今日の夕方、多摩川河川敷をジョギングしていたら小学生低学年向けの野球教室の子供達が目に入りました。
ユニフォーム姿がまだあどけなくて可愛いかったのですが、フライをとる練習を指導していた大人がちょっと遠慮しすぎているように見えました。
野球は詳しくありませんが、中学校でソフトボールをやっていたのでフライをとるなら、真下でどっしりと構えていることが大切だということはわかります。
構えていて、それで外してしまったらそれはしょうがないですが、でもその構える姿勢が中途半端に見えたのです。
だとしたら、大人はその点について指導をしないといけないのですが、それに対する大人の反応もなんだか中途半端な感じでした。
野球を上手にするよりも伸び伸び遊ばせようという趣旨の野球教室なのかも知れません。
もしかしたら、野球の指導者たちは、今どきの子たちにはあんまり厳しいことを言ってはいけない、とか、親御さんの反応を心配したのかも知れません。
でも、その様子を見ながら思ったのは、「こんなことを言ったらどう思われるんだろう」という人の目を心配する部分があるんじゃないかなということでした。
わたし自身も教える立場にいるので、そういう心配が頭をよぎったこともあります。
ただ、もちろん言葉を選びますが、学生や子供達もときに、一番必要なことを言ってくれる大人を求めていて、相手のことを真摯に思って紡ぎ出される言葉を愛を持って伝えるとき、伝わることは伝わるということです。
ここはとくに、先生や講師、コーチ、カウンセラー、教える人や指導する人が超えないといけない関門だと思います。
最近、人の相談にのる立場にあり、けっして簡単でないケースを扱われるクライアントさんが伝えてくれたのですが、
彼女はコーチングを受け始めてから、相手の相談にのりながら、言うべきことが前よりもはっきりわかるようになったそうです。
職業柄、時には厳しいことを言わないといけないこともあるのですが、「それでいい」と自分が発することに対して自信が持てるようになったそうです。
そんな様子が上司も気づき、見てくれていて、彼女の仕事ぶりをきちんと理解して、前よりもさらに信頼を寄せてくれるようになったそうです。
誠実に仕事をしていると、全員とはいわなくても、どこかに必ず理解してくれる人がいるんですね。
教える人やコーチやカウンセラーといった人たちだけでなく、上司など人をまとめたり指導する立場にある人にとっても、
大事なところでごまかさずにきちんと大事なことを愛をもって伝えてあげられることは、どんな仕事にもかかわる大切な人生のスキルだと思います。