新しいことに取り組むのがこわい、完璧主義、失敗を避けようとする人へー「ちゃんとしなきゃ」よりももっともっと大切な質問

つい昨日のことです。

 

最近参加したある勉強会の第二回目の会がありました。

 

テキストがあって、宿題をしておくことになっていました。

 

それが私だけ別のところをやってきてしまっていて、身に付けたいことがあってわざわざ時間をとって来てるのに、ちょっと「恥ずかしいな」と思いました。

 

ちょっと心を落ち着けてみると、

 

そういえば講師の方が「次回だけ順番が変わりますのでご注意くださいね」と言っていたことを思いだして、

 

ちゃんと講師の方の話を聞いていなかったなあ、と思いました。

 

そして、何か新しいことを習い始めるために大切な「謙虚さ」が足りなかったなあ、と思いました。

 

ある程度なにかの仕事をマスターしたり、なにかに成功すると人は「こうすれば上手くいくという自分のやり方」を身に付けます。

 

人が仕事で経験を積み、学んでいくことで、体験することで得ていく仕事や人間についての洞察や理解といったものがあるのだと思います。

 

それはとても有難いことで、だからこそわたしは人さまの相談にのれるのですが、

 

ただ、そうした過去の成功体験が新しいことを学ぶときには邪魔になってしまうことがあるのですね。

 

自分自身に言うつもりで言っていますが、新しいことを学ぶときにはピュアでオープンな気持ち、そして謙虚さが大切です。

 

初めてのことをやるときには間違えることもあるし、最初からできるわけじゃないし、周りの人たちに教えてもらったり、助けてもらう必要もあります。

 

日本人は「失敗」を極端に避けようとすると言われます。

 

海外に12年いた経験から言ってもそれは肌レベルで感じます。

 

どうしてなんだろう?と少し思ってみると、

 

わたしたち(日本人)は、

 

自分にできないことがあること

人に教えてもらうこと

自分が一番でないこと

完璧にできないこと

「普通に」できないこと

自分の期待していたようにできなかったことも

 

「はずかしい」(恥)と感じて、

 

それまでも「失敗」とっても呼ぶ傾向が強いんじゃないかな?と思いました。

 

新しいことに取り組むのがこわい

自分の作品を発表するのがこわい

あたり障りのない意見を言おうとする

相手にほんとうの気持ちを伝えるのがこわい

完璧主義になる

失敗を極端に避けようとするのも同じメカニズムです。

 

でも最初からなんでもできるスーパーマンのような人はいませんし、完璧な人もいませんよね。

 

これを書きながら、高校生のときに会ったブラジル人留学生の友人がどんなことがあってもあまりにも、「あっけらかん」としていて、ちゃんとがんばる日本人のカルチャーしか知らなかった私は、かなりのカルチャーショックを受けたのを思い出しました。

 

そういえば、国連の採用面接で失敗について聞かれることにも最初はびっくりしたものです。

 

「あなたが失敗したことは何ですか?そこからあなたが学んだことは何ですか?」という質問でしたが、計画してもその通りにいくことなんで稀だし、人は間違いをするし、そのときにどうするかの方が大事ですよ、という意味だと理解しました。

 

わたしたちの多くは、「ちゃんとしないといけない」と育てられるのですが、その体験から何を学んだか?という「リフレクション」(振り返り)の視点はあまりないように思います。

 

大切なのは、間違いを避けることではなく、その体験から何を学んで、次はどうしたらいいのかな?という視点なんですね。

 

昨日は帰ってきてから、さっそくその日までに出来なかった宿題を終えて、次回の分の宿題も終えました。

 

「宿題」を出されたり、宿題をやるのも二十年?かぶりですが、ピュアな気持ちで楽しめそうな予感がしています (*^-^)ニコ

 

ps. 完璧主義や失敗をさけようとするメカニズムをわかりやすく説明している本自体あまりないのですが、この本はとても面白いです。

 

ほんとうに成功している人は神さまに応援される人❗️③ー神様の視点を理解すればもっと楽にうまくいく

もし本気で人生をよくしたいと思うならば、わたしたちは作戦を根本的に変える必要があります。

 

それは神さまに応援されることです。

 

そして、「世間の視点」ではなく、「神さまの視点」を理解することです。

 

神さまは、わたしたちが心穏やかでいて、幸せでかつ人の役に立つ存在になることを望んでいます。

 

この中で一番優先順位が高いのは「心穏やかにいること」です。

 

なぜなら、幸せであることも、愛があることも、人の役に立つ存在になることもその根本には自分が「心穏やかである状態」があることからです。

 

「心おだやかであること」と言うと、すごく受動的なように聞こえるかも知れませんが、心穏やかでいられることは実はすごくパワフルなことです。

 

ある大手企業に勤められている方ですが、ある新規プロジェクトに配属されたのですが、そのプロジェクトを率いる部長さんは性格も「一癖」あって、会議もしらけていて、そのプロジェクトがいったいどうしたら進むのか想像がつかない位だった、と言います。

 

まず、会社へ行くこと自体が苦痛の日もありましたが、自分が穏やかでいられるために、会議の前にある瞑想を取り入れ、会議に参加している時の自分と参加者全体の心の状態に意識を向けることを始めました。

 

すると、なぜか会議が周り始め、部長も彼女をかってくれ、責任のあるプロジェクトを任され、それまで会社で誰もやったことのなかったことを立派にやり遂げました。

 

その成果が認められたこともあって、対外的な会議にも会社を代表する立場として出席するようになり、経営企画室に配属されました。

 

経営企画室の空気はとても重かったと言いますが、出勤する前にある瞑想を習慣づけると、経営企画室の人たちがなぜか彼女を頼り始め、社長からも声をかけ始められるようになりました。(経営企画室に何十人もの人がいる大企業の話しです)

 

神さまはときどき、「自分の向いている方向があっていること」をそのようなとても分かりやすい形で見せてくれます。

 

時には「わかりやすい方法」で神さまのサポートを見せてくれることもあるでしょうし、神さまと自分が望んでいることが一致していれば大きな「結果」を体験するかも知れません。

 

ただ、私たち人間は忘れやすいし、すぐに気移りしてしまう弱い存在なので、応援もやる氣も必要だということをわかっているかのように、「わたしはここにいますよー」とわかりやすい形で応援や結果を示してくれることもあります。

 

ただ、神さまの視点から、見ると仕事は「手段」の一つです。

 

神さまが関心を持っているのはわたしの持っている「思い」であり、「意図」(目的)であり、「原因」です。

 

わたしたちの思いが「原因」で、わたしたちが見るもの、体験するものは「結果」である、という考え方があります。

 

私たちの中の思考パターンや感情の傾向、エネルギーや過去の体験があるパターンとなって現れる、いう考え方です。

 

この見方によると、「原因」そのものがそのままだとしたら、目に見える環境や状況をいくら改善しようとしても、なぜかいつも同じような「結果」をつくってしまう、ということになります。

 

例えば、もし人は信用できない、と思っている考えがあるとすると、それを確認するような体験を繰り返すことがあります。

 

世界は理不尽だと思っていると、理不尽な体験ばかりが目に入ることがあります。

 

これは引き寄せの法則というレベルの話しではなく、自分の思い(内側)が外の世界(外側)をつくるという「創造の原則」です。

 

わたしたちは、自分のいる職場や上司や「理不尽な社会」が原因で、心の動揺や落ち込み、不安、おそれなどを感じると思っています。

 

でも、神さまの視点から見るとまったく視点がかわります。

 

神さまは、なんらかの課題や問題を体験したときに、はて?今度はどうしたらいいんだろう?自分の中にそれをつくっている原因はなんだろう?と自分の内面に目を向けることを望んでいます。

 

そのために、神さまは、それを見せてくれるような仕事や職場を与えてくれます。

自分にとっての魂の課題に取り組むのに最適な人間関係や環境をくれます。

 

自分のこころの状態、思考パターン、感情のパターン、自分を深い部分で動かしている動機、過去の未完了の体験やこころの重荷、思い込みや自分の中のブロック)に目を向けられるようになるためです。

 

とくに、頭ではこうしたいと思っていても、なにか「葛藤」があるような感じがする、なにかスッキリしない、「モヤモヤ」する、何かが「つっかえてる」と感じるときは、無理やり進めようとするのではなくて、それに気づいて、分解することが役立ちます。

 

難しいように聞こえるかも知れませんが、そこにきちんと意識を向け始めることで、目の前の状況が見る見る変わっていくのを体験するとある意味「快感」でもあります。

 

だって、外の状況(外側)を変えようとすることはすごいストレスですが、自分の内側を変えるのは自分次第だからです。

 

そして、神さまは、わたしたちがどんな体験をしたいのか?何を望んでいるのか?あなたの意思表示を待っています。

 

私たちに「問題解決」に追われる人生ではなく、もっと大胆に祝福と喜びに満ちた新しい人生を「創造」して欲しいと願っているからです。

 

日々体験することや仕事での人間関係を考えるとき、「神さまの視点」という視点から今の状況を理解するならば、より根本的な解決のための糸口が見えてくるでしょう。

 

視点をあげましょう。

 

心を開きましょう。

 

「この件を神さまの目で見させてください」

 

「神さまの耳で聞かせてください」

 

「神さまの心で感じさせてください」と、お願いましょう。(*^-^)ニコ

人生の最高の目的の一つは奇跡に溢れた人生を体験して奇跡を伝える人になること❗️ー「奇跡はごく自然に起こることです」のほんとうの意味

昨日、ご家族の引っ越しを大きな力のサポートとともに進められた友人のお話しをしました。

 

関連時期→神さまに応援されるお願いの仕方ー「これじゃないと幸せになれない」ではなく⭕️⭕️とお願いすること

 

これまでどんなに頑張っても上手くいかなかったことが自分の想像を超えた方法で物事が展開し始めるのを見るとき、思わず手をあわせて空を見上げたくなるような瞬間があります。

 

わたしはクライアントさんに何度もそういう体験を見せてもらっていますから、とても恵まれた立場にいるのだとこれを書きながら改めて思います。

 

そういう体験を見させてもらうと、人生の一つの大きなレッスンとは「奇跡」を受け入れることなのかも知れない、と思います。

 

奇跡というとものすごいことを思い浮かべるかも知れませんが、「奇跡のコース」(A Course in Miracles)では、「奇跡」についてこう書かれています。

 

「奇跡のコース」(A Course in Miracles: ACIM)とは、過去の経験によって身についた『否定的な自己プログラミング』を解消して新しい見方(知覚)を学ぶ練習書として知られるものです。

 

以下引用です。

 

「奇跡に難しさの順序はありません。

ある奇跡が他の奇跡よりも「難しい」とか「大きい」ということはありません。

愛の表現は全て最高のものです。

 

 

奇跡は愛の表現として自然に起こります。

本当の奇跡とは、そうした奇跡を思い出させる愛そのものです。

この意味においては、愛によって生ずるあらゆるものが奇跡です。

 

 

奇跡はごく自然に起こることです。

それが起こらないときは、何かが間違っています。

奇跡は誰もが持つ権利ですが、ます清めが必要です。

 

 

祈りは奇跡の媒体です。

祈りは創造されたものと創造主のコミュニケーションの手段です。

祈りを通して愛は受け取られ、奇跡を通して愛が表現されます。」

 

奇跡なんて言葉を聞いたらすごい大きなことかと思うかも知れませんが、これが教えてくれていることは、奇跡に「大」「小」はないということです。

 

奇跡は愛の表現なので、それは自然に起こるということです。

 

あなたの生活にはどんな奇跡がありますか?

 

これまでどんな奇跡を体験しましたか?

 

あなたにすでに与えられている奇跡に気づきましょう。

 

日々の生活にある奇跡に気づきましょう。

 

 

「人は自分が目を向けているものを体験する」という原則で奇跡がさらに大きくなっていくからです。

 

そして、こういう人の「奇跡体験」を聞く人は、自分も同じ体験をするということ、そして、サポートや奇跡を体験した人は他の人にもその体験を伝えていくことで奇跡をさらに広げていくとお伝えしました。

 

関連記事→神さまに応援されるお願いの仕方ー「これじゃないと幸せになれない」ではなく⭕️⭕️とお願いすること

 

愛と祝福、奇跡に溢れた日々をお祈りしています♡♡♡

想定外の事態、記録的、 観測史上初ーそんな形容詞が日々のニュースに溢れている今思うこととわたしたちが学ぶこと

観測史上初の記録更新、もはや形容しがたい猛暑が続き、突発的な豪雨大雨が全国各地で続いています。西日本に続き、東北地方、そして北陸地方でも突発的な豪雨があったそうです。

 

今週の月曜日には東京でも突然ゲリラ豪雨があって、駅が冠水したり停電が起きたり近所の家では雷で冷蔵庫が壊れたりしました。

 

昨日まで五日連続で台風が発生してこの現象は「観測至上初」だそうです。

 

ついたった半年ちょっと前のことなのに記憶のかなたに飛んでしまいそうですが、今年1月下旬には東京で氷点下の日が6日連続で続き、埼玉県でマイナス9.6度の寒さを記録するなど、やはり「記録的な寒波」と言われました。

 

今年の冬はかなり寒かったです❄️❄️❄️。。。

 

想定外

記録的大雨

観測史上初

考えられない条件が何重にも重なって起こった現象

前代未聞。。。

 

もはやそんな形容詞が日々のニュースに溢れています。

 

気象庁は後付けのように、いかに異常が重なった結果であるかをもっともらしく科学的に説明しようとするのですが、その説明を聞けば聞くほど感じるのは、「人間がコントロールできることなどない」ということです。

 

そして、それを人類に示すことは神さまにはまったくもって簡単なことだということです。

 

それはけっして神さまが怒っているというニュアンスではなく、わたしたち人類が目覚めるためのウェークアップコールであり、愛のメッセージだと感じます。

 

3.11東日本大震災からわたしたちが学ぶことの一つは「当たり前のことは一つもない」ということでした。

 

わたしは当時計画停電を経験したので、電気のつかない暖房のきれた部屋で過ごした時間をすご~く長く感じ、「当たり前」だと思っていたものがまったく「当たり前」ではなかったことを肌で感じました。

 

わたしたちに与えられているものはまったく当たり前ではありません。

 

自分の力で生きていると思っているほど、まったく自分の力でも生きてもいません。

 

わたしは国連時代に仕事やキャリアがうまくいっている時には自分の努力の賜物だと思って思ってきましたが、物事が上手くいかなくなって始めて実はそうではないかも知れない、と真剣に思うようになりました。

 

人間が自分の力で何かをコントロールしている、またはコントロールできると思うのもかなり限界にきています。

 

その一つの表れがこの気候なのでしょう。

 

自分の力で何かをコントロールできないというのは、「弱さ」ではありません。

 

人間をはるかに超えた大きな力があるという「謙虚さ」を取り戻すときです。

国連勤務を経て自分がやってきたことが全て無駄だったような感覚に襲われて気づいた使命・ミッション・存在意義のみつけ方

昨日、ミッションについて聞かれました。

 

自分のミッション・使命・存在意義をみつけたいという人は多いです。

 

「なにをやるか」よりも「なんのために」が大事と言いましたが、自分の使命や存在意義については誤解もたくさんあります。

 

自分のミッションや存在意義が自分の中で腑に落ちると、楽にはなるし、「軸」となってくれますが、それはびっくりするようなすごい仕事という訳でもありません。

 

それはすぐにわかるわけでもないし、なによりミッションや使命は探すものではありません。

 

もちろん、それをすごく求めたくなる時はありますし、自分の意識やエネルギーがミッションや使命に向けられる時期もあります。

 

わたしの場合、国連PKOで南スーダンに関わった後、しばらくした後南スーダンで紛争が再発し、見慣れた街が一変し、避難民が溢れかえっている映像をみたときに、自分がやってきたことが全て無駄だったような感覚に襲われて、それを埋めるかのように自分の使命やミッション、人生の意味というのを探し求めた時期がありました。

 

そんな時期に始めたことの一つがブログを書くことでした。

 

最初は人に伝えるということよりも自分の体験の整理のためでした。

 

書くという作業には追体験をするという効果があります。

 

書き始めると、忘れていたいろいろなことが思い出されてきました。

 

そして、書くことで「なんとなく」として終わっていた体験を言語化することになりました。

 

「言語化」することによって、過去の体験を整理することになりました。

 

そして、その体験で学んだことは何だったのか?という過去の体験を「学び」に変えていく作業となりました。

 

書くという作業をすると「ああ、わたしはあの時こんなことを感じていたな」と、当時は感じきれなかった思いを思い出したり、「ああ、わたしはあの時こんなことを学んだな」と自然に腑に落ちる瞬間がたくさんありました。

 

そんな作業を1年以上繰り返すうちに、「点」と「点」だったと思っていたわたしのキャリアに「線」が見え始めるようになりました。

 

スティーブジョブズもスタンフォードで習ったアートのクラスでフォントのデザインについて習ったことがアップル創業ですごく役に立ったと言っていて、「点と点がつながった」という表現をしています。

 

ただ、それはびっくりするようなすごいことでもなく、振り返ってみると「自然とやってきたな」と思ったことでした。

 

できなかったことも、振り返るのが難しかった出来事も、「もっとこうすればよかったなあ」と思うことはいくらでもありますが、

 

それも含めて過去を整理して、認め、受け入れていくことで改めて自分という存在について発見し認めていくことの延長で、

 

自分のミッション・存在意義が浮かびあがったというニュアンスでした。

 

それはこういうものが使命だ、かっこいいミッションを持ちたい、自分はだめだ、もっとこうだったらいいのに、という思いではなく、そうしたものを削ぎ落として、当たり前だと思っていたことの中にすでにあったという体験でした。

 

誤解は使命やミッションを探すことです。

 

なぜなら、今の自分ではダメだからという自己否定や、

がまんや苦労があってこそ報われるという思い込みから「使命」を探そうとすると、

 

つまり心の動機が愛ではなく、おそれの状態だと

義務感やこれまで自分を駆り立ててきたものになってしまいます。

 

しかも、自分の使命やミッションが分かったからと言って「問題」がなくなるわけではありません。

 

使命やミッションとは「自分はこれでいい」と認めることから始まるのだと思います。

 

 

目の前のことに一生懸命に取り組んできて、自分に正直になって、人生を楽しむと決める日々の中で、自分のミッション・存在意義に気づいていくのだと思います。

 

使命・ミッション・存在意義を探されている方へのヒントは、

 

① まず、目の前に与えられた仕事を心を込めて一生懸命にやることです

 

人は仕事を通じて自分の得意不得意も含めて自分の特性や資質や役割を発見するからです。

 

② 人との関係で愛を学ぶことです

 

人に愛と思いやりを示すことです。愛がある人にはさらに愛を広めるために、より大きな仕事とチャンスが与えられるからです。

 

③ そして人生を楽しむことです

 

人生思い通りにならないことはたくさんあります。不機嫌な顔もできるし笑顔にもなれます。でも、運や人間関係、チャンスを引き寄せる人は楽しんでいる人です。

 

実は「楽しむ」ということがけっこう大事ではないかと思います。

 

楽しんでいると、日々の中で自分がどんな時に楽しいのか、どんなときに情熱を感じるのか、どんな時にに喜びを感じるのかに気づくからです。

 

使命はすでにあるものです

 

自分の心の目が開いたときにすでにあるものの中に気づきます。

 

自分の感覚に正直になりましょう

 

こういうの好き!

気持ちいい!

やりたい!

美味しい!

楽しい!

 

 

美味しいものをいっぱい食べましょう

 

簡単に楽にやりましょう。

 

楽しい時間を増やしましょう!(*^-^)ニコ

75%案件に注意❗️「転職エージェントの勧めにしたがったけれどもまったく幸せになれなかった」ケースー「なに」を選びかよりも⭕️⭕️で選ぶか

転職エージェントの勧め通りにしたがったけれども、まったく幸せになれなかったという方の相談にのったことがあります。彼女はベンチャーと大企業の両方の勤務経験を持つ転職エージェントから誰もが羨ましがるような経歴をお持ちでした。

 

別の方では、30代半ばの女性で、今は子育てに専念したいという方がいらっしゃいました。

 

仕事は好きでバリバリ働いてきましたが、今は定時通りに帰れることを優先基準にしました。

優秀な方なので、できたら自分の興味のある分野だったら嬉しいということでした。

子育てをしながらの転職活動中はたいへんだったのですが、幸い旦那さんの協力も得て、幸いすぐにいくつかの案件があがって、面接も通りました。

 

前の職場から今の職場への移動もズムーズにいったのですが、彼女が今悩まれていることは、定時通りに帰れることを基準に選んだはずなのに、帰れないことが続いているという状態です。

 

日本の会社でそんなことは当たり前だよと言い捨てるのは簡単ですが、今思えばその点についての判断がブレたかもしれない、と振り返ります。

 

数件の中から選ぶことになったのですが、「どこも定時に帰れます」という条件の中で、最終的にポイントとなった点の一つは、その会社が業界で有名だったことです。

いくつもの大会社とのコネクションを持っていることでした。

そういう場に身をおくことで、次の転職に役に立つかもしれないと思ったのです。

その判断自体は、しごくまっとうな理由だと思います。

 

ただ、だからこそ、本当に定刻通りに帰れる職場環境で上の方の理解がありそうなのか、その点について見極めるのが甘かったかもしれないと言います。

 

とくに日本人は、前ほどではないとはいえ、まだまだ大企業主義や権威主義があります。

 

わたし自身、国連をやめようかということが頭によぎってから、実際に辞めるまでに2年半もかかりました。

 

自分のことを振り返ってもよくわかりますが、人は弱いので大きな組織、有名な組織のかさの下にいることで安心したいと思います。

 

自分の中に自信のない部分があったり、なんらかの過去の体験やコンプレックスを持っていると、肩書きや組織など華やかな業界などで「そこで働いているわたし」という外のイメージでそれを埋めようとします。

 

そういう部分は誰にでもある程度あると思いますが、何か重要なことを決めるときの自分の状態に気づいていることがとても重要になるのは、それによって自分の判断がぶれることがあることです。

 

しかも、それは「75%案件」といって、一見ほぼいい案件なのです。

「ほぼいい案件」なので、それが悪いわけではけっしてありません。

 

ただ、残りの25%が思っていたよりもけっこう重要だった、ということがあります。

 

彼女の場合、苦労をして転職活動をしたにもかかわらず、まだ苦労の日々が続いています。

 

人間ですから、そういう選択をすることはあります。

 

実際に体験してみてわかることもたくさんあります。

 

そういうことも含めて、自分で選択することこそ、生きるということを学ぶことなのかも知れません。

 

ただ、なんだか同じようなことを繰り返しているなと思ったら、自分が「なんで」それを選んでいるのか気づきましょう。

 

仕事だけではなく、日々「選択」は続きます。

 

転職、仕事、パートナー、マンション買うか買わないか、どこで買うか、どこに住むのか。。。

 

孫子の兵法には、「敵を知り己を知れば百戦危うからず」という言葉があります。

 

自分の選択がどこから来ているかに気づきましょう。

 

「愛」か「おそれ」か?

 

「愛」を選びたいですか?「おそれ」を選びたいですか?

 

愛とはワクワクする状態、広がりを感じる状態、穏やかさを感じる状態です。

 

おそれとは「ちゃんとしないといけない」といった義務感や世間像にあわせること、自分の過去やコンプレックスからその選択が生まれている状態です。

 

前者は軽やかでスムーズです。守られているような感じがします。

 

後者は重荷をかつぐような重い感じがします。

一生懸命にやらないといけないというふんばりやがんばらないといけないと感じます。

 

愛からの選択を求めましょう。

 

あなたは愛を受け取るのにふさわしい存在です!

 

愛から選ぶと決めましょう。

自分の力を超えた大きな力を味方にしたい人へ!2018年後半あなたの運を上げるために知っておくこと

先週末、ガーナから日本にやってきたばかりの友人の子どもたち二人がうちに遊びにきてくれました。

 

簡単なご飯をつくったのですが、中一と高三の男の子なので、びっくりする位にたいらげるよ!と聞いてはいたものの、わたしの用意した分があっという間になくなって、びっくりしました(!)😆

 

みごとな食べっぷりでした!

 

それを見ながら、高校二年生のときにニュージーランドに留学したときのホストファミリーを思い出して、一年間もほんとうによく毎日ご飯をつくってくれたものだと感謝の気持ちで思い出しました。

 

私が帰国した後、わたしの両親が今度はうちの番だといって、一年間フランス人の男の子を迎えホストファミリーになりました。

 

わたしが大学一年生のときで、妹とわたしは部屋を彼に渡して、和室に布団を敷いて寝たりしたのですが、彼がきっかけでうちの家族はワインとチーズにはまり始め、その後、両親は彼の家族に会いにフランスに旅行をしたりしています。

 

父はもう30年以上も毎週末ある電話当番のボランティア活動をしています。

 

ガーナの子たちの食べっぷりを見ながら、わたしは両親から「与えるのは受け取ること」という原則を教えてもらっていたなと思います。

 

母としては4人分つくるのも5人分つくるのも変わらないと思っていたのかもしれないけれども、たった一回ご飯をつくるのは簡単だけど、一年になるとまったく違いますよね。

 

日本語のわからないときには、気をつかうこともありますし、病気になったら病院に連れていったり、保護者会にも出席します。

 

でも、新しく誰かを家族として迎えるという体験、彼の家族とのフレンドシップ、その後も続いている手紙、その後妹が留学したこと、などなどすぐに思い出す思い出や恩恵だけでもたくさんあります。

 

でも、もっと感じるのは、これは直感的に感じることなのですが、それ以上に宇宙から何十倍もの恩恵が両親、そして家族全体に与えられてきたと感じることです。

 

それは、何をしたというよりも、見返りを求めないあり方に対してだったと思います。

 

一昨日から、私たちの選択には究極的には「愛」(安心・やすらぎ)か「おそれ」(不安・孤立・無力感)の二つしかありません、というお話しをしています。

 

愛がわからないと思うのなら、愛を与えましょう。

 

愛を人に求めると自分の期待通りにならないのでフラストレーションばかりたまりますが、愛を与えると自分も愛を体験します。

 

与えることは受け取ること、だからです。

 

同時に与えるとは「なにかをすること」とは限りません。

 

例えば、

誰かにあいさつをする。

笑顔をかえす。

目の前の人のいい点をみつける

相手をほめる

家族、友人、知人に思いやりのある言葉をかける

相手の健康や幸せ、成功を祈る

 

などでです。

 

4歳の姪っ子は与えるのがとても得意です。

 

近所の電気屋さんのおじさんに満面の笑顔でニコニコと笑顔をふりまきます。

 

わたしは思い立ったら「元気?暑いけど元気でね」と頭に浮かんだ人にLINEメッセージを送ります。気持ちは姪っ子のように(笑)

 

日々の生活の中に愛を増やしましょうね。

(*^-^)ニコ

 

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