ノーベル平和賞に3度ノミネートされたシーラ・エラワージー「逆説的に聞こえるかも知れないけど、人が『マスク』を抜いでもろさを出せる時にこそ成果がうまれる」

今、日本も世界も危機にあります。

同じやり方では続けられなくなっています。

にんげんとして必要なことや本当に大切なことを無視し犠牲にして自分だけが生き残るやり方で国も社会が繁栄するはずがありません。

 

この数年で気づいたら、社会全体の力も一人一人の生命力も弱ってきています。

 

真実や真理はわたしたちに活力やインスピレーションをくれるけれども、「にせものの力」は人から力を奪っていきます。

 

今の時代、私たちは本当の力や真実を見極めていかないといけません。

 

そして、「ほんとうの力」を求め、自らつくり、広げていかないといけません。

 

ノーベル平和賞に3度ノミネートされたシーラ・エルワージーの著書、「内なる平和が世界を変える」(Pioneering the Possible)の序文にこう書かれています。

 

内なる平和が世界を開ける

 

「世界は危機に瀕している。だから、内的力と外面の行動を結合できる技を持った人たちが必要だ。

 

内的力は、習慣的な内省や瞑想を通して、克己心、自我への鋭い観察力と自制を磨くことから生まれる。…

 

望むような外的変化は内的変化抜きに実現しない。これが現在の進化プロセスなのだが、ほとんどの人がまだそれを理解していない。あなたの自覚の質が、あなたが生み出す結果の質に直接影響する。

 

紛争を変容させ、世界の問題を解決するための創造的イノベーションとエネルギーもそこから作り出される。」

序文 デスモンド・ツツ

 

シーラ・エルワージーは、本の冒頭で「自分の仕事の成果は内的な力の直接的な結果だ」とも言っています。

 

これはどんな意味なのでしょうか?

 

彼女は、13歳の時のショックだった体験を紹介しています。

 

テレビでソ連軍がハンガリー・ブダペストに侵攻して、小さな子どもたちが轢かれるニュースを見たそうです。

 

「ともかくブダペストに行かないといけない」と思った彼女は、スーツケースを出してきてパッキングを始めます。

 

その彼女に対してお母さんは冷静に言うのです。

 

「わかったわ。でもね、あなたはそれに必要なトレーニングを受けてないの。どうしたら受けられるのか一緒に考えましょう」と。

 

その後、彼女は大学へ行き、難民キャンプやアルジェリアの孤児院で働き、紛争やトラウマが人間一人一人に与える影響も身をもって体験します。

 

核政策にかかわる人たち13人に深い深いインタビューを行い、博士号を習得し、アフリカでも働き、結婚し、子どもも授かります。

 

国連のコンサルタントを務め、リサーチにもかかわります。

 

しかし、それでも、彼女が13歳以来求めてきたほんとうに必要な体験もスキルもまだ学べていなかったと言います。

 

その事を痛感したのは、国連ニューヨーク本部で開催された核軍縮に関する特別会議に参加した時でした。

 

第二次世界大戦後、二回目の開催となった核に関する特別会議だけあって、日本など世界中からも多くの人が参加し、それに合わせて何千人もの人がニューヨークのブロードウェイでデモを行ったり、ロビーイングに参加し、会期中にはニューヨークタイムスが核問題について大きな特集も組んだそうです。

 

そうした熱気に触れ、「何かが変わるかも」と期待とともに会議場に戻った彼女が直面したのは、何もなかったように自国の立場を話し続ける各国の担当者と何の具体的な成果も産まずに終わった会議でした。

 

彼女は何が本当の問題だったのか?と、考え続けます。

 

その時、彼女の頭を占拠したのは、

誰がほんとうの「意思決定者」なのか?という疑問と、

ともかく、「意思決定者」に話さないといけない!

という失望の中で受け取った閃き💡のような衝動と、

 

ほんとうに変化をもたらすためには何が必要なのか?という問いでした。

 

まず彼女は、政治家や安保理常任理事国、兵器製造企業経営者や技術者などを議論に含めないといけないと考えました。

 

ちなみに、これは80年代初頭の冷戦まっただ中の話しです。

 

今のように、インターネットがあるわけでもなく、各国の防衛省や外務省の組織図が公開されているわけでもありません。

 

アメリカの担当者はロシアや中国の担当者と顔を会わせたこともないし、

会議が始まる前から彼女は参加者たちの疑いや強い緊張を感じたと言います。

 

彼女は、会議全体を注意深くデザインし準備を進めます。

会場は、英国オックスフォードの郊外にある美しい庭や緑のある場所に決まりました。

 

議題や会場、参加者の選定などを進めると同時に、彼女は、会議のサポートに関わる人にとってのほんとうの「準備」はもう少し別のところにあった、と言います。

 

ほんとうの成果が生まれるためには、それぞれが公式見解をただ一方的にスピーチするのではなく、一人の人間としてオープンに対話ができる場が必要だと彼女は考えました。

 

そのためには、彼らが緊張や不安から解放され、公的な「マスク」を一瞬でもいいから脱げるくらいの「安全な場」をつくることが鍵だと思いました。

 

彼女が会議の運営に関わる人たちと共に進めた準備とは、会議がはじまるとその場で生じるだろう不安や緊張、疑いをその人たちが自分の中で「超えていること」、そしてその状態をホールドできる「内なる強さ」を持つことでした。

 

彼女は、成果を生む場をつくるために、内的な力をマスターしている人たちを5人程呼び、その人達に会議室の真下で1日中瞑想をしてもらい、文字通り会議を下で支えてもらうことにしました。

 

会議中、米国国務省の出席者の一人がシーラのところにやってきて、言います。

「シーラ、この建物は何か特別だ。下から何か湧いてくるように感じる」と。

 

シーラは、会議室の真下の部屋で瞑想をしている人たちがいることを伝えました。

 

「みなさんのランチを配膳してくれた人たちを覚えてますか?

あの人たちが下で瞑想してくれてるの。もしよかったら本人たちに聞いてみて」

 

米国国務省の担当者は、その人たちの笑顔と穏やかさに触れ、驚きと同時に何か腑に落ちた表情で会議室に戻っていったそうです。

 

彼女はこうした対話を続け、こうした場での交流が冷戦化の対立の中で信頼関係を生み、核条約の締結につながったと言われています。

 

彼女が行った対話は非公式という条件で行われたので、当時は一言もメディアに載ることもなく、今になって彼女がずい所で明かすエピソードが示唆に満ちていて面白いのですが、

彼女にはある確信があったそうです。

 

「難しいテーマである程、会議室には言葉にされなくてもすぐに不安や疑い、怒り、フラストレーション、失望が蔓延する。そんな状態では、同じ意見の応酬が続くだけ。」

 

… (中略) …

 

「人は対話を『ソフト』なものと言い、『マッチョー』なものを求める。

でも、本当に生産的な結果を生みたかったら、私たちは怖れを超える内的な強さを持たないといけない。」

 

… (中略) …

 

「逆説的に聞こえるかもしれないけれども、人がマスクを抜いでもろさを出せる時に事が動いた。結果が生まれた。自分がありのままでいられる程、成果を生んだ。」

 

これこそが、彼女がブダペスト以来ずっと求めてきた「トレーニング」(スキル)だったのです。

 

私もニューヨークの国連本部で働いていた時に、やはり各国の担当者が一方的にスピーチするのを聴き続けてとても疲れたことを覚えています。偶然にも軍縮に関する会議でした。

 

「怖れを超えたところからしか本当の力は生まれない。」

 

本当の力とは、怖れや緊張や疑いなどネガティブな面を否定するのはありません。

 

「ありのまま」(being authentic)とは、自分の中の怖れや怒りなどを自覚し、正面からとらえ、愛をもって受け入れることによってそれらを「力」にすることができるのです。

 

彼女のエピソードがつまった動画おすすめです!

 

Scilla Elworthy: Part 1 – The Heart of Peace

Discover the core challenges & opportunities in making peace actually work with Nobel Peace Prize nominee & founder of the Oxford Research Group & Peace Direct.

 

http://globalleadership.tv/video/scilla-elworthy-part-one-the-heart-of-peace/

 

 

 

 

 

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日本人は自分だけが儲かればいいだけではがんばれない民族。世界のために果たすべき意義があってこそ日本本来の力が発揮される

日本人は元々自分たちだけがよければいい、儲かればいい、というようなレベルではがんばれない民族だと思います。日本人という人たちには、より根源的なレベルで自らを奮い立たすことのできる「存在意義」が必要なんじゃないか?

 

8月になって戦争関連のテレビ番組や新聞記事に触れながら、そんな想いを強くしています。

 

そして、この数日である問いが私の頭に浮かび続け、ある種のインスピレーションを受け取っています。

 

それは、なぜ日本はあんな焼け野原から世界第3位の経済大国になるまでの奇跡的な復興を成し遂げることができたのか?という問いです。

 

そして、その問いこそに、この閉塞感で行き詰まりの今の日本を抜けさせてくれるヒントがあるんじゃないか、ということを感じるのです。

 

日本の戦後の復興がいかに奇跡的であるかは、国連で紛争後の復興に関わった時改めて痛感しました。

 

例えば、東ティモールと南スーダンにおいては、国連は紛争の停戦だけでなく、その後の国の独立そして「国づくり」にまで関わりました。

 

特に南スーダンは、アフリカ(世界)最長の紛争からの独立だけあって、独立後の国づくりには、国連だけでなくEUや世界中の学者や政策アドバイザーが、それこそ復興のための最善の政策を考え、国連の活動の中でも特段大きな予算も注目もつけられました。

 

そうした外部の支援があっても、一番肝心なのは当事者たちの意思(特に新しく国づくりを担う国のリーダーたち)であるのは改めて指摘するまでもないのですが、南スーダンでは復興が進んでいないどころか、残念ながら内戦が再発し、以前よりもひどい状態になっています。

 

では、自然災害からの復興はどうでしょうか?

 

2006年12月に発生したスマトラ沖地震の津波で壊滅的な被害を受けたスリランカやインドネシアのアチェを例にとっても、その復興は日本の戦後の復興とはまったく程度が違います。

 

東日本大震災の後に、フィリピンやバングラデシュ、スリランカに出張した際には、「戦後の焼け野原から復興を遂げた日本は私たちにとっての希望。だから復興を応援している」という声をたくさん聞きました。

 

東日本大震災の時に日本が受け取った支援額の総額は個人と組織からの寄付を含め、ソマリアやスーダンの支援額を3倍も超え世界一位でしたが(2011年度)、そこには日本の支援(ODA)に対するお礼だけでなく、戦後の奇跡的な復興への「敬意」とさらなる発展に対する希望という意味合いもあると感じました。

 

日本の戦後の復興の要因としては、高い教育水準(識字率)とモラル、朝鮮戦争による特需や冷戦時代に米軍の傘の下に入りながら経済発展に邁進したこと(軍事・政治面での米国依存に引き換えという構図と引き換えに)などが一般的に挙げられてきましたが、果たしてそれだけで説明になっているのか?という指摘は根強くありました。

 

東日本大震災の時にも、今回の震災からの復興を見ることで(もしそれが再現されたなら)、日本の戦後復興の本質がより明らかになるだろう、と指摘した海外の大学教授の声もありました。

 

官僚主導による東日本大震災の復興は残念ながら成功とは言えませんが、それが逆に日本の閉塞状況を象徴するかのようで、同時に、戦後の復興の「特異性」を改めて際立たせることになったとも言えます。

 

そこで冒頭の質問に戻りますが、あらためて、なにが戦後の日本の奇跡的な復興の原動力となったのでしょうか?

 

今、改めてそこに想いをはせるとき、このような見方もできるのではないかと思うのです。

 

より根源的な原動力としては、なぜあのような戦争をゆるしてしまったのか?という悔しさと戦争・敗戦の屈辱を越えて誇りと尊厳を取り戻したいという大きな想いがあったということ、

 

だからこそ、軍事とはまったく違う力で(日本の場合、経済の力で)世界に尊敬される国として地位を再び確立したい、戦争をしたからこそ今度は平和に貢献できる国になりたい、という想いが根底にあったのではないか?と思うのです。

 

バブル崩壊以降、日本の企業や社会は、ますます内向きになり減っていくばかりの内需(人口)のパイを奪いあっています。

 

それは本当に幸せの道なのか?と確信を持てない人たち、これから何を目指したらいいのか?と違うものを求める人たち産みだしています。

 

日本人は元々自分たちだけがよければいい、もうかればいい、というようなレベルでは立ち動けない・がんばれない民族だと思います。日本人という人たちには、世界の平和というより根源的なレベルの「存在意義」があってこそ、本来の日本の力が引き出され、発揮されるのではないか?と思うのです。

 

もっと言うと、「戦争をしたからこそできる日本の貢献分野」があると思うのです。

 

これまでは、戦争をしたからこそ世界で目立ってはいけないという力学が無意識レベルで作用していたようにも感じます。

 

それが、昨年5月末のオバマ元米国大統領による広島訪問と、謝罪を求めないという広島のそれぞれの決断により、両者の和解と「日本の戦後」が大きく一歩前に進みました。

 

オバマ元米国大統領が広島を訪問して以来、日本での戦争に関する記事やテレビ番組も視点が国内だけでなくより世界へ視野が広がったような印象を受けています。

 

戦争をしたからこそできる日本の貢献分野は何か?

 

日本の強みや弱みは改めて何か?

 

そして、自分の役割は何か?

 

このお盆休みには、あえて視点を広げてそんな大きな問いかけをしてみてもいいんじゃないかな?と思います。

 

素敵なお盆休みを!

イスラム圏の男性の本音ー男性も「本当はもっと自由に女性と接っしたい」

先日、国際女性の日(3月8日)にアフガニスタン人の元同僚の男性からメッセージをもらいました。

 

「国際女性の日おめでとう!全ての女性に祝福を」

 

日本ではあまり耳にしませんが、海外では、3月8日は International Women’s Dayとして知られ、A Happy International Women’s Day!という挨拶が交わされることもあります。

 

この起源は、1904年3月8日にニューヨークで、働く女性たちが婦人参政権を要求してデモを起こし、その後、ドイツの女性たちなどから「女性の政治的参加と平等」のための記念の日にしようという世界的なムーブメントが動きがあったことがきっかけとされています。

 

オックスフォード大学しかり、ウィーンフィル管弦楽団しかり、世界的な歴史を持つ組織が、女性にもより平等に門戸を開き始めたのは70年代、そしてその数が増えてきたのはほんとうにこの20年くらのことです。

 

私自身も南スーダンといった紛争が起きていた国で働いてきましたが、現場では軍人の人たちと一緒に働くことも多く、同じチームの中で女性一人の時もありました。

 

そして、その中にはイスラム圏の人たちもたくさんいました。

 

その人たちの何人かと友達になった中で、彼らもほんとうは女性ともっと自由に接したいし、女性にもっと自由になってもらいたいんじゃないか?と思ったことがあります。

 

 

イスラム圏では、社会的に男女の役割や規範が細かく決められています。

 

例えば、女性は男性が一緒に食事をしない、

女性は学校に行かなくていいとされたりする地域もあり、

女性の地位はまだまだ厳しい状況にあります。

 

以前、バングラデシュ軍で国連の平和維持活動に関する訓練の講師を務めていた時、ジェンダーについての講義を担当することがありました。

 

国連の平和維持活動に関するトレーニングには国連が規定した全世界共通の項目があり、そのうちの一つがジェンダーなのです。

 

世界の半分は女性。

 

そして紛争地で真っ先に影響を受けるのは女性や子供たちです。

 

彼らが派遣先の国の治安を守るという重要な仕事を果たす上で、

女性がどのようなチャレンジに直面するものなのかを理解するという意図でした。

 

ただ、派遣先はイスラム圏。

ましてや相手は軍人。

 

ジェンダーの話しがどこまで通じるんだろう???

どこまで耳を傾けてくれるんだろうか?

 

 

正直、はじめは懐疑的でした。

 

まずジェンダーという概念について説明しました。

 

「『男女の役割』というのは文化的、社会的に規定されているものです。

男女の役割は社会の変化や世代を経て変わることもあります。」

 

 

 

すると、と手があがりました。

 

「世代で変わることもあるってどういう意味ですか?」という質問でした。

 

単純に、バングラデシュではちょっと想像がつきにくいのですが。。。?!

そんなニュアンスが伝わってきました。

 

こんな説明をしました。

 

「私の祖母は沖縄の片田舎に生まれました。その村で子どもを8人育てました。

その娘(私の母)は戦後、その片田舎に生まれながら、

船と電車に乗って東京にやってききました。

 

働き始めて数年後に男女雇用機会均等法が制定され、当時としては珍しかった女性のフルタイムのプロフェッショナルとして定年まで働きました。

 

孫(私)は国連に入り、ニューヨーク本部や南スーダンで働きました。

最近、ひ孫(姪っ子)が誕生しました。

彼女はとても活発なので南スーダンでは飽き足らず宇宙へ行ってしまうかもしれません。」

 

最後に笑いがおきたので通じたようです。

 

バングラデシュでは女性のトイレがあまり整備されていなく、バスに乗る時などは女性が何時間もトイレを我慢することを知って、ショックを受けた話しもしました。

 

紛争の前線を経験してきた人も含め、現役の軍人ばかりでしたが、親身に耳を傾けてくれました。

 

講義の後、彼らのうちの何人かが私のところに来てこう伝えてくれました。

「実はずっとこういう話しをしたいと思ってたんです」と。

新鮮な驚きでした。

 

 

南スーダンにいた時には、パキスタン軍の人たちと仲良くなり、よく一緒にご飯を食べていました。

 

 

パキスタンという国は社会・文化的に男尊女卑であるばかりか、軍人という立場もあって、母国で女性と普通におしゃべりすることはほとんどないようです。

 

私は軍人でもないし、まったくの個人同士の付き合いです。

 

自然と冗談を言い合ったりすることもあります。それは私にとって当たり前のことだったのですが、あちらにとっては当たり前じゃなかったのでしょう。

 

当たり前ながら彼らも普通の人間。

やっぱり、冗談を言い合ったり、ツッコミを入れたくなることもありますよね。

 

そんなたわいもないことが、こちらが想像する以上にとても楽しかったようなのです。

 

 

イスラム圏の男尊女卑と言われている社会でさえ、

個人的には必ずしもそれでいいと思っているわけではなく、

男性自身、本当はもっと自由に女性と接っしたいー

しかも、女性にもっと自由であって欲しいと思っている(!)

そう思っている人は実はけっこう多いんじゃないか?

 

この体験からそう思っています。

こんなこと大きな声で言えないけどトランプ時代はチャンスでもあるんじゃないかと感じている人へ

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米国次期大統領がもうすぐ就任しますね。

 

ふたを開けてみないとどうなるのか分からない「様子見」的な世界情勢ですが、

 

明日以降、就任式初日の政策関連の決定と発言でしばらくニュースが忙しくなるように思うので、私が感じる「心がまえ的」なことをシェアしたいと思いました。

 

なんというか、彼という存在は、よくもわるくも私たちをいろんな意味で「刺激する」存在であるのは確かのようです。

 

去年のクリスマスシーズン(アメリカ人が日本のお正月のように帰省する前)の頃には、家族のテーブルで政治が話題にあがった場合の対処法というメールが送られてきて、その影響の深さを感じました。

 

彼の差別的発言や彼のトーンを聞くやいなや、嫌悪感を刺激されることは確かにあるし、もちろん、差別的な発言も彼の攻撃的なトーンも(少しはトーンダウンするかも知れませんが)聞いていて、けっして心地いいわけではないのだけれども、

 

でも、同時に、

 

彼はある意味、誰もが心の中で持っている部分や思っていることをただ声に出して言っているだけじゃないのかな、と思うこともあります。

 

なんと言うか、「ああ、でもたしかに、人間ってそういう差別的な思考ってあるよね」と思ったりです。

 

誤解のないように言っておきますが、私は175カ国もの人たちが働く国連という組織で働いてきたので、これまで一緒に働いた上司や同僚の国はパキスタンからコソボからリベリアからシエラレオネまで、本当にいろいろでした。

 

独立前の南スーダンなど職場に日本人が一人もいない環境も数年ありました。

 

私が国連で働くのが好きだった理由は、実はとても単純で、紛争解決にかかわれるからでもなく、いろんな国の人がいる環境が好きだったから、でした。

 

でも、それは、けっして楽チンなユートピアな世界だったわけではなくて、誤解も差別的な考えもフツーにあって、それが直接的には言葉にはされなくても、ちょくちょく垣間見られるそんなリアルな場でもありました。

 

もちろん、国連という組織の性格上、そういうことを容認することはできないので、いろんな人事規則やら異議申し立ての制度もあって、人権条約や国際規約さえあるのですが、やっぱり規則で人のこころは制約できないよねー、と思ってしまうのです。

 

というか、仮に、地球に住む人全員が同じ肌の色をして、同じ宗教を信仰していて、同じ言葉をしゃべっていたとしても、

 

人間って誰かを区別する(差別する)なんらかの理由をつくるなんて、すごく簡単そうとも思っちゃいます。

 

あいつのマユゲはオレより太いとか?(笑)

 

マユゲ惑星と地球人との交流とかまったく比較の対象にならない場合はどうなるのかわかりませが (笑)

 

interstellar

 

でも、日常的(表面的)にはどうかというと、たとえば、イギリスといった国などは特にこういう傾向が強いと思うのですが、その人がどう思っているかよりも、そういう風に発言すべき、という規範がありますよね。

 

とくに、公的立場にいる人や社会的地位の高い人は、ポリティカリーコレクト(politically correct)でなければならない、ので、この傾向がさらに強いと言われています。

 

そういう場合、社会的地位と自分のアイデンティティーが同一視されていく傾向も強いそうです。

 

私もそうでしたが、「国連職員とはこうあるべき」、という具合ですね。

 

そして、「自分はこうあるべきだ」という自分の理想像もさらに加えられていきます。

 

なので、対外的な「鎧」やら、公的な「マスク」などの「ペルソナ」(パーソナリティー)のレイヤーは実はかなり沢山ありそうです。

 

 

こういう場合、シャドーを含む自分の「ありのままの姿」(嫉妬をしたり傲慢だったりする部分も)を認めるのが難しくなる、という指摘もあります。

 

 

この構造ゆえに、アメリカでは特に、社会的な地位の高い人、またはポリティカリーコレクト(politically correct)な人たち(であるべき人?)ほどトランプ発言を毛嫌いする傾向が強いと言っている人もいます。

 

自分のこうあるべき像にそぐわない、という訳でしょうか。

 

ただ、実際には人間っていろんな面を持ってる存在です。

 

 

多様性や移民の受け入れを前提とする『多様な価値観を認める英国像』は、政策的にも道徳的にもすっかり定着し、もはや疑問を持つことの許されない価値観であるかのように見えました。

 

 

移民や多様性を否定するような意見は『ポリティカリー・コレクト』でないとされ、不安や本音を口に出すことが難しくなっていったという背景がありました。

 

…(略)…

 

ただ、「こんなことを言ってはいけない」「こんな風に見られてはいけない」という自制や抑圧は、実際には誰のなかにもありうる「怖れ」や「偏見」を地面の下に押しとどめるだけです。

 

「反テロ」や「反差別主義」も、その問題に取り組むことをかえって難しくしてしまいます。

 

人間は誰もが怖れや偏見を持っていることを受け止め、それを一度浮上させ、自覚する必要があるのです。」

 

クーリエジャポン Vol.3  「チンパンジー化」が進む地球の上で、未知の恐怖に打ち勝つ方法|大仲千華「答えを求めない勇気」より

 

 

グッドニュースは、そういうものは一旦自覚されたら「力」を失って、統合されると、今度は自分のパワーになってくれるのです。

 

そして、その領域にこそ、自分の本当の力だったり、ギフトと呼ばれるいろんな才能が同時に埋もれていると言われています。

 

そういう領域は心地悪いのでつい避けてしまいがちですが、そこにこそ「宝もの」があるのです。

 

新しい時代の始まり。

 

どうせなら力をつけ、新しい「宝もの」をみつける ー そんな機会にしたいものです。◕‿◕

難民を迎えに自ら空港へ行ったトルドー首相ーこういう人に税金を払いたい!

今私たちは、第二次世界大戦以来の「難民危機」を迎えています。

 

特にシリア内戦を逃れてきた「難民」たちの状況は相変わらず深刻で、2016年に入って減少したが、今も、ほとんど毎日のようにギリシャとイタリアの海岸沖から難民が救助されています。

 

この「難民危機」の本質はいったい何なのでしょうか?

私たち人類は何を学ばなければいけないのでしょうか?

 

この課題の最中、先週には、世界中のリーダーが国連に集まり、国連総会でスピーチを行い、各国の難民に対する姿勢が改めて浮き彫りになりました。

 

その中でも、特に脚光を浴びているのは、難民を快く受け入れる姿勢を示しているカナダのジャスティン・トルドー首相です。

 

トルドー首相は19日、カナダの人道支援予算を今年度10%増額し、援助を必要とする難民の移住を推進する意向を改めて表明し、2015年には、シリア難民がカナダに到着した際には、彼らを歓迎しに自ら空港にも行った彼。

 

「彼らは『難民』としてこの空港に到着します。

この空港を出る時、彼らは定住する先を持つ人間としてこの空港を後にします。」

 

 

2016年9月21日国連総会にて

 

カナダのトルドー首相。単なるイケメンだけじゃない。
新しい時代の政治家バンザイ!!!

 

地球の加速化とはどういうことですか?これからはどういう時代なのですか?

地球の加速化に関してはいろいろな理論や説明の仕方がありますが、まず地球の波動、そして地球上に暮らす人たちの波動が変化しているということが挙げられます。

 

地球の振動数として知られる「シューマン共振 」(schumann resonance)が上昇しているとも言われています。

 

これは日常的に私たちにはどういう風に感じられるかと言うと、例えば、時間が「早く」すぎるように感じられます。物事が起こるスピードもより早くなっています。

 

意識がより遅く低かった時代では、地球における人間の生活は、「生き延びること」(サバイバル)が目的でした。

 

その人間の生活というのは、文字通り「弱肉強食」であって、自分が生き残るために相手を殺すという、まさに、自分の生存が優先の (me, me, me)の時代でした。

 

 

人類がより高い意識に進化するにつれて、

 

私たちの意識は、

 

「わたし」(me)から、

 

「私たち」(we)へ移ってきています。

 

 

 

その特徴とは、

 

ハートに基づいていること、

 

ミュニティーを中心とすることです。

 

自分だけでなく、他の人への思いやりがある世界です。

 

 

 

なぜ、世界やニュースで聞く出来事がより「激しく」なっているように感じられるかと言えば、今地球はこれまで体験したことのないような量の「光」を浴びているからです。愛のエネルギーが降り注がれています。

 

例えば、電気の影になっている部屋の隅に懐中電灯で光を当てると埃やゴミがみつかるようなことと同じです。

 

もし、私たちの中に「愛」と「慈愛」でない部分があるのだとしたら、そうした部分は変わることが求められています。

 

そのような訳で、最近はありとあらゆることをニュースで耳にしたり、目にすることが増えています。

 

ただ、歴史家に今私たちが目にしたり耳にしていることは今特別に「ひどい」のですか?と質問をしたならば、「人類の歴史という視点から見ればもっとひどい時代はあった」という回答が返ってくることでしょう。

 

自分の「敵」がライオンに食べられているのを目の前で見ていることはなくなり、ビデオゲームで遊ぶようになりましたから、人間は少なくとも、少しは「文明化」(civilized)したと言えるでしょう。

 

人間同士の殺し合いは続いていますが、私たちが直接相手を殺さざるをえないような状況はなくなっています。

 

そういう意味では、今、「人類」(地球)は、より「ひどく」なっていると言うよりも、今の時代の特徴は、地球で起きているどんなことも一瞬で知られ伝わることだと言えます。

 

昔はほとんど知られないことや、ようやく数ヶ月経ってから、報道されることもあったのに比べ、今は大抵のことはほぼ、即時に一瞬にして世界中に知れ渡ります。

 

私たちのコミュニケーションが瞬く間 (instant)に起こりうる時代なのです。

 

ただ、そうしたニュースを聞いたり見たりすることによって感じる「トラウマ」も同時に、一瞬にして起こり得ます。

 

ある地方で津波が起きました、というニュースを1ヶ月後に聞くことと、リアルタイムで街や家が流される状況をまさにリアルタイムで目にしているのとでは、その感じ方がまったく違うからです。

 

その感覚を、私たちは、今、世界情勢や世の中の動きが「激しい」と感じるのです。

 

 

より日常的には、私たちの中で「愛」と「慈愛」でない部分が私たちの生活の中でも浮上し、そうした部分に直面することが多くなります。

 

私たちがそうした「愛でない部分」をシフトすればするほど、集合意識の上昇に貢献することになります。

 

サンドラスウィートマン

サンドラスウィートマン Q&A

【メディア掲載】時代の転換期ー世界情勢の異変の背景にあるものとは?

頻発するテロ、世界的なポピュリズムの台頭、ナショナリズムー

 

いったい私たちは今何を理解することが求められているのでしょうか?

 

いま世界中で起きているこうした異変の背景には「恐怖に対する無自覚」があります。

 

いままで対峙したことのない「恐怖」に出会ったとき、我々はどう向き合うべきなのか? 

人間はチンパンジーに退化するのか?それとも??

 

 

クーリエジャポンでの連載「答えを求めない勇気」の第三回目の記事が配信されました!

 

「答えを求めない勇気」大仲千華 Vol.3 「チンパンジー化」が進む地球の上で、未知の恐怖に打ち勝つ方法

 

ご一読いただけましたら幸いです。