましょう。

 

 

私たちは日々自分に対する信頼貯金を貯めています。

 

もし、今の段階ではできない事があったら自分を責めるのでもなく、その原因を理解して、どうしたら改善できるのか考えましょう。

 

どうしたら上手くできるのか考えましょう。

 

まだまだ、続けていくので、さらなる「脳内反応」?を観察してみたいと思います❗️

優等生は報われないー「我慢すると怒りがわく」「わがままをすると成功する」

私たちはいつの間にか洗脳されています。

 

どんな洗脳かと言うと、

めいわくをかけちゃいけない

わがままな人になってはいけない

ちゃんとやらなきゃいけない

仕事とは「がまん」してやるもの

がまんして一生懸命がんばれば幸せになれる

という洗脳です。

 

 

ここには、より根本には何かをしたから認められる、という前提があります。

そこには何かをしたことで褒められるという構図が植えつけられています。

 

勉強ができたからえらい、

ご飯を全部ちゃんと食べてえらいね、

泳げるようになってえらいね、

という具体です。

 

そして、それは私たちが大人になってからも、深い部分での「動機」となって私たちを動かし続けています。

 

大人になっても私たちは「何かをしたから愛される」と思っています。

 

こんなに偉く(肩書きに)なったから

こんなに収入があるから。。。

いいお母さんだから(こんなに料理をしているから)

 

 

同時に、同じくらい愛されなくなることも恐れています。

その愛は何かを達成したことやなんらかの行為に根ざしているからです。

 

でも、そうやって私たちは心をすり減らしてしまいます。

 

なにより、自分がやりたいことが分からなくなってしまいます。

ほめられることと優先するばかりに、自分の焦点を他人の価値観に合わせてきたからです。

 

しかも、実際はそんな人ほど心の中で怒っていたりします。

 

または、体中でがまんをためて、病気になったり、うつになったりすることもあります。

意欲も気力も感じられない、という人もいます。

 

 

しかも、さらに悪いことに、我慢し続けるとわがままで傲慢になったりします。

 

どういうことかと言うと、

自分はこんなに我慢しているのに

自分はこんなに尽くしているのに

 

という思いがつのってきて、

相手から褒め言葉やお返しが思うように返ってこないことに常に心の中でイライラや不満をためるからです。

 

これは非常にストレスです。

 

なぜなら、自分の満足は相手の反応次第だからです。

 

もちろん人の言動はコントロールできません。

 

コントロールしようとすればする程ストレスは上がるでしょう。

 

わがままはいけない」と蓋をすることで皮肉なことに心の中では「超わがままちゃん」になっているのです。

 

 

 

ではどうしたらいいでしょうか?

 

「わがままでもいい」といったんわがままをゆるすことです。

 

人間には誰でもある程度わがままな部分があります。

それは本当にそうです。

それを前提にすると「ああ、自分にはこんなわがままなところがあるな」とただ受け入れることができます。

 

そう言うと、

「わがままであることを認めたらもっとわがままになるんじゃないですか?」

という反応が返ってきたことがあります。

 

確かに、一時的にはそういうこともあるかもしれないけど、それを受け止めるとより楽チンな人になります。

 

楽チンな人という意味は、自分の弱みもわがままなところもただ受け入れている人、という意味です。

 

自分を受け入れている人は、周りの人にとっても、無理やりこちらに合わせてお返しを水面下で期待している人よりも、一緒にいて楽チンで、なにより魅力的です。

 

 

 

そして、もう一つ大事なことがあります。

めいわくをかけてはいけない=なんでも人に合わせればいい、という訳ではないことです。

 

もしかしたら、めいわくをかけてはいけないという理由で、自分の意見を持たない、自分の意見を伝えない、自分で自分の選択に責任をとらない言い訳になっていませんか?

 

 

人に合わせることの一番の弊害は、自分の行動や選択の責任をとらず、誰かのせいにしていることです。

 

上司のせい、政府のせい、会社がわるい。。。

 

つねに誰かしら「悪い人」がいます。

 

いくらでも何かや誰かのせいにすることはできますが、自分の幸せも誰かや何かに依存しています。それは本当の幸せや充足感とは違います。

 

そんな終わりのないストレスにさらされるよりも、小さなことを一つづつでもいいから自分で決めていく方が、自分で決めている、自分の足で人生を生きている、という感覚を得られます。

 

わたしたちはもっと自分に正直に「わがまま」に生きていいのです!

 

受験、就活、芸能人ランキングーなぜ日本人はランキングが好きなのか?

受験、偏差値、就活、企業ランキング、芸能人ランキング、売れ筋ランキング。。。

 

おそらく、日本という社会は世界の中でも最も「ランキング」が好きな社会の一つだと思います。

 

ランキングがあることとは、一つの指標に従って、上か下かを格付けされるということです。

 

上か下があるということは「勝者」と「敗者」がつくられます。

 

競争という土俵にいる限り、勝つ時もあれば負ける時もあります。

 

 

若いときに、相対的な競争で格付けされた経験から、それイコール自分の能力や才能だと思い込んでしまって、自由に考えたり、挑戦するのをやめてしまったんじゃないか、と感じる例を垣間見ることはたくさんあります。

 

 

「勝った」場合もそうですし、「負けた」場合にも当てはまります。

 

私がいかにある一つの価値観の中にいたのかを肌で感じたのは初めてニュージーランドに留学した時のことでした。

 

ある晩、ホストファミリーとの会話の中で、日本の教育制度に話しが及んだ時に、私が「塾に通っていた時には、夜中に塾から帰ったこともあった。」というと、こんな答えが返ってきたのです。

 

「なぜそれが必要なの?」と。

 

とても短い単純な質問ではありましたが、私はその質問自体が「ショック」でした。

 

日本では質問されることもない私が当時「当たり前」だと思っていたことが「当たり前」ではないと初めて思ったからです。

 

この体験が一つのきっかけとなって、わたしは帰国後日本の大学の受験勉強をいっさいやめて、当時日本で唯一全て英語で授業を行っている大学へ入ろうと思いました。

 

この大学はいわゆる偏差値に当てはまらない大学だったのですが、それでとても自由になったような気がしました。

 

国連時代には世間的には「エリート」と分類される人達にたくさん会ってきました。

 

「この人はほんとうにすごいな」という人もいれば、理論は詳しいのに紛争地での課題に対処できない人もいました。

 

先の米国大統領選挙でもなぜトランプに投票?といろんな分析がありましたが、私たちの社会が一つの指標を前提としている限り、つねに勝者も敗者もで続けます。

 

私たちは、ランキングがあることによって、自分の頭で考えて判断しなくても済むし、ある種の「秩序」というか、一見もっともらしい理由が存在するかのように信じて安心したいのかも知れません。

 

ただ、その「指標」が妥当かどうか、あっているかどうかはまったく別の話しです。

 

これまでの学校制度も企業も、高度成長時代を前提としてきました。

 

最近ホリエモンが、「すべての教育は『洗脳』である」という本を出していますが、そこでの前提とは、工場や企業活動をいかに効率よく運営していくかであり学校の教育も独自性やクリエイティビティーを伸ばすものではなく、「従順で効率のよい労働者」を育てるかでした。

 

ただ、このモデルの限界がますますはっきりしてきています。

 

 

では、競争がなかったら私たちは何を目指せばいいのでしょうか?

 

一人一人がその人の潜在能力を最大限に活かすことです。

 

才能、興味、能力ー才能しかり、好奇心しかり、発想力しかり、その人にしかできないことがあるのです。

 

競うべきは昨日の自分です。

 

昨日の自分よりも一ミリでもいいから自分は「成長」したと思えればいいのです。

 

 

自分の才能を発見する魔法の質問ー「この仕事で自分にしかできないことは何だろう?」 「このバイトで自分にしかできないことは何だろう?」

「自分にしかできないことは何だろう?」

 

私にしか書けないことは何だろう?

 

ブログの記事で仮にたった300字でも、連載原稿だったとしても、この質問は常に私の頭の片隅にあります。

 

この質問は自分の仕事がなんであっても常に当てはまると思います。

 

「自分にしかできないことは何だろう?」

 

「このプレゼンで自分にしか言えないことは何だろう?」

 

それがたった1日のバイトでもこの質問は自分にできると思います。

 

「自分のやりたいことが分からない」、という人も多い世の中。

 

夢や天職、やりたいことは、何か「大きなもの」や「立派なもの」であるはず、というような風潮もあるように感じます。

 

大きな目標を持つようなタイプの人もいるでしょうが、誤解をおそれずに言うと、「夢は大きく持て」も、ある意味大人の言い分に「だまされている」ようにも感じます。

 

大きな目標がある人もいますが、それでもその人を本当に突き動かすことはとてもシンプルだったりします。

 

例えば、私にとってある時期、国連で働くことは一つの大きな目標でした。

 

国連というキャリアの中でも、二つの国の独立国に関わるというかなり「ドラマチック」な体験をさせていただきましたが、とはいえ、その中でも本当に好きだった瞬間というのは案外とてもシンプルで、いろんな国の同僚たちと「ああ、この人も同じ人間なんだ」と分かり合える瞬間でした。

 

そして、国連という目標を叶えてよかったと見えるかも知れませんが、

「自分にしかできないことは何だろう?」という問いに終わりはありません。

 

むしろ、毎回続きます。

 

プレゼン

発表

執筆

原稿

授業・講演。。。

 

 

この質問はある職業に就いたから終わるわけではありません。

むしろ、その質問を掘り下げさせるためにこの仕事や機会が与えられたんじゃないか?と感じるような場合もあります。

 

その質問こそが自分が自分を知ったり、自分の才能を発見させてくれるものだからです。

 

自分しかできないことは何か?

 

それは必ずしも行為とは限りません。

共感だったり、

相手を心の中で理解することかも知れません。

 

ある研究会の委員として発表を頼まれた時、私は数日間「私はいったい何を発表したらいいんだろう?」「私しか言えないことは何か?」「この会で私が言うべきことは何か?」と数日間真剣に考えて、

 

「難しいことではない『当たり前のこと』を言うこと」という結論にいたったこともありました。

 

 

その時に自分にしかできないことが少しでもわかった時、自分の中で「いなずま」が走るような「ひらめき」が起こることがあります。

 

自分が自分を発見し続けることー

 

そして、そんな体験が自信をくれます。

 

「自分にしかできないことは何だろう?」

 

せっかくなら楽しく毎日この質問に取り組みたいと思います。

「自分の選択が正しかったと判断できるのは自分だけ」国連生活10年で気づいた「好き」を仕事にする秘訣

就活シーズンを控えたいま、進路に頭を悩ませている人も多いのではないだろうか。国連で10年以上のキャリアを持つ筆者は、これまでに100回以上も採用試験に応募してキャリアアップを繰り返すうちに、ついには国連特使から仕事の申し出を受けるまでになった。

そんな筆者が見出した充実したキャリアを築く秘訣は、「内なる声」に従うことだという。

TEDで話題の「傷つく心の力」

新しいことに挑戦するとき、人前で意見を言うとき、自分の文章や作品を発表するとき、好きな相手に思いを伝えるとき──。地球上に住む誰もがこんなときに不安を感じ、傷つくのを恐れます。

「ありふれたことかもしれないけれど、不安を乗り越えて前に進む勇気を持ちたい」というテーマを掲げたTEDトークが、世界中で2800万回以上(2017年3月末時点)も視聴され、ベスト5のランキングに留まり続けています。

 

ヒューストン大学の教授ブレネー・ブラウンによる「傷つく心の力」です。

 

https://www.ted.com/talks/brene_brown_on_vulnerability?language=ja

このTEDトークが世界中でこれほどまでに支持されているという事実に、人間が抱く不安の感情は普遍的なものだと気づかされます。

 
就活シーズン本番を控えたいま、面接や将来の進路に不安を感じる方も多いのではないでしょうか?

 
国連のニューヨーク本部に勤務し、平和維持活動(PKO)にもかかわり、そのキャリアを生かして米軍の専門家も務めた私は、傍から見ると順調なキャリアを積んでいるように見えるかもしれません。

 
でも実は、大学生のときには就職試験に落ち続け、内定をもらう友人の姿を尻目に自分だけが取り残されるような言いようのない焦りを感じていました。

 
オックスフォードの大学院に進学が決まったのも、大学の卒業式の数日前でしたし、卒業後はドイツで働くことになっていましたが、大学の「卒業後の進路」の調査結果では、正式な就職とみなされない「その他」に含まれていました。

 
誰しも先のことは不安なものです。とくに、人と違った選択をしようとするとき、そしてその先に何の保証があるわけでもないとき、一歩踏み出すのには大きな勇気が必要になります。

 

自分の選択が正しかったどうかわかるのは、自分だけ

 
私が人生で最初に大きな賭けに出たのは、大学進学のときでした。帰国子女でもない私は、当時、日本で唯一すべての授業を英語でおこなっていた大学のプログラムに入学したいと思っていました。

 

その大学に入るためには、SAT(米国大学進学適正試験)に合格する必要があり、そのため日本の受験勉強をいっさいやめる決断をしました。

 
そのときはまだ、インターネットでの情報も限られていましたし、周囲に前例があったわけでもなく、親からも「本当に大丈夫なの?」と何度も聞かれました。

 

結果的に合格したからよかったものの、試験勉強をしていた1年間よくその選択を信じ続けられたなと自分でも改めて思います。国連PKOで南スーダンに赴任するときよりも、勇気がいる決断でした。

でも、いま振り返ってみると、この大学進学こそが私が国連というキャリアを選択するうえでの原体験になっているのだと思います。自分が正しいとかやりたいとか思っていることを追求し、その可能性を信じることの大切さを、身をもって実感することができたからです。

 
大学生活ではさらにその原体験が、確信に変わっていきました。

 
私が入学した学部は、もともと日本在住の外国人を対象に開設されたものだったので、入学の手順も授業内容も米国の大学をモデルにしていました。日本の大学だというのに、授業も教科書も校内の案内もすべて英語で、教授はほぼ全員外国人。

 

それゆえ、日本の教育で重要視される「偏差値」という概念がまったく登場しません。周囲の人は、社会の評価軸で判断できないこの学部をどう取り扱ったらいいかわからず、戸惑っているようでした。実際、人によってその学部の印象も評価もバラバラでした。

それをネガティブに捉える人もいましたが、私はとても「自由」だと感じていました。そして同時にこうも思ったのです。

「指標がないと、人の評価はこんなにバラバラ。ならば、自分のした選択が正しかったどうか決められるのは結局、自分しかいないんだ」と。

 

国連は女子が働きやすい職場

「自分の選択は自分で評価するべき」という気づきは、その後、国連という組織でキャリアを積んでいくうえでおおいに役立ちました。

国連は一部の人を除くと、基本的に有限契約で自己志願制の組織です。

そのため国連で働き続けたいと思ったら、1つの仕事(契約)が終わる前に、次の仕事を自分で探して志願しなければなりません。そのたびに履歴書と志望動機を作成して送り、面接を受ける必要があります。

 
紛争が起きている国なども含め、世界中の国々に人を派遣する組織が、自己志願制で運営されているのはある意味当然のことだと言えるかもしれません。加えて、自分でアクション起こさないと、自動更新も自動昇進もない国連は、究極の「自己責任制」の職場であるともいえます。

 
定期的に職探しに追われるなんて大変だと思うかもしれませんが、本人の行きたくない国に派遣されることはないという利点もあります。また、各ポストには職務内容と求められる資質が明記されているため、望まない仕事に配置されることもありません。
そもそも私が、国際機関で働きたいと思うようになった理由の1つは、日本企業の内部プロセスが非常に曖昧で、新人の女性社員にはとても不利に思えたからです。

国連なら自分で希望の仕事を選ぶことができるし、求められている能力や資質が明文化されているから、面接の対策もたてやすい。もちろん国連で働き続けることは簡単なことではありませんが、基準がオープンではっきりしている組織のほうがずっと働きやすいのではいかと感じたのです。

ちなみに、国連では、「チームワーク」「コミュニケーション能力」「リーダーシップ」など、仕事で求められる価値や資質がどんなものかもすべて明確に規定され、オープンになっています。

詳細は「United Nations competencies for the future」で見ることができますが、たとえばチームワークなら「他のメンバーから学ぶ姿勢を持ち、他の人たちの意見の価値を認めること、組織の目標のためにチームに貢献し、チームの成果にも課題にも両方に責任を持つこと」とされています。「リーダーシップ」の定義の1つは、「幅広い人のニーズを理解し彼らのサポートを得ること」です。

 
なぜ、このようにすべて明文化されているかといえば、175ヵ国以上もの人たちがともに働く場として共通の指針や評価の基準が必要だからです。そのため応募や面接のプロセスでも評価基準が非常に明快。面接では、「自分がなぜこのポストにふさわしいのか」を面接官に向かって熱弁することになります。

国連流「就活の極意」

大学時代から数えると、これまでに少なくとも100回以上は履歴書を更新し、志望理由を書き、さまざまな職種に応募をしてきました(オンラインでできるので、実際にはコピペしてきた部分もかなりありますが)が、そんななかで1つ気づいたことがあります。

それは、人から適切に評価を受けたいと思うならば、まずは自分が自分を評価しないといけない。つまり、自分を認めることができるのは自分しかいないし、それができれば他者からの評価もついてくるということでした。そういう雰囲気は、相手に伝わるからです。

 
これは後に、私が国連で採用の面接官を務めたときにも感じたことです。面接の際には、応募者を評価する基準も用意されてはいましたが、人の資質やスキルは厳密に数量化できるものではありません。

なので、面接官は応募者にさまざまな質問をしながら、それぞれの質問項目の評価と理由を記入していきます。するとなぜか、口だけの人はバレてしまうもの。その一方で自分を評価する視点や習慣を持っている人や自分を信じている人は、やはり面接官にもそれが伝わるものなのです。

「内なる声」に従っていればより「大きな力」のサポートもついてくると思います。

国連を退職してから米軍の専門家として、スリランカ軍やフィリピン軍に派遣されて講師を務めたときには、世界を舞台に自分の好きな「教えること」と「平和支援にかかわる」ことが仕事になったと感じました。

 

学生の頃は就職活動中に取り残されたような気分を味わった私が、国連特使の方に仕事のオファーをいただいたこともありました。こんなふうに自分の夢が叶ったのも、たくさんの人たちからのサポートがあったおかげだと感じています。

ストレスの多い紛争地でいつも笑わせてくれた同僚、こんな人になりたいと思わせてくれた尊敬できる上司、逆にこんな人にはなりたくないと気づかせてくれた反面教師──こういう出会いは、事前に計画できるものではありません。

「天は自ら助くる者を助く」という言葉がありますが、人が内なる声に従っているとき、まったく予想できないような出会いやサポートがもたらされるのも、多くの賢人たちが教えてくれている人生の真実です。

私にとって、人生で最も重大な「試験」は、「他人や社会の評価を信じますか? それとも自分を信じますか?」という問いに答えるものでした。いまでも人生を変えるような決断から、日常の些細なことまで、その問いが課される場面は多々あります。

そんなとき、自分の意志を強く表明し続けていれば、より大きな力があなたの味方になってくれるはずです。

 

クーリエジャポン20174月12日掲載

 

自分の選択が正しかったと判断できるのは自分だけ」国連生活10年で気づいた「好き」を仕事にする秘訣|大仲千華 「答えを求めない勇気」

目の前の対人関係を「クリア」し、自分が「成長」すると自然と次の展望が開ける

前回、知人の知人を介していけば、平均6人で世界の全ての人とつながることができる、という「六次の隔たり」と呼ばれる理論を紹介しました。

 

この理論のポイントは、「成功するための条件は、より多くの人と知り合うことではなく、自分にとってもっとも重要な人物と出会うことだ」、という点でした。

 

私自身、有限契約で自己志願制の組織である国連で働いてきたので、「人と出会い、人に助けられながら、人生の進路を進んでいくことが大切」との意味を実感します。

 

一つの仕事(契約)が終わったら、毎回応募書類を揃えて、志望理由を送って、面接を受けるということをしながら、それでも、私の国連におけるキャリアが拓かれていったのは、まさに沢山の方に助けていただいたからでした。

 

 

そんな組織において、その時にご縁があった仕事やその仕事を通じて出会うことになった人と「出会う確率」はいったい何パーセントなんだろう?とふと思ったことがあります。

 

今改めて、振り返ってみると、そこでの仕事と人間関係という「ご縁」をいただいたのは、対人関係を学ぶため、未完了のことを完了させるため、より自分が成長するため、だったのではないか?と感じます。

 

私たちは自分がより成長するために最適な機会や出会い、人間関係を与えられている、という観点から見るならば、その職場で与えられた人間関係で学ぶことを学んでいないと、次の職場でもなぜか同じような上司にあたったり、同じような問題に直面するようです。

 

コーチングセッションで、転職をするかどうか悩んでいますという相談を受けたことがあります。その方の現在の状況を聞いた時に、上司との関係が未完了ではないかと感じた私は、次の仕事を探すと同時に、今の上司を理解することにフォーカスしてください、そして、直接でも関節的にでもいいので上司のサポートをしてください、とお伝えしました。

 

そして、上司のことを理解しようと意識を向けるにつれ、転職活動もスムーズにいったようです。

 

そして、「新しい仕事はまだ始まったばかりですが、新しい職場は、今までもいたような居心地のよさがあります。」と嬉しい報告を送ってくださいました。

 

自分が日々体験する目の前の対人関係を「クリア」し、「成長」し、または「完了する」と、転職に限らず自然と次の展望が開けるのです。

 

逆に、何かに抵抗すればする程、抵抗している人の特徴や出来事は形を変えて続きます。これは、自然の法則(Law of Nature)で「抵抗の法則(Law of Resistance)」と呼ばれています。

 

自分がその現象やある人の資質を受け入れたり、そこからの「学び」を終えないと、人や場所を変えその現象は起き続けます。

 

そういう場合に、役に立つことの一つは、その人や現象を受け止め(同意するとは違います)、その相手を理解することです。理解できれば、必要な行動が見えてくるでしょう。

 

ちなみに、彼女に提案したもう一つの宿題がありました。

 

「会社で自分とはまったく考えが違うなという人を観察してみてください。声をかけたり、お昼に誘ってください。」

 

この人はどんな人でどういうことを大切だと思っているんだろう?この人はなぜそういう風に考えるんだろう、という視点とオープンさを持てることー

 

これは、どんな職業でもどんな業種についていようが誰もがある段階で体験する学びのように思います。

  

 

以下は、どんな仕事や職種でも、私たちがどこかの段階で直面する一般的な「対人関係の課題」についてです。

 

◎ 理解されない

◎ 理不尽な目に会う

◎ 理想と現実のギャップに直面した時(失望)

◎予定外のことが起こる時

◎イライラする上司や部下がいる

 

そんな時こそ、こちら側が成長することが求められています。

 

そのレッスンにはいろいろな側面があるかも知れませんが、

この人はなぜそういう風に振る舞うん考だろう、という理解とオープンさを持つことー

 

はいつでも役に立つ原則の一つです。

 

 

 

これは何を学ぶ機会なんだろう?

 

ぜひそのように問いかけてみてください。