「自分の軸で生きる練習ーオックスフォード・国連で学んだ答えのない時代の思考法」上梓のお知らせ

さて、この度大和書房より「自分の軸で生きる練習~オックスフォード・国連で学んだ答えのない時代の思考法」を上梓させていただきましたのでお知らせさせていただきます。

 

https://www.amazon.co.jp/自分の軸で生きる練習~オックスフォード・国連で学んだ答えのない時代の思考法-大仲千華-ebook/dp/B088ZR7FB8/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=カタカナ&dchild=1&keywords=自分の軸&qid=1591106362&sr=8-1

 

2016年よりクーリエジャポン(講談社)で「答えを求めない勇気」を連載をさせていただいてから、今思えば変化の時代(不確実性の高い時代)の兆候がすでに始まり、そのための考え方やメンタリティーを考え、文字にするということが当時からすでに始まっていたのだと今思い始めています。

 

当時連載させていただいたものも再構成されてこの本に再編されていますが、この時代になって全体像ができ内容がより活きていると感じています。そういう意味でも、このテーマで刊行するには今がベストタイミングだったようです。

 

個人的には、南スーダンという国を体験させてもらった者として、南スーダンでの日々から学んだことを還元する手段の一つとして、ようやく一つの形にすることができ(変な言い方かも知れませんが)、少しホッとしています。

 

今回、コロナやそれに関連することでいろいろな意味で揺さぶりが起きていますが、南スーダンという国は、私にとって(そこを訪れるほとんどの外国人にとって)まさに人を揺さぶる国でした。

 

人の生死を目の前にして(目の前で人が死んでいくという意味ではありませんが、死がより身近にある環境において)、やはりいろいろなものを突きつけられます。

 

それこそが今思えば、とても豊かな大きな恵みであったと感じています。

 

南スーダン後は、コーチングに携わり、大学で教え、若い人たちに触れることも多いので、学校や試験といった一部分での評価基準だけで自分を評価しないで欲しい、もっと全体的に自分の価値を捉えて欲しいという願いも含まれています。

 

直接的には、南スーダンについて書いているわけではありませんが、南スーダンでの熱い格闘の日々?!から得たものが、手に取る人になんらかの形で伝わるのではないか思っています。

 

「これまで生きてきたことに対する答えらしきものがみつかって一人で興奮しました。」

「本なのになぜか大仲さんのパワーが伝わってきて不思議でした。」

「清々しい読了感を感じています。」

「子どもに読ませたいです。古本屋には回せないだろうなと思っています。」等、励まされたという感想をいただいています。感謝です。

 

自分の軸で生きる練習pic

 

以下紹介です。

 

私たちは今「答えのない時代」を生きています。国際情勢から為替の変動、未知のウイルスなど、一つ一つの出来事が複雑に影響し合い、思わぬ方向に発展するような事態も発生しています。このような状況においては、すべての問題を解決できる唯一無二の答えは存在しません。

 

では、「答えのない時代」を生きる私たちにとって大切になるのはどのようなことでしょうか?その一つは、現状と課題を理解するための視点と、さらに、自分にとって必要な答えを導き出すための考えるステップ(思考プロセス)を修得し、そのためのメンタリティーを身につけることです。

 

一見複雑に見える現象や新しいテーマであっても、自ら調べ、一つ一つ分かる範囲が増えていき、自分の中での理解が深まっていくにつれ、これまでは分からなかったことが確実にわかるようになっていきます。

 

自ら答えを導き出し、「わかっていく」体験は、確実に自信となり、人生においても大きな力となってくれることでしょう。(第1章自分の頭で考えるより)

 

全ての状況が今すぐ解明、解決されるわけでもなく、仮に、動きたくても今すぐに動けるような状況ではない、というようなもどかしい状況であったとしても、⭕️⭕️⭕️の3つがわかっていれば、日々の情報や外部の状況に圧倒されることなく、より落ち着いて考え、判断をすることができるようになるはずです。(第1章自分の頭で考える p.58)

 

がんばってものすごい努力をして倍率5,000倍から10,000倍の倍率を勝ち取る道もあるのだろうけれども、⭕️⭕️によって、拓ける道があるのです。(第2章ブレない自信をつかみとる p.133-134より)

 

世の中には競争は選考というものが存在します。適材を見極めるための方法や選ぶ過程自体がまったく完璧でない場合もあります。自分が選ばれる場合もあれば選ばれない場合もあります。自分のメンタルやパフォーマンスのためにも、⭕️⭕️が自分のためになることがあります。(第2章ブレない自信をつかみとる p.143より)

 

強みや能力というと、学校教育の影響を受けた私たちの中には大きな誤解があって、学校教育や試験というたった一つの狭い指標で自分の能力を判断しがちです。

 

ただ、その人の独自性、人生の方向性、目的というのは、その人の経験や視点、感じ方など全てを含めたより全体的なものです。その中でも「資源」となるのは⭕️⭕️です。(第3章 決める力を養う p.174-175より)

 

自分の軸で生きる練習pic

 

自分の軸で生きる練習~オックスフォード・国連で学んだ答えのない時代の思考法

2020東京五輪ホスト国として知っておきたいことー1964年東京五輪から2016年リオ五輪参加国はなぜ2倍になってるのか?

1964年東京オリンピック参加国はいくつでしょうか?

なぜリオではおよそ2倍になってるのしょう❓

1964年から2016年の間に何がおこったのでしょうか?

 

国連加盟国よりもリオ五輪参加国が多いのはなぜでしょうか❓

 

東京オリンピック vs リオ五輪.001

 

まず先に答えをお伝えします。

 

1964年東京オリンピック参加国は=94

2018年国連加盟国数=193

2016年リオデジャネイロオリンピック参加国=207です。

 

リオ五輪参加国がおよそ2倍以上になっているのは、1964年当時アフリカは多くの国がまだ「植民地」だったからです。

 

まだ独立国として東京五輪に参加できていなかったからです。

 

zambia

 

「1964年10月24日、東京五輪閉会式の日、アフリカのザンビア共和国は独立した。
開会式とは違った新国旗を持って、残留したたった一人の選手が、誇りたかく入場行進してきた。満員の観覧席からは、精一杯の拍手が送られた。」 吹浦忠正(ユーラシア21研究所理事長)「新・徒然草」より

 

当時の読売新聞にはこうあります。

 

「ザンビアのプラカードと旗手が入場し、最後に開催国日本の旗手・小野喬(体操)が入場した直後、各国の選手たちが一丸となって入り混じり、互いに手を握り、肩を叩き、抱き合い、踊りながら入場してきた。そして、すぐさま追いついた、日本とザンビアの旗手を肩車にして担ぎ上げた。」

 

1964年東京五輪は、敗戦後の悔しさから日本が国際社会への復帰をアピールする機会だと捉えられました。

 

では当時参加する人たちにとって1964年東京五輪はどんな機会だったのでしょうか?

 

アメリカの選手団もほとんどが白人選手です。まだ人種差別が公然と行われていた時代でした。

 

「平和の祭典」と言っても、世界の半分も参加していないということになりますね。

 

では2020年東京五輪に参加する人たちにとって、五輪というのはどういう場なのでしょうか?2020年五輪には国籍のない人たちや「難民」と呼ばれている人たちも参加できるのでしょうか?

 

ほんとうの意味での「平和の祭典」にするには、ホスト国として「私たちの視点」だけでなく、「彼らの視点」も持ちたいものです。

 

さて、中学校の総合的な学習の時間ではそんなお話しもしました。

 

なにより、国連の現場で見て感じたことをそのまま伝えることを一番大切にしています。

 

専門用語は使わず、わかりやすく心に届くようにお話しします。

 

「世界のことをもっと知りたいです!」
「勇気をもらいました!」

 

本何十冊読んでもピンとこなかったことが、腑に落ちる、

世界の最前線の現場の生の声に触れることで、もっと知りたいと思うようになったーそのような感想をいただいています。

 

他にはこのような感想をいただいています。

 

「答えを提示するわけでもない」という言葉に触れて、「自分の考えが間違いでも答えが一つだけではないと教えてもらい、私の支えとなりました。」

 

「私が使っている教科書には、紛争が起こる原因として宗教の違いと書かれて、私もそうだとずっと思っていました。でも、大仲さんのお話しの中で、ケニアの難民キャンプでは宗教が違くても普通に暮らしていたと伺いました。それを聞いて、紛争が終わらない理由は、みんなが宗教の違いが原因だと思い込んでいるからだと思いました。」

 

「一番印象に残っているのは、『大人になったら答えのない問題に立ち向かわないといけなくなる。だから、学生のうちから答えのない問いに立ち向かっていく勇気を持つことが大切』というお話しです。これからはこのことを意識して生活していきたいと思います。」

 

「現代社会の先端を生きる大仲様の話しはとてもおもしろかったです。」(笑)

 

九段中感想①.jpg

 

詳細はこちら➡️goo.gl/stsivZ

 

どうぞご連絡ください。

たくさんの人にお話しできることを願っています!

 

日本人は自分だけが儲かればいいだけではがんばれない民族。世界のために果たすべき意義があってこそ日本本来の力が発揮される

日本人は元々自分たちだけがよければいい、儲かればいい、というようなレベルではがんばれない民族だと思います。日本人という人たちには、より根源的なレベルで自らを奮い立たすことのできる「存在意義」が必要なんじゃないか?

 

8月になって戦争関連のテレビ番組や新聞記事に触れながら、そんな想いを強くしています。

 

そして、この数日である問いが私の頭に浮かび続け、ある種のインスピレーションを受け取っています。

 

それは、なぜ日本はあんな焼け野原から世界第3位の経済大国になるまでの奇跡的な復興を成し遂げることができたのか?という問いです。

 

そして、その問いこそに、この閉塞感で行き詰まりの今の日本を抜けさせてくれるヒントがあるんじゃないか、ということを感じるのです。

 

日本の戦後の復興がいかに奇跡的であるかは、国連で紛争後の復興に関わった時改めて痛感しました。

 

例えば、東ティモールと南スーダンにおいては、国連は紛争の停戦だけでなく、その後の国の独立そして「国づくり」にまで関わりました。

 

特に南スーダンは、アフリカ(世界)最長の紛争からの独立だけあって、独立後の国づくりには、国連だけでなくEUや世界中の学者や政策アドバイザーが、それこそ復興のための最善の政策を考え、国連の活動の中でも特段大きな予算も注目もつけられました。

 

そうした外部の支援があっても、一番肝心なのは当事者たちの意思(特に新しく国づくりを担う国のリーダーたち)であるのは改めて指摘するまでもないのですが、南スーダンでは復興が進んでいないどころか、残念ながら内戦が再発し、以前よりもひどい状態になっています。

 

では、自然災害からの復興はどうでしょうか?

 

2006年12月に発生したスマトラ沖地震の津波で壊滅的な被害を受けたスリランカやインドネシアのアチェを例にとっても、その復興は日本の戦後の復興とはまったく程度が違います。

 

東日本大震災の後に、フィリピンやバングラデシュ、スリランカに出張した際には、「戦後の焼け野原から復興を遂げた日本は私たちにとっての希望。だから復興を応援している」という声をたくさん聞きました。

 

東日本大震災の時に日本が受け取った支援額の総額は個人と組織からの寄付を含め、ソマリアやスーダンの支援額を3倍も超え世界一位でしたが(2011年度)、そこには日本の支援(ODA)に対するお礼だけでなく、戦後の奇跡的な復興への「敬意」とさらなる発展に対する希望という意味合いもあると感じました。

 

日本の戦後の復興の要因としては、高い教育水準(識字率)とモラル、朝鮮戦争による特需や冷戦時代に米軍の傘の下に入りながら経済発展に邁進したこと(軍事・政治面での米国依存に引き換えという構図と引き換えに)などが一般的に挙げられてきましたが、果たしてそれだけで説明になっているのか?という指摘は根強くありました。

 

東日本大震災の時にも、今回の震災からの復興を見ることで(もしそれが再現されたなら)、日本の戦後復興の本質がより明らかになるだろう、と指摘した海外の大学教授の声もありました。

 

官僚主導による東日本大震災の復興は残念ながら成功とは言えませんが、それが逆に日本の閉塞状況を象徴するかのようで、同時に、戦後の復興の「特異性」を改めて際立たせることになったとも言えます。

 

そこで冒頭の質問に戻りますが、あらためて、なにが戦後の日本の奇跡的な復興の原動力となったのでしょうか?

 

今、改めてそこに想いをはせるとき、このような見方もできるのではないかと思うのです。

 

より根源的な原動力としては、なぜあのような戦争をゆるしてしまったのか?という悔しさと戦争・敗戦の屈辱を越えて誇りと尊厳を取り戻したいという大きな想いがあったということ、

 

だからこそ、軍事とはまったく違う力で(日本の場合、経済の力で)世界に尊敬される国として地位を再び確立したい、戦争をしたからこそ今度は平和に貢献できる国になりたい、という想いが根底にあったのではないか?と思うのです。

 

バブル崩壊以降、日本の企業や社会は、ますます内向きになり減っていくばかりの内需(人口)のパイを奪いあっています。

 

それは本当に幸せの道なのか?と確信を持てない人たち、これから何を目指したらいいのか?と違うものを求める人たち産みだしています。

 

日本人は元々自分たちだけがよければいい、もうかればいい、というようなレベルでは立ち動けない・がんばれない民族だと思います。日本人という人たちには、世界の平和というより根源的なレベルの「存在意義」があってこそ、本来の日本の力が引き出され、発揮されるのではないか?と思うのです。

 

もっと言うと、「戦争をしたからこそできる日本の貢献分野」があると思うのです。

 

これまでは、戦争をしたからこそ世界で目立ってはいけないという力学が無意識レベルで作用していたようにも感じます。

 

それが、昨年5月末のオバマ元米国大統領による広島訪問と、謝罪を求めないという広島のそれぞれの決断により、両者の和解と「日本の戦後」が大きく一歩前に進みました。

 

オバマ元米国大統領が広島を訪問して以来、日本での戦争に関する記事やテレビ番組も視点が国内だけでなくより世界へ視野が広がったような印象を受けています。

 

戦争をしたからこそできる日本の貢献分野は何か?

 

日本の強みや弱みは改めて何か?

 

そして、自分の役割は何か?

 

このお盆休みには、あえて視点を広げてそんな大きな問いかけをしてみてもいいんじゃないかな?と思います。

 

素敵なお盆休みを!

イスラム圏の男性の本音ー男性も「本当はもっと自由に女性と接っしたい」

先日、国際女性の日(3月8日)にアフガニスタン人の元同僚の男性からメッセージをもらいました。

 

「国際女性の日おめでとう!全ての女性に祝福を」

 

日本ではあまり耳にしませんが、海外では、3月8日は International Women’s Dayとして知られ、A Happy International Women’s Day!という挨拶が交わされることもあります。

 

この起源は、1904年3月8日にニューヨークで、働く女性たちが婦人参政権を要求してデモを起こし、その後、ドイツの女性たちなどから「女性の政治的参加と平等」のための記念の日にしようという世界的なムーブメントが動きがあったことがきっかけとされています。

 

オックスフォード大学しかり、ウィーンフィル管弦楽団しかり、世界的な歴史を持つ組織が、女性にもより平等に門戸を開き始めたのは70年代、そしてその数が増えてきたのはほんとうにこの20年くらのことです。

 

私自身も南スーダンといった紛争が起きていた国で働いてきましたが、現場では軍人の人たちと一緒に働くことも多く、同じチームの中で女性一人の時もありました。

 

そして、その中にはイスラム圏の人たちもたくさんいました。

 

その人たちの何人かと友達になった中で、彼らもほんとうは女性ともっと自由に接したいし、女性にもっと自由になってもらいたいんじゃないか?と思ったことがあります。

 

 

イスラム圏では、社会的に男女の役割や規範が細かく決められています。

 

例えば、女性は男性が一緒に食事をしない、

女性は学校に行かなくていいとされたりする地域もあり、

女性の地位はまだまだ厳しい状況にあります。

 

以前、バングラデシュ軍で国連の平和維持活動に関する訓練の講師を務めていた時、ジェンダーについての講義を担当することがありました。

 

国連の平和維持活動に関するトレーニングには国連が規定した全世界共通の項目があり、そのうちの一つがジェンダーなのです。

 

世界の半分は女性。

 

そして紛争地で真っ先に影響を受けるのは女性や子供たちです。

 

彼らが派遣先の国の治安を守るという重要な仕事を果たす上で、

女性がどのようなチャレンジに直面するものなのかを理解するという意図でした。

 

ただ、派遣先はイスラム圏。

ましてや相手は軍人。

 

ジェンダーの話しがどこまで通じるんだろう???

どこまで耳を傾けてくれるんだろうか?

 

 

正直、はじめは懐疑的でした。

 

まずジェンダーという概念について説明しました。

 

「『男女の役割』というのは文化的、社会的に規定されているものです。

男女の役割は社会の変化や世代を経て変わることもあります。」

 

 

 

すると、と手があがりました。

 

「世代で変わることもあるってどういう意味ですか?」という質問でした。

 

単純に、バングラデシュではちょっと想像がつきにくいのですが。。。?!

そんなニュアンスが伝わってきました。

 

こんな説明をしました。

 

「私の祖母は沖縄の片田舎に生まれました。その村で子どもを8人育てました。

その娘(私の母)は戦後、その片田舎に生まれながら、

船と電車に乗って東京にやってききました。

 

働き始めて数年後に男女雇用機会均等法が制定され、当時としては珍しかった女性のフルタイムのプロフェッショナルとして定年まで働きました。

 

孫(私)は国連に入り、ニューヨーク本部や南スーダンで働きました。

最近、ひ孫(姪っ子)が誕生しました。

彼女はとても活発なので南スーダンでは飽き足らず宇宙へ行ってしまうかもしれません。」

 

最後に笑いがおきたので通じたようです。

 

バングラデシュでは女性のトイレがあまり整備されていなく、バスに乗る時などは女性が何時間もトイレを我慢することを知って、ショックを受けた話しもしました。

 

紛争の前線を経験してきた人も含め、現役の軍人ばかりでしたが、親身に耳を傾けてくれました。

 

講義の後、彼らのうちの何人かが私のところに来てこう伝えてくれました。

「実はずっとこういう話しをしたいと思ってたんです」と。

新鮮な驚きでした。

 

 

南スーダンにいた時には、パキスタン軍の人たちと仲良くなり、よく一緒にご飯を食べていました。

 

 

パキスタンという国は社会・文化的に男尊女卑であるばかりか、軍人という立場もあって、母国で女性と普通におしゃべりすることはほとんどないようです。

 

私は軍人でもないし、まったくの個人同士の付き合いです。

 

自然と冗談を言い合ったりすることもあります。それは私にとって当たり前のことだったのですが、あちらにとっては当たり前じゃなかったのでしょう。

 

当たり前ながら彼らも普通の人間。

やっぱり、冗談を言い合ったり、ツッコミを入れたくなることもありますよね。

 

そんなたわいもないことが、こちらが想像する以上にとても楽しかったようなのです。

 

 

イスラム圏の男尊女卑と言われている社会でさえ、

個人的には必ずしもそれでいいと思っているわけではなく、

男性自身、本当はもっと自由に女性と接っしたいー

しかも、女性にもっと自由であって欲しいと思っている(!)

そう思っている人は実はけっこう多いんじゃないか?

 

この体験からそう思っています。

こんなこと大きな声で言えないけどトランプ時代はチャンスでもあるんじゃないかと感じている人へ

find-your-center

 

米国次期大統領がもうすぐ就任しますね。

 

ふたを開けてみないとどうなるのか分からない「様子見」的な世界情勢ですが、

 

明日以降、就任式初日の政策関連の決定と発言でしばらくニュースが忙しくなるように思うので、私が感じる「心がまえ的」なことをシェアしたいと思いました。

 

なんというか、彼という存在は、よくもわるくも私たちをいろんな意味で「刺激する」存在であるのは確かのようです。

 

去年のクリスマスシーズン(アメリカ人が日本のお正月のように帰省する前)の頃には、家族のテーブルで政治が話題にあがった場合の対処法というメールが送られてきて、その影響の深さを感じました。

 

彼の差別的発言や彼のトーンを聞くやいなや、嫌悪感を刺激されることは確かにあるし、もちろん、差別的な発言も彼の攻撃的なトーンも(少しはトーンダウンするかも知れませんが)聞いていて、けっして心地いいわけではないのだけれども、

 

でも、同時に、

 

彼はある意味、誰もが心の中で持っている部分や思っていることをただ声に出して言っているだけじゃないのかな、と思うこともあります。

 

なんと言うか、「ああ、でもたしかに、人間ってそういう差別的な思考ってあるよね」と思ったりです。

 

誤解のないように言っておきますが、私は175カ国もの人たちが働く国連という組織で働いてきたので、これまで一緒に働いた上司や同僚の国はパキスタンからコソボからリベリアからシエラレオネまで、本当にいろいろでした。

 

独立前の南スーダンなど職場に日本人が一人もいない環境も数年ありました。

 

私が国連で働くのが好きだった理由は、実はとても単純で、紛争解決にかかわれるからでもなく、いろんな国の人がいる環境が好きだったから、でした。

 

でも、それは、けっして楽チンなユートピアな世界だったわけではなくて、誤解も差別的な考えもフツーにあって、それが直接的には言葉にはされなくても、ちょくちょく垣間見られるそんなリアルな場でもありました。

 

もちろん、国連という組織の性格上、そういうことを容認することはできないので、いろんな人事規則やら異議申し立ての制度もあって、人権条約や国際規約さえあるのですが、やっぱり規則で人のこころは制約できないよねー、と思ってしまうのです。

 

というか、仮に、地球に住む人全員が同じ肌の色をして、同じ宗教を信仰していて、同じ言葉をしゃべっていたとしても、

 

人間って誰かを区別する(差別する)なんらかの理由をつくるなんて、すごく簡単そうとも思っちゃいます。

 

あいつのマユゲはオレより太いとか?(笑)

 

マユゲ惑星と地球人との交流とかまったく比較の対象にならない場合はどうなるのかわかりませが (笑)

 

interstellar

 

でも、日常的(表面的)にはどうかというと、たとえば、イギリスといった国などは特にこういう傾向が強いと思うのですが、その人がどう思っているかよりも、そういう風に発言すべき、という規範がありますよね。

 

とくに、公的立場にいる人や社会的地位の高い人は、ポリティカリーコレクト(politically correct)でなければならない、ので、この傾向がさらに強いと言われています。

 

そういう場合、社会的地位と自分のアイデンティティーが同一視されていく傾向も強いそうです。

 

私もそうでしたが、「国連職員とはこうあるべき」、という具合ですね。

 

そして、「自分はこうあるべきだ」という自分の理想像もさらに加えられていきます。

 

なので、対外的な「鎧」やら、公的な「マスク」などの「ペルソナ」(パーソナリティー)のレイヤーは実はかなり沢山ありそうです。

 

 

こういう場合、シャドーを含む自分の「ありのままの姿」(嫉妬をしたり傲慢だったりする部分も)を認めるのが難しくなる、という指摘もあります。

 

 

この構造ゆえに、アメリカでは特に、社会的な地位の高い人、またはポリティカリーコレクト(politically correct)な人たち(であるべき人?)ほどトランプ発言を毛嫌いする傾向が強いと言っている人もいます。

 

自分のこうあるべき像にそぐわない、という訳でしょうか。

 

ただ、実際には人間っていろんな面を持ってる存在です。

 

 

多様性や移民の受け入れを前提とする『多様な価値観を認める英国像』は、政策的にも道徳的にもすっかり定着し、もはや疑問を持つことの許されない価値観であるかのように見えました。

 

 

移民や多様性を否定するような意見は『ポリティカリー・コレクト』でないとされ、不安や本音を口に出すことが難しくなっていったという背景がありました。

 

…(略)…

 

ただ、「こんなことを言ってはいけない」「こんな風に見られてはいけない」という自制や抑圧は、実際には誰のなかにもありうる「怖れ」や「偏見」を地面の下に押しとどめるだけです。

 

「反テロ」や「反差別主義」も、その問題に取り組むことをかえって難しくしてしまいます。

 

人間は誰もが怖れや偏見を持っていることを受け止め、それを一度浮上させ、自覚する必要があるのです。」

 

クーリエジャポン Vol.3  「チンパンジー化」が進む地球の上で、未知の恐怖に打ち勝つ方法|大仲千華「答えを求めない勇気」より

 

 

グッドニュースは、そういうものは一旦自覚されたら「力」を失って、統合されると、今度は自分のパワーになってくれるのです。

 

そして、その領域にこそ、自分の本当の力だったり、ギフトと呼ばれるいろんな才能が同時に埋もれていると言われています。

 

そういう領域は心地悪いのでつい避けてしまいがちですが、そこにこそ「宝もの」があるのです。

 

新しい時代の始まり。

 

どうせなら力をつけ、新しい「宝もの」をみつける ー そんな機会にしたいものです。◕‿◕

難民を迎えに自ら空港へ行ったトルドー首相ーこういう人に税金を払いたい!

今私たちは、第二次世界大戦以来の「難民危機」を迎えています。

 

特にシリア内戦を逃れてきた「難民」たちの状況は相変わらず深刻で、2016年に入って減少したが、今も、ほとんど毎日のようにギリシャとイタリアの海岸沖から難民が救助されています。

 

この「難民危機」の本質はいったい何なのでしょうか?

私たち人類は何を学ばなければいけないのでしょうか?

 

この課題の最中、先週には、世界中のリーダーが国連に集まり、国連総会でスピーチを行い、各国の難民に対する姿勢が改めて浮き彫りになりました。

 

その中でも、特に脚光を浴びているのは、難民を快く受け入れる姿勢を示しているカナダのジャスティン・トルドー首相です。

 

トルドー首相は19日、カナダの人道支援予算を今年度10%増額し、援助を必要とする難民の移住を推進する意向を改めて表明し、2015年には、シリア難民がカナダに到着した際には、彼らを歓迎しに自ら空港にも行った彼。

 

「彼らは『難民』としてこの空港に到着します。

この空港を出る時、彼らは定住する先を持つ人間としてこの空港を後にします。」

 

 

2016年9月21日国連総会にて

 

カナダのトルドー首相。単なるイケメンだけじゃない。
新しい時代の政治家バンザイ!!!

 

【メディア掲載】時代の転換期ー世界情勢の異変の背景にあるものとは?

頻発するテロ、世界的なポピュリズムの台頭、ナショナリズムー

 

いったい私たちは今何を理解することが求められているのでしょうか?

 

いま世界中で起きているこうした異変の背景には「恐怖に対する無自覚」があります。

 

いままで対峙したことのない「恐怖」に出会ったとき、我々はどう向き合うべきなのか? 

人間はチンパンジーに退化するのか?それとも??

 

 

クーリエジャポンでの連載「答えを求めない勇気」の第三回目の記事が配信されました!

 

「答えを求めない勇気」大仲千華 Vol.3 「チンパンジー化」が進む地球の上で、未知の恐怖に打ち勝つ方法

 

ご一読いただけましたら幸いです。

 

日本の大学に行くのは 当たり前なのか?

オックスフォード2位
東大43位
京大88位

慶応・早稲田400位圏外。。。

「ビリギャル」がびーーん!

世界大学ランキングより

 

途上国の学生は
一直線に世界一流校を目指す。

サバイバルに直結するし
出さないと始まらないから。

もちろん、
大学とか
学歴の意味も
変わって来てるし、
留学にはお金もかかる。

でも、

日本でしか通用しない
受験勉強にすごい
時間もお金もかけて、

しかも、

ガラパゴス化してる
日本の大学に行くって

当たり前なんだろうか???

ハーバードも
MITも無料で
どんどん授業を
公開しているし、
https://www.edx.org/school/harvardx

カーンアカデミーでは
高校までの全教科を
全て無料で
勉強ができる。

しかも
ビルゲイツが支援する位
高水準!
https://www.khanacademy.org

ついに、

授業料無料で
アメリカの大学卒業の
資格がもらえる
オンライン大学
までできて、

University of the People
http://www.uopeople.edu

ニューヨーク大学と
バークレーと単位連携
で通学もできる。
https://goo.gl/ou9Y5N

一流大学には
日本人向け
奨学金もある。

大学側も
日本人が欲しい。

国籍数が多いこと=
多様性が高いことが

世界大学ランキングに
直結するから。

入試はないし

基本的には
エッセイ=
志望動機が
中心。

一部に
天才的な人たちは
確かにいるけど

中身に
思われている程の
差はありません。
(本当に!)

たぶん、
語学力と

イメージによる
距離感の方が
大きいと思う。

私のそばには、
Chikaはなんで
オックスフォード
受けないの?

と言ってくれた先生が
いてくれただけ。

知らないことは見えないー

外に目を向ければ
いろんな方法があるよ!

ロスジェネ世代がゆとり世代に伝える「戦争と平和」①

留学先でいろいろな国の学生と一緒に机を並べる時、

職場で世界中の同僚達とおしゃべりをしている時、

ガツン!って衝撃を受けることがある。。。

ーそれは戦争について。

 

安保法案に戦後70年談話。戦争反対だけど当時の話しを聞いても正直ピンと来ない。

今の時代を生きる私たちって何を知ればいいの?

「ロスジェネ世代がゆとり世代に伝える『戦争と平和』」3回シリーズ1回目。

 

私がフィリピン軍の研修の仕事でフィリピンにいた時のこと。

その時のチームは、アメリカ人2人、カナダ人、インド人と日本人の私という5人構成。

週末に少し観光しようということになって、近くにあったバターンの戦争慰霊公園を訪れようということになりました。その慰霊公園とは、第二次世界大戦中に何百人~1万人(日本側は何百人と出張、米側は一万人以上と主張)のフィリピン人とアメリカ人捕虜が亡くなったとされる方々の慰霊碑があるところです。

 

ハワイ在住のアメリカ人

グアム系先住民アメリカ人

元軍人のカナダ人

元軍人で祖父がインパール作戦に従軍したインド人

すでに戦後3代目にあたる日本人である私

の5人はそれぞれ公園を歩き始めた。。。

 

アメリカ人とカナダ人の同僚が特に何かを言った訳じゃないけど、彼らの反応を見ているだけで、その慰霊公園が彼らにとって、とても大きな意味を持つ場所であることがすぐに分かりました。

そのバターンという土地は、アメリカ人にとっては、パールハーバーと並ぶ、日本人にとっての広島と長崎、沖縄のような場所であることを知りました。

私にとってショックだったのは、仕事で元兵士の社会復帰に関わり、戦後の和解に関心のある私でさえ、アメリカ人にとってとても重要であるそのバターンという土地について、その時フィリピンに行くまで全く知らなかった事でした。

「同じ戦争」について見ている所が全く違ったのです。

 

私たちの中に継がれてきた戦争に関する捉え方や記憶、体験があくまでの「こちら側」のものであること、

同様に相手側には「あちら側」の捉え方と記憶、体験があることを思い知らされた体験でした。

今年4月に安倍首相がアメリカ議会でスピーチをした時、日本の首相として初めて「バターン」について言及したと知った時、「ああ、やっぱり」と思いました。

70年もかかったの?とも思うけど、議会でその一言が言及された事は私が単純に想像する以上に大きなことなんだろうと思います。

 

戦争に対するアメリカ人の視点を知れるものに、フィリピン戦線を指揮していた時代のマッカーサーを描いた映画「マッカーサー」があります。

フィリピンで部下たちが日本軍に降伏、バターンで捕虜になることを知って悔しがるマッカーサーはすっごく「人間的」です。日本で知られるマッカーサー像とは全く違うからこれまたびっくりします。

 

まず、こんなにも違うものなのだと認識できると、そんな人に会った時、そんな会話になった時に「心の余裕」ができるよね。

その上で一歩一歩お互いの認識に触れていくことができるか?

個人レベルではこの人はどう思っているんだろう?

 

世界100カ国の人たちの体験と考えを聞くことはその辺のドラマよりもよっぽど面白しろかった。

私が世界中の同僚と一緒に働いている時の楽しみは実はそんなことだったかも知れません。

 

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(写真) 4月の春の訪れを感じるワシントンDC

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ゆとり世代とさとり世代のための

自分と周りをハッピーにする仕事をみつける12のヒント

やると決めればスキルは後から身についてくる!

国際的な仕事がしたい、ソーシャルな仕事をしたい、国際機関で働きたい、と言った相談を受けることがあります。

そのためには、まず経験を積んでから挑戦するとみなさんおっしゃいます。ではどんな経験を積みどんなスキルを身につけるとそれに挑戦できるのでしょうか?

語学力、調整能力、分析力、交渉力、リーダーシップ etc.。。。

どの段階になったら十分だと言えるのでしょう?

例えば、私が紛争が終わったばかりの南スーダンで、元兵士の社会復帰のプロジェクトの最前線で働いていた時、私たちは日々新しい課題に直面していました。今まで経験したことのない事が次々に起こるのです。頭も身体もフル回転です。

では、そこで働く人達は十分なスキルを身につけていたのでしょうか?

答えはノーです。実際のところ、私も含め心の内を覗けば、自信がなかったり、不安を感じる事は沢山ありました。

きっと現場にいる国連事務総長代表や大使といった人達でさえ同じだと思います。

なぜなら、「課題」というものはいつでも格段に大きく見えるからです。

でも気がついたら一歩一歩課題を超えていた。

ある意味、そんな状況だからこそ(火事場の馬鹿力的に)自分の力を引き出してもらったという面もあるかも知れません。

 

だから、これを読んでる方に伝えたいことー

 

十分だからやるわけじゃない。

やりたいからやる。やると決めればスキルは後から身についていく!

 

自分の目で見て感じてきて欲しい!

自分にこれからどんなスキルが必要か?現場にいって考えればいい。

ここで考えているよりも体験する方が何十倍もの深みと飛躍をもたらしてくれるから。

ビジネスとソーシャルの境界が曖昧になっている中、どんな分野に進む人にも関係していることだと感じます。

 

ぜひこの時代の機会を楽しんでください!

Good Luck!!!

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