答えを言うのも求めるのも簡単だけれども、自分で答えをみつけるようにサポートすること

先日、都内のある有名な老舗のお米屋さんの方とおしゃべりすることがありました。

 

こちらのお米屋さんの扱うお米はとても美味しくて、引っ越した先でもわざわざ送ってもらう人も多いそうです。

 

地元でも評判のお米屋さんです。

 

先日、「どのお米がお勧めですか?」何気なく聞きました。

 

すると答えはこうでした。

 

「うちはね、まずお客さんに数種類のお米の値段帯のお米を試すことをお勧めしているんですよ。」

 

なので、「このお米がいい」という銘柄を断定するような「答え」はありませんでした。

 

でも、その人にとってベストな「お米」をみつけられる方法を教えてくれたのだと思います。

 

そうなんです。

 

答えを言うのも求めるのも簡単ですが、いい先生は、その人が自分で必要な答えをみつける方法を教えてくれます。

 

わたしもそのような導き方でありたいと思っています。

神さまに応援されるお願いの仕方ー「これじゃないと幸せになれない」ではなく⭕️⭕️とお願いすること

ここ数回、人生での選択は究極的にはたった二つしかないー「愛」か「おそれ」かーということについて書いています。

 

選択とは仕事だけでなく、人生のあらゆるところであります。

 

1日の中でも何十(百)回という選択の瞬間があるとも言われています。

 

日々の選択が人生の質にも直結しているとも言えます。

 

愛からの選択がどういうものかピンとこないと感じる人も多いと思うので、わたしの友人の愛の選択の例を少しお話ししたいと思います。

 

彼女にはガーナで育った二人の男の子がいます。

 

この8月から日本で一緒に暮らすことになり、東京で新しい住まいを探していました。

 

日本語を学んでいる子どもたちがアットホームに感じられる街がいい

 

日本語学校に通いやすいところがいい

 

日本語を学んでいる子たちの受け入れ体制が整っている区(市)がいい

 

職場への通勤が楽なエリアがいい

 

家族全員が暮らせる広さが欲しい

 

子どもたちの教育費がかかるので、家賃はできるだけ抑えたい

 

マンションの管理体制がしっかりしていてできればコミュニティーの雰囲気があるところがいい

 

毎日ご飯を楽しくつくれる快適なキッチンが欲しい

 

仕事から帰ってきて落ち着ける雰囲気の部屋が欲しい

 

というのが彼女の希望でした。

 

子を持つ母として、また仕事を持つ人としてごくごく当然の望みだと思います。

 

同時に、東京の家賃は高いし、ご存知のように2020東京五輪で首都圏のマンション価格は高どまりしています。

 

そんな物件はいったいどこにあるのだろうか?と、あてもないまま物件探しが始まりました。

 

気になるエリアに足を運んで街の様子を見てみたり、数件回ったのですが、ピンと来るものはなく「どうしよう」と落ち込んでいました。

 

さらに数件内見をしましたがまだみつかりませんでした。

 

すると、心配がとまらなくなってしまいました。

 

「このままみつからないんじゃないだろうか?」

「息子たちは日本の生活に慣れてくれるのだろうか?」

「いじめられたらどうしよう?」

 

そんな不安が押し寄せてきて止まらなくなった、と彼女は言います。

 

ただ、ちょっと心を落ち着けて、自分の心の状態に意識を向けてみると、彼女は自分の心の状態が「おそれ」にはまっていることに気づきました。

 

彼女は自分の心の方向を愛に向け直しました。

 

「心配に目を向けだしたらきりがないし、かといっていくら心配しても将来がよくなるわけでもない」と思って、「どうなるか分からないけれども息子たちを信頼すること」そして「全員にとっていい方向にいく」ためのサポートをお願いしました。

 

それからの展開は奇跡の連続でした。

 

評判のいい日本語学校がみつかり、見学へいくと先生たちの雰囲気もよく息子をここに通わせたい、と直感的に思ったそうです。

 

学校にも下見へ行き、評判のいい学区であることを確認しました。

 

その一点が決まると、次には考えていなかったエリアが頭に浮かびました。

 

そして、内見へいくと、とても協力的で業界に詳しい仲介の人に巡り会い、すごく親切に管理組合の様子など最終決断のためのポイントや見極め方などを教えてくれました。

 

その人のお陰で審査もスムーズに進みました。

 

首都圏で家族で暮らす住まいを探したことのある方ならわかると思いますが、「自分にとっての基準」や「優先順位」がわかっていなければいったいどこから始めていいのか途方に暮れてしまいます。

 

それこそ検討することも調べることも山のようにあります。

 

何年も引っ越しを考えながら、それこそ物件や環境など条件の比較表をつくっても、まだ気に入ったところがみつからない、決められないという人も知っています。

 

最後に決め手になったのは「ここなら家族で幸せそうに暮らせると感じた」という直感的な感覚と、この人なら任せられると思ったという仲介の人との出会いなど、大きな流れの中にいるというようなサポートを感じたことでした。

 

そして、実際に息子さんたちが来日してみると、マンションの人たちがフレンドリーでよかった、といった「あの直感はあっていた」と確認するような出来事が続いています。

 

もちろん、新しい国での生活ですからまだまだ慣れることはたくさんありますが、守られているような感覚があって、やっぱりあの直感を信じてよかったといいます。

 

これは住まい探しの例ですが、「自分に合う仕事探し」にもまったく同じことが当てはまりますね。

 

そして、彼女の件から「選択すること」についてわたしたちが学ぶことはたくさんあります。

 

① 絶対にこの物件に住まわせてください、というお願いの仕方ではなく、「全員が幸せに暮らせる場所」を願った

 

(これじゃないと幸せになれない、というのではなく、それがどこかわからないけど全員が幸せに暮らせる場所を教えてください、というお願いの仕方)

 

② 自分にとって重要な点、優先順位が明確だったこと(日本語学校に通いやすく、受け入れ体制があること)

 

③ いろんな場所に足を運んで、物件を何件も見た中で実際に自分で見て感じて場所や物件についての直感的な感覚を磨いた

 

④ 自分のライフスタイルや性格がわかっていて、これまで何度か首都圏に住んでいるので自分がどんなところに住めば幸せに感じるのかある程度わかっている

 

⑤ 大きな力のサポートを求め、お願いをした

 

⑥ 焦りや不安、心配につかまりそうになったら、それに気づいて愛を選択し続けた

 

⑦ 自分がどういう状態を望んでいるのかという状態に意識を向けてそれを感じた

 

最後の点は彼女が今回意識した点としてわざわざ教えてくれました。

 

 

こういう「いい事例」・「奇跡体験」を聞く人は、自分も同じ体験をするという原則があります。

 

そして、サポートや奇跡を体験した人は他の人にもその体験を伝えていくことができます。

 

「あなたにもできますよ」「あなたにも奇跡が与えられていますよ」と伝えていくことで、さらに多くの愛と奇跡を広げていくことができるのです。

 

「与えること」は「受け取ること」ですから、そうやってさらに愛と奇跡の循環がひろがっていくのです。

 

そういう意味では、「愛」と「奇跡」ををたくさん体験することは人の役にも立つのですね。

 

愛を選択しましょう。

 

サポートと導きを求めましょう。

 

すでにある奇跡に気づきましょう😊

これからの時代に仕事を選んではいけない基準ー日本人の弱み克服主義と「普通じゃなきゃ幻想」を超えるとき❗️

私たちは今変化の時代を生きている、というニューヨークタイムズの記事を紹介しました。

 

「 繰り返しを必要とする仕事は、もはや機械に任せておけばいいと言う時代が始まっている。『新しい時代』が必要としているのはこれまでとは違う能力を持つ人間だ」という記事です。

 

関連記事→ 映画グレーテストショーマンの主題歌「This is Me!」はなぜ私たちの心に響くのか?時代の転換期を生きる私たちへのメッセージとは?

 

ではそのような時代を生きる私たちは何を基準にして仕事を選べばいいのでしょうか?

 

それを説明するために、今日は逆に「何を基準にしてはいけないか」、という観点からお伝えしたいと思います。

 

それは、「コンプレックスを克服すること」を基準にすることです

 

日本人は世界の中でも弱みを克服しようとする傾向が強いと言われています。

 

その理由の一つとして、例えばセンター試験が課す試験項目が象徴しているように幅広い科目の習得が求められること、また出来ている部分よりも出来ていない部分に目を向ける性質も関係していると思います。

 

イギリスの大学を卒業し、外資系のホテルで働く30代後半の女性の方の転職相談にのったことがあります。日本で当時進出し始めたばかりの外資系の5つ星ホテルでのリサーチにも関わったことのあるとても優秀な方なのですが、転職エージェントの方に「業界としてはPCスキルが低いと見なされる」と言われたことをとても気にされていました。

 

たくさんの強みを持っている方でしたが、それは本人にとっては当たり前になってしまって気付かず、逆の面で指摘された点ばかりが気になってしまったのです。

 

それでPCスキルを改善できる業界へ転職しようかと考えている、と言うのですが、私は「弱みを補う努力ももちろん必要ですが、それ自体はがんばっても平均値のちょっと上になる位で、それ自体が今後大きな武器になるとは考えられません」とお伝えしました。

 

「そしてこの場合の本当の問題はおそらく、PCスキルというよりは、自分の中のコンプレックスや自分の中の『弱み』というものとの付き合い方の問題であって、弱みというものに対する誤解だと思います」と、コンプレックスを克服することを基準をした選び方はおすすめしない、という私の考えをお伝えしました。

 

弱みというものはなくなりません。なぜなら「弱み」の存在意義があるからです。

 

もし自分がなんでもかんでも出来る人だったら、全ての分野で自分が「勝っていたら」逆に自分の「強み」が分からなくなってしまいます。

 

ある分野で「ああこの人たちにはかなわないな」、「自分はこれはあまり得意じゃないな」と思ったら、それはいいサインでもあります。なぜなら、それは、自分の「強み」を真剣に模索し認める時ですよ、というサインとも言えるからです。

 

そして、日本人は、

「普通がいい」幻想、

「普通じゃないといけない幻想」に囚われていると思います。

 

「普通」はそもそも存在しません。

「普通」とは幻想です。

 

人間誰もがコンプレックスをもっています。

(一見なんでもできて悩みのなさそうな人もです)

 

誰もが強みも弱みも持っています。

両方合わせて存在意義があるからです。

 

もちろん弱みを補う努力も必要でしょう。

 

でも、これからの機械化の時代では、機械ができることは機械が替わりにやってくれるのですから、コンプレックスを克服するよいう消去法的な選び方では自分の能力を発見することも、伸ばすこともできないので、自分の強みや秀でている点を伸ばすアプローチがより求められていくでしょう。

 

私自身、高校時代には好きな科目と嫌いな科目の差が大きいことにコンプレックスを持っていましたが、中学校から作文は比較的得意な方でした。

 

私は、大学卒業後にドイツで働いた後、イギリスのオックスフォード大学大学院へ進学し、授業料と生活費、渡航費を含む全額奨学金を授与され修士課程を終えましたが、その審査のための主な判断材料となったのは志望動機のエッセイと英語の小論文、そして面接でした。イギリスの大学院進学には筆記試験がありませんから、まさに自分の強みを活かす選択だったと思います。

 

上手くいってないことにはすぐに目がいくけれども、上手くいっているところは「当たり前」だと思っていてなかなか気づきません。

 

普段何気なくやっていること、上手くいっているところ、自分の情熱や強み、秀でているところに対してもっと目を向けていいのです (*^-^)ニコ

 

 

普通であるよりも、何か一つでいいので「これはあの人に任せよう」「これはやりたい!」「これは好き!」を持っている人になりましょう。

 

それがすぐに仕事上のスキルにならなくても、人生100年時代にきっとあなたを長く導いてくれるでしょう!

 

 

 

究極の弱肉強食の世界でも「強いもの」がいつも「弱いもの」に勝つわけではない❗️ーケニアでみたライオンといぼいのししの勝負

ケニアに野生動物を見にいった時に

とても印象に残っているシーンがありました。

 

目の前でイボイノシシの親子たちがのどかに草をはんでいました。

イボイノシシとは、一見ぶたのようなちょっと短足なちょっと

「かわブサイク」な子です(失礼!)

 

子供たちはまだ産まれて数ヶ月なのでしょう。

母イノシシの周りで草をはんでいます。

 

そんなのどかな風景がありました。

それが一転緊張状態に!

 

数百メートル先にいたライオンが急にむくっと立ち上がり、イノシシたちに狙いを始めたのです。

 

野生の動物を見るということは、自然界のなりたちを見るということ。

 

それこそが見る価値があるということなのでしょうが、ライオンが一気にダッシュを始めた時には私は思わず一瞬息を止めてしまいました。

 

イボイノシシママはライオンのダッシュを察知するやいなや、一斉に号令を出したようでした。「散らばれ!」と。

 

子供たちは四方八方に散らばりました。

 

すると❗️

 

ライオンはイボイノシシの子供たちが四方八方に逃げていくのについていけず、「捕獲」は失敗したのです。

 

身体の大きさも足の長さも速さもすべての面で「勝っている」と思ったライオンでしたが、小回りは苦手だったのです。

 

これを「勝敗」とするならば、イボイノシシがライオンに勝ったのです。

 

究極の弱肉強食の世界でも、「強いもの」がいつも「弱いもの」に勝つわけではありません。

 

誰にもどんなものにも長所と短所の両面あります。

 

例えば、きりんは優雅に歩き、長い首のおかげで草原を遠くまで見渡し、

敵の動きをいち早く察知できますが、水を飲むのは大変です。

 

 

ライオンはライオン。シマウマはシマウマ。イノシシはイノシシ。

ライオンだけがいても自然じゃないし面白くありません。

 

ぜんぶの存在があることが「自然」。

 

人間も自然界の一部です。

 

ps. ちなみに、目の前で見る野生の象やキリン、ライオン、チーターの迫力満点です。動物園で見るのはまったく違う感動があります。

 

ドバイ経由で行くとヨーロッパに行くのとフライト時間はほぼ一緒です。

 

おすすめです!!!(*^-^)ニコ

 

Mpata 238

 

Mpata 245

Photo: Chika Onaka

 

 

「いい面」だけが才能ではない❗️最初は自分の「強み」のネガティブな面を体験することが多いということについて

人の強みや才能に関しては、たくさんの誤解があるようです。中でも大きな誤解の一つは、「いい面」だけを才能や強みだと思うことです。

 

 

ただ、どんな資質にも両面があって、同じ資質の「いい面」もあれば「チャレンジな面」もあります。いわば、「同じコインの表と裏」のような関係です。

 

例えば、動物を例にすると、きりんは、長い首のおかげで草原を遠くまで見渡し、敵の動きをいち早く察知できます。

 

私はケニアのサファリで目の前で野生のきりんが歩くのを見たことがありますが、

長い足でリズミカルに歩くきりんの姿は優雅でとても感動しました。

 

同時に、もしキリンが人間の言葉をしゃべることがあったら、こう言ったかも知れません。

 

「あのねー、優雅に見えるかもしれまないけど水飲むのは大変なんだよー」

 

なるほど〜

 

まさに、「同じコインの表と裏」です。

 

同じように、誰にも長所と短所の両面があります。

 

そして、自分の持つ資質が幼少期から強みとしてわかりやすく開花しているのは稀で、最初は同じ資質のチャレンジの面の方を体験することの方が多いのです。

 

どういう意味なのか説明していきます。

 

例えば、高い知能、活発である、意思や信念が強い、 共感力、創造性という資質があるとします。

 

これらの資質のポジティブな側面はどんなものでしょうか?

ネガティブな側面はどんなものでしょうか?

 

高い知性=頭がいい?に越したことはないじゃないか?と思うかも知れません。

 

でも、どんな資質にも両面あるのです。

 

以下に例を挙げてみました。

 

《高い知能》

このポジティブな側面:

新しい考え方や概念を素早くつかむことができる

同じ年齢の子供たちよりも深く理解する

複雑な現象の下にあるパターンをみつけることができる

新しい考え方や概念を発見するのが好き

壮大な考えや計画に惹かれる

 

ネガティブな側面:

•すぐに飽きる

•全容がわからないと納得できない

•他の人たちが「遅い」ことに忍耐強くない。

•他人の意見に対して批判的であったり、寛容的でない。

•手が頭についていけないので、手元の作業が雑になる

・細かい数字を確認する作業は得意ではない、などです。

 

 《活発である》

ポジティブな側面:

・新しい体験をすることに意欲的

・一度にいろんなことができる

 

ネガティブな側面:

・常に刺激を必要とする

・動き回る(多動である)

・頭も体も常に忙しい

・簡単にフラストレーションを感じ、それを撒き散らしがちである

・寝付くのが難しい時がある

 

 

《意思や信念が強い》 

 

ポジティブな側面:

・自分でゴールを設定し、それを達成するための努力を厭わない

・課題に対する答えをみつようとしたり、自分の興味をさらに追求する

・粘り強い

 

ネガティブな側面:

・頑固になる

・視野が狭くなる

・自分の興味のないことを忘れたり集中するのは得意ではない

 

《共感力》

 

ポジティブな側面:

・周りの人たちが考えていること、感じていることを察し彼らの視点から理解することができる

・他人の感情に対して敏感であり、他の人たちが気づかない点に気づく

・人の感情の機微を繊細に感じとり、人がなかなか言葉にして表せられない感情的な面を表現する手助けをすることができる

・書くことやアートなどの表現、創作活動を通じて感情の力を表現の力にすることができる

 

ネガティブな側面:

・体験を個人的にとらえる傾向がある

・ある状況にたいして事前に感じたり察してしまうので、自分には対応できないのではないかと心配になる

・不安、悲しい、落ち込むといった体験をしがち

・批判されたり拒否されたりする体験をなかなか処理できない

・周りの人の感情によって自分も影響を受ける

・簡単に泣いたり興奮する

 

《創造性》 

 

ポジティブな側面:

・目の前の現象や題材を新しくユニークな方法で見る

・たくさんアイデアがある

・新しいものを創るのが好き

 

ネガティブな側面:

・ファンタジーに逃避しがち

・拡げたアイデアをまとめるのは得意ではない

・言われたことに従うよりも自分のやり方で進めることがある。

 

つまり、ここでお伝えしたいのは、どんな資質にもポジティブとネガティブの両面がある、ということです。

 

そして、あなたの強みが眠っている分野こそ、最初はチャレンジの側面を体験することが多いということです。

 

私の例で言うと、

私の大きな強みの一つは、

自分の視点と考えから一旦距離をおいて、相手はなぜあのような事を言うのか、と相手の視点で物事を見ることができることです。

 

相手の視点と立場に立ち、相手の思考のフレームワーク、価値観や感情を理解することは「パースペクティブ・テイキング(perspective taking)」と呼ばれます。共感力の大きな要素の一つです。

 

相手と意見が違ったとしても、同意するかは別として、相手の立場から状況を見ることができること、そこから互いの共通点を探っていくは、南スーダン軍との交渉、信頼構築などで大きな力となってくれました。

 

世界で活躍したいと願う人にとってはとくに大切な資質の一つと言えます。

 

またこの共感能力は、アジア中東の軍隊に国連PKOに関してトレーニングをする教官・講師を務めていた時も、こちらが伝えることに対して相手が何を感じているのかをその場で察しながら、同じ講義の内容であっても相手に合わせてエピソードやたとえ話を変えていく対応力になってくれました。

 

また、コーチングをする時には、相手の方が自分の状況や課題をうまく言い現すことができない時でも、その方のほんとうの想いに一緒に想いを寄せることで、目の前の状況を整理して、新しい解決策や眠っていた力を引き出すサポートをしてきました。これも共感力の資質です。

 

同時に、ここでお伝えしたいのは、こうした資質が最初から強みとして発揮されるとは限らず、最初は同じ資質のネガティブな面をより強く体験することが多い、ということです。

 

例えば、私の場合には、「体験を個人的にとらえる傾向がある」「ある状況にたいして事前に感じたり察してしまい自分には対応できないのではないかと心配になる」「不安、悲しい、落ち込むといった体験をしがち」といった共感力のネガティブな側面としてあげられた点をすべて体験しましたし、今でも体験することはあります。

 

「簡単に泣いたり興奮する」というのもほんとうにその通りで、映画を見て感動して涙を流すことはしょっちゅうなので妹からはよく笑われるほどです。

 

前はネガティブな面しかわからずなんで私はこんなに繊細なんだろう?と悩んだこともありましたが、今ではコインの両面を理解しているので、ポジティブな面を尊重しつつ、ネガティブな側面とも上手く付き合えるようになり、大きな影響を受けなくなりました。

 

自分の資質をポジティブに活かすには、自分の普段の行動を観察して、自分の資質をよく知ることです。

 

ネガティブな面ばかり体験するなと思ったら、そのネガティブと同じ分だけポジティブな資質があると考えましょう。

 

「なんで自分だけ不器用なんだろう」、「なんでなんで自分だけ普通にできないんだろう」、「なんで自分はこんなに繊細なんだろう」と思ったら、「普通がいい」という幻想から覚めましょう。

 

「普通」はつくられた幻想でしかありません。

 

これからは普通に生きようと思っても基準を「普通」に合わせていたら、普通にさえ生きることができない時代です。

 

自分の資質をネガティブにしか思えないとしたら、今生での課題の一つは、その「思い込み」からまず自由になることかもしれません。

 

そして、ポジティブな脳の配線(シナプシス)を強化することです。

 

その資質が自分にとってどう役に立つのか、ポジティブな資源として活かす方法を考えましょう。

内心怒って満員電車でぶつかる人が多いのは、自分で決めてないからー義務とほんとうの責任の二つの違いをまなぶ時

自分で「決める」たびに本来の力を取り戻していく体験をお話ししました。

 

その選択が自分の価値観に沿っているときには、

いい気分がして、物事も身体も自然に動きます。

 

自分で決めると納得感がありますし、なにより自分で決めたという体験自体が自信になります。

 

自分の意思で決めたので多少の困難があっても、ふんばれます。

 

関連記事⇨10年働いても指示待ち&自分で考えられない人 vs どんどん自信をつけていく人ーその差は普段自分はどうやって○○○しているかを意識しているかにあった!

 

 

では自分で決めないとどうなるでしょうか?

 

「こんなはずじゃなかった。」

「そんなこと聞いてなかった」と

誰かのせいにしたくなる気持ちがでてきます。

 

この数年「アンガーマネージメント」が注目されていますが、内心怒っている人が増えているのは実は自分で考えて決めていないことに対する不満が無意識でたまっているからじゃないか、と私は思っています。

 

深層の部分では自分で決めていない、自分で自分の人生の責任をとっていないことを自分で知っているので、自分が自分に怒っている、という訳です。

 

 

「決める」の別の表現として「意思決定」、英語ではdecision-makingという言葉があります。

 

では、decision-makingの「反対」は何でしょうか?

 

ちなみに、英語を英語のニュアンスで覚え身につけていく英語脳的学習法の一つに、新しく覚える単語を英語の類義語(synonyms)と反対語(Antonyms)と関連させて覚えていくという方法があります。

日本語よりも英語の方がよりダイレクトな言語なので、「決めないこと」「決めること」のニュアンスが、反対語と類義語を引用することでより伝わるなかと思い、それぞれ辞書を引いてみました。

 

⭕️decision-makingの「反対語」は

 

untrustworthy=信頼できない

immature=成熟していない

immune=逃れている

exempt=外れている(免除された)

excused=言い訳的な

 

⭕️decision-makingの「類義語」は

 

responsible=対処能力のある

accountable=責任を持つ

in charge=仕切っている

engaged=関わっている

in control=主導権を握っている、制している、掌握している

 

です。

 

こうやっていざ並べてみるとそのニュアンスがよりはっきりすると思います。

 

とくにダイレクトな意味である

immune=逃れている、と

exempt=外れている(免除された)で、

 

自分で判断して決めないというのは、「人生から逃れている、自分で自分の人生から外れている」ということと同じだよ、とはっきりと伝えてくれています。

 

 

ところで、英語で「責任」というと「Responsible」を思い浮かべるとおもいますが、

Responsibleの本来の意味は、日本語の責任という言葉が持つ「重荷」のニュアンスとはまったく違います。

 

「Responsible」の意味は、

Response (対処)+ Able(能力がある)= 対処できる、

という直訳で、「自分の本来のパワー」というニュアンスを伝えてくれています。

 

対処できる、というのは、目の前にある状況や結果を引き受け、所有すること、その中で出来うる最善を尽くす、という意味です。

 

もし、責任という言葉に対して重荷を感じるとしたらそれは「義務」とごちゃ混ぜになっています。

 

義務は自由ではありませんが、自分で選んだ選択や状況にたいして自分で責任をとっていくという意味での責任は、大人で成熟した態度ですし、自由や解放といったニュアンスも含みます。

 

なにより、私たちにはそもそもこんなに選べることがあると改めて気づかせてくれます。

 

ちなみに私が働いていた南スーダンといった国では紛争があったり、職業が限られていたり、いろいろな意味で選択が制限されています。

 

アイスクリームショップで今日はどの味にしようかなと、色とりどりのアイスを眺めながら少し迷ってみるのも楽しみの一つだけれども、

 

ただ、私たちが決めることはほんとうはおそらくとてもシンプルです。

 

他人の人生を生きるか

自分の人生を生きるか

 

そして、心の内では答えは知っているのです。

 

大丈夫。🐱

 

勇気をもって進みましょう。

人のやる気・モーチベーションを科学するー人間は⭕️⭕️の時にやる気になる

3週間前にとつぜんやってきた「ひらめき」。

 

そのきっかけは、あるパンフレットにあった「特別⭕️⭕️」の文字。

 

クーリエジャポンで連載を持たせていただいてから、私の脳が「作家脳」になっていて、「面白しろそう」なもの(原稿のネタになりそうなもの)を常に探しているので、本を見たり、ニュースを見たりしていると、前よりも敏感に「作家脳アンテナ」が反応します。

 

その日も「それ」は突然はじまったのです。

 

これはいける!

インタビューしたい!

 

💡💡💡

 

その感覚だけ募るものの、インタビューしたい相手は世界最高峰の⭕️⭕️。

 

私は新聞記者でも、大手出版社の編集者でもないし、本業はコーチ・カウンセラー。

 

唯一思いたった「つて」に連絡するも、

「ごめんなさ~い。今、長野にいて手元に情報がないんです。」

 

「がびーん(≧∇≦)。。。」

 

どうするワタシ???

しかも、今日私はジーンズにパーカーという格好。

週末だから名刺も持ってない。

 

でも、そんなことを考える暇もなく、足は動いている。

だって、このイベントは明日なのだから、

 

私は赤坂アークヒルズカラヤン広場でやっているイベントへ直行しました。

 

「あのわたくし、クーリエジャポンで記事を連載しているもので、明日の⭕️⭕️について取材をさせていただきたいのですが。。。」

 

広報部に直談判。

 

「少々お待ち下さい。」

そして、「あなたいったい誰?」という顔をされるが、それでもここで引き下がってはいけない。

 

次の人がでてきて、また同じ自己紹介を繰り返します。

そして、また一瞬「あなたいったい誰?」という顔をされます。

 

「少々お待ち下さい」、と何度言われても笑顔で。

エクササイズをやるみたいに口角をあげよう(笑)

秋の冷え込みでちょっと肌寒くても、

まだまだここで引き下がってはいけない。

 

だってインタビューしたいから!

 

ついに、

5回目の「少々お待ち下さい。」を待っていると。。。

 

ついに❗️

 

「広報の者を呼んできます」

広報部に直談判する機会がやってきました!

 

「記事にしていただけるとの理解でいいでしょうか?」

取材許可がおりました❗️❗️❗️

 

そして、いよいよ特別公演&取材当日。

 

全国紙の記者の方もいて、みなさん立派なカメラを持っていらっしゃいました。

 

(しまった。)

今のiphoneは変なカメラよりもよっぽど性能がいいけれども、

父から譲り受けた型落ちの一眼レフでもいいから首からかけて「それっぽく」しておくんだった(≧∇≦)

 

見かけは大事です。そういう時がきたらみなさんはぜひそうして下さい!笑

 

(これだけ記者がいたら、相手に聞くことができる質問の数も限られてる。

うまく相手の言葉を引き出せるのか???)

 

(でもやっぱりそれでひるんではいけない。

資料も読んだし、相手のバックグラウンドも調べた。

なにより確固たるインスピレーションがある。

がんばれワタシ。)

 

心の中の「ひとり言」はしばらく続きます (笑)

 

結果、記事は、クーリエジャポンでも最も読まれた記事にランクインもされ、サントリーホールの広報の方にとても喜んでもらえて、サントリーグループ全社員にも配信されました。

 

「世界のトップ」はなぜ東北を目指すのか? ハーバードとウィーン・フィルが教えてくれた世界にとっての「東北」①

 

「世界のトップ」はなぜ東北を目指すのか? ハーバードとウィーン・フィルが教えてくれた世界にとっての「東北」②

 

こうして、私の「初取材」は許可され、世界最高峰のオーケストラ、ウィーンフィルの取材が終わったのでした。

 

と、まあ当時のことをちょっと思い出すと、今ではネタになるのですが、

 

何が言いたかったかというと、

 

自分にとって価値の高いものに対しては、そんなパワーも意欲もエネルギーも出てくる、

ということです。

 

人間のやる気、モーチベーションのメカニズムとは突き詰めると単純なものです。

 

やる気が感じられないときは、その対象に対して意義を感じられない、自分を突き動かす位の価値が感じられない、のです。

 

自分にとって価値の高いもの、心から望んでいることに対しては身体は自然に動きます。

 

だから、何かに対してやる気になれないとしたら、それもまたあなたにとって大切なサインです。

 

それ(そのような働き方、仕事のやり方、そのような業界の慣習等)はあなたが本当に望むことではない、と身体が教えてくれているのです。

 

やる気を感じながら、何かに取り組みたいと思ったら、二つの方法があります。

 

一番目は、目の前の作業や仕事、英語の勉強などが自分にとって大切なことにどう役に立つのかを納得するまでリストアップする

 

別の言い方をすると、これがどう役に立つのかという自分にとってより「大きな意味」をみつけることです。

 

二番目は、自分の大切なことの順番を変えること

ただ、これは理論としてはありえますが、あまり実践的ではありません。

人はけっこう頑固というか自覚があってもなくても自分の大切なこと、価値基準の順番通りにすでに人生を進めてきているからです

 

仕事が大切な人は仕事の比重が大きいし、子供や家族に価値を置く人はそうしたライフスタイルをおおかれ少なかれすでに送っています。今自分が持っているものが自分が価値をおいているものです。

 

自分のやる気を再確認したり、やる気を上げたかったら、

 

自分が価値をおいていることの順番を再確認してみましょう。

「謝ったりしないこれが私だから!」映画Greatest Showman主題歌 THIS IS MEが明かす無意識の「真実」ー私たちがほんとうに自由になる時!

同じ映画の話題が続いて恐縮ですが、

映画グレーテストショーマンの主題歌「THIS IS ME」では、

「I make no apologies, this is me」ー

「謝ったりしない。これが私だから」というセリフが出てきます。

 

I know that there’s a place for us
誰にだって居場所がある
I am who I’m meant to be, this is me
これが私のあるべき姿なの これが私よ
I’m not scared to be seen
見られることなんか怖くない
I make no apologies, this is me
謝ったりしない これが私だから

 

のメインのサビの部分ですね。

 

別に気にしなかった人もいるかと思いますが、

きっとあるレベルではそのメッセージも私たちの無意識にドンピシャだったので、

この映画や歌やメッセージが心に響くのではないかと感じます。

 

(映画を見てない人ごめんなさい。ぜひ見てください(*^-^)ニコ )

 

ではそもそもどうして「謝ったりしない」というセリフが出てくるのでしょうか?

自分であることとはどう関係するのでしょうか?

 

 

前回は、私たちは生まれてから社会で生きていく上で、周りから受け入れられるためにはどうあるべきかというイメージを作り上げ、『自分はこうあるべきだ』という理想のイメージをつくり上げると言いました。

 

同時に、この観点から自分を見たとき、誰も決して完璧にはなれないのですが、完璧ではないために自分を否定するという「自己否定のパターン」が生まれる、と言いました。

 

関連記事→ 世界的ヒット映画グレーテストショーマンの主題歌「This is Me!」の深いメッセージとは?ほんとうのTHIS IS ME!とは?

 

「四つの約束」はこうして、心の中に「裁判官」が生まれると言っています。

 

自分たちを縛りつけるものから解放されて、もっと自由に生きるヒントを、

 

世界各国で翻訳され500万部以上の大ベストセラー『ニューヨーク・タイムズ』紙上にて、

七年以上のベストセラーを誇る 「四つの約束」 より続けて探ってみたいと思います。

 

 

以下引用

=======

私たちの心の中には「裁判官」と同時に「犠牲者」が住んでいる。

 

この心の中の裁判官は、私たちのすること、しないこと、考えること、考えないこと、感じること、感じないこと全てを裁こうとする。この裁判官は私たちに毎日有罪を宣告する。

 

それが毎日、何度も起き、それが連日、私たちの人生の全てにわたっておこなわれる。

 

そして、私たちの心の中にはその偽りの判決を信じてしまう「犠牲者」が住んでいる。

 

「犠牲者」は、責め、罪、恥を背負っている。その部分は言う。

 

「かわいそうな私。私は善人でもない。頭もそれほど良くない。魅力もない。私には愛される価値がない。なんてかわいそうなんだろう。」

 

こうして、私たちは自分を隠そうとし、自分でないもののふりをする。

 

何をやっても偽物のような気持ちになり、他の人にそのことを気づかれまいとして、社会的な仮面をかぶる。

 

ティーンエイジャーが自分を傷つけようとするのは、ふりをしている自分が本当の自分ではないからである。

 

彼らはふりをしている自分と本当の自分が一致していることを望むが、そうはなれないので、恥を感じ、罪の意識を抱く。

 

こうしたこと全ては、私たちが選んだ訳ではない間違った信念システムに基づいて行われる。

 

地球の夢では、人間が苦しむこと、不安の中で生きること、感情的なドラマを創り出すのはもはや当たり前になっている。

 

戦争の夢、恐怖の夢、不正義の夢。。。

それはあまりにも生きることが困難な夢である。

 

しかし、心の中の「裁判官」は間違っている。

「裁判官」の「法の書」(基準と規則)が間違っているからである。

 

私たちが見ている地球の夢は間違った「法」に基づいているのである。

 

私たちは霧の中で生きているが、その霧さえ存在していないのである。

 

この霧は、あなたが信じていること、自分について持っている概念、他の人たちと交わした「合意」から成り立っている夢である。

 

私たちは悪夢を見る必要はない。心地よい、楽しい夢を見ることも可能なのだ。

 

=====

 

数日前に参加した振り付けのないクリエーティブダンスで、女性性を癒すというワークをしました。

 

「女性」が「男性」に対して持っている怒りや社会から植えつけられてきた女性であることの罪悪感や恥 ー 個人的なもの、先祖から引きついだもの、家系的なもの、集合的なものーを手放し、女性が立ち上がり、本当の自分を表現する、というものがありました。

 

私自身、バングラデシュで女性の集まりに参加したり、南スーダンなどの女性の状況なども直に見てきて、文字通り国によっては女性が女性であることだけで罪(恥)を感じさせるような文化も見てきたことや、家系的に沖縄の伝統(戦争の歴史、女性の苦労、神事・祭事の伝統やギフトも含め)を引き継いでいることも自覚しているので、

 

女性が立ち上がるというワークでは、そんなことがあたかも自分のことのようにリアルに感じられる瞬間もありました。

 

かりに自覚がなくても、誰でも個人の体験はもちろん、家系や集合的なものさえもが身体(細胞)に記憶されていると言われています。

 

そんなことをリアルに感じていたら、

「顔を上げて、上を向いて」というファシリテーターの方の声が聞こえました。

 

20世紀は戦争や武力など力に支配されてきた時代でした。

 

私自身、そのばかばかしさを散々南スーダンで自分の目で見てきました。

 

それでも、それでも、それでも、

仮にそういう歴史が過去にあったとしても、

苦しみや悲しみが山ほどあったとしても

 

だからといっていつまでも女性の怒りや悲しみを抱えておくことも望んでいません。

(ちなみに男性でも同じように感じている人もたくさんいます)

 

女性たち(自分も)をしばりつけている「呪縛」から自由になって、

私の世代でそれらを終わらせて、

その先の世界を見たい!

と思いました。

 

「美しい満開の花が咲きほこるイメージ」が見えました。

 

湧き出るような女性の底力を感じました。

 

私自身、「女性」として癒すこと、手放すことはまだあります。

 

でも、その度に手放して女性性の力を取り戻していけると信じています。

 

武器を手に取ることは簡単だけど、ほんとうの力はそこにはない。

 

武器にお花を。

 

顔を上げて、堂々と自分に与えられたギフトを表現していきたいーそう思っています。

 

 

本当の自分を思いっきり表現したい!

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映画グレーテストショーマン見て感動した人、思いっきり自分を表現したくなった人へー本来のあなた(who I am meant to be)の姿とは?

この変化の時代、私たちは無意識にも自分の人生にも変化を求めています。

 

そのためには、

考え方を変えることが重要、

感じ方を変えることが重要、

習慣を変えることが重要、

行動が重要などなど、

食事を変えることが重要などと言われます。

 

卵と鶏の関係で、どこかが変われば一緒に変わっていくので、

自分にとってやりやすい方法ならなんでもいいと思うのですが、

 

情報(思考)過多の現代人にとっては、

一つの切り口として身体からアプローチするのは効果的だと思います。

 

スポーツ科学や音楽家、コーチ・カウンセラーの間で知られている表現に「筋肉に感情が宿る」というものがあります。

 

緊張して身体が固まるのではなく、固まった筋肉が緊張を起こすという考え方です。

 

身体や筋肉に刺激を与えたり、ほぐすことで、視野が広がったり、新しい気づきやひらめきを得やすくなるとされています。

 

一流アスリートのトレーニング、音楽家のトレーニング、トラウマケアにはある共通点があります。

 

それは、身体と心の状態は密接につながっているという「心身一致」を前提に、「身体に働きかけることで意識は変わる」という観点です。

 

例えば、音楽家は腹筋を鍛え、呼吸を意識し、かつ身体を柔らかくしていつでも最高のパフォーマンスができるように気を配っています。

 

イチロー選手は、他の選手よりも2時間早く球場に入り、念入りにストレッチをして誰よりも時間をかけて毎日準備をすると言われます。

 

そして、それを一連の所作(ルーティン)にすることで、心を安定させることができるという効果をを知っています。

 

いわば身体面に働きかけることで、心の状態を理想の状態に「起動」させることができるのです。

 

エイミーカディーのTED 「ボディーランゲージが人をつくる」、が話題になりましたが、

 

彼女のTEDは全世界で最も視聴されているベスト2にランクインし、彼女はハーバード大学ビジネススクールでも同じことを教えているそうですから、ビジネス界でも「緊張をほぐす方法」の需要がいかに高いかがわかります。

 

私も久しぶりに参加したダンスで身体を動かすことがいかにダイレクトに意識に作用するかを実感しました。

 

映画グレーテストショーマン見たらすごく踊りたくなって、

決まった振り付けのない自由なクリエーティブダンスへ行ったのですが、

身体が求めるままに踊るのはほんとうに気持ちよくて開放的でした。

 

踊っている内に自分の内側から湧き上がるエネルギーを感じました。

 

このクリエーティブダンスというのは、

文字通りクリエーティブである、クリエートするという意味を実感させてくれます。

 

クリエートするとは、

誰かの言うことをしかも無自覚に取り入れて真似て繰り返すのではなく、

一つ一つの動作を意識するということ、人生とは毎瞬選択があって、一瞬一瞬創り出すものだということを思い出させてくれます。

 

それがどういう意味なのかを一緒に感じてもらいたいので、

いったん「ダンス」という言葉を忘れてもらって、

自分が普段どのように歩いているかを思い出してもらいたいと思います。

 

 

walking corss road

 

 

そんなことを思い出せないくらい信号器が青になるのを急いでいる?

駅まで眉間にしわを寄せて走っている?

それとも。猫背になって、疲れ果てて歩いている?

 

いやいや、顔をまっすぐ上げて、最高の笑顔で足の底に力を感じならが力づよく足を踏み出している?

 

最高の自分を外に表現しながら歩いている?

 

surrender2

 

 

クリエーティブダンスの時間では、

「背筋をピンと伸ばして素敵にかっこよく歩く」、

「最高の自分を表現しながら歩く」、

「自分の内なる力を思いっきり表現する」などをしました。

 

ここでの「歩く」とは、

一つ一つのことを音楽に合わせて、

自由に身体が感じるままに(踊るように)動かすことを意味しますが、

 

改めて身体に意識を向ける時間を持つと、

そんな一つ一つが、自分を表現し、人生をクリエート(創造)する瞬間だと感じられます。

 

「自分はこういう人間です」「自分はこういうことを大切にしたい!と、

宇宙に向かって宣言している表現するような感覚です。

 

ダンスなんかしたことないと思っても、

私たちは毎日歩いています。何かをしてます。

 

そういう意味では私たちは毎瞬毎瞬「自分が何者か」をクリエートし、表現しているのです。

 

大きな感情や過去のなんらかのネガティブな体験などは癒すことは大切です。

 

でもその次には、

その空いたスペースに新しくどんなエネルギーを招き入れたいのか、

「その先」に意識がなければ、

永遠に「問題解決」のパラダイムの延長戦をずっと続けることになってしまいます。

 

自分はどういう人間だと表現していますか?

 

どんな自分になりたいのか?

自分はどんな人生を望んでいるのか?

どんな人生をクリエートしたいのか?

 

それを頭で考えようとすると、急にわからなくなってしまったり、

「言葉」という枠にはまってしまって広がりが感じられないと感じるかもしれません。

 

そんな時こそ、音楽とともに身体を動かしながら、感じるのはいいと思います。

 

私は身体を動かし始めたら、久しぶりのダンスに「思いっきり自分を表現したい!」という大きな衝動を感じて、身体は勝手に動いて、

 

自分の中のギフトや才能がどんどん開いて大きな満開のお花が咲くのを感じました

 

お花はそれ自体が美と調和の象徴です。

それはとても美しいので、花は何もする必要がなく、

その存在だけでどんな人の心も開いてしまいます。

 

誰もが満開のお花です。

お花という比喩がありえるとしたら、

それこそが人の本来の姿(who I am meant to be)なのです。

 

そんな内なる美や内なる力、情熱を感じて、

それを身体と音楽でさらに表現し、

クリエートできるのは、ダンスの大きな恵みです。

 

体感覚派の人にはとくにオススメです。

 

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米国カルフォルニア州在住 M.S.さん

これまでの7年間を考えたら奇跡です!

無事にグローバル会議が終わりました。

プレゼンは大成功でした。 自分の中で世界観がぐるっと変わるような体験でした。

 

一回目は緊張はしていましたが、その理由が分かるようになったので、その覚悟ができている、という感覚でした。

 

そのさらに半年後のグローバル会議では、多少の緊張はあったものの、最後はアメリカ人グループに、ジョークを言えるほど楽しむことができました。

 

一番の大きな違いは、私自身が聞いている人たちを温かく、優しく見れたことです。

 

私は、観客が私を常にジャッジする審査員のような、敵のようなとても怖い存在に思っていました。まともに目を見ることもできなかったし、どんどんと自分が萎縮していました。

 

今回は逆でした。

 

相手の人を包み込むような愛情のような感覚を持てました。

 

私が尊敬している社長もハグしてくれて、あたたくて伝わるプレゼンで良かった!と言ってもらえまし た。

 

この体験はプレゼンだけではなく、全ての周りの人とのコミュニケーションを変えました。
その日に、シニアマネージャーとしてのオファーをいただきました。次のディレクター候補に挙がる待遇です。
プレゼンで罵声を浴びせられて以来、身体が固まるような緊張で苦しんでいた7年間は本当に苦しく、何度も諦めそうになりました。
こんな体験は、これまでの7年間を考えたら奇跡としか思えません。

 

本当にありがとうございました!

 

このコーチングが沢山の人に届くように願っています。

 

米国カルフォルニア州在住 グローバルブランドシニアマネージャー

世界的ヒット映画グレーテストショーマンの主題歌「This is Me!」の深いメッセージとは?ほんとうのTHIS IS ME!とは?

たった一人の意見や基準であなたの能力を決めてはいけない!

あなたが評価される場所へ行こう、という記事を先日書きました。

 

関連記事→

たった一人の意見や基準であなたの能力を決めてはいけない!あなたが評価される場所へ行こう

 

それもその通りなのですが、同時にその根底に、

自分は十分に評価されていない、

評価されなければいけない、

または自分が自分を評価していない(だから他人の評価を求める)、

 

であるのならば、「苦しみの構造」に気付く必要があります。

 

その構造が変わらなければ、一生評価を求めて不満足な気持ちを抱えたまま生きていくことになってしまいます。

 

「苦しみを生む構造」として、

 

「私はこうあるべき」、「私たちは完璧であるべき」というぜったいに叶うことのない理想像、そして、「自分はこうである」という幻想があるかもしれません。

 

私たちは自分と他人と社会と両親と神とパートナーと子供たちと何千と言う「合意」を結んでいます。

 

その中でも最も重要なのは、「私はこうだ」という自分に関する合意です。

 

今世界各地でヒット中の映画「グレーテストショーマン」のメッセージは

「THIS IS ME!!!」です。

 

「合意」とはどういう意味でしょうか?

自分に対する合意とは何でしょうか?

 

自分に何かほんとうの「This is me」なのでしょうか?

 

その質問へのヒントを探るために、

世界各国で翻訳され500万部以上の大ベストセラー(『ニューヨーク・タイムズ』紙上にて、七年以上のベストセラーを誇る)ドン・ミゲル・ルイスの著書The Four Agreements (邦題:「4つの約束」)を引用します。

 

とくに、”人間の飼い慣らし”のプロセスについて分かりやすく書かれています。

表現は一見簡単でシンプルなのですが、ページを開く度に発見があります。

 

以下引用です

(一部編集あり)

 

=====

人間は常に夢を見ている。

人間は「社会の夢」、「地球の夢」とも呼べる大きな夢を外側につくり出している。

地球の夢とは、社会の信念、法律、宗教、文化、常識的あり方、政府、学校、国民の行事、祝日などで成り立っている。

 

外側の夢にはたくさんの規則があるので、大人は子供の心にそうした規則を教え込む。

何が受け入れられ何が受け入れられないのか何が良いことであり何が悪いことなのかを学ぶ。

 

外側の夢は私たちの注意を引きつける。

どんな情報でも合意に基づいて蓄積される。

 

しかし、もしそれに合意しなければ、その情報が蓄積されることはなかったはずである。

私たちが合意した瞬間、私たちは、それを信じるようになる。

それを私たちは「信念」と呼んでいる。

 

こうして私たちは他の人たちを喜ばせるため、「いい子」であるために本当の自分以外の者のふりをする。

ママやパパを喜ばせようとする。学校の先生を喜ばせようとする。

私たちが本当の自分でないもののふりをするのは見放されるのが怖いからである。

やがて私たちは自分でないものになっていく。

 

こうした飼い馴らしのプロセスの中で私たちは立派なお利口さんでやろうとして完璧性と言うイメージを作り上げる。

私たちは皆から受け入れられるためにはどうあるべきかというイメージを作り上げる。

でも、私たちは決してこのイメージにはフィットしない。

なぜならこのイメージはリアルなものでは無いからである。

この観点から自分を見たとき、誰も決して完璧にはなれない

 

 

完璧ではないために私たちは自分を否定する。

飼い馴らしの後では、もはや誰も、どんな人に対しても十分にお利口ではありえない。

自分に対しても満足できない。

なぜなら「自分はこうあるべきだ」という理想のイメージに合格しないからだ。

 

 

私たちは自分がこうあるべきだと思ったことなれなったことに対して、自分を許せないのである。

 

私たちは自分と他人と社会と両親と神とパートナーと子供たちと何千と言う合意を結んでいる。

最も重要なのは、自分に関する合意である。

その合意であなたはこう言う。

 

私は何者である。

これが私である。

これが私の信じることである。

私はこれこれができる。

これは可能である。

これは不可能である、

などなど。

 

たったひとつの合意ならば別に問題ではない。

しかし私たちは、自分自身を苦しめ、失敗させるような実に多くの合意を結んでいる。

 

もし喜びと充足に満ちた人生を望むならば、恐れを基礎にした合意を破らなければいけない。

恐怖から発する合意は多くのエネルギーを使う。

私たちは誰もが一定の力を持って生まれてくるが、残念なことに私たちはその力をこうした合意を結ぶこと、合意を守ることに費やしている。

私たちのエネルギー力は散乱してしまい、その結果、私たちは無力感にとらわれてしまう。

 

こうした合意を一つ打ち破るごとに、それを作るのに費やしたすべてのエネルギーが戻って来る。

愛から発する合意は私たちのエネルギーを保ち、さらに多くのエネルギーを得ることができる。

自分と新しい合意を結ぶことができる。

地獄の夢で生きるかわりに、あなたは新しい夢を創りはじめる。

 

あなたの天国の夢を。

 

===

 

Four Agreements ドンミゲルルイス

 

古代メキシコの「トルテック」の智恵にもとづいた、我々を覚醒させ、人生をすみやかに変え、真の自由と幸福をもたらすことができる力強い教え。苦しみを生む自縛的信念から逃れる方法を説く「四つの約束」

 

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コーチング受け付けています!

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