「ネガティブな自分」に向き合えば運命は拓ける!ノーベル平和賞に3度ノミネートされた女性から学ぶ「内的な力」

クーリエジャポン2018年1月2日掲載

 

人間は誰しも心に闇を抱えている。心理学的には「シャドー」と呼ばれるこの負の感情が原因で、ときに我々は暴走し、せっかく持つ才能や成功のチャンスを逃してしまうこともある。では、我々はシャドーとどのように付き合っていけばいいのだろうか?

 

人間の「内的な力」に気づき、自分だけでなく周囲のシャドーに向き合うことで、世界を核軍縮に導いたひとりの女性の物語を紹介しよう。

「シャドー」にどう向き合うべきか

 

前回は、ネガティブな感情や人には見せたくない自分の嫌な部分「シャドー」が、いかに内在する暴力性を助長させ、創造性や才能に負の影響を与えるかについて書きました。では、私たちはどのように自己のシャドーと向き合うべきなのでしょうか?

 

日々、決断を繰り返しながら生きている私たちの頭には、次のような問いが頻繁に浮かんできます。

 

AとBのどちらを選ぶか?
なぜいま私はこれを選んだのか?
自分にとってよりよい選択はどれか?

 

即座に決められることもあれば、迷うこともあります。自分が導かれている方向にすぐに気がつけるときと、そうでないときもあります。

 

あるとき、プレゼンの準備をしていて、突然手が止まってしまったことがありました。「こんな単純な内容ではバカにされるんじゃないか?」という思いが頭をよぎったからです。

 

内閣の安全保障のブレーンとされている人や学者が集まる会であることを、意識していたのだと思います。

 

ところが、友人に電話で相談するとすぐにこう言われました。

 

「『難しくて立派な発表』をすれば、気分はよくなるの?」

 

その一言ですぐに我に返り、集中力を取り戻すことができました。結局、当初通りの発表には、自分の予想を超えた反応がありました。

 

自分にとっての「真実」とは何か? 本当に大切なことに応えているか?

 

すぐにそれに気づけば、もっと楽に物事を決めることができるようになります。

 

そうした日々の決断にも、シャドーが関係しています。

ノーベル平和賞に3度ノミネートされた女性

 

冷戦期に核軍縮のための国際的な対話を成功させた功績によって、ノーベル平和賞に3度ノミネートされたシーラ・エルワージーの、著書『内なる平和が世界を変える』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)に南アフリカのアパルトヘイトでの和解での貢献でノーベル平和賞を受賞したデスモンツツ司教はこう序文を寄せています。

 

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「世界は危機に瀕している。だから、内的な力と外的な行動を結合できる人材が必要だ。

 

内的な力とは、習慣的な内省や瞑想を通して、克己心、自我への鋭い観察力と自制を磨くことから生まれる。

 

望むような外的変化は内的変化抜きに実現しない。これが現在の進化プロセスなのだが、ほとんどの人がまだそれを理解していない。

 

あなたの自覚の質(自己認識の質)が、あなたが生み出す結果の質に直接影響する。

 

紛争を変容させ、世界の問題を解決するための創造的イノベーションとエネルギーもそこから作り出される」

 

では、ツツ司教の言う「内的な力」、そして「自己認識の質」とはいったい何を指しているのでしょうか?

少女たちを救うための「トレーニング」

 

英国出身の平和活動家であるエルワージーは、ハンガリー動乱(1956年)の際に忘れえぬ経験をしたと言います。

 

当時13歳だった彼女は、テレビでソ連軍がハンガリーの首都ブダペストに侵攻し、小さな子供たちが戦車で轢かれるニュースを目撃します。

 

「とにかく、ブダペストに行かなきゃ」と奮起したエルワージーは、さっそく荷造りを始めます。ところが、そんな娘に対して母は冷静にこう言いました。

 

「あなたの気持ちはわかったわ。でもね、あなたは少女を救うために必要な『トレーニング』を受けてないの。どうしたらそれを受けられるのか、一緒に考えてみましょう」

 

その後、彼女は大学へ進学し、難民キャンプやアルジェリアの孤児院で働きながら、紛争やトラウマが人間にどれほど深刻な影響を与えるかも、身をもって学びます。

 

さらに核保有国の政策者に聞き取り調査をして論文を書き、博士号を取得。アフリカで働き、結婚して子供も授かりました。その後、国連のコンサルタントをつとめ、リサーチにも関わるようになります。

 

しかし、これだけのキャリアを積みながらも、彼女が13歳のころから求めてきた「トレーニング」を受けることはできなかったそうです。それを痛感したのは、1982年に国連ニューヨーク本部で開催された第2回国連軍縮特別会議に参加したときでした。

なぜ「核軍縮会議」は失敗したのか?

 

冷戦期だったその当時、米国、旧ソ連、そして英国の持つ核兵器がかなりの数に達したことから、核戦争の偶発的な勃発に国際社会は危機感を募らせていました。

 

それゆえ、同会議は国際的にも注目され、日本を含め世界中から多くの関係者が参加。ニューヨークのセントラルパークでおこなわれたデモには、核軍縮を求めて100万人が集まりました。米紙「ニューヨーク・タイムズ」が核問題について5ページの大特集を組んだことからも、問題への関心の高さがうかがえます。

 

ところが、会議は期待外れなものでした。各国の担当者がただ自分の立場を主張し続け、具体的な成果が何も生まれない──エルワージーが目の当たりにしたのは、そんなシビアな結果でした。

 

落胆と失望のなかで、このままではまずいと感じたエルワージーは、問題の本質は何だったのかと考えはじめます。

 

そのとき、彼女の頭のなかを駆け巡ったのは、「誰が真の意思決定者なのか?」という問いでした。そして、「ともかく、その意思決定者に会わなければ!」というひらめきのような衝動と、「本当に変化をもたらすために必要なもの」を見つける粘り強さが彼女を突き動かしたのです。

対話を成功させるために必要なものは…

 

まず、問題の解決には、核保有国の意思決定者や核兵器の設計者、研究者に軍幹部といった世界中の核政策関係者が一堂に会することが不可欠だとエルワージーは考えました。

 

しかし、1980年初頭は、米ソの緊張が再び高まり、西側陣営と東側陣営の間に大きな溝がある時代でした。

 

そんな状況で、どうすれば全関係者を集めた核軍縮の対話を始められるのか──考えに考えた末、エルワージーは3つのことに気がついたのです。

 

続く

 

クーリエジャポン2018年1月2日掲載 大仲千華「答えを求めない勇気」

 

(写真)ダライ・ラマとデスモンドツツ司教

 

(シーラ・エルワージーのTedトーク)

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投稿者: blossomjp

80カ国以上もの人達が ー文化も言葉も職歴も違う人達が ー アフリカの僻地で出会い、突然「国連軍」として「国連警察」として「国連職員」として仕事を始めることになっった。。。 国連に「出稼ぎ」に来ている人もハーバード卒業の「エリート」もみんな一緒。カオスでにぎやかな現場で80カ国の人たちが一緒に平和を築くためには?!

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