Facebookの最高責任者サンドバーグさんが突然夫を亡くしてから言ったこと「人はどんなことを成し遂げたことだけでなく、(逆境を)どう乗り越えたかで判断される」

「レジリエンス」「逆境力」

 

人が困難な状況から再び立ち上がっていくプロセスに注目が集まっています。

 

例えば、レジリエンスという概念が注目され、「精神的回復力」、「復元力」
などと訳されています。

 

Facebookの最高執行責任者のサンドバーグ氏が、「どうしたら女性が仕事で成功できるか」を書いた前作「LEAN IN」発表後、突然の事故で最愛の夫を失い、いかに逆境に向き合いそれを乗り越えるか「レジリエンス」について学ぶことになった、と語っています。

 

その時の体験については今年5月にカリフォルニア大学バークレー校の卒業式のスピーチで、初めて公けに彼女の体験や心境について語っています。
その中で、彼女は「人はどんなことを成し遂げたことだけでなく、(悲劇的な状況を)
どう乗り越えたかで判断される」という言葉を残しています。

 

また、全世界でもっとも視聴されたTEDベスト5にランクインし続けるブレネーブラウンの最新刊「立て直す力」も、人はどうしたらそんな状況から立ち上がれるのか?まさに似たようなことをテーマにしています。

 

立て直す力.jpg

 

逆境力、レジリエンス、回復力、立て直す力、トラウマ後の成長(post-traumatic growth) ー 言葉こそ違えど、そんな人たちの体験やPTSDからの回復に関する研究からは、ある共通項があることがわかりつつあります。

 

そうした過程にある共通点の一つは、自分のストーリーの再構築です。

 

自分の人生のストーリーを紡ぎ直すことです。

 

同じ場にいて、同じ人の話しを聞いていても、人それぞれ印象も覚えているところも違うことを体験したことがありますか?

 

私も南スーダンで分析の仕事をしていた時、同じ国にいて同じ人から同じ話しを聞いても人によって視点がまったく違ってびっくりしたことがあります。

 

そう。「現実世界」は一つしかないように見えても、感じ方・読み取り方は人それぞれ本当に違います。

 

社会認知に関する研究が示すとおり、私たちは人それぞれの「認知」や「観念」「レンズ」を通じて、身の回りの出来事や世の中を見ています。

 

つまり、自分が「事実」だと思っていることと、自分の「解釈」や「物語」とは同じとは限らない、ということです。

 

人間は「意味」を求める生き物なので、人は日々目にすること、耳にすること、体験することを自分なりの視点で判断し、「意味付け」しながら生きています。

 

そうして日々意味付けされたものの連続が、その人の「人生の物語」をつくっている、と言えます。

 

もっと言うと、自分の「解釈」や「物語」こそが、日々の「体験」をつくっている、とも言えます。

 

場所や職場、関わる人が変わっても、似たような体験をすることがあるのはこのためです。

 

「逆境」は、自分の「解釈」や「人生の物語」を含め、それまで自分が考えも疑いもしなかったことを見直す機会をくれます。

 

じゃあ、今度は、自分はどんな物語を紡ぎたいのか、どんなことを体験したいのか?

 

まったく新しくフレッシュに自分の「ストーリー」「物語」「体験」を始める機会を持てるのです。

 

「人生ってどうせこんなもの」?

「人生は苦労するもの」?

 

「人生は奇跡と喜びに溢れている✨✨✨」

 

せっかくなら、そんな物語がいいなと、私自身これを書きながら改めて思っているところです!

 

 

トラウマとまで言わなくても、人生では自分の思うようにならない時もあれば、理不尽なことも起こります。一人ではどうしたらいいのか分からなくなることもあるでしょう。

 

そんな波の中にいる時にどうしたいいのか?

 

少しでもそんなヒントになるように、トラウマやPTSDの回復理論やレジリエンスに関する研究と私自身の燃え尽き症候群やPTSDからの回復体験を質問形式にしてまとめました。

 

ここで挙げている質問は、リラックスして、まずは眺めてみて、思い浮かぶことをありのままに観察してみるというアプローチをオススメします。

 

質問を読んでもに何も思いつかなくても、ふとした瞬間に何か思い浮かぶ事もあるでしょう。

 

自分が前に進んだからこそ、意味を持ってくる質問もあるので、ぜひ定期的に眺めてみて下さいね。

 

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だからこそあなたが輝くための55の質問目次.001

 

目次

あ、今の自分の状態について把握する

い.自分の「ストレス反応」を知る

う.今気になっていることについて観察する

え.喪失 (後悔、自責、サバイバーズギルト)に気づく

お.自己像、自己肯定感、自己受容度に気づく

か.自分の中の「不安」を意識化・言語化する

き.自分のコーピングスタイルを知る

く.自分と相手との優先順位(境界線)と当事者レベルを知る

け.自分のストーリー(解釈・認知)に気づく

こ.回復のストーリーをみつける

さ.試練の中の「意味」について知る

し.再結合・新しい自己の創造

す.回復・再生のためのステップ 

せ.トラウマからの回復・再生のプロセスで体験しうること

そ.トラウマからの回復の三段階

 

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⭕️⭕️がないと 受験だ、就活だ、婚活だとベルトコンベアに乗せられていくだけ「これでは薄っぺらい自分のない人間しかできあがりません」

自分で考えたことがないと、「受験だ、就活だ、婚活だと、『そんなものだ』とベルトコンベアに乗せられていくだけ。これでは薄っぺらい自分のない人間しかできあがりません。」

 

 

「『自分のアタマで考える子』の育て方」の中で、子どもの能力を伸ばす教育で知られる高濱正伸さんはさらに続けます。

 

「『生きるってなに』『私ってなに?』『何のために学ぶの?』『就職ってしないといけないんだろうか?』とさまざまに悩み、本を読み、誰かと議論する中で、「生きていくための軸」となるものを掴んでいくのです。

中略

それ(自分で考えること)をしなければ、根なし草のような自分しか持てなくなります。

 

そんな状態でいくら自分探しをしたところで見つかるわけがありませんし、聞こえのいい言葉を並べるだけの中身のない人間にしかならないでしょう。

 

それは『自分で考える』ところからしか生まれてこないものなのです。」

 

そもそも人間は思春期から青春記にかけては、人間は本来「哲学」するものとも言っています。

 

わざわざ「哲学」という言葉を使わなくても、子供は小さいながらにいろいろなことを感じています。

 

それを口にするかどうかは別にして、例えば、なんで戦争は起こるの?なんで戦争はなくならないの?環境問題はどうしたらいいの?

といった疑問を純粋に持ちます。

 

「生きる」とは真逆のことをなぜするのか?、

お互いになぜ殺し合い、傷つきあう行為をするのか?、と単純に思うのです。

 

「考えること」の本質は「疑問を持つこと」なので、子供の方が本能的に物ごとの「核心」をわかっていることも珍しくありません。

 

なので、

こうした疑問を持つことは、考えること、そして、なにより人生の中でもとても重要な問いである、自分にとって大切なことは何なのか?と同義語です。

つまり、自分はどう生きたいのか?何をしたいのか?の土台となる部分です。

 

今思えば、高校の時に「本質的なことを追求することをよし」とする校風で学ぶことができたのはとても幸運でした。

 

校長先生や倫理の先生が「人として生きるとはどういうことか?」と毎週本気で伝えようとしてくれました。

 

国連での勤務などを経て、10数年ぶりに先生を訪ねた時に改めて気づいたのは(今は校長先生になられています)、当時私たちが見せてもらっていたことは、人生には常に続く「問い」が存在すること、同時に、問いや自分の価値観をもって生きている人は美しいという姿でした。

 

こうした時期に、自分にとって大切なことは何なのか?=つまり、自分はどう生きたいのか?と考え、模索した体験がなかったら、南スーダンなどの紛争地で働くことも、紛争という事実に直面するような「ふんばり」も持てなかったかも知れません。

 

ただ、

そうした課題意識や探求心が尊重され評価される欧米と違って、日本ではそうしたことを話しあえるような場も機会も限られていて、ニュースは表面的な出来事しか伝えません。

 

テレビにしろ、必ずしも本当に重要なことが話されている訳でもなく、そもそも関心がない、またはどう答えていいのか分からない、大人が諦めてしまっているという事実に子どもはショックを受けます。

 

大人の社会にはがっかり、失望、無力感や諦めさえも蔓延しています。

(日本社会は残念ながらこの感覚が世界の中でも強いように感じます。)

 

そんな体験を重ねるうちに、そんなことを考えても無駄だ、無意味だ、とショックや落胆、失望が深く抑圧されていきます。

 

ただ、人間にとって、「理解されない痛み」は実はとても大きいものです。

「理解されないと人は生きていけない」と指摘する人さえいます。

 

もちろん、表面的には生きていけます。

 

これは、クライアントさんとのセッションで見せていただいたことですが、

 

例えば、医師としてプロフェッショナルに活躍されておられる方でさえ、

(そしてある意味、そうした体験や問題意識こそが、その人を医師にさせた言動力となった面もあるのですが)

ある段階になると、そうした体験が人生において「重荷」として浮上してきます。

 

わざわざ「重荷」という表現を使ったのは、

 

プロフェッショナルとして活躍され、尊敬もされる立場にあり、日常的には問題なくコミュニケーションがとれている人でも、

 

理解されない・わかってもらえないという体験や思いから、無意識に自分の意見を正当化しようとしたり、相手を説得しようとしたりすることがあったり、

または、ある部分が「満たされない」ような感覚として体験する人もいます。

 

人間にとって、「理解されない痛み」はそれ程までに大きいのです。

 

そして、これもまたセッションで見せていただいたことですが。そうした体験や想いが受け止められ、「理解される」体験をすると、文字通りその人の中の大きな「重荷」が解放され「次の扉」が開きます。

 

力がみなぎるのを感じて、身体が自然と動くようになったり、今までできなかったことができるようになった人もいます。

 

おそらく「理解されない痛み」によって奪われていたエネルギーや本来の力が戻ってきたのでしょう。

 

そして、理解されると、人を受け止める「器」が大きくなっていくのです。

 

そうした「重荷」が受け止められ、解放されると、今度は、その方自身が周りの似たような体験や想いを持つ人を受けとめ、理解していくことができるのです。

 

そうして個人から「平和」が周りに広がっていくのですね。

 

「理解されたかったらまずは相手を理解せよ」とはよく言われることですが、

 

相手を「理解する」ためにも、その余裕を持てるためにも、まずは自分が「理解される」ことを満たしてあげてください。

 

「『だからこそ』あなたが輝くための55の質問」配布中です!

 

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だからこそあなたが輝くための55の質問目次.001

 

目次

あ、今の自分の状態について把握する

い.自分の「ストレス反応」を知る

う.今気になっていることについて観察する

え.喪失(後悔、自責、サバイバーズギルト)に気づく

お.自己像、自己肯定感、自己受容度に気づく

か.自分の中の「不安」を意識化・言語化する

き.自分のコーピングスタイルを知る

く.自分と相手との優先順位(境界線)と当事者レベルを知る

け.自分のストーリー(解釈・認知)に気づく

こ.回復のストーリーをみつける

さ.試練の中の「意味」について知る

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私って考えすぎ?と思う人、パワハラにあっている人、人間関係で悩んでいる人へ ー絵本こそ人間と感情についての学びの宝庫

今日は、私ってちょっと考えすぎなタイプかなと思う方、パワハラにあっている人、人生このままでいいんだろうか?という問いがよぎり始めた方にオススメしたいことがあります。

 

「絵本を読むこと」です。

 

この数日、姪っ子と一図書館へ行って一緒に絵本を読む機会があったのですが、絵本には、人間社会の普遍的なテーマを物語形式で伝えてくれ、かつ、疑似体験させてくれる本質的な力があることを実感しました。

 

絵本というとかわいい絵があってハッピーエンドで終わるものというイメージを持つ人がいるかも知れませんが、実はけっこう残虐だったり、人が死んだりと「喜怒哀楽」と「ストーリー性」がはっきりしているものが多くあります。

 

一見子供向きの形をとりながら、大人向けの聞き心地のいいことだけが書かれた本よりも、むしろ絵本の方が、人間社会のより本質的なテーマをまっ正面から教えてくれます。

 

善と悪、共生と対立、生と死、生きる意味、勇気、幸福、人間愛などです。

 

例えば、絵本の中でも有名なものに、「スーホの白い馬」があります。教科書にも載せられていますし、皇室の美智子さまも好きな絵本として挙げられています。

 

ただ、内容としては、ハッピーエンドどころか、権力者の不条理な対応に打ちのめされる羊飼いの悲しいせつないストーリーです。

 

設定は、モンゴルの草原で馬を育てる羊飼いですが、

そこには、「人間」と「権力」という普遍的なテーマが描かれています。

 

スーホー

 

そもそも、人間が生きるところには、部族の集まりがあって、部族長だのなんらかの「制度」が生まれた。部族の知恵が伝承される集団もあれば、王政をつくった社会もあり。。。

 

圧倒的な力の差が存在する時、人はどうするのか?

人は「性善説」か「性悪説」か?

 

そもそも私たちが生きる社会には、わからないこと、不条理なこと、人間の弱さゆえに、善と悪の視点だけでは片付けることのできない問題がたくさんあります。

 

人間は弱く、どんな時代にも大人社会での「いじめ」もなんらかの形で存在しました。

人生で起きることも体験することも決していいことばかりではありません。

怒り、嫉妬、もどかしさ、悔しさ、無念さ、理不尽さ、などなど。。。

 

だからこそ、読み手は主人公とともに、さまざまな「喜怒哀楽」を感じながら、それを自分自身に投影させて、それを乗り越える快感を体験していくことができるのです。

 

時に、悲しいお話しに涙したり、時に怒ったり、不条理な出来事にやりきれない思いを感じたり、そんな自分の内面が揺れ動くことや「感情」というものを知りながら、かつ上手に好きあう術を学んでいくのです。時には自分の中の感情そのもののが「浄化」されることもあるでしょう。

 

本を読むことは、「実生活の『シミュレーション』である」、と言っているのは、子供の能力を伸ばす学習で有名な高濱正伸さんです。

 

私自身も数年前に「スーホの白い馬」を読んだ時には、涙がポロポロと溢れ出てきてびっくりしました。

 

この本を読んで泣いてしまう人はけっこう多いようです。

 

会社や組織での「理不尽な」対応ややり方がいいとは言いません。

 

ただ、絵本を読んでいると、人間の社会に「理不尽さ」はつきもの、とさえ感じられてくるのです。

 

昨日からお休みという方も多いかも知れません。

 

お休みでない方も組織で働く方ならのんびりモードな時期ですよね。

 

そんな時間がある時だからこそ、ぜひこの夏休みには、少し視点を広げて、ぜひ絵本に浸る時間を自分に贈ってあげてください。

日本人はいつからロボットのようになってしまったのか?!ー言われたことはできるけどマニュアル外のことができない人の本当の理由

ベジタリアンのカナダ人の友人と一緒に出かけた時のことです。

ベジタリアンなので、食べる場所を選ばなくてはいけません。

 

カフェメニューで、アボガドサーモン丼というものがあったので、そこからサーモンを除いていただいて、アボガドとサラダだけ出していただくことはできますか?

と聞きました。

 

ご飯の上にそれを盛るだけだから、単純にできそうだと思います。

 

こういう時、お店(店員さん)の対応は見事に二極化します。

キッチンも店員さんも、「できません」というケース。

 

なんとか考えてごめんなさいね、というのではなく、マニュアに書かれたことは出来るけど、そこをちょっとでもずれると自分で考えて対応できない、という態度がくっついています。

 

そして、「今あるものでなんとかしたいと思います」と言ってくれるケース。

 

時には、シェフの方がわざわざ出てきて、今あるのはこういうものですが、こちらは大丈夫ですか?と聞いてくれることもありました。とうぜん、こういうお店の印象はアップ。次回も寄りたいなと思います。

 

けっこう前者が多いのでびっくりします。

 

しかも、ロボットのように「できません!」と言う人が(けっこう)いることに驚きます。

 

ランチ時の忙しい時でもないし、スーパー難しいことを頼んでるわけでもないのに、何がどう「できない」のでしょうか???

 

マニュアル的な決められたことはできるけど、自分で対応できない人が増えてる、とは聞いたことがあるけど、まさにこういうことか!と思いました。

 

できない!とパニクったり、いっぱいいっぱいになってしまうのかもしれません。

 

常に携帯でググれば「答え」がでてくることに慣れてしまって、やり方が一から最後まで書いてあるのをなぞることは出来るけど、

 

自分で判断する機会があまりないのかもしれません。

 

こういう場合に求められているのは、

お客さんは何を求めているのか?ちゃんと聞く・理解すること

キッチンに伝えること

または自分がシェフだったらアボガド(または何が出せるのか判断する)を出す

ということです。

 

 

イレギュラーな件にパニクる人たちは、

極点に失敗を恐れているにも感じます。

 

自分で考える=判断する=間違うのが怖い

 

でも、そもそも、「正解」も「間違い」もないのです。

 

そして、「正しくやること」に価値があるという誤解をしています。

 

「完璧」「ちゃんと」やらないといけない、と思ってます。

 

客が求めているのはそんなことじゃないのに。

 

自分に意識が向いている典型的な守りの姿勢です。

 

お客の立場をして感じたことですが、こちらの要望・言っていることをほとんど聞いていない人さえ多いのです。

ベジタリアンだって人間なんだから、ただご飯が食べたいのに、でも困ってるんだよ、というだけなのに。

 

そのことをただ理解してくれて、もし少しでも共感してくれたなら、お店の印象がどれだけアップすることか!

 

ロボット人間じゃなくて、人間が増えてくれることを願います!

子どもがオックスフォード大学から奨学金をもらうか or そんなの関係ないと思うか? ー中学生165名にお話しして気づいたこと💡💡💡

今回、初めて中学生にお話ししました。

 

中学3年生総勢約165名。「総合的な学習」の時間です。

 

大学生に話すのとほぼ同じピッチで、

 

しかも、たぶん、ノーベル賞受賞者の方とお話しさせていただいた時とあまり変わらない次元で(笑)お話ししていました。

 

だって今の若い子たちはとても賢くて、本質をわかっているし、知りたいと思っているから。

 

私が話すテーマは表面的には、

 

南スーダンをの事例を中心に、世界の平和のために行われている国連などの活動・取り組みや紛争はどうしたら防げるのか?

 

だったりしますが、

 

本当にお伝えしているのは、

 

もっといろんな生き方があるし、正解はないし、答えはひとつじゃないんだから、自由に探求していい!

 

もっと世界(視野)を広げようよ、世界は楽しいよ!ということ、だと思っています。

 

 

6年続けて年末に大学で講義をして、上智大学で講義をして、就活生のコーチングもしたりとミレニアル世代と接した体験から確信をもって言えるのは、

 

彼らもそういうことをもっと知りたいし、探求してみたいのです。

 

彼らが知りたいのは、彼らが疑問に思っていることに、一人の大人がどう向き合ってきて、何を感じ、何を体験し、何が大切だと思っているかというその人自身の言葉です。

 

 

大人の正直な感想を聞きたいのです。

 

 

私はみなさんの前に立っているけど、答えを知っているわけではありません、と先に言うし、

 

すごい人である必要もないし、実際、「答え」を知っているわけじゃない。

 

そして、いろんな国の同僚の写真を見せたり、南スーダン軍とスーダン軍と一緒に座ってとった写真を見せたりします。

 

軍や国は争いあっていても、個人同士では信頼関係ができるのを見たよ、という仲裁のお話しは興味を引くようです。

 

今は、YuutubeとかFacebookとかこれまで大きな組織しかできなかったことが個人でもできるようになったから、アイデア次第ではいろんなことができるよね。

 

そのためにも、いろんな人の意見がいるよね。 

 

 

だから、みんなも自分の目で見て、感じて、たくさんのことを体験してきてね、

というようなことを言います。

 

 

彼らは、実際、今の自分の勉強がどんな意味があるのか知りたいし、社会の役立つことに関わりたいと思っています。

 

 

先日、Facebookの創業者マークザッカーバーグがハーバード大学で行ったスピーチが、スティーブジョブスのスピーチを超える!と話題になりましたが、その中でも注目されたのは、「ミレニアル世代は、Purpose(目的、意義)を大切にする、そしてそれを全員に広げること」というPurpose(目的、意義)という単語でした。

 

マークザッカーバーグのハーバード卒業式スピーチに何度も出てくる単語「Purpose」ーこれこそ日本の問題を解決する鍵だ!

 

 

 

ミレニアル世代にとって、「Purposeが大事」と世界的にはこの数年よく語られるところですが、日本でも同じことが起きていることを肌で実感します。

 

 

彼らが必要としているのは、

 

ー今自分が勉強していることがどうより大きな世界と繋がるのかという動機づけ

 

ー何をどう調べてたらいいのか、というきっかけ

 

ー「答えはひとつじゃないからいいんだよ」自由に考えて感じていいんだよ、と言ってくれる人

 

ー彼らの問いを受け止めてあげて、一緒に興味を持ってくれる人

 

ーそんな疑問を「おかしい」と言うのではなく、それを励ましてくれる人

 

ー問いを追求する楽しさを教えてくれる・一緒にやってくれる人

 

ー問いを探求していい!という、奨励されるような環境

 

ーかわいそうな人でも悲惨な世界でもなく、それを超越して世界のことを見ることのできる人の視点

 

ーそして、「職業も可能性も世界に視点を広げてみたら。だってそれ思ってるより簡単だよ」と言ってくれる人

 

 

そういえば、今回、オックスフォードでのチュートリアルでは、「答えは一度も言われなかった」というお話しをしました。

 

変化の激しい時代こそいかに学ぶか①: オックスフォード流「考えるステップ」

 

 

まだ暗記式の受験勉強の世界にいる中学生たちは、みんなびっくり!😆していましたが、

 

一度学校を卒業したら、答えのある問題なんてないし、そういう課題にも向き合えるようになるための土台を身につけようね、と言いました。

 

 

問いを持つことが、

私にオックスフォードで勉強する機会(奨学金)をくれ、

国連で働き紛争地へ行く言動力となってくれたので、

「問い」を持つことが私の人生を引き上げてくれたと言っても言い過ぎはないと思います。

 

そんな話しをしたら、こんな感想をいただきました。

 

「答えを提示するわけでもない」という言葉に触れて、「自分の考えが間違いでも答えが一つだけではないと教えてもらい、私の支えとなりました。」

 

 

「私が使っている教科書には、紛争が起こる原因として宗教の違いと書かれて、私もそうだとずっと思っていました。

 

でも、大仲さんのお話しの中で、ケニアの難民キャンプでは宗教が違くても普通に暮らしていたと伺いました。それを聞いて、紛争が終わらない理由は、みんなが宗教の違いが原因だと思い込んでいるからだと思いました。」

 

 

「一番印象に残っているのは、『大人になったら答えのない問題に立ち向かわないといけなくなる。だから、学生のうちから答えのない問いに立ち向かっていく勇気を持つことが大切』というお話しです。これからはこのことを意識して生活していきたいと思います。」

 

 

「現代社会の先端を生きる大仲様の話しはとてもおもしろかったです。」

(笑)

 

 

子どもの好奇心の芽をつぶさない為にも、ぜひ以下のことを意識していただきたいと思います。

 

大人が言ってはいけない言葉

(子どもの好奇心をつぶしてしまう言葉)

ーそんなの無理

ーそんなの無駄

ーそんなことやって何になるの?

 

そして、もしそう言いたくなったら、それはあくまでもあなたの世界や体験の中での考えや思い込みであると気づいてください。子どもの可能性は本当に測りしれないのです。

 

そして、子どもが自分とは違った分野で、チャレンジをしてくれる、違う世界を見せさせてくれる(「成果」や「結果」があろうとなかろうと)と思いましょう。

 

オックスフォードは別に一つの例に過ぎませんが、

 

大人自身が、「どうせ無駄」「そんなの無理」といった心の中にある諦めや失望感、無力感を下の世代へ受け継ぐのではなく、一人一人がそれに気づき、癒し、自分ができることを選ぶことができます。

 

 

例えば、少額の寄付でもなんでもいいから自分も「参加する」ことは、自分自身をあきらめや無関心、無力感から救うことにもなります。

 

 

そういう意味では寄付でもなんでも、自分のためにやっているとも言えますが、それでもいいんです。

 

 

世界を大切にすること=自分を大切にすること

自分を大切にすること=世界を大切にすること

だから。

 

 

ただ、その時は義務感ではなく、自分で調べて納得して、心から応援したいものを選びましょう!

 

 

 

講演の依頼受け付けています。(^^)ニコ

 

講演テーマ例

 

ー子どもの好奇心を引き出す対話術

ー紛争の話しなのに気分があがる大人が学ぶ戦争と平和についてのなぜ?

ー日本にいながら海外の教育を取り入れる方法

ーオックスフォード式 本当の考える力を身につける方法

ーすべての考えは「問い」から始めるー自分の答えを引き出す「問いの力」

 

 

お問い合わせは以下までお気軽にどうぞ❗️

info(at)peaceblossom.net

2ヶ月で10倍の資料をこなせるようになったお話しー自分の中の「基準」と「当たり前」がまったく変わること

オックスフォードの学生がチュートリアルで習得することは、自分の中の「基準」と「当たり前」がまったく変わることです。

 

「こんな量どうしたらこなせるんだ?」と感じられたことが、いつの間にか「出来そう」に変わっていくことです。

 

オックスフォードのチュートリアルで読む文献の量は、1週間で20冊~50冊位の量に及びます。

 

もちろん英文です。

しかも、難しそうに書いてあります。

 

最初は、まずこの大量の文献の量に圧倒されることになります。

 

いったいこの量をどうやって読めばいいんだろう?と途方にくれそうになります。

 

どこから手をつけていいか分からなくなって何度も泣きそうになりました。

 

しかも、読んでも簡単に分かるようなものでもありません。

 

私は、18世紀に建てられた寮の一室で、分からないのは自分だけなんじゃないか?と落ち込みました。

 

どうして学者という人たちはもったいぶったように難しく書くんだ。

もっと簡単に書いておくれー!と何度も言いたくなりました。

 

本を読む量が追いつかない。気持ちは焦るばかり。

 

それでも教授とのチュートリアルの日は刻々と迫ってきます。

 

大人数の講義だったらなんとかごまかせるだろうことでも、一対一なのでごまかせません。

 

ただ安心したのは、そのように悩んでいたのは私だけではなかったという事実でした。

 

私が当時暮らしていた寮では、ポルトガル人、インド系イギリス人、スリランカ系イギリス人、タンザニア人、中国人、イギリス人と日本人の私が一緒に住んでいました。

 

この文献の量に誰もが戸惑い、文字通り格闘していました。

 

そして、自分に問いていくのです。

 

どうしたら、これを時間内でできるのか?と。

 

そして、自分の方法をみつけていくのです。

 

なんとか最初の学期の8週間が終りました。

最初の8週間を乗り切って、心底ホッとしたのを覚えています。

 

文字通りなんとか乗り切ったという感覚で、ともかく終えられてよかった、と思いました。

 

そして、クリスマス休暇に入り、束の間の休憩を過ごしました。

 

年が明けて、再びオックスフォードのキャンパスに戻りました。

 

二学期目を迎えようとしている自分の心境の変化に気がつきました。

 

その文献の量を目の前にしても、前よりも落ち着いている自分がいたからです。

 

文献の量は相変わらず多く、課題の答えもすぐに分かりそうなものではありません。

 

 

内容に手応えをつかんだとまではいきませんでしたが、チュートリアルとはこういうものなのだ、と、思っている自分がいました。

 

「こんな量どうしたできるんだ?」と感じられたことが、この量が「当たり前」になっていたのです。

 

そして、その量が当たり前と感じられると、最初はただただ圧倒されていた量を目の前にしても、「出来そう」だと感じられたのです。

 

1983年に陸上のカール・ルイス選手が100メートル走で9秒台を出し、「10秒の壁」を破った時に彼は超人と言われました。

 

ただ、「10秒の壁」を一人が超えると、人間の身体能力自体はそれほど変わっていないはずなのに、その数年内で9秒台で走る人が続出しました。

 

「できる」ことが当たり前になってくるからです。

 

オックスフォードのチュートリアルで体験したのは、自分の基準が上がることでした。

 

私たちは自分の中で「もう無理」「もう限界」だと感じた時点で、人間としての潜在能力の2割も使っていないと言われています。

 

スポーツ競技だけでなく、そのような環境に身をおくことでそのようなことが起こります。

 

あなたの中の「もう無理」や「もう限界」は本当にそうですか?

 

ほとんどの人は、自分の能力の1割か2割も使っていないのです。

 

 

ちょっと想像してみてください。

 

今の自分の能力の10倍のことができるとしたら、どんなことができると思いますか?

 

どんなことが可能だと思いますか?

 

なんだかそっちの方が楽しそうだと思いませんか〜? ^^

 

 

仕事できる人はやっているー分かってもわからなくても、ともかくどんどんパラパラと本のページを開いていくオックスフォード式ゼロ秒勉強法

オックスフォードでは、チュートリアルといって教授と生徒が一対一で学ぶ制度を通じて、一年間の学びが進められていく、というお話しをしました。しかも、一年間で一度も答えが示されなかったともお伝えしました。

 

オックスフォードの学生はこのチュートリアルで何を学んでいるのでしょうか?

 

どんな能力や資質を体得しているのでしょうか?

 

オックスフォードのチュートリアルで学ぶポイント、それは私たちにどう関係するのか、そして、日常的にどう活かすことができるのかを解説していきたいと思います。

 

このチュートリアルが鍛えてくれる能力の一つは、分からなくても進むという能力です。

 

チュートリアルでは、学生は、事前に大量の文献を読み、そのテーマについてどんなことが言われていて、何が大切だとされているかについてまとめ、小論文という形でまとめ、課題の質問に答えます。

 

文献の量は、1週間で20冊~50冊位の量に及びます。

 

オックスフォードでは、この作業を一年で、一学期8週間×3学期=計24回を繰り返します。

 

それだけ聞くと、さすが頭がいい人は読むのが早いんだろう、そんなにできるんだ、と思われるかも知れません。

 

ここでのポイントは、そうではありません。

 

ここで習うこととは、まず「あたりをつける」ということです。

 

結論はこうだろう、とまず自分なりの「あたり」をつけて(仮説をたてて)、読み始めるのです。

 

脳は意識が向けられている情報に向かっていくと言われています。

 

なので、自分の結論をバックアップする情報が目に入りやすくなります。

 

または、それをサポートしない情報も目に入りやすくなります。

 

そして、次の本を手にとって、目次を読んで、あたりをつけてそのページから開きます。

そして、仮説があっているのか、それを証明するためにどこを引用するのか、または、どこをもっと調べないといけないのかwp見つけていきます。

 

そこで書かれていることを目にしたら、そこで書かれていることが完全にわからなくても、次の本を手に取ります。

 

次の本でも、同じことが言われているのか、または違うことが言われているのかを確認します。

 

同じことが言われていたら、それは大事なポイントですでにある程度の合意があること、もし、違うことが言われているのを発見したら、どこがどう違うのか?と見つけていきます。

 

そして同じことを繰り返して、自分が言おうとしていること(仮説)が合っているかどうかを検証していくのです。

 

私がオックスフォードに入学したばかりの頃は、1冊目の本にかなり時間をかけていました。

 

そして、提出まで残り2日しかないのに一文字もかけてない、しかも、何が結論なのかさっぱり検討もつかない!

 

読んでもわからないのは自分だけなんじゃないか?と、

途方にくれて泣きたくなることが沢山ありました。

 

ただ、そんな作業を毎週続けてようやく分かりました。

 

単純にそれでは間に合わないのです。

 

できないと落ち込むのではなく、やり方を変える必要があったのです。

 

 

そして、完璧に理解したから書き始めるのではなく、まず分かっているところからかじょ書きで書いてみるのです。

 

たったの一文字でもいいから紙に書いてみると、すごく進んだ気がします。

 

やってみたら分かりますが、たった一行でもたった一文字でも、まったくの「ゼロ」の状態とは違います。

 

できるとことから進めるのです。

 

結論が完璧に分からなくても、わからなくても、「あたり」でいいからどんどんパラパラと本のページを開いていくのです。