キャリアと人生の法則【⑤】あなたに反対する人はあなたを助けるためにいる

留学したい!

海外で働きたい!

途上国で働きたい!

 

本当はやってみたいことがあるけど、親に反対されている。。。

 

おめでとうございます!!!

なぜなら、あなたが自分の人生を生き始めている証拠だからです。

 

ある意味、親はあなたに反対することであなたの本気度を試しているとも言えます。

 

これが映画ならば、親は「悪役」。

心配性な親、頑固な親、わからんちんな親、強権的な親、「そんなの無理だ」 とあなたを否定するような親ーともかくあなたを「カチン!」とさせる役。

 

この映画の主人公であるあなたは、この「悪役」に対峙して、これから新しい旅に出るのです。

親というのは未知なことには反対するもの。だって、自分が体験したこと以上のことは分からないからです。

 

南スーダンを含め8カ国で働いたり留学した私ですが、 実は、最初の留学も夏休みのタイ旅行でさえ最初は親に反対されました。最終的には友達が案内してくれること、1週間に一回電話をすることで「交渉」は落ち着きました。 ただの旅行なのに、母と妹が成田空港に迎えに来たこともありました 。。。(汗)

 

「国連で働きたい」と言った時には、「そんなバカなこと言わないの」と 叱られて、同じ屋根の下で暮らしながらほぼ半年間も口をきかなかったこともありました。。。

 

確かに、身近な人や一番理解して欲しい人に反対されるのは苦しいです。

プロジェクトしかり、会議しかり、新規事業アイデアしかり、あなたの意見が毎回サポートされるとは限りません。

 

でも、その人はあなたに反対することであなたを助けているとも言えます。

 

「そんなの無理に決まっている」

あなた本気で言ってるの?

どうやってやるつもりなの?

 

そうやって、相手が直接的にも間接的にも言ってくれることで、こちらも悔しいけどより具体的に考え行動せざるを得ないからです。

 

なにより、その登場人物を自分の親として選んで生まれてきたのもあなたです。

 

なぜなら、自分の魂の成長のためにこのチャレンジが役に立つと思ったからです。

ある意味「比喩」だと思って、ほんの少しでもいいので、相手はあなたを助けるために反対しているかも、と思ってみて下さい。ほんの少しでもそのスペースが生まれるだけで、少し余裕を持つことができます。

 

運を下げる人は、相手が自分を応援してくれるのなら、自分に賛成するべきだと思います。

運を上げる人は、相手は反対することで自分を応援してくれていると捉えます。

 

キャリアと人生の法則ワーク⑤】

今まであなたに対して、反対意見を言ってきた人、何かしらに対して、「そんなことは無理だ」と言った人たちを思い出してください。もしかしたら、自分を助けてくれていたのかも知れないと少し思いを馳せてみて下さい。

 

⭐️キャリアと人生の法則【⑤】あなたに反対する人はあなたを助けるためにいる⭐️

 

⬆️ 運を下げる人は、相手が自分を応援してくれるのなら、自分に賛成するべきだと思います。

 

⬇️ 運を上げる人は、相手は反対することで自分を応援してくれていると捉えます。

マイストーリー⑫ 原爆の投下ってアメリカにとって『勝利』とは思えないんだ

どうしたら「憎しみの連鎖」を断ち切ることができるんだろう?

和解やゆるしを促すものは何か?

どうしたらその人や国の中で紛争や戦争が終わったと言えるんだろう?

 

南スーダン以来、そんな疑問がわたしの中に残っていました。

そんな中、スリランカ軍対象のトレーニングの講師を打診されました。

 

えっ?スリランカ軍?

一般市民の犠牲者を大勢だして内戦を制圧したばかりのあのスリランカ軍?!

 

スリランカ軍といえば、ちょうどその3年前に、内戦を武力で「制圧」したばかり。タミールタイガーが「人間の盾」で必死の抵抗を試みる中で、スリランカ軍は、一般市民が巻き添えになること知りながら圧倒的な武力で制圧を敢行。何万人もの死者を出したとして当時の責任を当時国連の人権委員会や各地の人権団体から追及されている「張本人」でした。

 

今度はスリランカかあ。

 

私自身、紛争中のスリランカを訪れたことがあり、私が通ったばかりの同じ幹線道路上でたった数時間後に爆破テロがあったことを知ったこともあったし(私はホテルに戻ってそのニュースを知りました)、タミールタイガーのテロによって焼かれたバスを目撃したこともありました。

 

 

さすがに数日迷ったものの、

引き受けようと思ったのは、

 

どうしたらその人や国の中で紛争や戦争が終わったと言えるんだろう?

内戦が終わった3年後のスリランカの状況はどうなんだろう?

「ゆるす」という行為はどうしたら進むんだろう?

そんな私の中の深い部分での関心でした。

 

シンガポールを超え「カレー文化圏」に入ると、女性たちの衣装が華やかになります。

私は紛争中の緊張感を覚えていたので、首都のコロンボでの紛争が終わった街と人々の「開放感」を肌で感じながら、ああ、紛争が終わるってこういうことなんだあ、と感慨深さを味わっていました。

 

もしかしたら、思っているより悪くないかも?!

首都の明るい雰囲気にわたしの気持ちは少し弾んでいました。

 

そんな雰囲気もあってか、

部屋に戻る前に、まだなんとなくブラブラしていたい気分だった私は、宿泊先のホテルの売店を覗いて帰ることにしました。

観光客向けのサファリの本が並んでいるのを見て(スリランカは野生の虎が有名です)、ああ、紛争も終わってこれからサファリに行く時代なんだな、とやはり少し感慨深い気持ちを覚えていました。

 

その隣にはスリランカの内戦について書かれた本が数冊並んでいました。

スリランカのような国では観光客向けにそういう類の本が並んでいることは珍しくありません。

 

なにげなく、パラパラとページをめくる中で私の目に飛び込んできたもの ー

 

それは、タミールタイガーに切落とされたスリランカ軍や警察の死体、一般市民が狙われたバスなどの写真の数々でした。

 

!!!ーーーーーーーーー

 

どこかにあった「淡い期待」は、

どーーーーーーーーーーーーーーーーーん!と一気に吹き飛ばされてしまいました。

 

そう、スリランカではそのようなテロが日常茶飯事だったのです。

そして、その報復にスリランカ軍や警察は、タミル系住民への迫害を強めていたとも言われていました。

 

この人達はまさにその最中にいた人たち。。。

 

私は彼らにどう向き合えばいいんだろう?

この研修で私がやることは何だろう?

私が彼ら・またはスリランカの人たちに届けられる言葉はいったい何だろう?

 

私の中で答えはでないままに、研修がはじまりました。

 

ちょうど同じ週に国連の人権委員会が現地調査に来ることも関係していたのでしょう。

彼らは、無言の、しかし、はっきりとしたメッセージを発していました。

「そのことには触れてくれるな」と。

 

たしかに。。。

 

最初の数日は、相手はこの研修のテーマ(紛争や国連の平和維持活動)といったテーマについてどう感じているんだろう、どう話せばいいんだろう?

互いに「探りあい」のような状況が続きました。

 

さて、今日で研修の前半は終わりという時、講義の最後の質疑応答の時間に彼らの一人の手があげられました。

 

「あのー。。。」

「タミル地域ではこういう事もあったんです。」

 

 

彼らの発言内容に対して同意する・しないは一旦保留しながら(事実と証拠がないので判断もできません)、まず、そうしたコメントを「受け止める」ことが大切だと思いました。

 

それは、あくまでも、彼らにとっての体験ではあるのでしょうが、彼ら自身、自分の体験を話したい・聞いてもらいたいという現れの一つだと私は解釈しました。(自分の体験を話す・聞いてもらうこと自体に大きな癒しの効果があることはよく知られています。)

 

彼らが直接言葉にはしなくても彼らの中にも大きな葛藤があるのをひしひしと感じていました。

「この内戦にはどんな意味があったのか?」

「『制圧』は正しかったのか?」

 

そして、軍隊だけでなく、

「なんで自分の家族が?」

「なんでこんな戦争を許してしまったんだろうか?」

 

シンハラ系住民にもタミル系住民の間にも、それぞれに大きな苦しみがあり、

同時に、もう二度と内戦には戻りたくないという強い思いが社会全体にあるのを感じました。

 

さて週明けは何と言ったらいいんだろう?

今スリランカで必要とされていることは何だろう?

 

9.11のテロの被害者にとっては何が役に立ったのかをまとめたアメリカの大学の研究

日本から持参した日本のB級戦犯の手記

世界の紛争地での事例。。。

 

紛争の原因や経過について分析した研究は何万とあるけれども、個人と社会全体の和解や癒しのプロセスについて体系的に書かれたものはそんなに多くない。。。

 

「答えのない問い」だけれども、いろいろな人のいろいろな角度で書かれた体験やまとめを読みながら、私は和解について考え続けていました。

 

ようやく、自分の中で「ストン!」と何かが「腑に落ちる」感覚を得て、

結局、研修の後半では、こんな話しをしました。

 

「『被害者』は加害者に事実を認めて欲しい、どんな影響があったのか理解して欲しい、謝罪して欲しい、二度と同じことを起こさないと誓って欲しいと望みます。

『加害者』は、被害者に対面するのが怖いということ、『加害者』としての苦しみや傷もあることを理解して欲しいと望みます。可能ならば受け入れられることを望みます。

両方が傷を負うという意味においては、両方ともが「被害者」であると言えます。」

 

紛争後、元兵士の社会復帰を支援するために、どんなことが重要か?あくまでも「一般的には」という文脈での話しでした。実際に言葉として伝えることができるのはほんの一部です。

 

その後、ある大佐の人が私のところにやって来て言いました。

「この内戦の中、何人もの部下を自分の目の前で殺された。腕にはその時の傷もある。それでもタミールタイガーを赦したい。自分が楽になるためにそれが必要だと思うから。」

もしかしたら、彼は外国人である私に対して、スリランカ軍はそう思っているよ、という「ジェスチャー」も含めてそう言ったのかも知れません。ただ、その時、彼の中にある苦悩に触れたのを感じた時、もしかしたらジェスチャーとも言えないかもと感じました。

 

苦しい。

この苦しみから楽になりたい。

この苦しみから楽になれる道があるとしたらそれは「ゆるす」ことしかない、と。

 

けっして、軽い意味では言えないであろう事を伝えに来てくれた彼の言葉のトーンを今でも覚えています。

そして、講師チームを一緒に組んでいた同僚のアメリカ人(ルワンダなどで人道支援にあたっていた)の人が言いました。

 

「アメリカでこんなことを言う人は少ないけど、原爆の投下ってアメリカにとって『勝利』とは思えないんだ。」

 

スリランカの経験について学んでいたと思っていながら、これはそのまま日本に当てはまることかも知れない ー そんなことを思いました。

 

戦争に「勝者」はいない。。。

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紛争。

憎しみ。

ゆるし。

 

けっして簡単に向き合えるテーマではないし、

ぶっちゃけ答えも正解もない。

 

私がその時期に人権侵害の当事者であるスリランカ軍の研修を務めたことでさえ、いいかどうかなんて分からない。

 

あの時何を言えばよかったのか?

言わなかったらよかったのか?

ただ、実際に言葉として伝えることができるのはほんの一部。

 

ただ今の時点でもし何か言えることがあるとしたら、

自分なりに「答えがない問い」に向き合い続けること

 

もしかしたら、その姿勢を通して何かしら伝わるものがあるかも知れない。

 

そんなことを思ったスリランカでの体験でした。

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マイストーリー⑪ どうしたら究極の男性社会である軍隊が耳を傾けてくれたのか?

 

国連を退職して、燃え尽き、まったく働けなくなった時期を経て、

私は、米海軍大学院付け Center for Civil Military Coorperation (CCMR)の専門家として、アジアや中東の軍隊に国連平和維持活動について訓練する国際的なプログラムの講師となりました。

当時、そのプログラムで講師を務めていた人たちは元軍人のアメリカの人たちが多く、女性はそもそも数が少なく、日本人の女性としては私のみでした。

 

相手は現役の軍人。母国で内戦に関わった人たちもいる。

さて、彼らにいったい何と説明をしたら耳を傾けてくれるんだろう???

 

 

そもそもなぜ私が雇われたのか?

その理由の一つは、私が「女性」だったからでした。

 

では、なぜ女性が必要なのか?

 

国連の平和維持活動の目的は「敵」を倒すことではありません。

国連の現場では「敵」はいないと言われます。

なぜなら、たとえ 相手が「武装勢力」や暴徒であっても、彼らは話し合いをする相手だからです。

 

暴力を止めさせること、

なんとか話し合いの糸口をつかむこと、

交渉することが求められ

武器は最後の最後の手段として正当防衛にのみ使用することが許されています。

 

同時に、住民を暴力から保護する時には武器(銃)を使ってよいこと、

日常的に紛争を予防すること、

住民への被害を防ぐために積極的に行動すること、

人権を尊重することも求められます。

 

ではその肝心の「現地住民」のことを私たちはどれだけ知っているのか?

その住民の半分は当たり前ながら女性。

 

わたし自身、特に女性だからというアイデンティティーはあまり持っていないのだけれども、現地の人たちとの信頼関係を築くことが紛争の予防のための一つの鍵だとしたら、

 

実際には女性だからこそ出来る領域が存在することは事実なので、講師に女性がいるのは私自身もいいことだと思いました。

 

とは言え、それが彼らにとってどこまで説得力を持つのかはまったく別の話しです。

 

この研修では2~3週間かけて、現役の軍人に国際人道法からジェンダーから、武器使用基準から交渉までをみっちりトレーニングします。

 

究極の男性社会である軍隊に(しかも内戦をしてきた人達に)ジェンダーの話しがどこまで通じるんだろう???

いったい彼らに何と説明をしたら聞いてくれるんだろう???

内戦をしてきたかもしれない彼らに私が伝えられることは何だろう???

 

 

私は緊張したまま、バングラデシュへ出発しました。

バンコクで乗り継ぎ、首都のダッカに到着。ダッカからさらに車で3時間ほど走り、バングラデシュ軍の国連PKO訓練センターに到着しました。

研修の部屋のレイアウトを確認し、女性トイレの場所を確認し(軍の施設では女性の数が圧倒的に少ないのでこれが大切です)、次の日に備えました。

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訓練の1日目。

冷静を装っていたつもりだったけれども(多分ばれてた)内心、私の心の中は緊張でバクバクでした。

2日、3日たって、大きなバクバクが小さなバクバクになってきてよかったと、ホッとしたと思ったのもつかの間、講義の最後の方で質問がでました。

 

「とはいっても、国連は◯◯で何も出来てないじゃないか?」

 

確かに。。。

ある意味健全な反応だと思う。

だって、その中にいる私なんて、本当に本当にしょっちゅうフラストレーションを感じるているんだから!!!

実際に、国連という組織の理念が大きければ大きいほど、現実のギャップを目のあたりにする時、そういう疑問やフラストレーションもさらに大きく感じます。

 

ただ、その質問に対してはいろんな角度から応えることができると思いましたが、この場合、質問の真意は別のところにあると感じました。

 

その質問の真意とは、

「公式意見じゃなくてあなた個人の意見を聞きたい。」

 

もっと言うと、

「あなたはどういう気持ちでこの課題を捉えているんだ?」

 

もっと言うと、

「あなたっていう人はどんな人なんだ?」

 

もっと言うと、

「僕たちは実際に内戦をしてきた軍隊なんだ。単なる理想主義も理論も信じられない。どうしたらあなたの言うことを信じられるのか?」ということだったと思うのです。

 

その通りなのです!!!

ただね、こっちだって本気なんだよ!!!!!

私は経験上、こういう時にはこちらの本気度が試されていることを直感的に感じました。

 

わたしも腹をくくりました。

わたしは真っ直ぐ彼の方に向きなおし、ゆっくりとしかし一言一言はっきりと話し始めました。

「私個人の意見をお伝えします・・・」

 

正確な表現は覚えてないけど、それ以来、流れが「ガラッと」変わり始めたのをはっきりと覚えています。

 

それはいわば、お互いを理解してみようかという「はじまり」だったのです。私が彼らに半身半疑だったのと同じだったように、彼らだって私に半身半疑だったのは当たり前。

南スーダンにいたと時には、30カ国以上の軍人の人たちと日常的に接していた私でさえ、自分の中にある根強い「偏見」というか、誰かを「悪者」にしておきたいという誘惑に直面することになりました。

完全にわたしの「偏見」がなくなったとは言えなかったけれども、それは一旦脇において、ともかく目の前の訓練に集中しようと思いました。

 

 

「みなさんは国連の精神を示しに行くのです。

みなさんの行動一つ一つが国連の信頼に関わります。」

現地の住民の人達から見れば、軍人も私たちのような文民も同じ国連の要員です。実際のところ、紛争地であればある程、最後に自分の身を守るのは信頼関係です。

 

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「その判断をしたのは何でですか?」

「みなさんは地域の住民の人にとってどう映りますか?」

「紛争を予防するために何をしますか?」

 

住民の人達と向き合う時の姿勢、

情報収集のためのコミュニケーションのし方、

銃の構え方にまで注意を向けました。

 

面白いことに、こちらが相手を理解しようとするとその姿勢が相手にも伝わるのか、

訓練がもうすぐ終わろうという頃、一人一人ポツポツと私に話しかけてきてくれました。

 

「長年軍隊にいて葛藤があったけど、『人間』らしくあることを自分に求めていいんだって思えた。」(バングラデシュ軍オフィサー)

 

「僕は2回目のイラク派遣で、ようやく気付いたんだ。

『敵』も人間だってことを。

僕たちはたとえ戦闘中だって敵を人間として扱うべきなんだ。」(米軍同僚)

 

「ネパール軍に戻ったらこんなこと言えないけど、僕はずっと『反政府勢力』ともっと対話をするべきだって思ってたんだ。」(ネパール軍オフィサー)

 

「実はぼく軍隊をやめようと思っていて。。。」

 

えっ?!これそういうトレーニングだったっけ?!(汗。。。)

 

「みなさんがすでに持っているスキルを人を助けるために使うことができますよ。」

たった2週間のうちに、人が変わったように生き生きし始める瞬間を目の前で私は目撃することになったのでした。

人というのは、究極的には誰でも人の役に立ちたいという願望を持っている存在なんじゃないか?

 

たとえ相手が誰であっても、

自分の中の偏見や判断が完全になくならなかったとしても、

それを一旦保留し、一人の人間としてただ目の前の人に向き合うということー

 

この一見とても静かなアプローチにはとても大きな効果があるんじゃないか?

 

 

そんなことを体験してトレーニングは成功りに終了しました。

 

マイストーリー⑨あなたは私たちが「可哀想」だから来たのか?

私は、赴任先の南スーダンで今までにないチャレンジに直面していました。

除隊兵士の社会復帰の支援という仕事 ー この長いプロセスのための作業は山積み。仕事をこなしながら、現役の軍人から政府の高官からシスターなどいろいろな人とも関係を築かないといけない。

私は身体が強いわけではないし、体力があるわけでもない。みかけは華奢な体つき。

このままではいくらやっても燃え尽きるのは時間の問題。

さて、私がやることは何だろう???

私の南スーダンでの仕事の一つに、和平合意が守られているかどうか当事者同士で確認するための定期会合にに文民の一員として参加するというものがありました。

世界の中でも最も争いの根が深い紛争の一つとされた南スーダンでは、和平合意が結ばれた後、和平合意が結ばれ守られるためにいろいろな仕組みがありました。その一つが、国連が第三者として中立の場所を提供し、定期的に和平合意を結んだ人たち本人が定期的に集ってもらうことでした。

その定期会合は、一万2千人強の国連軍を指揮するForce Commanderと呼ばれる軍人のトップ(General=大将レベル)が議長を務める国連の役割の中でも最も重要なものの一つで、かなりの緊張を強いられる会合でした。なぜなら、お互いが不信をぶつけあうからです。

「こんなことが起きた (怒り)」

「これは和平合意違反じゃないのか!(怒り)」

特に「南スーダン人民解放戦線 (SPLA)」側の激怒です。

彼らは40年も続いたスーダンの内戦の中で、「反政府勢力」、ある時期においては「テロリスト」と呼ばれた人たちです。

一旦彼らが発言を始めると彼らの怒りが止まらないのです。

自分たちの地域だけ学校も病院もない、南スーダン出身という理由だけで公務員試験さえ受けられない、「野蛮人」と呼ばれてきた等の歴史的背景。

今はかろうじて停戦しているものの、独立はおろか、また紛争が再会するのではないか等、彼らの怒りと不信には根深いものがありました。

一方通行な発言と怒りとフラストレーションの応酬が続くことも多く、時には答えの見えないまま、何時間もそれを聞き続けます。

その会議にいるだけで疲れるという人がいる一方で、私はその会合はその場にいる全員にとって大きな機会だと思いました。

 

なんで彼らはあんなことを言うんだろう?

彼らの本当のメッセージは何だろう?

私(たち)は何をすればいいんだろう?

 

何回も会議を重ね、何時間も彼らの怒りを聴いてようやく気づいたことがありました。

彼らの本当のメッセージはこうなんじゃないか?

 

「あなた達はどこかで『なぜこの人たちは殺し合いを続けるのだろう?』

そして『何時間も怒り続けるんだろう?』と他人事のように思っている。

あたかも『私たちはこんなことはしない』と見下されているようだ」と。

 

彼らの経験がそうさせるのか、彼らは敏感にその場の「力」を感じ取ります。

国籍、経済レベル、肌の色、性別、教育、組織、役職といった「力」が圧倒的に強い人が、その自覚なしに、『怒りをおさえて冷静になりましょう』とも言おうものなら、それ自体も暴力だと言わんとばかり、彼らはさらに怒り続けるのです。

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それは、正式な会議を離れた時でも、一対一の関係でも同じでした。

彼らは敏感です。

 

 

「あなたは『正しく』て私たちは『間違ってる』と言いにきたのか?

私たちが『可哀想な助けが必要な人たち』だからあなたは来たのか?」

 

 

こちらが国連の肩書きを持っていようがそんなものだけでは関係は成り立ちません。

私自身、表現は違ったけれども、似たようなことを言われたことがありました。

 

 

同時に、「抑圧される側」は「怒りの中毒」にはまる傾向があることにも気づきました。

彼ら自身、怒りはじめたらそれをなかなか納めることができないのです。

 

そんな時には、一旦ランチ休憩になります。

ランチはケニア軍、中国軍、インド軍などなど国連軍が持ち回りで用意するのですが、

「さすがインドのカレーは美味しいよね」と

スーダン軍とスーダン解放戦線と一緒に同じテーブルを囲み、おしゃべりしている時の彼らは当たり前ながら一人の人間でした。

(ところで、一緒にご飯を食べることの「紛争解決力」は大きいと思います。)

 

 

そして、次の日はヘリコプターに乗って彼らの言い分を確かめに実際に「現場検証」に行きます。

一緒に現場に行く先で、「会合で取り上げられていたことはこうでしたが、実際に起きていることはこうでした」と一つ一つ確認をするのです。

 

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現場についたら、指摘されていた駐屯地での兵士の数が合意の範囲内であるかどうかを確認します。これを実際に数えるのはミリタリーオブザーバーという軍人の人です。

 

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会合で何度も顔を合わせている内に、徐々に彼らと信頼関係が生まれてきました。

ヘリコプターに乗って一緒に「現場」に行く先でも、個人レベルでは敵同士でも信頼が生まれるのを見ました。

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Wau Nov 2007 017

⬆️ スーダン軍とスーダン解放戦線の「敵」同士の人たちが一緒に座っているところ

 

ー お互いの言い分を判断なく聞くこと

ー どちらかが怒りだすことなども含めてそこで起きているダイナミックスをただ理解すること

ー 中立の「場を保つ」こと

 

これは仲裁 (mediation)と呼ばれます。

 

一見、何もしてないような「もどかしい」状況に見えながら、仲裁の効果というのは思っている以上に大きいんじゃないか?

 

和平合意の定期会合のようにフォーマルなものだけでなく、実際には、一緒にご飯を食べることや、一見ただ雑談をしているようでありながら「聴く力」を発揮している場合も含めてです。

 

そして、そういう場があること、そういう人が一人でも多くいることが大切なんじゃないか?

 

それなのに南スーダン政府には、コミュニケーションに関する研修がまったくないことに気づきました。私はさっそく南スーダン政府にコミュニケーション能力に関する研修を提案し、講師を勤めた研修が終わると、政府の人は言いました。

 

「もっと早くコミュニケーションを学んでおけばよかった。これこそ南スーダンが必要なものだ」と。

そして、私は多国籍チームのリーダーに抜擢され、チームメンバーや同僚の言うことに耳を傾け、地元の知事や大佐、敵対する人達同士が言うことにも耳を傾けました。「聴く」ことーその力とそれ自体私の大きな強みであることを発見していきました。

 

争いのある環境だからこそ、人は理解されることを切実に求めているんじゃないか?

 

紛争地では課題が山のようにあるように見えます。

何か大きなことをしないといけないんじゃないかと私は思っていました。

確かに課題は山済みかも知れないけれども、

 

本当の意味で目の前の人のことを「聴く」こと

ー目に見えない一見小さいなことだけれども、その力こそ今世界で求められていることじゃないか?そう実感した南スーダンの体験でした。

マイストーリー① 日本語が入らない?!羽田発一番長い路線で着いた島で

マイストーリー⑧ 復興への変化をサポートすることは、新しい制度や価値観の変化をサポートすること

東ティモールでの勤務の後、カザフスタンとニューヨークでの勤務を経て、再び現場に赴任することになりました。今度は、当時世界で一番争いが深いと言われ、40年近くも続いた紛争が終わり、和平合意が結ばれたばかりの南スーダンです。

 

自ら志願して南スーダンに赴任することになったのは、新しい国を創るという過程に再び関わりたいというか、東ティモールでもらった「宿題」を進めたいというような思いでした。 (ちなみに、国連は基本的には自動昇進も自動更新もない志願制です)。

 

ニューヨークの本部にいることもできたのに、マンハッタンのど真ん中に住んでいた暮らしから、自ら志願して南スーダンに赴任することが決まった時には、友人たちが「本当に行くの?」ともの珍しいものを見るように何度も私に聞いてきたものでした (ちなみに、国連は基本的には自動昇進も自動更新もない志願制です)。

 

マンハッタンのど真ん中に住んでいた暮らしから一転、再び数ヶ月電気のない生活になった時にはさすがに私も「ああ、私ってほんとにもの好きだなあ」と思いました。

 

そして、南スーダンに降り立った瞬間、東ティモールの時とはチャレンジが一気に10倍に上がったような感覚を肌で感じました。

 

争いの深さ、国の大きさ、教育のレベル、これから必要な政府やインフラの規模、南スーダンの人々の気性。。。実際、全てにおいて、南スーダンは私にとっても全く体験したことのない領域でした。

 

さて、南スーダンでの仕事は、除隊兵士の人たちの社会統合を支援することでした。

 

南スーダンでは、紛争の最中、生きるため安全のために軍に参加すること、または親や家族が目の前で殺された子どもがそのまま「軍」に参加し、その後兵士として生きることも珍しくありません。

 

直接的に兵士にはならなくてもほぼ全員がなんらかの形で紛争に関わっているという意味では、メンタリティー的にも誰もが「紛争時代」から「平和の時代」にシフトすることがなんらかの形で求めらます。

 

当時、私が関わっていた国連のプログラム (DDRプログラム)では、新しいスキルや収入を得る手段を身につけるサポートとして、職業訓練、農業、小規模事業と教育などを提供していました。

当時、驚くくらい道路も建物もない南スーダンで、職業訓練施設を一つ立てることは文字通りネジから屋根まで一つづつウガンダかケニアから運んでくることを意味しました。

 

建物を借り、先生の確保し、除隊兵士の人に実際に集まってもらって職業訓練や農業訓練を一つ提供することは、多大な労力を求められます。

 

そこで私が直面したことー

それは、

 

そこまで大きな苦労をして、いくら素晴しい職業訓練施設を建てて、訓練を提供しても、当たり前ながら学ぶ人もいれば学ばない人もいるということ、

 

学べない人の中には、技術的なものを学ぶ前に「あの紛争はなんだったんだ?」という心の整理がまだ終わっていない人がいるんじゃないか?

 

南スーダンの人たち自身、「あの紛争はなんだったんだ?」という心の整理をしたがっているんじゃないか?ーということでした。

 

そして、気になったのは、南スーダンの人たちが日常会話の中でまったく疑問なくかわす会話でした。

 

親が子どもに言います。

「アラブ人は人間じゃないから話したらいけないよ。」

そして、「アラブ人」は南スーダンの人たちのことをこう言います。

「アフリカ人は『野蛮人』だからイスラム教が必要だ」。。。

 

私が勉強をたまに見てあげていた高校生のアコルくんの宿題にはこんなものもありました。

「アコル、今日はどんなこと習ったの?」

「今日はね、『今のアフリカの戦略的な課題はなんですか?』っていう質問だよ。」

「へえ?!博士論文みたいな随分難しい質問をやったんだねえ。それでどんな答えだったの?」

「アフリカが貧しいのはアラブのせいです。」

「誰が言ったの?」

「先生だよ」

 !!!

 

個人の偏見や思い込みが宗教や民族の違いに置き換えられ、紛争が終わっても繰り返し受け継がれている「負の連鎖」。

 

職業訓練などの技術的な知識はそれなりに提供することはできるけれども、本当に平和になるにはこれこそどこかで断ち切られなければる必要があるんじゃないか?

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⬆️ ネクタイをプレゼントされるアコル

 

元兵士の社会統合支援や紛争後の復興という仕事は、制度や枠組みを整えることと同時に、変化に対する人々の価値観の変化をサポートをすることである、と言うのは、各国大統領・首相、IBM、マイクロソフト、マッキンゼー、世界銀行などのアドバイザーを務め、ハーバード大学ケネディースクールで35年間リーダーシップについて教鞭をとるロナルド・ハイフェッツ教授です。

 

ハイフェッツ教授は、「課題」は技術的に議論し解決できるものと、人の適応や価値観の転換が求められる課題の大きく二つに分けられると言い、今のような変化の時代には、「技術的な課題」だけでなく、「真の適応課題」(Adaptive Challenges)に私たちが向き合うことができるようになることが重要である、と言います。

 

「適応課題」は、技術的な専門性だけで解決できるものではなく、社会や組織の人たちが大切にしている価値観や信念を明らかにし、彼らが変化に適応できるように戦略的かつ政治的に対処していくことが鍵となる、と言います。

 

例えば、変化に対してなんらかの不安があるならば、安心を与え、新しい意味づけや方向性を示すことなども含まれます。

 

そうした適応をサポートする働きや過程は、「適応型リーダーシップ」(Adoptive Leadership)と呼ばれています。

 

元兵士の人たちに職業訓練などの技術的な支援も非常に重要でしたが、それと同時に求められたのは、「適応」に関するサポートでした。社会全体の制度やあり方がガラッと変わり、価値観の転換が伴うときには、新しい価値観への適応が一つ大きな鍵となることでした。

 

より具体的には、除隊兵士の社会統合支援プログラムではウガンダ人のソーシャルワーカーにサポートをしてもらったり、参加者同士での分かち合いの場(peer-to-peer counseling)を取り入れることになりました。また、これまで国の独立のために闘ってきた功績が大統領(政府)によって認めれるような声明・証書があること、それに代わりうる意義や意味をプログラムの内容に見いだすことをサポートしました。

 

別の言い方をすると、時に変化に対する不安や心配に寄り添い、人々に安心を与えながら、かつ制度や枠組みを整え、かつ方向性を示すこと

 

南スーダンで学んだことは、変化の時代を生きるための価値観の変化のサポートでした。

 

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⬆️ 一からこの大学を建てた南スーダン人の友人ドン・ボスコ

除隊兵士の社会復帰プログラムではソーシャルワーカーを呼び、微力ながら心のケアを取り入れることになりました。

私は心の課題や平和を生む「教育」とは何か?ーそういうことに興味を持つようになりました。

/マイストーリー⑨あなたは「私たちが可哀想だから来たのか?

トラウマケアと紛争後の和解についての講義

上智大学での講義。トラウマケアと紛争後の和解について話しました。

ずっと話したかったけど、今回ようやく話す準備ができたテーマ。

どうしたら暴力の連鎖を断ち切ることができる?和解やゆるしを促すものは何?

内戦の最前線にいながら、相手をゆるしたいと言っていたスリランカ軍の人たちなどのリアル体験談を交えて。

まだまだ探求中の大きなテーマですが、なぜ私が?からなぜ相手は?に視点が移ること、

相手が同じ「人間」として見えるようになることーがポイントの一つのように思います。

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写真の図はアメリカの大学(Eastern Mennonite University’s Strategies for Trauma Awareness and Resilience: STAR)での研修で配布されたもので、その過程がまとめられてあります。

みんなとても意欲的で、こういうこと聞きたかったんです!と。

嘆いていいんですね、3.11のトラウマが軽くなりました!そんなコメントもありました。

人間には争いをやめたい深い欲求がある ー そんなことを感じた日でした。

関連記事⇒ https://chikaonaka.com/category/reconciliation/

スリランカ内戦の当事者と話しをしたら(1)

スリランカに軍のトレーニングの仕事で行ったことがあります。スリランカでは長い間、シンハラ人とタミル人の間で内戦があり、当時、スリランカ軍と言えば、内戦を「制圧」した際に何千人もの一般市民を犠牲にすることをゆるしたとして、人権団体や国連の人権委員会などから批判を受けている対象でした。

内戦の終結から2年が経っていましたが、ちょうど、スリランカの人たちが戦争の傷に向き合い始めた時期と重なっていたようです。

「もう戦争はたくさん」「なんで自分の家族が?」「この内戦にはどんな意味があったのか?」「なんでこんな戦争を許してしまったのか?」「『制圧』は正しかったのか?」ー

シンハラ人もタミル人も、政府も軍もLTTE(タミル解放戦線)も、それぞれに苦しみがあるのを感じました。同時に、もう二度と内戦には戻りたくないという共通した思いも強く感じました。

そんな環境にいたので、私は気づいたら「どうしたら人は和解に向かえるのか」と考えていました。内戦を「制圧した」と批判されていた軍ではありましたが、研修で彼らと過ごすうちに、「彼らも和解に向かいたいのではないか?」と感じ、彼らと一緒に和解について考えてみようと決めました。

もしあなたが国連要員として、とある紛争が終わったばかりの国(架空の国)に派遣されたら?という想定で、南スーダンの事例を少しアレンジすることにしました。架空の国という文脈を使うことで、より軽く自由に発想ができるようになる効果があります。

「被害者」は加害者に事実を認めて欲しい、どんな影響があったのか理解して欲しいと望み、「加害者」は、被害者に対面するのが怖く、やはり「加害者」の傷を理解して欲しいと望みます。「両方が傷を負うという意味においては、両方ともが被害者なのです」ーそのような話しをしたと思います。

彼らの中には内戦の前線で重傷を負ったり、仲間を殺された人もいたのですが、彼らの中にさえ(だからこそ)「相手を赦したい」「和解・平和を選びたい」という思いがあるのをはっきりと感じました。

そのトレーニングには、スリランカ軍の訓練センターのセンター長の大佐の方も参加してくれていたのですが、そのテーマの後、その方が私に伝えてくれました。

「私は自分の目の前で部下を何人も殺されたのだけれども、タミールタイガーを赦したいと思っている。自分が楽になるためにはそれが必要だと感じるから。」

戦争に「勝者」はいないと思いました。

そのうち、スリランカの経験について学んでいたと思っていたのに、日本のことについて学んでいたかも知れないことに気づきました。。。スリランカを通して学ぶ日本のこと(2)に続く