答えを言うのも求めるのも簡単だけれども、自分で答えをみつけるようにサポートすること

先日、都内のある有名な老舗のお米屋さんの方とおしゃべりすることがありました。

 

こちらのお米屋さんの扱うお米はとても美味しくて、引っ越した先でもわざわざ送ってもらう人も多いそうです。

 

地元でも評判のお米屋さんです。

 

先日、「どのお米がお勧めですか?」何気なく聞きました。

 

すると答えはこうでした。

 

「うちはね、まずお客さんに数種類のお米の値段帯のお米を試すことをお勧めしているんですよ。」

 

なので、「このお米がいい」という銘柄を断定するような「答え」はありませんでした。

 

でも、その人にとってベストな「お米」をみつけられる方法を教えてくれたのだと思います。

 

そうなんです。

 

答えを言うのも求めるのも簡単ですが、いい先生は、その人が自分で必要な答えをみつける方法を教えてくれます。

 

わたしもそのような導き方でありたいと思っています。

「苦労して考えないと答えは出ない」は嘘だった❗️ーオックスフォードで学んだ「答えは簡単にわかっていい」という事

私たちの中には何かについて考えるときに、それが難しい問題であるほど、一生懸命に苦労して考えなければ答えが出ないという思い込みがあります。

 

ただ、なんらかの課題に対して答えを出す時、必ずしも苦労して汗の滲むような努力をして考えないと答えが出ない、訳ではありません。

 

これは思い込みです。

 

なぜなら、問いと答えは同時に浮かぶ、と言われているからです。

 

その問いが浮かぶ時点で、その答えも同時に認識していると言われているからです。

 

問いと答えは同じ次元に存在しているという訳です。

 

 

 

 

私たちが考えることを止めてしまう理由の一つに、一生懸命に苦労をして、または何かを我慢しないと何かを成し遂げられない、という思い込みがあるように思います。

 

なにしろ、私も、苦労して一生懸命やってこそ何かを成し遂げられると思っていました。

 

それで自分が結果を出してきたので、それを疑ったことはありませんでした。

 

自分が講師を務める講義の準備をするのに何十時間もかけていました。

 

そんなことをしばらく続けて、ヘトヘトになったときに、これって本当に必要なんだろうか、と思いました。

 

そして気づきました。

 

一生懸命に時間をかけた割には本当に必要とされていた部分はその2割くらいだったということ。

 

そして、一生懸命時間をかけることこそが成功であるという過去の成功パターンが自分に染み付いている、ことでした。

 

 

一生懸命に努力をすれば、結果がでると信じて自分を安心させたかったというのが深層でした。

 

一生懸命何かに向けて努力をしている時、私たちは「自分が何かをしている」ことである種の安心感を覚えます。

 

ただ、これは一種の「思考停止状態」です。

 

もちろん準備も努力は必要ですが、私たちに時間が有り余っているわけでもありません。

 

なので、本当に必要なことをやる必要があります。

 

 

そして、その本当に必要なことのためのヒントや答えをもっと簡単にわかっていいんじゃないか、と思いました。

 

 

 

そんなことに気がついた時に、私は過去の自分の成功パターンではなく、もっと簡単で新しいやり方にオープンになってみようと思いました。

 

そう思ったら、答えがひらめくようになりました。

 

 

答えというのは我慢というよりは、リラックスしている状態のときにもたらされやすいのです。

 

一生懸命に考えた後で、シャワーを浴びてる時や、散歩をしていたらふと答えが浮かぶということがありますよね。

 

必ずしも苦労して汗の滲むような努力をして考えないと答えが出ない、というのは私の中の思い込みだったんだなと思いました。

 

「そんなすぐにわかったら苦労しないよ。」という声が聞こえてきそうです。

 

 

でも、苦労しないとわからない、という考え方自体が私たちがもっと簡単にやることを止めてしまっているのです。

 

 

もちろん、努力は必要です。

 

考え抜くことも必要です。

 

 

でも、誰がしかめっ面をして机にへばりついてしなければならないと言ったのでしょうか?

 

もっと簡単にやってもいいのです。

 

 

今すぐに答えが浮かんでもいいのです!

 

 

 

でも、楽にリラックスして答えが「わかる」こともできます。

 

 

国連PKOの幹部経験者たちを突き動かす「原動力」とは?ーこっそり語ってくれた彼らの本音

イスラム圏7ヵ国からの移民の入国禁止令が出たかと思いきや、それが差し止めになったり、就任後わずか1ヵ月で安全保障補佐官が辞任したり──トランプ政権の発足後、信じられないようなニュースが相次ぎ、米国の動揺は世界に波及している。

 

当たり前だと思っていたことが当たり前ではなくなりつつあるいま、それに疑問を持たずに思考停止に陥るとさらなる危機が生じる──1994年に起きたルワンダ大虐殺を例にとり、筆者は警鐘を鳴らす。

 

集合場所はスリランカ最大の都市、コロンボの某米国系ホテルでした。

 

「講師の方は到着後、各自ロビーにてスリランカ軍と合流してください」

 

米軍太平洋司令部から送られてきた書類には、スリランカに到着した後の流れについてはそれしか書かれていませんでした。

 

他に知らされていたのは、これから我々講師4人でチームを組んでスリランカ軍に訓練を実施すること、4人のうち2人は元軍人であること。あとは研修の内容と担当分野ぐらいでした。

 

2012年9月、私は国連がスリランカ軍におこなう平和維持活動(PKO)の訓練で、米軍の専門家という立場で講師を務めることになっていました。

 

そのときのメンバーは米国人のJ、元カナダ軍のB、元マレーシア軍のD、そして日本人の私の4人。全員、すでに国連も軍も離れており、個人の専門家として参加していました。

 

私以外の3人には、ある共通点がありました。全員、国連要員として1994年にルワンダで起きた大虐殺を体験していたのです

 

ルワンダ虐殺のような世界を揺るがす大事件の現場にいた人たちは、いったい何を思ったのか?

 

今回の連載でこのテーマについて書きたいと思ったのは、トランプ政権がイスラム圏7ヵ国の移民入国禁止令を出したと思ったら、それがすぐに差し止めになったから。日々、予測不可能なニュースが報じられる状況に「いままで当たり前だと思っていたことが、当たり前ではなくなる時代がやってくる」と危機感を覚えたからです。

 

トランプ政権の誕生によって、私は「そもそも政府は正しいのだろうか」という疑問を持ちました。

 

政府はこれまで絶対的な存在で、権威や常識、そして私たちが「当たり前」だと思っていることの象徴でもありました。しかしその価値観が、もろくも崩れ去ろうとしています。

 

独立前の東ティモールにいたことがあります。そのときは通貨や法律、中央銀行はおろか政府が存在していませんでした。市場でトマトを買ったときに、3つの貨幣(インドネシアルピー、米ドル、豪ドル)でお釣りが返ってきて、無政府状態であることを実感しました。

 

では、「当たり前」なことが何ひとつ存在しなかったであろう、ルワンダ虐殺の現場にいた人はいったい何を感じたのでしょうか?

 

彼らの経験から、「当たり前のない時代」を生きるヒントを探ってみたいと思います。

 

ルワンダが生んだ絆

 

スリランカでおこなわれた訓練プログラムは、世界的にもよく知られたものでした。そのときの講義では、武装解除、元兵士の社会復帰(DDR)、人道支援、安保理決議や国連PKOの意思決定、演習など幅広い内容を網羅していました。

 

演習では、仮想国のシナリオに基づいて意思決定の過程をシミュレーションします。シナリオの策定には米軍もかかわっており、内容もリベリアやアフガニスタンなど世界中の事例が集約された本格的なものでした。

 

武力で敵を倒して破壊するのは簡単ですが、停戦後、政府や議会などの制度をいちから整えて国の根幹をつくり、復興を支援するためには、軍事だけではない幅広い視点を要します。私たち講師のチームに軍人と文民の両方がいたのは、そのためでした。

 

訓練は、我々講師チームがコロンボのホテルで合流した翌日から始まりました。私たち講師の間には、ずっと一緒に仕事をしてきたようなスムーズなチームワークがすぐにできあがりました。

 

「こんなに心地よく仕事ができるのは、同じ目的を共有しているからだろうか?」などと漠然と考えていましたが、実はもう少し「深い理由」があったことを後になってから知りました。

 

きっかけは、休憩中のおしゃべりでした。講義の内容が各々の過去を刺激するのか、休憩をしていると思い出話が始まることがよくありました。

 

「あのときは車が通れなくて、歩いて川を渡ったよ。もう少し流れが強かったら危なかったなあ。まあ、いま思えば懐かしいけどね」

 

たいていそんな他愛のない話をして、笑ったものです。そして、最後には、カナダ人Bが軍人っぽいちょっとシニカルなジョークを飛ばして終わるのが「定番」になっていました。

 

ある日、ルワンダ大虐殺が話題にのぼりました。誰かが、「あのときは周り一面が死体だらけだった……死体の上にさらに死体……」と言うと、周りのみんなも「そうだね」と静かに頷いていました。

 

 

えっ? みんな、あのときルワンダにいたの?

 

 

驚いていたのは私ただ1人でした。

 

国連やNGOで働いた経験を持つ者同士、それまで何をしていたのかを簡単に聞くことはあっても、長い経歴を持つ彼らに「原体験」について尋ねることはありませんでした。

 

その言葉を聞いたとき、私たちチームをまとめていたものが何なのかがわかったような気がしました。

 

ルワンダでの経験についてはそれ以上詳しくは語られなかったものの、彼ら3人からは揺るぎない決意が感じられたからです。

 

「あんなことを2度と繰り返してはいけない」と。

 

 

「壮絶な悲劇」が平和への問いかけを生んだ

 

ルワンダでは、1994年に人口の80%を占めていたフツ族によるツチ族の大虐殺が起こり、たった3ヵ月の間に50万~100万人が殺されたと言われています。一日に1万人以上が殺される日々が、3ヵ月間以上も続いたのです。

 

大学生のときに見たルワンダ虐殺の写真展のことは、よく覚えています。死体の上にいくつもの死体が重なった写真の数々を目の前にしたとき、それまで漠然と感じていた「どうして?」という疑問が、より強い形で私のなかにはっきりと跡を残しました。

 

「人間をこんなふうにさせてしまう状況はどんなものだったのだろう? 民族が違うというだけで、人はこれほど激しく争うのだろうか?」

 

このときに感じた衝撃と問いによって、私は大学院に進学し、紛争地の現場に向かうことになりました。

 

我々がスリランカで講師を務めていた訓練プログラムをいちから作り上げたのは、ある米軍士官でした。彼もこの虐殺が起きた当時ルワンダに派遣されていて、惨状を現場で目撃していたのです。

 

彼は帰国後の1995年、自ら志願してニューヨークの国連本部 にある平和維持活動局(PKO局)へ出向します。

 

そのときの心境を、次のように語っていました。

 

「とにかく、自分がやらなければならないことが山ほどあると思った。それで帰国後に迷わず国連への出向を申し出たんだ。

 

驚くかもしれないけど、僕がルワンダから戻ってきて国連PKO局に赴任した当初は研修の教材どころか、PKO参加国に対する訓練の基準もなかったんだ。

 

冷戦後、世界には問題が山積みだったのに、当時のPKO局自体がびっくりするくらい小さい部署だったんだよ。だからまず、参加国をまとめるための最低限の基準を構築するのが僕の仕事だと思ったんだ」

 

そして、彼は関係者や各国政府と協議を重ね、その仕事に邁進していきます。

 

冷戦が終結してまだ数年しか経っておらず、国連PKOに理解があったとはいえない時代背景のなかで、彼はその仕事を通じて、国連PKOに対する各国からの信頼とサポートを得ていきました。

 

こうして彼が作ったPKOに関する指針と訓練基準は、190を超える国連加盟国の総意として国連総会で採択されました。いまではこれに基づいた派遣前の訓練が各国で必ずおこなわれるようになり、10ヵ国以上の軍の士官が合同で演習をする多国籍訓練も開催されています。

 

実は、国連PKOの幹部経験者のなかで、ルワンダ、ボスニア、カンボジアなどでなんらかの「原体験」を持つ人は少なくありません。彼らがその体験を語ることはあまりありませんが、現場の惨状を知る者だけが持つ、言葉を超えた信念を感じたことは何度もありました。

 

私が国連PKO局にいたときの軍事顧問は、元オランダ軍の中将でした。彼は、1993年にカンボジアで国連の選挙担当官を務めていた日本人がポルポト派と疑われる民兵に殺害されたとき、地域治安部隊の幹部を務めていた人でした。

 

「あの事件があったからこそ、僕は仕事をやめずに続けなければいけないと思った」

 

彼は私に、そう話してくれました。

 

後に、彼が講師を務めた国連幹部研修に参加する機会がありました。彼はその研修で、これから現場の最前線に立つ人たちに役立てて欲しいと、自分が感じたジレンマも含めてありのままをシェアしていました。

 

そんな人たちと接するとき、「彼らを突き動かす原動力は何なんだろう?」とよく考えていました。突き詰めるうちに、それは使命感というよりは「探求心」に近いものではないかと思うようになりました。

 

なぜ人間は戦争を続けるのか、そして人類はどうしたらそれを防げるのか?

 

言葉にはならなくても、あるレベルにおいては誰のなかにも「人間」という存在に対する原初的な問いがあります。各自それぞれの「なぜ?」に向き合い続ければ、一生をかけてでも解き明かしたい問いや課題、そしてその答えを見つけることができるのでしょう。

 

ルワンダの虐殺から十数年を経て、沈黙し続けた生存者と加害者がはじめて当時の状況や現在の心境を語った『隣人が殺人者に変わる時 和解への道 ルワンダ・ジェノサイドの証言』(ジャン・ハッツフェルド著、かもがわ出版)のなかにこういう記述があります。

 

「俺たちは仲間にバカにされたり、非難されたりするよりも、マチェーテ(ナタ)を手に取った方が楽なことに気づいた。

 

(中略)

ある日を境に、僕は使い慣れたマチェーテを手に、隣人の虐殺を始めた。家畜を屠殺するように淡々と。

 

(中略)

 

旧政権はジェノサイドを命じ、市民はそれに従った。新政権は赦せというから、今度はそれに従っている」

 

これらの発言からは、政権の指示や同調圧力に疑問を持つのを止めると、普通の人の集団が100万人もの人を容易に殺してしまうのだということがうかがえます。

 

最近の事件でいえば、南スーダンが挙げられます。2016年12月と2017年2月に続けて、国連は同国で「大虐殺が起きる恐れがある」という警告を出しています。

 

なぜ、人間は戦争を続けるのか? まだその問いは続いているのです。

 

「当たり前」だったことがもはや当たり前でなくなりつつある時代において、自分で考えることをやめることが最も危険です。

 

 

誰が何と言おうと、自分の人生を生きるのは自分です。

 

自分に対する最終的な決定権を持つのは、自分だけなのです。

 

いまこそ、自分にとっての「なぜ?」を取り戻すときなのではないでしょうか。

 

クーリエジャポン2017年3月3日掲載

なぜその問題に関わりたいのか?と聞かれて、答えるのに困ったらー自分の内側から湧いてくる純粋な感覚に勝る『何かをする理由』はないから

なんで自分はこんな風に考えるんだろう?

なんで自分はこんなに「不器用」なんだろう?

なんでもっと適当にできないんだろう?

 

 

自分でもよく分からないけどやっぱり「世界」のことに関わりたいというタイプの人たちがいます。

 

彼らは周りからはよくこんなことを言われるそうです。

 

なぜ、そこまで世界の貧困や環境、平和の問題に関わることが大切なの?

なぜ、安全な日本の生活に満足できないのか?と。

 

ただ、これは本人にとっても「理屈」でわかるレベルのことではありません。

 

時には一生懸命に自分を納得させようとするのですが、「理屈」で説明しようとしてもできることではありません。

 

人間を深い部分で動かす原動力というものはとうてい「理屈」を越えているものだからです。

 

あえて言葉で説明するとしたら、それが「自分が自分であること」の表現だから、でしょうか。

 

 

世界100カ国、18-25歳の42,257人による若者の仕事観に関する調査「2015 Youth Speak Survey Millennials Insight Report」というものがあります。

 

国連とプライスウォーターハウスクーパーの支援でアイセック(AIESEC)という団体がまとめたものです。

 

その中の仕事に求めるもので大切なものは何ですか?という質問で、世界の若者は「成長できる機会」と「意義を感じられる」ことをトップに挙げています。

 

職場にはどんなことを望みますか?という質問に対しては、例えば、このような回答が挙げられています。「僕にとって大切なことは、常に成長できる機会や環境、自分が関わっていることが社会にインパクトをもたらしていると感じられること」22歳、インド

 

2015年「2015 Youth Speak Survey Millennials Insight Report」より。

 

わたし自身、これは国連で働くことを目指していた時のことですが、なぜここまで世界の平和(争い)や貧困の問題に関心が向くのか?と自分でも思ったことを思い出します。

 

あえて一言で言うならば、自分の内側から湧いてくる純粋な感覚に勝る『何かをする理由』はないと思っています。

 

聖書にはこのような言葉があります。

 

「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。」(ピリピ 2:12)

 

これは、人にはそれぞれ使命があって、その方向に向かえるように、心の中に情熱や想いが湧いてくる、という意味です。

 

これは私自身実感します。そのような想いや情熱がなかったら、国連で10年も働く中でも、と南スーダンのような国で4年間も働くことはできなかったと思います。やはり、それは「与えられたもの」だったと実感します。

 

そして、また次のステップや次の仕事、方向性が与えられることがあります。その時にふさわしい情熱や想いがまた与えられるということです。

 

ですから、自分に正直に生きてる人は、時に「不器用」と思ったり、そのように思われることもあるかも知れませんが、神さまの目にはとても美しいのです。

 

 

「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。」ピリピ2:12

 

‘For it is God who works in you, to will and act in order to fulfill  his good purpose.’ Philippians 2:12

アイデアはどこからやって来るの? 本読んでないのに原稿書けるの?ー原稿を書き始めて学んだ直観力トレーニング

 

アイデアはどこからやって来るの?

本読んでないのに原稿書けるの???

 

はい、書けるんです!

 

クーリエジャポンでの連載「答えを求めない勇気」の第三回目の記事が配信されました。

 

「答えを求めない勇気」大仲千華 Vol.3 「チンパンジー化」が進む地球の上で、未知の恐怖に打ち勝つ方法

 

最近、世界情勢が激しいので、テロだとかいわゆる「第四世代の紛争」と呼ばれている現象についての洞察を体験談を交えて書きたいなと漠然と思ってました。

 

ただ大きいテーマだし、具体的にはまだ固まってなくて、さてどういう切り口にしよう???と、

アイデアが頭に浮かぶままに紙に書き出したりしながら、ゆる〜く構成案を考えていました。

 

そんな時に、私のセッションにいらしたクライアントの方がふと言いいました。

 

「あのブログの記事を読んで涙が出たんです。」

「へっ?そうだったの?」(ポカンとする私)

 

講座に参加した人が言いました。

「ミンデルの本に感化されたんです」

(紛争心理学というマイナーな本の著者)

 

ああ、コレだ!💡💡💡

 

ひらめき2

 

 

点と点が繋がって今回の記事になりました。

 

 

ところで、私の記事を読むと、沢山本を読んでいたりするような人の印象を与えるようですが、実を言うと、最近読んだ本で最初から最後までちゃんと読んだ本はあまりなくて、

最近で最後まで読んだのは窓際のトットちゃんくらい(笑)

(←これは面白かった!そして泣いた。。。)

 

だって、情報過多な時代、そんなに文字頭に入らないし、必要なところだけ読めばいいから。

 

 

書くからにはいいものを書きたい。

そのためには自分のピン!と来る感覚に感覚を澄ませる。

こうして、原稿を書くことは、直感力のトレーニングになっているようです。

 

ふと目にしたニュースや届いたメールの

一文にピン!と来たり、

本を開いたら必要なページが目にとまるとか、

そういうことがあるから。

 

だから、

自分のキャッチ能力と識別力の「精度」がより上がればいいなと思います。

 

記事も「考える」というよりは、

背景情報をある程度理解した後は、

数日寝かして、

パズルのピースが一つになるのを待ちます。

 

 

ある日

ピン!!!

💡💡💡

 

一つ一つのパズルが繋がり、

パズルが一つになった感覚(全体像)を得たら、

それを文字にしていくという作業です。

 

書くからにはいいものを書きたい。

だから自分の感覚に耳を澄ませる。

よいトレーニングになっていま~す。

 

メッセンジャーになってくださった方々ありがとうございました~ \(^o^)/

人生の課題は、すべて人間関係の課題であるー対人関係とキャリアの法則

なんで職場や国を変えても同じような課題にぶつかるの???

キャリアと対人関係には、それがどんな分野であれ、なにかしらの「法則」があると聞いたら驚きますか?

⭐️転職すべきかどうかをどう見極めればいいの?

⭐️ コミュニケーション能力と対人関係を向上させたい

⭐️ もっと感情的に落ち着いていられるようになりたい

⭐️上司や部下との関係がストレスの元になっている

⭐️どうやってNoと言ったらいい?

なぜ対人関係とキャリアなのでしょうか?

 

2015年・2016年連続で100万部以上のベストセラーとなっているアドラー心理学は、「人生の課題は、すべて人間関係の課題である」と言っています。

キャリアと対人関係には密接な関係があり、私たちには仕事という機会や場での対人関係を通じて学ぶことがあるようなのです。

その仕事や職場における課題を学ばないままに転職をしても、住む場所や国を変えても、一見、関わる人や環境は変わってもまた同じような課題に直面する人もいます。

他方で、「上司があまり頼りにならない」と言っていた人が、上司の方との関係に意識を向けたことで、転職活動もスムーズに進み、「前から働いているような心地よさがあります!」と感じるような新しい職場をスムーズにみつけた人もいます。

私自身、国際機関や米国政府での仕事とキャリアの体験、カウンセリングを受け、学び、実際に相談を受ける体験から、このことを何度も痛感しています。

私自身、キャリアの中で対人関係に関して、悩んだことは数知れません。

上司との関係
同僚との関係
部下との関係
私自身、パワハラに苦労したこともあれば、いわゆる社会で言われる「リーダー像」に自分をむりやり合わせようとして苦しい思いをしたこともあります。
対人関係でストレスを感じると、仕事全体のストレスレベルが数倍になるように感じられたことが何度もありました。

当たり前ながら、人生には順調な時もあればそうでない時もあります。

誰でも挫折や自信喪失、倦怠感などを体験します。

その中でも「想定外」で予想のつかないのは、対人関係かもしれません。

ただ、対人関係が大事だとは頭で分かっていながら、誰もどうしたらいいのかを教えてくれません。
じゃあ、職場を変えればいいの?
今の職場での人間関係はどうしたらよくなるの?
自己主張をする時とそうでない時はどう見極めたらいいの?
どうやってNoと言ったらいい?
より自分らしく自分を表現するにはどうしたらいい?
自分にあったリーダーシップスタイルってどんなもの?
もっと自信を持ちたい。。。

私自身、カウンセリングやスピリチュアリティーを学び始め、これまでの自分のキャリアを振り返ってみる中で、どうやら私たちには、仕事という場と機会を通じて学ぶ、対人関係に関するカリキュラム(法則)があるようだと気付いたのです。

もし、目の前に対人関係においてなんらかの課題があるとしたら、何が本当の問題なのでしょうか?

どんなことが役に立つのでしょうか?

もし、なにかしらの法則や「ポイント」があるなら、それを知っている・知っていないでは、対処できることも変わるんじゃないか?

そんな経験・思いから、企画したのがこの講座です。

この講座を受けていただきたいのは、こんな方です。

⭐️ コミュニケーション能力と対人関係を向上させたい
⭐️上司や部下との関係がストレスの元になっている

⭐️ 転職を考えるにあたって、職種や会社名をいったん離れて考えたい

⭐️ もっと感情的に落ち着いていられるようになりたい

⭐️ NOと言えない

⭐️ パワハラを体験している

⭐️ 部下を持ったけれどもどうやって叱ったり、どうコミュニケーションをしたらいいのか分からない。

⭐️ 自分なりのリーダーシップスタイルを見つけたい

⭐️より責任のある仕事をしながら、より自分らしく自分を表現する方法をみつけたい

⭐️もっと自信を持ちたい

⭐️ 燃え尽き気味・燃え尽きて、これからどう仕事に復帰したらいいか悩んでいる

⭐️ 人や社会の役に立ちたいと強く感じている方

講座の一部をご紹介すると・・・
(変更になる場合があります)
⭐️ 理想と現実のギャップに直面した時
⭐️ 目の前の課題を通じて自分の強みと才能を知るためには?
⭐️ どうしても苦手な人に向き合うための5つの質問
⭐️ 事実と感情を分けるということ
⭐️ 「完璧」とは絶対に手に届かない理想

⭐️ 嫌いな人はあなたを◯◯ためにいる
⭐️ 上司を助けると◯◯がやってくる

⭐️ ストレスに向き合う
⭐️ 二人以上がいるとおこりうるグループダイナミックスとは?

参加者の方のシェアや課題を通じて、講座のフォーカスを決めていきます。

 

《体 験 談》
⭐️講座の3日後が面接で、アドバイスされたことを意識して相手を見つめていると、なんと相手が涙目になって自分の夢を語り始めるという前代未聞の展開になりました。そして2時間後に採用の電話が来ました!これから世界を相手に活躍できるのが本当に夢のようです。

⭐️ 大仲さんには、自分の思っていることを素直に話せる雰囲気があります。コーチングを受けて、ぼんやりしていた自分の課題が具体的に見え、では何をしようか?というふうに変わりました。それを職場で実践する中で新たに見えてくることもあり、転職を決めました。自分の言葉で考え、納得できる選択をする後押しをしていただいたなと思っています。ありがとうございました!

⭐️ 短い時間で私がどんな人間か把握されていたご様子で驚きました。キャリアについての相談でしたが、最後は、対人関係の話しになり、なぜ対人関係とキャリアが関係するのかに納得しました。

⭕️日時: 2016年7月9日(土) 13:30-16:30《定員10名》

場所: スクエア荏原第一小会議室
お申し込みはこちら⇨ お申込みフォーム

⭕️日時: 2016年7月24日(日) 13:30-16:30《定員12名》

場所: スクエア荏原第二小会議室
お申し込みはこちら⇨ お申込みフォーム

最 後 に 。。。

今、社会の価値観はどんどん変わってきています。

経済危機や3.11があって、FBやスマホ時代の私たちの価値観はどんどん変わってきています。

この時代の転換期を生きる私たちは直観的に、自分に合った仕事や働き方やライフスタイルはなんだろう?と日々感じています。
同時に、今の時代を生きる私たちは、ある部分では自分と社会にとって何が大切なのかをすでに知ってもいるようです。

例えば、この時代に私たちが望むものは、自己表現する機会やみんなで一緒に成長する体験、社会に貢献しているという感覚など、です。

そして、私たちは才能を思う存分に発揮し、成長し、人や社会に役に立っているという意義の感じられる機会と仕事を求めています。

さらにFBとYoutubeなどの誕生で、ちょっと前だったら大きな組織じゃないと出来なかったことが個人でも出来る時代です。

これからはますます個人が自分の才能シェアしていく時代です。そのためには、自分の意思と判断を信じながら、自分のモチベーションを保っていくための仲間も欲しい。

そういう仲間が集う場となることも意図しています。

これをご覧くださった方とお目にかかれることを楽しみにしています。