国連での勤務の1年目、苦い体験を通して学んだ本当の議論のためのルール

自分がある出来事についてどう思っているかは、自分が決めればいい、というお話しをしました。

 

でも、みんながそれそれ違う意見を持ったらどうなるの?

という漠然とした疑問というか、不安を持つ人もいるようです。

 

 

それは、

日本では、

議論のルールというものを習ったことがない

議論というものをしたことがない

または、本当に違う意見を交わしてより理解が深まったという体験したことがない、

または意見はトップダウンで決められるものでただ従えばよい、

答えは「上」から与えられるもの

という権威主義的なやり方を当たり前とする文化や経験の問題だと思います。

 

 

でも、自分の意見を言わないことは、

相手を尊重していることにはならないし、

本当の関係を築くことにならないのも事実です。

 

そして自分の意見を持つことを止めるものに、いろんな誤解が理由としてあるようですが、

 

その一つは、人の意見と人格を同一視してしまうというものです。

 

 

私はその誤解を国連での勤務の1年目、苦い体験を通して学びました。

 

国連勤務の1年目初めての赴任地東ティモールでの出来事でした。

 

初めて、オーストラリアのダーウィンから初めて国連機というものに乗って東ティモールの首都、ディリに向かった日のことは今でも覚えています。

 

一緒に働くことになったのは、

チリ生まれのオーストラリア人、パキスタン人、イギリス生まれのパキスタン人、カメルーン生まれのドイツ人、オーストラリア警察から出向中のオーストラリア人の女性と日本人のわたしでした。

 

さて、チリ生まれのオーストラリア人はチリ人っぽいのか、それともオーストラリア人っぽいのか?

国籍を聞いただけではこの人たちはどんな人たちなのかさっぱり分かりません。

 

さて、始めての会議。

 

その中でチームリーダーに選ばれた一回り年上のパキスタン人の同僚の口からは、ショックな言葉が続きました。

「女は仕事ができない。」

そして、男性には挨拶をして、女性は無視するかのような態度。

 

オーストラリア警察から出向していた女性と私は顔を見合わせてまず怒りました。

そして、悩みました。

 

結論から先にいうと、そんな言動が続き、本部からヒアリングと事実確認、調停を担当する人が派遣されてきました。

 

その調停人の方は、まず双方の言い分を聞き、事実確認をするための質問をいくつかしました。

私は事前に書面で伝えていたことと同じことを伝えました。

 

そして、何回かそのようなやり取りが続きた後、

途中「だからこの人は何もわかってない!」と

私の方がカッとなってしまいました。

 

私がよく覚えているのは、その時の調停人の言葉です。

 

彼は落ち着いた口調でこう言いました。

「事実と人格を分けてください。」

「ここで聞いているのは(確認をしている)のは事実関係です。

何があったのかという「事実」だけを述べてください。

相手のパーソナリティーに言及することは慎んでください。」

 

私は、その瞬間にハッ!と気づいて本当にその通りだと思ったのです。

 

「「事実」だけを述べてください」とは、日本人の感覚からするともしかしたら冷たい印象を与えるのかも知れません。

でも、その時に私はすごく解放された気がしたのです。

 

 

この人はイスラム圏で生まれ、おそらくこれまで女性と働いたことがなかったんだろう。

そういう文化背景で、おそらくそういう考え(女性は仕事はできない)を持つようになって、

ただそれだけなのだ、と。

 

 

そういうことを平然と言い続ける人と一緒に働くのは決して心地よかったわけじゃないけど、

私個人に向けられたものではなかった、と。

 

 

私たちは、自分とまったく違う意見と持っている人に会ったり、自分の意見が否定されたりすると、あたかも自分という個人が否定された、と感じがちです。

 

相手の意見と人格をごちゃまぜにしてしまいがちです。

 

でも、その人の意見は世界の72億あるうちのたった一つの意見であって、

 

自分にとって真実でもなければ、同意する必要もないし、

その人の意見個人的に捉える必要はまったくないのです。

 

最近続けて職場でハラスメントを受けている・受けていたという相談を受けていますが、

それを聞く中でも、そこにショックや傷ついた体験がごちゃまぜになっていることが多いのを感じます。

 

まず、事実と感情を分けること、

事実と人格を分けることが大切です。

 

すると、事実関係が自然に整理されていきます。

 

 

《まとめ》

事実と感情をわける

意見と人格を分ける

事実を淡々と整理する

人の意見が自分の意見と違うからといって、それは個人的に嫌われたとか、尊重されていないとは違う

もしそういう感情や感覚があるとしたら、それは本当にそうなのか確認すること。

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国連のトップのトップ研修では答えではなく理由を聞かれる。

さて、この数日間、オックスフォード大学で行われるチュートリアルと呼ばれる一対一の個人指導の体験を例に、答えは一つではないこと、をお伝えしてきました。

 

これを読んでいるみなさんの中には、でもそれは学校という場だから成り立つんだろう、と思う人もいるかも知れません。

 

では、国連での研修を例にとって、「答えは一つではない」ということがどのように捉えられ、実践されているのかお伝えしたいと思います。

 

私は国連事務総長特別代表候補者養成研修(Senior Mission Leaders’s Training)というものに参加したことがあります。

 

これは、国連事務総長の代表として紛争地の最前線で国連のPKO活動を指揮する国連のトップのトップを養成する研修です。

 

国連事務総長特別代表とは、閣僚経験者などが任命されることも多く、この研修に参加できる人は各国から推薦された警察や軍隊のトップ、国連で働く人の中でも参加できるのはほんのわずかです。

 

そんな私が30代半ばにして参加できたのは、南スーダンなどでの経験や経歴が評価され、「オブザーバー」という正式に参加する(選抜される)権利はないけれども、研修には参加してもいいという機会をいただいたからでした。

 

さて、そんな研修ですから講師陣には経験豊富な方々が並んでいました。

 

女性で世界で初めての防衛大臣になったフィンランドの元大臣、内戦中の軍隊と交渉を担ってきたある国連特使、元国連事務総長特別代表、そして、紛争地で一万人以上の国連軍を指揮してきた元司令官など、経験豊富な方々が並んでいました。

 

参加者の人たちの多くは、国を代表している立場であり、「国連事務総長特別代表」として任命され、その国の外交プレゼンスを上げることが目的なのでかなり真剣でした。しかも、2週間も続く研修では、10センチ近い資料も渡されました。

 

私と言えば、紛争地の最前線で指揮をとってきた方々から直接体験談を聞ける機会がありながら、課題をこなしたり発言をするプレッシャーから解放されているのですから、ある意味とても理想的なシチュエーションだったかも知れません。

 

米軍が作っただけあって課題はけっこう本格的で、内容が面白かったので、正式には何の評価にもならなかったけれども、資料は読んだし、私だったら答えはこうかなあと課題にも取り組んでました。

 

さて、そんな機会に恵まれた私が興味を持ったのは、研修の内容や講師の方々の体験談もそうでしたが、この研修がいったいどのように評価されているのか?という点でした。

 

研修は、講義と演習の組み合わせで構成されていました。

 

演習では、毎日渡される課題に対して、仮想国のトップとして自分ならどう判断するのか、という意思決定の過程を学んでいくものでした。

 

その演習の策定には、米軍も関わっているというだけあって、シナリオは世界各地の事例が集約されたような本格的な内容でした。

 

事例には、例えばこのようなケースがありました。

 

ーある勢力間で武力衝突が起こる可能性が高いという情報を受け取った。国連はどう対処をするすべきか?

 

ー国の北部で部族間衝突がおきた。隣国が国境を封鎖し、避難民が足止めされることになった。国連がとる手段は何か?

 

ー国の東部と北部でそれぞれ避難民が発生した。水と食料を必要としているが、現在確保されている輸送能力と人員では全ての人に配給することはできない。次の物資補給までには少なくとも3~5日がかかる。今ある資源を何に使いどこに向けるべきか?

 

ー来週ある大規模なデモが予定されている。そのデモが国連事務所へ向かう可能性がある。国連はどう対応するべきか?

 

ー過去に民族衝突が起きたことのある地域住民から弾圧の恐れがあるという訴えを受け、保護を求められた。国連はその要請を受け入れるべきかどうか?

 

ちなみに、ここで挙げられた例は、多少形こそ違えど、私が働いてきた国でも体験してきたことでした。

 

私は、こうした課題をする必要はありませんでしたが、あまりにリアルな課題だったので、

 

その事例に触れただけで、すっかり目が覚めてしまいました。

 

私の頭は急回転し始めました。

 

さて、

 

いったい何が「答え」なんだろうか?

そもそも「答え」などあるんだろうか?

講師の人たちは何と答えるんだろう?

 

そして研修は、参加者が事例に取り組む時間が与えられた後で、講師の人たちから意見を求められたり、質問が投げかけられる、といった形で進んでいきました。

 

そして、それぞれの参加者の意見や回答に対して、そこで鍵となる点に対して、それぞれの講師の人たちから体験談やコメントがシェアされました。

 

それぞれの方の体験談自体もとても興味深かったのですが、個人的に面白いと思ったのは、たった一つの「答え」もなければ、その場にいた講師の人たち全員が用意した「共通の回答」があった訳でもなかったことでした。

 

そして、面白かったのは、参加者と講師陣との間のやり取りでした。

 

講師の人達から参加者の人たちに繰り返し投げかけられていた質問はこのようなものでした。

 

なんでそう思ったのですか?

それはどういう意味ですか?

こういう可能性についてはどう思いますか?

 

あなたは、「なぜそう考えたのか」という根拠と思考プロセスを確認するという作業でした。

 

そして、「こういう可能性についてはどう思いますか?」という議論から漏れていた視点についての問いかけがあったり、思考を広げるような別の視点が投げかけられることがありました。

 

ここでも質問されていたのは、オックスフォードのチュートリアルとまったく同じ趣旨の質問でした。

 

つまり、何か決まった「回答」がある訳ではなく、ここでも問われていたのは、あなたはなぜその結論にいたったのか?という意思決定にいたるまでの思考プロセスでした。

 

国連のトップのトップ研修が教えてくれるように、課題が難しいからこそ、決まった「答え」ではなくその考えにいたるまでのプロセスを鍛えていくのです。

国際機関応募書類の添削サービスについて

国連の応募書類の添削について問い合わせがありましたのでお知らせいたします。

 

添削にあたり、整理する点は以下の項目です。

 

どんな職種を目指すのか?

どの職種に応募するのか?

これまでどんな経歴を経てきて、どんな職種に応募して、その職種ではどんな経歴が重視されるか?

 

その上で、応募する職種に関連して、どんな経歴があるか、どんな点を強調して、どのような表現にするか(どのように魅せるか)?の対策を考えることになります。

 

基本的には、私は一緒にこうした点を考えていくサポートをします。

 

なので、私が「添削」するわけではありません。

適切な表現になっているかなどは簡単にレビューのお手伝いはいたします。

 

一緒に話しながら進めていくスタイルなので、コーチングセッションと同じ料金(初回90分15,000円、二回目以降60分18,000円、90分22,000円、それぞれプラス消費税)になります。

 

こうした点が現時点でどれ位整理されているか、にもよりますが、2〜3回あるとまとまると思います。

 

手順としては最初にp.11または英文履歴書とカバーレターを送っていただき、それに基づいてフィードバックするという形になります。

 

お気軽にお問い合わせください。

 

 

国連PKOの幹部経験者たちを突き動かす「原動力」とは?ーこっそり語ってくれた彼らの本音

イスラム圏7ヵ国からの移民の入国禁止令が出たかと思いきや、それが差し止めになったり、就任後わずか1ヵ月で安全保障補佐官が辞任したり──トランプ政権の発足後、信じられないようなニュースが相次ぎ、米国の動揺は世界に波及している。

 

当たり前だと思っていたことが当たり前ではなくなりつつあるいま、それに疑問を持たずに思考停止に陥るとさらなる危機が生じる──1994年に起きたルワンダ大虐殺を例にとり、筆者は警鐘を鳴らす。

 

集合場所はスリランカ最大の都市、コロンボの某米国系ホテルでした。

 

「講師の方は到着後、各自ロビーにてスリランカ軍と合流してください」

 

米軍太平洋司令部から送られてきた書類には、スリランカに到着した後の流れについてはそれしか書かれていませんでした。

 

他に知らされていたのは、これから我々講師4人でチームを組んでスリランカ軍に訓練を実施すること、4人のうち2人は元軍人であること。あとは研修の内容と担当分野ぐらいでした。

 

2012年9月、私は国連がスリランカ軍におこなう平和維持活動(PKO)の訓練で、米軍の専門家という立場で講師を務めることになっていました。

 

そのときのメンバーは米国人のJ、元カナダ軍のB、元マレーシア軍のD、そして日本人の私の4人。全員、すでに国連も軍も離れており、個人の専門家として参加していました。

 

私以外の3人には、ある共通点がありました。全員、国連要員として1994年にルワンダで起きた大虐殺を体験していたのです

 

ルワンダ虐殺のような世界を揺るがす大事件の現場にいた人たちは、いったい何を思ったのか?

 

今回の連載でこのテーマについて書きたいと思ったのは、トランプ政権がイスラム圏7ヵ国の移民入国禁止令を出したと思ったら、それがすぐに差し止めになったから。日々、予測不可能なニュースが報じられる状況に「いままで当たり前だと思っていたことが、当たり前ではなくなる時代がやってくる」と危機感を覚えたからです。

 

トランプ政権の誕生によって、私は「そもそも政府は正しいのだろうか」という疑問を持ちました。

 

政府はこれまで絶対的な存在で、権威や常識、そして私たちが「当たり前」だと思っていることの象徴でもありました。しかしその価値観が、もろくも崩れ去ろうとしています。

 

独立前の東ティモールにいたことがあります。そのときは通貨や法律、中央銀行はおろか政府が存在していませんでした。市場でトマトを買ったときに、3つの貨幣(インドネシアルピー、米ドル、豪ドル)でお釣りが返ってきて、無政府状態であることを実感しました。

 

では、「当たり前」なことが何ひとつ存在しなかったであろう、ルワンダ虐殺の現場にいた人はいったい何を感じたのでしょうか?

 

彼らの経験から、「当たり前のない時代」を生きるヒントを探ってみたいと思います。

 

ルワンダが生んだ絆

 

スリランカでおこなわれた訓練プログラムは、世界的にもよく知られたものでした。そのときの講義では、武装解除、元兵士の社会復帰(DDR)、人道支援、安保理決議や国連PKOの意思決定、演習など幅広い内容を網羅していました。

 

演習では、仮想国のシナリオに基づいて意思決定の過程をシミュレーションします。シナリオの策定には米軍もかかわっており、内容もリベリアやアフガニスタンなど世界中の事例が集約された本格的なものでした。

 

武力で敵を倒して破壊するのは簡単ですが、停戦後、政府や議会などの制度をいちから整えて国の根幹をつくり、復興を支援するためには、軍事だけではない幅広い視点を要します。私たち講師のチームに軍人と文民の両方がいたのは、そのためでした。

 

訓練は、我々講師チームがコロンボのホテルで合流した翌日から始まりました。私たち講師の間には、ずっと一緒に仕事をしてきたようなスムーズなチームワークがすぐにできあがりました。

 

「こんなに心地よく仕事ができるのは、同じ目的を共有しているからだろうか?」などと漠然と考えていましたが、実はもう少し「深い理由」があったことを後になってから知りました。

 

きっかけは、休憩中のおしゃべりでした。講義の内容が各々の過去を刺激するのか、休憩をしていると思い出話が始まることがよくありました。

 

「あのときは車が通れなくて、歩いて川を渡ったよ。もう少し流れが強かったら危なかったなあ。まあ、いま思えば懐かしいけどね」

 

たいていそんな他愛のない話をして、笑ったものです。そして、最後には、カナダ人Bが軍人っぽいちょっとシニカルなジョークを飛ばして終わるのが「定番」になっていました。

 

ある日、ルワンダ大虐殺が話題にのぼりました。誰かが、「あのときは周り一面が死体だらけだった……死体の上にさらに死体……」と言うと、周りのみんなも「そうだね」と静かに頷いていました。

 

 

えっ? みんな、あのときルワンダにいたの?

 

 

驚いていたのは私ただ1人でした。

 

国連やNGOで働いた経験を持つ者同士、それまで何をしていたのかを簡単に聞くことはあっても、長い経歴を持つ彼らに「原体験」について尋ねることはありませんでした。

 

その言葉を聞いたとき、私たちチームをまとめていたものが何なのかがわかったような気がしました。

 

ルワンダでの経験についてはそれ以上詳しくは語られなかったものの、彼ら3人からは揺るぎない決意が感じられたからです。

 

「あんなことを2度と繰り返してはいけない」と。

 

 

「壮絶な悲劇」が平和への問いかけを生んだ

 

ルワンダでは、1994年に人口の80%を占めていたフツ族によるツチ族の大虐殺が起こり、たった3ヵ月の間に50万~100万人が殺されたと言われています。一日に1万人以上が殺される日々が、3ヵ月間以上も続いたのです。

 

大学生のときに見たルワンダ虐殺の写真展のことは、よく覚えています。死体の上にいくつもの死体が重なった写真の数々を目の前にしたとき、それまで漠然と感じていた「どうして?」という疑問が、より強い形で私のなかにはっきりと跡を残しました。

 

「人間をこんなふうにさせてしまう状況はどんなものだったのだろう? 民族が違うというだけで、人はこれほど激しく争うのだろうか?」

 

このときに感じた衝撃と問いによって、私は大学院に進学し、紛争地の現場に向かうことになりました。

 

我々がスリランカで講師を務めていた訓練プログラムをいちから作り上げたのは、ある米軍士官でした。彼もこの虐殺が起きた当時ルワンダに派遣されていて、惨状を現場で目撃していたのです。

 

彼は帰国後の1995年、自ら志願してニューヨークの国連本部 にある平和維持活動局(PKO局)へ出向します。

 

そのときの心境を、次のように語っていました。

 

「とにかく、自分がやらなければならないことが山ほどあると思った。それで帰国後に迷わず国連への出向を申し出たんだ。

 

驚くかもしれないけど、僕がルワンダから戻ってきて国連PKO局に赴任した当初は研修の教材どころか、PKO参加国に対する訓練の基準もなかったんだ。

 

冷戦後、世界には問題が山積みだったのに、当時のPKO局自体がびっくりするくらい小さい部署だったんだよ。だからまず、参加国をまとめるための最低限の基準を構築するのが僕の仕事だと思ったんだ」

 

そして、彼は関係者や各国政府と協議を重ね、その仕事に邁進していきます。

 

冷戦が終結してまだ数年しか経っておらず、国連PKOに理解があったとはいえない時代背景のなかで、彼はその仕事を通じて、国連PKOに対する各国からの信頼とサポートを得ていきました。

 

こうして彼が作ったPKOに関する指針と訓練基準は、190を超える国連加盟国の総意として国連総会で採択されました。いまではこれに基づいた派遣前の訓練が各国で必ずおこなわれるようになり、10ヵ国以上の軍の士官が合同で演習をする多国籍訓練も開催されています。

 

実は、国連PKOの幹部経験者のなかで、ルワンダ、ボスニア、カンボジアなどでなんらかの「原体験」を持つ人は少なくありません。彼らがその体験を語ることはあまりありませんが、現場の惨状を知る者だけが持つ、言葉を超えた信念を感じたことは何度もありました。

 

私が国連PKO局にいたときの軍事顧問は、元オランダ軍の中将でした。彼は、1993年にカンボジアで国連の選挙担当官を務めていた日本人がポルポト派と疑われる民兵に殺害されたとき、地域治安部隊の幹部を務めていた人でした。

 

「あの事件があったからこそ、僕は仕事をやめずに続けなければいけないと思った」

 

彼は私に、そう話してくれました。

 

後に、彼が講師を務めた国連幹部研修に参加する機会がありました。彼はその研修で、これから現場の最前線に立つ人たちに役立てて欲しいと、自分が感じたジレンマも含めてありのままをシェアしていました。

 

そんな人たちと接するとき、「彼らを突き動かす原動力は何なんだろう?」とよく考えていました。突き詰めるうちに、それは使命感というよりは「探求心」に近いものではないかと思うようになりました。

 

なぜ人間は戦争を続けるのか、そして人類はどうしたらそれを防げるのか?

 

言葉にはならなくても、あるレベルにおいては誰のなかにも「人間」という存在に対する原初的な問いがあります。各自それぞれの「なぜ?」に向き合い続ければ、一生をかけてでも解き明かしたい問いや課題、そしてその答えを見つけることができるのでしょう。

 

ルワンダの虐殺から十数年を経て、沈黙し続けた生存者と加害者がはじめて当時の状況や現在の心境を語った『隣人が殺人者に変わる時 和解への道 ルワンダ・ジェノサイドの証言』(ジャン・ハッツフェルド著、かもがわ出版)のなかにこういう記述があります。

 

「俺たちは仲間にバカにされたり、非難されたりするよりも、マチェーテ(ナタ)を手に取った方が楽なことに気づいた。

 

(中略)

ある日を境に、僕は使い慣れたマチェーテを手に、隣人の虐殺を始めた。家畜を屠殺するように淡々と。

 

(中略)

 

旧政権はジェノサイドを命じ、市民はそれに従った。新政権は赦せというから、今度はそれに従っている」

 

これらの発言からは、政権の指示や同調圧力に疑問を持つのを止めると、普通の人の集団が100万人もの人を容易に殺してしまうのだということがうかがえます。

 

最近の事件でいえば、南スーダンが挙げられます。2016年12月と2017年2月に続けて、国連は同国で「大虐殺が起きる恐れがある」という警告を出しています。

 

なぜ、人間は戦争を続けるのか? まだその問いは続いているのです。

 

「当たり前」だったことがもはや当たり前でなくなりつつある時代において、自分で考えることをやめることが最も危険です。

 

 

誰が何と言おうと、自分の人生を生きるのは自分です。

 

自分に対する最終的な決定権を持つのは、自分だけなのです。

 

いまこそ、自分にとっての「なぜ?」を取り戻すときなのではないでしょうか。

 

クーリエジャポン2017年3月3日掲載

一流はゲームのルールを先に知る。 優等生は「まずは」準備する。

国際機関で働きたい、国際協力にかかわる仕事がしたい、と言った相談を受けることがあります。

そのためには、まずは経験を積んでから挑戦しますと多くの方がおっしゃいます。

 

では、どんなスキルでが必要で、どんな組織・会社でどんなことをするとそのスキルは身につくのでしょうか?

 

相手は書類審査の時にどんなところを見ているのでしょうか?国連ではどうやって最初のスクリーニングをしているのでしょうか?

 

書類審査には何をどう書いたらいいのでしょうか?

 

私は国連本部にいた時に、その方面の研修も受けていますし、国連で面接官もしたことがあるので面接官や採用側の視点がわかります。

 

同じ経歴でも、履歴書の書き方によってまったく印象が変わるので、書き方一つで面接に呼ばれるかどうかが変わると言っても過言ではありません。

 

まずは、英語の勉強から始めます、と多くの人はおっしゃるのですが、それはある意味優等生的な考え方とも言えます。

 

なぜなら、先に相手が求めるものを知っておかないと、何に対して経験を積むのかが分からないし、まったく検討違いかもしれないからです。

 

別の言い方をすると、国連ではどんなスキルが求められていて、国連のいうところのコアコンピタンシーとはなにか、まず書類審査に受かるためには、どんなことを書けばいいのか、ということが見えてくると、今の職場でどんな経験ができるのか(どんなことを身に付けたいのか)により意識的になります。

 

それが分かると、仕事に対する意欲が変わるかも知れないし、直接担当する部署でなくても、自分でそれを経験するためのアイデアが浮かぶかも知れません。

 

もし、そういったことを知らないのだとしたら、あなたが400mの短距離選手になろうとしていて、100mか400mでそれぞれ作戦も変わるはずなのに、その違いも知らずに念入りにストレッチを繰り返している状態です。

 

まずは一回走ってみたら、400mを全力で走るとはどういうものなのかが全身で分かります。

そして、何が必要なのか具体的な対策を考えるでしょう。

 

「やってみないと見えない景色」があります。

 

欧米の子供たちは、「リーダーシップ」というテーマについて何が求められていて、何と答えたらいいかを小さい時から訓練されているように感じます。

 

これは、能力の問題ではありません。ゲームのルールを単に知っているということです。

 

優等生は「まずは」準備します。

一流は、まず先にゲームのルールを把握します。

矛盾や葛藤も体験して「だからこそ」見えるその先の世界ーコフィー・アナン国連事務総長の手紙を代筆した時

人の本当の影響力とはどこから来るのでしょうか?

 

米国大統領が発する大統領令に各州から次から次へと差し止めが出される状況を目のあたりにする時、「政府の力」ってなんだろうか?という疑問が浮かびました。

 

この場合の「政府」とは一つの比喩で、いわゆる私たちが「絶対」だと思っているもの、いわゆる「権威」や「常識」だとしているもの、私たちが「当たり前」だと思っているものの象徴です。

 

今年に入ってから、これまでなんとか正当化されてきたかのように見える権威主義や世界的な政策の矛盾や限界がますますはっきりと浮上してきているように感じます。

 

実際、相手に公的な肩書きがあったり、役職が上であったとしても、私たちが本当にその人の言うことに耳を傾けるかどうかはまったく別の話しです。

 

では、人がなんらかの「力」や「影響力」を発揮する時、その力はどこから来るのでしょうか?

 

そうした資質の一つは、その人がその人であるという「正直さ」や「誠実さ」だと感じます。

 

その人が人間として「完璧」であることでもなく、すべての答えや解決策を持っているわけでもなく、いろいろな矛盾や葛藤も含めて、完璧でもない不十分な状態をも受け入れながら、「そのうえで私はこう選択している」という姿勢です。

 

トランプ時代の流れも関係するのか、この数ヶ月間は、国際機関関係者や人道援助関係者から「私が目指していた世界ってこういうものだったのでしょうか?」という相談がありました。

 

私自身、つい先月も戦闘状態と人道危機の続く南スーダンで、食料がヘリコプターから投下されている映像を見ながら、こう思わざるをえませんでした。

 

「世界の格差がますます広がっているという時代に、もっと根本的な解決法はないんだろうか?」

 

「いつまで食料を投下し続ければいいのだろうか?」と。

 

誤解のないように一言付け加えると、今すぐ食料投下をやめればいいかというとそう単純な問題でもありません。

 

ただ、人道支援や国際援助の現場(業界)では、誰もが必ず直面する疑問です。

 

これをビジネスに置き換えてみても、人間の営みの現場というのは、いろいろな矛盾や葛藤がつきものです。

 

ただ同時に、私はそうした相談を聞きながら、その最中にいたらそうは思えないかも知れないけれども、こうした体験こそが人に深みをくれたり、成長させてくれる機会なんじゃないか?

 

 

そして、だからこそ「その矛盾や葛藤の上で自分はどうするか?」という「その先」こそが面白いところなんじゃないか?と思いました。

 

 

そんな事を考えていたら、国連ニューヨーク本部のPKO局時代のある上司のことを思い出しました。

 

彼はまさに、いろいろな矛盾や葛藤の上でそしてどうするか?という姿を見せてくれた一人だったからです。

 

その上司は、当時コフィー・アナン国連事務総長の右腕として、スレブレニツァ虐殺に関する国連の最終報告書を取りまとめた人の一人でした。

 

 

スレブレニツァ虐殺とは、1995年7月に、ボスニア・スレブレニツァの8000人以上もの住民がセルビア人勢力に虐殺された事件です。第二次世界大戦以降、ヨーロッパで最大の大量虐殺でとされ、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(ICTY)では、ジェノサイドであると認定されました。

 

当時、ボスニアのスレブレニツァには、国連が保護する「安全地帯」が指定され、370人の武装したオランダ軍の国連軍がいましたが、セルビア人勢力による虐殺を止めることができずに国連軍のプレゼンスの前で虐殺をゆるした、という経緯がありました。

 

当時の安保理や事務局を含め国連側の体制や判断にも多くの課題が指摘され、最終報告書では、あくまでも第三者的な視点での分析と結論を出すことが求められていました。

 

国際的にも大きな注目を集めた事件でしたから、表面的な報告では国際社会の納得も得られなかったことでしょうし、国連の正当性や信用をも揺るがす大事件です。

 

実際に、その後国連ではいくつかの改革が行われました。

 

それだけを考えても、大きなプレッシャーのかかる仕事だっただろうと想像します。

 

その時、彼は何を思い、その体験はその後の彼にどうつながっていったのだろうか?

 

私がそんな上司の「歴史」を垣間見ることになったのは、コフィー・アナン国連事務総長(当時)の手紙を代筆するようにと言われた時のことです。

 

手紙は1995年にボスニア・ヘルチェゴビナで起きたスレブレニツァ虐殺関係者宛で、その内容は、国連事務総長よりスレブレニッツ虐殺関係者に10週年の追悼式での公開ディスカッションに参加して欲しいとお願いするものでした。

 

行数にしてたった5行ほどの手紙でしたが、私は書くのに数日かかってしまいました。

 

国連事務総長という立場でスレブレニツァ虐殺関係者に向けて手紙を出すことに対して、その事実をある程度は知らずに私はその五行さえ書き出すことができないと感じ、どんな言葉が適切なのか、と考えざるをえなかったからです。

 

私の仕事としてはたった5行を書くことでしたが、差出人が国連事務総長だったからか、その5行の背景にある様々な葛藤や矛盾を体験したようにさえ感じました。

 

そして、その10周年の追悼式の日がやってきました。

 

彼は自分の部屋のドアを閉め切り、自分が追悼式で伝えるべきことは何かということに集中しているようでした。

 

いよいよ、追悼式が始まりました。

 

国連ニューヨーク本部のダグハマーショルドホールの壇上には蝋燭が飾られ、参加者全員で黙祷を捧げました。

 

そして、パネルディスカッションが始まりました。

 

正直、ディスカッションの内容は覚えていません。

 

 

ただ、今でも覚えているのは、パネルの壇上で関係者とまっすぐに向き合っていた上司の姿でした。

 

彼は最終報告書作成の責任者の一人であり、そして本部の要職という立場にありながら、壇上にいたのは一人の人間としての彼でした。

 

その時の心境について、彼の口から直接聞いたことはありませんでしたが、彼の関係者とのやり取りを垣間見ながら私なりに感じたことがありました。

 

その時の彼の心境をあえて言葉にするならば、このように表現出来たかもしれません。

 

「だからこそ私は今ここにいる。だから私はこう信じる。」と。

 

いろいろな矛盾や葛藤もすべてを含めて今の彼がある ー そんなことを感じたのでした。

 

人間と人間が集まる時その程度の差こそあれど、矛盾や葛藤はおこりえます。

 

そして、どうしたらいいのか?という問いに対する絶対唯一の答えもないでしょう。

 

その先の判断や選択も人それぞれだと思います。人の数だけ答えがあることでしょう。

 

同時に、だからこそ、自分の中の「だからこそ」、そして、一人一人の「だからこそ」を大切にしたいと改めて思います。

イスラム圏の男性の本音ー男性も「本当はもっと自由に女性と接っしたい」

先日、国際女性の日(3月8日)にアフガニスタン人の元同僚の男性からメッセージをもらいました。

 

「国際女性の日おめでとう!全ての女性に祝福を」

 

日本ではあまり耳にしませんが、海外では、3月8日は International Women’s Dayとして知られ、A Happy International Women’s Day!という挨拶が交わされることもあります。

 

この起源は、1904年3月8日にニューヨークで、働く女性たちが婦人参政権を要求してデモを起こし、その後、ドイツの女性たちなどから「女性の政治的参加と平等」のための記念の日にしようという世界的なムーブメントが動きがあったことがきっかけとされています。

 

オックスフォード大学しかり、ウィーンフィル管弦楽団しかり、世界的な歴史を持つ組織が、女性にもより平等に門戸を開き始めたのは70年代、そしてその数が増えてきたのはほんとうにこの20年くらのことです。

 

私自身も南スーダンといった紛争が起きていた国で働いてきましたが、現場では軍人の人たちと一緒に働くことも多く、同じチームの中で女性一人の時もありました。

 

そして、その中にはイスラム圏の人たちもたくさんいました。

 

その人たちの何人かと友達になった中で、彼らもほんとうは女性ともっと自由に接したいし、女性にもっと自由になってもらいたいんじゃないか?と思ったことがあります。

 

 

イスラム圏では、社会的に男女の役割や規範が細かく決められています。

 

例えば、女性は男性が一緒に食事をしない、

女性は学校に行かなくていいとされたりする地域もあり、

女性の地位はまだまだ厳しい状況にあります。

 

以前、バングラデシュ軍で国連の平和維持活動に関する訓練の講師を務めていた時、ジェンダーについての講義を担当することがありました。

 

国連の平和維持活動に関するトレーニングには国連が規定した全世界共通の項目があり、そのうちの一つがジェンダーなのです。

 

世界の半分は女性。

 

そして紛争地で真っ先に影響を受けるのは女性や子供たちです。

 

彼らが派遣先の国の治安を守るという重要な仕事を果たす上で、

女性がどのようなチャレンジに直面するものなのかを理解するという意図でした。

 

ただ、派遣先はイスラム圏。

ましてや相手は軍人。

 

ジェンダーの話しがどこまで通じるんだろう???

どこまで耳を傾けてくれるんだろうか?

 

 

正直、はじめは懐疑的でした。

 

まずジェンダーという概念について説明しました。

 

「『男女の役割』というのは文化的、社会的に規定されているものです。

男女の役割は社会の変化や世代を経て変わることもあります。」

 

 

 

すると、と手があがりました。

 

「世代で変わることもあるってどういう意味ですか?」という質問でした。

 

単純に、バングラデシュではちょっと想像がつきにくいのですが。。。?!

そんなニュアンスが伝わってきました。

 

こんな説明をしました。

 

「私の祖母は沖縄の片田舎に生まれました。その村で子どもを8人育てました。

その娘(私の母)は戦後、その片田舎に生まれながら、

船と電車に乗って東京にやってききました。

 

働き始めて数年後に男女雇用機会均等法が制定され、当時としては珍しかった女性のフルタイムのプロフェッショナルとして定年まで働きました。

 

孫(私)は国連に入り、ニューヨーク本部や南スーダンで働きました。

最近、ひ孫(姪っ子)が誕生しました。

彼女はとても活発なので南スーダンでは飽き足らず宇宙へ行ってしまうかもしれません。」

 

最後に笑いがおきたので通じたようです。

 

バングラデシュでは女性のトイレがあまり整備されていなく、バスに乗る時などは女性が何時間もトイレを我慢することを知って、ショックを受けた話しもしました。

 

紛争の前線を経験してきた人も含め、現役の軍人ばかりでしたが、親身に耳を傾けてくれました。

 

講義の後、彼らのうちの何人かが私のところに来てこう伝えてくれました。

「実はずっとこういう話しをしたいと思ってたんです」と。

新鮮な驚きでした。

 

 

南スーダンにいた時には、パキスタン軍の人たちと仲良くなり、よく一緒にご飯を食べていました。

 

 

パキスタンという国は社会・文化的に男尊女卑であるばかりか、軍人という立場もあって、母国で女性と普通におしゃべりすることはほとんどないようです。

 

私は軍人でもないし、まったくの個人同士の付き合いです。

 

自然と冗談を言い合ったりすることもあります。それは私にとって当たり前のことだったのですが、あちらにとっては当たり前じゃなかったのでしょう。

 

当たり前ながら彼らも普通の人間。

やっぱり、冗談を言い合ったり、ツッコミを入れたくなることもありますよね。

 

そんなたわいもないことが、こちらが想像する以上にとても楽しかったようなのです。

 

 

イスラム圏の男尊女卑と言われている社会でさえ、

個人的には必ずしもそれでいいと思っているわけではなく、

男性自身、本当はもっと自由に女性と接っしたいー

しかも、女性にもっと自由であって欲しいと思っている(!)

そう思っている人は実はけっこう多いんじゃないか?

 

この体験からそう思っています。