上司や友人にちょっと突っ込まれると上手く答えられない人へー自分で決めることを決めると「考える力」がついてくる

最近、考える力を身につけたい、という人が多いようです。

 

一生懸命仕事も勉強も頑張っているのに、上司や友人にちょっと突っ込まれると上手く答えられないことってありませんか?

 

会社に入ったばかりの時は、上司に「もっとちゃんと考えて」「自分の頭で考えろ」「考えが浅すぎる!」と怒られる人も多いかも知れません。

 

その原因のもっとも大きなものは、普段から物事を考える癖がついてないので、深く考えることができないということです。

 

では、「考える」ってどういうことをいうのでしょうか?

 

知性や知恵だ、という人もいます。

 

考える力と聞くとおそらく真っ先に思いつくのは「ロジカルシンキング」だと思いますが、ロジカルシンキングだけでも解決しない問題はたくさんあるだろうとは直感的に感じるところです。

 

そして、この複雑な時代、複雑になればばるほど知識の価値は下がります。

 

 

そもそも、「知性」てなんでしょうか?

知恵ってなんでしょうか?

 

そんなテーマの関連本を読んだ中でみつけたこの東大名誉教授の説明にけっこうシビれました。

 

知恵とは、

 

知性(intellect)に関する知覚(perception)と、

感性(sensibility)に関する感覚(sennsation)とが、

有機的に合成あるいは統合されて生まれるもの。

 

簡単に言うと、論理的に考えることとの全身で感じとること両方合わせて判断する、と言っているのです。

 

その感じとるものを仮に「感覚知」と呼ぶとしましょう。

頭で判断できるのは一部かもしれません。

 

それは紛争地にいたわたしには実感としてわかります。

 

わたしが独立前の南スーダンで働いていた時に、スーダン軍と南スーダン解放軍の衝突が続いていて、これは独立もあやういんじゃないかと感じたことが数回ありました。

 

その時のわたしの仕事の一つは状況分析とリスク分析でした。

 

リスク分析のためのフレームワークはあるのですが、

そこに数字を当てはめたら答えが出るわけでもありません。

 

ある程度のパターンはありましたが、その段階になると、それこそ全身の神経を研ぎすまさせて判断しないといけません。

 

政府要人、司令官や兵士の人、NGOの人たちなどに会って、

同時に全身で相手に耳を傾けて、情報収集をするのです。

 

この人は本当に和平合意を守る意思はあるんだろうか?

それとも形だけ守ります、と言っているだけなんだろうか?と判断をしなければいけません。

 

その状況によっては、あらゆる対応策を立てておかないといけないので、

本当に全身の神経を使うというのはけっして大げさではない表現です。

 

なので、考える、または判断する、決める、とは頭と同時に全身の感覚と第6感を使って行うものです。

 

これは南スーダンの人たちが証明しています。

南スーダンの識字率は女性で20%もいきません。

ほとんどの人は字が読めないのです。

 

それでも、逃げた方がいいのか、どうした方がいいのかを判断します。

きっとそうした感覚は敏感でしょう。

 

考えるとは判断するためです。

結論を出すためです。

決断するためです。

 

「考える」ために「考える」訳ではありません。

 

考えない、というのはロジカルシンキングなど考える方法を知らないのではなくて、

自分の意見ではなくて他人の意見を鵜呑みにしている

 

 

または、正解があると思っているのかも知れません。

 

でも、複雑な問題ほど正解はありません。

 

もっと言うと、

 

自分で判断すること

自分で決断すること

自分の決断に責任を持つこと

 

を避けているという面があるかも知れません。

 

 

逆に覚悟が決まると自分の中で自然と答えが出てきます。

「どうせ自分の意見を言ってもムダだ」と思う言いたいことが言えない本当の原因

私たちは自由に発想すること、考えること、やりたいことを削がされてきました。

 

最近そう思ったのは、ある小学校の前に飾られていた子供たちの絵がみんな同じような絵に見えたからです。

 

太陽があって、

お花が咲いていて、

子供たちが笑っている

 

いわゆる「いい子」の絵に見えました。

 

きっと、こう描いたら褒められる、または先生はこういうものを望んでいるんだろうという空気を読む能力が高いのでしょう。

 

ふと思ってしまいます。

 

子どもの描く絵なんだから、

 

紫色の太陽とか

みどり色のお月さまが

あってもいいんじゃないか?、と。

 

 

子どもたちはこういう絵が気に入られるだろう、

ということを敏感に察します。

 

同様に、なにげねい大人の一言で、自分が本当に描きたいことは描いてはいけないんだ、

もう自分の好きなように描くのはやめよう、と思うこともあります。

 

私の友人は小さい頃、運動能力があまりない、というか、バランスが悪くて走るのが苦手だったそうです。

 

ある時、徒競走があったのですが、その走り方をある大人に笑われてしまって、それから人前で走るのをやめてしまった、そうです。

 

または、好きに選んでもいいよ、と言われながら

 

「こっちの方が安いからこっちにしなさい」

「こっちの方がいいのよ」と

 

言われて結局自分の要望や意見が聞かれなかった(尊重されなかった)ということはよくあります。

 

 

それがあるレベルでは、

 

「どうせ自分の意見は尊重されないんだ」

「どうせ自分の意見は重要じゃないから」といった

 

 

思いグセの元にあるのかも知れません。

 

 

 

実は、そんな例はめずらしくありません。

 

 

だから、

 

やりたいことをやればいいよ、

好きなように決めてもいいよ

好きなことをやるのが成功への道

 

 

と言われても、

そんな時の経験が無意識に

自由に発想すること、求めること、考えることを止めているかも知れません。

 

 

 

でも、私たちはもう立派な大人です。

 

そんな意見はいつでも自分の中から解除できます。

 

 

自分が描きたいと思ったら、太陽の色はピンクでも紫でもいいのです。

それは元々誰の中にもあるものです。

そんな感性こそがその人をユニークにするものです。

 

 

自分が描きたいと思ったら、太陽の色はピンクでも紫でもいいのです。

 

おすすめは、自分だけの「自分ノート」をつくることです。

 

自分が感じたこと、思ったことをどんどん書いていきます。

 

 

ノート術

 

自分が感じたことや思ったことに間違いも正解もありません。

 

書き方も正解も間違いもありません。

 

 

色ペンを使ったり、シールなんか貼るのも楽しそうですね。

 

 

そうやって、自分の意見を表していくことに慣れていくことができます。

 

 

私たちは今すぐに自分の表現や意見、クリエーティビティーを取り戻すことができます。

宇宙の視点から奇跡を科学するー身近なことで「テスト」に合格しないと大きなことは任せてもらえない

昨日、「奇跡が起きました。嫌いな経理作業を1日15分続けていたら楽しい!今日も早くやりたい!と感じられるようになった。」と書きました。

 

ところで、「タイトルに奇跡ってあるから、もっともっとすごいことかと思った」、「なんだそんな小さなことか」と思った人がいるかも知れません。

 

もし、奇跡はもっと大きいこと、と思っていたら要注意です。

 

もし、「今の仕事は適当にやればいい。だって好きな仕事じゃないから」「大きな仕事を任せられたら、本気になる・がんばる」と思っている人がいたらこれもまた要注意です。

 

宇宙の視点からみると、「大きなこと」も「小さいこと」にも価値に違いはないからです。

 

宇宙の視点からみると、大事なのは態度(それにどう取り組んでいるのか)と、そして動機(なんのために)です。

 

「小さいこと」も「大きいこと」も同じように、自分に正直に、心をこめて取り組んで喜んでいると、より大きなことを与えられるようになります。

 

身近なことで「テスト」に合格しないと大きなことは任せてもらえないのです。

 

そういう意味では、周りの人たちに対して親切にしたり、ゴミをみつけたら拾ったり、小さいことで自分が気付いたことをやっていくのは大切ですね。

 

 

そして、上手くいっている人は日常の中にある「上手くいっている部分」をみつけるのが上手です。小さな成功や奇跡を大事にするから、さらにそれが拡大していくのです。

 

宇宙の法則には「注目の法則」(Law of Attention)というものがあります。

 

注目するものが大きくなる、という意味です。

 

ネットニュースをみていて、だんだんと気持ちが落ち込んできたという体験はありますか?ネットニュースは読者のクリックを引くためによりセンセーショナルな切り口にする傾向があります。そういうものを見ていると、だんだんと気持ちまでそっちに引きづられてしまいがちです。

 

これは気のせいではなくて、物理の法則からも説明がつきます。

 

せっかくなら、自分の気持ちを穏やかにしてくれたり、インスパイアーしてくれるものに触れたいです。

 

もしすごい大きな成果や出来事ばかりを求めている、または、小さい喜びを味わえいないとしたら、「もっともっと病」にかかっているか、心が少しマヒしているかも知れません。

 

または、もし、今の仕事が好きじゃない、またはブラック企業にいる、パワハラ上司がいるとしたら、じゃあ自分はどうしたい?どうする?という部分が大事になります。

 

世の中に当たり前のことは一つもありません。

 

日常にたくさんの奇跡を見つけたいですね!

嫌いな仕事に1日15分取り組んで10日たったらー自分が自分の約束を守るとおきた奇跡

今日は奇跡がおきました!

 

 

それは私の苦手で嫌いなことを楽しい!と思えたのです。

 

しかもやりたい!とさえ思ったのです。

 

それは何かと言うと、経理作業についてです。

 

最近はいろんなクラウドソフトがあって、入力作業もバランスシートなどの必要書類の準備もクリック一つで簡単にできます。

 

それでも、私にとっては正直あまり好きではない作業です。

 

なので、こうした作業をつい後回しにしてしまうパターンを繰り返していました。

 

でも、ついに、同じことをやってる自分が嫌になって、

毎日15分でいいからルーティン化することにしました。

 

とはいえ、

 

正直、最初は腰が重いというか「イヤイヤ」やってました。

 

10日間位たった頃でしょうか。

 

楽しい!と思ったのです。朝起きて早くやりたい!とさえ、思ったのです。

 

驚きました😝

 

だって、クリエイティブな作業の方がずっと得意な私みたいなタイプの人にとって、経理作業というのはその逆に位置するものだからです。

 

確かに地味だし、クリエイティブとは真逆的な作業ではあるでしょう。

 

そういう作業が好きな人というのが世の中には存在すると思うので、

きっと誰かにお任せすることになるでしょう。

 

でも、誰かに任せるにしても、この作業に対する漠然とした苦手意識を感じたままじゃ嫌だなと思ったのです。

 

さて、

このプロセスは何だったのかなと考えてみると、

経理作業そのものというよりは、

 

たとえ自分にとって嫌いな分野でも

自分が自分に対して決めたことに対して責任をもつということ、

それを守ったことによる「快感」だったと思います。

 

もし、頭に脳波を測る装置をつけたら、きっとなんらかの脳内分泌が起きていたと思います😇

 

そして、セッションの予約を5件続けていただきました。

 

しかも。お手伝いしますというお申し出までいただきました!(本当です)

 

 

自分が自分に対して決めたことを守ること、

つまり自分が自分を尊重するというのは、

こんなにもパワーをくれるものなんだ!💡と正直驚きました。

 

苦手な分野なだけになおさらですね。

 

つまり、自分の信頼度を貯金しているわけですね。

 

それで予約がすぐに入ったので、宇宙は分かりやすい印をくれるものです。😊

 

逆にいうと、自分の信頼とパワーをそぐものに要注意です。

 

例えば、

誰にでも簡単に約束すること

自分が望まないことにイエスと言うこと

やると言ったのに実行しないこと

 

やりたくないならノーという方が誠実ですし、

 

目標を立てても心の底ではやりたくないのならば、やる気のあるふりをするよりも、その根本原因に取り組む方がよっぽど誠実です。

 

そして、どうしても好きになれない仕事を自分をだましながらやっているのならば、それも自分に正直ではありません。

 

もし、今の段階ではできない事があったら自分を責めるのでもなく、その原因を理解して、どうしたら改善できるのか考えましょう。

 

 

私たちは日々自分に対する信頼貯金を貯めています。

 

もし、今の段階ではできない事があったら自分を責めるのでもなく、その原因を理解して、どうしたら改善できるのか考えましょう。

 

どうしたら上手くできるのか考えましょう。

 

まだまだ、続けていくので、さらなる「脳内反応」?を観察してみたいと思います❗️

ノーベル賞受賞者5人と会って考えたーいざという時チャンスを逃さない質問❗️

いざという時、チャンスを逃さない質問はどんな質問でしょうか。

チャンスは突然やってくるからです。

 

これまで、ノーベル賞受章の方に5人ほどにお会いしたことがあります。

 

アマルティアセン

マーティ・アハティサーリ氏

ジミー・カーター氏

リゴベルタ・メンチュウ

コフィー・ーアナン前国連事務総長

です。

 

ある時は講演の聴講者として、ある時は同じ会議の参加者として、ある時は機内で、または同じ組織の一員として。。。

 

世界で女性初の防衛大臣を務めたフィンランドの元大臣の方や国際赤十字委員会(ICRC)のトップとランチをご一緒したこともありました。

 

そういう機会はある日突然やってくるものです。

 

お話しをさせていただくことができたり、ある時はせっかくの機会があったのにもかかわらず、一言も発せられないまま終わってしまったこともありました。

 

そんな体験を重ねて、もしたった一つだけ質問をすることができたなら、どんな質問をしたらいいだろう?と考えるようになりました。

 

そういう人には「本物のオーラ」があり、「ともかくこの人からには学びたい!」と思わせる何かがあるものです。

 

または、そういう役職こそなくても、「ほんもの」に出会う時、ビビビっ!とそれまで眠っていた細胞さえもが目覚めるように、ともかく何かを聞きたい、と感じることもあります。

 

でも、仮にたった一つしか質問する時間がなかったとしたら、どんなことを聞くのがいいのでしょうか?

 

しかも、相手が言っていることをより理解し、同時に、 相手への敬意を示し、信頼関係の構築にもなる質問があるとしたら、それはどういうものでしょうか?

 

それをお伝えする前に、簡単に先に挙げた方の功績とお会いした時の感想(あくまでも個人的なものです)を簡単にお伝えさせてください(敬称略)。

 

マルッティ・アハティサーリ(2008年ノーベル賞平和賞受章):

 

元フィンランド大統領でコソボ(バルカン)紛争の仲裁も関わり、アチェ(インドネシア)での紛争の歴史的な終結を導く。

彼には独立を果たしたばかりの南スーダンについての展望と当時の懸念について質問をする機会をいただきました。その時の彼の答えは今の戦闘状態の続く状況をすでに示唆していました。紛争は根本的に解決しないと繰り返すものだ、と分かっていたのだと思います。

 

ジミー・カーター(2002年ノーベル賞平和賞受章):

39代目の元米国の大統領。大統領時代のカーターの評価は必ずしも高いものではなかったものの、引退後のカーターは、米国大統領経験者として北朝鮮やキューバを初めて訪問するなど、個人として国家や安全保障政策等の制約を受けず、紛争を未然に防ぐ「予防外交」を展開し、その活動が評価された。大統領退任後の活動に対してノーベル賞を受賞したのはカーターのみで、離任後21年後の2002年に受賞。

 

1994年には、アメリカ大統領経験者として初めて訪朝し、金日成国家主席と会談。韓国大統領金泳三との南北首脳会談実施の提案をし、金日成の同意を得た(1994年、ただし金日成主席の急死で南北首脳会談は実現せず)。また、「悪の枢軸」としてイラクや北朝鮮への先制攻撃を容認する当時のブッシュ政権に対して、仲裁などを通じたソフトランディングの成果と選択肢を示し続けた。

 

個人的には、東ティモールと南スーダンでそれぞれカーター財団の選挙監視団の活動に触れたことと、2011年の南スーダンの独立をめぐる住民投票の際に、87歳の(当時)という高齢なのに彼本人が南スーダンまでやってきて関係者と対話を重ねた時に、彼の意図は「ほんもの」だと感じました。

 

アマルティアセン(1998年ノーベル経済学賞受賞):

貧困とは、食料不足から起こるのではなく、不平等から起こること、そして人が潜在能力を生かしているかどうか、という「潜在能力」(ケイパビリティ)の課題である、と言った。

 

自身の出身であるバングラデシュの例を元に「飼いならされた主婦、あきらめきった奴隷は、ほんの少しの幸せでも満足してしまう」と言い、弱い立場の人々が潜在能力を生かし社会参加することを主張している。

 

彼が経済学賞を受賞した翌年にオックスフォード大学で行われた彼の講演へ行きました。オックスフォード大学で一番大きなホールは学生と教授で満席でした。経済学が専門なのに、難しい数式は一切使わず、彼が話していたのは哲学というか人間や社会についてでした。学生から出た質問に丁寧に応え、同じ経済学の教授から出た難しい質問にはとても単純に応えていたのが印象に残りました。真実や本質というのはシンプルなものなんだーただそう感じました。

 

リゴベルタ・メンチュウ・トゥム(1992年ノーベル賞平和賞受章):

メンチュウ

 

マヤ民族に対する暴力と弾圧が蔓延していたグアテマラの内戦中に家族を殺されながら、軍政との和解を呼びかけた立役者。個人的には、この5人の中でもっとも威厳を感じたのは彼女でした。他の3人が元大統領だったり、国連のトップという役職を経て、またはそうした役職を通じての受賞の中で、彼女からは一個人の芯の強さと偉大さを感じました。

 

コフィー・アナン前国連事務総長(2001年ノーベル賞平和賞受章):

 

7代目の国連事務総長。冷戦の終結後、世界各地で内戦が起こる中、国連の活性化と国際システムの実効性(多国間主義)の強化を図る。国連の平和支援能力の強化にも尽力し、東ティモールで紛争からの復興がはじまろうとする中で、2001年のミレニアムの幕開けの年のノーベル平和賞受賞は国際協調体制をサポートする後押しとなった。

 

彼個人というよりも、冷戦後の可能性にかけた国際協調主義への期待をこめた受賞でしたが、私は彼の在任中に国連で働けたことを誇りに思っています。静かな物言いで謙虚であるからこそ、周りの人にも本当に大切なものを思い出させるような力を感じました。

 

さて、先の質問にお答えしたいと思います。

たった、一つだけ質問をすることができるのなから、どんな質問をしたらいいか?

 

彼らがなぜそう考えるようになったのか、というその理由やその背景を聞くことです。

 

例えば、このような言い方です。

 

「今、あなたが仰った事はとても大切だと感じました。あなたが仰ったことを理解したいと思っているのですが、よかったら、どうしてそのように考えるようになったのか教えていただけませんか?」

 

 

他にはこういう言い方です。

 

◎それは、どういう意味ですか?それはなぜ大事なのですか?

◎この事とあなたのテーマとどんな関係がありますか?

◎どのような考えでその結論にいたったのですか?

◎そうおっしゃるのにはどんな理由があるからですか?

 

◎ そうおっしゃるのはなにか体験がおありでますか?

 

つまり、彼らがなんでそう考えるのか、というその理由や背景を聞き続けることです。

 

なぜ?を5回聞き続ける とその課題の本質に辿り着くと言われているからです。

 

 

 

とくに、相手がどのような体験を経て、そのような考えを持つように至ったのか聞くことはその課題の本質に向かってさらに掘り下げることになります。

 

そして、相手の理由について聞くことは、こちら側のかってな推測に基づいて聞くのではなく、新しい理解や可能性にオープンになるために聞くことにも役立ちます。

 

 

先に、ある程度の理由や背景を先に相手が伝えてくれることもあるでしょう。

 

もしそうだとしても、さらに、突っ込んでみることもできます。

 

時にはあなたの質問自体が思わぬ気づきを相手にもたらすかも知れません。

 

なぜなら、本人も質問されてはじめて気づくことも考えることもあるからです。

 

一流の人であるほど、喜んでこうした質問に答えてくれます。

 

なぜなら、そこにこそ本質があるからです。

 

お互いに通じ合ったと感じる時には、「わかった!」という稲妻がおりるような体験さえあります。

 

 

いざという時、チャンスをつくる質問をぜひ覚えてください。

「自信がつくのを待ってもこない。自信がつくのを待ったらこのまま一生終わってしまう」ニューヨークで発見した自信の「正体」❗️

私たちは、いったい何をして、どこまでやったら「自信」というものがつくのでしょうか?

 

私自身、ニューヨークの国連本部の花形部署で働く機会を得ながら、長い間自信を感じられずにずい分悩んだので、「自信を持つ」ためにいろんなことをしたものでした。

 

いったい何をして、どこまでやったら「自信」というものがつくのだろう?と思っていました。

 

ニューヨークという場所がらスピーチのクラスに参加したこともありました。

 

ただ、いつも自分の能力や努力が「足りない」気がして、この「足りない」という強迫観念のような私のお悩みはかなり長い間続きました。

 

 

一番苦しかったのは、何かをやっても達成した気がする訳でもなくて、いくらやっても自分の中で「これでいい」と思えなかったこと、でした。

 

私にとって精神的なストレスが一番大きかったのはおそらくこの頃で、出張とストレスが重なって、機内で倒れたこともありました。

 

自信について、いろいろな角度からの答え方があるかとは思いますが、もし自信を「外からの評価」に求めるのならば、究極的にはキリがないとも思います。

 

仮に資格を得ても、ハーバート大学やオックスフォード大学を卒業しても、自動的に自信がつく訳でもないことは私自身が知っています。

 

私自身オックスフォード大学の大学院で勉強していた時に驚いたのは、オックスフォード大学の学生さえ、自信がないと感じているという事実でした。

 

すると、ますます分からなくなります。

 

自信とはいったいどうしたらつくのだろうか?と。

 

しかし、ある頃から、チャンスが巡ってきているのに、ノーと言っているような自分に嫌気がさして来たのです。そして、気がつき始めたのです。

 

「自信がつくのを待ってもこない。自信がつくまで待ったらこのまま一生終わってしまう」、と。

 

もちろん場数を踏むというのは真実だと思います。やはり、スピーチにしろプレゼンにしろ、経験を重ねることで確実に自信は上がりました。

 

ただ、ある時に自分で一歩踏み出す勇気が必要になる時というのはあると思うのです。

 

それからのキャリアを振り返ってみても、その時の感覚はあっていたと思います。自信がつくのを一生待っていても何もできないのです。

 

そして、もう一つ自信というものの「正体」に気がつきました。

 

それは「自信をなくさせている原因」に気づいたからでした。

 

それは、自分は「こうあるべきだ」という自分が自分にかけていたプレッシャーでした。

 

自分が自分に対してもっている自分の中の理想像でした。

 

例えば、私の場合、

 

「国連の本部で働く人」はこうあるべき、

なにか「かっこいい事」を言わないといけない、

という自分の中の理想像とのたたかいでした。

 

 

ただ、そもそも完璧というものは存在しないし、自分の中の理想像は絶対に手の届かない目標です。

 

完璧であれば、失敗や批判を避けることができて、傷つく可能性も避けることができると思っています。ただ、これによって、常に私たちは周りの人たちと比較することになり、自分はそうでないと思っている部分が常に不安としてのし掛かります。

 

自分の価値は、どれだけ達成したかで決まる、という思い込みがあるのです。

 

私たちは社会やメディア、学校、親からの「こうであるべき」というプレッシャーやイメージに晒されています。

 

そして、私たちの自信がどれだけこうしたプレッシャーやイメージ、信念にネガティブに影響されているかを知るとびっくりします。

 

例えば、このような「あるべき像」です。

 

いつもよい成績をとらなければいけない。

絶対に失敗をしてはいけない。

周囲の人に賞賛されなければいけない。

やるからには有名にならなければいけない。

誰よりも優れていなければいけない。

優秀でなければいけない。

スマートでなければいけない。

お金は苦労して得るものだ。

 

 

メディアの影響もあります。

 

もっと痩せなければいけない。

人気者にならなければいけない。

優秀でなければいけない。

かっこよくなければいけない。

おしゃれでなければいけない。

女性は若くなければいけない。

 

 

そして、私たちは常に周りの人たちと比較して、自分はそうでないと思っている部分が常に不安としてのし掛かります。

 

失敗したらどうしよう。。。

間違えたらどうしよう。。。

人の期待に応えらえなかったらどうしよう。。。

こんな自分。。。

どうせ無理。。。

 

そんな不安ばかりだと誰だって足がすくんでしまいます。

 

しかも、私たちは多くの場合メディアで取り上げられる人たちの成功や華やかな部分にしか触れていないのです。

 

ベストセラー作家で、この「足りない病」(欠乏意識)についての本を書いたリン・ツイストさんは、消費カルチャーの時代を生きる私たちは常に「足りない」「足りない」「足りない」というメッセージにさらされている、と言います。

 

もっと言うと、日本が世界の中で第3位の経済大国でありながら、不安と閉塞感に覆われているのは、この「足りない病」とも関係があるのではないか?、と個人的には感じます。

 

ただそうした仕組みに気づいた私たちは、こうした自分の中の信念を再整理することができます。

 

それは本当なのでしょうか?

今の自分に役立つ信念でしょうか?

もし、これとは反対のことをしたらどうなるのでしょうか?

 

まずこうした自分の中の信念に気がつくことが改善のための大きな一歩です。大抵、こうした信念は、あまりに自分の中で自動的に発生していて、そうした影響があることすら気が付かないからです。そして、今の自分に役立つ信念に書き直すことができます。

 

 

【ワーク】

自分の中の「こうあるべきだ」を書き出しましょう。

それは本当なのでしょうか?

今の自分に役立つ信念でしょうか?

他人から褒められるよりも自分にとって大切なことは何ですか?

もし、これとは反対のことをしたらどうなるのでしょうか?

 

今の自分に役立つ信念に書き直しましょう。

もし、仮に~だとしても自分は自分を受け入れ自分の味方であることを宣言します。

 

① 自分の中の「こうあるべきだ」を書き出します。

② ハートに手をあてます。

③ 心の中で宣言します。「もし自分の中で自分は優秀じゃないと思ってる部分があったとしても、私は自分を深く受け入れます。」

 

例)

優秀でなければいけない⇨「もし自分の中で自分は優秀じゃないと思ってる部分があったとしても、私は自分を深く受け入れます。」

 

かっこよくなければいけない。⇨「もし自分の中で自分はかっこよくないと思ってる部分があったとしても、私は自分を深く受け入れます。」

 

スマートでなければいけない。⇨「もし自分の中で自分はスマートじゃないと思ってる部分があったとしても、私は自分を深く受け入れます。」

朝起きた時の最初の10分のモードがその1日の体験を決定する

今朝、朝起きた時の自分の気分を覚えてますか?

 

マインドフルネスに関する研究では、特に意識をしない限り、朝起きた時の最初の10分のモードがその1日の体験を決定する、ということが明らかになっています。

 

朝、自分のために早起きすると気持ちがいい、というのは、物理的に時間を持てるということもそうですが、自分の意思で意識的に早起きをすることによって、余裕や落ち着きを感じられ、しかも自分で人生に向き合っているという「前向き」な気持ちがつくられること、そして、その後の1日もさらに相乗効果のようにスムーズに進む、という面も大きいのではないかと思います。

 

逆に、今日は1日何をやったのか分からないまま終わってしまったと感じる時ほど、その日の意図が明確ではなかったなと私自身気づきます。

 

時間管理や手帳術では、よく最優先事項を先に決めなさい、と言われます。それが決まられていないと、重要でないことに時間を奪われる、のはいとも簡単だからです。

 

「エネルギーは意図に従う」、という表現があります。

 

細かいことを全て計画することはできませんし、全てが計画通りに進むとは限りませんが、「意図」を持って臨むかどうかで大きな違いが出ることは何度も体験しています。

 

意図の力は、打ち合わせや会議に参加する時、特に、日常での人間関係で非常に重要となります。

 

先にお伝えしたように、人間の脳は無意識のうちに他者を分類し、大抵の場合、いったん決められた先入観やステレオタイプ的な見方に従って相手のことを見ているとお伝えしました。

 

これによって、私たちはあまりにも無意識のうちに上司や同僚との関係において、いつもの反応やパターンを自動的に繰り返しているからです。

 

自分の思考と「反応」と実際の行動に意識がない限り、私たちの脳は、「この人は自分の敵か味方か」というレベルにおいて「闘争・逃避反応」(fight or flight)を繰り返しています。

 

こうしたパターンを変えたいと思ったら、その会議や打ち合わせに自分が臨む「意図」、相手との関係における「意図」を先に決めておくことです。

 

例えば、

チーム全体に貢献すること、

相手に与えること

相手のことを本当に理解すること

相手との関係を深めること

チーム全体を勝たせる、

 

といった意図を持つことができます。

 

 

そうした意図とは逆に力にならない欲求があります。

 

自分だけ勝ちたい

かっこいいことを言わなきゃいけない

優秀そうなことを言わなきゃいけない

目立ちたい

賞賛されたい

などです。

 

これらは、守りの姿勢です。

失敗すること、恥をかいて傷つくのを怖れている状態です。

エネルギーが「内」に向いている状態です。

 

 

もちろん、人間ですから誰しもそういう不安や思いはあります。ただ、先にお伝えしたように、その次元にいる限り本当の力は持てません。

 

それを超えた「意図」を持つ時に、本当の力を体験することができます。

 

意図を持つことは、それをどのようにするのか分からなくても、自分のエネルギーを外に向けること、自分が望むことの意思表示をすることになるのです。