やると決めればスキルは後から身についてくる!

国際的な仕事がしたい、ソーシャルな仕事をしたい、国際機関で働きたい、と言った相談を受けることがあります。

そのためには、まず経験を積んでから挑戦するとみなさんおっしゃいます。ではどんな経験を積みどんなスキルを身につけるとそれに挑戦できるのでしょうか?

語学力、調整能力、分析力、交渉力、リーダーシップ etc.。。。

どの段階になったら十分だと言えるのでしょう?

例えば、私が紛争が終わったばかりの南スーダンで、元兵士の社会復帰のプロジェクトの最前線で働いていた時、私たちは日々新しい課題に直面していました。今まで経験したことのない事が次々に起こるのです。頭も身体もフル回転です。

では、そこで働く人達は十分なスキルを身につけていたのでしょうか?

答えはノーです。実際のところ、私も含め心の内を覗けば、自信がなかったり、不安を感じる事は沢山ありました。

きっと現場にいる国連事務総長代表や大使といった人達でさえ同じだと思います。

なぜなら、「課題」というものはいつでも格段に大きく見えるからです。

でも気がついたら一歩一歩課題を超えていた。

ある意味、そんな状況だからこそ(火事場の馬鹿力的に)自分の力を引き出してもらったという面もあるかも知れません。

 

だから、これを読んでる方に伝えたいことー

 

十分だからやるわけじゃない。

やりたいからやる。やると決めればスキルは後から身についていく!

 

自分の目で見て感じてきて欲しい!

自分にこれからどんなスキルが必要か?現場にいって考えればいい。

ここで考えているよりも体験する方が何十倍もの深みと飛躍をもたらしてくれるから。

ビジネスとソーシャルの境界が曖昧になっている中、どんな分野に進む人にも関係していることだと感じます。

 

ぜひこの時代の機会を楽しんでください!

Good Luck!!!

https://www.facebook.com/pages/Japan-Womens-Initiatives-Global-Leaders-Project-/115640775188834?fref=ts

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海外に行きたいのに親に反対されたら(親の体験編 ① )

南スーダンや東ティモールといった国で元兵士の社会復帰などに関わった私ですが、最初は留学はおろかタイ旅行でさえ母に反対されていました。

あの時反対されたままにしていたら。。。今となっては想像さえつきません。

だって、最初の留学は私だけでなく妹にも両親にも大きな影響を与えることになったからです。そして、最後は母親自身が留学したいと言い出すことにさえなったのですから。。。!!!

まず、私が一年間の高校留学に行っている間、アメリカ人の男の子を夏休みに6週間程ホストファミリーとして受け入れることになりました。私がニュージーランドでホストファミリーと呼ばれる家族に受け入れてもらったように、今度は受け入れる側になろうという訳です。

両親は英語が話せないことが心配だったそうですが、留学生は日本の生活を体験したり日本語を勉強しに来るので、逆に英語は話さないでください、と言われていました。時には、野菜の絵に単語がふられてあるってある絵本を見ながら互いに日本語と英語で野菜の名前を覚えたりしたそうです。

その時の体験がとても楽しかったらしく、私が帰国してからは、再度「恩返し」という意味でも一年間日本で勉強する留学生のホストファミリーをすることになりました。

AFS協会の担当者の方が面接にいらして、家族構成や趣味や雰囲気などを確認して、留学生がマッチングされます。

「娘しか育てた事がないので、マッチョな子は正直自信がありません」という母の要望のせいか、育ちのよさそうなフランス人の男の子がやってくることになりました。トマ(Thomas=フランス語読みでトマ)です。

だんだん体験を積むと、慣れてくるのか食事の度に野菜を指しながら日本語を繰り返したりして、日本語をさりげなく教えてました。トマの日本語も日に日に上達していきました。

留学生も家族の一員としてお手伝いに加えて下さいと言われていたので、我が家の犬(ウイリー)の散歩がトマの当番になりました。言葉を越えて仲良くなれるので、犬の散歩は気分転換にもよかったみたいです。

トマは公立の高校に通い、柔道部に入部。夏の合宿にも参加しました。合宿ではじめて食べた「なま卵ごはん」が美味しかった!と感動して言うトマにちょっと笑ってしまいました(笑)。

その間、母はトマの保母会や面談に参加したり、父はトマと二人でキャンプに出かけたりしていました。

 

その頃からでしょうか。妹と私、とトマとの間でけんかがはじまりました。犬の散歩の当番をめぐってです(当時としては喧嘩をするには充分な一大事件でした;)。コミュニケーションの齟齬が生じるというか、なぜか妹と私がトマが考えていることが分からないと感じてこちらがイライラしまうという体験でした。

 

家族のように接してくださいと言われていて、そうだとは頭では分かっていても、どこかで遠慮してしまう面もあって、どこかで「あと数ヶ月我慢すればいいし。。。」という考えが正直あったのです。

 

それが、小さな喧嘩が重なることで、話し合った方がいいという流れになりました。

妹と私とトマ。畳の部屋で3人で座りました。

 

妹と私がこちらの言い分を言い終わり、トマの番になった時トマがぼそぼそと話し始めました。

「実は学校でこんなことがあって。。。」

 

日本という個よりも集団を重んじる学校(社会)での習慣やあんもくの文化は個が重んじられるフランスの17歳には受け入れがたい面もあって、でもそれをどう表現していいかも言っていいかも分からない。。。

彼は一人で悩んでいたことがようやくリアルに分かりました。

聞いていた私たちも「あなたの悩みが分からなくてごめんなさい。。。」と喧嘩はすぐにどこかに行ってしまったのでした。

 

トマ自身悩んでいたことをどう表現していいか分からなかった。そして、今思えば、女同士のコミュニケーションに慣れた妹と私にとってもトマとのコミュニケーションには違う工夫が必要だったのでしょう。

表面的には犬の散歩の当番の順番をめぐってでしたが、最後はコミュニケーションの問題でした。それ以来、私たちの距離はぐんと近くなりました。

 

今、トマは日系ブラジル人の女性と結婚してブラジルで暮らしています。トマにとっても日本の体験は大きかったようです。その後両親はフランスにトマを訪ね、トマの両親とお付き合いが始まり、毎年クリスマスの時期にはカードを交換しています。

この一年間、私の両親はフランス人の留学生をわが子のように接するのを見せてくれました。

国や言葉や宗教が違っても関係ない。

その体験はどんな言葉よりも強いメッセージとして私の中に残りました。

 

今度は私が東ティモールへ赴任することに。母は反対。父はびっくり!なぜなら東ティモールは父にとって特別なところだったから。。。(続)

海外に行きたいのに親に反対されたら(南スーダン編)

先日、これから南スーダンへ行くという若い方にお会いしました。首都ジュバにあるユネスコ事務所でインターンをするためだそうです。せっかくのチャンスを得たのはいいけれども「治安面での不安があります」とおしゃっていました。

 

確かにそうですよね。

私も一番はじめの赴任地東ティモールへ赴任した時の治安面での不安は大きかったのをよく覚えています。

 

では、その南スーダンですが、国連要員の一番の死亡原因はずばり何でしょう?

 

夜9時以降は外に出ない(現時点での国連の南スーダンの治安対策による)

無線の使い方をしっかり覚える(現地に着いたら配られます)

無線の点呼に参加する(治安レベルによって行なわれます)

など、まず現時点での国連の南スーダンの治安対策に従うことは必須条件です。

 

その上で、何が国連要員の死亡原因となるのでしょうか?

 

南スーダン(UNMIS)における国連要員の死亡原因

 

① 病気 41件(68.3%)

② 事故 11件(18.3 %)

③   分類不明4件(6.65%)

④   悪行(malicious act)4件(6.65%)

合計60件(2005-2011年の間)

 

国連本部PKO局ウェブサイトより

http://www.un.org/en/peacekeeping/resources/statistics/fatalities.shtml

 

①   病気

病気の原因の多くはマラリアです。病院施設が限られていること、インフラの不備で輸送手段が限られるため、状態がひどくなった時に搬送まで時間がかかる(場合によってはヘリコプターを使う)ことが理由として挙げられます。

実際には、現地でのストレスレベルが日常的に高いことが認識されないまま、毎日「ついがんばってしまう」こと、積み重なったストレスが免疫レベルを下げてしまうこと、マラリアだと気づかないこと、マラリアくらい大丈夫だと思ってしまうこと、があるようです。実際、母国では実戦を経てきた頑強そうな人たちが病気で命を失くす例が私の周りでもありました。

その病気ですが、統計を改めて確認すると、2006年という始めの国連が首都を越えて地方に展開し始めた一年目で13件と一番多く起きていることが分かり、その後輸送やオフィスの整備が進むにあたり2010年では3件と数が大きく減っています。つまり、輸送手段や医療整備の整備とそのまま関連している事が分かります。

② 交通事故

二番目の原因は交通事故です。PKOの場合は、軍事オブザーバーなどパトロールを行なう時に自分で車を運転する必要のある職種が多々あるのですが、多くの国・場所で交通事故が大きな死亡原因としてあがります。自分の国ではない「解放感」、政府機能が崩壊している国ということで気が緩んでしまう、ストレスが高くなる環境で運転でストレス解消しようとすること、他に娯楽がない環境で仕事中毒になる、などが原因として挙げられます。

すると、直接的原因は6.65%ということになります。この数字を大きいとみるのか小さいとみるかはその国の情勢にもよるので一概には言えませんが、この6.65%の出来事が組織的なものなのか、突発的なものなのかという点でこの数字の評価はさらに変わります。

つまり、南スーダンのような紛争に近い最前線の勤務地・国であっても、93.35%以上は、直接的な行為ではない原因だということです。

 

アフリカ

南スーダン

内戦が再発

民族間の衝突

 

確かにそれだけで「危そう」に聞こえるし、不安が「漠然」と膨らみそうです。

知らないことが多い時には漠然と不安が大きくなるものですよね。

 

ただ、全然で紛争予防や治安維持をする人たちの間でさえ、一番の死亡原因は病気と交通事故だということです。

 

何が本当に気をつけるべきことなのかーそれがはっきりすると不安はずいぶんと和らぐと思います。

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海外に行きたいのに親に反対されたら(7)

さて、大学院の通知とインターンの結果を待ちながら最後の学期の試験とレポートの季節がやってきました。

以外なところから「最後の関門」がやってきました。

15年も飼っていた愛犬が、急に体調を崩しはじめ、動物病院の先生から「もう先は長くないかも知れない」と言われたのです。「犬」だけれども、15年も一緒にいた家族の一員。ショックで心配で全くレポートが進みません。

最後のレポートを提出しないといけない、それでないと卒業できないというまさにそういうタイミングで、側で見守る中亡くなりました。。。(涙)

一晩中泣きはらし、信じてもらえるか分からないけれども、先生に直接会って説明するしかないと思い、泣きはらした顔のまま締め切りに遅れた訳を説明しました。幸い先生は何も言わずにレポートを受理してくれました。

理想を言えば、最後はもう少しいい成績で終えたかったけれども、無事に最後の提出物を終えることができてホッとしたのでした。

 

そして、朗報とは突然やってくるようです。

 

受け入れ先として興味を持ってくださったドイツの企業の社長さんが日本に出張に来るので面接がてら会いたいとの連絡を受けました。きさくにおしゃべりが進み、ぜひお越しくださいとのこと。採用です!

そして、大学院からも合格通知が届きました!

なんと「奨学金の受給候補者になったので、数日中に面接を受けてください」との予想外の嬉しいニュース付きで。

全く予想外の展開でした。

 

なんで人類学を勉強したいのですか?

なんでオックスフォードで勉強したいのですか?

卒業後は何をしたいのですか?

 

就職活動の面接も無駄じゃなかったかも知れません。

今度はスムーズに応えることができました。

結果は合格。

 

あまり知られていませんが、外国人にとっては、オックスフォードは大学院に入る方が門戸が広くなります。世界的な大学として、多くの国からの学生が集まることを一つの大きなアピールポイントとしているため、奨学金を出して各国から留学生を集めるためです。ちなみに、2006年度で138カ国から学生が集まり、大学院では63%が外国人留学生です。

オックスフォード大学留学生比率

 

さっそくイギリス人の先生に報告をしました。とても喜んでくれました。

それ以来、似たような立場の人に会ったら私も肩を押してあげられるようになろうと思えるのはこの時の体験があったからです。

 

そして、ようやく両親に報告できました。今なら分かります。

親は子どもには苦労して欲しくないーだから安全や安定を優先するもの。

自分たちの体験や想像を超えたことは単純に分からないこと。

そして、ある意味「通過儀礼」だったと。

反対することを通じて、親はあなたはどれだけ本気なの?と私にチャレンジを課すという意味で応援してくれていたこと。

 

私はこの体験を通して、

仕事の場や機会は日本だけを見ていたら「ない」ように見える時でも、

日本の当たり前は世界では必ずしも当たり前ではないこと、

世界に目を拡げたら全く違う大きな機会が目の前に開けること

 

そして、

 

信じれば道は拓けることを体験したのでした。

 

あなたの努力が報われるときがきっと来ると信じています。

 

海外に行きたいのに親に反対されたら(了)

海外に行きたいのに親に反対されたら(6)

海外の大学院に行こうと思った時に、アメリカではなくてイギリスを選んだ大きな理由は「期間」と「費用」でした。

アメリカで大学院を終了するのは2年間かかるのに対し、イギリスでは一年でとれること。2年かかるという事は、授業料と合わせ生活費もかかるということー資金面での理由でした。

そして、次の選択ポイントは学部でした。

国連で働くには、国際関係が有利なのか、経済学が有利なのか?そんなことも考えましたが、私は好きな科目と苦手な科目の成績の差が激しいタイプだったので、有利そうだけど苦手そうな科目を選ぶという選択はあまり合いそうもなかったし、勉強した分野は直接関係ないので自分が好きで得意な科目を選べばよいというアドバイスに従い、社会学・人類学を選びました。

(この選択は私の場合よかったようです。)

 

そして、一番大切なのが志望動機。

ボスニアでの民族紛争やルワンダでのジェノサイドがショッキングで、私の中には「民族」や文化の差が紛争になる時はどんな時で、それはどうしたら防げるのか?という関心がありました。

「民族」や「紛争」という現象について人類学・社会学的な視点から検証することはきっと必要とされると思う。そして将来、国際機関で紛争予防にかかわる事が私が大学院で勉強する目的ですーそれがそのまま志望動機になりました。

 

そして、イギリス人の先生が言ってくれた一言。

「なんでオックスフォードも受けないの?ロンドン大学とそんなに差はないし、受けてみないと分からないよ。」

 

そうなの ?!?!?!

オックスフォード?「私なんかがついていけるのだろうか」という考えは何度も頭をよぎったけれども、イギリスの大学院に応募するのには、全校共通の英語のテストをクリアすれば、筆記試験を受ける必要もない。出願するにはお金はかからない。なにより、確かに先生が言ってくれたみたいにまず書類をださないと結果なんて誰も分からないー。

ようやく応募書類が揃った時には思わず書類に向かって手を合わせました。

 

後は結果を待つだけ。

卒業まであと3ヶ月でした。

海外に行きたいのに親に反対されたら(7)に続く

 

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海外に行きたいのに親に反対されたら(5)

就職活動に落ち、ミャンマーへの一人旅から戻ってきてから、親に伝えました。

 

国連で働きたいと思っていること、

そのためには大学院に行く必要があるから就職はしないこと、

国連で働くためには海外の大学院を出た方がいいらしいのでイギリスの大学院を目指すことにしたこと、

そして大学院に入学するまでに少し時間があるからその期間は海外でインターンすること。

 

「緊急家族会議」が招集され、父の一言。

「そんな夢みたいな事を言ってないで就職しなさい。」

 

就職活動に落ち「退路」を断たれた状況でもあったので、

大学院入学が「最後ののぞみ」をかけた「一大プロジェクト」になりました。

 

まず、直面した現実。

今のままでは成績がギリギリなので今期はなんとしてでも成績をかなり上げる必要があること、

苦手なマクロ経済が必須科目として残っていること、

英語力(スコア)を短期で上げる必要があること、

合格するには小論文と志望動機が重要であること、です。

 

もうかっこつけてる場合じゃありません。

毎日大学の図書館に通い詰めました。

 

以前は教室の後ろの方でつまらなそうに授業を受けていた人が、

突然、まるで別人のように最前列に座り質問までし始めるのです。

苦手だったマクロ経済も最優先にして必死にがんばりました。

(やればできるじゃん、と自分で自分にツッコミを入れたくなりそうです(笑))

 

大学院に行くためにモーチベーションを保つことも大切でした。

この時に考えた私の「作戦」は、面白しろそうな大学院の科目を聴講させてもらうことでした。

あるイギリス人の先生を訪ね、断られるのを覚悟で直談判に行きました。

 

「私、今度イギリスの大学院に行こうと思っています。

以前受けた先生の授業が面白しろかったので、もし出来たら大学院の授業を聴講させていただきたいと思っています。

リーディングもやって参加します。」

 

。。。

 

一瞬間が空いた後で、「いいよ。」とのお返事。(ほっ)

 

この先生の授業は面白く、合格するかどうかも分からない大学院応募のモーチベーションを保つのにとても役立ちました。

同時に、留学生も交じりながら少人数で議論が行なわれていく空間に身を置きながら、もしかしたら私でも大学院に行けるかも。。。段々とそんな気がしてきたのでした。

 

大学院の相談にものって頂きました。

ある日、志望動機を見てもらった時のことです。

 

「なんでオックスフォードには願書を出さないの?

ロンドン大学もオックスフォードもそこまで変わらないよ。」

 

そうなの???

オックスフォードってあの皇室の方が行くところじゃなかったっけ?

 

海外に行きたいのに親に反対されたら(6)に続く

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海外に行きたいのに親に反対されたら(4)

ミャンマーから帰ってきて、すぐに親に伝えました。

 

国連で働きたいと思っていること、

そのためには大学院に行く必要があるから就職はしないこと、

国連で働くためには海外の大学院を出た方がいいらしいのでイギリスの大学院を目指すことにしたこと、

そして大学院に入学するまでに少し時間があるからその期間は海外でインターンしようと考えている、

ことを伝えました。

 

今度は母親だけでなく父親までが出てきて、

「緊急家族会議」が開かれました。

 

大学院に入るにはどういう手続きが必要なのか?

周りに国連で働いてる人はいるのか?

どれ位の可能性があるのか?

などと質問をされました。

 

質問されればされる程、科学的にも理論的にも説得力ある説明ができません。

当時はFacebookもなく、ネット上の情報も限られていて、

今ほど「国連」がキャリアの一つとして認識されているわけでもなく、

大学の就職課でそんな話しができるわけでもなく、

私にとっての唯一の頼りだったのは、

「明石康国連に生きる」と「カンボジア元気日記」とカンボジアの体験談の本とアルク出版の「国際協力ガイド」だけだったのです。。。

 

「緊急家族会議」が結論に近づいてきました。

会議は父親の言葉でしめくくられました。

「そんな夢みたいな事を言ってないで就職しなさい」。

 

逆の立場だったら私も同じことを言ったであろうと思うのですが、

 

将来困って欲しくないから就職してもらいたいと娘のことを思う両親と、

 

「たしかに『夢』みたいに聞こえるかもしれないけど、本人は本気なんだってば」と我が道を進むことを決めた娘。

 

かくして、

娘と両親は

同じ家に住みながら卒業までほぼ半年も口を聞かなくなってしまったのでした。

最低限の「連絡事項」は妹を経由してなされました。(≧∇≦)

 

さて、私の方は、

国連という組織はいろいろな国の人が働いているところなので、

海外で働くという体験が将来ぜったいに役に立つ時が来るだろうと思い、

アイセックという団体での海外インターンに申し込むことにしました。

 

アイセックとは元々ドイツで始まった学生団体で、

世界中にある受け入れ企業と、世界中にいるインターンを希望する学生をマッチングさせる団体でした。

インターンと言っても、数ヶ月〜一年以上フルタイムでその企業の一員として働き、生活費ももらえるので職種によってはかなりやりがいのある仕事ができるという仕組みでした。

 

英語の試験を受け、

異文化の適応力があるかなど簡単なインタビューの要件を満たしたら、

こちら側のバックグランドや希望を伝え、

企業のオファーを待ち、

互いに希望がマッチングするかを確認するという流れです。

 

私と同じ時期にアイセックのインターンを希望した人の中にはIT業界や、インドのバンガロールがいいとか、

IT系・技術系の人も多かったのですが、

私の目的は多国籍な環境で働くための体験だったので、

「対人的な仕事」であれば国はどこでもよい、というなんとも大雑把な希望を出しました。

 

さて、再び季節は巡って再び秋です。風が冷たくなってきたなあと思えばもう卒業まであと3ヶ月半。

 

さて、ワタシはインターンに行けるのか、大学院に行けるのか、国連で働けるのか?!。。。

両親と口を聞ける時は来るのか?!

 

海外に行きたいのに親に反対されたら(5)に続く

アイセック