ランチやレストランで入った先での接客で、うん?と思ったことはありませんか?
こっちはお金を払う側なのに、なんで?
私もつい最近入ったところで、目の前のシェフとウェイターの人が「最近、ぜんぜん休みがないよなー」と文句と言い始め、ため息をつきながら準備を始めました。
ため息をつきながら作られるものは食べたくありません。
私たちが取り入れるのはそのエネルギーだからです。
うん?なんかおもかしいと思いました。
でも、言うのも面倒くさいなという考えも一瞬よぎりました。
でも、やっぱり、そんなものをお金を払って自分の体に入れるなんて理由はありません。
パスタがすでに茹で始められたのが目に入りましたが、出ることにしました。
ウェイターの方を呼んで、「ため息をつきながら作られるものは食べたくありません。ドリンク代は払うのでお会計をお願いします。」と言いました。
相手は少し驚いたように、私の顔をじーっとみました。
すぐ側にいた二人組みも私と二人の様子を見ていました。
私は例え、ドリンクはまだほとんど飲んでなかったけれども、それでもドリンク代を払ってでも、そんな空間に身を置きたくない、と思いました。
自分の体に取り入れるものの方が大切です。しかもそんな振る舞いやエネルギーを受ける必要はありません。
私にとってははっきりしていました。
そんな様子が伝わったのか、シェフが謝り、ドリンク代はけっこうです、ということになりました。
周りのお客さんは、「どうぜ、そんなものだ」と受け入れていたのでしょうか。
もし、そうだとしたら、自分も相手も甘やかしています。
なにより、自分を大切にしていません。
だって、そんな空間もサービスも振る舞いも受ける必要はないのです。
私はカザフスタンという旧共産圏で働いたことがありますが、ソ連から独立してまだ10年も経っていない時でしたので、まだサービスという概念もお店の種類もまだまだ限られていました。
私たちが住んでいるのは日本です。
私たちには選べる自由があります。
それはお金を大切にするということでもあります。
自分がお金と交換に受け取る価値に納得してその使い方に責任をとるということです。
そして、自分を大切にするということです。
もし、そんな体験をしたら、自分が自分を大切にする、ということを意思表示するチャンスをもらっています。
いつも我慢し過ぎ、または半分あきらめて「どうせそんなものだ」だと思っているのかも知れません。
だからこそ、声に出して「やっぱりやめます。」「帰ります。」「やっぱりけっこうです。」と言うのです。
不快だった感覚がその一言を口にした途端たった1分で快感になりました。
その一言で自分に力を取り戻します。