外出禁止がほぼ一年のような環境でー危機が押し出す「和解」

前回、危機の時にこそ、その人の強みや本質、その人が本当に表現したいことが現れるのではないか?ということをお伝えしました。

 

*記事⇨危機の時にこそ、その人の強みや本質、その人が本当に表現したいことが現れるということ

 

また、「危機」が押し出す「和解」ということもあります。

 

今のコロナ危機の中で、もちろん大変なことは今世界中にいくらでもありますが、危機という中での光るニュースというのもあります。

 

今回は、「危機」が押し出す「和解」という視点から、先に南スーダンでの体験を、そして今のコロナ危機での「和解」についてお伝えしたいと思います。

 

175カ国の人たちが一緒に働く国連という場。この中には対戦中の国の人たちもいます。

 

ニューヨーク本部だったら、仮にその人たちが同じ部署で一緒に働くことになったとしても数時間ほど我慢すれば、いくらでもその後は自分が好きなところへ行くことができます。

 

しかし、南スーダンではそのような街もカフェもお店もありません。

 

外に出れないわけではありませんが、3分も車を走ったら、舗装の道は終わり、そもそもお店がないので、実質的には、ほぼ一年間くらい(人によっては2年〜4年くらい)、外出自粛に近い状態とも言えるでしょうか。

 

敷地内はそれなりの距離をジョギングできる程度の広さはあります。4畳くらいの広さですが、自分の部屋もあります。

 

ですから、あえて表現するならば、ある程度の広い敷地の中で、自分の家族ではなく、175カ国の同僚たちと一緒に過ごすことになった長めの外出自粛生活と表現したらいいでしょうか。

 

そのような中で、実際にこのような状況がありました。

 

インド人の軍人とパキスタン人の軍人が国連機の運営という同じ部署に配置されました。

 

軍人という職業の人たちには、防衛に直接関わる立場として、私たちが想像できない位の制約があります。

 

例えば、「敵国」であるお互いの国に渡航することはもちろん、互いに接触することも厳しく禁止されています。正式に軍人をやめても、一生インドを訪ねること、また一生パキスタンを訪ねることも許されていません。

 

ただ、国連という彼らが派遣された新しい所属先では、自分の国の立場ではなく国連の一員として仕えることになります。

 

幸い、二人ともプロ意識が高い人だったので、互いに助け合いながら毎日テキパキと国連機を飛ばし、何百人という国連関係者や物資を南スーダン各地に送り出していました。

 

二人とも家族や母国から離れる寂しさや苦労があったでしょうから、互いの「違う点」よりも、「同じ点」に目が向いたのかも知れません。

 

気づけば、二人で仲良く一緒にチャパティー(インドやパキスタンでの主食)を焼きながら、よく一緒に食事をしていました。

 

彼らは平気な顔でしれっと言っていました。

 

「ああ、カシミールは寒かった。そういえば、あの時の銃撃には驚いたよ。敵ながらあっぱれと思ったよ。ハハハー。」

 

「まあ、ヒンドユー語とウルドユー語なんてほとんど同じなようなものだよ。チャパティーの味だって一緒だよ。」

 

「戦争をあおるのは結局政治家さ。僕は軍人として命令されたところに行くだけさ。」

 

パキスタンとインドも互いに核武装をする程の敵国で、かなり緊張状態が高まったことが数回ありましたが、けっきょく、同じ言葉を話し、同じ食事をする同じ文化圏に属する人たちなのです。

 

私はチャパティーをごちそうになりながら、二人の会話をただ聞きながら、なんだか妙に納得してしまったのでした。

 

政治や人間のプライドやエゴで、人と人や国との間の分断がいかにも簡単に起きてしまうようにも見える一方で、同じくらいに人間の中には元に戻りたい(繋がりたい)というDNAのようなものがあって、危機という現象の中に現れる恵みの中で、私たちが自分の中にある純粋な気持ちや願いを取り戻し、人間のそんな姿を見せてもらうことがあると。

 

今回のコロナ危機では、イスラエルのユダヤ系の人とアラブ系の救急隊員が共に懸命に職務を行っていることを現している写真が話題になっています。

 

イスラエルでは、救急車への出動要請は通常年間6000件のところ、コロナ危機以降10万件を超える状況だそうです。そのような嵐のような忙しさの中、奇跡のようにある瞬間に要請が止み、共に祈る時間が与えられたそうです。

 

それぞれの神にその方向を向いて祈りました。そして、こう語りました。

(逆を向いている写真ですが、逆を向きながら一致しているのです!)

 

「対処すべきことがあまりにも多く、一人一人祈る時間がないので今は一緒に祈っています。… わたし(イスラム系)は家族のことを祈っています。わたし(ユダヤ系)はこの終わりを見せてくださいと祈っています。この病気では宗教も性別も関係ないです。」

 

このような状況の中で私たちは日々いろいろなことを感じています。フラストレーションを感じることもあれば、ちょっと前までは当たり前だったことに感謝が湧くような体験もしています。

 

だからこそ、このような時にこそ、「急げば回れ」ではないですが、大切なことを大切にして、そして、(家にいながら静かな時間が持てないという人も多いとは思いますが)、なんとかして、ゆっくりとした時間をとって改めて方向性・ビジョンを求めるというというのは一つの知恵であると思います。

 

神様、危機の時だけでなく、大切な目的に目を向けることができるための知恵を私たちに与えてください。そのような気持ちを保てるように私たちを支えてください。

 

私たちの中の要らないものをそぎ落とし、私たちの中の純粋な願いを取り戻させてください!

 

イスラエル

 

参考サイト:

https://mtolive.net/ガザ製マスクを買うイスラエル:コロナ効果?-2020-3-31/

⬇️ ニューヨークタイムズ記事

 

国連ニューヨーク本部の’働き方’ーいつでも家で仕事してもいいし、ランチでワインも飲むのに仕事ができるわけ❓‼️

大雪の日は在宅勤務。

 

いつでも自由に家で仕事してもいい(完全自己申告)。

 

各国外交団とのランチ(情報交換)ではワインも飲むし、高級寿司店やイタリアンにも行く。

 

国連PKO局を代表してBBCに出演する上司の部屋にはリカーが置いてあって、アフターファイブ’外交’が突然始まることもあった。

 

室長・課長裁量も高いから、室員全員でセントラルパークにいった日もあった。

 

その前提は自分の仕事内容(Job Description)が明確にされていること。

 

「自分で自分の仕事を知っていること」。

 

仕事のポイントを知ってること。

 

 

わたしがニューヨークでいた部署は、国連の中でもとびきり優秀な人たちが集まったところでしたが、ほんとうにそれぞれが仕事のポイントを押さえていたのだと思う。

 

自己管理を要するのは間違いないけれども、ここで言いたいことは、そういう働き方は可能だということ。

 

本当に必要な仕事なのか吟味せず、今までやっていたらという理由で、長時間労働が続いていたり、女性が働き続けられないモーレツ社員的「働き方」も含め、国が少子化になっていたらあまりに悲しい。

 

日本の企業は本気で「生産性」を考える段階にあると思う。

 

(写真)ニューヨーク セントラルパーク

2020東京五輪ホスト国として知っておきたいことー1964年東京五輪から2016年リオ五輪参加国はなぜ2倍になってるのか?

1964年東京オリンピック参加国はいくつでしょうか?

なぜリオではおよそ2倍になってるのしょう❓

1964年から2016年の間に何がおこったのでしょうか?

 

国連加盟国よりもリオ五輪参加国が多いのはなぜでしょうか❓

 

東京オリンピック vs リオ五輪.001

 

まず先に答えをお伝えします。

 

1964年東京オリンピック参加国は=94

2018年国連加盟国数=193

2016年リオデジャネイロオリンピック参加国=207です。

 

リオ五輪参加国がおよそ2倍以上になっているのは、1964年当時アフリカは多くの国がまだ「植民地」だったからです。

 

まだ独立国として東京五輪に参加できていなかったからです。

 

zambia

 

「1964年10月24日、東京五輪閉会式の日、アフリカのザンビア共和国は独立した。
開会式とは違った新国旗を持って、残留したたった一人の選手が、誇りたかく入場行進してきた。満員の観覧席からは、精一杯の拍手が送られた。」 吹浦忠正(ユーラシア21研究所理事長)「新・徒然草」より

 

当時の読売新聞にはこうあります。

 

「ザンビアのプラカードと旗手が入場し、最後に開催国日本の旗手・小野喬(体操)が入場した直後、各国の選手たちが一丸となって入り混じり、互いに手を握り、肩を叩き、抱き合い、踊りながら入場してきた。そして、すぐさま追いついた、日本とザンビアの旗手を肩車にして担ぎ上げた。」

 

1964年東京五輪は、敗戦後の悔しさから日本が国際社会への復帰をアピールする機会だと捉えられました。

 

では当時参加する人たちにとって1964年東京五輪はどんな機会だったのでしょうか?

 

アメリカの選手団もほとんどが白人選手です。まだ人種差別が公然と行われていた時代でした。

 

「平和の祭典」と言っても、世界の半分も参加していないということになりますね。

 

では2020年東京五輪に参加する人たちにとって、五輪というのはどういう場なのでしょうか?2020年五輪には国籍のない人たちや「難民」と呼ばれている人たちも参加できるのでしょうか?

 

ほんとうの意味での「平和の祭典」にするには、ホスト国として「私たちの視点」だけでなく、「彼らの視点」も持ちたいものです。

 

さて、中学校の総合的な学習の時間ではそんなお話しもしました。

 

なにより、国連の現場で見て感じたことをそのまま伝えることを一番大切にしています。

 

専門用語は使わず、わかりやすく心に届くようにお話しします。

 

「世界のことをもっと知りたいです!」
「勇気をもらいました!」

 

本何十冊読んでもピンとこなかったことが、腑に落ちる、

世界の最前線の現場の生の声に触れることで、もっと知りたいと思うようになったーそのような感想をいただいています。

 

他にはこのような感想をいただいています。

 

「答えを提示するわけでもない」という言葉に触れて、「自分の考えが間違いでも答えが一つだけではないと教えてもらい、私の支えとなりました。」

 

「私が使っている教科書には、紛争が起こる原因として宗教の違いと書かれて、私もそうだとずっと思っていました。でも、大仲さんのお話しの中で、ケニアの難民キャンプでは宗教が違くても普通に暮らしていたと伺いました。それを聞いて、紛争が終わらない理由は、みんなが宗教の違いが原因だと思い込んでいるからだと思いました。」

 

「一番印象に残っているのは、『大人になったら答えのない問題に立ち向かわないといけなくなる。だから、学生のうちから答えのない問いに立ち向かっていく勇気を持つことが大切』というお話しです。これからはこのことを意識して生活していきたいと思います。」

 

「現代社会の先端を生きる大仲様の話しはとてもおもしろかったです。」(笑)

 

九段中感想①.jpg

 

詳細はこちら➡️goo.gl/stsivZ

 

どうぞご連絡ください。

たくさんの人にお話しできることを願っています!

 

ウィーンフィル奏者に取材して発見した’共通点’ー一見まったく違う分野の人の体験から学ぶことができれば、人生100倍うまく生きることができる

NHKに「達人たち」という番組があります。まったく違う分野で功績を持つ人たちが、互いに仕事の極意や大変だったこと、苦労の乗り越え方などを伝えあいます。

 

私が見たのは、井村雅代 シンクロコーチと欧州で指揮者として活躍し、大河ドラマのテーマ曲を指揮したことでも知られる指揮者広上淳一さんのクロスインタビュー。

 

いろいろなテーマがでてきますが、音大で若い人たちに音楽を教える広上は、どうしたら今の若い人たちを、一から指導し、8回連続オリンピックメダル獲得という偉業を成し遂げることができるのか、の秘訣を探ろうとします。

 

一方はシンクロコーチ、片方は指揮者(音楽家)。

 

一見、まったく違った分野で闘っている二人ですが、二人の会話を通じて、世界を舞台とすることのメンタリティーなど自然と共通点が浮かびあがってくるのが面白いところです。

 

どの回を見ても、全く違う分野の人たちが対談をしますが、まったく違和感はないし、逆に、それぞれのユニークな体験の中に、お互いが自分に当てはまることを見つけていきます。

 

一流が一流たるゆえんは、きっと一見全く違うような文脈の中に、より大きな普遍性や法則性を見出せることなのかも知れません。

 

一人では一つの人生しか生きることができないけれども、いろいろな分野の先人たちの体験から学ぶことができたら、いろいろな人生の対処法も知恵も身につけることができますよね。

 

映画などを見てる時でも、「ああ、わかったっ!」と、自分の頭の中でとつぜんパッと💡ひらめき💡が起こるような瞬間があったりします。

 

ウィーン管弦楽団(ウィーンフィル)でソロ演奏も担うフルート奏者、ディータ・フルーリーに取材をさせてもらっ際に、私も似たような体験をしました。

 

その中で、「どうしたらあんなに透き通った音色を出せるんですか?」と、日本の中学生からよせられた質問に答える場面がありました。

 

彼の答えはこうでした。

 

「何よりも先に自分の出したい音を想像するんだ。

それを技術と呼吸、そして、自分の持っている全てを使って表現するんだ。

その音に少しでも近づくために一生練習し続 けるんだよ。」

 

私はそれを聞いて、なるほど!とガッテンして、私も同じだ!と嬉しくなりました。

 

ウィーンフィルフルート奏者.jpg

ウィーンフィル フルート奏者.jpg

 

私の表現方法は「書く」というものですが、私にとって書く体験とは、「まず先に全体像が頭の中にぱっと浮かんで、それをなんとかメモして、言語化していく」プロセス です。

 

言葉が追いつかなくて、全体像が浮かんでいるのに全体がまとまらない時は「気持ち悪くて」、文字にすると「すっきり」します。

 

彼にそのことを説明したら、全く違う分野の人(彼は私のことをジャーナリストだと思ったかもしれません😊)も似たような体験をするんだ、と新鮮に感じたようです。

 

来日公演時の懇親会の席では、「興味深い会話をありがとう」と立ち去る前に最後に声をかけてくれました。

 

なんでもいいから、一生懸命に何かに打ち込んだり、探求したり、何かを突き詰めた体験があると、入り口はどんな分野であっても、人間や人生についてのなんらかの普遍的な理解や洞察に至るのかもしれないと感じました。

 

試験では最短で最小限の労力で合格する作戦がある時点では成功しても、人生では、もっと長期的な戦略が必要です。

 

一見、「無駄」に見えること(すぐに結果や答えのでないことを追求してきたか)をやってきた体験があるかないかは、長い人生のスパンでは、大きな「差」となってでてくるように感じます。

 

一見、すぐに仕事につながらないように見えることでも、自分が興味を持ったこと、知りたいこと、なんで?と思ったことを追求するのをやめないでください。

 

そういう体験が、自分の「軸」となる土台をつくってくれます。

そういう部分がないと、人はすぐにポキっと折れてしまいます。

その人の「幅」になってくれ、「器」をつくってくれます。

 

それが誰にでも認められるような功績として現れていなくても、自分が自分の興味を尊重し、大切にしてきた、というその時間と体験が深い部分で、自分の器を大きくしてくれています。

 

ウィーンフィル取材の記事➡️

「世界のトップ」はなぜ東北を目指すのか? ハーバードとウィーン・フィルが教えてくれた世界の中の「東北」②

 

 

今時代はどう変わりつつあるのか?変化のサイン①「ライフシフト100年時代」の意味とは?

2017年は、全く新しいサイクルの初まりの年だと言われています。

時代が変わりつつあることがよりはっきりと感じられた年でした。

ではどういう時代なのでしょうか?

どう時代が変わりつつあるのでしょうか?

 

時代がこれほどに変わっていても変わっていないように見えた時でも、後で振り返れば時代の「流れ」を教えてくれていた「サイン」があったと思うことはよくあります。

 

今の段階では、今時代がどう変わりつつあるのかに対する完全な答えは誰もまだ出せないと思いますが、この一年半の出来事から読みとれる「サイン」をいくつか挙げてみたいと思います。

 

1点目は、「「ライフシフト100年時代の人生戦略」(リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット、東洋経済新報社)です。

 

「100年時代のための保険」という商品もでるなど「人生100年時代」というタイトルはインパクトがありました。

 

なかには「100年も生きたいくない」と思った人もいると思いますが、

 

この本は、100年ライフの時代では、人生を学校→会社→引退という3つのステージで捉えてきた前提自体が変わり、働き方や価値観がますます多様化し、

 

自分の体験や分野を広げていく時期や、自分で仕事を生み出していくステージなどが加えられ、いくつものステージが同時平行して進んでいく「人生のマルチステージ化」が進むだろうと言っています。

 

つまり、100年生きるということは、「一つの会社に就職する」、「雇われる」という働き方だけでは、100年スパンを考えられないよ、というわけです。

 

もっと言うと、100年生きるということは、自分がほんとうに充足感を感じることをみつけられるかどうかで人生の質は大きく変わるだろう、ということなのです。

 

ただ、それはプレッシャーに感じることではなく、仕事をしながら、新しいことを学んだり、自分の体験や分野を広げていくことが大切だよ、と言っているのです。

 

これをやった結果、新しくこういうことがわかった、それで、自分はこう思った、こう感じた、だから今度はこれを学びたい、こういうことをしたい、体験を大事にしましょう、ということです。

 

そして、100年時代が示唆していることの一つは、やりたいことは人生で何度か変わってもいい、ということです。

 

それは、沢山のことをやらないといけない、という意味ではなく、やりたいことに「間違い」はないし、やりたいことをやる方法や手段もたくさんあるよ、という意味です。

 

実際、お金を稼ぐ手段とやりたいことが別の時期もあれば、徐々にやりたいことがお金を稼ぐ手段にもなっていく、ということもあるでしょう。

 

別の言い方をすると、雇われるメンタリティーから自分でつくり出す(クリエーション)のメンタリティーへのシフトです。

 

雇われるメンタリティーは、

真面目で

人を疑うことなく素直にいうことを聞いて

仕事をこなす人が重宝されます。

 

それがまともな企業ならいいのですが、残念ながら、ブラック企業にはとっては、こうした「真面目さ」が「使い勝手にいい人」になってしまいます。

 

クリエーションのメンタリティーは、全く異なります。

文字通り「つくり出す」ことです。

 

自分の体験やオリジナリティーが求められます。

他の人にはなくて、自分にしかできない・自分だから貢献できることは何だろう?という発想です。

 

それに対する答えをみつけるための問いは、

自分はほんとうは何を望んでいるのか?何が好きなのか?何をやっている時が楽しいのか?という問いかけです。

 

同じ仕事をしていたとしても、人がやりがいを感じるポイントはまったく違いますし、人は自分が好きなことをやっている時に自然に才能を発揮します。

 

生き生きと輝いている状態です。

 

私たちは輝いている人の様子を見るだけで嬉しくなるし、元気をもらいます。

 

だから、自分が好きなこと、やりたいこと、それを才能まで伸ばしている人はそれだけで周りに元気を与えていると言えます。

 

「やらなきゃいけない」という義務感や役割、または、「自分はこうあるべきだ」という自分で自分に思い込ませている理想像やマスク(ペルソナ)、または競争心で自分をがんばらせることができるのは、せいぜい5年、10年、せいぜい15年ちょっとでしょう。

 

その頃には、疲れ果てて、自分が好きなこともやりたいことを考えるどころか思い出す気力さえなくなってしまいます。

 

テレビに映る政治家に心のなかで文句を言って、かろうじて電車に乗って、金曜日の夜に安堵する冷めた、シニカルな大人になってしまいます。

 

残念ながら、今の日本には、無関心、無気力や無関心が蔓延しているように感じます。

 

100年間、なんとなく流されて冷めて生きるにはあまりにも長い時間だと感じるのは私だけではないでしょう。

 

自分のやりたいことがわかったら苦労はしないよ?

 

そんな声が聞こえてきそうですが、やりたいことをみつけるのは難しいと思っていませんか?

 

たくさんの人がいろいろな「思い込み」にはまっているように見えます。

 

自分はやりたいことをやってもいい、

まずはそう自分に言ってみませんか?

国連でも必須!「聴く力」こそ世界に誇れる日本の武器だ

世界で活躍するためには、何か特別な資格や能力が必要だと考える人は多いだろう。だが、日本人が得意とする「聴く力」は国連職員の研修項目に入るほど、重宝される力なのだという。

バングラデシュ女性とセックスの話をして気づいたこと

 

ある日のこと、私はバングラデシュの首都ダッカで12人ほどの現地の女性たちと一緒に座っていました。バングラデシュ人の友人に誘われ、「あるテーマ」について話し合う会に参加するためでした。

テーマは、「セックス」です。

人間として当たり前の営みでありながら、途上国、特にイスラム圏では、セックスについて母から娘に正しい知識が伝えられることも、女性同士で語り合う機会もほとんどありません。

それゆえ、結婚年齢の早いバングラデシュでは、セックスについて人知れず悩んでいる人が多い、ということをその友人から聞いていました。

 

「だからこそ、女性同士で自由にこの話題をシェアできる会を持ちたいの。セックスは秘密でもないし、苦痛なことでもない。人間としてあたり前のことだって伝えたいの」

 

友人の熱意と意気込みをはっきりと感じました。

 

イスラム圏では、たとえ女性同士であってもセックスについて話すことには、大きな勇気が要ります。だからこそ、彼女の勇気とパイオニア精神を応援したいと思い、私は会に参加することにしました。しかし実際にその場に行くと、不慣れなテーマに、私はすっかり委縮してしまったのです。

 

「私はセックスの専門家でもないし、自信を持って人にシェアできる体験があるわけでもないんだけど……」

 

つい、そう言い訳してしまった私に、友人はきっぱりとこう言いました。

 

「あのね、チカ。私は専門家の意見を求めているわけじゃないの。私は同じ女性の一人として、あなたにそこにいて欲しいの」

 

その言葉で、ようやく私は自分に何が求められていたのかを理解しました。私は当時、国連の平和維持活動(PKO)訓練の講師を務めていました。その仕事柄、何に対してもエキスパートで答えを持っていなければならないと思い込んでいたのです。

 

友人のその言葉のおかげで気が楽になり、彼女たちの話を聞くこと、そしてなにより、言葉や文化も越えて心が通じ合える瞬間を、私は純粋に楽しむことができました。

 

女性たちも、「日本人のチカが参加してくれたことが単純に嬉しかった」と言ってくれたし、私がそばにいて「心強かった」と友人にも感謝されました。

いま求められる「聴く力」

 

世界を舞台に仕事をしたいと思ったとき、私たちは「何か大きなことをしないといけない」とか、「目に見える成果や結果がないと意味がない」と思いがちです。

でも、本当にそうなのでしょうか?

実は、私がバングラデシュで体験した「一緒にいること」こそ、いまの世界で求められている

ことであり、なおかつ日本人の得意分野でもあると思うのです。

 

この連載の第一回目では、国連職員として南スーダンで働いていたとき、「仲裁」にかかわった体験を紹介させていただきました。

仲裁とは、中立の場をつくり、それぞれの言い分を聴き、その橋渡しをすることです。

この仲裁には、とても大きな力があります。

 

世界でも最も争いの根が深いと言われている南スーダンでさえ、仲裁によって、敵同士でも個人のレベルでは信頼関係が築かれるのを目撃しました。

仲裁の立場では、基本的には助言をしません。逆に、何か言いたくなる衝動を抑える訓練を受けるくらいです。

 

アドバイスもせず、本当に解決方法が見つかるものなのでしょうか? もし本当にそうだとしたら、いったいなぜでしょう?

 

それは、「聴く力」によるものなのです。

 

話をほんとうに聴いてもらえる時人は「変わる」ことができる

 

もちろん、ここで言う「聴く」とは、ただ単に音が耳に入ってくることではなく、より能動的な聴く姿勢を指します。

 

ちなみに、国連ニューヨーク本部で職員が受ける研修では、2日間のうち丸一日を「聴く」訓練に費やします。仲裁や交渉といった専門的な研修だけでなく、全職員に推奨されていたコミュニケーションの研修でも、一日をかけて「聴く」訓練をしました。

 

聴く力は、国連という175ヵ国もの人たちが働く場におけるコミュニケーションの「核」とされているのです。

 

NASAやマイクロソフトのコンサルタントをつとめるアネット・シモンズは、『プロフェッショナルは「ストーリー」で伝える』(海と月社)のなかで、「聴く力」の効果を次のように列記しています。

 

● 話を聞いてもらえる「安心感」

● なんでも自由に話してもいいと思え、相手に受け止めてもらえる体験

● 話すことで、自分が何が理解できて、かつ、理解できていないのかがはっきりする

● 話していくうちに、自分のなかの「理屈では説明できない部分」に気づき、その部分が受け止められることも含め、自分の思考や行動が整理されていく

● 話すことで、自分の話を自分で聞くことになるので、それを再検討できる

● 頭が整理・統合された結果、知恵や創造性が引き出される

 

ハーバード大学のキーガン教授は、人がほんとうに変わろうとするときは、自分が語りつづけるストーリーを自分が検討できるスペースをもてるときだ、と言っています。

 

「『敵』も人間だと気づいた」──兵士たちが漏らした本音

 

私がほんとうに「聴く力」を学べたと感じたのは、PKOの仕事で南スーダンに駐在したときでした。

 

南スーダンのようないつ紛争が再発するかわからないような国では、この先の状況がどうなるのか予測するために自分なりの価値基準や判断材料を持っていなければなりません。

 

そのためのヒントを少しでも得ようと、南スーダン政府や軍関係者に会いにいくのですが、もちろん彼らは簡単に本音を言ってはくれません。

 

そんな状況ですから、彼らの話を聴くときには発する言葉だけでなく、ちょっとしたしぐさや表情にも全身で耳を澄ませるようになりました。

 

そして、言葉では表現されない、彼らの背景やニーズ、動機を探り、「この人たちは本当に和平合意を守るつもりがあるのか?」「本音を言っているのか?」といったことに対するヒントを何とか見つけようとしていました。

 

そんな体験を重ねるにつれ、私の「聴く力」も向上し、相手に対する理解も深まり、自然と信頼関係ができあがっていきました。

 

国連PKO訓練の講師をつとめていたときには、内戦を経験した軍人たちが、本音を打ち明けてくれることがありました。

 

「国に戻ったらこんなことは言えないけど、私はずっと反政府勢力(毛派)と、もっと対話をするべきだと思っていた」(ネパール軍の士官)

 

「私は2回目のイラク派遣で『敵』も人間だと気づいた。戦争は相手を打ち負かせば終わりというわけじゃない」(米軍の同僚)

 

「長年、軍隊にいたせいでずっと葛藤していたけど、『人間』らしさを自分に求めていたんだと気づいた。実は僕、軍隊をやめようと思っているんです……」(ある国の士官)

 

「最近は他の国に紛争の調停に行くようになったけど、私に初めて異文化体験をさせてくれたのは日本の厚木だった。米国の田舎生まれの私の目を世界に開かせてくれた日本に感謝している」──そう話してくれた米軍のとある将校は、北朝鮮への対応で注目を集めるアジア・大平洋司令部ハリー・ハリス司令官の直属の部下でした(当時)。

聴く力には10段階ある

 

そうした体験を経て、私は「聴く」ことにもいろいろなレベルがあるのだと気づくようになりました。以下はこれまでの体験をもとにまとめた「聴く力の10段階」です。

1、相手の言葉を聴く
2、相手のニーズ・心配を聴く
3、相手の動機を聴く
4、相手の考えの「背景」を聴く。どんな理由があって、こう考えるようになったのだろう。
5、相手の感情を聴く
6、相手の強みや才能を聴く
7、相手の願いや望みを聴く
8、相手に対して自分はどう思っているのか、という自分の反応を聴く
9、相手との共通点を聴く
10、相手の本当の姿を聴く

ここで挙げている「聴く」対象は、言葉に表現されているものだけはありません。

まだ、表現されていない、または、本人さえ自覚していないニーズや動機、望みも含まれます。それらにも意識を向け、聴き、感じ、本人以上に理解することが大事なのです。

 

家族や親しい友人ですら、そんなふうに話を聴いてくれることはめったにありませんから、やはり聴いてもらえる体験はありがたいものです。

 

最近のMBAプログラムでは、ジャズの即興演奏を聞きにいったり、アロマの香りを試したり、ダンスをしたり、みんなで一緒に暗闇を体験したりして、「どんなときに人は安心して相手に心を開くのか」を学ぶそうです。

 

こうした取り組みには、従来のトップダウン型からチームの能力を引き出すことのできるフラット型へ、求められるリーダーシップ像が変化しているという背景があります。

 

現代のような変化の早い時代には、一人の人間がすべての答えを出せるとは限らないので、これまでのやり方にとらわれずに新しいアイデアを取り入れることが重要である、という認識が急速に広まっているのです。

 

米軍で国際治安支援部隊司令官などを務めたスタンリー・マッククリスタル氏も、近年、求められる軍人像が「強くて頼りになるリーダー」から代わってきたとTEDで語っています。

https://embed.ted.com/talks/lang/ja/stanley_mcchrystal

 

「この15年であらゆるものが変化しました。まず、地理的な活動範囲が広がり、テクノロジーが使われるようになりました。作戦も多様化して、多くの民間人がかかわるようになっています。

 

そんな変化のなかで、私が直面した大きなチャレンジは、文民や民間人も混じったチームを命令以外の方法で動かすこと。そして、まったく違う価値観やスキルを持った『ミレニアル世代』に積極的に耳を傾け、彼らのテクノロジーのスキルを活用しながら環境を整え、全員を共通の目的に向かわせることでした」

 

それを成し遂げるためにこそ、マッククリスタル氏は「聴く力」を磨いたのだと言います。

日本人の「聴く力」は突出している

 

これは米軍の例ですが、価値観が多様化するなかで、立場や世代を越えて、互いの意見にオープンに耳を傾ける姿勢の重要性はどんな業界にも当てはまるのではないでしょうか。

 

その根本に「聴く力」があるのだとしたら、世界的に見ても日本人はその能力に非常に長けています。

 

私は日本でファシリテーションや仲裁のスキルについて教えたことがありますが、国連の職員が2日間かけてようやく掴みかけるレベルの「聴く力」を多くの日本人がすでに持っているのを見て、驚きました。

 

実際、日本人は「聴く力」や「感じ取る力」を日常的に発揮しています。

 

「あの人は会議でああ言っていたけど、本当に言いたかったのはこういうことだったんじゃないか?」といった深層の部分を洞察することを、みなさんも自然にやっているのではないでしょうか?

 

日本人には当たり前のように聞こえるかも知れませんが、これは世界的にみると稀有な能力です。そして、この力こそがいま世界で求められているのです。

 

たとえば、2011年に独立した後、内戦が再発している南スーダンには、生まれたときから戦争しか知らず、教育を受ける機会もなく、話し合うことを一度も体験したことがないまま大人になった人たちが大勢います。

 

彼らは銃や武力でしか、相手を動かす方法を知りません。いくら話し合いが大事だと言われたところで、彼ら自身一度も「聞いてもらった」体験がなく、話し合うということがどんなものなのかわからないのです。

 

しかしながら、もし、彼らが武器を手に取る前に、誰かが話を聴いてくれていたら、どうでしょう。

 

人は争いを体験するほど、聞いてもらうこと、理解されることを、強く求めるのではないかと思います。生存や安全と同じくらい、人間は社会に承認されることを求める生き物だからです。

 

そもそも、世界にかかわりたい、自分が属している社会をよくしたいと思うのは人間の本能的な欲求です。それが、国連やNGOといった職種に就かないとできない、という状況も変わるべきときなのでしょう。

 

「聴く力」は世界で通用する大きな武器なのです!

 

 

 

イスラム圏の男性の本音ー男性も「本当はもっと自由に女性と接っしたい」

先日、国際女性の日(3月8日)にアフガニスタン人の元同僚の男性からメッセージをもらいました。

 

「国際女性の日おめでとう!全ての女性に祝福を」

 

日本ではあまり耳にしませんが、海外では、3月8日は International Women’s Dayとして知られ、A Happy International Women’s Day!という挨拶が交わされることもあります。

 

この起源は、1904年3月8日にニューヨークで、働く女性たちが婦人参政権を要求してデモを起こし、その後、ドイツの女性たちなどから「女性の政治的参加と平等」のための記念の日にしようという世界的なムーブメントが動きがあったことがきっかけとされています。

 

オックスフォード大学しかり、ウィーンフィル管弦楽団しかり、世界的な歴史を持つ組織が、女性にもより平等に門戸を開き始めたのは70年代、そしてその数が増えてきたのはほんとうにこの20年くらのことです。

 

私自身も南スーダンといった紛争が起きていた国で働いてきましたが、現場では軍人の人たちと一緒に働くことも多く、同じチームの中で女性一人の時もありました。

 

そして、その中にはイスラム圏の人たちもたくさんいました。

 

その人たちの何人かと友達になった中で、彼らもほんとうは女性ともっと自由に接したいし、女性にもっと自由になってもらいたいんじゃないか?と思ったことがあります。

 

 

イスラム圏では、社会的に男女の役割や規範が細かく決められています。

 

例えば、女性は男性が一緒に食事をしない、

女性は学校に行かなくていいとされたりする地域もあり、

女性の地位はまだまだ厳しい状況にあります。

 

以前、バングラデシュ軍で国連の平和維持活動に関する訓練の講師を務めていた時、ジェンダーについての講義を担当することがありました。

 

国連の平和維持活動に関するトレーニングには国連が規定した全世界共通の項目があり、そのうちの一つがジェンダーなのです。

 

世界の半分は女性。

 

そして紛争地で真っ先に影響を受けるのは女性や子供たちです。

 

彼らが派遣先の国の治安を守るという重要な仕事を果たす上で、

女性がどのようなチャレンジに直面するものなのかを理解するという意図でした。

 

ただ、派遣先はイスラム圏。

ましてや相手は軍人。

 

ジェンダーの話しがどこまで通じるんだろう???

どこまで耳を傾けてくれるんだろうか?

 

 

正直、はじめは懐疑的でした。

 

まずジェンダーという概念について説明しました。

 

「『男女の役割』というのは文化的、社会的に規定されているものです。

男女の役割は社会の変化や世代を経て変わることもあります。」

 

 

 

すると、と手があがりました。

 

「世代で変わることもあるってどういう意味ですか?」という質問でした。

 

単純に、バングラデシュではちょっと想像がつきにくいのですが。。。?!

そんなニュアンスが伝わってきました。

 

こんな説明をしました。

 

「私の祖母は沖縄の片田舎に生まれました。その村で子どもを8人育てました。

その娘(私の母)は戦後、その片田舎に生まれながら、

船と電車に乗って東京にやってききました。

 

働き始めて数年後に男女雇用機会均等法が制定され、当時としては珍しかった女性のフルタイムのプロフェッショナルとして定年まで働きました。

 

孫(私)は国連に入り、ニューヨーク本部や南スーダンで働きました。

最近、ひ孫(姪っ子)が誕生しました。

彼女はとても活発なので南スーダンでは飽き足らず宇宙へ行ってしまうかもしれません。」

 

最後に笑いがおきたので通じたようです。

 

バングラデシュでは女性のトイレがあまり整備されていなく、バスに乗る時などは女性が何時間もトイレを我慢することを知って、ショックを受けた話しもしました。

 

紛争の前線を経験してきた人も含め、現役の軍人ばかりでしたが、親身に耳を傾けてくれました。

 

講義の後、彼らのうちの何人かが私のところに来てこう伝えてくれました。

「実はずっとこういう話しをしたいと思ってたんです」と。

新鮮な驚きでした。

 

 

南スーダンにいた時には、パキスタン軍の人たちと仲良くなり、よく一緒にご飯を食べていました。

 

 

パキスタンという国は社会・文化的に男尊女卑であるばかりか、軍人という立場もあって、母国で女性と普通におしゃべりすることはほとんどないようです。

 

私は軍人でもないし、まったくの個人同士の付き合いです。

 

自然と冗談を言い合ったりすることもあります。それは私にとって当たり前のことだったのですが、あちらにとっては当たり前じゃなかったのでしょう。

 

当たり前ながら彼らも普通の人間。

やっぱり、冗談を言い合ったり、ツッコミを入れたくなることもありますよね。

 

そんなたわいもないことが、こちらが想像する以上にとても楽しかったようなのです。

 

 

イスラム圏の男尊女卑と言われている社会でさえ、

個人的には必ずしもそれでいいと思っているわけではなく、

男性自身、本当はもっと自由に女性と接っしたいー

しかも、女性にもっと自由であって欲しいと思っている(!)

そう思っている人は実はけっこう多いんじゃないか?

 

この体験からそう思っています。

難民を迎えに自ら空港へ行ったトルドー首相ーこういう人に税金を払いたい!

今私たちは、第二次世界大戦以来の「難民危機」を迎えています。

 

特にシリア内戦を逃れてきた「難民」たちの状況は相変わらず深刻で、2016年に入って減少したが、今も、ほとんど毎日のようにギリシャとイタリアの海岸沖から難民が救助されています。

 

この「難民危機」の本質はいったい何なのでしょうか?

私たち人類は何を学ばなければいけないのでしょうか?

 

この課題の最中、先週には、世界中のリーダーが国連に集まり、国連総会でスピーチを行い、各国の難民に対する姿勢が改めて浮き彫りになりました。

 

その中でも、特に脚光を浴びているのは、難民を快く受け入れる姿勢を示しているカナダのジャスティン・トルドー首相です。

 

トルドー首相は19日、カナダの人道支援予算を今年度10%増額し、援助を必要とする難民の移住を推進する意向を改めて表明し、2015年には、シリア難民がカナダに到着した際には、彼らを歓迎しに自ら空港にも行った彼。

 

「彼らは『難民』としてこの空港に到着します。

この空港を出る時、彼らは定住する先を持つ人間としてこの空港を後にします。」

 

 

2016年9月21日国連総会にて

 

カナダのトルドー首相。単なるイケメンだけじゃない。
新しい時代の政治家バンザイ!!!

 

突然中国語で呼び止められた! 語学力よりも大切なことー◯◯を持つこと

突然中国語で呼び止められた。
ウェイ!
迷子になったらしい
おばあちゃんとお孫さん。

周りもすっかり
暗くなっていたし、

抱っこされてる
男の子は
今にも
泣きだしそう。。。

おばあちゃん
ともかく
早口で
しゃべりまくる。

私少しは
中国語
分かるけど、

彼女の口から
繰り出される
弾丸中国語は

すでに私の
レベルを超えてる。

しかも、
ウオーキング中で
携帯持ってない
。。。

ふー。

ちょっと
深呼吸して

相手の状況を
想像してみた。

そういえば、
英語が
ほとんど通じない
カザフスタンで

私つたない
ロシア語しか
話さないのに

なぜか
何度も
おばあさんに
道を聞かれた。

語学力が先じゃなくて
まず、
相手と通じる意図を
持つこと。

通行人の
サラリーマンの人から
紙とペンを借り、

筆談と想像力?で

なんとか
家族に
再開しましたとさ!

 

会って5分も

経ってないのに

あなた
結婚してるの?
って、

世界共通
ばあちゃん必殺技を
繰り出し、

こっちはほとんど
しゃべってないのに
あなた中国人?って、

ばあちゃん、

ツッコミどころ

満載だったけど

おばあちゃんとは

ゆるされてしまう生き物です。

(笑)

 

最高級エアラインと国連トレーニングの意外な共通点

機内にはバーラウンジがあって、

席はベッド付きの個室で

バスタブ付きのシャワー室まで用意。

『セックス・アンド・ザ・シティ2』の映画の中で、ケリー、ミランダ、サマンサとシャーロットの4人はアブダビ行きの超豪華旅行に招待されます。その4人が揃って飛行機に乗るところから映画は進んでいくのですが、その飛行機は「えっ?!これ本当に機内?!」とびっくりするくらいの豪華仕様なのです。

 

さて、あの映画で使われたエアラインは、どこかと一部のファンの間で話題になりました。

 

ドバイを拠点とするエミレーツ航空です。

エミレーツ航空は、ドバイを本拠地とするエアラインで、2013年には「ワールド・ベスト・エアライン」を受賞。世界150都市に就航するなど、最近最も存在感を増している航空会社です。

 

2014年バンクーバーでのサッカーワールドカップを覚えている方も多いと思いますが、優勝表彰式で赤い帽子の制服姿でメダルを持って並んでいたのはエミレーツ航空のクルーで、他には、ACミランなどのサッカーチームのユニフォームや競技場でもEmiratesの広告をたくさん見かけます。

 

emirates_world cup

私がスーダンで働いている時、お世話になっていたのがまさにこのエミレーツ航空で、スーダンの空港でエミレーツの機内に足を踏み入れた途端、緊張から解放された私はいつも安心して深い眠りに落ちてしまうのでした。

 

エミレーツ航空がここまで存在感を増した理由は、豪華な設備と洗練されたサービスだけでなく、世界の中継地(ハブ)としてのポジションです。アジアとヨーロッパ、アフリカと中東、アメリカをつなげる場所がまさにドバイなのです。

 

エミレーツやドバイの誇る「豪華さ」には個人的には、「わ!石油王国っ」(笑)と感じる部分もありますが、UAEを拠点とする他のエアラインと比べてもそのブランド力は圧倒的です。

 

エミレーツ航空はどの写真にも、白人、アジア人、中東系、ブラウン系の人などなど写真には必ず幅広い顔立ちの人たちを揃えています。

 

 

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2016年3月現在で、なんと164カ国もの(!)クルーが乗務しているそうです。

 

エミレーツ航空に乗ると、他のエアラインではほとんど聞かれない機内アナウンスが流れます。

 

「この便には、◯◯カ国のクルーが乗務しております。クルーが話す言語は英語の他、日本語、中国語、タガログ語、フランス語、ハンガリー語、アラビア語、ヒンディーです。ご要望の最にはどうぞご遠慮なくお申しつけください。」などなど、その便によって国籍はほんとにいろいろです。

 

ここまではっきりと「多様性」を武器にしているエアラインを他に知りません。

 

「Diversity」(ダイバーシティー)は、エミレーツ航空のブランド力の大きな核なのです。

 

 

日本航空ならば、お客さんは基本的に日本人。

ユナイテッド航空ならば、お客さんは基本的にアメリカ人。

ルフトハンザ航空なら、お客さんはドイツ人が多い、といった具合ですが、

 

でも、エミレーツ航空の場合、UAEの国のお客さんをターゲットにしている訳ではありません。

ドバイが中継地であるということは、エミレーツ航空のお客さん自身も世界中から乗ってくる人たちだということです。

 

だから、乗ってくる人たちは、ほんとうに様々です。

 

しかも、

あの二階立ての巨大なエアバス380を世界で一番多く所有していて

豪華エアラインというブランドイメージを固めているのだから、

高水準のサービスを期待してくるお客さんも沢山いそうです。

 

Emirates Suite Two Seats

 

そんなエアラインの印象を決めるのは実際に接するクルーの人たち。

 

さて、

 

この164カ国もの人たちにエミレーツ航空はどうやって「サービス」についてトレーニングしているのでしょう?

何十カ国もの文化やサービスの方法を覚えないといけないのでしょうか?

それとも、なんらかの統一されたサービスの基準やマニュアルがあるのでしょうか?

 

なぜ私がエミレーツ航空に興味を持ったかといえば、私は175カ国もの人が働く国連というで働いていたので、いろんな国の人と働くこと自体に大きな楽しみがあるのと同時に、いろんな国の人とチームを組み一緒に働くには、それなりの努力とトレーニングが必要だと何度も痛感した体験があるからです。

 

そんなことをなんとなく思っていたら、エミレーツ航空のベテランのパーサーで、ドバイでクルーのトレーニングを務めている友人から連絡をもらいました。

 

「来週、日本便でTokyoに行くからお茶しよう。」

Yes! 😊 もちろん!

 

彼女との再会が楽しみでした。

ちなみに、私が彼女と出会ったのは高校生の時。いまだに連絡を保っているのはとても嬉しいことです。

大学生の頃には、バンコクの彼女の家族の家に泊まらせてもらったり、彼女の家族にもとてもよくしてもらったこともあるので、お互いの近況報告にも花を咲かせました。

 

さて、話しをエミレーツに戻します。

 

彼女は、ベテランです。

仮に機体がA380だと、最大800人もの乗客を載せます。

クルーも15人を超えます。

 

彼女はパイロットに次ぐ全クラスと全サービスの責任者なのです。

 

さて、今回の日本便のクルーは、ブラジル人、ホンジュラス人、エストニア人、フィリピン人、日本人などなど。

 

まさにそんな多様なチームメンバーがいて、時にはユニフォームの着方が違う時もあるそうです。

 

その時には、その国の文化を尊重しながら、その人の性格なども見極めながら、その点を指摘することも彼女の仕事だし、10時間も超えるフライトならば時にはいろいろなことも起こるでしょう。

 

ちなみに、彼女はファーストクラスもビジネスクラスもエコノミークラスでも直接サーブはしないそうですが、彼女は全クラスのサービスをマネージすると同時に、彼女は自分の重要な仕事の一つをこう説明してくれました。

 

「最高の笑顔をたたえて機体の端から端までを歩き、時にはバーカウンターにいるお客さんとおしゃべりをすること。」

(エミレーツ航空のA380のビジネスクラス、ファーストクラスにはバーがあります。)

 

 

彼女はもともと人が好きなタイプの人でしたが、経験を積んで、彼女の笑顔には貫禄と優雅さが加わっています。

 

もし私が機内で彼女の笑顔をみかけたら、その凛とした姿からきっとエミレーツ航空に対して信頼や安心感を感じるだろうなと思いました。

 

 

 

さて、164カ国もの人たちが働くエミレーツ航空のクルートレーニングでは何を学ぶのでしょうか?

なんらかのサービスの基準というものは存在するのでしょうか?

 

彼女の答えは、こうでした。

 

「機内設備の使い方やサービスの流れは習うものの、

サービスはこうあるべきだという基準も、

こうしないといけないというマニュアルもなくて、

一人一人が何を求めているのかを分かるようになるのがサービスの基準。」

 

 

「もし、なんらかの『トラブル』が起こった際には、

相手がお客さんだからと言って、

全てに従うわけでもないけれども、

相手の言っていることを受け止め、

本当にその人が何を言おうとしているのかが分かるようになること、

その状況で相手の要望を満たすためにできる最善の方法を探ること」。

 

なるほど〜ですね。

 

相手はどこの国の人かも分からないし、

仮に分かったとしても人が求めるものはそれぞれ違うのだから、

究極的にはそうなるのかも知れません。

 

彼女の体験談には、

お客さんからのクレーム処理しかり、

多国籍チームのメンバー間のコミュニケーションのコツしかり、

私が国連の研修で習ったり、紛争国の現場で力を発揮してくれた聴く力、観察力や共感力が満載で、

 

国連人事部がやっている研修とエミレーツ航空のトレーニングには

実はけっこう共通点が多いんじゃないかと思いました。

 

同じ仕事に対して、「食事を配る仕事」だと思う人もいれば、「いざという時に安全を確保する仕事だと」思う人もいるだろうけれども、彼女の話しから感じたのは、どんな仕事にも「極める」と「見える世界」があるということ、そして、彼女自身が自分の仕事に対して常に自分にとっての「プラスアルファー」の意味をつくってきたんじゃないか、ということです。

 

 

さらに、4歳の息子さんのママでもある彼女は、計画中の「次の展開」についても教えてくれました。

 

今まで目の前の仕事に向き合ってきたからこそ、すべての体験が次に生かされていくーそんな展開がのように聞こえました。

 

 

今日も彼女は、教官として、またはクルーとして、笑顔と凛とした美しさを世界中の人たちに届けていることでしょう。

 

また日本にフライトして来てね😊

 

Have a safe and pleasant flight!