ギフテッドをやる気にさせるものはどういうもの?

「ギフテッド」なタイプをやる気にさせるのは例えばどういうものでしょうか?

 

クリエーティブなこと

インターアクティブ(双方向)で対話があるもの

答えを教えるのではなく考えさせるもの

自分の世界が広がるもの

世界の課題に対して考えたり、発表したり、関われる機会

自分の中の深みに繋がるもの

自分を表現するスキルを身につける機会

などです。

 

 

自分が「ギフテッド」のタイプに当てはまるかも、と思う人は、テストのためにではなくて、ぜひ自分のために勉強して下さい。

 

自分の興味のあることについて調べてください。自分のために調べてください。

TEDを聴くのもいいでしょう。自分の関心テーマを探してください。

 

そして、偉大な人たちの自伝を読んでください。

 

ネルソンマンデラ、ガンディー、マザーテレサ。。。

 

例えば、インドを独立に導いたガンディーはなぜ植民地主義を倒すことができたのでしょうか?

 

時間をかけて探求するに値する興味深いテーマはたくさんあります。

 

そして自分を表現する方法をみつけてください。

 

そういうタイプの人たちの中にある、自分の中の「湧きでるもの」を表現する意欲はとても強いです。

 

短くてもいいので、自分の中の疑問や発見したことを自分の言葉で綴っていく日記をつけるのもいいでしょう。ぜひお気に入りのノートを見つけてください。

 

私自身が「ギフテッド」について調べてブログに投稿し始めたのも、最初はまったく自分自身の関心からでした。自分が自分について知りたかったからです。

 

なんでこうなの?そうして?本当にそうなの?といった疑問をやめないでください。

 

自分の探究心、好奇心を大切にしてください。

 

震災の時神戸に行って、紛争の南スーダンを経て、23年ぶりに神戸の街を歩いてみて感じたこと

神戸の街を歩きました。

 

神戸は仕事が目的でしたが、阪神淡路大震災から丸22年経って「日本の目覚め」はどうなったのか?

 

私たちは何を学んだのか?何が変わったのか?変わらなかったのか、を自分の目で見て感じたいと思ったからでした。

 

1995年は「ボランティア元年」と呼ばれました。

 

私も救援物資を集める活動に参加して、1日中鳴りやまない電話の受付けをしたり、神戸へ行って、集まった洗濯機や自転車を配布しました。

 

ボランティアスタッフの移動と物資の運搬のためにトヨタ自動車が無償で大型バスを提供してくれたり、運輸省(当時)の人も一緒に来てくれたりと、「何か今までとは違うことが起きている」という感覚がはっきりとありました。

 

1日中鳴り続ける電話をとり続けて、人の中には「自分も役に立ちたい」という気持ちがあるものなんだ、と感じたり、みんなが一つになることによる「人間の底力」も「より大きな力」も感じました。

 

神戸東遊園地①

 

神戸東遊園地②

⬆️三宮駅 神戸市役所すぐ側の慰霊が行われる東遊園公園。

 

「シンドラーのリスト」など、数々の名作を世に送り出したスティーブン・スピルバーグ監督が「なぜ戦争をテーマとした映画をつくるのでか?」と聞かれて、こう答えています。

 

「戦争は人間を極限におき、人間の選択を問うからだ」と。

 

大変な時こそ、人と社会の真価が問われるという面があるのですね。

 

神戸で読んだ新聞の震災後23年の特集にはこうありました。

 

「震災がなかったら起業なんて考えなかった。でも一生懸命に生きることが生き残った人の使命だから」

 

震災がきっかけで奮起された方が人知れずたくさんいらっしゃるのだと思いました。

 

神戸新聞.jpg

 

国や社会全体がどう変わって、変わっていないのかは、改めてもっと詳しく書きたいと思いますが、

 

「復興」という時、私たちは元と同じように戻ることといった漠然としたイメージを思い浮かべますが、これだけの震災・災害が起きた後で、当然ながら街が単に元どおりに戻るわけではありません。

 

戦後の経済復興を経て、大きいもの・ハコモノが幅をきかす、それまでの延長ではなく、21世紀に向けて日本はどんな社会をつくりたいのか?どんな価値を新たに生み出し、世界に発信していきたいのか?という私たちの「再生」と「持続可能な社会」のビジョンが求められていたのだと思います。

 

その宿題は、東日本大震災へ持ち越され、そして少子化、人口減少が急速に進む中で、現在進行形で今でも続いています。

 

日本人は決められたレールを真面目に懸命に取り組むのは得意ですが、これからは新しい発想や価値を生み出すことにもっと重きをおくことができます。

 

それから、南スーダンなどにいた体験から感じたのは、それぞれの方の個人レベルでの「傷ついた体験」は23年経ってもまだ癒されていない面が大きいのではないか?ということでした。

 

南スーダンにしろ、いわゆる「トラウマ」の影響というのは、時間が経てば自然に解消するものではありません。

 

そうした影響は「世代間トラウマ」と呼ばれ、数十年、大きな戦争になると100年(4世代〜5世代)単位で影響があるとも言われています。

 

神戸生まれ・神戸育ちで、自らも被災して、避難所暮らしを送ったという友人に区役所や公園を案内してもらいましたが、被災して住宅をなくして以来、大阪や東京へ引っ越して「神戸はこわい」とそれ以来ほとんど戻ってきていない人も実はけっこういるということでした。

 

東日本大震災のときに始めて、「ああ自分は当時の影響がまだ残っているかもしれない」と気づく人も多かったそうです。

 

東日本大震災でこそ、心のケアや傾聴ボランティアがより一般的に認知されましたが、1995年当時はPTSDやトラウマケアという言葉もほとんど知られていませんでした。

 

また、ベトナム戦争やアフガンとイラク帰還兵がごく身近に存在して、PTSDが一般的な社会問題として認識されているアメリカと違い(逆になんでもPTSDというレッテルを張り過ぎる傾向もありますが)、また、日本人の気質からそうしたことを話したり、認めることは「恥」であるという感覚はまだ強いように感じます。

 

ただ、最近では、トラウマケアは「心の傷」というよりは、全身体的な課題であって、PTG (post-traumatic growth=トラウマ後の成長)という概念があるように、新しい自分に生まる「再統合」の機会としても認識されています。

 

人間は危機を体験すると、本能的に「闘争/逃走反応」 (fight or flight)として知られる「戦う」、または「逃げる」行動をとります。

 

戦うことも逃げることもできなかった時には、身体は文字通り身体はフリーズし、竜巻のようなエネルギーが外へ解放されず身体の中に溜まることになります。

 

そのエネルギーが数週間のうちに解放されるか統合されないと、いわゆる「トラウマ」の状態を引き起こすことになります。

 

危険を察知し身体全体に信号を送る「扁桃体」は、まだ「非常事態」が続いていると認識するため、「交感神経」が 優位になり、副交感神経系が機能できません。

 

結果、常に身体に緊張や凝りがあったり、眠りが浅い、リラックスできなかったり、不安や怖れが深い部分で残っていたりします。

 

鹿などの小動物がライオンやチーターなどの肉食動物に追われてうまく逃げられた時、 追われた動物は、「ぶるっぶるっ」と体を震わせて生体に留まっていたエネルギーや恐怖をふるい落とします。

 

動物ぶるぶる②

人間の場合、動物のようにエネルギーの解放ができるわけではないので、人間は身体に残っているトラウマのエネルギーを意識的に外に出す(解放する)必要があります。

 

 

南スーダン勤務による二次受傷(PTSD)からの回復した自身の体験を基に、丁寧に向き合います。

 

どうぞお気軽にご連絡ください。

 

info(at)peaceblossom.net

 

 

身体はトラウマを記憶する

 

 

イースタンメノナイト大学  (Eastern Mennonite University )によるトラウマのサイクル理論 ①

「暴力の連鎖のモデル」の概要:トラウマの理解と暴力の連鎖

 

どうしたら「憎しみの連鎖」を断ち切ることができるのか?どうしたらその人の中で紛争が終わったと言えるのか?ゆるしや和解を促すものは何か?ー私がそのような問いに向き合うことになったのは、独立前の南スーダン(スーダン共和国の「南スーダンと呼ばれる地域」)で国連職員として元兵士の社会統合支援に従事していた時でした。

 

当時、私が関わっていた元兵士の人たちの社会統合を支援するDDR支援(武装解除、動員解除、社会復帰プログラム=Disarmament, Demobilization and Reintegration: DDR)では、除隊兵士の人たちに、生計を立てるための新しいスキルや手段を身につけるサポートとして、職業訓練、農業支援、小規模事業支援(SME)と教育支援を行っていた。約40年続いた南北スーダン間の内戦を停戦させた「南北スーダン包括和平合意(Comprehensive Peace Agreement:CPA)」が、2005年1月9日に締結されてからすでに2年が経っていたものの、長年の内戦の影響で、道路や建物といったインフラも物資も驚くくらい限られ、職業訓練を提供すること、施設を建てることは、文字通りネジ一つから屋根まで隣国のウガンダかケニアから運んでくることを意味した。提供する側にとっても受ける側にとっても、多大な労力が求められたが、チャレンジを一つ一つ乗り越え、人々が少しづつでも前向きに前進していく様子に触れることができるのは光栄なことでした。

 

同時に、元兵士の人たちに接する中で明確に理解することに至ったのは、紛争後の復興においては、それがどんな分野であっても、紛争を肯定し、生み出した社会的背景、紛争の社会心理面における影響、人々にその自覚があるかないかにかかわらず「あの紛争はなんだったのか?」といった心の整理を求める感情面でのニーズを完全に切り離して、支援を行うことはできない、という理解でした。

 

これまでトラウマの課題は、難民や国内避難民や性的被害にあった女性(男性も含む)など、特殊のニーズを持った人々の課題であると狭義的な意味で捉えられてきた傾向があったののの、その課題やその影響が、より広義的に、その社会において紛争を生み出し、継続させる背景にある、という理解が広まってきています。また、トラウマは、個人と対象とする癒しや心理的なケア、また人を「治療」する課題というだけでなく、社会の根底に存在する構造的な課題や、また、それを正当化させ、継続させる社会文化的パターン、または質的な関係性にわたしたちの意識を向けさせてくれるものである、とも言われています。

 

そのような課題意識を元に、ここでは、世界の平和構築分野・平和支援の実務家や研究者に知られ、ソマリアの大統領等、現在に至るまで約60の国と地域からすでに8000人近くの人たちがトレーニングに参加しているSTAR(Strategies for Trauma Awareness and Resilience)と呼ばれるモデルを紹介したいと思います。

 

STARプログラムと「暴力の連鎖のモデル」のはじまり

 

STAR(Strategies for Trauma Awareness and Resilience)プログラムは、2001年に米国で起きた同時多発テロ事件をきっかけに生まれた。30年間にわたって中南米、アフリカ、アジア、ヨーロッパの各地で紛争の調停や助言にかかわり、当時、Eastern Mennonite UniversityのCenter for Justice and Peacebuilding Studiesの所長(創設者)であったジョン・ポール・レデラックをはじめ、この出来事を通して更なる報復と暴力が生み出されて行くことを予感した研究者の有志と3つの教会組織のトップが集い、暴力の連鎖を断ち切るためのトラウマに対する理解と方法論の確立、実践的なトレーニングの必要性を強く感じ、トレーニングが開始されました。

 

このSTAR(Strategies for Trauma Awareness and Resilience)プログラムの特徴の一つは、「暴力の連鎖を断ち切るモデル」(Breaking the Cycle of Violence)と呼ばれる、どのようにトラウマが暴力や憎しみの負の連鎖をつくっているかを示す「暴力の連鎖(cycle of violece)」と、暴力の連鎖を超え、平和へ向かっていく地域、社会・国の特徴とその過程についての見取り図を示すメカニズムと示している点です。

 

このモデルの特徴として挙げられるのは、まず第一に、紛争の影響をもつ社会におけるトラウマの影響を個人、または社会全体への影響、世代を超えた影響という観点について、脳科学、心理学、修復的司法(restrative justice)、人間の安全保障、紛争変容(conflict transformation)といった包括的な視点から解説されていること、また、第二に、トラウマについては、従来、心理的側面に焦点が当てられる傾向がありましたが、トラウマは身体的、生理的、脳の神経系統への影響を及ぼす脳科学的な現象であるという理解がされている点です。

 

第三に、このモデルの特徴として特記したいのが、暴力がさらなる暴力を生み出す負の連鎖のメカニズムが提示されている点です。トラウマ体験は私たちの内に負のエネルギーを生み出し、そのエネルギーが発散されずに温存されると、更なる暴力を生み出して行きます。これは、Acting In、Ating Outと呼ばれ、癒されず身体と心に残ったトラウマが内に向かう(Acting-in)場合と、外に向けられる(Acting-Out)場合があります。

 

内に向かう(Acting-in)場合には、アルコールや中毒、過食症・拒食症、自傷行為、受動攻撃、落ち込み、うつといった形として現れ、外に向けられる(Acting-Out)、怒り、不寛容、口論、攻撃性、犯罪、DVといった身体的暴力となって周囲の人に影響を与えます。

 

以下の図は暴力の連鎖の仕組みを体系化した図ですが、個人レベルにおけるトラウマの体験だけでなく、こうしたトラウマのサイクルが社会レベルにおいても繰り返されていることを教えてくれています。

 

 

次に、被害者サイクルと加害者サイクルの各項目を紹介していきます。

 

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元国連職員でカウンセラー・セラピスト

国連勤務を経て、海外でトレーニングを受けた信頼と実績を持つコーチが、安心と効果を直に実感できるメソッドを提供します。

 

国連ニューヨーク本部、南スーダン、東ティモール等で現地国政府の人材育成や元兵士の社会復帰支援に約10年従事に従事。紛争国での体験から、リーダーシップや仲裁について研鑽を積む。米軍の専門家として、世界的な研修プログラムにおいて唯一の日本人女性として講師を務める。

 

帰国後、PTSD(二次性外傷性ストレス)と燃え尽き症候群になり、起きれなくなる。リックウォーレン師などが進めるCelebrate Recoveryという再生プログラムを通じて癒しと回復、再生を体験。同じ様な体験をしている人たちをサポートしたいという思いからコーチングとヒーリングを始める。

 

医師、医療従事者、国連職員、ビジネスパーソン(製薬、銀行、製造業など)、政府機関職員、地方公務員、NGO職員、通訳、カウンセラー、ソーシャルワーカー、クリエーター、大学生、中学生など多くの人から支持される。

 

《主な資格》

在米国バージニア州 Eastern Mennonite University (EMU) The Center for Justice and Peace-buildng,  Strategies for Trauma Awareness and Resilience: STARトレーニング修了。

日本人はいつからロボットのようになってしまったのか?!ー言われたことはできるけどマニュアル外のことができない人の本当の理由

ベジタリアンのカナダ人の友人と一緒に出かけた時のことです。

ベジタリアンなので、食べる場所を選ばなくてはいけません。

 

カフェメニューで、アボガドサーモン丼というものがあったので、そこからサーモンを除いていただいて、アボガドとサラダだけ出していただくことはできますか?

と聞きました。

 

ご飯の上にそれを盛るだけだから、単純にできそうだと思います。

 

こういう時、お店(店員さん)の対応は見事に二極化します。

キッチンも店員さんも、「できません」というケース。

 

なんとか考えてごめんなさいね、というのではなく、マニュアに書かれたことは出来るけど、そこをちょっとでもずれると自分で考えて対応できない、という態度がくっついています。

 

そして、「今あるものでなんとかしたいと思います」と言ってくれるケース。

 

時には、シェフの方がわざわざ出てきて、今あるのはこういうものですが、こちらは大丈夫ですか?と聞いてくれることもありました。とうぜん、こういうお店の印象はアップ。次回も寄りたいなと思います。

 

けっこう前者が多いのでびっくりします。

 

しかも、ロボットのように「できません!」と言う人が(けっこう)いることに驚きます。

 

ランチ時の忙しい時でもないし、スーパー難しいことを頼んでるわけでもないのに、何がどう「できない」のでしょうか???

 

マニュアル的な決められたことはできるけど、自分で対応できない人が増えてる、とは聞いたことがあるけど、まさにこういうことか!と思いました。

 

できない!とパニクったり、いっぱいいっぱいになってしまうのかもしれません。

 

常に携帯でググれば「答え」がでてくることに慣れてしまって、やり方が一から最後まで書いてあるのをなぞることは出来るけど、

 

自分で判断する機会があまりないのかもしれません。

 

こういう場合に求められているのは、

お客さんは何を求めているのか?ちゃんと聞く・理解すること

キッチンに伝えること

または自分がシェフだったらアボガド(または何が出せるのか判断する)を出す

ということです。

 

 

イレギュラーな件にパニクる人たちは、

極点に失敗を恐れているにも感じます。

 

自分で考える=判断する=間違うのが怖い

 

でも、そもそも、「正解」も「間違い」もないのです。

 

そして、「正しくやること」に価値があるという誤解をしています。

 

「完璧」「ちゃんと」やらないといけない、と思ってます。

 

客が求めているのはそんなことじゃないのに。

 

自分に意識が向いている典型的な守りの姿勢です。

 

お客の立場をして感じたことですが、こちらの要望・言っていることをほとんど聞いていない人さえ多いのです。

ベジタリアンだって人間なんだから、ただご飯が食べたいのに、でも困ってるんだよ、というだけなのに。

 

そのことをただ理解してくれて、もし少しでも共感してくれたなら、お店の印象がどれだけアップすることか!

 

ロボット人間じゃなくて、人間が増えてくれることを願います!

国連での勤務の1年目、苦い体験を通して学んだ本当の議論のためのルール

自分がある出来事についてどう思っているかは、自分が決めればいい、というお話しをしました。

 

でも、みんながそれそれ違う意見を持ったらどうなるの?

という漠然とした疑問というか、不安を持つ人もいるようです。

 

 

それは、

日本では、

議論のルールというものを習ったことがない

議論というものをしたことがない

または、本当に違う意見を交わしてより理解が深まったという体験したことがない、

または意見はトップダウンで決められるものでただ従えばよい、

答えは「上」から与えられるもの

という権威主義的なやり方を当たり前とする文化や経験の問題だと思います。

 

 

でも、自分の意見を言わないことは、

相手を尊重していることにはならないし、

本当の関係を築くことにならないのも事実です。

 

そして自分の意見を持つことを止めるものに、いろんな誤解が理由としてあるようですが、

 

その一つは、人の意見と人格を同一視してしまうというものです。

 

 

私はその誤解を国連での勤務の1年目、苦い体験を通して学びました。

 

国連勤務の1年目初めての赴任地東ティモールでの出来事でした。

 

初めて、オーストラリアのダーウィンから初めて国連機というものに乗って東ティモールの首都、ディリに向かった日のことは今でも覚えています。

 

一緒に働くことになったのは、

チリ生まれのオーストラリア人、パキスタン人、イギリス生まれのパキスタン人、カメルーン生まれのドイツ人、オーストラリア警察から出向中のオーストラリア人の女性と日本人のわたしでした。

 

さて、チリ生まれのオーストラリア人はチリ人っぽいのか、それともオーストラリア人っぽいのか?

国籍を聞いただけではこの人たちはどんな人たちなのかさっぱり分かりません。

 

さて、始めての会議。

 

その中でチームリーダーに選ばれた一回り年上のパキスタン人の同僚の口からは、ショックな言葉が続きました。

「女は仕事ができない。」

そして、男性には挨拶をして、女性は無視するかのような態度。

 

オーストラリア警察から出向していた女性と私は顔を見合わせてまず怒りました。

そして、悩みました。

 

結論から先にいうと、そんな言動が続き、本部からヒアリングと事実確認、調停を担当する人が派遣されてきました。

 

その調停人の方は、まず双方の言い分を聞き、事実確認をするための質問をいくつかしました。

私は事前に書面で伝えていたことと同じことを伝えました。

 

そして、何回かそのようなやり取りが続きた後、

途中「だからこの人は何もわかってない!」と

私の方がカッとなってしまいました。

 

私がよく覚えているのは、その時の調停人の言葉です。

 

彼は落ち着いた口調でこう言いました。

「事実と人格を分けてください。」

「ここで聞いているのは(確認をしている)のは事実関係です。

何があったのかという「事実」だけを述べてください。

相手のパーソナリティーに言及することは慎んでください。」

 

私は、その瞬間にハッ!と気づいて本当にその通りだと思ったのです。

 

「「事実」だけを述べてください」とは、日本人の感覚からするともしかしたら冷たい印象を与えるのかも知れません。

でも、その時に私はすごく解放された気がしたのです。

 

 

この人はイスラム圏で生まれ、おそらくこれまで女性と働いたことがなかったんだろう。

そういう文化背景で、おそらくそういう考え(女性は仕事はできない)を持つようになって、

ただそれだけなのだ、と。

 

 

そういうことを平然と言い続ける人と一緒に働くのは決して心地よかったわけじゃないけど、

私個人に向けられたものではなかった、と。

 

 

私たちは、自分とまったく違う意見と持っている人に会ったり、自分の意見が否定されたりすると、あたかも自分という個人が否定された、と感じがちです。

 

相手の意見と人格をごちゃまぜにしてしまいがちです。

 

でも、その人の意見は世界の72億あるうちのたった一つの意見であって、

 

自分にとって真実でもなければ、同意する必要もないし、

その人の意見個人的に捉える必要はまったくないのです。

 

最近続けて職場でハラスメントを受けている・受けていたという相談を受けていますが、

それを聞く中でも、そこにショックや傷ついた体験がごちゃまぜになっていることが多いのを感じます。

 

まず、事実と感情を分けること、

事実と人格を分けることが大切です。

 

すると、事実関係が自然に整理されていきます。

 

 

《まとめ》

事実と感情をわける

意見と人格を分ける

事実を淡々と整理する

人の意見が自分の意見と違うからといって、それは個人的に嫌われたとか、尊重されていないとは違う

もしそういう感情や感覚があるとしたら、それは本当にそうなのか確認すること。

嫌いな仕事に1日15分取り組んで10日たったらー自分が自分の約束を守るとおきた奇跡

今日は奇跡がおきました!

 

 

それは私の苦手で嫌いなことを楽しい!と思えたのです。

 

しかもやりたい!とさえ思ったのです。

 

それは何かと言うと、経理作業についてです。

 

最近はいろんなクラウドソフトがあって、入力作業もバランスシートなどの必要書類の準備もクリック一つで簡単にできます。

 

それでも、私にとっては正直あまり好きではない作業です。

 

なので、こうした作業をつい後回しにしてしまうパターンを繰り返していました。

 

でも、ついに、同じことをやってる自分が嫌になって、

毎日15分でいいからルーティン化することにしました。

 

とはいえ、

 

正直、最初は腰が重いというか「イヤイヤ」やってました。

 

10日間位たった頃でしょうか。

 

楽しい!と思ったのです。朝起きて早くやりたい!とさえ、思ったのです。

 

驚きました😝

 

だって、クリエイティブな作業の方がずっと得意な私みたいなタイプの人にとって、経理作業というのはその逆に位置するものだからです。

 

確かに地味だし、クリエイティブとは真逆的な作業ではあるでしょう。

 

そういう作業が好きな人というのが世の中には存在すると思うので、

きっと誰かにお任せすることになるでしょう。

 

でも、誰かに任せるにしても、この作業に対する漠然とした苦手意識を感じたままじゃ嫌だなと思ったのです。

 

さて、

このプロセスは何だったのかなと考えてみると、

経理作業そのものというよりは、

 

たとえ自分にとって嫌いな分野でも

自分が自分に対して決めたことに対して責任をもつということ、

それを守ったことによる「快感」だったと思います。

 

もし、頭に脳波を測る装置をつけたら、きっとなんらかの脳内分泌が起きていたと思います😇

 

そして、セッションの予約を5件続けていただきました。

 

しかも。お手伝いしますというお申し出までいただきました!(本当です)

 

 

自分が自分に対して決めたことを守ること、

つまり自分が自分を尊重するというのは、

こんなにもパワーをくれるものなんだ!💡と正直驚きました。

 

苦手な分野なだけになおさらですね。

 

つまり、自分の信頼度を貯金しているわけですね。

 

それで予約がすぐに入ったので、宇宙は分かりやすい印をくれるものです。😊

 

逆にいうと、自分の信頼とパワーをそぐものに要注意です。

 

例えば、

誰にでも簡単に約束すること

自分が望まないことにイエスと言うこと

やると言ったのに実行しないこと

 

やりたくないならノーという方が誠実ですし、

 

目標を立てても心の底ではやりたくないのならば、やる気のあるふりをするよりも、その根本原因に取り組む方がよっぽど誠実です。

 

そして、どうしても好きになれない仕事を自分をだましながらやっているのならば、それも自分に正直ではありません。

 

もし、今の段階ではできない事があったら自分を責めるのでもなく、その原因を理解して、どうしたら改善できるのか考えましょう。

 

 

私たちは日々自分に対する信頼貯金を貯めています。

 

もし、今の段階ではできない事があったら自分を責めるのでもなく、その原因を理解して、どうしたら改善できるのか考えましょう。

 

どうしたら上手くできるのか考えましょう。

 

まだまだ、続けていくので、さらなる「脳内反応」?を観察してみたいと思います❗️

優等生は報われないー「我慢すると怒りがわく」「わがままをすると成功する」

私たちはいつの間にか洗脳されています。

 

どんな洗脳かと言うと、

めいわくをかけちゃいけない

わがままな人になってはいけない

ちゃんとやらなきゃいけない

仕事とは「がまん」してやるもの

がまんして一生懸命がんばれば幸せになれる

という洗脳です。

 

 

ここには、より根本には何かをしたから認められる、という前提があります。

そこには何かをしたことで褒められるという構図が植えつけられています。

 

勉強ができたからえらい、

ご飯を全部ちゃんと食べてえらいね、

泳げるようになってえらいね、

という具体です。

 

そして、それは私たちが大人になってからも、深い部分での「動機」となって私たちを動かし続けています。

 

大人になっても私たちは「何かをしたから愛される」と思っています。

 

こんなに偉く(肩書きに)なったから

こんなに収入があるから。。。

いいお母さんだから(こんなに料理をしているから)

 

 

同時に、同じくらい愛されなくなることも恐れています。

その愛は何かを達成したことやなんらかの行為に根ざしているからです。

 

でも、そうやって私たちは心をすり減らしてしまいます。

 

なにより、自分がやりたいことが分からなくなってしまいます。

ほめられることと優先するばかりに、自分の焦点を他人の価値観に合わせてきたからです。

 

しかも、実際はそんな人ほど心の中で怒っていたりします。

 

または、体中でがまんをためて、病気になったり、うつになったりすることもあります。

意欲も気力も感じられない、という人もいます。

 

 

しかも、さらに悪いことに、我慢し続けるとわがままで傲慢になったりします。

 

どういうことかと言うと、

自分はこんなに我慢しているのに

自分はこんなに尽くしているのに

 

という思いがつのってきて、

相手から褒め言葉やお返しが思うように返ってこないことに常に心の中でイライラや不満をためるからです。

 

これは非常にストレスです。

 

なぜなら、自分の満足は相手の反応次第だからです。

 

もちろん人の言動はコントロールできません。

 

コントロールしようとすればする程ストレスは上がるでしょう。

 

わがままはいけない」と蓋をすることで皮肉なことに心の中では「超わがままちゃん」になっているのです。

 

 

 

ではどうしたらいいでしょうか?

 

「わがままでもいい」といったんわがままをゆるすことです。

 

人間には誰でもある程度わがままな部分があります。

それは本当にそうです。

それを前提にすると「ああ、自分にはこんなわがままなところがあるな」とただ受け入れることができます。

 

そう言うと、

「わがままであることを認めたらもっとわがままになるんじゃないですか?」

という反応が返ってきたことがあります。

 

確かに、一時的にはそういうこともあるかもしれないけど、それを受け止めるとより楽チンな人になります。

 

楽チンな人という意味は、自分の弱みもわがままなところもただ受け入れている人、という意味です。

 

自分を受け入れている人は、周りの人にとっても、無理やりこちらに合わせてお返しを水面下で期待している人よりも、一緒にいて楽チンで、なにより魅力的です。

 

 

 

そして、もう一つ大事なことがあります。

めいわくをかけてはいけない=なんでも人に合わせればいい、という訳ではないことです。

 

もしかしたら、めいわくをかけてはいけないという理由で、自分の意見を持たない、自分の意見を伝えない、自分で自分の選択に責任をとらない言い訳になっていませんか?

 

 

人に合わせることの一番の弊害は、自分の行動や選択の責任をとらず、誰かのせいにしていることです。

 

上司のせい、政府のせい、会社がわるい。。。

 

つねに誰かしら「悪い人」がいます。

 

いくらでも何かや誰かのせいにすることはできますが、自分の幸せも誰かや何かに依存しています。それは本当の幸せや充足感とは違います。

 

そんな終わりのないストレスにさらされるよりも、小さなことを一つづつでもいいから自分で決めていく方が、自分で決めている、自分の足で人生を生きている、という感覚を得られます。

 

わたしたちはもっと自分に正直に「わがまま」に生きていいのです!