国連の平和支援に一番人を送っているトップ3カ国は?

国連の平和維持活動の現場で、いわゆる国連軍として現場での治安を担当しているトップ3カ国をご存知でしょうか?

2014年11月の時点で、PKOの最大の部隊派遣国(Troop Contributing Country: TCC)は、

1位がバングラデシュで9,275人

2位がインドで8,141人

3位がパキスタンでそれぞれ7,626人

を派遣しています。

これは、部隊を派遣すると手当てをもらえるという経済的な意味があるのと、部隊派遣国はTroop Contributing Country(一般的にTCC)を呼ばれ、国連の外交の場での発言権が増すという意味合いがあります。

前回、国連のPKOの現場は、1992年にはPKOの援助を受ける側だったカンボジアが、今は南スーダンで地雷の撤去を行なうなど、「援助を受けてきた側」が「援助する側」になる場でもあると書きました。パキスタンやネパールは今でも特に国際的な支援の対象になっている国ではありますが、インドやパキスタン、ネパールはPKOに派遣してきた歴史も長くPKO派遣国としての誇りがあり、国連は彼らの部隊の存在でなりたっている面はとても大きいです。

最近ではそれぞれの国がPKOの訓練センターを持ち、お互いにスタッフを互いの研修に送ったりして、交流を深めてます。

 

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⇧バングラデシュのPKO訓練センター

一度、何かの会議で中国とインド、パキスタン、ネパール、バングラデシュの訓練担当者の方たちとご一緒した時がありましたが、お互いの訓練センター自慢になり、誰もがうちが一番だ!とジョークを言い合っていました。

いまだにこの訓練センターが一番なのか?それは私も分かりません(笑)

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国連って現場では何人くらい何カ国の人が働いてるの?

国連ってよく聞きけど実際には何をするの?!これは、平和維持活動の現場の話しですが、2015年1月現在、国連PKOは世界の16カ国で平和維持活動を展開して、合計で128カ国の人たちがPKOに参加しています。

さ〜て、では合計で何人の人たちが働いているでしょうか?

文民:16,961人

国際職員:5,325

現地職員:11,762

国連ボランティア:1,844人

制服要員:103,798人

部隊:89,607

警察:12,436

軍事オブザーバー:1,755

合計で122,729人もの人が働いています。12万人とは改めて調べてみるとすごい数です!

そして、128カ国の人たちが参加しています。(2014年9月30日現在)

  • Uniformed personnel: 103,798 (as of 31 December2014)
    • Troops: 89,607
    • Police: 12,436
    • Military observers: 1,755
  • Civilian personnel: 16,961 (as of 30 September 2014)
    • International: 5,325
    • Local: 11,762
  • UN Volunteers: 1,844 (as of 30 November 2014)
  • Total number of personnel serving in 16 peacekeeping operations: 122,729
  • Countries contributing uniformed personnel: 128

国連本部 PKO局ウェブサイトより http://www.un.org/en/peacekeeping/resources/statistics/factsheet.shtml

軍人と警察官の人たちの人数が圧倒的に多いのは、治安が回復されないと人道支援も何もできないから。軍事要員は治安の維持やパトロール、国連警察は相手国の警察の支援をします。

国連ボランティアという人がいますが、ボランティアといってもきちんと手当をもらい、実質的にはいわゆる国連職員と変わらない(時にはそれ以上のことも)役割をになっています。

では国連の現場ではどんな仕事をするの?⇒ https://chikaonaka.com/2015/01/12/国連の現場ってどんな仕事をするの?/

もしあなたが国連要員としてアフリカに派遣されたら?

国連PKOのもう一つ面白いダイナミックスは、それぞれの国の軍人の人たちが、自分の国ではないアフリカというコンテクストで、自分自身が「国連」という立場になることで、自分の国の課題が違う目で見えるようになること。

フィリピンで、フィリピン軍を対象に2週間半の国連に派遣される候補者向けのトレーニングの講師を務めていた時のことです。

国連のPKOに関するトレーニングは国連が設定した基準があって、人権、住民の保護、ジェンダー、人道支援など国連軍として派遣されるためのマインドセットを学ぶのですが、国連みたいな理想主義なかなか信じられないんだよねーっという雰囲気が強くありました。

なんだろうコレ?と、質問を受けたり、話しをしていくうちに、どうやら、実際にミンダナオに実際に派遣された人も少なからずいたみたいで、口に出されずとも「僕たちはアフリカより先に、ミンナダオ(軍と武装勢力が内戦中)の問題で困ってるんだよね。」という心境なのだと分かってきました。

そんな時にやったのがこんなエクササイズ。「もしあなたが国連要員として南スーダンの派遣されて、武装解除される元反政府勢力の元兵士の人に支援する立場になったら」という設定で、①「彼らが困っていること・心配事はなんですか?」②「彼らが必要としている支援は何ですか?」

彼ら自身も兵士だから、元兵士が武装解除されるというシナリオに共感したのかも知れません。南スーダンという第三国のコンテクストがよかったのかも知れません。「国連」という役回りでいつもの視点からはなれたのもよかったかも知れません。各チーム議論がとても盛り上がり、気づけば、彼らの中で、自然と反政府側の元兵士たちのは「まったく理解できない敵」から「少しは理解できる相手」に変わっていったようです。

それ以来、トレーニングは順調に進み、大成功な研修となりました。彼らは国連のPKOというコンテクストを使って、自然にミンダナオのことに対してもたくさんのヒントを受けとったようです。

20年経ってカンボジアが「援助する側」になる舞台

国連という現場の面白いところの一つは、「援助を受けてきた側」が「援助する側」になる「国際舞台」でもということ。

例えば、冷戦の終結後ヨーロッパではボスニアやコソボで、またアフリカではシエラレオネやリベリアという国で紛争が起きましたが、そこの国出身のスタッフがその後、例えば南スーダンなどに支援する側として派遣されるということが起きます。彼ら自身、紛争の経験者だから、その国の人のことを理解できたり、寄り添える部分もあると思うから、面白い循環だと思う。

部隊レベルでもそれが起きていて、カンボジアの例が興味深いです。

カンボジアは長年のポルポト派による支配と内戦で国が荒廃し、1993年に国連が選挙を含めた国づくりを支援した国でした。教師や医者などの層が虐殺されてしまったカンボジアで、国を担う人材の育成は長年の課題だったのですが、そのカンボジアは、20年経ってアフリカでの平和維持に貢献する側として、地雷除去を行なっています。

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ニューヨークやジュネーブ本部といった政治的な舞台でカンボジアという国が示せるプレゼンスはあまり強くないかも知れないけれども、カンボジアが自分の国での地雷除去の経験を活かしアフリカで支援する側に回っているということは象徴的な意味でも面白いと思う。

数年後には南スーダン軍が他の国の平和に貢献する側になっていることを思い描いてます。

80カ国の人たちが一緒に平和を築くには?(3)インドとパキスタン人の本音

80カ国以上もの人達が世界の辺境で出会い、文化も言葉も職歴も違う人達が、ある日から「国連職員」になり、「国連軍」になり、「国連警察」と呼ばれることになります。

オンナは仕事はできないと平気で言い放つ人、

母国での30年公務員をして国連に「出稼ぎ」に来ている人、

ハーバード大学のロースクールを卒業した「エリート」も

みんな一緒のそれはそれはカオスでにぎやかな現場。

同僚のフィリピン警察の人のある日突然ボソっと言われたことがありました。「実は僕の先祖に日本軍に殺された人がいるんだ。チカに会えてよかった。ありがとう。」

私はただおしゃべりをしていただけなのだけど、彼はそう言って母国に帰って行きました。

パキスタンとインドの軍人が同じ場に居合わせることもありました。パキスタンとインドは、カシミール地方をめぐって何度も交戦を繰り返している「宿敵」同士。人によってはほとんど口を聞かないし、あからさまに不信感を表す人もいました。

こんなこともありました。

南スーダンの国連機の運営をするチームにインドとパキスタンの軍人が割り当てられ、しかも、たまたまだけど、両方とも実際にカシミールの最前線に派遣されたことがあり、実際に交戦したことがあるという人達でした。

軍人だから「敵国」であるお互いの国に渡航すること、互いに接触することも厳しく禁止されています。仮に軍人をやめても、一生インドを訪ねること、また一生パキスタンを訪ねることは出来ません。さいわい、二人ともプロ意識が高い人だったので、それは一旦棚あげして仕事に集中したのでしょう。二人はお互い助け合いながら毎日テキパキ国連機を飛ばし、何百人という国連関係者や物資を南スーダン各地に送り出していました。

軍人だからこそ分かり合えるジョークもあったと思うから、「まったく国連は〜 」とか、「まったく文民は〜」なんて笑いあっていたかも知れない。アフリカにいることで「違う点」よりも同じ言葉を話し、同じ食事をするという「同じ点」を思い出したのかもしれない。

気づけば、二人で仲良くチャパティー(インドやパキスタンでの主食)を焼きながら、よく一緒に食事をしていました。彼らは平気な顔でしれっと言います。

「ああ、カシミールは寒かった。そういえば、あの時の銃撃には驚いたよ。敵ながらあっぱれと思ったよ。ハハハー。」

「まあ、ヒンドユー語とウルドユー語なんてほとんど同じなようなものだよ。チャパティーの味だって一緒だよ。」

「戦争をあおるのは政治家さ。僕は軍人として命令されたところに行くだけさー。」

私はチャパティーをごちそうになりながら妙に納得してしまったのでした。みんながみんな彼らのような境地にいたるとは限らないけれど、戦争をしている国の現役軍人の人たちは「戦う」ことをを経験しているがゆえに「戦う」を冷静に捉えているということを。

ある人達を「敵」として接しなければいけないという苦悩を。ただ、職業柄そのようには公に口に出せないのだと。

128何カ国もの人たちが集い、生のにんげん同士が交わることで生み出される「効果」というのはけっこう大きいんじゃないかと思ってる。

80カ国の人たちが一緒に平和を築くには(2)?!「南スーダンの方がマシ」?!

80カ国以上もの人達が ー文化も言葉もトレーニングも違う人達が アフリカの僻地で出会い、突然「国連軍」として「国連警察」としてまたは「国連職員」として仕事を始めることになる。。。

さて、その行方はいかに???!!!

国連のPKOに参加している人には国際職員(international staff)、国連ボランティア(UN Volunteer)、軍事オブザーバー(UN Military Observer)、国連警察(UN Police)、など、様々な職務とカテゴリーの人たちがいます。

そして、この人たちはそれぞれの職種で決まった「手当」をもらいます。この「手当」はその人の出身国や母国の経済レベルに関わらず同額なので、例えば日本人のわたしがもらう額もバングラデシュの人がもらう額も同じということになります。

その紛争国での「手当」ですが、生活環境やリスクを考えると日本の感覚で言うとはっきり言って高くありません。ただ、いわゆる途上国の人たちからみると、勤続30年の公務員でも月収が2万円程度だったら、その「手当」は国によっては一度に母国の月収の何倍かをかせげてしまう機会になるという訳です。

同僚の中には、母国で選挙管理委員会の公務員として30年以上も働いてきて、国連に参加していた人や、帰って母国に大きな家を建てたという人は何人もいました。任期が終わって家を建てるのはそれぞれの自由だけど、中には私ははっきりいって現地の国のことには興味ありません、という態度があからさまな人もいた。

国連の現場で、80カ国の人と一緒に働くとなるとそういう人たちとも一緒に働くことになるのです。

中には、母国も大変な状況の中で(母国が大変だからこそ?!)、国連に参加している人もいました。ジンバブエ出身の警察官だったけれど、ムガベ政権下のハイパーインフレの時に働いていた刑務所では食料が調達できずに、収容されていた人がバタバタと死んでいったそうで、「南スーダンはまだましだよ」と言っていました(汗)。

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お金目当ての人たちのことを「なんてけしからん!」って最初は思っていたけど、それもこれも含めて、国連の現場はまさに世界の縮図。世界に経済の格差というものが存在する以上、自分の国よりも大きい報酬を得られるチャンスがあったら私も参加するだろうと思うのです。

念のために付け加えておくと、この人すごい!と感銘を受けた人にもたくさん会いましたよ。そういう人も、こういう人も、ああいう人もみんな「国連」。すごくリアルな「世界」の体験でした。

80カ国の人が一緒に平和を築くには?(3):インドとパキスタンの本音に続く⇒ https://chikaonaka.com/2015/01/08/80カ国の人たちは一緒に平和を築くことができる-3/

80カ国の人たちと一緒に平和を築くには?(1):オンナは無理だと言う同僚と働けるかワタシ?(≧∇≦)

国際法や国際関係で語られる「国連」も国連。安保理や加盟国同士が決議や宣言の文言をめぐり駆け引きを繰り広げる場も「国連」。南スーダンで80カ国もの人が一緒に活動するのも「国連」。

128カ国もの人達が 、さまざまな理由で国連の平和維持活動(PKO)に参加することになり、アフリカの僻地で出会い、突然「国連軍」として「国連警察」としてまたは「国連職員」として仕事を始めることになる。。。

80カ国の人が一緒に仕事をすることになると何が起きる?それはとってもサイコーに人間っぽいカオスでにぎやかな現場。

まず、この80カ国以上もの人達は、文化も言葉も違う。

バックグランドもトレーニングも職歴も違う。

なぜ国連に参加することになったのか?も違う。

母国の生活水準も違う。

だから、仕事の「基準」や習慣が違うし、なにより日常的な「当たり前」が違う。「空気を読む」はあり得ないので、毎回毎回言葉による確認とコミュニケーションが求められることになります。

母国ではほとんどパソコンを触ったことがないというアフリカ出身の警察官や軍人の人はたくさんいたし、自国では警察や軍人というだけで偉い立場にあった人も多くいて周りに「命令」ばかりして、おまけに女性とは一度も働いたことがない人もいました。

そこに私みたいな文民で、しかも、20代や30代の女性もいて、みんなが同じチームの一員として働かないといけないという訳で、ご想像の通り困惑やフラストレーションは「しょっちゅう」あったのでした(≧∇≦)。

 

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さて、国連でのはじめての赴任地。わたしは胸に期待を膨らませ、東ティモールに到着したのです。首都のディリでブリーフィングを受け、さらに車で4時間ほど山を登ります。これから一年間一緒に過ごす人たちはどんな人たちだろうともうドキドキです。

さて、そこで一緒になったのは、こんなメンバーでした。チリ生まれのオーストラリア人、パキスタン人、イギリス生まれのパキスタン人、カメルーン生まれのドイツ人、オーストラリア人と日本人のわたしでした。

やれ、チリ生まれのオーストラリア人とか、イギリス生まれのパキスタン人とか、カメルーン生まれのドイツ人だの、一見国籍を聞いただけではこの人たちはどんな人たちなのかさっぱり分かりません。

そして、私たちはみんな同じ業務にアサインされたのですが、一番年配だった年配のパキスタン人の人がグループリーダーという役を担うことになりました。

さて、初めての「国連」にまだドキドキしていた私。

毎朝、このチームでミーティングが開かれることになりました。

チームリーダー:あそこの村の調査が残ってるんじゃないかな?うーん、どうしよっか。オンナには無理だからね、そうだ!ナディーン、君行って。

この方、オーストラリア警察から出向中のとても優秀な女性と、チリ系オーストラリア人と私(女性3人)に向かって、「あなた達は女性だから無理だ。。。」とともかく女性には無理だと平気で言い放つ人だったのです。。。(≧∇≦)

男性のチームメンバーには挨拶をするのに女性の私たちには挨拶もソコソコに、召使いに接するような口調で「命令」されたこともありました。

「なんなの!アレ信じられない!

オンナだから無理だって、国連って平等とかをやってる機関じゃないわけ?」と先進国から来た私たちはけっこう怒っていたものでした。

初の任地だったこともあって最初は様子が分からなかったのですが、あまり同じことが続くので、同僚や上の人に相談したり、最後はトップの人に起きていることを訴えて、結果的にこの人は配置替えになったのでした。

この時に、物事をパーソナルにとらずに、起きたこと(facts)と人(person)を分けること、ほかの人に相談すること、起きていることを客観的に説明できるようになること、こういう類いのことは複数で訴えるとよいこと、できたら他の男性にも加わってもらうことを学んだのでした。

今思えば、彼の生まれた地域では男の子が生まれたら親戚中がお祝いのために集まるけれども、女の子が生まれたら人知れず悲しみ、女性自身が男性の付き添いなしに外出してはいけないという習慣が長年守られ、女性が働くなど考えられなかったのかも知れません。ちなみに、チームメンバーにパキスタン生まれのイギリス育ちの男性(つまりパキスタン2世)がいて、力になってくれたので、「パキスタン人」を「悪者」にしなくてすんだのでした。

ちなみにその数年後、南スーダンでは今度はパキスタン軍の人と仲良くなったのですが、その時の理由が「女性なのに対等におしゃべりができるから」だったから人生何があるか分からない(笑)

80カ国の人たちが一緒に平和を築くには(2)?!「南スーダンの方がマシ」?!⇒https://chikaonaka.com/2015/01/08/80カ国の人たちは一緒に平和を築くことができる-2/