外出禁止がほぼ一年のような環境でー危機が押し出す「和解」

前回、危機の時にこそ、その人の強みや本質、その人が本当に表現したいことが現れるのではないか?ということをお伝えしました。

 

*記事⇨危機の時にこそ、その人の強みや本質、その人が本当に表現したいことが現れるということ

 

また、「危機」が押し出す「和解」ということもあります。

 

今のコロナ危機の中で、もちろん大変なことは今世界中にいくらでもありますが、危機という中での光るニュースというのもあります。

 

今回は、「危機」が押し出す「和解」という視点から、先に南スーダンでの体験を、そして今のコロナ危機での「和解」についてお伝えしたいと思います。

 

175カ国の人たちが一緒に働く国連という場。この中には対戦中の国の人たちもいます。

 

ニューヨーク本部だったら、仮にその人たちが同じ部署で一緒に働くことになったとしても数時間ほど我慢すれば、いくらでもその後は自分が好きなところへ行くことができます。

 

しかし、南スーダンではそのような街もカフェもお店もありません。

 

外に出れないわけではありませんが、3分も車を走ったら、舗装の道は終わり、そもそもお店がないので、実質的には、ほぼ一年間くらい(人によっては2年〜4年くらい)、外出自粛に近い状態とも言えるでしょうか。

 

敷地内はそれなりの距離をジョギングできる程度の広さはあります。4畳くらいの広さですが、自分の部屋もあります。

 

ですから、あえて表現するならば、ある程度の広い敷地の中で、自分の家族ではなく、175カ国の同僚たちと一緒に過ごすことになった長めの外出自粛生活と表現したらいいでしょうか。

 

そのような中で、実際にこのような状況がありました。

 

インド人の軍人とパキスタン人の軍人が国連機の運営という同じ部署に配置されました。

 

軍人という職業の人たちには、防衛に直接関わる立場として、私たちが想像できない位の制約があります。

 

例えば、「敵国」であるお互いの国に渡航することはもちろん、互いに接触することも厳しく禁止されています。正式に軍人をやめても、一生インドを訪ねること、また一生パキスタンを訪ねることも許されていません。

 

ただ、国連という彼らが派遣された新しい所属先では、自分の国の立場ではなく国連の一員として仕えることになります。

 

幸い、二人ともプロ意識が高い人だったので、互いに助け合いながら毎日テキパキと国連機を飛ばし、何百人という国連関係者や物資を南スーダン各地に送り出していました。

 

二人とも家族や母国から離れる寂しさや苦労があったでしょうから、互いの「違う点」よりも、「同じ点」に目が向いたのかも知れません。

 

気づけば、二人で仲良く一緒にチャパティー(インドやパキスタンでの主食)を焼きながら、よく一緒に食事をしていました。

 

彼らは平気な顔でしれっと言っていました。

 

「ああ、カシミールは寒かった。そういえば、あの時の銃撃には驚いたよ。敵ながらあっぱれと思ったよ。ハハハー。」

 

「まあ、ヒンドユー語とウルドユー語なんてほとんど同じなようなものだよ。チャパティーの味だって一緒だよ。」

 

「戦争をあおるのは結局政治家さ。僕は軍人として命令されたところに行くだけさ。」

 

パキスタンとインドも互いに核武装をする程の敵国で、かなり緊張状態が高まったことが数回ありましたが、けっきょく、同じ言葉を話し、同じ食事をする同じ文化圏に属する人たちなのです。

 

私はチャパティーをごちそうになりながら、二人の会話をただ聞きながら、なんだか妙に納得してしまったのでした。

 

政治や人間のプライドやエゴで、人と人や国との間の分断がいかにも簡単に起きてしまうようにも見える一方で、同じくらいに人間の中には元に戻りたい(繋がりたい)というDNAのようなものがあって、危機という現象の中に現れる恵みの中で、私たちが自分の中にある純粋な気持ちや願いを取り戻し、人間のそんな姿を見せてもらうことがあると。

 

今回のコロナ危機では、イスラエルのユダヤ系の人とアラブ系の救急隊員が共に懸命に職務を行っていることを現している写真が話題になっています。

 

イスラエルでは、救急車への出動要請は通常年間6000件のところ、コロナ危機以降10万件を超える状況だそうです。そのような嵐のような忙しさの中、奇跡のようにある瞬間に要請が止み、共に祈る時間が与えられたそうです。

 

それぞれの神にその方向を向いて祈りました。そして、こう語りました。

(逆を向いている写真ですが、逆を向きながら一致しているのです!)

 

「対処すべきことがあまりにも多く、一人一人祈る時間がないので今は一緒に祈っています。… わたし(イスラム系)は家族のことを祈っています。わたし(ユダヤ系)はこの終わりを見せてくださいと祈っています。この病気では宗教も性別も関係ないです。」

 

このような状況の中で私たちは日々いろいろなことを感じています。フラストレーションを感じることもあれば、ちょっと前までは当たり前だったことに感謝が湧くような体験もしています。

 

だからこそ、このような時にこそ、「急げば回れ」ではないですが、大切なことを大切にして、そして、(家にいながら静かな時間が持てないという人も多いとは思いますが)、なんとかして、ゆっくりとした時間をとって改めて方向性・ビジョンを求めるというというのは一つの知恵であると思います。

 

神様、危機の時だけでなく、大切な目的に目を向けることができるための知恵を私たちに与えてください。そのような気持ちを保てるように私たちを支えてください。

 

私たちの中の要らないものをそぎ落とし、私たちの中の純粋な願いを取り戻させてください!

 

イスラエル

 

参考サイト:

https://mtolive.net/ガザ製マスクを買うイスラエル:コロナ効果?-2020-3-31/

⬇️ ニューヨークタイムズ記事

 

国連、国際機関、外資系企業の応募書類を準備するための7つのステップー何を表現するかと同じ位どう表現するかが大切

欧米の子供たちは、スキルがあるかないかの前に、応募書類や面接の際に何が求められて、何をどう表現し、何と答えたらいいかを小さい時から訓練されているように感じます。

これは外資系の応募、面接、国連や国際機関に応募する際の書類の準備にそのまま当てはまります。

何をどう表現するかはとても重要です。

国連に応募するための応募書類(p.11)の作成にはいくつかの意識すべきのポイントがあります。


<全体像>

ステップ1.Job Descriptionを次のAction Verbを使って書き出す。

ステップ2.自分が一番やりたいポストや分野を3つくらい選んで、実際のポストで使われているJob Descriptionからキーワードを書き出す。

ステップ3.これまでの仕事や今の業務が政策レベルでどういう意味を持つのか政策レベルで表現し直すこと

ステップ4.実績を数値化して表現すること(何人の地域を担当したのか、予算規模など)

ステップ5.国連PKO・平和構築分野であれば国連PKOで使われるキーワード、開発分野であればSDGsなどのキーワードを取り入れること

ステップ6.  大学、大学院で勉強したこと、課題活動、委員会、ボランティア活動、表彰されたことなど関係しそうなことを全て書き出す

ステップ7.  自分の軸(とくにパッションを持って取り組んできたこと、自分はいつもこういう視点を大事にしてきた、こういうことを大切にしてきた)という視点から全体の切り口を明確にする


関連する職歴が少ない場合、大学、大学院で勉強したこと、課題活動、委員会、ボランティア活動、表彰されたことなど関係しそうなことをともかく全て書き出すことが大切です!

また、自分では気付かなくても、第三者の視点から自分の体験を整理することで、自分では気付かない自分の体験に気づくことはたくさんあります。

仕事内容・業務内容も表現の仕方を工夫することによって印象がまったく変わります。

これまで関わった方々は、数回のコーチングでp.11はまったく変わりました。

国連で採用面接官を務めた体験を踏まえ、お伝えします。

お気軽にご連絡ください。

info(at)peaceblossom.net

*添削サービスではありません。

「分からない部分」が減るほど未知の不安も確実に減っていくー 国連の分析手法から学んだ不安を確実に分解していく方法

南スーダンで働いていたと言うとよく聞かれるのが、「怖くなかったですか?」という質問です。

 

もちろん日本にいる時と比べれば、気をつける点はたくさんありますし、夜の7時には無線による点呼というものが全職員に義務づけられていました。これは携帯電話の電波が使えなくなることなどを想定して、無線での連絡手段を確保しておく意味があります。

 

南スーダンでは、治安研修の一環として万が一人質にとられた時の対応についても習いました。

 

(アフガニスタン、南スーダンやソマリアなどに派遣される国連職員とNGOのスタッフが現地で受けます)

 

東ティモールでは銃が発砲された時に居合わせたこと、また、南スーダンではお金をせびる兵士に銃を向けられたことが一回だけありますが、相手はお金をせびることが目的だとすぐにわかったので、落ち着いていられました。

 

そうしたリスクは存在するので、まったく怖くないと言ったら嘘になりますが、例えば、そうした出来事が「組織的なものなのか」、または「突発的なものなのか」という点で「脅威」に対する判定は大きく変わります。

 

経験を積むにしたがって、何かしらの出来事が起こってもそうした基準に従って、「今回は報道で言われているよりも大したことないな」、「あっ、今回は注意した方がよさそうだ」、とかなり判断できるようになっていきました。

 

PKOが展開する国や地域の情勢を分析する手段として、脅威分析(threat analysis)やリスク分析(risk analysis)、シナリオ分析(senario analysis)といった分析手法があります。

 

どんな手法も完璧ではないし、どんなことであっても完璧に知ることも予測することも出来ませんが、私が国連PKOの現場で学んだのは、もし「脅威」や「怖れ」というものがあったら、それを一つ一つ分解して、対処法を考え準備することはできるということ、そして準備をすればするほど、漠然とした不安は減る、ということでした。

 

脅威分析(threat analysis)やシナリオ分析(senario analysis)といった手法についてここでは詳しい説明はしませんが、どの手法にしても、分析を始めるにあたって非常に重要となるのは、何がわかっていないのかをはっきりさせること、わかっていない点があるのならばそれについての情報収集を徹底的に行うという点でした。

 

どんな分野であれ、何かに対して結論を導こうと思ったならな当然ながら十分に情報が必要なのです。

 

そして、以下のような手順で進めていきます。

 

① 現在地の把握

今どんな情報があるか?何がわかっていて何がわかっていないのか? それはどこに行ったらわかるのか?誰に聞いたらわかるのか?

 

②情報の整理

情報とは事実と意見を集めたもの。

それに対する人々の意見。

その情報は自分で確かめたか?

その情報を得たことによって新しく分かったことは何か?

 

③選択肢の確認

今どんな選択肢があるのか?

まだ気づいていない選択肢はあるか?その情報を得てどういう選択肢があるとわかったか?選択肢を十分に考えたか?全ての選択肢を洗い出す

 

④シナリオを予測する

もしこの決断を実行に移したらどうなるのか?シナリオ1の場合、シナリオ2の場合、シナリオ3の場合、 一番おそれている結果は何か?一番最善な結果は何か? 結果をどのくらいはっきり予測しているか?

 

⑤ 対策(Course of Action:COA)を考える

ぞれぞれのシナリオで関係する部署はどこか?

それぞれのシナリオに対する対策

アクションプランをあげる

 

Course of Action:COAは軍隊発祥の用語ですが、

これらの思考プロセスは、ビジネスにおける意思決定のプロセスとも共通します。

 

人は全く自分が知らないことや体験したことのないことに対して必要以上に「不安」を覚えます。いわゆる「未知の恐れ」と呼ばれるものです。

 

こうした分析マインドや思考プロセスが私たちの日常にも当てはまると思うのは、もし不安に思うことがるとしたら、「不明な部分」「分からない部分」をどんどん減らしていくことによって、ばくぜんとした未知の不安やおそれ」は確実に減らすことができる、ということです。

 

 

 

無関心や孤立、寛容性が下がる「社会的なトラウマ」 という現象ーその連鎖と国連関係者が学ぶ「どうしたら憎しみの連鎖を防げるのか」という理論

先日はトラウマとは単に「心の病」というよりは、「身体に残り外に出切れていないエネルギーである」とお伝えしました。

 

アメリカでは10人に一人がPTSDと言われるくらい、トラウマやPTSDが過剰に診断される状態があるとも指摘され、

 

すべてを「トラウマ化」する必要はない、と断っておいた上で、

 

トラウマと暴力の連鎖のメカニズムと、それを乗り越える過程を理論化したものして知られる

 

The Center for Justice and Peace-buildingの Strategies for Trauma Awareness and Resilience(STAR)より、トラウマが日常的にどういう風に現れるのかお伝えしたいと思います。

 

cycles-of-violence.jpg

⏫  The Center for Justice and Peace-building, Strategies for Trauma Awareness and Resilience: STAR)より

 

一般的にはこのような状態がみられます。

 

・判断能力が低下し、何かに対する事象を恐れとして認知しやすくなる。

・コミュニケーション能力が低下し、特に共感性が下がる

・柔軟性や寛容性が下がる

・直接何かが起こったわけでもない個人との関係において緊張や対立がおこる

・無関心や孤立

・自分の被害ばかりに目がいき、他者の視点で見ることができなくなる(歴史、係争、関係性)

 

さらに、そのエネルギーが内に向けられるか(acting-in)、または外に向けられるのか(acting-out)?に分けられます。

 

内に向けられた場合には、以下のような症状が見られます。

 

内に向けられた場合:

・依存 (インターネット、薬物、買い物、セックスなど)

・過食症・拒食症

・仕事中毒

・自傷行為

・うつ

・不安

・頭痛や身体の緊張など・慢性的な痛み

・病気(身体的症状)

・自殺

 

外に向けられた場合には、以下のような症状が見られます。

 

外に向けられた場合:

・ドメスティックバイオレンス(DV)

・虐待

・犯罪行為

・リスクを犯したがる

・攻撃的な行為

・暴力行為

・戦争

 

社会的・集合レベルでは次のようなトラウマのサインを見ることができます。

 

・無関心(国の政策や政治や社会に対する無関心)

・黙る(表現の自由の抑圧、真実が語られなくなる)

・共感や寛容性のうすれ

・二元論(ゼロか100か、こちら側かあちら側か)

・ 人との繋がりが希薄になり信用できなくなる

・環境の悪化

・性の軽視や売春の増加

・薬剤の使用量の増加

 

 

トラウマはそれに苦しんでいる当事者が自分で心の痛みを癒し、その体験を完了させなければ、さまざまな 形で次の世代や社会に引き継がれると言われています。

 

最近は、トラウマと暴力の連鎖だけでなく、それを乗り越える過程も理論化されています。

 

これは、9.11をきっかけに始まった「どうしたら憎しみの連鎖を防げるのか」という研究から生まれまし た。

 

今では、「Strategies for Trauma Awareness and Resilience: STARプログラム」として知られ、私も国連の研修の一環で参加したことがありますが、米政府や国連関係者、アフガニスタ ンやイラク従事者をはじめ、ドイツ、ケニア、レバノンなど世界60ヵ国から参加者が集まるプログラムとして知られています。

 

STARは、米国で起きた1995年のオクラホマシティ連邦政府爆破事件の被害者が「和解」へ向かっていた 過程などを理論化し、紛争を根本から解決するには、個人が心の傷やトラウマの体験を癒すことが重要だとしています。

 

STARに理論によると、寛容性の低下や排他主義といった排除型の暴力も、トラウマと暴力の連鎖の一つだと説明することもできます。

 

報復の「連鎖」を根本的に解決するためにも、こうした連鎖のメカニズムとそれを断ち切るのは何か?と理解することは役に立つと思います。

 

STARの理論では以下のステップが説明されています。

 

STAR 和解.001

 

(#1)身の安全

(#2)なげく・自分のストーリーを話す

(#3)Why me? ⇒ Why them?なぜ私?からなぜ相手?への視点

(#4)相手の「ストーリー」を理解する

(#5)ストーリーが書き換わる

(#6)ゆるし

(#7)正義(restorative justice)

(#7)和解

 

こちらについてはまた説明したいと思います。

 

個人的なトラウマやPTSD(援助従事者による二次受傷、セカンダリートラウマも含む)の回復プロセスについてはこちらで説明しています。

 

トラウマとまで言わなくても、人生では自分の思うようにならない時もあれば、理不尽なことも起こります。一人ではどうしたらいいのか分からなくなることもあるでしょう。

 

そんな波の中にいる時にどうしたいいのか?

 

少しでもそんなヒントになるように、トラウマやPTSDの回復理論やレジリエンスに関する研究と私自身の燃え尽き症候群やPTSDからの回復体験を質問形式にしてまとめました。

 

ここで挙げている質問は、リラックスして、まずは眺めてみて、思い浮かぶことをありのままに観察してみるというアプローチをオススメします。

 

質問を読んでもに何も思いつかなくても、ふとした瞬間に何か思い浮かぶ事もあるでしょう。

 

自分が前に進んだからこそ、意味を持ってくる質問もあるので、ぜひ定期的に眺めてみて下さいね。

 

ダウンロード・登録⭕️こちら⭕️よりどうぞ 

 

 

目次

あ、今の自分の状態について把握する

い.自分の「ストレス反応」を知る

う.今気になっていることについて観察する

え.喪失 (後悔、自責、サバイバーズギルト)に気づく

お.自己像、自己肯定感、自己受容度に気づく

か.自分の中の「不安」を意識化・言語化する

き.自分のコーピングスタイルを知る

く.自分と相手との優先順位(境界線)と当事者レベルを知る

け.自分のストーリー(解釈・認知)に気づく

こ.回復のストーリーをみつける

さ.試練の中の「意味」について知る

し.再結合・新しい自己の創造

す.回復・再生のためのステップ 

せ.トラウマからの回復・再生のプロセスで体験しうること

そ.トラウマからの回復の三段階

 

ダウンロードは⭕️こちら⭕️よりどうぞ 

 

 

日本人は自分だけが儲かればいいだけではがんばれない民族。世界のために果たすべき意義があってこそ日本本来の力が発揮される

日本人は元々自分たちだけがよければいい、儲かればいい、というようなレベルではがんばれない民族だと思います。日本人という人たちには、より根源的なレベルで自らを奮い立たすことのできる「存在意義」が必要なんじゃないか?

 

8月になって戦争関連のテレビ番組や新聞記事に触れながら、そんな想いを強くしています。

 

そして、この数日である問いが私の頭に浮かび続け、ある種のインスピレーションを受け取っています。

 

それは、なぜ日本はあんな焼け野原から世界第3位の経済大国になるまでの奇跡的な復興を成し遂げることができたのか?という問いです。

 

そして、その問いこそに、この閉塞感で行き詰まりの今の日本を抜けさせてくれるヒントがあるんじゃないか、ということを感じるのです。

 

日本の戦後の復興がいかに奇跡的であるかは、国連で紛争後の復興に関わった時改めて痛感しました。

 

例えば、東ティモールと南スーダンにおいては、国連は紛争の停戦だけでなく、その後の国の独立そして「国づくり」にまで関わりました。

 

特に南スーダンは、アフリカ(世界)最長の紛争からの独立だけあって、独立後の国づくりには、国連だけでなくEUや世界中の学者や政策アドバイザーが、それこそ復興のための最善の政策を考え、国連の活動の中でも特段大きな予算も注目もつけられました。

 

そうした外部の支援があっても、一番肝心なのは当事者たちの意思(特に新しく国づくりを担う国のリーダーたち)であるのは改めて指摘するまでもないのですが、南スーダンでは復興が進んでいないどころか、残念ながら内戦が再発し、以前よりもひどい状態になっています。

 

では、自然災害からの復興はどうでしょうか?

 

2006年12月に発生したスマトラ沖地震の津波で壊滅的な被害を受けたスリランカやインドネシアのアチェを例にとっても、その復興は日本の戦後の復興とはまったく程度が違います。

 

東日本大震災の後に、フィリピンやバングラデシュ、スリランカに出張した際には、「戦後の焼け野原から復興を遂げた日本は私たちにとっての希望。だから復興を応援している」という声をたくさん聞きました。

 

東日本大震災の時に日本が受け取った支援額の総額は個人と組織からの寄付を含め、ソマリアやスーダンの支援額を3倍も超え世界一位でしたが(2011年度)、そこには日本の支援(ODA)に対するお礼だけでなく、戦後の奇跡的な復興への「敬意」とさらなる発展に対する希望という意味合いもあると感じました。

 

日本の戦後の復興の要因としては、高い教育水準(識字率)とモラル、朝鮮戦争による特需や冷戦時代に米軍の傘の下に入りながら経済発展に邁進したこと(軍事・政治面での米国依存に引き換えという構図と引き換えに)などが一般的に挙げられてきましたが、果たしてそれだけで説明になっているのか?という指摘は根強くありました。

 

東日本大震災の時にも、今回の震災からの復興を見ることで(もしそれが再現されたなら)、日本の戦後復興の本質がより明らかになるだろう、と指摘した海外の大学教授の声もありました。

 

官僚主導による東日本大震災の復興は残念ながら成功とは言えませんが、それが逆に日本の閉塞状況を象徴するかのようで、同時に、戦後の復興の「特異性」を改めて際立たせることになったとも言えます。

 

そこで冒頭の質問に戻りますが、あらためて、なにが戦後の日本の奇跡的な復興の原動力となったのでしょうか?

 

今、改めてそこに想いをはせるとき、このような見方もできるのではないかと思うのです。

 

より根源的な原動力としては、なぜあのような戦争をゆるしてしまったのか?という悔しさと戦争・敗戦の屈辱を越えて誇りと尊厳を取り戻したいという大きな想いがあったということ、

 

だからこそ、軍事とはまったく違う力で(日本の場合、経済の力で)世界に尊敬される国として地位を再び確立したい、戦争をしたからこそ今度は平和に貢献できる国になりたい、という想いが根底にあったのではないか?と思うのです。

 

バブル崩壊以降、日本の企業や社会は、ますます内向きになり減っていくばかりの内需(人口)のパイを奪いあっています。

 

それは本当に幸せの道なのか?と確信を持てない人たち、これから何を目指したらいいのか?と違うものを求める人たち産みだしています。

 

日本人は元々自分たちだけがよければいい、もうかればいい、というようなレベルでは立ち動けない・がんばれない民族だと思います。日本人という人たちには、世界の平和というより根源的なレベルの「存在意義」があってこそ、本来の日本の力が引き出され、発揮されるのではないか?と思うのです。

 

もっと言うと、「戦争をしたからこそできる日本の貢献分野」があると思うのです。

 

これまでは、戦争をしたからこそ世界で目立ってはいけないという力学が無意識レベルで作用していたようにも感じます。

 

それが、昨年5月末のオバマ元米国大統領による広島訪問と、謝罪を求めないという広島のそれぞれの決断により、両者の和解と「日本の戦後」が大きく一歩前に進みました。

 

オバマ元米国大統領が広島を訪問して以来、日本での戦争に関する記事やテレビ番組も視点が国内だけでなくより世界へ視野が広がったような印象を受けています。

 

戦争をしたからこそできる日本の貢献分野は何か?

 

日本の強みや弱みは改めて何か?

 

そして、自分の役割は何か?

 

このお盆休みには、あえて視点を広げてそんな大きな問いかけをしてみてもいいんじゃないかな?と思います。

 

素敵なお盆休みを!

国連PKOの幹部経験者たちを突き動かす「原動力」とは?ーこっそり語ってくれた彼らの本音

イスラム圏7ヵ国からの移民の入国禁止令が出たかと思いきや、それが差し止めになったり、就任後わずか1ヵ月で安全保障補佐官が辞任したり──トランプ政権の発足後、信じられないようなニュースが相次ぎ、米国の動揺は世界に波及している。

 

当たり前だと思っていたことが当たり前ではなくなりつつあるいま、それに疑問を持たずに思考停止に陥るとさらなる危機が生じる──1994年に起きたルワンダ大虐殺を例にとり、筆者は警鐘を鳴らす。

 

集合場所はスリランカ最大の都市、コロンボの某米国系ホテルでした。

 

「講師の方は到着後、各自ロビーにてスリランカ軍と合流してください」

 

米軍太平洋司令部から送られてきた書類には、スリランカに到着した後の流れについてはそれしか書かれていませんでした。

 

他に知らされていたのは、これから我々講師4人でチームを組んでスリランカ軍に訓練を実施すること、4人のうち2人は元軍人であること。あとは研修の内容と担当分野ぐらいでした。

 

2012年9月、私は国連がスリランカ軍におこなう平和維持活動(PKO)の訓練で、米軍の専門家という立場で講師を務めることになっていました。

 

そのときのメンバーは米国人のJ、元カナダ軍のB、元マレーシア軍のD、そして日本人の私の4人。全員、すでに国連も軍も離れており、個人の専門家として参加していました。

 

私以外の3人には、ある共通点がありました。全員、国連要員として1994年にルワンダで起きた大虐殺を体験していたのです

 

ルワンダ虐殺のような世界を揺るがす大事件の現場にいた人たちは、いったい何を思ったのか?

 

今回の連載でこのテーマについて書きたいと思ったのは、トランプ政権がイスラム圏7ヵ国の移民入国禁止令を出したと思ったら、それがすぐに差し止めになったから。日々、予測不可能なニュースが報じられる状況に「いままで当たり前だと思っていたことが、当たり前ではなくなる時代がやってくる」と危機感を覚えたからです。

 

トランプ政権の誕生によって、私は「そもそも政府は正しいのだろうか」という疑問を持ちました。

 

政府はこれまで絶対的な存在で、権威や常識、そして私たちが「当たり前」だと思っていることの象徴でもありました。しかしその価値観が、もろくも崩れ去ろうとしています。

 

独立前の東ティモールにいたことがあります。そのときは通貨や法律、中央銀行はおろか政府が存在していませんでした。市場でトマトを買ったときに、3つの貨幣(インドネシアルピー、米ドル、豪ドル)でお釣りが返ってきて、無政府状態であることを実感しました。

 

では、「当たり前」なことが何ひとつ存在しなかったであろう、ルワンダ虐殺の現場にいた人はいったい何を感じたのでしょうか?

 

彼らの経験から、「当たり前のない時代」を生きるヒントを探ってみたいと思います。

 

ルワンダが生んだ絆

 

スリランカでおこなわれた訓練プログラムは、世界的にもよく知られたものでした。そのときの講義では、武装解除、元兵士の社会復帰(DDR)、人道支援、安保理決議や国連PKOの意思決定、演習など幅広い内容を網羅していました。

 

演習では、仮想国のシナリオに基づいて意思決定の過程をシミュレーションします。シナリオの策定には米軍もかかわっており、内容もリベリアやアフガニスタンなど世界中の事例が集約された本格的なものでした。

 

武力で敵を倒して破壊するのは簡単ですが、停戦後、政府や議会などの制度をいちから整えて国の根幹をつくり、復興を支援するためには、軍事だけではない幅広い視点を要します。私たち講師のチームに軍人と文民の両方がいたのは、そのためでした。

 

訓練は、我々講師チームがコロンボのホテルで合流した翌日から始まりました。私たち講師の間には、ずっと一緒に仕事をしてきたようなスムーズなチームワークがすぐにできあがりました。

 

「こんなに心地よく仕事ができるのは、同じ目的を共有しているからだろうか?」などと漠然と考えていましたが、実はもう少し「深い理由」があったことを後になってから知りました。

 

きっかけは、休憩中のおしゃべりでした。講義の内容が各々の過去を刺激するのか、休憩をしていると思い出話が始まることがよくありました。

 

「あのときは車が通れなくて、歩いて川を渡ったよ。もう少し流れが強かったら危なかったなあ。まあ、いま思えば懐かしいけどね」

 

たいていそんな他愛のない話をして、笑ったものです。そして、最後には、カナダ人Bが軍人っぽいちょっとシニカルなジョークを飛ばして終わるのが「定番」になっていました。

 

ある日、ルワンダ大虐殺が話題にのぼりました。誰かが、「あのときは周り一面が死体だらけだった……死体の上にさらに死体……」と言うと、周りのみんなも「そうだね」と静かに頷いていました。

 

 

えっ? みんな、あのときルワンダにいたの?

 

 

驚いていたのは私ただ1人でした。

 

国連やNGOで働いた経験を持つ者同士、それまで何をしていたのかを簡単に聞くことはあっても、長い経歴を持つ彼らに「原体験」について尋ねることはありませんでした。

 

その言葉を聞いたとき、私たちチームをまとめていたものが何なのかがわかったような気がしました。

 

ルワンダでの経験についてはそれ以上詳しくは語られなかったものの、彼ら3人からは揺るぎない決意が感じられたからです。

 

「あんなことを2度と繰り返してはいけない」と。

 

 

「壮絶な悲劇」が平和への問いかけを生んだ

 

ルワンダでは、1994年に人口の80%を占めていたフツ族によるツチ族の大虐殺が起こり、たった3ヵ月の間に50万~100万人が殺されたと言われています。一日に1万人以上が殺される日々が、3ヵ月間以上も続いたのです。

 

大学生のときに見たルワンダ虐殺の写真展のことは、よく覚えています。死体の上にいくつもの死体が重なった写真の数々を目の前にしたとき、それまで漠然と感じていた「どうして?」という疑問が、より強い形で私のなかにはっきりと跡を残しました。

 

「人間をこんなふうにさせてしまう状況はどんなものだったのだろう? 民族が違うというだけで、人はこれほど激しく争うのだろうか?」

 

このときに感じた衝撃と問いによって、私は大学院に進学し、紛争地の現場に向かうことになりました。

 

我々がスリランカで講師を務めていた訓練プログラムをいちから作り上げたのは、ある米軍士官でした。彼もこの虐殺が起きた当時ルワンダに派遣されていて、惨状を現場で目撃していたのです。

 

彼は帰国後の1995年、自ら志願してニューヨークの国連本部 にある平和維持活動局(PKO局)へ出向します。

 

そのときの心境を、次のように語っていました。

 

「とにかく、自分がやらなければならないことが山ほどあると思った。それで帰国後に迷わず国連への出向を申し出たんだ。

 

驚くかもしれないけど、僕がルワンダから戻ってきて国連PKO局に赴任した当初は研修の教材どころか、PKO参加国に対する訓練の基準もなかったんだ。

 

冷戦後、世界には問題が山積みだったのに、当時のPKO局自体がびっくりするくらい小さい部署だったんだよ。だからまず、参加国をまとめるための最低限の基準を構築するのが僕の仕事だと思ったんだ」

 

そして、彼は関係者や各国政府と協議を重ね、その仕事に邁進していきます。

 

冷戦が終結してまだ数年しか経っておらず、国連PKOに理解があったとはいえない時代背景のなかで、彼はその仕事を通じて、国連PKOに対する各国からの信頼とサポートを得ていきました。

 

こうして彼が作ったPKOに関する指針と訓練基準は、190を超える国連加盟国の総意として国連総会で採択されました。いまではこれに基づいた派遣前の訓練が各国で必ずおこなわれるようになり、10ヵ国以上の軍の士官が合同で演習をする多国籍訓練も開催されています。

 

実は、国連PKOの幹部経験者のなかで、ルワンダ、ボスニア、カンボジアなどでなんらかの「原体験」を持つ人は少なくありません。彼らがその体験を語ることはあまりありませんが、現場の惨状を知る者だけが持つ、言葉を超えた信念を感じたことは何度もありました。

 

私が国連PKO局にいたときの軍事顧問は、元オランダ軍の中将でした。彼は、1993年にカンボジアで国連の選挙担当官を務めていた日本人がポルポト派と疑われる民兵に殺害されたとき、地域治安部隊の幹部を務めていた人でした。

 

「あの事件があったからこそ、僕は仕事をやめずに続けなければいけないと思った」

 

彼は私に、そう話してくれました。

 

後に、彼が講師を務めた国連幹部研修に参加する機会がありました。彼はその研修で、これから現場の最前線に立つ人たちに役立てて欲しいと、自分が感じたジレンマも含めてありのままをシェアしていました。

 

そんな人たちと接するとき、「彼らを突き動かす原動力は何なんだろう?」とよく考えていました。突き詰めるうちに、それは使命感というよりは「探求心」に近いものではないかと思うようになりました。

 

なぜ人間は戦争を続けるのか、そして人類はどうしたらそれを防げるのか?

 

言葉にはならなくても、あるレベルにおいては誰のなかにも「人間」という存在に対する原初的な問いがあります。各自それぞれの「なぜ?」に向き合い続ければ、一生をかけてでも解き明かしたい問いや課題、そしてその答えを見つけることができるのでしょう。

 

ルワンダの虐殺から十数年を経て、沈黙し続けた生存者と加害者がはじめて当時の状況や現在の心境を語った『隣人が殺人者に変わる時 和解への道 ルワンダ・ジェノサイドの証言』(ジャン・ハッツフェルド著、かもがわ出版)のなかにこういう記述があります。

 

「俺たちは仲間にバカにされたり、非難されたりするよりも、マチェーテ(ナタ)を手に取った方が楽なことに気づいた。

 

(中略)

ある日を境に、僕は使い慣れたマチェーテを手に、隣人の虐殺を始めた。家畜を屠殺するように淡々と。

 

(中略)

 

旧政権はジェノサイドを命じ、市民はそれに従った。新政権は赦せというから、今度はそれに従っている」

 

これらの発言からは、政権の指示や同調圧力に疑問を持つのを止めると、普通の人の集団が100万人もの人を容易に殺してしまうのだということがうかがえます。

 

最近の事件でいえば、南スーダンが挙げられます。2016年12月と2017年2月に続けて、国連は同国で「大虐殺が起きる恐れがある」という警告を出しています。

 

なぜ、人間は戦争を続けるのか? まだその問いは続いているのです。

 

「当たり前」だったことがもはや当たり前でなくなりつつある時代において、自分で考えることをやめることが最も危険です。

 

 

誰が何と言おうと、自分の人生を生きるのは自分です。

 

自分に対する最終的な決定権を持つのは、自分だけなのです。

 

いまこそ、自分にとっての「なぜ?」を取り戻すときなのではないでしょうか。

 

クーリエジャポン2017年3月3日掲載

イスラム圏の男性の本音ー男性も「本当はもっと自由に女性と接っしたい」

先日、国際女性の日(3月8日)にアフガニスタン人の元同僚の男性からメッセージをもらいました。

 

「国際女性の日おめでとう!全ての女性に祝福を」

 

日本ではあまり耳にしませんが、海外では、3月8日は International Women’s Dayとして知られ、A Happy International Women’s Day!という挨拶が交わされることもあります。

 

この起源は、1904年3月8日にニューヨークで、働く女性たちが婦人参政権を要求してデモを起こし、その後、ドイツの女性たちなどから「女性の政治的参加と平等」のための記念の日にしようという世界的なムーブメントが動きがあったことがきっかけとされています。

 

オックスフォード大学しかり、ウィーンフィル管弦楽団しかり、世界的な歴史を持つ組織が、女性にもより平等に門戸を開き始めたのは70年代、そしてその数が増えてきたのはほんとうにこの20年くらのことです。

 

私自身も南スーダンといった紛争が起きていた国で働いてきましたが、現場では軍人の人たちと一緒に働くことも多く、同じチームの中で女性一人の時もありました。

 

そして、その中にはイスラム圏の人たちもたくさんいました。

 

その人たちの何人かと友達になった中で、彼らもほんとうは女性ともっと自由に接したいし、女性にもっと自由になってもらいたいんじゃないか?と思ったことがあります。

 

 

イスラム圏では、社会的に男女の役割や規範が細かく決められています。

 

例えば、女性は男性が一緒に食事をしない、

女性は学校に行かなくていいとされたりする地域もあり、

女性の地位はまだまだ厳しい状況にあります。

 

以前、バングラデシュ軍で国連の平和維持活動に関する訓練の講師を務めていた時、ジェンダーについての講義を担当することがありました。

 

国連の平和維持活動に関するトレーニングには国連が規定した全世界共通の項目があり、そのうちの一つがジェンダーなのです。

 

世界の半分は女性。

 

そして紛争地で真っ先に影響を受けるのは女性や子供たちです。

 

彼らが派遣先の国の治安を守るという重要な仕事を果たす上で、

女性がどのようなチャレンジに直面するものなのかを理解するという意図でした。

 

ただ、派遣先はイスラム圏。

ましてや相手は軍人。

 

ジェンダーの話しがどこまで通じるんだろう???

どこまで耳を傾けてくれるんだろうか?

 

 

正直、はじめは懐疑的でした。

 

まずジェンダーという概念について説明しました。

 

「『男女の役割』というのは文化的、社会的に規定されているものです。

男女の役割は社会の変化や世代を経て変わることもあります。」

 

 

 

すると、と手があがりました。

 

「世代で変わることもあるってどういう意味ですか?」という質問でした。

 

単純に、バングラデシュではちょっと想像がつきにくいのですが。。。?!

そんなニュアンスが伝わってきました。

 

こんな説明をしました。

 

「私の祖母は沖縄の片田舎に生まれました。その村で子どもを8人育てました。

その娘(私の母)は戦後、その片田舎に生まれながら、

船と電車に乗って東京にやってききました。

 

働き始めて数年後に男女雇用機会均等法が制定され、当時としては珍しかった女性のフルタイムのプロフェッショナルとして定年まで働きました。

 

孫(私)は国連に入り、ニューヨーク本部や南スーダンで働きました。

最近、ひ孫(姪っ子)が誕生しました。

彼女はとても活発なので南スーダンでは飽き足らず宇宙へ行ってしまうかもしれません。」

 

最後に笑いがおきたので通じたようです。

 

バングラデシュでは女性のトイレがあまり整備されていなく、バスに乗る時などは女性が何時間もトイレを我慢することを知って、ショックを受けた話しもしました。

 

紛争の前線を経験してきた人も含め、現役の軍人ばかりでしたが、親身に耳を傾けてくれました。

 

講義の後、彼らのうちの何人かが私のところに来てこう伝えてくれました。

「実はずっとこういう話しをしたいと思ってたんです」と。

新鮮な驚きでした。

 

 

南スーダンにいた時には、パキスタン軍の人たちと仲良くなり、よく一緒にご飯を食べていました。

 

 

パキスタンという国は社会・文化的に男尊女卑であるばかりか、軍人という立場もあって、母国で女性と普通におしゃべりすることはほとんどないようです。

 

私は軍人でもないし、まったくの個人同士の付き合いです。

 

自然と冗談を言い合ったりすることもあります。それは私にとって当たり前のことだったのですが、あちらにとっては当たり前じゃなかったのでしょう。

 

当たり前ながら彼らも普通の人間。

やっぱり、冗談を言い合ったり、ツッコミを入れたくなることもありますよね。

 

そんなたわいもないことが、こちらが想像する以上にとても楽しかったようなのです。

 

 

イスラム圏の男尊女卑と言われている社会でさえ、

個人的には必ずしもそれでいいと思っているわけではなく、

男性自身、本当はもっと自由に女性と接っしたいー

しかも、女性にもっと自由であって欲しいと思っている(!)

そう思っている人は実はけっこう多いんじゃないか?

 

この体験からそう思っています。

2017年に「感受性」を強みとして発揮するために知っておく《5つのポイント》

2017年から「新しい流れ」が始まるようです。

 

新しい時代においては、自分の強みや才能を知っていることがより重要になってきますが、その中でも、これまではあまり「強み」として捉えられてこなかったような特性がより重宝されていくように思います。

 

 

その一つは「感受性」です。

 

このシリーズでは、「感受性の高い」人の強みとチャレンジ、そして、そういうタイプの人が自分の特性を強みとして活かすために知っておくべきポイントをお伝えしていきます。

 

私のところにセッションに来られる方の中には、「感受性」が強く、エネルギー的に繊細 (sensitive)なタイプの方が多くいらっしゃいます。

 

ここで言う「繊細な」という意味は、その人の「構造」というか「つくり」というか、特性が繊細であるという意味であって、「ナイーブ」であるとも「弱い」という意味とも違います。

 

別の言い方をすると、感じ取る能力が高い人、共感能力の高い人たちです。

 

「繊細」とだけを聞くと、「競争社会」の基準からすると「弱み」のように聞こえるかも知れませんが、これからの時代、「感受性が高い」ということは「大きな武器」となっていくことでしょう。

 

 

では、「感受性」が高いことの「強み」とは例えばどういうものでしょうか?

 

例えば、相手が伝える1の情報から、その何十倍もの情報を読み取る能力です。または、より大きな全体像をつかむ能力です。

 

これは、「洞察力」(insight)と呼ばれます。

 

例えば、この人は、言葉ではこう言っているけど、その人の本心はいったい何なんだろう?または、「このミーティングで部長はこう言っているけど、どうも他の人たちはしらけてるなあ。みんなの本心はいったい何なんだろう?

 

今、会議で起きていることやこの組織全体で起きていることは何だろう?」といったより深層の部分が「分かる」能力です。

 

 

これは、人と関わる仕事、交渉や仲裁、ファシリテーション、リーダーシップといった分野で大きな力になります。

 

または、一つのニュースからより大きな流れを読む能力です。

 

例えば、私にとっても紛争地の現場でこの力が大きな助けとなりました。

 

例えば、南スーダンのような紛争地では、この先数ヶ月、政情がどうなるのか分からないというような環境に置かれます。

 

そのような環境の中で、国連のスタッフは、いろんな人に会って情報収集をし、分析を加え、あり得るシナリオなどを考えながら、それぞれの場合どう対処したらいいかを決定していきます。

 

私は、そういう地で仕事をする人として、いろいろな人に会って生の情報(感覚)を得て、この先の流れを掴んでおくことは、決定的に大事なことだと本能的に感じていたので、できるだけそういう時間を意識的にとっていました。

 

なので、新しいニュースがあったり、政情的に何かが起こっても、「ああ、これはこれ以上『大事』にはならないな」とか「今回はちょっとヤバい」とか、ある程度流れが読めたり、予測がついたりしました。

 

私にとってはあまりに自然にやっていたことだったのですが、

 

えっ?!、みんな気づいてないの?!!!

 

と逆にびっくりしたこともあって、「ああ、これは知らせなきゃいけない」じゃないけど、正式な職務の一部であるかどうかは関係なく、分析レポートを書いて重宝されたこともありました。

 

そして、私の分析が全体像を掴んでいた、先を見越していた、ということが実際にありました。

 

同じ街にいながら、同じ国にいながら、同じ人に会いながら、同じ情報を耳にしながら、その人が導き出す結論や分析はまったく人それそれでした。

 

断片的な情報から、全体像を「掴んでいく」能力はまさに大きな才能なのです。

 

こういう場合の「分かる」能力は、ロジカルシンキング的に一生懸命考えてたどり着く結論というよりは、感覚的に「わかる」という種類のものです。

 

私の場合、この能力が、今ではどう発揮されているかと言うと、例えば、カウンセラーとしてある方の相談内容について聴いている時に、その方が言わんとしていることの全体像や課題の根っこの部分が「パッと」把握できる能力です。

 

もちろん、いくつか質問をして、課題を探ったり、それを確認してきますが、その能力は高い方だと思います。

 

また、いくつかのニュースの断片を合わせていって、大きな流れやより大きな全体像をつかめることです。

 

私はクーリエジャポンという媒体で連載記事を持っていますが、2016年8月3日付けの記事 Vol.3 大仲千華「答えを求めない勇気」で英国のEU離脱について書いたことが、今回の米国大統領選挙にもそのまま「当てはまる」ので自分でも少しびっくりしました。

 

Beautiful landscape
Beautiful landscape

 

 

また、「感受性が高い」ということは、「エネルギーを伝達できる能力」にも繋がるので、スピーチや文章を書くなどなんらかの表現をする人にとって大きな力になります。

 

その人が感動したことについて伝えようと思うと、その感動のエネルギーが文章なりを通じて相手に伝達されるからです。

 

私はずいぶん長い間スピーチが苦手だと思っていて、自分がスピーチが上手だと思ったことはなかったのですが、南スーダンの紛争地の現場にいる時、私が話し始めると、それまでしらけていた参加者が耳を傾け始めるということを体験することがありました。

 

南スーダン政府との会合で、

南スーダン人民解放軍の人たちと一緒にいる時、

スタッフミーティング等々で、

 

 

相手がこちらに耳を傾けるのが分かり、上司や他の人たちから「Chikaのスピーチすごくよかったよ」と言われることがあると、嬉しいのだけど、

 

 

「えっ??、はて、私はいつからスピーチが上手になったんだっけか??」と、当人としては「狐につままれる」ように感じたこともありました。

 

 

当時の南スーダンの状況は

(今でもそうですが)、紛争が再発する要因もいくらでもある。

独立できるかどうかも分からない状況。

 

 

 

そんな真剣勝負みたいな日々だったので、

 

「たった今私がこの場でここにいる人たちに届けられる一言は何だろう?」と、私なりに必死に考え、何かを真剣に伝えようとしていた気持ちが相手に伝わったのだと思います。

 

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⬆️国連のスタッフデー@南スーダンにて。

民族衣装を着て来たエチオピア人の同僚と一緒に

 

多国籍チームのリーダーに抜擢されてからは、政府やNGOとのミーティングでも「国連代表」として一言求められたり、視察とか出張先で一言求められるなど、その状況もよりフォーマルになっていきましたが、

 

私はそんな体験を経て、「かっこよく話す」ことも、「国連職員とはこうあるべき」もやめて、誠意を持ってハートから話すことの方が効果的だということを学んでいったのでした。

 

最近のコミュニケーションに関する研究では、言葉や文字として伝わるのは10%以下(またはもっと低い)ということが言われています。

 

今では、文章を書く時でも、言葉を超えて全体のエネルギーとして何を伝えたいのか、ということに意識を置いています。

 

だとするならば、言葉を超えて、全体のエネルギーを伝えることができる能力とは、まさに「繊細さ」や「感じ取る能力」「感受性」の大きな強みなのです。

 

 

こうした能力が開花すると、

 

人に教えること、講師、執筆、ダンス、デザイン、演劇、絵を描く、歌を歌う、音楽、イラスト、建築、彫刻、織物、アスリートなどー

 

そういうタイプの人たちの、自分の中から「湧きでるもの」を表現する意欲、そしてそのベストを追求する「内なる意欲」はもともと強いので、それが助けとなり、それがどんな分野であっても、自分の表現や作品は自然と高い水準に達していきます。

 

 

「感受性」「繊細さ」や「感じ取る能力」を自分の強みとして成功している有名人としては、例えばこのような人たちが挙げられています。

 

スティーブン・スピルバーグ

メリル・ストリープ

アガサ・クリスティーン

アルバート・アインシュタイン

エリザベス・キュープラ・ロス

デール・カーネギー

などです。

 

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Dan Millman ‘The life you were born to live: A guide to finding your life purpose’ p.242より

邦題 ダン・ミルマン「「魂の目的」ソウルナビゲーション―あなたは何をするために生まれてきたのか」より

 

 

ただ、どんな人にとっても、その人の強みとチャレンジは「表裏一体」であるように、そういうタイプならではチャレンジもあります。

 

では、こういうタイプの人たちが、その「感受性」「繊細さ」や「感じ取る能力」を才能として「開花」するためにはどんな事が役に立つのでしょうか?

 

次回に続く。

グーグルと国連で求められる究極の「訓練」②

グーグルと国連で求められる究極の「訓練」①

 

認知の力を鍛える方法の1つは、脳の機能を踏まえた上で、自分の思考や見方を、いい・悪いといった評価や判断をくだすことなく、「第三者の目」で観察することです。

メンが勧めているのは、毎日2分間、ただ頭に浮かぶことをありのままに浮かび上がらせる練習です。この意図は、自分のなかで自動的に発生する思考に、より意識的になることです。それによって、自分の思考とそれに対する反応の間にあるギャップに気付くことができます。

認知の力を鍛える次のステップは、相手の視点に立って同じ状況を眺めることです。ある状況に対して、自分の視点だけではなく、他者の視点から俯瞰できるようになると、文字通り視野が広がり、対処できる選択肢の幅が広がるからです。

 

この認知のプロセスを、メンはエンジニアらしくこう表現しています。

「自己統制が上手くなるのは、復元メカニズムをアップグレードするようなものだ。問題が発生した後、システムがどう復元するかを把握していれば、問題が起きたとしても落ち着いていられる」と。

 

グーグルは、先入観や偏見にとらわれない見方ができることは、仕事における生産性・創造性に影響する、そして、すばらしいリーダーシップを発揮するための鍵だと考えているのです。

 

グーグルでは、この自己認識力を高めるため、「相手は私とまったく同じ人間」と考える練習をするそうです。

 

メンは言います。「私たちは、相手のことを、顧客や部長、交渉係ではなく、ひとりの人間だと気づかなければならない。相手も私とまったく同じ人間だ。そう思えれば、どんな場面でも信頼構築のための下地が作られるだろう。難しい状況ではとくにそうだ。」

 

たしかに、こちらが相手に対してなんらかのネガティブな印象や見方を持っていると、たとえ言葉にしなくても、相手との距離や抵抗を生むものです。人はそうしたこちらの態度を感じ取るからです。

 

私自身、内戦を戦った軍隊の人たちとの関わりを通じて、相手を同じ人間だと見れるかどうかが、仕事の結果を左右するくらいに重要だったと痛感した体験があります。

2012年、私は米軍の専門家として、国連の平和維持活動(PKO)に参加するアジアの軍隊に派遣され、国連PKOに関する研修の講師を務めるという仕事をしていました。

 

派遣先の一つはスリランカ軍だったのですが、打診を受けた時、私の頭にまっ先に浮かんだのは「えっ、あのスリランカ軍?!」でした。スリランカと言えば、シンハラ系住民とタミル系住民との間で26年にも渡って内戦が続き、「タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)」による爆破テロが日常茶飯事だった所です。

 

⬆️ 首都コロンボからインド洋を眺める。内戦中にはこの道路沿いにいくつもの関門があったが、内戦が終わって市民が自由に散歩できるようになった。

 

スリランカ軍もLTTEへの弾圧を強め、反対派を黙らせるための拉致(強制失踪)の数は世界一とも言われました。2008年にはLTTEの拠点を続々と攻略。内戦の最終局面では、追い詰められたLTTEが、北部の半島で身動きが取れなくなった33万人の一般市民を「人間の盾」にとり必死の抵抗を試みる中で、軍は圧倒的な武力で制圧を敢行します。(数字は国連事務総長専門家パネル発表)

 

結果、双方によって一般市民が巻き添えになる形で殺され、内戦終結前の5ヶ月間だけで4万人以上もの死者を出す結末となりました。軍は、市民の巻き添えをゆるしただけでなく、その間の人道援助の輸送を妨害し、病院を意図的に攻撃するなど「人道に対する罪」を国連などから追及されている「張本人」だったのです。

 

私自身、内戦中のスリランカを訪れたこともあり、自分が数時間前に車で通ったばかりの幹線道路上で爆破テロがあったことを知ったこともあれば、爆破テロで燃やされたバスの残骸を見たこともあり、スリランカ内戦の「重さ」については少しは分かっているつもりでした。

 

さすがに数日迷ったものの、結局引き受けようと思ったのは、そうしたことも含め、内戦が終わった後のスリランカの状況を、自分の目でありのままに見てみたいという気持ちでした。

 

研修で私が担当することになっていたテーマに関するリサーチやプレゼンの準備は進めていたものの、私がなによりも決定的に重要だと感じていたのは、直接的にも間接的にも何万人もの人たちを殺したかも知れない人たちに対して向き合うことができるかという私の中の「心の準備」でした。

 

 

 

内戦を戦ってきた軍人を相手に私はいったい何を伝えることができるんだろう?

私の役割はいったい何だろう?

 

それに対する答えはすぐには出なかったけれども、そのためにも、まず私は彼らのことを理解しなければならないーそれに対しては強い確信がありました。

 

軍人であることを職業にするってどういう事なんだろう?

もし私が制圧に関わった一人だとしたら今どういう気持ちなんだろう?

本当に紛争が終わるってどういう事なんだろう?

 

私は出発までそんなことを思い巡らせていました。

 

こうした「心の準備」が功を奏してか、スリランカに到着し、スリランカ軍の施設に移動しても私は落ち着いていました。

 

首都のコロンボでは、紛争が終わった街の活気と開放感を感じながら、「ああ、紛争が終わるってこういうことなんだあ」、とインド洋を眺めながらしばらく感慨にふけっていました。

 

そして、軍や政府、街の人たちなどと接していく中で、リアルに迫ってくる感覚があるのを感じていました。

 

それは、あえて言葉にするならば、「もう戦争はたくさん」「なぜこの内戦をゆるしてしまったのだろう」という、軍やLTTE、シンハラ系、タミル系といったものを超えた、あたかも社会全体を覆っているかのような圧倒的な葛藤と苦しみでした。

 

その葛藤と苦しみを感じた時、相手が軍服を着てようが、大佐だろうが、ただ苦しみを持った人間にしか見えなくなったのです。

 

こちら側のそうした態度が伝わったのか、研修は順調に進みました。スリランカ軍の参加者が個人的な体験を話し始めるなど、国連や外部の立ち入りや調査団を何度も拒否してきたスリランカ政府の歴史から考えても、驚くような展開もありました。

 

まさに「相手を同じ人間として見る」という力を感じた瞬間でした。

 

「この人は私とまったく同じで、体と心をもっている。

この人は私とまったく同じで、悲しかったり、怒ったり、傷ついている。

この人は私とまったく同じで、苦しみから解放されたいと願っている。」

 

 

これは、仏教の「慈悲」(compassion)の教えを基にグーグルで実践されている瞑想の一つだそうです。

 

 

当時私はこの言葉は知りませんでしたが、私がスリランカで感じた心境を表しているように感じます。

 

 

アリストテレスは言います。「ある考えに賛同することなく、それについて認識できることは学識ある心のしるしだ」

 

 

老子は言いました。「『慈悲』を持つものは、あらゆる戦いに勝利し、どんな敵に攻められても必ず守りきる。『慈悲』を持つものなら、常に勝者となる。」

 

グーグルで実践されていることも、紛争地で求められていることも究極的な意味では同じなのかも知れません。

 

どんな人でも「同じ人間」として見れるようになることは大きな「武器」になるのです。

 

 

⬆️ 慈悲のマントラをマレーシアの歌姫Imee Ooiの歌声にのせて

【メディア掲載】時代の転換期ー世界情勢の異変の背景にあるものとは?

頻発するテロ、世界的なポピュリズムの台頭、ナショナリズムー

 

いったい私たちは今何を理解することが求められているのでしょうか?

 

いま世界中で起きているこうした異変の背景には「恐怖に対する無自覚」があります。

 

いままで対峙したことのない「恐怖」に出会ったとき、我々はどう向き合うべきなのか? 

人間はチンパンジーに退化するのか?それとも??

 

 

クーリエジャポンでの連載「答えを求めない勇気」の第三回目の記事が配信されました!

 

「答えを求めない勇気」大仲千華 Vol.3 「チンパンジー化」が進む地球の上で、未知の恐怖に打ち勝つ方法

 

ご一読いただけましたら幸いです。