ギフテッドをやる気にさせるものはどういうもの?

「ギフテッド」なタイプをやる気にさせるのは例えばどういうものでしょうか?

 

クリエーティブなこと

インターアクティブ(双方向)で対話があるもの

答えを教えるのではなく考えさせるもの

自分の世界が広がるもの

世界の課題に対して考えたり、発表したり、関われる機会

自分の中の深みに繋がるもの

自分を表現するスキルを身につける機会

などです。

 

 

自分が「ギフテッド」のタイプに当てはまるかも、と思う人は、テストのためにではなくて、ぜひ自分のために勉強して下さい。

 

自分の興味のあることについて調べてください。自分のために調べてください。

TEDを聴くのもいいでしょう。自分の関心テーマを探してください。

 

そして、偉大な人たちの自伝を読んでください。

 

ネルソンマンデラ、ガンディー、マザーテレサ。。。

 

例えば、インドを独立に導いたガンディーはなぜ植民地主義を倒すことができたのでしょうか?

 

時間をかけて探求するに値する興味深いテーマはたくさんあります。

 

そして自分を表現する方法をみつけてください。

 

そういうタイプの人たちの中にある、自分の中の「湧きでるもの」を表現する意欲はとても強いです。

 

短くてもいいので、自分の中の疑問や発見したことを自分の言葉で綴っていく日記をつけるのもいいでしょう。ぜひお気に入りのノートを見つけてください。

 

私自身が「ギフテッド」について調べてブログに投稿し始めたのも、最初はまったく自分自身の関心からでした。自分が自分について知りたかったからです。

 

なんでこうなの?そうして?本当にそうなの?といった疑問をやめないでください。

 

自分の探究心、好奇心を大切にしてください。

 

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LIFEシフト時代こそ生きる知恵をおばあに聞こう!ー92歳で海外公演をする離島で聞いた「人生100年時代の楽しみ方」

東京から2000km離れた、沖縄県八重山地方の離島、小浜島。

 

エメラルドグリーンの海に囲まれたこの小さな島には、一面サトウキビ畑が広がります。信号は一つもなく、道ばたでのんびりと歩いているヤギに遭遇することも珍しくありません。

 

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⬆️沖縄の原風景が残る小浜島

 

近年、この島を有名にしたのは、平均年齢84歳のアイドルグループ「KBG84」です。

 

小浜【K】ばあちゃん【B】合唱団【G】の頭文字と、メンバーの平均年齢が84歳であることから命名されました。

 

80歳にならないとグループに入ることができず、入団式ではウェディングドレスを着て、恋バナを披露するのが慣例になっています。

 

彼女たちはすでにメジャーデビューをしていて、オリジナルソングも出しています。

 

「天国に一番近いアイドル」というキャッチコピーを掲げて活動するうちに、「元気なおばあちゃんたち!」とインターネット上で評判になり、「徹子の部屋」をはじめさまざまなテレビ番組でも取り上げられました。

 

kbg84 徹子.jpg

 

英「BBC」で取り上げられたことから海外でも注目されるようになり、高齢化に悩むシンガポールから「元気の秘訣を教えて欲しい」と招待を受け、2016年末についに初の海外公演を果たしました。

 

「センター」を務める92歳の仲目トミさんが、事前に英語の勉強に励む様子はNHKでドキュメンタリーとして放送され、話題を集めました。

 

2017年にはアルゼンチンのドキュメンタリー映画制作チームが、彼女たちを撮影するために来島しました。

 

離島で聞いた「人生100年時代の楽しみ方」

 

2016年以来話題の『ライフ・シフト 100年時代の人生戦略』(リンダ・グラットン、アンドリュー・スコット著、東洋経済新報社)を読まれた方も多いかも知れません。

 

この本には、人間が100年生きるこれからの時代、人生を「学校」「会社」「引退」という3つのステージで捉える前提自体が変わり、働き方や価値観がますます多様化すると書かれています。

 

今後はこの3つのほか、自分の体験や分野を広げていく時期や、自分で仕事を生み出していくステージなどが加わり、いくつものステージが同時平行で進む「人生のマルチステージ化」が進み、100年ライフをよりよく生きるためにも「無形資産」が一つの鍵になると言われています。

 

無形資産はモーチベーションや人間関係、健康、好奇心や探求心、新しいことを学べる「オープンさ」などを指します。

 

著者の一人であるグラットンも、人生を支える「資源」をより広い観点から捉え直すことが大切だと説いています。

 

この本を読んでいるとき、小浜島のおばあたちのことが頭に浮かびました。

 

彼女たちこそ、「無形の資源」を積み上げながら、人生のライフ・シフトを楽しんでいると感じたからです。

 

なぜ信号が一つもない小さな離島のおばあたちが、海外公演までする「アイドルグループ」になったのか?

 

──そんな素朴な疑問にお答えしながら、彼女たちの持つ知恵をもとに、ライフ・シフト時代を生きるためのヒントをご紹介したいと思います。

引きこもり防止の食事会から「アイドルグループ」が誕生!

 

小浜島の人口は、およそ600人。

 

最寄りの石垣島から、約30分高速船に乗ります。ちなみに、東京─石垣島間は1950kmで、東京─上海間よりも距離があり、羽田発の国内線のなかでは最長距離路線だそうです。

 

小浜島は起伏のある地形なので、どこにいても海が見えます。島の周りにはサンゴ礁が広がっているので、エメラルドグリーンに光る海は本当に綺麗です。

 

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⬆️透明な海が一面に広がります。この写真は何の加工もしてません!

 

島の主な産業は、さとうきびなどの農業と畜産業。島の中心部には、小さな商店が1軒と民宿が数件あるだけで、沖縄の原風景を残すのどかな集落があります。

 

さて、小浜島のおばあたちの一日は、「ある日課」で始まります。

 

慶田盛英子さん(88)は、まず先祖に向かって手を合わせ、自分の子供たちとその家族、孫9人、ひ孫13人の1日の無事と健康、幸せを祈ります。

 

そして、お隣りの家へ歩いて行き、「おーい、あんた生きてるか? 一緒に東京に(合唱団の公演に)行くんだよー。まだ死んだらダメだよー」と声をかけるのだそうです。東京公演は、おばあたちの新たな目標なのです。

 

80歳を超えたおばあたちが公演することになったもともとのきっかけは、一人暮らしになったおばあたちの引きこもりを防ぐために始められた月一回の食事会でした。

 

気づいたら、島のおばあたちのほとんどは夫に先立たれて一人暮らしになり、歳も80を超え始めていました。

 

みんなに集ろうと声をかけた花城キミさんも当時すでに80歳を超えていました(現92)。そこで「残りの人生楽しく過ごすため、何かみんなで元気になれる方法はないかねえ」という話になりました。

 

そこで、キミさんが「初恋話」を始めたところ、これがものすごく盛り上がりました。

 

おばあたちの時代は戦争のせいで恋愛や結婚に心をときめかせている余裕はなかったので、「死ぬ前にウェディングドレスを着てみたい!」という声があがり、せっかくだからお化粧も華やかに着飾ってみんなで写真撮影をすることになりました。

 

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⬆️80代のおばあには見えないほど綺麗です!

 

これを機に「小浜島ばあちゃん合唱団」が結成され、新人メンバーの入団式にはウェディングドレスを着て、恋バナを披露するのが恒例になりました。

 

すると島内にあるリゾート施設のイベントに呼ばれようになり、初めてお客さんの前で合唱を披露したら「おばあたちの歌声を聞くと元気になる!」と大好評。毎年ステージに立つようになりました。

 

それ以来、島在住のシンガーソングライターつちだきくおさんが、月一回の練習をサポートしてくれることになりました。

 

彼が半分冗談で、「東京でおばあたちが歌って踊ったらうけるだろうね」と言うと、おばあたちから「じゃあ連れてって!」という声があがり、その場で東京行きが決定しました。

 

⬆️公演のため小浜港から船で旅立つ前に「うーとーと」(祈りの意味)するおばあたち

 

「死ぬ前に山手線に乗れる!」と、それはそれは賑やかな旅だったそうです。

 

東京では品川プリンスホテルで歌を披露し、テレビ番組にも出演しました。

 

ちなみにつちださんは、おばあたちのウェディングドレスの相手役を10年近く務めており、数年前におばあたちから賞状を受け取ったそうです。そこにはこんな一言が書かれていました。

 

「あなたは私たちのよき息子であり、よき彼氏です。」

 

ユーモアも忘れないそんなおばあたちの元気で明るい笑顔には、沖縄の太陽にも負けない「芯の強さ」と「知恵」があります。

 

不便な離島こそ「果報の島」

 

小浜島に簡易水道ができたのは1963年。それまでは天秤棒をかついで、井戸から水を汲んでいました。水道の蛇口から水が出るようになったのは、西表島からの海底水道が完成した1977年のこと。

 

電気が通じるまでは石油ランプでの生活で、テレビは長い間NHKのみ。民放放送が始まったのは、1993年でした。

 

⬆️ さとうきび畑が広がる

 

戦後の食料難に、離島ならではの不便さが加わり、台風が来たら5日間の停電は当たり前という厳しい生活。たくさんの苦労を経験したことは想像に難くありません。。。

 

それでも、おばあたちは、私に何度も何度も小浜島は「カフー(果報)の島=恵まれた島」だと何度も言うのです。

 

「平たくて水源が限られた他の島と違ってね、小浜島はとても水に恵まれている。島にはたくさんの湧水があるおかげで米や麦、サトウキビや野菜、なんでも作ることができた」

 

小浜島は、石垣島と西表島の間に位置するため、外洋の荒波から守られ穏やかな海岸に囲まれています。集落から歩ける距離にある海辺に出れば、アーサー(海藻の一種で沖縄では天ぷらにされる)やしじみを採ることができます。

 

さらに小浜大豆と呼ばれる島原産の大豆を使って、おばあたちは味噌も醤油も一から作ってきました。着るものも、学校の制服以外はほとんど自分たちで縫ったそうです。

 

小浜島のおばあたちが「着るものを自分で作る」と言うのは、綿花を育てて収穫し、糸を紡いで染色して、機織りし、着物に仕立てるということを指します。

 

綿だけでなく、苧麻(ちょま)や芭蕉という植物からも糸を紡いだり、琉球藍から自分の好みの色を出すなど、作り出す布地の種類も豊富。

 

しかも、おばあたちはこの全行程を誰もが一人でできるそうです! 元気な頃は家族全員分の着物を用意していたそうです。

 

「買ったものを着ると暑い。やっぱり麻がいい」と、藍染の名人でもある慶田盛英子さんは、自分で仕立てたというお気に入りの麻の藍染の写真を見せてくれました。

 

こうした作業は、日常生活に根付いた「祈り」でもあった、と言います。

 

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小浜島は沖縄のなかでも「芸能の島」として知られ、五穀豊穣に感謝する祭など年に4回ほど大きな祭事があります。その際のお供えものを用意すること、そして、神さまを島にお迎えする儀式を執りおこなうことは島の女性の重要な役割でした。

 

「神さまに、スーパーで買ってきた米や小麦粉で作った餅をお供えすることはできません。だから手作りします。砂糖はサトウキビから作り、塩は海水を汲んできて釜で塩炊きします。赤味噌、白味噌、酢も作りました。なければ作るのが当たり前でした。」

 

「お供えをするためにはいつ種をまき、いつ収穫したらいいのかがわかります。」

 

そう話すのは、合唱団最年長の山城ハルさん(99)です。

 

島の人たちの生活は祭事を中心に周っているとも言えます。

 

島の人は薬草の知識も豊富。熱冷ましのために使うもの、あせもを抑える薬草など、島に自生するものでほとんどの病気を治してきたというハルさん。

 

彼女が生まれて初めて健康保険証を作って病院に行ったのは、なんと97歳のときでした!

 

⬆️カジマヤー(97歳のときにおこなわれる長寿のお祝い)の祝福を受ける山城ハルさん。子供6人、孫18人、ひ孫31人、玄孫5人に恵まれた。お祝い当日は石垣島、沖縄本島、東京などから大勢の家族・親戚がお祝いに駆けつけた。PHOTO: KIKUO TSUCHIDA

 

変化があるときほど、「変わらないもの」を意識する

 

島の人にとって「生きる」ということは、「何もない」環境で必要なものを育てつくること。それがけっして当たり前じゃないことを知っているからこそ、島の祭事では人々の表情が変わります。

 

島民全員が島の女性が紡ぎ織った正装を着用し、(島の祭事には伝統衣装を着なくては参加することができません)、男性は笛を吹いて太鼓をたたき、三線の調べに合わせて歌い、踊ります。女性も一緒に歌い踊り、自然界への感謝を伝えます。

 

世界の儀礼や祭事を突き詰めていくと、人間が生きていくための知恵を伝えていくための社会の仕組みだという共通点があると、ある人類学者が言っていたことを思い出しました。

 

台風が来たらすべてが寸断される環境において、小浜島のこうした祭事は、一人ではけっして生きられない島で生まれ受け継がれてきた知恵を、おじいやおばあが全身で後世に伝えていく神聖な空間なのでしょう。

 

そうした祭事は、「人にはそれぞれの役割があって、誰もがお互いを必要とするもの」という精神を伝え、後世に受け継がれているように感じました。

 

97歳の長寿を祝う「カジマヤー」というお祝いでは、小浜島の小学校の全校生徒が竹笛をふき、孫やひ孫はもちろん、島全体でおばあたちを祝福しました。

 

小浜島おばあ④

 

小学校の授業で竹笛をはじめて取り入れた花城正美さん(元小浜小学校校長)はこう話してくれました。

 

「子供たちに、ただ『やりなさい』と言ってもやらない。でも、おばあの喜ぶ顔を見たいと、みんながんばって竹笛を練習しました。おかげで全員が笛を吹けるようになりました」

 

小浜島は、藍染めと織物でも有名です。ただ、小浜島の織物は、島の祭事で着るための正装として織られてきたため、商用として島外に出ることもなく、世に知られることもありませんでした。

 

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⬆️結願祭と言われる島での重要な行事(国の無形文化財に指定)

 

それでも、おばあたちは糸を紡ぎ、孫やひ孫一人ひとりの幸せと健康を祈って着物を織り続けてきました。

 

どこで知ったのか全国各地から「藍染や織物、祭事について聞かせてください」と、けっこうな数の来訪者があるそうです。

 

経験豊富なおばあたちの話は、「聞いておくべきことがある」と感じさせるもので、私自身も取材中に知りたいことが尽きませんでした。

 

ただ、いくら地域の繋がりが強い沖縄といっても、こうした繋がりが自動的に生まれるわけでもありません。

 

この小浜島も、かつては「保守」か「革新」かと政治をめぐって二分されたことがありました。そのせいで、島の主要作物であるさとうきびの収穫の際にはお互いに手伝うのが慣例だったのに、それが中断された時期もありました。

 

「そういうこともあったね。80過ぎると楽しく生きたいと思う。いまはみんなで笑ってるさあ」

 

小浜島のおばあの笑顔は、人生の涙も苦労も乗り越えた後の人生の勲章なのでしょう。

 

島のおばあたちは「私が生きている間に(藍染や織物)を学びなさい」と伝えています。

 

人生で何が一番大切なのかを学びなさい──私にはそんな風に聞こえました。

 

先述の『ライフ・シフト』には、「人生の移行や変わることがあるからこそ、何が変わらないのかを知ることが重要になる」とあります。

 

当たり前ながら、人の価値は物やお金だけでは図れない。

 

生産や消費とまったく関係ない次元に、存在する価値というものがある。

 

「ない」ように見えるときでも、常に「果報(恵み)」は存在する──。

 

おばあたちの存在と知恵は、私たちにライフ・シフト時代を生き抜くために必要なものを教えてくれます。

 

2016年12月、おばあたちは海を渡り、6,000人もの聴衆を前に堂々とシンガポールの晴れ舞台に立ちました。

 

おばあたちの中にはこれが初めての海外渡航になった人もいましたが、毎年祭事を執り行い、人前で歌い踊る経験を80年近くも積んできた経験がここで大いに役に立つことになったのでした。

 

「たくさんの人に元気を届けたい!」とステージに立つその姿は、まさに「自分の役割を果たす」小浜島の精神そのものでした。

 

自ら紡ぎ、染め、織った着物を身にまとって。

クーリエジャポン 2017年9月15日掲載  大仲千華

 

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新しい時代をほんとうの自分で生きるガイドブック「EMPATHY IMPACT」運営中。

https://www.facebook.com/empathyimpact/

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運営者プロフィール

 

国連ニューヨーク本部、東ティモール、南スーダン等で現地国政府の人材育成や元兵士の社会復帰支援に約10年従事に従事。国連の平和支援の最前線である南スーダンで80人強の多国籍チームのリーダーを務める。リーダーシップや仲裁について研鑽を積む。

 

米海軍大学院付けの専門家として、世界的な研修プログラムにおいて唯一の日本人女性として講師を務める。

 

燃え尽き症候群と二次受傷(PTSD)になり、心理学やカウンセリングを学び始め、回復・再統合する過程で直観能力とヒーリング能力が飛躍的に開花。

 

自由に活き活きと生きる人を増やしたい、応援したい、世界の課題にチャレンジする人たちをサポートしたいと思い、コーチングとカウンセリングを始める。

 

人生で尊敬する人は、沖縄小浜島のおばあたち。(*^-^)ニコ

 

https://www.facebook.com/empathyimpact/

ウィーンフィル奏者に取材して発見した’共通点’ー一見まったく違う分野の人の体験から学ぶことができれば、人生100倍うまく生きることができる

NHKに「達人たち」という番組があります。まったく違う分野で功績を持つ人たちが、互いに仕事の極意や大変だったこと、苦労の乗り越え方などを伝えあいます。

 

私が見たのは、井村 雅代 シンクロコーチと欧州で指揮者として活躍し、大河ドラマのテーマ曲を指揮したことでも知られる指揮者広上淳一さんのクロスインタビュー。

 

いろいろなテーマがでてきますが、音大で若い人たちに音楽を教える広上は、どうしたら今の若い人たちを、一から指導し、8回連続オリンピックメダル獲得という偉業を成し遂げることができるのか、の秘訣を探ろうとします。

 

一方はシンクロコーチ、片方は指揮者(音楽家)。

 

一見、まったく違った分野で闘っている二人ですが、二人の会話を通じて、世界を舞台とすることのメンタリティーなど自然と共通点が浮かびあがってくるのが面白いところです。

 

どの回を見ても、全く違う分野の人たちが対談をしますが、まったく違和感はないし、逆に、それぞれのユニークな体験の中に、お互いが自分に当てはまることを見つけていきます。

 

一流が一流たるゆえんは、きっと一見全く違うような文脈の中に、より大きな普遍性や法則性を見出せることなのかも知れません。

 

一人では一つの人生しか生きることができないけれども、いろいろな分野の先人たちの体験から学ぶことができたら、いろいろな人生の対処法も知恵も身につけることができますよね。

 

映画などを見てる時でも、「ああ、わかったっ!」と、自分の頭の中でとつぜんパッと💡ひらめき💡が起こるような瞬間があったりします。

 

ウィーン管弦楽団(ウィーンフィル)でソロ演奏も担うフルート奏者、ディータ・フルーリーに取材をした時、私も似たような体験をしました。

 

その中で、「どうしたらあんなに透き通った音色を出せるんですか?」と、日本の中学生からよせられた質問に答える場面がありました。

 

彼の答えはこうでした。

 

「何よりも先に自分の出したい音を想像するんだ。

それを技術と呼吸、そして、自分の持っている全てを使って表現するんだ。

その音に少しでも近づくために一生練習し続 けるんだよ。」

 

私はそれを聞いて、なるほど!とガッテンして、私も同じだ!と嬉しくなりました。

 

ウィーンフィルフルート奏者.jpg

ウィーンフィル フルート奏者.jpg

 

私の表現方法は「書く」というものですが、私にとって書く体験とは、「まず先に全体像が頭の中にぱっと浮かんで、それをなんとかメモして、言語化していく」プロセス です。

 

言葉が追いつかなくて、全体像が浮かんでいるのに全体がまとまらない時は「気持ち悪くて」、文字にすると「すっきり」します。

 

彼にそのことを説明したら、全く違う分野の人(彼は私のことをジャーナリストだと思ったかもしれません😊)も似たような体験をするんだ、と新鮮に感じたようです。

 

来日公演時の懇親会の席では、「興味深い会話をありがとう」と立ち去る前に最後に声をかけてくれました。

 

なんでもいいから、一生懸命に何かに打ち込んだり、探求したり、何かを突き詰めた体験があると、入り口はどんな分野であっても、人間や人生についてのなんらかの普遍的な理解や洞察に至るのだと思いました。

 

わたしが紛争地で体験したこと、南スーダンで元兵士の社会統合支援にかかわったこと、自分自身の燃え尽き症候群や二次受傷からの回復のプロセスは、今のコーチングや執筆に役に立っています。

 

人がなんらかの体験から回復し、再統合(生まれ変わる)する過程は基本的には同じだからです。

 

書くにしても、表面的には3,000字の記事であっても、そこには私の紛争地での体験や洞察のすべてが土台としてあります。

 

そうした部分が3,000字を超えて、文章に「深み」や「想い」や「熱量」をくれているのだと思います。

 

一見、すぐに仕事につながらないように見えることでも、自分が興味を持ったこと、知りたいこと、なんで?と思ったことを追求するのをやめないでください。

 

試験では最短で最小限の労力で合格する作戦がある時点では成功しても、人生では、もっと長期的な戦略が必要です。

 

一見、「無駄」に見えること(すぐに結果や答えのでないことを追求してきたか)をやってきた体験があるかないかは、長い人生のスパンでは、大きな「差」となってでてきます。

 

そういう部分がないと、人はすぐにポキっと折れてしまいます。

そういう体験が、自分の「軸」となる土台をつくってくれます。

その人の「幅」になってくれ、「器」をつくってくれます。

土台のないところに何かを建ててもすぐに崩れてしまいます。

 

それが誰にでも認められるような功績として現れていなくても、自分が自分の興味を尊重し、大切にしてきた、というその時間と体験が深い部分で、自分に自信をくれます。

 

なにより、人生を豊かにしてくれます。

 

 

お金にならないからやめる?

ざんねんながら、そんな考えでは運は味方してくれません。

人生では、すぐにお金にならなくても、続けることが大事な時があるのです。

もちろん、今の仕事や収入などを全てやめたらいいという意味ではありません。

 

人生では、あなたの本気度が試されるときがあります。

それでもやり続けた時に、運もお金も味方してくれるのです。

 

自分の中の好奇心や探求をぜひ大切にして欲しいと思います。

 

ウィーンフィル取材の記事➡️

「世界のトップ」はなぜ東北を目指すのか? ハーバードとウィーン・フィルが教えてくれた世界の中の「東北」②

 

 

自分の人生の目的は?何を目指せばいいのか?を知りたい人へ「人は自分が考え注目しているものになっていく」という原理

「人は自分が最も深く考えているものになっていく」という原理があります。

 

この場合の「考えている」とは、はっきりと考えているものもあれば、なんとなく意識を向けているもの、注意を向けているものも含まれます。

 

自分は普段何を考え、何に意識を向けているのか?

自分の人生はいったいどこに向かっているのか???

 

その答えを知りたい方に質問です。

 

三日目にスマホで検索していたものは何ですか?

三日前にランチで食べたものは何ですか?

本棚やよく見る記事で多いのはどういうものですか?

それはどうしてですか?何について知りたいのですか?

最近感動した映画や本は何ですか?それはなんでですか?

 

自分が普段何を考えていて、意識を向けているか?

 

たった三日前なのに食べたものがすぐに思い出せない時もあります。

 

自分なりにすごくはっきりと意識して選んだ場合には覚えていますが、

「なんとなく」「とりあえず」選んだものは覚えていないし、

スマホを手にしたら、いつの間にか「なんとなく」時間が過ぎてしまうことなどいとも簡単です。

 

「人は自分が最も深く考えているものになっていく」ということは、

 

「なんとなく」「とりあえず」では、

 

人生の目的地もわからずコンパスもないままに、新しい時代の始まりという稀有な時代に生を受けながら、ただ大海をふらふらと漂流するだけになってしまいます。

 

いくらAIがおススメの歌やおススメの商品を教えてくれたとして、それは今の自分や今の人間の延長でしかありません。

 

AIは、たくさん消費するように教えてくれるかも知れないけど、自分にとっての「人生の目的地」は教えてくれません。

 

「人生の目的地」は、「なんとなく」ではたどり着けません。

 

同時に、スマホで人が見るものが違い、同じ本を読んでも感じることがそれぞれ違うように、そこにはが注目を向けているもの、そして、自分なりの視点や切り口があるのです。

 

なぜ自分はこれに興味があるのか?

私は何を求めているのか?

わたしはなんでこれに心を動かされたのか?

 

 

ナチスによるアウスビッツ収容所を生き延び、その後精神科医となったヴィクトール・フランクルは、こう言っています。

 

「人が本当に求めているものは、安全などではない。自分の心の深いところで鼓舞され、自分の人生の目的に向かって努力していることだ」と。

 

それが何か分からなくていいのです。

求めましょう。

探求しましょう。

 

人は、自分が目を向け、注意を向け、求め、考え、探り続けているものに向かっていくのです!

Facebookの最高責任者サンドバーグさんが突然夫を亡くしてから言ったこと「人はどんなことを成し遂げたことだけでなく、(逆境を)どう乗り越えたかで判断される」

「レジリエンス」「逆境力」

 

人が困難な状況から再び立ち上がっていくプロセスに注目が集まっています。

 

例えば、レジリエンスという概念が注目され、「精神的回復力」、「復元力」
などと訳されています。

 

Facebookの最高執行責任者のサンドバーグ氏が、「どうしたら女性が仕事で成功できるか」を書いた前作「LEAN IN」発表後、突然の事故で最愛の夫を失い、いかに逆境に向き合いそれを乗り越えるか「レジリエンス」について学ぶことになった、と語っています。

 

その時の体験については今年5月にカリフォルニア大学バークレー校の卒業式のスピーチで、初めて公けに彼女の体験や心境について語っています。
その中で、彼女は「人はどんなことを成し遂げたことだけでなく、(悲劇的な状況を)
どう乗り越えたかで判断される」という言葉を残しています。

 

また、全世界でもっとも視聴されたTEDベスト5にランクインし続けるブレネーブラウンの最新刊「立て直す力」も、人はどうしたらそんな状況から立ち上がれるのか?まさに似たようなことをテーマにしています。

 

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逆境力、レジリエンス、回復力、立て直す力、トラウマ後の成長(post-traumatic growth) ー 言葉こそ違えど、そんな人たちの体験やPTSDからの回復に関する研究からは、ある共通項があることがわかりつつあります。

 

そうした過程にある共通点の一つは、自分のストーリーの再構築です。

 

自分の人生のストーリーを紡ぎ直すことです。

 

同じ場にいて、同じ人の話しを聞いていても、人それぞれ印象も覚えているところも違うことを体験したことがありますか?

 

私も南スーダンで分析の仕事をしていた時、同じ国にいて同じ人から同じ話しを聞いても人によって視点がまったく違ってびっくりしたことがあります。

 

そう。「現実世界」は一つしかないように見えても、感じ方・読み取り方は人それぞれ本当に違います。

 

社会認知に関する研究が示すとおり、私たちは人それぞれの「認知」や「観念」「レンズ」を通じて、身の回りの出来事や世の中を見ています。

 

つまり、自分が「事実」だと思っていることと、自分の「解釈」や「物語」とは同じとは限らない、ということです。

 

人間は「意味」を求める生き物なので、人は日々目にすること、耳にすること、体験することを自分なりの視点で判断し、「意味付け」しながら生きています。

 

そうして日々意味付けされたものの連続が、その人の「人生の物語」をつくっている、と言えます。

 

もっと言うと、自分の「解釈」や「物語」こそが、日々の「体験」をつくっている、とも言えます。

 

場所や職場、関わる人が変わっても、似たような体験をすることがあるのはこのためです。

 

「逆境」は、自分の「解釈」や「人生の物語」を含め、それまで自分が考えも疑いもしなかったことを見直す機会をくれます。

 

じゃあ、今度は、自分はどんな物語を紡ぎたいのか、どんなことを体験したいのか?

 

まったく新しくフレッシュに自分の「ストーリー」「物語」「体験」を始める機会を持てるのです。

 

「人生ってどうせこんなもの」?

「人生は苦労するもの」?

 

「人生は奇跡と喜びに溢れている✨✨✨」

 

せっかくなら、そんな物語がいいなと、私自身これを書きながら改めて思っているところです!

 

 

トラウマとまで言わなくても、人生では自分の思うようにならない時もあれば、理不尽なことも起こります。一人ではどうしたらいいのか分からなくなることもあるでしょう。

 

そんな波の中にいる時にどうしたいいのか?

 

少しでもそんなヒントになるように、トラウマやPTSDの回復理論やレジリエンスに関する研究と私自身の燃え尽き症候群やPTSDからの回復体験を質問形式にしてまとめました。

 

ここで挙げている質問は、リラックスして、まずは眺めてみて、思い浮かぶことをありのままに観察してみるというアプローチをオススメします。

 

質問を読んでもに何も思いつかなくても、ふとした瞬間に何か思い浮かぶ事もあるでしょう。

 

自分が前に進んだからこそ、意味を持ってくる質問もあるので、ぜひ定期的に眺めてみて下さいね。

 

ダウンロード・登録⭕️こちら⭕️よりどうぞ 

 

だからこそあなたが輝くための55の質問目次.001

 

目次

あ、今の自分の状態について把握する

い.自分の「ストレス反応」を知る

う.今気になっていることについて観察する

え.喪失 (後悔、自責、サバイバーズギルト)に気づく

お.自己像、自己肯定感、自己受容度に気づく

か.自分の中の「不安」を意識化・言語化する

き.自分のコーピングスタイルを知る

く.自分と相手との優先順位(境界線)と当事者レベルを知る

け.自分のストーリー(解釈・認知)に気づく

こ.回復のストーリーをみつける

さ.試練の中の「意味」について知る

し.再結合・新しい自己の創造

す.回復・再生のためのステップ 

せ.トラウマからの回復・再生のプロセスで体験しうること

そ.トラウマからの回復の三段階

 

ダウンロードは⭕️こちら⭕️よりどうぞ 

 

⭕️⭕️がないと 受験だ、就活だ、婚活だとベルトコンベアに乗せられていくだけ「これでは薄っぺらい自分のない人間しかできあがりません」

自分で考えたことがないと、「受験だ、就活だ、婚活だと、『そんなものだ』とベルトコンベアに乗せられていくだけ。これでは薄っぺらい自分のない人間しかできあがりません。」

 

 

「『自分のアタマで考える子』の育て方」の中で、子どもの能力を伸ばす教育で知られる高濱正伸さんはさらに続けます。

 

「『生きるってなに』『私ってなに?』『何のために学ぶの?』『就職ってしないといけないんだろうか?』とさまざまに悩み、本を読み、誰かと議論する中で、「生きていくための軸」となるものを掴んでいくのです。

中略

それ(自分で考えること)をしなければ、根なし草のような自分しか持てなくなります。

 

そんな状態でいくら自分探しをしたところで見つかるわけがありませんし、聞こえのいい言葉を並べるだけの中身のない人間にしかならないでしょう。

 

それは『自分で考える』ところからしか生まれてこないものなのです。」

 

そもそも人間は思春期から青春記にかけては、人間は本来「哲学」するものとも言っています。

 

わざわざ「哲学」という言葉を使わなくても、子供は小さいながらにいろいろなことを感じています。

 

それを口にするかどうかは別にして、例えば、なんで戦争は起こるの?なんで戦争はなくならないの?環境問題はどうしたらいいの?

といった疑問を純粋に持ちます。

 

「生きる」とは真逆のことをなぜするのか?、

お互いになぜ殺し合い、傷つきあう行為をするのか?、と単純に思うのです。

 

「考えること」の本質は「疑問を持つこと」なので、子供の方が本能的に物ごとの「核心」をわかっていることも珍しくありません。

 

なので、

こうした疑問を持つことは、考えること、そして、なにより人生の中でもとても重要な問いである、自分にとって大切なことは何なのか?と同義語です。

つまり、自分はどう生きたいのか?何をしたいのか?の土台となる部分です。

 

今思えば、高校の時に「本質的なことを追求することをよし」とする校風で学ぶことができたのはとても幸運でした。

 

校長先生や倫理の先生が「人として生きるとはどういうことか?」と毎週本気で伝えようとしてくれました。

 

国連での勤務などを経て、10数年ぶりに先生を訪ねた時に改めて気づいたのは(今は校長先生になられています)、当時私たちが見せてもらっていたことは、人生には常に続く「問い」が存在すること、同時に、問いや自分の価値観をもって生きている人は美しいという姿でした。

 

こうした時期に、自分にとって大切なことは何なのか?=つまり、自分はどう生きたいのか?と考え、模索した体験がなかったら、南スーダンなどの紛争地で働くことも、紛争という事実に直面するような「ふんばり」も持てなかったかも知れません。

 

ただ、

そうした課題意識や探求心が尊重され評価される欧米と違って、日本ではそうしたことを話しあえるような場も機会も限られていて、ニュースは表面的な出来事しか伝えません。

 

テレビにしろ、必ずしも本当に重要なことが話されている訳でもなく、そもそも関心がない、またはどう答えていいのか分からない、大人が諦めてしまっているという事実に子どもはショックを受けます。

 

大人の社会にはがっかり、失望、無力感や諦めさえも蔓延しています。

(日本社会は残念ながらこの感覚が世界の中でも強いように感じます。)

 

そんな体験を重ねるうちに、そんなことを考えても無駄だ、無意味だ、とショックや落胆、失望が深く抑圧されていきます。

 

ただ、人間にとって、「理解されない痛み」は実はとても大きいものです。

「理解されないと人は生きていけない」と指摘する人さえいます。

 

もちろん、表面的には生きていけます。

 

これは、クライアントさんとのセッションで見せていただいたことですが、

 

例えば、医師としてプロフェッショナルに活躍されておられる方でさえ、

(そしてある意味、そうした体験や問題意識こそが、その人を医師にさせた言動力となった面もあるのですが)

ある段階になると、そうした体験が人生において「重荷」として浮上してきます。

 

わざわざ「重荷」という表現を使ったのは、

 

プロフェッショナルとして活躍され、尊敬もされる立場にあり、日常的には問題なくコミュニケーションがとれている人でも、

 

理解されない・わかってもらえないという体験や思いから、無意識に自分の意見を正当化しようとしたり、相手を説得しようとしたりすることがあったり、

または、ある部分が「満たされない」ような感覚として体験する人もいます。

 

人間にとって、「理解されない痛み」はそれ程までに大きいのです。

 

そして、これもまたセッションで見せていただいたことですが。そうした体験や想いが受け止められ、「理解される」体験をすると、文字通りその人の中の大きな「重荷」が解放され「次の扉」が開きます。

 

力がみなぎるのを感じて、身体が自然と動くようになったり、今までできなかったことができるようになった人もいます。

 

おそらく「理解されない痛み」によって奪われていたエネルギーや本来の力が戻ってきたのでしょう。

 

そして、理解されると、人を受け止める「器」が大きくなっていくのです。

 

そうした「重荷」が受け止められ、解放されると、今度は、その方自身が周りの似たような体験や想いを持つ人を受けとめ、理解していくことができるのです。

 

そうして個人から「平和」が周りに広がっていくのですね。

 

「理解されたかったらまずは相手を理解せよ」とはよく言われることですが、

 

相手を「理解する」ためにも、その余裕を持てるためにも、まずは自分が「理解される」ことを満たしてあげてください。

 

「『だからこそ』あなたが輝くための55の質問」配布中です!

 

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だからこそあなたが輝くための55の質問目次.001

 

目次

あ、今の自分の状態について把握する

い.自分の「ストレス反応」を知る

う.今気になっていることについて観察する

え.喪失(後悔、自責、サバイバーズギルト)に気づく

お.自己像、自己肯定感、自己受容度に気づく

か.自分の中の「不安」を意識化・言語化する

き.自分のコーピングスタイルを知る

く.自分と相手との優先順位(境界線)と当事者レベルを知る

け.自分のストーリー(解釈・認知)に気づく

こ.回復のストーリーをみつける

さ.試練の中の「意味」について知る

し.再結合・新しい自己の創造

す.回復・再生のためのステップ 

せ.トラウマからの回復・再生のプロセスで体験しうること

そ.トラウマからの回復の三段階

 

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キャベツ専業農家が新宿伊勢丹で連日完売のおしゃれ発信源になるまで

「ここにあった!」私は思わず叫んでしまいました。

 

なぜなら、その店にあったのは、私がこの数ヶ月ずっと探し求めていたものだったからです。

 

大吉七菜海さんに会ったのは、東京赤坂アークヒルズ前のヒルズマルシェでした。

 

彼女がおしゃれなラッピングに包み手にしていたのは「ケール」でした。

 

ケールはミネラルが豊富で「野菜の王様」と言われます。

 

普通のスーパーではあまり売っていない希少な野菜です。

 

テニスチャンピオンのジョコビッチ選手は、世界一位になるまでには文字通り何度も「大きな壁」を乗り越える必要があって、「起きていられる時間にできることはすべてやった」と語っています。

 

その一つが食事改革で、彼が公開しているメニューの中にはほぼ毎日ケールが登場します。

 

わたしもケールを食すると執筆が進むので、実はあちこち廻って探していたのです。

 

そんな経験もあったので、彼女はどうやってケールを調達し、都会のど真ん中でたった一人で、どうしてケールを売るようになったのか?と興味を持ちました。

 

しかも彼女のお名前は大吉(だいきち)さん。

 

彼女の田舎の鹿児島県の指宿ではごくごく一般的な性で、同級生の名前もみんな大吉(だいきち)、中吉(ちゅうきち)、小吉(しょうきち)、末吉(すえきち)だったそうで、町を離れて始めてそれが珍しいことに気づいたそうです❗️

 

彼女は社会学を学ぶ大学2年生でした。

 

彼女の実家は、指宿で東京ドーム5個分の土地で農業を営むキャベツ専業の農家さんで、これまでずっとキャベツを育ててきたそうです。

 

町のほとんどの人が農家で、農家=キャベツという図式ができあがり、それになんの疑問も持たなかったある日、七菜海さんのお母さんは家族に向かってこう言ったそうです。

 

「このままキャベツだけやっていたら危ない。もし不作になったらおしまい。何か他のこともやらないといけない」と。

 

お父さんは「それなりに上手くいっているのだから『キャベツでいいじゃないか』」と言い、その時はそれで終わったそうです。

 

その一方で、お母さんは着々と準備を進めていました。

 

農業の6次産業化するサポートをする「女性農業次世代リーダー育成塾」へ通い、東京へ行くようになりました。

 

 

その地域の農家としては珍しく、野菜をおしゃれに「ラッピング」することを始め、農園の新しいロゴもつくりました。

 

七菜海さんは、当時高校二年生でしたが、お母さんと一緒にデザインを考えるようになり、実際にロゴや袋のデザインが出来上がっていく様子をずっと見てきたそうです。

 

ケールが緑なので、赤が映えるだろうとケールには赤のリボンもついています。

 

そんな日々がしばらく続き、お母さんからニュースを聞くのです。

 

新宿の伊勢丹と銀座三越で大吉農園のケールを売ることになったと。

 

お母さんは、月一回東京へ通い、その度にケールを片手に、卸売り市場で営業をしていました。

 

同時に東京の大手百貨店におかせてもらえれば、信用が付き販路も広がるだろうと機会を探っていました。

 

 

大吉農園のケールはまず週に一回新宿の伊勢丹に置かせてもらい、連日完売が続いて常設的にケールが置かれるようになったのです。

 

そして、その実績が買われ、銀座三越、日本橋三越にも大吉農園のケールが広がりました。

 

大吉農園(だいきちのうえん)の取り組みは地元でも注目され、最初は反対したお父さんもいまでは全面的に協力しているそうです。

 

 

「実はその時、お母さんがあまりに頻繁に東京に通うから『アヤシイ』って思ってたんです。今だから言えるんですけどね(笑)」

 

 

そんな経験があって、大吉農園の野菜をもっと広げたい、人生経験を広げたいと考えてアークヒルズのマルシェで出店することになりました。

 

「2016年7月に出店して、初めて「完売」した時は感慨ひとしおでした。その時の経験は大きな自信になっています」と七菜海さんは言います。

 

そして、ケールがどうしたらもっと売れるようになるのかを自然に考えるようになりました。

 

「スーパーに行くと、それまでは気にならなかったポップが目に入るようになりました。

 

そして、どうしたら商品を手に取ってもらえるか、自分がどんな接客を受けると嬉しいかと考えるようになりました。」

 

 

ケール

 

ケール②

 

 

「お客さんと話しているときが一番楽しいです。人との出会いが学校ではできない貴重な体験だと思います。もっと自分の実力をつけていきたいです。」

 

寮でケール料理を友達にふるまっているという七菜海さんは、「一時間で5品も作れるようになったんです!」とケールパスタ、スープ、サラダにバーニャカウダの美味しそうな写真を見せてくれました。

 

ケールサラダ.jpg

 

「大学は先生の研究を一方的に聞くだけ。私は、このケールがどうしたらもっと売れるようになるのかをもっと学びたい」と七菜海さんは続けます。

 

きっと、これも多くの大学生や今の若者の声を代弁したものなのでしょう。

 

七菜海さんの話しを聞いていると、ビジネスとは最初から何か大きなことである必要もなく、意地はってやるようなことでもなく、起業か就職かの二者選択でもなく、

 

自分がいいと思うものをいいと言い、周りに伝え、表現し、提供する(販売する)ということは、日常生活の延長にある身近な行為で、簡単に楽しく気軽にやっていい時代なんだ、と感じます。

 

「このままではいけない」と感じ取った女性の「第六感」。

 

『ファースト・ペンギン』に反対はつきもの。

 

反対されても形にしていったお母さんの勇気が、ケールを通じて指宿と東京をつなぎ、女性に勇気を与えてくれているように感じます。

 

 

時代の変わり目では、これまでと同じことを同じようにやっているだけでは先は拓けない。

 

だから、自分で自分の道を切り開くしかない。

 

いいものを必要な人へ。

軽やかに楽しく。*^^

 

以下、大吉農園おすすめケールバニラシェイクレシピです。

 

ケール&バニラ&豆乳(お好みで)をシェイクします。

私はさらにパイナップルを加えてみました。

美味しかったです!(^^)ニコ

 

 

大吉農園

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お問い合わせ先

大吉農園(だいきちのうえん)

鹿児島指宿市湯の浜6−3−21

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