前回、内戦をしてきた国の軍人たちがなぜ悩みを打ち明けてくるのか、というお話しをしました。

 

あるレセプションでは、たまたま会話を始めた相手が米軍のアジア・大平洋司令部付けの司令官(将校)の方で、ワイングラスを片手に彼の体験に耳を傾けたこともありました。

 

最初は、米軍でのキャリアの一番初めの海外派遣先が日本の厚木基地で、「最近は他の国に紛争の調停に行くようになったけど、僕に初めて異文化体験をさせてくれ、アメリカの田舎生まれの僕の目を世界に開かせてくれた日本に感謝してる」とおっしゃっていました。

 

そうなんですね、と話しを聞いていると、今度は話題は東日本大震災のことに及び、

 

「東日本大震災が起こった時には他人の国とは思えなくて、あの日は眠らずに指揮をとったよ」とも伝えてくれました。

 

彼は、日本を含むアジア・大平洋全域を指揮するアジア・大平洋司令部(USPACOM)司令官の一人でした(当時)。

 

レセプションという場での外交的なあいさつという面も多少はあったでしょうが、彼の口調からは当時の緊迫した状態と彼という個人として奮闘した想いが伝わってきました。

 

 

組織の上にいる人であるほど意思決定に神経を使ったり、軍隊といった組織であれば尚更立場上、実際には、口に出せない葛藤を抱えていることも少なくありません。

 

軍隊というと、強健な肉体を持ち冷静に任務を遂行していく人たちのように思われるかも知れませんが、人間ですから、時にはそんな想いをほんの少しだけ口にしたくなることもあるでしょう。

実はここに相手との距離を縮じめるヒントがあります。

社長でも頭取でも、首相でも大統領でも、ゲリラ軍の司令官でも、当たり前ながら同じ人間です。

 

生産性やクリエーティビティーが上がるとの理由でGoogle内で大人気となり、シリコンバレー発の「マインドフルネス」ムーブメントを起こすことになったマインドフルネス研修がありますが、その研修ではどんな人に対しても「この人は私と同じ人間である」という瞑想を学ぶそうです。

 

上司とは自分よりも上の立場にあるのだから自分に対してもっと気をくばるべきだ、と思ったり、日本人は一般的に、上司や上の立場に対して完璧な人物像を求める傾向が高いように思いますが、上司も部長も社長も同じ悩みを持った人間なのです。

 

その上で、相手の状態を観察する、配慮する、相手の悩みを理解しようと努める、相手のことを知ろうとするということに意識を向けて見てください。

 

例えばこのような質問です。

 

あなたの上司の方はどんな人ですか?

仕事ではどんなお悩みがありますか?

上司のお悩みの解決にあなたはどのように役立つことができますか?

週末は何をして過ごしていますか?

仕事以外ではどんなことに興味がありますか?

 

そのように理解を向けてくれる人がいて相手も心づよいと感じてくれることでしょう。

 

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国連の現場で学んだ無理なく自然に会話が盛り上がっていく英語の質問術②

会議で何を言えばいいのか分からなくなってしまう、

上司や役職が上の人に対して言いたいことが言えなくなってしまう

と思う人はけっこう多いようです。

 

日本では、それぞれが自分の意見を発言をしたり、違う意見があってもそれが尊重されるような環境や体験は限られていますし、こんなことを言ってはいけないという制限が一般的に強いと思います。

 

ただ少し厳しいことを言うと、そういう人ほど自分が何を言えばいいのかばかり考えていて、肝心のコミュニケーションをする相手の興味・関心だったり、会議に参加している他の人たちや会議の目的自体がすっぽり抜けていたりします。

 

コミュニケーションはただ発信すれば終わりではありません。

発信されたものが相手に届いた、または届いてコミュニケーションは成立します。

コミュニケーションの始まりはそこからがやっと始まりとも言えます。

 

私たちはいくらでもなんらかの言葉や情報を発信することはできますが、それを受け取る人がいなければ、それは一方的な発信、または通達にすぎません。

その情報を受け取る相手がいて、はじめて「コミュニケーション」となるのですね。

 

そして、このコミュニケーションによって相手とどうなりたいのでしょうか?

 

どういう状態が理想的なゴールなのでしょうか?

 

会話の目的が、お互いに協力して仕事をスムーズに進めること、相手との距離を縮じめること、相手のことを知り、自分のことも知ってもらうことだとするならば、どんな姿勢が役立つでしょうか?

 

または最近の自分の体験を思い出してみてください。

この人と話しやすくなったなあ、

この人と距離が縮じまったなあと感じたのはどんな時でしたか?

 

いろんな面がありますが、そういう時には「わたしはあなたに関心を持ってますよ」「私はあなたを尊重しています」という姿勢があると思います。

 

では、「私はわたしはあなたに関心を持ってます」「私はあなたを尊重しています」という姿勢はどうしたら伝わるのしょうか?

 

それはまずは相手について知ろうとすることです。

 

実は私自身このテーマを書くにあたって思い出す失敗談があります。

国連PKOの仕事で、初めての任地東ティモールへ派遣された時のことです。

国連PKOの現場では100カ国以上もの同僚と、そして、国連軍という人たちと一緒に働きます。

 

ある日、ポルトガル軍のパーティーに招待され、ビールやワインを片手に会話が始まりました。

その部隊を指揮する司令官や階級の高い人たちが紹介されます。

誰が一番偉いのかはさすがに雰囲気でわかったのですが、軍隊の階級がわからず、階級の高い人に対して間違った階級を言ってしまったのです。

 

軍隊という組織は年齢が下でも階級が上ならば、その人が指揮をとるという命令の序列が非常にはっきりした、階級ありきの組織です。

 

軍隊の中ではコミュニケーションが比較的カジュアルなポルトガル軍であっても、やはり軍隊という組織ですからこの部隊では誰が司令官で誰が士官なのかその前提で会話が進んでいくのがわかって、

 

相手の家に招かれたのに相手のお名前も知らずにワインをいただいたような、相手への敬意を欠いてしまったように感じて、自分の勉強不足を恥じた思いがあります。

 

相手についての最低限の情報を調べておくことの重要性を痛感したのでした。

 

でも仮に軍の階級について覚えていたとしても、あまり馴染みのない相手だと話題を探すのには少し苦労する時もありますよね。

 

あまり馴染みのない相手だったり、話題が思いつかないなあと思う時ほど、無理にこちらが話そうとするよりも、質問をして相手に話してもらった方がいい場合は多いのです。

 

まったく知らない分野や相手だからこそ思い切ってわからないことを質問できる、という利点もありますし、自分のことを聞いてくれる人に対して人間は心を開きやすいという面はあると思います。

 

例えばこんな質問です。

こちらの部隊(会社)で大切にしている日課というのはありますか?

こちら(この部署)で生活を始めてみて驚いたことはありますか?

国連(この仕事)で実際に働いてみて感想はいかがですか?

思っていたのことと違う面はありますか?

こちら(この会社)に来て楽しかったことは何ですか?

 

これらは一例ですが、

 

会話を広げる質問には以下のような特徴があります。

① open-ended question=答えがYesかNOではなく、いろんな広がり方が持てる質問

② 対話的な質問=相手とのやり取りに正しいや間違いはなく、相手の感想や体験を知る目的で尋ねる

③ あなたに関心があります。あなたと仲良くなりたいです、という気持ちで聴く。

 

相手の反応ややり取りに正解も間違いもありません。

 

一つ一つのやり取りから、ああ、この人はそういう風に感じるんだ、そういう考え方もあるんだな、と相手という人を知る手がかりになります。

「分からない部分」が減るほど未知の不安も確実に減っていくー 国連の分析手法から学んだ不安を確実に分解していく方法

南スーダンで働いていたと言うとよく聞かれるのが、「怖くなかったですか?」という質問です。

 

もちろん日本にいる時と比べれば、気をつける点はたくさんありますし、夜の7時には無線による点呼というものが全職員に義務づけられていました。これは携帯電話の電波が使えなくなることなどを想定して、無線での連絡手段を確保しておく意味があります。

 

南スーダンでは、治安研修の一環として万が一人質にとられた時の対応についても習いました。

 

(アフガニスタン、南スーダンやソマリアなどに派遣される国連職員とNGOのスタッフが現地で受けます)

 

東ティモールでは銃が発砲された時に居合わせたこと、また、南スーダンではお金をせびる兵士に銃を向けられたことが一回だけありますが、相手はお金をせびることが目的だとすぐにわかったので、落ち着いていられました。

 

そうしたリスクは存在するので、まったく怖くないと言ったら嘘になりますが、例えば、そうした出来事が「組織的なものなのか」、または「突発的なものなのか」という点で「脅威」に対する判定は大きく変わります。

 

経験を積むにしたがって、何かしらの出来事が起こってもそうした基準に従って、「今回は報道で言われているよりも大したことないな」、「あっ、今回は注意した方がよさそうだ」、とかなり判断できるようになっていきました。

 

PKOが展開する国や地域の情勢を分析する手段として、脅威分析(threat analysis)やリスク分析(risk analysis)、シナリオ分析(senario analysis)といった分析手法があります。

 

どんな手法も完璧ではないし、どんなことであっても完璧に知ることも予測することも出来ませんが、私が国連PKOの現場で学んだのは、もし「脅威」や「怖れ」というものがあったら、それを一つ一つ分解して、対処法を考え準備することはできるということ、そして準備をすればするほど、漠然とした不安は減る、ということでした。

 

脅威分析(threat analysis)やシナリオ分析(senario analysis)といった手法についてここでは詳しい説明はしませんが、どの手法にしても、分析を始めるにあたって非常に重要となるのは、何がわかっていないのかをはっきりさせること、わかっていない点があるのならばそれについての情報収集を徹底的に行うという点でした。

 

どんな分野であれ、何かに対して結論を導こうと思ったならな当然ながら十分に情報が必要なのです。

 

そして、以下のような手順で進めていきます。

 

① 現在地の把握

今どんな情報があるか?何がわかっていて何がわかっていないのか? それはどこに行ったらわかるのか?誰に聞いたらわかるのか?

 

②情報の整理

情報とは事実と意見を集めたもの。

それに対する人々の意見。

その情報は自分で確かめたか?

その情報を得たことによって新しく分かったことは何か?

 

③選択肢の確認

今どんな選択肢があるのか?

まだ気づいていない選択肢はあるか?その情報を得てどういう選択肢があるとわかったか?選択肢を十分に考えたか?全ての選択肢を洗い出す

 

④シナリオを予測する

もしこの決断を実行に移したらどうなるのか?シナリオ1の場合、シナリオ2の場合、シナリオ3の場合、 一番おそれている結果は何か?一番最善な結果は何か? 結果をどのくらいはっきり予測しているか?

 

⑤ 対策(Course of Action:COA)を考える

ぞれぞれのシナリオで関係する部署はどこか?

それぞれのシナリオに対する対策

アクションプランをあげる

 

Course of Action:COAは軍隊発祥の用語ですが、

これらの思考プロセスは、ビジネスにおける意思決定のプロセスとも共通します。

 

人は全く自分が知らないことや体験したことのないことに対して必要以上に「不安」を覚えます。いわゆる「未知の恐れ」と呼ばれるものです。

 

こうした分析マインドや思考プロセスが私たちの日常にも当てはまると思うのは、もし不安に思うことがるとしたら、「不明な部分」「分からない部分」をどんどん減らしていくことによって、ばくぜんとした未知の不安やおそれ」は確実に減らすことができる、ということです。

 

 

 

機体が成田空港に向けて降下をはじめた時ー「日本は水が溢れるなんと恵まれた国なんだろう!」と思わず独り言を言いたくなりました

わたしは留学や海外勤務で海外にいるとき、日本に帰国するのはたいてい年に一回ほどでした。

 

久しぶりに目にする日本の景色や日常の風景が新鮮に見えて、外国人のような目で日本について見えることがあります。

 

そんな中でも忘れられない景色があります。

 

いつもは大抵年末年始の冬の時期に帰国するのが定番となっていたのが、珍しく5月に日本へ立寄った時のことです。

 

南スーダンの首都ジュバから国連機でスーダンの首都ハルツームへ、そして、ドバイ経由で日本へ向かう便で、機体が成田空港に向けて降下をはじめた時です。

 

目に飛び込んできたのが緑!緑!緑!

 

新緑の季節。

 

緑がほんとうにみずみずしくて、

思わず独り言を言いたくなってしまうくらいに、

「日本は水に溢れたなんと恵まれた国なんだろう!」と鮮明に思ったことがあります。

 

南スーダンの雨季には多少の木々や花を見ることができますが、サバンナと呼ばれるその辺り地域では草木の種類も限られていて、砂漠に近いスーダン(北)では雨が降るのは年に数日ほどです。

 

ハルツームにいたっては、砂嵐(すなあらし)と呼ばれるものがあって、感覚的に言うと台風くらいの風が雨なしで吹きながら(文字通り)砂を巻き上げるのです。

 

「砂嵐注意報」があって、学校や仕事は自宅待機になります。

 

これが発生すると家中が砂だらけになって本当に大変です。

 

部屋全体に水をかけたくなります。(笑)

 

それでも、スーダンの人は「いつものこと」といった様に普通の顔をしているので、水と四季のある国に生まれた人と砂漠の環境に生まれ育った人とでは当たり前だけど肌感覚が違うんだなあと思ったものです。

 

大好きな新緑の季節。

 

そんなことを思い出しながら、新緑の景色を楽しんでいます💛

 

(写真) 新緑の奥入瀬渓谷一度行きたいです。

(*^-^)ニコ

 

計8カ国12年間の海外生活と国連勤務で身につけた辞書をひかないのにともかく通じる必殺ストーリート語学習得法

前回、字の読めない南スーダンの人たちがなぜ英語を話すことができるのか?という記事を書きました。

 

それは、「英語をイメージとして捉えているから」ということでした。

 

関連記事⇨ 字が読めないのに英語を話す人たちから学ぶ英語の覚え方ー英語を⭕️⭕️⭕️として捉えてみる

 

「脳が認める外国語勉強法」(ダイヤモンド社)でも、単語をイメージとして覚えていくことは脳科学的にも、効果的な語学学習法とされ、例えば、単語と「画像」「感情」「記憶」を結びつけて覚えていく方法が紹介されています。

 

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例えば、新しい単語に出会ったら、cat=猫と訳すのではなく、フラッシュカードにcatを表す画像を描いて(貼って?!)、そして感情や記憶を結びつけていきます。

 

単語から浮かぶイメージを頭に思い浮かぶことができると、そのイメージを伝えることがやりやすくなるからです。

 

日本語でも自分がイメージできていないものは相手に伝わらないように、自分の中でまずイメージできることは大事なのですね。

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画像は楽しいお気に入りのイメージを使うといですね。

 

そして、このイメージ学習がマスターしたい語学の土台をつくってくれます。

 

ところで、「脳が認める外国語勉強法」によると、マスターしたい外国語の土台となる単語数の目安は604語だそうです。

 

中学校で学ぶ単語数は1200語前後(現学習指導要領)、2020年より導入の小学校での英語学習の単語数は約700語ということなので、つまり小学生・中学生が学ぶ単語のレベルと同じです。

 

英語が苦手、話せないという人でボキャブラリーが足りないからという人がいますが、実際には604語で結構いろいろなことが話せます。

 

私も最近のタイ旅行で大学生の頃に覚えたタイ語が突然蘇ってきましたが、私のタイ語は200語もありませんが、レストランでもホテルでもけっこう通じました。

 

どの国行っても基本形は単語を並べることです。

 

食べ物の名前 ☕️  + Please(ください)

ドイツ語では   Kaffe ☕️  bitte(カフェ ビッテ)

広東語では   小籠包         唔該(ムゴーイ)

ロシア語では ボルシチ パジャルスタ(ください)

タイ語では  Khor(ください) シンハー🍺 ka (コーシンハーカー)

*タイ語では「ください」が先に来ます。

*シンハーはビールのブランド名ですがマイペンライ笑

 

大事なのは、ブロークンでいいからともかく話すこと。

単語を並べるだけで、けっこう伝わると一気に自信があがりますね。

 

厳密に言えばヨーロッパの言語には女性形も男性形もありますし、過去形やら過去完了などいろいろありますが、まずは単語を並べることです。

 

そして、よく使う型だけをまず覚えました。

 

食べ物名前 ください

食べ物名前 おいしい

食べ物名前 いくら

私 行く どこへ

これは~語でなんと言うの?

といった感じでしょうか。

 

ちなみに、最初はわざと過去形や過去完了をすっ飛ばします。

ちなみに過去形がない言語(インドネシア語、テトン語=東ティモールの現地語等)も存在します。

その場合には、

I go tomorrow.

I go yesterday.

といったように、時間軸を表す単語を追加することで時間を表現します。

 

これを応用して、他の言語でも過去形を知らなくても時間を表現できます。

 

わたしは、東ティモールでテトン語に触れた時に、自分の中の語学というものに対するハードルがぐんと下がったのを感じました。だって、過去形も未来形もないんですから。

 

計8カ国12年間の海外生活の中で、個人的にはロシア語が一番難しかったですが、辞書を引いたことはほとんどなく(一番最初に学校で習った英語とフランス語以外)、一つ一つものを指差して毎日「これは何?」と聞いてました。

 

ロシア語は文字を読めるようになるまでにけっこう時間がかかりましたが、文字を覚えるよりも何よりも先に私はまず食べ物の名前を覚えました。

 

自分とコミュニケーションをしてくれようとしているという気持ちは伝わりますし、時にはわたしのちょっとおかしな発音をみんなが笑ったりして、それ自体が一種の挨拶というか、私にとってカザフスタン人スタッフとのコミュニケーション手段でもありました。

 

気がつけば簡単なことはなんとか通じるようになっていて、おそらく文法は間違いだらけでしたが、UNESCO中央アジア地域事務所でロシア語を断念する外国人スタッフが多い中であなたの上達ぶりはすごい、と所長に褒められたものでした。

 

ちなみに、カザフスタンにいた時に気に入ってよく食べていたのが、ラグマンという麺料理です。カザフスタンだけでなく、ウズベキスタン、キルギスタン、タジキスタンなど中央アジアでよく見られる料理で、簡単に言うと具だくさんのうどんです。パンも美味しかったです。

 

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私はこのラグマンを食べる度に中央アジアがシルクロードが文字通り東西の架け橋というのを感じたものでした。だって、中央アジアからすぐ東に行けば中国大陸。ここには中華文明の誇る数々の麺料理があります。そして、中央アジアから西に向かえば、すぐにヨーロッパ(イタリア)です。

 

このラグマンは、パスタと西安の麺とちょうど真ん中の料理のようで、この地に麺をもたらしてくれたシルクロードを行来する商人たちの旅路に思いを馳せてしまうような旅心を刺激する料理でした。

 

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中央アジア世界地図

 

ちなみに、いろいろな国を訪れた中で、仕事でものんびり系のバカンスでもなく、旅情をそそる旅として思い出に残っているのはウズベキスタンです。

 

サマルカンド

 

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「青の都」と呼ばれるウズベキスタン、サマルカンド。また行きたいです。

 

計8カ国12年間の海外生活で学んだ語学上達のコツは、料理の名前 + プリーズ。

 

美味しくて楽しい成功体験を積み重ねてモーチベションを保つこと。

 

まだ知らない世界の美味しいものとの出会いを一緒に楽しんでいきましょう。(*^-^)ニコ

ウィーンフィルのバイオリニストは5年間毎年東北を訪れて何を感じたのか?「東北」と「世界」が会って生まれたもの

3.11から丸7年が経ちました。

 

3.11の風化の懸念や福島の問題が未だに根本的な解決が見えないことが残念ですが、

その時の体験や心の深い部分で私たちにいろいろな意味で転換を促した感覚は、まだ確実に心の中に残っていると思います。

 

そして、3.11は「日本人」にだけ特別な意味を持つ出来事ではありません。

 

3.11では海外から合計1640億円もの支援金が寄せられ、同年緊急人道支援を受けたソマリアの713億円の2倍以上で短期間における支援額ではダントツで世界一位でした。

 

そして、支援金だけでなく、多くの人が支援に関わりましたが、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(ウィーンフィル)が震災後の5年間、毎年東北を訪問し続けていたことはあまり知られていません。

 

ウィーンフィルといえば、元旦に行われるニューイヤーコンサートが世界40カ国に同時中継される言わずも知れた世界最高峰のオーケストラです。

 

ウィーンフィルは、震災以降、5年間東北を訪れ、これまで計42人の団員が宮城県仙台市・岩沼市、岩手県山田 町、福島県郡山市・南相馬市で演奏活動を行い、中高生に音楽を教えてきました。

 

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岩手県の浄土ヶ浜などで、鎮魂のための献奏も行ってきました。

 

その中の一人であるバイオリニスト、ダニエル・フロシャウワーは、過密なスケジュールにもかかわらず、5年間毎年続けて東北を訪れ、中高生に音楽を教えてきました。

 

彼は東北を訪れて何を感じたのでしょうか?

彼を毎年東北に足を運ばせたのは何だったのでしょうか?

そして地元との出会いは何を生みつつあるのでしょうか?

 

私は、それをどうしても彼の口から直接聞きたいと思い、取材を申し込み、2016年10月16日東京赤坂のサントリーホールに向かいました。

 

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⬆️ 東北の学生たちに音楽指導をするウィーン・フィルのバイオリン奏者フロシャウワー(中央)(写真提供: SUNTORY HALL)

 

 

2016年10月16日、サントリーホールでは、「こどもたちのためのコンサート特別公演」が開催されていました。

 

これは被災3県の中高校生が、ウィーン・フィルと共演する夢の舞台です。

5年間の集大成の日です。

 

ウィーンフィルのメンバーを含め、その日の舞台をまとめるコンサート・ミストレスは15歳の高校一年生でした。小学校5年生のときに震災に遭いましたが、それでもバイオリンを続けたいという想いが強く、ウィーンフィルが東北を訪れるのを知ったときにはすごく嬉しかったそうです。

 

その彼女の隣には、彼女が送る合図にぴったりと意識を合わせ、あたかも全身で彼女をサポートするかのようなバイオリニストの姿がありました。

 

それがフロシャウワーでした。

 

彼の真剣な様子から、弱冠15歳のコンサート・ミストレスを一人前の奏者として、そして、共にステージを創り出す仲間として尊重しているのが客席にまで伝わってきました。震災に遭った体験を経て、すっとこの日のために音楽を練習してきた彼女を始め、今日のこの日を迎えステージに立つ中高生全員の勇気をたたえているようでした。

 

 

私はその四日前にも、ウィーンフィルの演奏を聴いていました。世界的指揮者ズービン・メータを迎えての公演は、それはそれは素晴らしいものでした。

 

同時に、私の目の前には、その日にも劣らないくらい懸命に、いや、もしかしたらそれ以上の力で演奏するフロシャウワーの姿があり、私は彼の演奏にどんどん引き込まれていきました。

 

 

演奏後、フロシャウワーにインタビューをする機会を得た私が、「四日前の記念公演とも変わらないくらい、またはそれ以上の渾身の演奏でしたね」と伝えると、即答がありました。

 

 

「当然です。世界的指揮者とでも中学生とでも、演奏家は常に全力で演奏するものです。

私は町民の半分が津波で流された町(山田町)で演奏した日のことを、いまでもはっきりと覚えています。そのとき、自分の音楽が誰かの役に立ったと感じることができたのは音楽家にとって大きな喜びでした。

 

それは、音楽家にとってとても光栄なことです。」

 

「それに」といって、彼はニコッと笑いながら最後にこう付け加えました。

 

「ウィーン・フィルは伝統を重んじるオーケストラですから、たとえばモーツアルトを演奏するとしたら、その伝統的な解釈に準じます。

 

でも、東北の中高生の奏でるモーツアルトは、『ああ、こんなモーツアルトがあるんだ』と私を新鮮な気持ちにさせてくれました。だからこれはWin-Winの関係なんですよ」

 

舞台上で見せる「神々しい音楽家」とはちょっと違う、人間としてのフロシャウワーに触れ、私は彼の言葉を理屈を超えて理解できた気がしました。

 

 

ウィーンフィルフルート奏者

⬆️ 特別公演でソロ演奏をしたフルート奏者ディータ・フルーリーに質問をする学生。「どうしたらあんなに透き通った音色を出せるんですか?」「自分の出したい音を想像するんだ。そしてそれを技術や呼吸、自分の持っている全部を使って表現する。その音に近づくために一生練習し続けるんだよ」

 

アフリカには、「人は人を通じて人となる」という格言があります。

 

人は誰もが誰かの役に立ちたいと願う生き物。

人は、他者の存在を通じて自分を知ります。

人の役に立ったと思ったときに、自分の想いや能力、存在意義を発見したり、再確認します。

人の才能も能力も、それを必要としてくれる人がいて成立するとも言えます。

 

私自身、南スーダンなどの紛争地で働いていた時、困難を乗り越えようとする人たちを目の前にしていたからこそ、「私もベストを尽くそう」と、自分の力を「引き出して」もらったと感じたことは何度もありました。

 

では、最後に、東北の中高生は何を感じ学んだのでしょうか?

 

ベートーベンの第九の合唱を一生懸命に練習してきたという福島の女子中学生に、今回の体験を通じて学んだことについて聞くと、こんなことを言ってもいいのかなと、一瞬周りの顔を探るように見渡した後で、こう伝えてくれました。

 

 

「合わせるのは大切だけど『自分』を出すことです」と。

 

 

「世界」との交わりは、世界という「鏡」を通じて「自分」をより浮き彫りにするのでしょう。

 

 

「世界」が東北を知り、東北も「世界」を知る。

そして「世界」を通じて自分を知る。

東北と世界との間で生まれ始めた化学反応。

 

中高生と合同でコンサートをしたのは世界の中でも東北が初めてだったというウィーンフィル。

インタビューをした団員全員が東北への訪問をそして中高生とのコンサートを「満たされる体験だった」と語ってくれました。

 

 

震災による被害や、高齢化や過疎化、人口減少などといった「課題先進国」と呼ばれる東北の問題を決して軽く捉えているわけではありません。でも、震災を経て生まれたものもあるように感じました。

 

 

東北と世界とのつながりがさらに強くより大きく広がっていって欲しいと願っています。

 

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⬆️ 特別公演後、ウィーンフィルメンバーと中高生との記念撮影。

(写真提供: SUNTORY HALL)

日本で3.11に遭遇『音楽家としての使命』を果たすことができずに日本を離れ、2年後 「やり残した仕事」を完遂したBBC交響楽団の贈り物

明日は3.11。

3.11になると思い出す「贈り物」があります。

BBCフィルが3.11の2年後、東日本大震災のための鎮魂のレクイエムを演奏です。

指揮棒が振りおろされた瞬間から涙があふれてくる素晴らしいコンサートでした。

 

それはBBCフィルにとっても特別な体験でした。

 

なぜなら、2011年3月11日、BBCフィルは日本公演のために日本を訪れていて、京都での公演を終え、次の公演地である横浜みなとみらいホールに向かってバスにのっている途中で東日本大震災に遭遇したからです。

 

津波の規模もわからず、なによりフクシマの影響や真相がわからない中で情報は交錯し、空港も封鎖される中で英国で待つ家族の間ではパニックも起きたそうです。

 

情報が交錯し、空港の再開や本国からの指示を待つ中で、同時に「こういう時だからこそ音楽を届けよう」という声も強くあがりましたが、大使館からの指示でけっきょくツアーは後半の5公演を終えることはなくキャンセルされました。

 

「『音楽家としての使命』を果たすことができずに、日本を離れることになったのは心苦しくつらい経験だった」と団員は語り、絶対に戻ってこようとみんなで誓ったそうです。

 

指揮者佐渡裕さんとピアニストの辻井信行さんともぜったいに戻っていて完結しよう、と誓ったそうです。

 

そんな体験を経ての復活ツアーが2013年4月に行われたのでした。

 

彼らの音色には、今度はぜったいに最後までやり遂げるぞという意気込みと日本への大きな愛が溢れていました。

 

指揮者佐渡裕さんとピアニスト辻井信行さんからもこの復活ツアーにかけてきた想いが伝わりました。

 

一番最初の曲は演目にはありましたが、BBCからの申し出で鎮魂のレクイエムが演奏されました。

 

そして、次にピアニストの辻井信行さんが鍵盤に触れた瞬間、隣の人もその隣の人も、会場全体が涙を流していました。

 

1200人のホールと演者全体が一体になったかのように感じられました。

 

最後は前代未聞のスタンディングオベーションでした。日本であんな反応を見るのは初めてでした。

 

BBCフィルの人たちにとっても特別なツアーになったそうです。

 

最後のリハが終わった時、普段は真っ先に食事に走るメンバーたちが、誰も席を立ち上がろうとしなかった。

 

そして、みんなが次々に佐渡さんと辻井さんに「I will miss you」と言い始めたそうです。

 

イギリス人ってシャイな人多いし、世界中のいろんな指揮者と演奏するBBCフィルは普段はそんなことを言わないんだそうです。

 

日本を代表する指揮者&ピアニスト × BBCフィルによる演奏。

 

それは、日本と世界による共同作業を象徴するコンサートでした。