「国連勤務」と「コーチング」「子育て」の共通点とは⁉️①ほんとうに強い人は自分の弱みを知っている人

山梨県の道志川に夏休みの旅行に行ってきました。

 

富士の北東に位置する「清流道志川」の水は、船乗り達に「赤道を越えても腐らない水」と言われて重宝されたそうで、山から流れてくる水はひんやりと涼を運んでくれるだけでなく、川に足をつけているだけで、豊かに注がれる川の流れに「清めらた」ように感じました。

 

さて、この夏休みに、姪っ子の自由研究の「ガイド役」の役割を与えられたわたしは、「せっかくの夏休みはのびのびと過ごしてほしい」という思いと「夏休みが残り数日のうちに自由研究を自主的にやって終わらせてほしい」という思いにしばらく葛藤していました。

 

そして、子育てと国連の勤務には大きな共通点があると思いました。

 

いまどきの学校は宿題も多くて子どもも親もストレスが多いのでのびのび過ごして欲しいな、と思っていました。

 

自由研究は旅行を題材にしようと思っていたので、けっして忘れていたわけではないのですが、同時に旅行中にある程度、自分で自分の興味のあることをみつけて欲しいとも思っていました。

 

それで、プールで大はしゃぎの姪っ子の姿を見ながらどのタイミングで宿題のことを言い出せばいいのか迷っていました。

 

押し付けてしまうことで、勉強がつまらないものと思ってしまうことも避けたい。。。

 

自由研究の一番大事なところはテーマを「自分でみつける」ことだと思うから、そうして欲しい。。。

 

まあそれが「理想」なのですが、けっきょくどうなったかと言うと、つい口出ししてしまって、ああ言いすぎてしまったと思い、やり始めたと思ったら、また言いすぎてしまって自分の口を止める、という体験を繰り返しました。

 

「やりなさい」と言うのは簡単ですが、大人がそう言ったところで子どもその通りにやるわけでもありませんし、仮に一時的にやったとしても自主的にやってもらうのはまったく別の話しです。

 

そして、大人が持っている「武器」もふだん使っている「方法」もあまりに貧しく、すぐに尽きてしまうことを改めて思いました。

 

そして、これはたった数日の体験ですが、一人の人格を持った子どもを大人になるまで育てることがいかに大仕事であるかということを改めて思いました。

 

そして、子育てとは、「相手に主体的に動いてもらうこと」を学ぶチャレンジングな「一大プロジェクト」にもなりうると思いました。

 

「コーチング」を仕事とする前から、国連勤務のときに南スーダン軍の人たちと接する中で、「国連の肩書きだけで動いてくれるわけではない相手の協力を得るためにはどうすればいいのか」、ということを考え、試行錯誤せざるを得ないことがたくさんありましたが、子育てにかんする視点も合わせて、相手に自主的に動いてもらうためのヒントを探ってみたいと思います。

 

心理学者のトマス・ゴードン博士による「叱らなくても子どもに動いてもらえる方法」を教えている「親業」と呼ばれるプログラムがあります。

 

ゴードン博士がこのプログラムを始めたのは、叱っても罰を与えても上手くいかず、怒鳴ってしまって自己嫌悪になったという自分自身の体験があったからだでそうですが、ここで紹介されている原則は、コーチやカウンセラー、講師、国連職員やNGOの人たちなどが効果的に相手を援助するためにも当てはまることです。

 

まずゴードン博士が伝えているのは、大人が子どもに対してやってしまうこと、または援助者が被援助者にやりがちなことと、その副作用です。

 

それは力で相手を従わせようとすることです。

 

ここで言う『力』とは、大人が子どもに対して持つ「賞罰を与える力」のことを指します。

 

ゴードン博士は、相手の行動を変えようとして人が典型的にとる行動を挙げています。

 

ここでは、宿題ができずに困っている生徒への教師の対応を例にあげます。

 

以下引用です。

 

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1.命令、指示

「文句ばかり言ってないで、さっさとやってしまいなさい。」

 

2.脅迫、警告

「いい成績を取りたければ、今すぐやったほうがいいと思うよ。」

 

3.義務(すべき、当然のこと、など)

「宿題はやるのが当然だよ。」

 

4.提案、助言、忠告

「もっと上手に時間を使えるように計画を立てなさい。そうすれば、宿題は全部できるだろう。」

 

5、説教・説得

「いいかい。宿題を提出するまでもう三、四日しかないよ。よく覚えておくんだね。」

 

6.批判、非難

「お前はひどい怠け者だ。さもなければグズだ。」

 

7.悪口、侮辱、はずかしめる

「来年は中学生だというのに、これじゃあ、まるで小学四年生程度ね。」

 

8.断言、思い込み

「宿題をやらずにごまかすにはどうしたらいいのか、そればっかり考えているんじゃないのか?」

 

9.尋問 

「どれだけ時間をかければすむの?」

 

10.皮肉

「誰かさんは、人にこんなに何度も言わせてまるで何様のつもりなのか」

 

ちょっと胸が痛いですね。

 

ゴードン博士の調査では、講座に参加した親や教師の90%以上がこれらの対応をしていたといいます。相手の心は閉じてしまい、問題の解決から遠ざってします。

 

とくに、6~10は「あなたはちょっと変だ」、「わたしはあなたよりも上だ」というメッセージが隠されている、とゴードン博士は言います。

 

言い方はもっと丁寧ですが、南スーダンの国連PKO活動が、南スーダン軍の人たちに接していたときに、こちらが少しでも横柄な態度を隠しもっていたり、相手を変えようとしたときには、本能的にそうした力関係を嗅ぎ取る嗅覚が優れているのか、彼らはすぐにこちらの言うことを聞かなくなってしまったことを思い出します。

 

さて、こうした態度をされた相手は次のように反応し、感じます。

 

1.これ以上話してもムダだ、と黙りこむ。

 

2.防御的、反抗的になる。

 

3.強く主張する。反抗する。

 

4.憤慨する。腹を立てる。イライラが増す。

 

5.自分はダメだ、劣っていると感じる。

 

6.自分は間違っている、悪い、罪深いと感じる。

 

7.自分をあるがままに受容されていない、と感じる。

 

8.あなたが自分を変えようとしている、と感じる。

 

9.自分の問題解決の力を、あなたが信頼していないと感じる。

 

10.自分の問題をあなたがとりあげてしまったと感じる。

 

11.自分が理解されていないと感じる。

 

12.自分の感情には正当な理由がない、と思わされる。

 

13.中断された、切り離されたと感じる。

 

14.誤解され、抑圧されたと感じる。

 

15.証言台に立たされて、反対尋問されていると感じる。

 

16.あなたは興味がなくて、問題から逃げたがっているのだ、と感じる。

 

17.子どものようにあやされている、と感じる。

 

トマス・ゴードン「親業」より引用終わり

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改めて読むとこちらも胸が痛いですね。

 

ただ、これはこんな風にしてしまいがちな自分を責めるためのものではありません。

 

立場が上にある人たちやアドバイスする立場にある人たち(親、教師、講師、コーチ、カウンセラー)により効果的な方法を伝えることが目的です。

 

実際にはこんな理論のようにうまくはいかないよ、と思う人も多いかも知れません。

 

そして、それもその通りで、親も先生もコーチやカウンセラーといった人たちも、たくさんの間違いをしたり、もっとこうすればよかったという体験を繰りかえして学んでいくのだと思います。

 

 

そして、大人側の視点で見ると、ほんとうはもっと優しくしたいし、「相手のいいところを伸ばしましょう」という本の理論も知っているのですが、つい言い過ぎてしまったり、イライラしてしまって、「自己嫌悪」を覚えてしまうことに悩んでいる人がほとんどだと思います。

 

大人といえどもまったく完璧ではないし、完璧からはほど遠いように感じることもしょっちゅうです。

 

大人の中にも子どもの部分がありますから、実際のところ、大人もサポートが必要です。

 

 

仕事ではなんとか「完璧」を装うことができても、子どもはコントロール不能なので、子どもを相手にすると自分の感情が刺激されて、いつもの行動のパターンがに振り回されることがもっと起きやすくなります。

 

自分がまったく完璧でないことや自分の弱みや心の中のコンプレックス浮き彫りになりやすくなります。

 

そんなときに、人はそれを恥ずかしいと思って、こんなんではいけないと思って、それを隠そうとしたりするのですが、そんな時に現れる「自分の弱さ」や「過去の影響」を知ってそれを宇宙に預けることができる、という

 

わたしたちに与えられている恩恵の機会であって、「効果的に援助する」、「人との関係を持つ」ためにも役に立つ、わたしたちをより根本的な解決方法に導いてくれるヒントではないかと思うのです。

 

(続く)

 

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コフィーアナン元国連事務総長死去にあたってーここでほんとうに歴史が動くかも知れないという高揚感と期待を国連全体に生み出したアナン氏の「魂の報告書」

先日2018年8月18日コフィーアナン元国連事務総長がスイスで死去しました。80歳でした。

 

わたしはいい時期に国連で働くことができたと思っていますが、彼がトップだったことも大きかったと思います。彼が事務総長だった時代にニューヨーク本部で働くことができたのは光栄した。

 

組織や会社はトップの人の意識レベルで雰囲気もやり方もかなり変わりますが、国連といった大きな組織でさえも彼の影響は大きく、事務総長が潘基文、そして今のグテーレス事務総長に変わってからとくにそれを感じたと言っていた同僚がたくさんいました。

 

アナン氏は、物静かな方であまりたくさん話しませんが、口を開くと周りを引きつける智慧のある言葉を話される方でした。本物だけが持つオーラと独特の存在感を放っていました。

 

彼が事務総長として任期を努めた時期の前後90年代始めという時期を改めて振り返ってみると、冷戦が崩壊し、国内紛争が各地で起こり始めた時期でした。

 

日本が初めてカンボジアのPKOに参加したのは1993年でしたが、その時に国連本部PKO局を指揮していたのはアナン事務次長でした。

 

そして、同じ時期にはルワンダの虐殺(1993年)とボスニア、スレブレニッチアの虐殺(1995年)が起きています。

 

国連事務総長としての10年の任期の真ん中に差し掛かる前には9.11が起き、アメリカがイラク戦争に踏み切り、それに対する報復テロが新たな国際的な課題となり始めていました。

 

2005年には、緒方貞子氏やアマルティアセン氏 (ノーベル経済学賞受賞)などをメンバーとするハイレベルパネルが設置され、新たなテロや紛争にどう取り組むべきかという「脅威・挑戦・変化に関するハイレベル・パネル」によるレポート(A/59/565)が発表され、テロを生み出す根源に取り組む必要性が強調されました。

 

そして、2000年に全加盟国が採択した「国連ミレニアム宣言 」以降の進捗状況を審査することになっている2005年の国連総会時には、アナン氏は、「2005年は歴史的な好機」であり、「今後10年で地球上の貧困を半減させる全ての条件は整っている」とはっきり宣言し、世界の指導者に「国連ミレニアム宣言 」の履行を求めました。

 

国連という組織は年に何千もの報告書を作成し発表しますが、新しい機運を生み出したのは、「本報告書を作成するにあたっては、私の事務総長としての8年にわたる経験、私の良心と信念、そして、私自身がその原則と目的を推進する責務を負う国連憲章に対する私なりの理解を拠り所とした」という全文で始まる、日々変わりゆく世界の課題とビジョンを記した「国連事務総長報告書ーIn Larger Freedom」(A/59/2005)でした。

 

2005年の国連総会に向けて加盟国に提示された「In Larger Freedom」と「ハイレベル・パネルレポート」の二つのレポートは、単なる報告書というよりは、アナン氏、緒方貞子氏、アマルティアセン氏による協働作品とも言えるような魂のこもった報告書でした。

 

私はちょうどその頃国連ニューヨーク本部で働いていましたが、2005年は特に、ここでほんとうに歴史が動くかも知れないという高揚感と期待が国連本部全体に広がったのを覚えています。

 

世界が新たに直面する課題についてデータも含め実証的に提示し、かつ緒方貞子氏やアマルティアセン氏といった人たちによる新しい課題に対する分析や洞察、そして具体的な方策を提示しながら、同時に、国連全体と加盟国が向かう全体の方向性をビジョンと希望を持って示してくれました。

 

そして、彼の時代を振り返ってみて、今私の心をとらえるのは、彼がPKOを指揮していたときに起こった数々の国連が直面した大きなチャレンジです。

 

ルワンダの虐殺、スレブレニッチアの虐殺、イラク戦争の開戦、セルジオデメロ元国連人権高等弁務官が亡くなった国連イラク事務所の爆破。。。

 

カンボジアの国連PKOでは日本人もなくなりました。

 

どの事件をとっても国連はもちろん世界全体を揺るがした大事件でした。

 

だからこそ国連改革が起こったのですが、それらの出来事は国連の事務局と安保理との関係など国連の構造や制度の根幹に関するものでもありました。

 

国連の採用面接で「失敗」やこれまで体験して難しかったことについて聞かれるとお伝えしたことがあります。

 

難しい課題に直面した時にどう対処しましたか?そこから学んだことは何ですか?

 

仕事でうまく行かなかった体験はありますか?なにかに失敗した時どう対処しましたか?

 

仕事上で自分の苦手分野を発見したことはありますか?それに対してあなたはどうしましたか?といった質問です。

 

これらの質問が聞いているのは、「この状況や課題から学ぶことは何だったのか?ほんとうの問題は何だったのか?同じことを繰り返さないために改善できる点は何か?という視点です。

 

その質問を知ったときには、単なる面接の対策として考えていましたが、

 

アナン氏を通じてその時代の出来事を振り返ってみると、そうした質問の意味がよりリアルにせまってきます。

 

私たちは過去に起こったことにたいして、

 

「どうしてああしなかったんだろう」

「ああ、もっとああすればよかった」と思いがちです。

 

私も4年ほど働いた南スーダンで内戦が再発して見慣れた首都ジュバの街に避難民が溢れている様子を見たときに、「ああ、もっとああすればよかった」という思いが押し寄せてきたこともありました。

 

いくらでも「後悔」することは簡単なのですが、ただ、すでに起こったことが変わることも、過去がよくなることもありません。

 

過去が役に立つとしたら、私たちが過去の体験から「学び」賢くなって、顔を上げて前に進むことなのだと思います。

 

アナン氏死去のニュースからそのことを改めて教えてもらっているように感じます。

 

この困難と混乱の時代に、人々に耳を傾け、対話の空間と問題解決の場所を与え、平和と平等への取り組みを決して諦めなかった彼の精神がこれからも私たちを鼓舞し続けてくれるように願います。

 

コフィーアナン氏、

 

あなたは世界と国連全体が前代未聞の数々の大きなチャレンジに直面していた時代に、惨事のときさえも謙虚に智慧とゆるしの精神を持って国連と人類が前に進む方向を粘りづよく探り続け、利害がぶつかり合う時でも、国連全体と加盟国が向かう全体の方向性をビジョンと希望を持って示してくれました。あなたが示してくださった精神と功績に心から敬意を表し、哀悼の意を表します。

 

「分からない部分」が減るほど未知の不安も確実に減っていくー 国連の分析手法から学んだ不安を確実に分解していく方法

南スーダンで働いていたと言うとよく聞かれるのが、「怖くなかったですか?」という質問です。

 

もちろん日本にいる時と比べれば、気をつける点はたくさんありますし、夜の7時には無線による点呼というものが全職員に義務づけられていました。これは携帯電話の電波が使えなくなることなどを想定して、無線での連絡手段を確保しておく意味があります。

 

南スーダンでは、治安研修の一環として万が一人質にとられた時の対応についても習いました。

 

(アフガニスタン、南スーダンやソマリアなどに派遣される国連職員とNGOのスタッフが現地で受けます)

 

東ティモールでは銃が発砲された時に居合わせたこと、また、南スーダンではお金をせびる兵士に銃を向けられたことが一回だけありますが、相手はお金をせびることが目的だとすぐにわかったので、落ち着いていられました。

 

そうしたリスクは存在するので、まったく怖くないと言ったら嘘になりますが、例えば、そうした出来事が「組織的なものなのか」、または「突発的なものなのか」という点で「脅威」に対する判定は大きく変わります。

 

経験を積むにしたがって、何かしらの出来事が起こってもそうした基準に従って、「今回は報道で言われているよりも大したことないな」、「あっ、今回は注意した方がよさそうだ」、とかなり判断できるようになっていきました。

 

PKOが展開する国や地域の情勢を分析する手段として、脅威分析(threat analysis)やリスク分析(risk analysis)、シナリオ分析(senario analysis)といった分析手法があります。

 

どんな手法も完璧ではないし、どんなことであっても完璧に知ることも予測することも出来ませんが、私が国連PKOの現場で学んだのは、もし「脅威」や「怖れ」というものがあったら、それを一つ一つ分解して、対処法を考え準備することはできるということ、そして準備をすればするほど、漠然とした不安は減る、ということでした。

 

脅威分析(threat analysis)やシナリオ分析(senario analysis)といった手法についてここでは詳しい説明はしませんが、どの手法にしても、分析を始めるにあたって非常に重要となるのは、何がわかっていないのかをはっきりさせること、わかっていない点があるのならばそれについての情報収集を徹底的に行うという点でした。

 

どんな分野であれ、何かに対して結論を導こうと思ったならな当然ながら十分に情報が必要なのです。

 

そして、以下のような手順で進めていきます。

 

① 現在地の把握

今どんな情報があるか?何がわかっていて何がわかっていないのか? それはどこに行ったらわかるのか?誰に聞いたらわかるのか?

 

②情報の整理

情報とは事実と意見を集めたもの。

それに対する人々の意見。

その情報は自分で確かめたか?

その情報を得たことによって新しく分かったことは何か?

 

③選択肢の確認

今どんな選択肢があるのか?

まだ気づいていない選択肢はあるか?その情報を得てどういう選択肢があるとわかったか?選択肢を十分に考えたか?全ての選択肢を洗い出す

 

④シナリオを予測する

もしこの決断を実行に移したらどうなるのか?シナリオ1の場合、シナリオ2の場合、シナリオ3の場合、 一番おそれている結果は何か?一番最善な結果は何か? 結果をどのくらいはっきり予測しているか?

 

⑤ 対策(Course of Action:COA)を考える

ぞれぞれのシナリオで関係する部署はどこか?

それぞれのシナリオに対する対策

アクションプランをあげる

 

Course of Action:COAは軍隊発祥の用語ですが、

これらの思考プロセスは、ビジネスにおける意思決定のプロセスとも共通します。

 

人は全く自分が知らないことや体験したことのないことに対して必要以上に「不安」を覚えます。いわゆる「未知の恐れ」と呼ばれるものです。

 

こうした分析マインドや思考プロセスが私たちの日常にも当てはまると思うのは、もし不安に思うことがるとしたら、「不明な部分」「分からない部分」をどんどん減らしていくことによって、ばくぜんとした未知の不安やおそれ」は確実に減らすことができる、ということです。

 

 

 

ノーベル平和賞に3度ノミネートされたシーラ・エラワージー「逆説的に聞こえるかも知れないけど、人が『マスク』を抜いでもろさを出せる時にこそ成果がうまれる」

今、日本も世界も危機にあります。

同じやり方では続けられなくなっています。

にんげんとして必要なことや本当に大切なことを無視し犠牲にして自分だけが生き残るやり方で国も社会が繁栄するはずがありません。

 

この数年で気づいたら、社会全体の力も一人一人の生命力も弱ってきています。

 

真実や真理はわたしたちに活力やインスピレーションをくれるけれども、「にせものの力」は人から力を奪っていきます。

 

今の時代、私たちは本当の力や真実を見極めていかないといけません。

 

そして、「ほんとうの力」を求め、自らつくり、広げていかないといけません。

 

ノーベル平和賞に3度ノミネートされたシーラ・エルワージーの著書、「内なる平和が世界を変える」(Pioneering the Possible)の序文にこう書かれています。

 

内なる平和が世界を開ける

 

「世界は危機に瀕している。だから、内的力と外面の行動を結合できる技を持った人たちが必要だ。

 

内的力は、習慣的な内省や瞑想を通して、克己心、自我への鋭い観察力と自制を磨くことから生まれる。…

 

望むような外的変化は内的変化抜きに実現しない。これが現在の進化プロセスなのだが、ほとんどの人がまだそれを理解していない。あなたの自覚の質が、あなたが生み出す結果の質に直接影響する。

 

紛争を変容させ、世界の問題を解決するための創造的イノベーションとエネルギーもそこから作り出される。」

序文 デスモンド・ツツ

 

シーラ・エルワージーは、本の冒頭で「自分の仕事の成果は内的な力の直接的な結果だ」とも言っています。

 

これはどんな意味なのでしょうか?

 

彼女は、13歳の時のショックだった体験を紹介しています。

 

テレビでソ連軍がハンガリー・ブダペストに侵攻して、小さな子どもたちが轢かれるニュースを見たそうです。

 

「ともかくブダペストに行かないといけない」と思った彼女は、スーツケースを出してきてパッキングを始めます。

 

その彼女に対してお母さんは冷静に言うのです。

 

「わかったわ。でもね、あなたはそれに必要なトレーニングを受けてないの。どうしたら受けられるのか一緒に考えましょう」と。

 

その後、彼女は大学へ行き、難民キャンプやアルジェリアの孤児院で働き、紛争やトラウマが人間一人一人に与える影響も身をもって体験します。

 

核政策にかかわる人たち13人に深い深いインタビューを行い、博士号を習得し、アフリカでも働き、結婚し、子どもも授かります。

 

国連のコンサルタントを務め、リサーチにもかかわります。

 

しかし、それでも、彼女が13歳以来求めてきたほんとうに必要な体験もスキルもまだ学べていなかったと言います。

 

その事を痛感したのは、国連ニューヨーク本部で開催された核軍縮に関する特別会議に参加した時でした。

 

第二次世界大戦後、二回目の開催となった核に関する特別会議だけあって、日本など世界中からも多くの人が参加し、それに合わせて何千人もの人がニューヨークのブロードウェイでデモを行ったり、ロビーイングに参加し、会期中にはニューヨークタイムスが核問題について大きな特集も組んだそうです。

 

そうした熱気に触れ、「何かが変わるかも」と期待とともに会議場に戻った彼女が直面したのは、何もなかったように自国の立場を話し続ける各国の担当者と何の具体的な成果も産まずに終わった会議でした。

 

彼女は何が本当の問題だったのか?と、考え続けます。

 

その時、彼女の頭を占拠したのは、

誰がほんとうの「意思決定者」なのか?という疑問と、

ともかく、「意思決定者」に話さないといけない!

という失望の中で受け取った閃き💡のような衝動と、

 

ほんとうに変化をもたらすためには何が必要なのか?という問いでした。

 

まず彼女は、政治家や安保理常任理事国、兵器製造企業経営者や技術者などを議論に含めないといけないと考えました。

 

ちなみに、これは80年代初頭の冷戦まっただ中の話しです。

 

今のように、インターネットがあるわけでもなく、各国の防衛省や外務省の組織図が公開されているわけでもありません。

 

アメリカの担当者はロシアや中国の担当者と顔を会わせたこともないし、

会議が始まる前から彼女は参加者たちの疑いや強い緊張を感じたと言います。

 

彼女は、会議全体を注意深くデザインし準備を進めます。

会場は、英国オックスフォードの郊外にある美しい庭や緑のある場所に決まりました。

 

議題や会場、参加者の選定などを進めると同時に、彼女は、会議のサポートに関わる人にとってのほんとうの「準備」はもう少し別のところにあった、と言います。

 

ほんとうの成果が生まれるためには、それぞれが公式見解をただ一方的にスピーチするのではなく、一人の人間としてオープンに対話ができる場が必要だと彼女は考えました。

 

そのためには、彼らが緊張や不安から解放され、公的な「マスク」を一瞬でもいいから脱げるくらいの「安全な場」をつくることが鍵だと思いました。

 

彼女が会議の運営に関わる人たちと共に進めた準備とは、会議がはじまるとその場で生じるだろう不安や緊張、疑いをその人たちが自分の中で「超えていること」、そしてその状態をホールドできる「内なる強さ」を持つことでした。

 

彼女は、成果を生む場をつくるために、内的な力をマスターしている人たちを5人程呼び、その人達に会議室の真下で1日中瞑想をしてもらい、文字通り会議を下で支えてもらうことにしました。

 

会議中、米国国務省の出席者の一人がシーラのところにやってきて、言います。

「シーラ、この建物は何か特別だ。下から何か湧いてくるように感じる」と。

 

シーラは、会議室の真下の部屋で瞑想をしている人たちがいることを伝えました。

 

「みなさんのランチを配膳してくれた人たちを覚えてますか?

あの人たちが下で瞑想してくれてるの。もしよかったら本人たちに聞いてみて」

 

米国国務省の担当者は、その人たちの笑顔と穏やかさに触れ、驚きと同時に何か腑に落ちた表情で会議室に戻っていったそうです。

 

彼女はこうした対話を続け、こうした場での交流が冷戦化の対立の中で信頼関係を生み、核条約の締結につながったと言われています。

 

彼女が行った対話は非公式という条件で行われたので、当時は一言もメディアに載ることもなく、今になって彼女がずい所で明かすエピソードが示唆に満ちていて面白いのですが、

彼女にはある確信があったそうです。

 

「難しいテーマである程、会議室には言葉にされなくてもすぐに不安や疑い、怒り、フラストレーション、失望が蔓延する。そんな状態では、同じ意見の応酬が続くだけ。」

 

… (中略) …

 

「人は対話を『ソフト』なものと言い、『マッチョー』なものを求める。

でも、本当に生産的な結果を生みたかったら、私たちは怖れを超える内的な強さを持たないといけない。」

 

… (中略) …

 

「逆説的に聞こえるかもしれないけれども、人がマスクを抜いでもろさを出せる時に事が動いた。結果が生まれた。自分がありのままでいられる程、成果を生んだ。」

 

これこそが、彼女がブダペスト以来ずっと求めてきた「トレーニング」(スキル)だったのです。

 

私もニューヨークの国連本部で働いていた時に、やはり各国の担当者が一方的にスピーチするのを聴き続けてとても疲れたことを覚えています。偶然にも軍縮に関する会議でした。

 

「怖れを超えたところからしか本当の力は生まれない。」

 

本当の力とは、怖れや緊張や疑いなどネガティブな面を否定するのはありません。

 

「ありのまま」(being authentic)とは、自分の中の怖れや怒りなどを自覚し、正面からとらえ、愛をもって受け入れることによってそれらを「力」にすることができるのです。

 

彼女のエピソードがつまった動画おすすめです!

 

Scilla Elworthy: Part 1 – The Heart of Peace

Discover the core challenges & opportunities in making peace actually work with Nobel Peace Prize nominee & founder of the Oxford Research Group & Peace Direct.

 

http://globalleadership.tv/video/scilla-elworthy-part-one-the-heart-of-peace/

 

 

 

 

 

無関心や孤立、寛容性が下がる「社会的なトラウマ」 という現象ーその連鎖と国連関係者が学ぶ「どうしたら憎しみの連鎖を防げるのか」という理論

先日はトラウマとは単に「心の病」というよりは、「身体に残り外に出切れていないエネルギーである」とお伝えしました。

 

アメリカでは10人に一人がPTSDと言われるくらい、トラウマやPTSDが過剰に診断される状態があるとも指摘され、

 

すべてを「トラウマ化」する必要はない、と断っておいた上で、

 

トラウマと暴力の連鎖のメカニズムと、それを乗り越える過程を理論化したものして知られる

 

The Center for Justice and Peace-buildingの Strategies for Trauma Awareness and Resilience(STAR)より、トラウマが日常的にどういう風に現れるのかお伝えしたいと思います。

 

cycles-of-violence.jpg

⏫  The Center for Justice and Peace-building, Strategies for Trauma Awareness and Resilience: STAR)より

 

一般的にはこのような状態がみられます。

 

・判断能力が低下し、何かに対する事象を恐れとして認知しやすくなる。

・コミュニケーション能力が低下し、特に共感性が下がる

・柔軟性や寛容性が下がる

・直接何かが起こったわけでもない個人との関係において緊張や対立がおこる

・無関心や孤立

・自分の被害ばかりに目がいき、他者の視点で見ることができなくなる(歴史、係争、関係性)

 

さらに、そのエネルギーが内に向けられるか(acting-in)、または外に向けられるのか(acting-out)?に分けられます。

 

内に向けられた場合には、以下のような症状が見られます。

 

内に向けられた場合:

・依存 (インターネット、薬物、買い物、セックスなど)

・過食症・拒食症

・仕事中毒

・自傷行為

・うつ

・不安

・頭痛や身体の緊張など・慢性的な痛み

・病気(身体的症状)

・自殺

 

外に向けられた場合には、以下のような症状が見られます。

 

外に向けられた場合:

・ドメスティックバイオレンス(DV)

・虐待

・犯罪行為

・リスクを犯したがる

・攻撃的な行為

・暴力行為

・戦争

 

社会的・集合レベルでは次のようなトラウマのサインを見ることができます。

 

・無関心(国の政策や政治や社会に対する無関心)

・黙る(表現の自由の抑圧、真実が語られなくなる)

・共感や寛容性のうすれ

・二元論(ゼロか100か、こちら側かあちら側か)

・ 人との繋がりが希薄になり信用できなくなる

・環境の悪化

・性の軽視や売春の増加

・薬剤の使用量の増加

 

 

トラウマはそれに苦しんでいる当事者が自分で心の痛みを癒し、その体験を完了させなければ、さまざまな 形で次の世代や社会に引き継がれると言われています。

 

最近は、トラウマと暴力の連鎖だけでなく、それを乗り越える過程も理論化されています。

 

これは、9.11をきっかけに始まった「どうしたら憎しみの連鎖を防げるのか」という研究から生まれまし た。

 

今では、「Strategies for Trauma Awareness and Resilience: STARプログラム」として知られ、私も国連の研修の一環で参加したことがありますが、米政府や国連関係者、アフガニスタ ンやイラク従事者をはじめ、ドイツ、ケニア、レバノンなど世界60ヵ国から参加者が集まるプログラムとして知られています。

 

STARは、米国で起きた1995年のオクラホマシティ連邦政府爆破事件の被害者が「和解」へ向かっていた 過程などを理論化し、紛争を根本から解決するには、個人が心の傷やトラウマの体験を癒すことが重要だとしています。

 

STARに理論によると、寛容性の低下や排他主義といった排除型の暴力も、トラウマと暴力の連鎖の一つだと説明することもできます。

 

報復の「連鎖」を根本的に解決するためにも、こうした連鎖のメカニズムとそれを断ち切るのは何か?と理解することは役に立つと思います。

 

STARの理論では以下のステップが説明されています。

 

STAR 和解.001

 

(#1)身の安全

(#2)なげく・自分のストーリーを話す

(#3)Why me? ⇒ Why them?なぜ私?からなぜ相手?への視点

(#4)相手の「ストーリー」を理解する

(#5)ストーリーが書き換わる

(#6)ゆるし

(#7)正義(restorative justice)

(#7)和解

 

こちらについてはまた説明したいと思います。

 

個人的なトラウマやPTSD(援助従事者による二次受傷、セカンダリートラウマも含む)の回復プロセスについてはこちらで説明しています。

 

トラウマとまで言わなくても、人生では自分の思うようにならない時もあれば、理不尽なことも起こります。一人ではどうしたらいいのか分からなくなることもあるでしょう。

 

そんな波の中にいる時にどうしたいいのか?

 

少しでもそんなヒントになるように、トラウマやPTSDの回復理論やレジリエンスに関する研究と私自身の燃え尽き症候群やPTSDからの回復体験を質問形式にしてまとめました。

 

ここで挙げている質問は、リラックスして、まずは眺めてみて、思い浮かぶことをありのままに観察してみるというアプローチをオススメします。

 

質問を読んでもに何も思いつかなくても、ふとした瞬間に何か思い浮かぶ事もあるでしょう。

 

自分が前に進んだからこそ、意味を持ってくる質問もあるので、ぜひ定期的に眺めてみて下さいね。

 

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目次

あ、今の自分の状態について把握する

い.自分の「ストレス反応」を知る

う.今気になっていることについて観察する

え.喪失 (後悔、自責、サバイバーズギルト)に気づく

お.自己像、自己肯定感、自己受容度に気づく

か.自分の中の「不安」を意識化・言語化する

き.自分のコーピングスタイルを知る

く.自分と相手との優先順位(境界線)と当事者レベルを知る

け.自分のストーリー(解釈・認知)に気づく

こ.回復のストーリーをみつける

さ.試練の中の「意味」について知る

し.再結合・新しい自己の創造

す.回復・再生のためのステップ 

せ.トラウマからの回復・再生のプロセスで体験しうること

そ.トラウマからの回復の三段階

 

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日本人は自分だけが儲かればいいだけではがんばれない民族。世界のために果たすべき意義があってこそ日本本来の力が発揮される

日本人は元々自分たちだけがよければいい、儲かればいい、というようなレベルではがんばれない民族だと思います。日本人という人たちには、より根源的なレベルで自らを奮い立たすことのできる「存在意義」が必要なんじゃないか?

 

8月になって戦争関連のテレビ番組や新聞記事に触れながら、そんな想いを強くしています。

 

そして、この数日である問いが私の頭に浮かび続け、ある種のインスピレーションを受け取っています。

 

それは、なぜ日本はあんな焼け野原から世界第3位の経済大国になるまでの奇跡的な復興を成し遂げることができたのか?という問いです。

 

そして、その問いこそに、この閉塞感で行き詰まりの今の日本を抜けさせてくれるヒントがあるんじゃないか、ということを感じるのです。

 

日本の戦後の復興がいかに奇跡的であるかは、国連で紛争後の復興に関わった時改めて痛感しました。

 

例えば、東ティモールと南スーダンにおいては、国連は紛争の停戦だけでなく、その後の国の独立そして「国づくり」にまで関わりました。

 

特に南スーダンは、アフリカ(世界)最長の紛争からの独立だけあって、独立後の国づくりには、国連だけでなくEUや世界中の学者や政策アドバイザーが、それこそ復興のための最善の政策を考え、国連の活動の中でも特段大きな予算も注目もつけられました。

 

そうした外部の支援があっても、一番肝心なのは当事者たちの意思(特に新しく国づくりを担う国のリーダーたち)であるのは改めて指摘するまでもないのですが、南スーダンでは復興が進んでいないどころか、残念ながら内戦が再発し、以前よりもひどい状態になっています。

 

では、自然災害からの復興はどうでしょうか?

 

2006年12月に発生したスマトラ沖地震の津波で壊滅的な被害を受けたスリランカやインドネシアのアチェを例にとっても、その復興は日本の戦後の復興とはまったく程度が違います。

 

東日本大震災の後に、フィリピンやバングラデシュ、スリランカに出張した際には、「戦後の焼け野原から復興を遂げた日本は私たちにとっての希望。だから復興を応援している」という声をたくさん聞きました。

 

東日本大震災の時に日本が受け取った支援額の総額は個人と組織からの寄付を含め、ソマリアやスーダンの支援額を3倍も超え世界一位でしたが(2011年度)、そこには日本の支援(ODA)に対するお礼だけでなく、戦後の奇跡的な復興への「敬意」とさらなる発展に対する希望という意味合いもあると感じました。

 

日本の戦後の復興の要因としては、高い教育水準(識字率)とモラル、朝鮮戦争による特需や冷戦時代に米軍の傘の下に入りながら経済発展に邁進したこと(軍事・政治面での米国依存に引き換えという構図と引き換えに)などが一般的に挙げられてきましたが、果たしてそれだけで説明になっているのか?という指摘は根強くありました。

 

東日本大震災の時にも、今回の震災からの復興を見ることで(もしそれが再現されたなら)、日本の戦後復興の本質がより明らかになるだろう、と指摘した海外の大学教授の声もありました。

 

官僚主導による東日本大震災の復興は残念ながら成功とは言えませんが、それが逆に日本の閉塞状況を象徴するかのようで、同時に、戦後の復興の「特異性」を改めて際立たせることになったとも言えます。

 

そこで冒頭の質問に戻りますが、あらためて、なにが戦後の日本の奇跡的な復興の原動力となったのでしょうか?

 

今、改めてそこに想いをはせるとき、このような見方もできるのではないかと思うのです。

 

より根源的な原動力としては、なぜあのような戦争をゆるしてしまったのか?という悔しさと戦争・敗戦の屈辱を越えて誇りと尊厳を取り戻したいという大きな想いがあったということ、

 

だからこそ、軍事とはまったく違う力で(日本の場合、経済の力で)世界に尊敬される国として地位を再び確立したい、戦争をしたからこそ今度は平和に貢献できる国になりたい、という想いが根底にあったのではないか?と思うのです。

 

バブル崩壊以降、日本の企業や社会は、ますます内向きになり減っていくばかりの内需(人口)のパイを奪いあっています。

 

それは本当に幸せの道なのか?と確信を持てない人たち、これから何を目指したらいいのか?と違うものを求める人たち産みだしています。

 

日本人は元々自分たちだけがよければいい、もうかればいい、というようなレベルでは立ち動けない・がんばれない民族だと思います。日本人という人たちには、世界の平和というより根源的なレベルの「存在意義」があってこそ、本来の日本の力が引き出され、発揮されるのではないか?と思うのです。

 

もっと言うと、「戦争をしたからこそできる日本の貢献分野」があると思うのです。

 

これまでは、戦争をしたからこそ世界で目立ってはいけないという力学が無意識レベルで作用していたようにも感じます。

 

それが、昨年5月末のオバマ元米国大統領による広島訪問と、謝罪を求めないという広島のそれぞれの決断により、両者の和解と「日本の戦後」が大きく一歩前に進みました。

 

オバマ元米国大統領が広島を訪問して以来、日本での戦争に関する記事やテレビ番組も視点が国内だけでなくより世界へ視野が広がったような印象を受けています。

 

戦争をしたからこそできる日本の貢献分野は何か?

 

日本の強みや弱みは改めて何か?

 

そして、自分の役割は何か?

 

このお盆休みには、あえて視点を広げてそんな大きな問いかけをしてみてもいいんじゃないかな?と思います。

 

素敵なお盆休みを!

国連PKOの幹部経験者たちを突き動かす「原動力」とは?ーこっそり語ってくれた彼らの本音

イスラム圏7ヵ国からの移民の入国禁止令が出たかと思いきや、それが差し止めになったり、就任後わずか1ヵ月で安全保障補佐官が辞任したり──トランプ政権の発足後、信じられないようなニュースが相次ぎ、米国の動揺は世界に波及している。

 

当たり前だと思っていたことが当たり前ではなくなりつつあるいま、それに疑問を持たずに思考停止に陥るとさらなる危機が生じる──1994年に起きたルワンダ大虐殺を例にとり、筆者は警鐘を鳴らす。

 

集合場所はスリランカ最大の都市、コロンボの某米国系ホテルでした。

 

「講師の方は到着後、各自ロビーにてスリランカ軍と合流してください」

 

米軍太平洋司令部から送られてきた書類には、スリランカに到着した後の流れについてはそれしか書かれていませんでした。

 

他に知らされていたのは、これから我々講師4人でチームを組んでスリランカ軍に訓練を実施すること、4人のうち2人は元軍人であること。あとは研修の内容と担当分野ぐらいでした。

 

2012年9月、私は国連がスリランカ軍におこなう平和維持活動(PKO)の訓練で、米軍の専門家という立場で講師を務めることになっていました。

 

そのときのメンバーは米国人のJ、元カナダ軍のB、元マレーシア軍のD、そして日本人の私の4人。全員、すでに国連も軍も離れており、個人の専門家として参加していました。

 

私以外の3人には、ある共通点がありました。全員、国連要員として1994年にルワンダで起きた大虐殺を体験していたのです

 

ルワンダ虐殺のような世界を揺るがす大事件の現場にいた人たちは、いったい何を思ったのか?

 

今回の連載でこのテーマについて書きたいと思ったのは、トランプ政権がイスラム圏7ヵ国の移民入国禁止令を出したと思ったら、それがすぐに差し止めになったから。日々、予測不可能なニュースが報じられる状況に「いままで当たり前だと思っていたことが、当たり前ではなくなる時代がやってくる」と危機感を覚えたからです。

 

トランプ政権の誕生によって、私は「そもそも政府は正しいのだろうか」という疑問を持ちました。

 

政府はこれまで絶対的な存在で、権威や常識、そして私たちが「当たり前」だと思っていることの象徴でもありました。しかしその価値観が、もろくも崩れ去ろうとしています。

 

独立前の東ティモールにいたことがあります。そのときは通貨や法律、中央銀行はおろか政府が存在していませんでした。市場でトマトを買ったときに、3つの貨幣(インドネシアルピー、米ドル、豪ドル)でお釣りが返ってきて、無政府状態であることを実感しました。

 

では、「当たり前」なことが何ひとつ存在しなかったであろう、ルワンダ虐殺の現場にいた人はいったい何を感じたのでしょうか?

 

彼らの経験から、「当たり前のない時代」を生きるヒントを探ってみたいと思います。

 

ルワンダが生んだ絆

 

スリランカでおこなわれた訓練プログラムは、世界的にもよく知られたものでした。そのときの講義では、武装解除、元兵士の社会復帰(DDR)、人道支援、安保理決議や国連PKOの意思決定、演習など幅広い内容を網羅していました。

 

演習では、仮想国のシナリオに基づいて意思決定の過程をシミュレーションします。シナリオの策定には米軍もかかわっており、内容もリベリアやアフガニスタンなど世界中の事例が集約された本格的なものでした。

 

武力で敵を倒して破壊するのは簡単ですが、停戦後、政府や議会などの制度をいちから整えて国の根幹をつくり、復興を支援するためには、軍事だけではない幅広い視点を要します。私たち講師のチームに軍人と文民の両方がいたのは、そのためでした。

 

訓練は、我々講師チームがコロンボのホテルで合流した翌日から始まりました。私たち講師の間には、ずっと一緒に仕事をしてきたようなスムーズなチームワークがすぐにできあがりました。

 

「こんなに心地よく仕事ができるのは、同じ目的を共有しているからだろうか?」などと漠然と考えていましたが、実はもう少し「深い理由」があったことを後になってから知りました。

 

きっかけは、休憩中のおしゃべりでした。講義の内容が各々の過去を刺激するのか、休憩をしていると思い出話が始まることがよくありました。

 

「あのときは車が通れなくて、歩いて川を渡ったよ。もう少し流れが強かったら危なかったなあ。まあ、いま思えば懐かしいけどね」

 

たいていそんな他愛のない話をして、笑ったものです。そして、最後には、カナダ人Bが軍人っぽいちょっとシニカルなジョークを飛ばして終わるのが「定番」になっていました。

 

ある日、ルワンダ大虐殺が話題にのぼりました。誰かが、「あのときは周り一面が死体だらけだった……死体の上にさらに死体……」と言うと、周りのみんなも「そうだね」と静かに頷いていました。

 

 

えっ? みんな、あのときルワンダにいたの?

 

 

驚いていたのは私ただ1人でした。

 

国連やNGOで働いた経験を持つ者同士、それまで何をしていたのかを簡単に聞くことはあっても、長い経歴を持つ彼らに「原体験」について尋ねることはありませんでした。

 

その言葉を聞いたとき、私たちチームをまとめていたものが何なのかがわかったような気がしました。

 

ルワンダでの経験についてはそれ以上詳しくは語られなかったものの、彼ら3人からは揺るぎない決意が感じられたからです。

 

「あんなことを2度と繰り返してはいけない」と。

 

 

「壮絶な悲劇」が平和への問いかけを生んだ

 

ルワンダでは、1994年に人口の80%を占めていたフツ族によるツチ族の大虐殺が起こり、たった3ヵ月の間に50万~100万人が殺されたと言われています。一日に1万人以上が殺される日々が、3ヵ月間以上も続いたのです。

 

大学生のときに見たルワンダ虐殺の写真展のことは、よく覚えています。死体の上にいくつもの死体が重なった写真の数々を目の前にしたとき、それまで漠然と感じていた「どうして?」という疑問が、より強い形で私のなかにはっきりと跡を残しました。

 

「人間をこんなふうにさせてしまう状況はどんなものだったのだろう? 民族が違うというだけで、人はこれほど激しく争うのだろうか?」

 

このときに感じた衝撃と問いによって、私は大学院に進学し、紛争地の現場に向かうことになりました。

 

我々がスリランカで講師を務めていた訓練プログラムをいちから作り上げたのは、ある米軍士官でした。彼もこの虐殺が起きた当時ルワンダに派遣されていて、惨状を現場で目撃していたのです。

 

彼は帰国後の1995年、自ら志願してニューヨークの国連本部 にある平和維持活動局(PKO局)へ出向します。

 

そのときの心境を、次のように語っていました。

 

「とにかく、自分がやらなければならないことが山ほどあると思った。それで帰国後に迷わず国連への出向を申し出たんだ。

 

驚くかもしれないけど、僕がルワンダから戻ってきて国連PKO局に赴任した当初は研修の教材どころか、PKO参加国に対する訓練の基準もなかったんだ。

 

冷戦後、世界には問題が山積みだったのに、当時のPKO局自体がびっくりするくらい小さい部署だったんだよ。だからまず、参加国をまとめるための最低限の基準を構築するのが僕の仕事だと思ったんだ」

 

そして、彼は関係者や各国政府と協議を重ね、その仕事に邁進していきます。

 

冷戦が終結してまだ数年しか経っておらず、国連PKOに理解があったとはいえない時代背景のなかで、彼はその仕事を通じて、国連PKOに対する各国からの信頼とサポートを得ていきました。

 

こうして彼が作ったPKOに関する指針と訓練基準は、190を超える国連加盟国の総意として国連総会で採択されました。いまではこれに基づいた派遣前の訓練が各国で必ずおこなわれるようになり、10ヵ国以上の軍の士官が合同で演習をする多国籍訓練も開催されています。

 

実は、国連PKOの幹部経験者のなかで、ルワンダ、ボスニア、カンボジアなどでなんらかの「原体験」を持つ人は少なくありません。彼らがその体験を語ることはあまりありませんが、現場の惨状を知る者だけが持つ、言葉を超えた信念を感じたことは何度もありました。

 

私が国連PKO局にいたときの軍事顧問は、元オランダ軍の中将でした。彼は、1993年にカンボジアで国連の選挙担当官を務めていた日本人がポルポト派と疑われる民兵に殺害されたとき、地域治安部隊の幹部を務めていた人でした。

 

「あの事件があったからこそ、僕は仕事をやめずに続けなければいけないと思った」

 

彼は私に、そう話してくれました。

 

後に、彼が講師を務めた国連幹部研修に参加する機会がありました。彼はその研修で、これから現場の最前線に立つ人たちに役立てて欲しいと、自分が感じたジレンマも含めてありのままをシェアしていました。

 

そんな人たちと接するとき、「彼らを突き動かす原動力は何なんだろう?」とよく考えていました。突き詰めるうちに、それは使命感というよりは「探求心」に近いものではないかと思うようになりました。

 

なぜ人間は戦争を続けるのか、そして人類はどうしたらそれを防げるのか?

 

言葉にはならなくても、あるレベルにおいては誰のなかにも「人間」という存在に対する原初的な問いがあります。各自それぞれの「なぜ?」に向き合い続ければ、一生をかけてでも解き明かしたい問いや課題、そしてその答えを見つけることができるのでしょう。

 

ルワンダの虐殺から十数年を経て、沈黙し続けた生存者と加害者がはじめて当時の状況や現在の心境を語った『隣人が殺人者に変わる時 和解への道 ルワンダ・ジェノサイドの証言』(ジャン・ハッツフェルド著、かもがわ出版)のなかにこういう記述があります。

 

「俺たちは仲間にバカにされたり、非難されたりするよりも、マチェーテ(ナタ)を手に取った方が楽なことに気づいた。

 

(中略)

ある日を境に、僕は使い慣れたマチェーテを手に、隣人の虐殺を始めた。家畜を屠殺するように淡々と。

 

(中略)

 

旧政権はジェノサイドを命じ、市民はそれに従った。新政権は赦せというから、今度はそれに従っている」

 

これらの発言からは、政権の指示や同調圧力に疑問を持つのを止めると、普通の人の集団が100万人もの人を容易に殺してしまうのだということがうかがえます。

 

最近の事件でいえば、南スーダンが挙げられます。2016年12月と2017年2月に続けて、国連は同国で「大虐殺が起きる恐れがある」という警告を出しています。

 

なぜ、人間は戦争を続けるのか? まだその問いは続いているのです。

 

「当たり前」だったことがもはや当たり前でなくなりつつある時代において、自分で考えることをやめることが最も危険です。

 

 

誰が何と言おうと、自分の人生を生きるのは自分です。

 

自分に対する最終的な決定権を持つのは、自分だけなのです。

 

いまこそ、自分にとっての「なぜ?」を取り戻すときなのではないでしょうか。

 

クーリエジャポン2017年3月3日掲載