一流はゲームのルールを先に知る。 優等生は「まずは」準備する。

国際機関で働きたい、国際協力にかかわる仕事がしたい、と言った相談を受けることがあります。

そのためには、まずは経験を積んでから挑戦しますと多くの方がおっしゃいます。

 

では、どんなスキルでが必要で、どんな組織・会社でどんなことをするとそのスキルは身につくのでしょうか?

 

相手は書類審査の時にどんなところを見ているのでしょうか?国連ではどうやって最初のスクリーニングをしているのでしょうか?

 

書類審査には何をどう書いたらいいのでしょうか?

 

私は国連本部にいた時に、その方面の研修も受けていますし、国連で面接官もしたことがあるので面接官や採用側の視点がわかります。

 

同じ経歴でも、履歴書の書き方によってまったく印象が変わるので、書き方一つで面接に呼ばれるかどうかが変わると言っても過言ではありません。

 

まずは、英語の勉強から始めます、と多くの人はおっしゃるのですが、それはある意味優等生的な考え方とも言えます。

 

なぜなら、先に相手が求めるものを知っておかないと、何に対して経験を積むのかが分からないし、まったく検討違いかもしれないからです。

 

別の言い方をすると、国連ではどんなスキルが求められていて、国連のいうところのコアコンピタンシーとはなにか、まず書類審査に受かるためには、どんなことを書けばいいのか、ということが見えてくると、今の職場でどんな経験ができるのか(どんなことを身に付けたいのか)により意識的になります。

 

それが分かると、仕事に対する意欲が変わるかも知れないし、直接担当する部署でなくても、自分でそれを経験するためのアイデアが浮かぶかも知れません。

 

もし、そういったことを知らないのだとしたら、あなたが400mの短距離選手になろうとしていて、100mか400mでそれぞれ作戦も変わるはずなのに、その違いも知らずに念入りにストレッチを繰り返している状態です。

 

まずは一回走ってみたら、400mを全力で走るとはどういうものなのかが全身で分かります。

そして、何が必要なのか具体的な対策を考えるでしょう。

 

「やってみないと見えない景色」があります。

 

欧米の子供たちは、「リーダーシップ」というテーマについて何が求められていて、何と答えたらいいかを小さい時から訓練されているように感じます。

 

これは、能力の問題ではありません。ゲームのルールを単に知っているということです。

 

優等生は「まずは」準備します。

一流は、まず先にゲームのルールを把握します。

矛盾や葛藤も体験して「だからこそ」見えるその先の世界ーコフィー・アナン国連事務総長の手紙を代筆した時

人の本当の影響力とはどこから来るのでしょうか?

 

米国大統領が発する大統領令に各州から次から次へと差し止めが出される状況を目のあたりにする時、「政府の力」ってなんだろうか?という疑問が浮かびました。

 

この場合の「政府」とは一つの比喩で、いわゆる私たちが「絶対」だと思っているもの、いわゆる「権威」や「常識」だとしているもの、私たちが「当たり前」だと思っているものの象徴です。

 

今年に入ってから、これまでなんとか正当化されてきたかのように見える権威主義や世界的な政策の矛盾や限界がますますはっきりと浮上してきているように感じます。

 

実際、相手に公的な肩書きがあったり、役職が上であったとしても、私たちが本当にその人の言うことに耳を傾けるかどうかはまったく別の話しです。

 

では、人がなんらかの「力」や「影響力」を発揮する時、その力はどこから来るのでしょうか?

 

そうした資質の一つは、その人がその人であるという「正直さ」や「誠実さ」だと感じます。

 

その人が人間として「完璧」であることでもなく、すべての答えや解決策を持っているわけでもなく、いろいろな矛盾や葛藤も含めて、完璧でもない不十分な状態をも受け入れながら、「そのうえで私はこう選択している」という姿勢です。

 

トランプ時代の流れも関係するのか、この数ヶ月間は、国際機関関係者や人道援助関係者から「私が目指していた世界ってこういうものだったのでしょうか?」という相談がありました。

 

私自身、つい先月も戦闘状態と人道危機の続く南スーダンで、食料がヘリコプターから投下されている映像を見ながら、こう思わざるをえませんでした。

 

「世界の格差がますます広がっているという時代に、もっと根本的な解決法はないんだろうか?」

 

「いつまで食料を投下し続ければいいのだろうか?」と。

 

誤解のないように一言付け加えると、今すぐ食料投下をやめればいいかというとそう単純な問題でもありません。

 

ただ、人道支援や国際援助の現場(業界)では、誰もが必ず直面する疑問です。

 

これをビジネスに置き換えてみても、人間の営みの現場というのは、いろいろな矛盾や葛藤がつきものです。

 

ただ同時に、私はそうした相談を聞きながら、その最中にいたらそうは思えないかも知れないけれども、こうした体験こそが人に深みをくれたり、成長させてくれる機会なんじゃないか?

 

 

そして、だからこそ「その矛盾や葛藤の上で自分はどうするか?」という「その先」こそが面白いところなんじゃないか?と思いました。

 

 

そんな事を考えていたら、国連ニューヨーク本部のPKO局時代のある上司のことを思い出しました。

 

彼はまさに、いろいろな矛盾や葛藤の上でそしてどうするか?という姿を見せてくれた一人だったからです。

 

その上司は、当時コフィー・アナン国連事務総長の右腕として、スレブレニツァ虐殺に関する国連の最終報告書を取りまとめた人の一人でした。

 

 

スレブレニツァ虐殺とは、1995年7月に、ボスニア・スレブレニツァの8000人以上もの住民がセルビア人勢力に虐殺された事件です。第二次世界大戦以降、ヨーロッパで最大の大量虐殺でとされ、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(ICTY)では、ジェノサイドであると認定されました。

 

当時、ボスニアのスレブレニツァには、国連が保護する「安全地帯」が指定され、370人の武装したオランダ軍の国連軍がいましたが、セルビア人勢力による虐殺を止めることができずに国連軍のプレゼンスの前で虐殺をゆるした、という経緯がありました。

 

当時の安保理や事務局を含め国連側の体制や判断にも多くの課題が指摘され、最終報告書では、あくまでも第三者的な視点での分析と結論を出すことが求められていました。

 

国際的にも大きな注目を集めた事件でしたから、表面的な報告では国際社会の納得も得られなかったことでしょうし、国連の正当性や信用をも揺るがす大事件です。

 

実際に、その後国連ではいくつかの改革が行われました。

 

それだけを考えても、大きなプレッシャーのかかる仕事だっただろうと想像します。

 

その時、彼は何を思い、その体験はその後の彼にどうつながっていったのだろうか?

 

私がそんな上司の「歴史」を垣間見ることになったのは、コフィー・アナン国連事務総長(当時)の手紙を代筆するようにと言われた時のことです。

 

手紙は1995年にボスニア・ヘルチェゴビナで起きたスレブレニツァ虐殺関係者宛で、その内容は、国連事務総長よりスレブレニッツ虐殺関係者に10週年の追悼式での公開ディスカッションに参加して欲しいとお願いするものでした。

 

行数にしてたった5行ほどの手紙でしたが、私は書くのに数日かかってしまいました。

 

国連事務総長という立場でスレブレニツァ虐殺関係者に向けて手紙を出すことに対して、その事実をある程度は知らずに私はその五行さえ書き出すことができないと感じ、どんな言葉が適切なのか、と考えざるをえなかったからです。

 

私の仕事としてはたった5行を書くことでしたが、差出人が国連事務総長だったからか、その5行の背景にある様々な葛藤や矛盾を体験したようにさえ感じました。

 

そして、その10周年の追悼式の日がやってきました。

 

彼は自分の部屋のドアを閉め切り、自分が追悼式で伝えるべきことは何かということに集中しているようでした。

 

いよいよ、追悼式が始まりました。

 

国連ニューヨーク本部のダグハマーショルドホールの壇上には蝋燭が飾られ、参加者全員で黙祷を捧げました。

 

そして、パネルディスカッションが始まりました。

 

正直、ディスカッションの内容は覚えていません。

 

 

ただ、今でも覚えているのは、パネルの壇上で関係者とまっすぐに向き合っていた上司の姿でした。

 

彼は最終報告書作成の責任者の一人であり、そして本部の要職という立場にありながら、壇上にいたのは一人の人間としての彼でした。

 

その時の心境について、彼の口から直接聞いたことはありませんでしたが、彼の関係者とのやり取りを垣間見ながら私なりに感じたことがありました。

 

その時の彼の心境をあえて言葉にするならば、このように表現出来たかもしれません。

 

「だからこそ私は今ここにいる。だから私はこう信じる。」と。

 

いろいろな矛盾や葛藤もすべてを含めて今の彼がある ー そんなことを感じたのでした。

 

人間と人間が集まる時その程度の差こそあれど、矛盾や葛藤はおこりえます。

 

そして、どうしたらいいのか?という問いに対する絶対唯一の答えもないでしょう。

 

その先の判断や選択も人それぞれだと思います。人の数だけ答えがあることでしょう。

 

同時に、だからこそ、自分の中の「だからこそ」、そして、一人一人の「だからこそ」を大切にしたいと改めて思います。

イスラム圏の男性の本音ー男性も「本当はもっと自由に女性と接っしたい」

先日、国際女性の日(3月8日)にアフガニスタン人の元同僚の男性からメッセージをもらいました。

 

「国際女性の日おめでとう!全ての女性に祝福を」

 

日本ではあまり耳にしませんが、海外では、3月8日は International Women’s Dayとして知られ、A Happy International Women’s Day!という挨拶が交わされることもあります。

 

この起源は、1904年3月8日にニューヨークで、働く女性たちが婦人参政権を要求してデモを起こし、その後、ドイツの女性たちなどから「女性の政治的参加と平等」のための記念の日にしようという世界的なムーブメントが動きがあったことがきっかけとされています。

 

オックスフォード大学しかり、ウィーンフィル管弦楽団しかり、世界的な歴史を持つ組織が、女性にもより平等に門戸を開き始めたのは70年代、そしてその数が増えてきたのはほんとうにこの20年くらのことです。

 

私自身も南スーダンといった紛争が起きていた国で働いてきましたが、現場では軍人の人たちと一緒に働くことも多く、同じチームの中で女性一人の時もありました。

 

そして、その中にはイスラム圏の人たちもたくさんいました。

 

その人たちの何人かと友達になった中で、彼らもほんとうは女性ともっと自由に接したいし、女性にもっと自由になってもらいたいんじゃないか?と思ったことがあります。

 

 

イスラム圏では、社会的に男女の役割や規範が細かく決められています。

 

例えば、女性は男性が一緒に食事をしない、

女性は学校に行かなくていいとされたりする地域もあり、

女性の地位はまだまだ厳しい状況にあります。

 

以前、バングラデシュ軍で国連の平和維持活動に関する訓練の講師を務めていた時、ジェンダーについての講義を担当することがありました。

 

国連の平和維持活動に関するトレーニングには国連が規定した全世界共通の項目があり、そのうちの一つがジェンダーなのです。

 

世界の半分は女性。

 

そして紛争地で真っ先に影響を受けるのは女性や子供たちです。

 

彼らが派遣先の国の治安を守るという重要な仕事を果たす上で、

女性がどのようなチャレンジに直面するものなのかを理解するという意図でした。

 

ただ、派遣先はイスラム圏。

ましてや相手は軍人。

 

ジェンダーの話しがどこまで通じるんだろう???

どこまで耳を傾けてくれるんだろうか?

 

 

正直、はじめは懐疑的でした。

 

まずジェンダーという概念について説明しました。

 

「『男女の役割』というのは文化的、社会的に規定されているものです。

男女の役割は社会の変化や世代を経て変わることもあります。」

 

 

 

すると、と手があがりました。

 

「世代で変わることもあるってどういう意味ですか?」という質問でした。

 

単純に、バングラデシュではちょっと想像がつきにくいのですが。。。?!

そんなニュアンスが伝わってきました。

 

こんな説明をしました。

 

「私の祖母は沖縄の片田舎に生まれました。その村で子どもを8人育てました。

その娘(私の母)は戦後、その片田舎に生まれながら、

船と電車に乗って東京にやってききました。

 

働き始めて数年後に男女雇用機会均等法が制定され、当時としては珍しかった女性のフルタイムのプロフェッショナルとして定年まで働きました。

 

孫(私)は国連に入り、ニューヨーク本部や南スーダンで働きました。

最近、ひ孫(姪っ子)が誕生しました。

彼女はとても活発なので南スーダンでは飽き足らず宇宙へ行ってしまうかもしれません。」

 

最後に笑いがおきたので通じたようです。

 

バングラデシュでは女性のトイレがあまり整備されていなく、バスに乗る時などは女性が何時間もトイレを我慢することを知って、ショックを受けた話しもしました。

 

紛争の前線を経験してきた人も含め、現役の軍人ばかりでしたが、親身に耳を傾けてくれました。

 

講義の後、彼らのうちの何人かが私のところに来てこう伝えてくれました。

「実はずっとこういう話しをしたいと思ってたんです」と。

新鮮な驚きでした。

 

 

南スーダンにいた時には、パキスタン軍の人たちと仲良くなり、よく一緒にご飯を食べていました。

 

 

パキスタンという国は社会・文化的に男尊女卑であるばかりか、軍人という立場もあって、母国で女性と普通におしゃべりすることはほとんどないようです。

 

私は軍人でもないし、まったくの個人同士の付き合いです。

 

自然と冗談を言い合ったりすることもあります。それは私にとって当たり前のことだったのですが、あちらにとっては当たり前じゃなかったのでしょう。

 

当たり前ながら彼らも普通の人間。

やっぱり、冗談を言い合ったり、ツッコミを入れたくなることもありますよね。

 

そんなたわいもないことが、こちらが想像する以上にとても楽しかったようなのです。

 

 

イスラム圏の男尊女卑と言われている社会でさえ、

個人的には必ずしもそれでいいと思っているわけではなく、

男性自身、本当はもっと自由に女性と接っしたいー

しかも、女性にもっと自由であって欲しいと思っている(!)

そう思っている人は実はけっこう多いんじゃないか?

 

この体験からそう思っています。

無名から国連事務総長へ抜擢された「国連の坂本竜馬」ー「大衆を救うために勤勉に働くより、一人の人のために全身全霊を捧げる方が気高い。」

私がよく聞かれる質問の中に、なんで国連やめてカウンセラー・コーチなんですか?というものがあります。

 

国連=もっと大きいことができる=インパクトが大きい

それなのになぜ「小さいこと?」

 

単純に「どうして?」「この人ってどんな人なの?」とも思うと思います。

 

なので、その質問の意味はよく分かります。

 

なにより、私自身が「大きなこと」をしたいと思ってきましたし、大きいことに関われる楽しさも体験させてもらいました。

 

その意味でいうならば、私は、国連のキャリアの中でも、二つの独立国(東ティモール、南スーダン)の独立のプロセスに関わるという、その意味ではかなり「野心的」でかなり「ピンポイント」な選択をしてきました。

(国連は自己志願制の組織で勝手に派遣されることはありません。)

 

同じ国連という組織でも、紛争国の最前線に行く人も、国が独立を果たすプロセスに関わる人も、しかもそれを二回も体験する人もあまりいないので、この組み合わせはかれな「稀」です。

 

東ティモールの独立前の一年間の間は、正当性を持つ新しい政府と国の体制ができるまで、内戦でインフラが破壊され、文字通り何もなかった状態の時には、国連が「暫定政府」を務めていました。

 

その仕事は、それこそ国境の交渉から、貨幣、教育制度、行政、選挙、憲法の策定、学校の運営まで含まれました。そして、一年の間で選挙が行われ、学校の制度警察ができ、憲法ができ、学校が再開されました。

 

キャリアの最初にそんな「成功体験」を目の当たりにさせてもらったことは、私が国連でのキャリアを続けるモーチベーションになりました。

 

同時に、「全ての物事には両面がある」というのも大きな秩序の真理なのだと感じます。

 

大きな組織であるがゆえの矛盾も同じくらい存在します。

官僚主義、安保理決議と国連PKOの現場間の政治的なギャップ、ヒエラルキー組織。。。

 

つい最近も、南スーダンでの食糧危機に対する人道支援の一環として、ヘリコプターから食糧が投下されるシーンを見ました。

 

世界の格差がより大きくなっているという時代に、さて、「この支援はいったい役に立っているんだろうか?」という根本的な疑問が私の中で浮かびました。

 

こうした疑問は、この業界にかかわると、国連であれNGOであれ、いずれかの段階で思うことです。

 

その疑問はごくごく健全な疑問だと思いますが、だからと言って、全てが無駄だというのも違うと思うし、0か100かの議論になる必要もないと思います。

 

ただ、面白いのは、一人一人の「その先」だと思います。

 

それで、「あなたはどうするの?」と。

 

ちなみに、「大衆を救うために勤勉に働くより、一人の人のために全身全霊を捧げる方が気高い。」という言葉を残したのは、1953年から二代目の国連事務総長を務めたダグ・ハマーショルドでした。

 

彼は、スウェーデンの元外交官で、財務次官と外務次官を経て、第二代国連事務総長を務めました。ノーベル平和賞を授与されるなど非常に高い評価を残した人です。

 

無名から国連事務総長へ抜擢され、今の国連の基礎を作ったことから「国連の坂本竜馬のような人」という表現をしていた人がいました。

 

数々の華々しい外交の裏側の取引、各国の思惑、国益追求のどろどろのはざまで、どうしていつも平和を目指す判断が下すことが出来続けたか?

 

類まれなリーダーシップ、彼が希求した国連の未来像とはどのようなものだったのか、そして我々は今、そこから何を学ぶことができるのか?

 

その様子は、スウェーデン政府が彼の生誕100周年記念事業として編纂した評伝集から垣間見ることができます。

https://www.amazon.co.jp/世界平和への冒険旅行-ダグ・ハマーショルドと国連の未来-ブライアン・アークハート-セルゲイ・フルシチョフ/dp/479480945X

 

「大衆を救うために勤勉に働くより、一人の人のために全身全霊を捧げる方が気高い。」

 

もし彼が生きていたら、彼の言葉の意味をさらにもっと聞きたいところです。

 

国連事務総長という立場の人が残したコメントとして非常に印象に残っています。

人間とは誰もが人の役に立ちたい生き物。

そう私に教えてくれたのは、銃をもった軍人の人たちでした。

 

私が国連の平和維持活動(PKO)に関わることを通じて、体験させてもらった「ユニークなこと」の一つは、軍人の人達と一緒に働くということだったかも知れません。

 

南スーダンなどの現場にいた時には、30カ国以上の軍人の人たちと日常的に接していました。 情報収集をしたり、計画をたてたりとお互いが必要になるからです。

 

そんな私ですが、正直に告白すると、最初は「軍人」という人たちに対する偏見がかなりありました。

 

日本で生まれ育った私にとっては、そもそも日常的に接点がないので、軍隊は未知の世界でした。

 

これは東ティモールの国連PKOの現場に私が初めて派遣された時の話しですが、

究極のヒエラルキー組織である軍隊を相手に、私は、そもそもどんな階級があって、どの順番に偉いのか分からず、目の前のメイジャー(major)に対して、サージェント(sergent)と呼び、一緒にいた同僚から「彼はメイジャーだよ」と耳打ちされたこともありました。

いわば、課長をヒラ社員扱いしたようなものです。😝

 

相手はポルトガル軍でしたが、幸いにそんな私の失礼を「ああ、日本から来た新人の女の子ね」と、ニコニコと受け入れてくれました。

 

軍人とは、いざという時には戦闘をするための訓練を受け、それ自体を職業にしている人たちです。

軍人と聞くと、戦車や銃など「戦闘」を思い浮かべると思いますが、国連PKOでの彼らの主な目的は役割は闘うことではありません。

 

国連PKOでの彼らの役割は、主に、情報収集、信頼構築、住民の保護、交渉、紛争予防です。

 

停戦直後だったり、ある地域の情勢が不安定だったり、暴動が起きている場合、その前線に行き情勢を確認するのは軍人の人たちです。そういう意味でも。彼らの果たす役割はとても重要です。

 

また、時に和平合意の内容について村人に知らせたり、その地域のニーズの聞き取り調査をすることもあります。

紛争後の国はインフラが破壊されていることが多いので、テレビや電話などの情報発信手段も通信手段も限られているからです。

 

私は南スーダンの現場などで。軍人の人と一緒に働く中で自然と親しくなっていきました。

 

中には、母国の内戦の最前線にいた人たちなどもいて、国際政治の教科書や世界のニュースを見るだけでは信じられないような彼らの「本音」に触れることも度々ありました。

 

そして、そんな彼らとの会話を通じて思ったことがありました。

 

「戦争を知っているからこそ、ある意味で普通の人たちよりもよっぽど平和を望んでいる面もあるんじゃないか?」と。

 

私がこの意味を本当に実感したのは、2012年に、米国政府から個人の専門家としてアジアの軍隊に派遣されて、国連PKOに関する訓練の講師を努めていた時でした。

 

その訓練の目的は、国連に派遣される軍としてのスキルや心構えを身につけることです。

そのトレーニングは、とても簡単でとても難しいものでした。

 

簡単なのは、国連PKOの現場では「敵」を倒す必要はないからです。

難しいのは、それまで「敵」だと思っていた人たちと話し合いをするという、いつもと「真逆なこと」が求められるからです。

 

今までは「敵を倒す」ことを訓練されてきたのに、国連の現場では「敵」は存在しない、と言われます。

相手が「武装勢力」や暴徒であっても、彼らは「敵」ではないからです。

 

彼らを倒すことが目的なのではなく、暴力や戦闘行為をやめさせ、なぜ彼らが暴力や紛争に及んでいるのかを理解し、どうしたらそれをやめさせることができるのか、という合意や方法を探ることが目的だからです。

 

なので、訓練で求められたのは次の点でした。

 

相手の言い分を聞くこと、

当事者双方の意見を理解すること

中立の立場を守ること

交渉すること

武器は最後の最後の手段として正当防衛にのみ使用すること、

ただし一般市民を保護する時には使ってよいこと、

女性への暴力を防ぐために積極的に行動すること、

人権を尊重すること、などです。

 

紛争は一度起きてしまうとその解決はとても大変です。

ですから、紛争をいかに日常的に防止(prevention)できるかが同じくらい大切となります。

 

そのためには、日常的な情報収集や状況判断が鍵となるので、

地域の人達から信頼されること(信頼構築)は特に重要になります。

 

そして、講義のテーマとして扱われたのは、安保理決議や国連PKOの意思決定、人道支援、交渉、武器使用権限、停戦後の復興などでした。

 

実際のシーンを再現した「演習」も行われました。

 

例えば、住民によるデモに遭遇した場合はどうしますか?

近くで発砲があった場合はどうしますか?

といった実際のシーンを

現地の人たちを住民役として雇って行うのです。

 

その演習に参加する側はシナリオを伝えられないので、デモをする住民に対峙しながら、それぞれがその場で判断し行動することが求められます。

 

身体が反応してしまうのか、発砲音(実弾はない音だけのもの)を聞いたら自動的に「敵」を追いかけ、住民は無防備にさらされたままということもありました。

 

私も気が付いたら何度か叫んでいたことがありました。

「国連軍の役割は住民を守ることであって、敵を倒すことじゃありませーん!!!」と(汗)

 

そして、訓練では、

住民の人達と向き合う時の姿勢、

その時の銃の位置

コミュニケーションのし方までに注意を向けました。

 

国連のPKOのトレーニングで使われる用語に3Ps(Presence, Posture, Profile) という言葉があります。

 

言葉で伝わるのは10%以下であるという観点から、非言語の部分で何を伝えているかに意識を向けましょう、という意味です。

 

日常的な姿勢や態度などの非言語ランゲージ領域を通じてこちら側の確固たる意図を示すこと、そしてポジティブな 影響も及ぼす、というニュアンスも含まれます。

 

住民の人たちから見れば、軍人だろうが、文民だろうが国連の要員としてみなされるからです。

 

実際に、紛争地といった現場であるほど、信頼構築の大切さは強調してもしきれない位大きいものだと思います。

 

 

3週間、ほぼ毎日「教官」としてアジア・中東7カ国の軍隊と向き合う日々。

これから先の人生でも、こんな体験はもうないかも知れません。

 

当時、私がいたのは、バングラデシュ軍の国際訓練研修所。

首都のダッカから車で3時間くらいのところにありました。

外は昼間は35度を超える猛暑。

 

ヘトヘトになって宿舎に戻ったら、アメリカ人の同僚が笑顔で迎えてくれ、「マンゴーウィスキー」を作ってくれました。

 

ここはイスラム教との国。

ビールが飲めません。

 

彼いわく、空港で買ってきたウイスキーと、ここで調達できるありとあらゆるものを割ってみた結果、「ウィスキーとマンゴーの組み合わせが、一番この土地の気候にあうんだ」と。

 

私は彼の言うことを信じることにしました。

かくして、私は夜はマンゴーウィスキーを飲み、次の日も次の日も、私は演習でこれから国連PKOの現場に派遣されるかもしれない人たちとの訓練を続けました。

 

「みなさんが軍として身につけてきたスキルを人を助けるために使う機会です」と言いながら、私の方も改めて軍人という人の立場をはじめて実感した、と思いました。

 

自分自身の安全を保ちながら住民を保護するという仕事は、 相当の精神力と技術的な鍛錬が求められます。

 

改めて、 そのプレッシャーの大きさを実感しました。

 

自分にとって「未知」の世界に向き合ったからでしょうか。

 

こちらが理解しようとした姿勢が伝わったからでしょうか。

 

軍人の人たちと向き合ったこの体験は、私に思わぬ「贈り物」をくれました。

 

「ネパール軍に戻ったらこんなこと言えないけど、僕はずっと毛派(ネパールの「反政府勢力」)ともっと対話をするべきだって思ってたんだ。」そう伝えてくれたのはネパール軍の士官でした。

 

別のモンゴル軍の士官の人はこう言いました。

「今まで人を倒す戦術しか習って来なかったけど、はじめて、国連の理念に触れることができた。」と伝えてくれました。

 

イラクに二度も派兵された米軍の同僚からはこんな発言もありました。

「僕は2回目のイラク派遣で、ようやく『敵』も人間だって気づいたんだ。

僕たちはたとえ戦闘中だって敵を人間として扱うべきなんだよ。」

 

バングラデシュ軍の士官の人からはこんな「告白」もありました。

「長年軍隊にいるけど、『人間』らしくあることを自分に求めていいんだってはじめて思えたんです。ところで、軍隊をやめようと思っていています。」

こちらの方が、一瞬焦りました。。。(笑)

 

目の前の世界がいつもとちょっと違って見えましたように感じました。

 

人は究極的には誰でも人の役に立ちたいという願いを持っている存在かも知れない、彼らはそんなことを私に思い出させてくれました。

国連ではなぜ失敗体験について聞かれるのか?ー失敗体験の「ART」と「恩恵」

国連の面接でよく聞かれる質問の中に、「最近、どんな失敗をしましたか?その体験から何を学びましたか?」という「失敗体験」について聞くというものがありました。

 

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実は、これは国連だけでなく、欧米の大学への出願しかり、国連での面接しかり、外資系での面接しかり、奨学金の面接しかり、こうした場で「失敗体験」について聞かれることはかなり定番というくらいよく聞かれる質問です。

 

例えば、「最近、どんな失敗をしましたか?その体験から何を学びましたか?」という具合です。

 

私自身、国連で採用面接官を務めたことがありますが、面接官は別にいじわるをしたいわけではありません。

 

では、なぜ面接で失敗した体験について聞かれるのでしょうか?

 

なぜなら、物事や人生とは予定通り上手く行かないことの方が多いもの。

 

 

誰も完璧な人なんていないし、人間だれでも時には失敗する。

 

大きなものから小さいものまで。

 

 

 

人間だれでも課題や挫折に直面する時があるのだから、その時にどうしたの?ということの方がその人のことが分かるという訳ですね。

 

また、「失敗体験」を話すことは、自己開示をすることで相手との距離を縮めたり、互いの共感や信頼を得るという意味でも、お互いにとって効果的な方法の一つである言われています。

 

だとすると、仮によく計算されたスピーチのようにペラペラと饒舌に話す人がいたとしても、それは必ずしも面接官が知りたいことを満たすことにはならない。

 

 

面接官が知りたいのは、

この人はどんな体験をしてきて、

そこから何を学んで、

どんなことを大切だと思っているのか?

 

 

つまりあなたってどんな人なの?という

 

「あなた」という人についてです。

 

 

あなたの知識ではありません。

 

 

ちなみに、他によく聞かれる質問には以下のようなものがあります。

 

 

◎ これまでチームとして働いた時、うまく行かなかったのはどんな時でしたか?それはどうしてですか?どう対処しましたか?

 

◎ 難しい課題に直面した時にどう対処してどう切り抜けましたか?

 

◎ 仕事上で自分の苦手分野を発見したことはありますか?それに対してあなたはどうしましたか?

 

 

こうした質問は全て同じ発想から来ています。相手が知りたいのは、チャレンジに直面した時、あなたという人はその状況から何を学びましたか?、ということです。

 

「失敗」が「失敗」で終わらず、また、「大変だったこと」やチャレンジから学んだ自分なりの結論がきちんと導き出されていればいいという訳ですね。

 

 

なんでも上手くいっている時にはそんな風には思えないかも知れませんが、人間はなんらかのチャレンジに直面してはじめて、自分のやり方を見直したり、他人の意見に耳を傾けられるようになる面もありますよね。

 

私自身、紛争地での勤務からPTSDになり、燃え尽きと無気力状態に落ちいり、苦しんだ時期がありました。

 

私の例は少し極端かも知れませんが、人生では予期せぬことも起こります。

 

でも、それは自分の方向性を見直す機会や、なんらかの能力が開く機会だったりもします。

 

そうしたことも含め、魂レベルの「計画」というものがあるのだと後で知りました。

 

 

 

人間は「課題」を通じて体験するため、成長するために転生してくるとも言われています。

 

 

そういう意味では、課題もなんのチャレンジもない人生は「息」はしていても、「生きている」人生とは言えないかも知れません。

 

そして、それに直面できる勇気や辛抱さ、智慧があるからこそ、またはそれらを身につけるために、そうした課題が生まれてくるとも言われています。

 

まあ、誰しもいろんな課題を早く解決したい、と思うものですが、同時にそのジャーニーを過程も楽しんでいけるといいですね。

グーグルと国連で求められる究極の「訓練」②

グーグルと国連で求められる究極の「訓練」①

 

認知の力を鍛える方法の1つは、脳の機能を踏まえた上で、自分の思考や見方を、いい・悪いといった評価や判断をくだすことなく、「第三者の目」で観察することです。

メンが勧めているのは、毎日2分間、ただ頭に浮かぶことをありのままに浮かび上がらせる練習です。この意図は、自分のなかで自動的に発生する思考に、より意識的になることです。それによって、自分の思考とそれに対する反応の間にあるギャップに気付くことができます。

認知の力を鍛える次のステップは、相手の視点に立って同じ状況を眺めることです。ある状況に対して、自分の視点だけではなく、他者の視点から俯瞰できるようになると、文字通り視野が広がり、対処できる選択肢の幅が広がるからです。

 

この認知のプロセスを、メンはエンジニアらしくこう表現しています。

「自己統制が上手くなるのは、復元メカニズムをアップグレードするようなものだ。問題が発生した後、システムがどう復元するかを把握していれば、問題が起きたとしても落ち着いていられる」と。

 

グーグルは、先入観や偏見にとらわれない見方ができることは、仕事における生産性・創造性に影響する、そして、すばらしいリーダーシップを発揮するための鍵だと考えているのです。

 

グーグルでは、この自己認識力を高めるため、「相手は私とまったく同じ人間」と考える練習をするそうです。

 

メンは言います。「私たちは、相手のことを、顧客や部長、交渉係ではなく、ひとりの人間だと気づかなければならない。相手も私とまったく同じ人間だ。そう思えれば、どんな場面でも信頼構築のための下地が作られるだろう。難しい状況ではとくにそうだ。」

 

たしかに、こちらが相手に対してなんらかのネガティブな印象や見方を持っていると、たとえ言葉にしなくても、相手との距離や抵抗を生むものです。人はそうしたこちらの態度を感じ取るからです。

 

私自身、内戦を戦った軍隊の人たちとの関わりを通じて、相手を同じ人間だと見れるかどうかが、仕事の結果を左右するくらいに重要だったと痛感した体験があります。

2012年、私は米軍の専門家として、国連の平和維持活動(PKO)に参加するアジアの軍隊に派遣され、国連PKOに関する研修の講師を務めるという仕事をしていました。

 

派遣先の一つはスリランカ軍だったのですが、打診を受けた時、私の頭にまっ先に浮かんだのは「えっ、あのスリランカ軍?!」でした。スリランカと言えば、シンハラ系住民とタミル系住民との間で26年にも渡って内戦が続き、「タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)」による爆破テロが日常茶飯事だった所です。

 

⬆️ 首都コロンボからインド洋を眺める。内戦中にはこの道路沿いにいくつもの関門があったが、内戦が終わって市民が自由に散歩できるようになった。

 

スリランカ軍もLTTEへの弾圧を強め、反対派を黙らせるための拉致(強制失踪)の数は世界一とも言われました。2008年にはLTTEの拠点を続々と攻略。内戦の最終局面では、追い詰められたLTTEが、北部の半島で身動きが取れなくなった33万人の一般市民を「人間の盾」にとり必死の抵抗を試みる中で、軍は圧倒的な武力で制圧を敢行します。(数字は国連事務総長専門家パネル発表)

 

結果、双方によって一般市民が巻き添えになる形で殺され、内戦終結前の5ヶ月間だけで4万人以上もの死者を出す結末となりました。軍は、市民の巻き添えをゆるしただけでなく、その間の人道援助の輸送を妨害し、病院を意図的に攻撃するなど「人道に対する罪」を国連などから追及されている「張本人」だったのです。

 

私自身、内戦中のスリランカを訪れたこともあり、自分が数時間前に車で通ったばかりの幹線道路上で爆破テロがあったことを知ったこともあれば、爆破テロで燃やされたバスの残骸を見たこともあり、スリランカ内戦の「重さ」については少しは分かっているつもりでした。

 

さすがに数日迷ったものの、結局引き受けようと思ったのは、そうしたことも含め、内戦が終わった後のスリランカの状況を、自分の目でありのままに見てみたいという気持ちでした。

 

研修で私が担当することになっていたテーマに関するリサーチやプレゼンの準備は進めていたものの、私がなによりも決定的に重要だと感じていたのは、直接的にも間接的にも何万人もの人たちを殺したかも知れない人たちに対して向き合うことができるかという私の中の「心の準備」でした。

 

 

 

内戦を戦ってきた軍人を相手に私はいったい何を伝えることができるんだろう?

私の役割はいったい何だろう?

 

それに対する答えはすぐには出なかったけれども、そのためにも、まず私は彼らのことを理解しなければならないーそれに対しては強い確信がありました。

 

軍人であることを職業にするってどういう事なんだろう?

もし私が制圧に関わった一人だとしたら今どういう気持ちなんだろう?

本当に紛争が終わるってどういう事なんだろう?

 

私は出発までそんなことを思い巡らせていました。

 

こうした「心の準備」が功を奏してか、スリランカに到着し、スリランカ軍の施設に移動しても私は落ち着いていました。

 

首都のコロンボでは、紛争が終わった街の活気と開放感を感じながら、「ああ、紛争が終わるってこういうことなんだあ」、とインド洋を眺めながらしばらく感慨にふけっていました。

 

そして、軍や政府、街の人たちなどと接していく中で、リアルに迫ってくる感覚があるのを感じていました。

 

それは、あえて言葉にするならば、「もう戦争はたくさん」「なぜこの内戦をゆるしてしまったのだろう」という、軍やLTTE、シンハラ系、タミル系といったものを超えた、あたかも社会全体を覆っているかのような圧倒的な葛藤と苦しみでした。

 

その葛藤と苦しみを感じた時、相手が軍服を着てようが、大佐だろうが、ただ苦しみを持った人間にしか見えなくなったのです。

 

こちら側のそうした態度が伝わったのか、研修は順調に進みました。スリランカ軍の参加者が個人的な体験を話し始めるなど、国連や外部の立ち入りや調査団を何度も拒否してきたスリランカ政府の歴史から考えても、驚くような展開もありました。

 

まさに「相手を同じ人間として見る」という力を感じた瞬間でした。

 

「この人は私とまったく同じで、体と心をもっている。

この人は私とまったく同じで、悲しかったり、怒ったり、傷ついている。

この人は私とまったく同じで、苦しみから解放されたいと願っている。」

 

 

これは、仏教の「慈悲」(compassion)の教えを基にグーグルで実践されている瞑想の一つだそうです。

 

 

当時私はこの言葉は知りませんでしたが、私がスリランカで感じた心境を表しているように感じます。

 

 

アリストテレスは言います。「ある考えに賛同することなく、それについて認識できることは学識ある心のしるしだ」

 

 

老子は言いました。「『慈悲』を持つものは、あらゆる戦いに勝利し、どんな敵に攻められても必ず守りきる。『慈悲』を持つものなら、常に勝者となる。」

 

グーグルで実践されていることも、紛争地で求められていることも究極的な意味では同じなのかも知れません。

 

どんな人でも「同じ人間」として見れるようになることは大きな「武器」になるのです。

 

 

⬆️ 慈悲のマントラをマレーシアの歌姫Imee Ooiの歌声にのせて