親に初めて国連で働きたいと言った時ー今国連も米軍も経て改めて「仕事というもの」について思うこと

仕事とはそういうものだ。

仕事とは苦労して当たり前。

仕事と遊びは別のもの。

さてそれは本当でしょうか?

 

小学生の憧れの職業がYoutuberという時代なのに、まだまだ私たちの世界観は古いものの影響を受けているようです。

 

私は親に初めて国連で働きたいと思っていることを伝えた時のことを覚えています。

 

大学4年生の秋ののことでした。

当時はFacebookもなく、ネット上の情報も限られていて、

身近に実際に国連にいった人も先輩訪問というものもなければ、

いい企業に就職するのが「就職」だという雰囲気は今よりも強い時代背景の中、

大学の就職課でそんな話しができる雰囲気でもなく、

今ほど「国連」がキャリアの一つとして認識されているわけでもなく、

 

私にとっての唯一の頼りだったのは、

「明石康国連に生きる」という本と

カンボジアの選挙支援での体験を書かれた国連ボランティアの人の手記とアルク出版の「国際協力ガイド」だけでした。。。

 

今となっては、もう前世の前世のような感じさえしますが(笑)、父が早めに帰宅できる日を待って「家族会議」が開かれました。

 

周りに国連で働いてる人はいるのか?

国連という組織にはどうやって入るのか?どういう仕組みなのかなどと質問をされました。

 

当時私のわかる範囲で答えたのですが、それは両親にとって(というかその世代の人にとって)、想像のできない世界であり、想像のできない働き方だったと思います。

 

「緊急家族会議」は、双方の主張が交わらないままに結論に近づいてきました。

 

「そんな夢みたいな事を言ってないで就職しなさい」。

(≧∇≦)

 

それ以来、私と両親は、

同じ家に住みながら卒業までほぼ半年も口を聞かなくなってしまったのですが、

 

今振り返ればそれが「バネ」になって、

私はぜったいに大学院にも受かって国連に入ってやると思いました。

 

そしてそれが「原動力」になって着々と準備を進めていきました。

 

その半年の間で英語のテストのスコアが伸び、

海外就職も決まり、大学院入学も決まり、

しかも奨学金ももらえることになったのですから、よくがんばったと思います。

 

こう書いてみると、

そこで引き下がって終わっていたら私のキャリアも今の私もなかったことになるので、

当時の両親は私の覚悟を試した役割という意味で

魂の約束をしてきたかもしれないとすら思います。

 

反対されたことは当時の私にとっては「大事件」でしたが、

当時の私の両親の反応はけっして珍しいものではなくおそらくその世代の人たちの一般的な反応だったと思います。

 

社会が右肩上がりの経済成長を続けていた時代の「仕事観」と「交換(依存)関係」というものも出来上がっていました

 

終身雇用がまだ当たり前だったので、我慢する代わりに雇用の安定と定期昇給を保証するよ、という関係性と考え方です。

 

こうした時代背景では、市民ひとりひとりが成熟した個人になることによってではなく、同質性の高いマスを形成することが優先されたのです。

 

内田 樹氏いわく、「その方が確かに作業効率がいいし、組織管理もし易い。消費行動も斉一的だから、大量生産・大量流通・大量消費というビジネスモデルにとっては都合がよかった。

 

だから、国策的に同質性の異様に高い集団を作ってきた。でも、こういう同質性の高い集団というのは、「この道しかない」というタイプの斉一的な行動を取ることには向いているんですけれど、前代未聞の状況が次々と到来するという危機的な状況には対応できない。そのつどの変化に即応して、「プランA」がダメなら「プランB」という臨機応変のリスクヘッジは、多様な才能、多様な素質をもった個人が「ばらけて」いることでしか果たせないからです」

 

内田樹が語る高齢者問題――「いい年してガキ」なぜ日本の老人は幼稚なのか?

より抜粋

 

そして、20年たった今、当時には想像もつかなかったユーチューバーといった「職業」ができて、下手な企業のキャンペーンよりもずっと影響力を持つ個人が生まれています。

 

そして、「スーツケース起業家」というタイトルの「自由に旅して十分に稼ぐ新しい生き方」の指南本までています。

https://www.amazon.co.jp/スーツケース起業家-ナタリー・シッソン/dp/4883206599

 

これは日本では2016年刊行ですが、英語版はもう6年前に刊行されていて、

私自身去年の夏に西表島へいって、今年の3月に執筆を兼ねてタイ旅行に行った背景には、そういうライフスタイルが頭にあって、

 

バンコクに暮らす高校時代からの親友からも、ちかちゃんの仕事ならどこでも仕事できるよね、とも言われ続けています。

 

誰でも簡単に楽して稼げるという安易な印象を与えるつもりはありませんし、

何をするにしても一定量の労力も努力もいるのはどんな分野でも変わることはないと思いますが、

 

個人とテクノロジーの力が相乗効果をもって発揮される時、

 

仕事とは苦労するもの

苦労しないとできない

成功するのは苦労や困難が伴うものという考え自体

もはや時代的にも妥当だとは言えないのですね。

 

もっとはっきり言うと、簡単に楽しく十分に稼ぎ旅するように生活し、人の役に立ち充実した生活を送ることは可能な時代なのですね。

 

この本には著者が世界旅行をしていながらもビジネス(コーチングやセルフブランディング)が回るようにしたステップが書かれています。

 

そのためにホームページに入れるべき機能や内容、アプリの紹介なども詳しいのですが、

なによりそうしたライフスタイルをすでに実現している人のエネルギーが伝わってきて、

 

仕事は楽しくていい

楽しく稼いでいいという考え方に細胞が置き換えられていくように感じるのです。

 

メモがたくさんできました!!!

 

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Samui Island、タイ

 

 

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グーグルと国連で学ぶ究極の武器ー「この人は私と同じ⭕️⭕️である」

前回、内戦をしてきた国の軍人たちがなぜ悩みを打ち明けてくるのか、というお話しをしました。

 

あるレセプションでは、たまたま会話を始めた相手が米軍のアジア・大平洋司令部付けの司令官(将校)の方で、ワイングラスを片手に彼の体験に耳を傾けたこともありました。

 

最初は、米軍でのキャリアの一番初めの海外派遣先が日本の厚木基地で、「最近は他の国に紛争の調停に行くようになったけど、僕に初めて異文化体験をさせてくれ、アメリカの田舎生まれの僕の目を世界に開かせてくれた日本に感謝してる」とおっしゃっていました。

 

そうなんですね、と話しを聞いていると、今度は話題は東日本大震災のことに及び、

 

「東日本大震災が起こった時には他人の国とは思えなくて、あの日は眠らずに指揮をとったよ」とも伝えてくれました。

 

彼は、日本を含むアジア・大平洋全域を指揮するアジア・大平洋司令部(USPACOM)司令官の一人でした(当時)。

 

レセプションという場での外交的なあいさつという面も多少はあったでしょうが、彼の口調からは当時の緊迫した状態と彼という個人として奮闘した想いが伝わってきました。

 

 

組織の上にいる人であるほど意思決定に神経を使ったり、軍隊といった組織であれば尚更立場上、実際には、口に出せない葛藤を抱えていることも少なくありません。

 

軍隊というと、強健な肉体を持ち冷静に任務を遂行していく人たちのように思われるかも知れませんが、人間ですから、時にはそんな想いをほんの少しだけ口にしたくなることもあるでしょう。

実はここに相手との距離を縮じめるヒントがあります。

社長でも頭取でも、首相でも大統領でも、ゲリラ軍の司令官でも、当たり前ながら同じ人間です。

 

生産性やクリエーティビティーが上がるとの理由でGoogle内で大人気となり、シリコンバレー発の「マインドフルネス」ムーブメントを起こすことになったマインドフルネス研修がありますが、その研修ではどんな人に対しても「この人は私と同じ人間である」という瞑想とマントラを学ぶそうです。

 

上司とは自分よりも上の立場にあるのだから自分に対してもっと気をくばるべきだ、と思ったり、日本人は一般的に、上司や上の立場に対して完璧な人物像を求める傾向が高いように思いますが、上司も部長も社長も同じ悩みを持った人間なのです。

 

その上で、相手の状態を観察する、配慮する、相手の悩みを理解しようと努める、相手のことを知ろうとするということに意識を向けて見てください。

 

例えばこのような質問です。

 

あなたの上司の方はどんな人ですか?

仕事ではどんなお悩みがありますか?

上司のお悩みの解決にあなたはどのように役立つことができますか?

週末は何をして過ごしていますか?

仕事以外ではどんなことに興味がありますか?

 

そのように理解を向けてくれる人がいて相手も心づよいと感じてくれることでしょう。

 

国連の現場で学んだ無理なく自然に会話が盛り上がっていく英語の質問術②

会議で何を言えばいいのか分からなくなってしまう、

上司や役職が上の人に対して言いたいことが言えなくなってしまう

と思う人はけっこう多いようです。

 

日本では、それぞれが自分の意見を発言をしたり、違う意見があってもそれが尊重されるような環境や体験は限られていますし、こんなことを言ってはいけないという制限が一般的に強いと思います。

 

ただ少し厳しいことを言うと、そういう人ほど自分が何を言えばいいのかばかり考えていて、肝心のコミュニケーションをする相手の興味・関心だったり、会議に参加している他の人たちや会議の目的自体がすっぽり抜けていたりします。

 

コミュニケーションはただ発信すれば終わりではありません。

発信されたものが相手に届いた、または届いてコミュニケーションは成立します。

コミュニケーションの始まりはそこからがやっと始まりとも言えます。

 

私たちはいくらでもなんらかの言葉や情報を発信することはできますが、それを受け取る人がいなければ、それは一方的な発信、または通達にすぎません。

その情報を受け取る相手がいて、はじめて「コミュニケーション」となるのですね。

 

そして、このコミュニケーションによって相手とどうなりたいのでしょうか?

 

どういう状態が理想的なゴールなのでしょうか?

 

会話の目的が、お互いに協力して仕事をスムーズに進めること、相手との距離を縮じめること、相手のことを知り、自分のことも知ってもらうことだとするならば、どんな姿勢が役立つでしょうか?

 

または最近の自分の体験を思い出してみてください。

この人と話しやすくなったなあ、

この人と距離が縮じまったなあと感じたのはどんな時でしたか?

 

いろんな面がありますが、そういう時には「わたしはあなたに関心を持ってますよ」「私はあなたを尊重しています」という姿勢があると思います。

 

では、「私はわたしはあなたに関心を持ってます」「私はあなたを尊重しています」という姿勢はどうしたら伝わるのしょうか?

 

それはまずは相手について知ろうとすることです。

 

実は私自身このテーマを書くにあたって思い出す失敗談があります。

国連PKOの仕事で、初めての任地東ティモールへ派遣された時のことです。

国連PKOの現場では100カ国以上もの同僚と、そして、国連軍という人たちと一緒に働きます。

 

ある日、ポルトガル軍のパーティーに招待され、ビールやワインを片手に会話が始まりました。

その部隊を指揮する司令官や階級の高い人たちが紹介されます。

誰が一番偉いのかはさすがに雰囲気でわかったのですが、軍隊の階級がわからず、階級の高い人に対して間違った階級を言ってしまったのです。

 

軍隊という組織は年齢が下でも階級が上ならば、その人が指揮をとるという命令の序列が非常にはっきりした、階級ありきの組織です。

 

軍隊の中ではコミュニケーションが比較的カジュアルなポルトガル軍であっても、やはり軍隊という組織ですからこの部隊では誰が司令官で誰が士官なのかその前提で会話が進んでいくのがわかって、

 

相手の家に招かれたのに相手のお名前も知らずにワインをいただいたような、相手への敬意を欠いてしまったように感じて、自分の勉強不足を恥じた思いがあります。

 

相手についての最低限の情報を調べておくことの重要性を痛感したのでした。

 

でも仮に軍の階級について覚えていたとしても、あまり馴染みのない相手だと話題を探すのには少し苦労する時もありますよね。

 

あまり馴染みのない相手だったり、話題が思いつかないなあと思う時ほど、無理にこちらが話そうとするよりも、質問をして相手に話してもらった方がいい場合は多いのです。

 

まったく知らない分野や相手だからこそ思い切ってわからないことを質問できる、という利点もありますし、自分のことを聞いてくれる人に対して人間は心を開きやすいという面はあると思います。

 

例えばこんな質問です。

こちらの部隊(会社)で大切にしている日課というのはありますか?

こちら(この部署)で生活を始めてみて驚いたことはありますか?

国連(この仕事)で実際に働いてみて感想はいかがですか?

思っていたのことと違う面はありますか?

こちら(この会社)に来て楽しかったことは何ですか?

 

これらは一例ですが、

 

会話を広げる質問には以下のような特徴があります。

① open-ended question=答えがYesかNOではなく、いろんな広がり方が持てる質問

② 対話的な質問=相手とのやり取りに正しいや間違いはなく、相手の感想や体験を知る目的で尋ねる

③ あなたに関心があります。あなたと仲良くなりたいです、という気持ちで聴く。

 

相手の反応ややり取りに正解も間違いもありません。

 

一つ一つのやり取りから、ああ、この人はそういう風に感じるんだ、そういう考え方もあるんだな、と相手という人を知る手がかりになります。

国連の現場で学んだ無理なく自然に会話が盛り上がっていく英語の質問術

部長や局長ともっと気軽に話せるようになりたい

会話があまり続かない同僚がいる

もっと楽しく会話ができたらいいな。。。

そんな場面は誰にもありますよね。

 

しかも英語となると、さらにハードルが高くなると感じる人も多いかも知れません。

ここでお伝えしたいのは、無理なく自然に会話が盛り上がっていく英語の質問術です。

 

自分はコミュニケーションが苦手だと思っている人は実はけっこう多いようで、そうした方のコーチングをしたこともありますが、実際にお話しを聞いてみると、多くの方はコミュニケーションが下手なワケではなく、むしろ本当は上手な方で、さらに言えばどなたも聞き上手なタイプでした。

 

私が聞き役に回っていろんな質問をすると自由にお話しされますし、返答もしっかりしています。一瞬考える間をとったり、ゆっくり話される方はいらっしゃいますが、それは苦手というものではなく、それぞれの方のスタイルです。

 

それなのに、なんで「自分はコミュニケーションが苦手だ」と思うのだろうと考えてみて思うのは、自自分のコミュニケーションスタイルやタイプを知らずに、「盛り上がる会話」や「会話はスマートじゃなければいけない」といったイメージに無理をしてあわせようとしているんじゃないか?ということです。

 

ただ、会話の目的が、お互いに協力して仕事をスムーズに進めること、相手との距離を縮じめること、自分のことをもっと知ってもらうことであるならば、自分にあったスタイルが必ずあるはずですし、自分が話すことよりも相手に話してもらう方が効果的です。

 

なぜ、相手に話してもらう方が効果的なのかと言えば、人は誰の中にも自分のことに耳を傾けてほしいと思っている部分があって、人は自分に関心をむけてくれる人のことを好きになるからです。

 

すごく単純に聞こえるかも知れませんが、人の「聞いてもらいたい」というニーズはとても大きくてとてもパワフルになりうる、という私の体験をお話ししたいと思います。

 

国連PKOで働くことのユニークな点の一つは、軍人の人たちと接することが多いことですが、私の中には、内戦をしてきた国の軍人たちが、なぜ私に悩みを打ち明けてくるのか、という「謎」がありました。

 

だって、相手は内戦や紛争を体験してきた国の軍人の人たちです。

 

国連のPKOに関するトレーニング・演習の講師を務めていた時には、彼らがこころの中の葛藤を話し始めることさえありました。

 

「国に戻ったらこんなこと言えないけど、僕はずっと『反政府勢力』(毛派)と、もっと対話をするべきだって思ってたんだ」(ネパール軍の士官)

 

「僕は2回目のイラク派遣で『敵』も人間だって気づいたんだ。 だから、ほんとうは倒したら終わりなわけじゃないんだ。」(米軍の同僚)

 

「長年軍隊にいて葛藤があったけど、『人間』らしくあることを自分に求めていいんだって思いました。実は、僕軍隊をやめようと思っているんです」というコメントに耳を傾けていた時には、聞きながら思わず内心驚いてしまうこともありました。

 

最初は、こういう会話になることに私自身が驚いたものでした。

 

でも今思えば「聞き上手さ」ということが自然に発揮されていたんだ思います。

 

私自身が、ペラペラと話さないといけない、とも、自己主張をしなければいけないとも思っていなかったので、相手がリラックスできたのも大きかったかも知れません。

 

NASAやマイクロソフトのコンサルタントを務めるアネット・シモンズは、「プロフェッショナルは『ストーリー』で伝える」(海と月社)の中で、「聴く力」の効果をこのように説明しています。

 

○ 話しを聞いてもらえる「安心感」

○ なんでも自由に話してもいいと思え、相手に受け止めてもらえる体験

○ 話すことで、自分が何を理解できて、何が理解できていないのか、がはっきりしていく

○ 話す中で、自分の中の「理屈では説明できない部分」に気づき、その部分が受け止められることも含め、自分の思考や行動が整理されていく

○ 話すことで自分自身が自分のストーリーを聞くことになるので、自分の言っていることを再検討するスペースを与えられる

○ 頭が整理・統合された結果、知恵や創造性が引き出される

 

人は大きく分けると話す方が好きだというタイプ(外向型)と聞き役(内向型)が多いという人がいます。カルフォルニア大学で行われた実験では、両方がお互いを高く評価した、という実験結果があります。

 

内向型の人は、外向型の人が話題を次から次に提供してくれたので話しやすかった、と言い、外向型は内向型の人との会話に対して、リラックスできて話しやすいと感じた、のです。

 

誰の中にも内向型の部分も外向型の部分もあります。

 

ここで言いたいのは、「聴いてもらうこと」の効果はとても大きいということです。

 

そして、聴くことのレベルもあげていくことができます。

 

それも続けて説明していきます。

 

そして、聴く力を確認した上で、さらに会話を促す一言や質問ができるとなお強力ですね。

 

では、会話を促す質問としてはどういうものがあって、英語ではどう表現すればいいでしょうか?

 

次は会話を促す質問や一言を一緒に見ていきましょう。

「分からない部分」が減るほど未知の不安も確実に減っていくー 国連の分析手法から学んだ不安を確実に分解していく方法

南スーダンで働いていたと言うとよく聞かれるのが、「怖くなかったですか?」という質問です。

 

もちろん日本にいる時と比べれば、気をつける点はたくさんありますし、夜の7時には無線による点呼というものが全職員に義務づけられていました。これは携帯電話の電波が使えなくなることなどを想定して、無線での連絡手段を確保しておく意味があります。

 

南スーダンでは、治安研修の一環として万が一人質にとられた時の対応についても習いました。

 

(アフガニスタン、南スーダンやソマリアなどに派遣される国連職員とNGOのスタッフが現地で受けます)

 

東ティモールでは銃が発砲された時に居合わせたこと、また、南スーダンではお金をせびる兵士に銃を向けられたことが一回だけありますが、相手はお金をせびることが目的だとすぐにわかったので、落ち着いていられました。

 

そうしたリスクは存在するので、まったく怖くないと言ったら嘘になりますが、例えば、そうした出来事が「組織的なものなのか」、または「突発的なものなのか」という点で「脅威」に対する判定は大きく変わります。

 

経験を積むにしたがって、何かしらの出来事が起こってもそうした基準に従って、「今回は報道で言われているよりも大したことないな」、「あっ、今回は注意した方がよさそうだ」、とかなり判断できるようになっていきました。

 

PKOが展開する国や地域の情勢を分析する手段として、脅威分析(threat analysis)やリスク分析(risk analysis)、シナリオ分析(senario analysis)といった分析手法があります。

 

どんな手法も完璧ではないし、どんなことであっても完璧に知ることも予測することも出来ませんが、私が国連PKOの現場で学んだのは、もし「脅威」や「怖れ」というものがあったら、それを一つ一つ分解して、対処法を考え準備することはできるということ、そして準備をすればするほど、漠然とした不安は減る、ということでした。

 

脅威分析(threat analysis)やシナリオ分析(senario analysis)といった手法についてここでは詳しい説明はしませんが、どの手法にしても、分析を始めるにあたって非常に重要となるのは、何がわかっていないのかをはっきりさせること、わかっていない点があるのならばそれについての情報収集を徹底的に行うという点でした。

 

どんな分野であれ、何かに対して結論を導こうと思ったならな当然ながら十分に情報が必要なのです。

 

そして、以下のような手順で進めていきます。

 

① 現在地の把握

今どんな情報があるか?何がわかっていて何がわかっていないのか? それはどこに行ったらわかるのか?誰に聞いたらわかるのか?

 

②情報の整理

情報とは事実と意見を集めたもの。

それに対する人々の意見。

その情報は自分で確かめたか?

その情報を得たことによって新しく分かったことは何か?

 

③選択肢の確認

今どんな選択肢があるのか?

まだ気づいていない選択肢はあるか?その情報を得てどういう選択肢があるとわかったか?選択肢を十分に考えたか?全ての選択肢を洗い出す

 

④シナリオを予測する

もしこの決断を実行に移したらどうなるのか?シナリオ1の場合、シナリオ2の場合、シナリオ3の場合、 一番おそれている結果は何か?一番最善な結果は何か? 結果をどのくらいはっきり予測しているか?

 

⑤ 対策(Course of Action:COA)を考える

ぞれぞれのシナリオで関係する部署はどこか?

それぞれのシナリオに対する対策

アクションプランをあげる

 

Course of Action:COAは軍隊発祥の用語ですが、

これらの思考プロセスは、ビジネスにおける意思決定のプロセスとも共通します。

 

人は全く自分が知らないことや体験したことのないことに対して必要以上に「不安」を覚えます。いわゆる「未知の恐れ」と呼ばれるものです。

 

こうした分析マインドや思考プロセスが私たちの日常にも当てはまると思うのは、もし不安に思うことがるとしたら、「不明な部分」「分からない部分」をどんどん減らしていくことによって、ばくぜんとした未知の不安やおそれ」は確実に減らすことができる、ということです。

 

 

 

なぜ久しぶりに目にするものが小さく見えたり、違って見えたりするのか?ー自分の記憶と過去と優しく付き合うヒント

わたしは留学や海外勤務で海外にいるとき、日本に帰国するのはたいてい年に一回ほどでした。

 

すると、久しぶりに目にするものが小さく見えたり、違って見えたりすることを最初は不思議に思っていました。

 

「あれっ?これってこんなに小さかったっけ?」

「あれっ、これってこんな感じだったっけ?」

 

という具合に、私の記憶の中では、とても立派に見えたビルやショッピングモールががなんだか小さく見えたり、街全体がちょっと違って見えたりという具合です。

 

そんな体験を最初はただ「不思議だなあ~」位に思っていたのですが、そんな体験を繰り返す内に、これは自分の「経験値があがって」「なにかしら成長した示し」だと思うようになりました。

 

みなさんもずっと前に卒業した小学校や中学校の前を懐かしい気持ちで通ると、当時はすごく大きいと思っていた体育館や校庭が小さく見えたりした体験はありませんか?

 

それはまさに文字通り自分が「大きくなった証拠」で、今の大人の自分は当時の自分と比べると、小学生の頃の自分には出来なかったような沢山のことが出来るようになって、それ以来たくさんの経験を積んでいます。

 

すると、文字通り自分の記憶の中で「大きい」と思っていたことが「小さく」見えるのです。

 

そうしたことの積み重ねで、人間の「認知」や「記憶」というものはどんどん変わっていくと言われています。

 

わたしは、同じような事をニューヨークという街に対して感じことがあります。

 

ニューヨークで働いていた頃の1年目は、国連本部で働く人はこうあるべきだ、と必要以上に自分にプレッシャーをかけていた時期でした。

 

せっかくニューヨークという街にいながら、どこかで仕事のことを考えていたりと、あまり街を楽しむ余裕もなかったように思います。

 

その数年後にまったくプライベートでニューヨークを訪れる機会があり、マンハッタンの西側(ウェストサイド)の端から東側の端(イーストサイド)まで、当時よく歩いていたマンハッタンの真ん中辺りを西から東へ突き抜け、ブラブラと歩きました。

 

ちょうど4月初旬の頃で、ワシントンDCではポトマック川沿いに桜が咲きほこり、マンハッタンにも優しい春の風が吹いていました。

 

当時住んでいた辺りを散歩したり、新しいカフェをみつけたり、そんな普通のことが楽しくて、仕事のプレッシャーから解放されたニューヨークはなんとも楽しかったこと!

 

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マンハッタンを西から東へブラブラと歩きながら、タイムズスクエアを通り、

五番街やパークアベニューを通り抜け、お馴染みのビル群が見えます。

 

そんなビルの風景にされ、どこか優しい春の風を感じました。

 

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そして、歩いている間に突然当時の記憶がよみがえってきて、自分でも不思議だと思ったのは、大変だったと思っていた時さえもいろいろな人を通じて必要なサポートがもたらされていたことが突然思い出されてきたのです。

 

その記憶の波は次から次へとやってきて、当時はよくわからなかったことが腑に落ちたり、パズルのピースがはまるように、当時はネガティブだと思っていたことが実は自分を必要な方向に導いてくれたことなどが突然「わかった」のです。

 

こうして、たった数時間の間に私の中のニューヨークの記憶はまったく変わってしまったのでした。

 

当時のわたしには視野も狭くなっていた面もあったのでしょう。

 

人間の「認知」や「記憶」というものはとても主観的で曖昧で、このように常に書き換えられていくと言われています。

 

つまり、自分がより体験を積んで、人生の出来事や自分に対して理解や洞察を深めていったり、自分がオープンになったりすると、自分の見る景色も体験も文字通り変わっていくのですね。

 

職場の人間関係に悩んでいる人、今大変な時期にあるなと思う人、視野が狭くなっているかもと思う人は、よかったら、小学校や中学校、高校、昔の職場などを眺めに行ってみてください。

 

もしかしたら、まったく違って見えるかも知れませんよ。

 

今の自分はその時の自分より確実に成長しているのです。

 

大変なときほど、そういうことを感じ、確認できるといいですね。

機体が成田空港に向けて降下をはじめた時ー「日本は水が溢れるなんと恵まれた国なんだろう!」と思わず独り言を言いたくなりました

わたしは留学や海外勤務で海外にいるとき、日本に帰国するのはたいてい年に一回ほどでした。

 

久しぶりに目にする日本の景色や日常の風景が新鮮に見えて、外国人のような目で日本について見えることがあります。

 

そんな中でも忘れられない景色があります。

 

いつもは大抵年末年始の冬の時期に帰国するのが定番となっていたのが、珍しく5月に日本へ立寄った時のことです。

 

南スーダンの首都ジュバから国連機でスーダンの首都ハルツームへ、そして、ドバイ経由で日本へ向かう便で、機体が成田空港に向けて降下をはじめた時です。

 

目に飛び込んできたのが緑!緑!緑!

 

新緑の季節。

 

緑がほんとうにみずみずしくて、

思わず独り言を言いたくなってしまうくらいに、

「日本は水に溢れたなんと恵まれた国なんだろう!」と鮮明に思ったことがあります。

 

南スーダンの雨季には多少の木々や花を見ることができますが、サバンナと呼ばれるその辺り地域では草木の種類も限られていて、砂漠に近いスーダン(北)では雨が降るのは年に数日ほどです。

 

ハルツームにいたっては、砂嵐(すなあらし)と呼ばれるものがあって、感覚的に言うと台風くらいの風が雨なしで吹きながら(文字通り)砂を巻き上げるのです。

 

「砂嵐注意報」があって、学校や仕事は自宅待機になります。

 

これが発生すると家中が砂だらけになって本当に大変です。

 

部屋全体に水をかけたくなります。(笑)

 

それでも、スーダンの人は「いつものこと」といった様に普通の顔をしているので、水と四季のある国に生まれた人と砂漠の環境に生まれ育った人とでは当たり前だけど肌感覚が違うんだなあと思ったものです。

 

大好きな新緑の季節。

 

そんなことを思い出しながら、新緑の景色を楽しんでいます💛

 

(写真) 新緑の奥入瀬渓谷一度行きたいです。

(*^-^)ニコ