前回、今の時代に起きている変化を表すキーワードの一つとして、「100年時代」というキーワードをお伝えしました。
100年ライフの時代では、
人生を学校→会社→引退という3つのステージで捉えてきた前提自体が変わり、
働き方や価値観がますます多様化し、
自分の体験や分野を広げていく時期や、
自分で仕事を生み出していくステージなどが加えられ、
いくつものステージが同時平行して進んでいく「人生のマルチステージ化」が進むだろうと言われています。
記事➡️ 今私たちはどんな時代を生きているのか?変化のサイン①「ライフシフト100年時代」の意味を読み解く
つまり、100年生きるということは、「一つの会社に就職する」、「雇われる」という働き方だけでは、100年スパンを考えられないよ、というわけです。
そして、100年生きるということは、自分がほんとうに充足感を感じることをみつけられるかどうかで人生の質は大きく変わるだろう、ということでもあります。
「使い勝手のよい人」になって身体を壊してしまうには、人生あまりにもったいないし、せっかく自由な国に生まれたのだから、やっぱり自分が大切だと思うことを大切にして生きたい、と考える時、思い出すのは南スーダンで出会った40代後半の元兵士の人たちです。
南スーダンでは40年も内戦が続いたため、大人の栄養状態も悪く、子供が命を落とす可能性が高いなどで、 国全体の平均寿命が46歳だと言われています。
内戦中に逃げ回っていた人や戦闘に加わっていた人たちの中には、頭も白髪だらけな人もいました。
南スーダンで、「どうしても学校に行きたい」と言う元兵士の人に数人会ったことがあります。
年齢をきくと、40代、または50代はじめで、頭には白髪、顔にはしわも見えて、日本でいうところの90代のように見えました。
その方が学校に行きたいんだ、というのを聞きながら、私は内心こう思いました。
「なんで、いまさら学校に行きたいんだろう?農業支援を受ける方が少しでも収入になって生活ができそうなのに。残りの人生長くなさそうだから、せっかくの家族との時間をのんびりと過ごせばいいだろうに。」
そんな気持ちで、「なんで学校に生きたいのですか?」と聞いた私に向かって、彼は私の方をまっすぐに見てはっきりと言いました。
‘I have been fighting in bush all my life. I want to go to school before I die.’
「わたしは人生のほとんどをジャングルの中で戦って過ごしました。学校に行ってから死にたいのです。」
彼の毅然とした表情と口調から、私は自分の認識が間違っていたということをすぐに理解しました。
「ただ生き延びているだけでは人間とはいえない。人間になって死にたい」、そんな彼の心の叫びが聞こえたように感じました。
人生残り少ないからこそ、「人間になりたい」「人間として死にたい」。
死があるからこそ、どう生きるかを意識するー
「人間になりたい」「人間になって死にたい」ー
彼が私に見せてくれたことは今の日本にもそのまま当てはまることだと思います。
沖縄西表島にて