日本の大学に行くのは 当たり前なのか?

オックスフォード2位
東大43位
京大88位

慶応・早稲田400位圏外。。。

「ビリギャル」がびーーん!

世界大学ランキングより

 

途上国の学生は
一直線に世界一流校を目指す。

サバイバルに直結するし
出さないと始まらないから。

もちろん、
大学とか
学歴の意味も
変わって来てるし、
留学にはお金もかかる。

でも、

日本でしか通用しない
受験勉強にすごい
時間もお金もかけて、

しかも、

ガラパゴス化してる
日本の大学に行くって

当たり前なんだろうか???

ハーバードも
MITも無料で
どんどん授業を
公開しているし、
https://www.edx.org/school/harvardx

カーンアカデミーでは
高校までの全教科を
全て無料で
勉強ができる。

しかも
ビルゲイツが支援する位
高水準!
https://www.khanacademy.org

ついに、

授業料無料で
アメリカの大学卒業の
資格がもらえる
オンライン大学
までできて、

University of the People
http://www.uopeople.edu

ニューヨーク大学と
バークレーと単位連携
で通学もできる。
https://goo.gl/ou9Y5N

一流大学には
日本人向け
奨学金もある。

大学側も
日本人が欲しい。

国籍数が多いこと=
多様性が高いことが

世界大学ランキングに
直結するから。

入試はないし

基本的には
エッセイ=
志望動機が
中心。

一部に
天才的な人たちは
確かにいるけど

中身に
思われている程の
差はありません。
(本当に!)

たぶん、
語学力と

イメージによる
距離感の方が
大きいと思う。

私のそばには、
Chikaはなんで
オックスフォード
受けないの?

と言ってくれた先生が
いてくれただけ。

知らないことは見えないー

外に目を向ければ
いろんな方法があるよ!

広告

ロスジェネ世代がゆとり世代に伝える「戦争と平和」①

留学先でいろいろな国の学生と一緒に机を並べる時、

職場で世界中の同僚達とおしゃべりをしている時、

ガツン!って衝撃を受けることがある。。。

ーそれは戦争について。

 

安保法案に戦後70年談話。戦争反対だけど当時の話しを聞いても正直ピンと来ない。

今の時代を生きる私たちって何を知ればいいの?

「ロスジェネ世代がゆとり世代に伝える『戦争と平和』」3回シリーズ1回目。

 

私がフィリピン軍の研修の仕事でフィリピンにいた時のこと。

その時のチームは、アメリカ人2人、カナダ人、インド人と日本人の私という5人構成。

週末に少し観光しようということになって、近くにあったバターンの戦争慰霊公園を訪れようということになりました。その慰霊公園とは、第二次世界大戦中に何百人~1万人(日本側は何百人と出張、米側は一万人以上と主張)のフィリピン人とアメリカ人捕虜が亡くなったとされる方々の慰霊碑があるところです。

 

ハワイ在住のアメリカ人

グアム系先住民アメリカ人

元軍人のカナダ人

元軍人で祖父がインパール作戦に従軍したインド人

すでに戦後3代目にあたる日本人である私

の5人はそれぞれ公園を歩き始めた。。。

 

アメリカ人とカナダ人の同僚が特に何かを言った訳じゃないけど、彼らの反応を見ているだけで、その慰霊公園が彼らにとって、とても大きな意味を持つ場所であることがすぐに分かりました。

そのバターンという土地は、アメリカ人にとっては、パールハーバーと並ぶ、日本人にとっての広島と長崎、沖縄のような場所であることを知りました。

私にとってショックだったのは、仕事で元兵士の社会復帰に関わり、戦後の和解に関心のある私でさえ、アメリカ人にとってとても重要であるそのバターンという土地について、その時フィリピンに行くまで全く知らなかった事でした。

「同じ戦争」について見ている所が全く違ったのです。

 

私たちの中に継がれてきた戦争に関する捉え方や記憶、体験があくまでの「こちら側」のものであること、

同様に相手側には「あちら側」の捉え方と記憶、体験があることを思い知らされた体験でした。

今年4月に安倍首相がアメリカ議会でスピーチをした時、日本の首相として初めて「バターン」について言及したと知った時、「ああ、やっぱり」と思いました。

70年もかかったの?とも思うけど、議会でその一言が言及された事は私が単純に想像する以上に大きなことなんだろうと思います。

 

戦争に対するアメリカ人の視点を知れるものに、フィリピン戦線を指揮していた時代のマッカーサーを描いた映画「マッカーサー」があります。

フィリピンで部下たちが日本軍に降伏、バターンで捕虜になることを知って悔しがるマッカーサーはすっごく「人間的」です。日本で知られるマッカーサー像とは全く違うからこれまたびっくりします。

 

まず、こんなにも違うものなのだと認識できると、そんな人に会った時、そんな会話になった時に「心の余裕」ができるよね。

その上で一歩一歩お互いの認識に触れていくことができるか?

個人レベルではこの人はどう思っているんだろう?

 

世界100カ国の人たちの体験と考えを聞くことはその辺のドラマよりもよっぽど面白しろかった。

私が世界中の同僚と一緒に働いている時の楽しみは実はそんなことだったかも知れません。

 

DSC05355

(写真) 4月の春の訪れを感じるワシントンDC

      ⇩⇩⇩

ゆとり世代とさとり世代のための

自分と周りをハッピーにする仕事をみつける12のヒント

やると決めればスキルは後から身についてくる!

国際的な仕事がしたい、ソーシャルな仕事をしたい、国際機関で働きたい、と言った相談を受けることがあります。

そのためには、まず経験を積んでから挑戦するとみなさんおっしゃいます。ではどんな経験を積みどんなスキルを身につけるとそれに挑戦できるのでしょうか?

語学力、調整能力、分析力、交渉力、リーダーシップ etc.。。。

どの段階になったら十分だと言えるのでしょう?

例えば、私が紛争が終わったばかりの南スーダンで、元兵士の社会復帰のプロジェクトの最前線で働いていた時、私たちは日々新しい課題に直面していました。今まで経験したことのない事が次々に起こるのです。頭も身体もフル回転です。

では、そこで働く人達は十分なスキルを身につけていたのでしょうか?

答えはノーです。実際のところ、私も含め心の内を覗けば、自信がなかったり、不安を感じる事は沢山ありました。

きっと現場にいる国連事務総長代表や大使といった人達でさえ同じだと思います。

なぜなら、「課題」というものはいつでも格段に大きく見えるからです。

でも気がついたら一歩一歩課題を超えていた。

ある意味、そんな状況だからこそ(火事場の馬鹿力的に)自分の力を引き出してもらったという面もあるかも知れません。

 

だから、これを読んでる方に伝えたいことー

 

十分だからやるわけじゃない。

やりたいからやる。やると決めればスキルは後から身についていく!

 

自分の目で見て感じてきて欲しい!

自分にこれからどんなスキルが必要か?現場にいって考えればいい。

ここで考えているよりも体験する方が何十倍もの深みと飛躍をもたらしてくれるから。

ビジネスとソーシャルの境界が曖昧になっている中、どんな分野に進む人にも関係していることだと感じます。

 

ぜひこの時代の機会を楽しんでください!

Good Luck!!!

https://www.facebook.com/pages/Japan-Womens-Initiatives-Global-Leaders-Project-/115640775188834?fref=ts

相手にとっては全く見え方が違うとしたら?ー同じ戦争を「彼ら」の視点から見ると

仕事でフィリピンで研修をしたことがありました。

国連の平和支援についてトレーニングをするという仕事でフィリピン軍の施設に宿泊していました。場所は、旧クラーク空軍基地から車で40分くらい離れたところにあるキャンプ内にある訓練センターでした。

さて、この訓練センターですが、近くに第二次世界大戦中に何百人~1万人(日本側は何百人と出張し、米側は一万人以上と主張)ものフィリピン人とアメリカ人捕虜が亡くなったというバターンの記念公園があります。

通常2週間~2週間半の研修を3人か4人のチームで担当するのですが、この時のメンバーは、アメリカ人、カナダ人、インド人と日本人の私という構成でした。

週末は少し観光をしたりする息抜きの日なのですが、せっかくなのでその戦争慰霊公園を訪れようということになりました。このバターンの戦争慰霊公園は、第二次世界大戦中に1万人ものフィリピン人とアメリカ人捕虜が亡くなったといういわゆる「死の行進」で亡くなった元捕虜の方々の慰霊碑があるところです。

この公園を訪れたいと言ったのは私だったのですが(周りは遠慮していたのですが、その地域にいたので私は自分の目に見てみたいと思いました)、いつもは、アフリカの紛争などにおいて「国連」に派遣する人をサポートする立場として自分の出身国を特に意識することもなく繋がりあえる私たちですが、その公園に着いたとたん、

突然私たちは個人ではなく、急にそれぞれが「日本」そして「旧連合国」の代表、そして、「旧連合軍」対「日本」という敵同士であったという事実が時を超えてリアルに迫ってくるのを感じました。

もう70年近くも前のことなのに。。。

もっとショックだったのは、私がほとんど知らなかったこのフィリピンにあるバターンという土地にまつわる戦争体験はアメリカ人とカナダ人にとっては一大事な場所であったという事でした。

ハワイ出身のアメリカ人

元軍人のカナダ人

元軍人で祖父がインパール作戦に関わったインド人

そしてすでに戦後3代目にあたる日本人である私。。。

同じ時代の同じ戦争についての見方・記憶が全く違ったのです。

 

そして、誰もその戦争を直接体験していないのに、慰霊公園での展示やそれぞれの国での戦争に関する歴史の語られ方にかなり影響を受けている。。。

しかも、「紛争」という現象について客観的にとらえ、その防止や対処を教えてる立場である私たちがです。。。

私たちの中に継がれてきた戦争に関する捉え方や記憶、体験があくまでの「こちら側」のものであること、

同様に相手側には「あちら側」の捉え方と記憶、体験があること、

それが無意識にもいかに強力であるかを思い知らされた体験でした。

スーダンなどの紛争地にいて、同じ出来事を相手の視点から見れるようになることがその人や社会の中で紛争や戦争が終わるための一つの鍵だと感じていましたが、これは何もアフリカの出来事ではなく、今の時代の日本にそのまま当てはまることだとはっきり痛感したのでした。

今年は戦後70年ですが、まず、それぞれの捉え方が全く違うということを理解すること、誰の視点で歴史を語るのかという力の均衡に敏感でいることーそんな辛抱強い作業が今こそ求められているんじゃないかと思います。

 

Sri Lanka Triangle 194

クライアントのどこが悪いのかではなく「助言する」立場にある自分に焦点を当てる

講師やカウンセラーや先生といった分かりやすい立場でなくとも、人間が二人集まると私たちはどちらかが自然に「アドバイス」を始めたりするようです。

 

フラストレーションを感じたり、

こちらの意図が伝わらなかったり、

コミュニケーションが噛み合なかったり、

こちらが早く成果を出したくて焦ってしまい

相手の反発を招いたり、

そんな失敗を重ねて、気づいたこと。

 

それは ー

 

相手のどこが悪いのかに焦点を当てるのではなく、

「講師を務める」「助言する」立場にある自分に焦点を当てるということ。

 

この人は何を感じ、

何を必要としていて、

 

わたし自身はこの人に対して何を感じているのか?

私自身が必要としていることは何か?

 

相手と私が必要としていることを両方満たす方法がみつかるとたいてい上手くいくということ。

 

 

これがPeace Blossomが研修を提供する際の心構えになっています。

 

Peace Blossomが提供している研修のテーマ例です。

◯ 法人・海外赴任者向けの研修(現地スタッフ育成、安全対策、CSR、メンタルヘルス・ストレス対策)

◯ 若い人(中学生や高校生も含む)向けの世界の課題を実践的に学ぶプログラム

◯ 自分の意見を伝えたり、互いに違う意見でもいいと体験することを学ぶ教育プログラム

などです。

http://peaceblossom.net

 

どうぞお気軽にお問い合わせくださいませ。

 

IMG_2345

国連の平和支援に一番人を送っているトップ3カ国は?

国連の平和維持活動の現場で、いわゆる国連軍として現場での治安を担当しているトップ3カ国をご存知でしょうか?

2014年11月の時点で、PKOの最大の部隊派遣国(Troop Contributing Country: TCC)は、

1位がバングラデシュで9,275人

2位がインドで8,141人

3位がパキスタンでそれぞれ7,626人

を派遣しています。

これは、部隊を派遣すると手当てをもらえるという経済的な意味があるのと、部隊派遣国はTroop Contributing Country(一般的にTCC)を呼ばれ、国連の外交の場での発言権が増すという意味合いがあります。

前回、国連のPKOの現場は、1992年にはPKOの援助を受ける側だったカンボジアが、今は南スーダンで地雷の撤去を行なうなど、「援助を受けてきた側」が「援助する側」になる場でもあると書きました。パキスタンやネパールは今でも特に国際的な支援の対象になっている国ではありますが、インドやパキスタン、ネパールはPKOに派遣してきた歴史も長くPKO派遣国としての誇りがあり、国連は彼らの部隊の存在でなりたっている面はとても大きいです。

最近ではそれぞれの国がPKOの訓練センターを持ち、お互いにスタッフを互いの研修に送ったりして、交流を深めてます。

 

2013 Spring 833

⇧バングラデシュのPKO訓練センター

一度、何かの会議で中国とインド、パキスタン、ネパール、バングラデシュの訓練担当者の方たちとご一緒した時がありましたが、お互いの訓練センター自慢になり、誰もがうちが一番だ!とジョークを言い合っていました。

いまだにこの訓練センターが一番なのか?それは私も分かりません(笑)

80カ国の人たちが一緒に平和を築くには?(3)インドとパキスタン人の本音

80カ国以上もの人達が世界の辺境で出会い、文化も言葉も職歴も違う人達が、ある日から「国連職員」になり、「国連軍」になり、「国連警察」と呼ばれることになります。

オンナは仕事はできないと平気で言い放つ人、

母国での30年公務員をして国連に「出稼ぎ」に来ている人、

ハーバード大学のロースクールを卒業した「エリート」も

みんな一緒のそれはそれはカオスでにぎやかな現場。

同僚のフィリピン警察の人のある日突然ボソっと言われたことがありました。「実は僕の先祖に日本軍に殺された人がいるんだ。チカに会えてよかった。ありがとう。」

私はただおしゃべりをしていただけなのだけど、彼はそう言って母国に帰って行きました。

パキスタンとインドの軍人が同じ場に居合わせることもありました。パキスタンとインドは、カシミール地方をめぐって何度も交戦を繰り返している「宿敵」同士。人によってはほとんど口を聞かないし、あからさまに不信感を表す人もいました。

こんなこともありました。

南スーダンの国連機の運営をするチームにインドとパキスタンの軍人が割り当てられ、しかも、たまたまだけど、両方とも実際にカシミールの最前線に派遣されたことがあり、実際に交戦したことがあるという人達でした。

軍人だから「敵国」であるお互いの国に渡航すること、互いに接触することも厳しく禁止されています。仮に軍人をやめても、一生インドを訪ねること、また一生パキスタンを訪ねることは出来ません。さいわい、二人ともプロ意識が高い人だったので、それは一旦棚あげして仕事に集中したのでしょう。二人はお互い助け合いながら毎日テキパキ国連機を飛ばし、何百人という国連関係者や物資を南スーダン各地に送り出していました。

軍人だからこそ分かり合えるジョークもあったと思うから、「まったく国連は〜 」とか、「まったく文民は〜」なんて笑いあっていたかも知れない。アフリカにいることで「違う点」よりも同じ言葉を話し、同じ食事をするという「同じ点」を思い出したのかもしれない。

気づけば、二人で仲良くチャパティー(インドやパキスタンでの主食)を焼きながら、よく一緒に食事をしていました。彼らは平気な顔でしれっと言います。

「ああ、カシミールは寒かった。そういえば、あの時の銃撃には驚いたよ。敵ながらあっぱれと思ったよ。ハハハー。」

「まあ、ヒンドユー語とウルドユー語なんてほとんど同じなようなものだよ。チャパティーの味だって一緒だよ。」

「戦争をあおるのは政治家さ。僕は軍人として命令されたところに行くだけさー。」

私はチャパティーをごちそうになりながら妙に納得してしまったのでした。みんながみんな彼らのような境地にいたるとは限らないけれど、戦争をしている国の現役軍人の人たちは「戦う」ことをを経験しているがゆえに「戦う」を冷静に捉えているということを。

ある人達を「敵」として接しなければいけないという苦悩を。ただ、職業柄そのようには公に口に出せないのだと。

128何カ国もの人たちが集い、生のにんげん同士が交わることで生み出される「効果」というのはけっこう大きいんじゃないかと思ってる。