「わかる」には2種類あります。
一つは自分で体験をして始めて「わかる」ものです。
いくらYoutubeがある時代でも、やっぱり自分で経験してみて始めて「わかること」があります。
親元をでてはじめて一人暮らしをしてみて、ご飯がでてくる有難さがわかった人もいるかも知れませんし、
私の最近の個人的な例を挙げると、
多摩川沿いの空気のいい住宅地に引っ越してはじめて川沿いの風の寒さが身にしみたり、
逆にこの春から庭に紫陽花やミント、ラベンダーやきゅうりを植え始めて、毎日芽が出て大きくなるのを見るのがこんなに楽しいもんなんだ、と新しい発見をしています。
(高層マンションに住んでいた時には四季に麻痺しがちでした)
クライアントさんの一人で、最近カンボジア、ベトナム、ネパール、インドに続けて行ってきた方がいました。
彼女は「英語が通じるのが楽しいと純粋に思いました!」と言っていて、アジアの混沌に実際に身を置いて、いろんなことを自分の肌で感じたそうです。
実際にそうした環境に自分をおいて「わかった」ことがたくさんあったと言います。
情報過多を生きる現代人はどうしても頭でっかちになってしまうので、
どうしてもいろんなことを「わかっているつもり」になりがちですが、
「わかっているつもり」と「体験してわかること」の間には大きな差があります。
「経験値」という言葉がありますが、この言葉には、「いろんな経験の幅があることで分野や業界が違っても全体像を理解できたりいろんなことを予測したり、対処できる総合的な能力」といったニュアンスがあります。
人は頭の中で考え、判断するだけでは成長できない。
体験のみが人間を成長させてくれる。
これは事実です。
だから、自分の人生を変えたい、何か変化をもたらしたい、と思う時ほど、わかっているつもりになっているだけかもしれない、と一旦謙虚になる姿勢は大切だと思います。
今の自分のやり方を続けてても同じことの繰り返しかも知れない、ともし思うのならば、人の意見に改めてオープンに耳を傾けてみることは重要です。
同時に、誰の中にも元々「わかる」という部分があります。
私がオックスフォード大学や国連、世界の一線で活躍されている方々にお会いして発見していったのは、最終的に大事だとされることは、必ずしも大きな理論とは限らず、
「私が学生の頃から疑問に思っていたり、感じていたことは正しかったんだ」と体験し確認していく過程でもありました。
人は頭でっかちでもいけない。
でも、他人や専門家はあくまで自分の知識や経験に基づいてアドバイスはできるけれども、あなたが感じていることまで「わかる」わけじゃない。
人は元々自分の中に自分を導くコンパスを持っているから。
だから、人の意見やアドバイスに耳を傾けながら、
自分にとって大事なこをを見極めて判断していく賢さが求められます。
だから、「まだ自分なんて」「自分の意見なんて」ーそんな風に思わないでください。
それって本当?それってなんで?なんか変じゃない?そんな問いを大切にしてください。
自分の感覚を大事にしてください。
そんな疑問や探究心がわたしの道を切り拓いてくれました。
その感覚こそが今求められています。
人間には誰の中にも生き抜くためにその人にとって本当に大切なことを知らせてくれるコンパスがあります。
いろんな体験を積みながら、そうした体験を通じて自分の感覚を発見し、自分の感覚を信じることを体験していってください。
自分の軸や揺るぎない「自信」がついてくるでしょう。