こんにちは。元国連職員でコーチ・カウンセラーの大仲千華です。
「社会は理不尽です」
春から新社会人を迎える、何千という卒業生を前にそう切り出したのは、陸上400Mハードル日本記録保持者の為末大さんでした。
「アスリート」という人に夢と希望を与える人が発言することにしては、意外に感じる人がいるかも知れません。
でも、私はこの発言を知った時、まさしくこれこそ新入社員が知ることだ!と思いました。
なぜなら、「社会はこうあるべきだ」または「会社はこうあるべきだ」と思う人はあまりにも「打たれ弱く」なってしまうからです。
特に、正義感の強い人や、一般的に高い理想を持っている人、「会社・上司はこうあるべきだ」(別の言い方をすると「社会はこうあるべきではない」)という強い意見を持っている人ほどその傾向が強くなるようです。
私は国連での初任地の東ティモールという国でパキスタン人のチームリーダーに、「女は仕事ができない」と会議で言われ、女性だけ無視され続けた体験があります。
国連という人種や宗教、性別に関係なく平等だ、とうたっているはずの組織でなんでこんな人が?!と最初はかなり憤ったものでした。
女性と男性は別々に食事をするような国ですから、もしかしたら、女性と仕事をしたことがないのかも知れません。(ちなみに、ノーベル平和賞を受賞したマララさんもパキスタンの出身です)とは言え、平然と女性だけ無視される訳ですから、こちらも心穏やかではありません。
国連の1年目分からないことだらけの中で、他の同僚たちに助けてもらいながら自分がやるべきことは淡々とやりましたが、電気もお湯もないような任地で、大きなストレスと精神的な負担になったのは言うまでもありません。
国連のイメージを崩して悪いのですが、等身大の国連という組織は、世界の「理念」をあげると同時に、その運営や構造にも世界の経済や力の格差がそのまま反映されることも事実ですし、「官僚組織」としての弊害も大きいです。
またピラミッド型の組織としての課題、パワハラや人種差別的な考えを持つ人もいるなど、175カ国もの人たちが働く場で起こりうるリアルな課題も存在します。
もっとはっきり言うと、ポスト争いもありますし、足の引っ張り合いもあります。個人的にもそういうことをされた体験もあります。
もし、今の年収の10倍の給料をあげるよ、と言われたらどうでしょうか。
途上国の出身の人にとって、国連での収入も地位はそのようなものに当たります。
ともかく、組織が理想をあげているだけに、「理想」と「現実」のギャプに直面する場面は多々あります。
この例でお伝えしたいことは、どんな理想的をあげている職場や場であっても、人間が集う場で起こり得る場で体験しうることが起こり得る、ということです。
いいことも嫌なことも。
いわゆるポジティブもネガティブも。
時に理不尽なことも理解しがたい上司の言動も。。。
実際、理想が大きな組織や公的な組織、「正しくあるべき」職業(先生や医師など)ほど、
また、組織がヒエラルキー型で競争を内在化する構造であるほど(人の劣等感と優越感を生むほど)、
トップに立つ人とそこで働く人がよっぽど自己認識力があり、本当の意味でチームで結果を出す体制と文化がないと、競争がいじめやパワハラ、嫉妬やねたみ、足の引っ張り合い、または迎合主義を生み出すことが知られています。
「正しくあるべき」組織であっても、人はそういう面を持つ存在なので、表面的には口にされなくても、実際には「ダーク」な面を生みやすいのも人と組織の持つダイナミックスの法則です。
私たちが目指す方向性としては、チーム全体として全員がプロセスにも結果にも責任をおい、ほんとうの意味でお互いが尊重され、それぞれの能力や個性が互いを補いあい、シナジーを生み出すようなチームのあり方なのでしょう。
日本は文化的にも「本音」と「建前」のギャップの大きな国です。
私たちは学校や新聞で、社会は平等であるべき、人にやさしくすべき、と習い大人になります。
もちろん、社会は平等であるべきだし、私たちはお互いを尊重をすべき、と私も思います。
でも、人間とはまったく完璧ではないし、弱い存在なのです。
私たちが仕事を始めて、やる気をなくし始める背景には、たいてい「理想」と「現実」のギャップがあります。
パワハラ上司やいかにもきつい、ブラックな場合もあれば、じわじわをそれが「こたえてくる」場合もあるでしょう。
いずれにせよ、その背景にはなんらかの形の失望やがっかりがあります。
なんだこんなものだったのか・・・
誰もほんとうのことを言わない・・・
だったら、その時にすごくがっかりするよりも、人間ってそういうものだよ、「どこかで『がっかり』することがあるから心の準備をしておこうね。」と言う人がいたらどうだろう?と思ってしまうのです。
なんか、その方がよっぽどリアルだな、って思っちゃうのです。
でも、自分もそうでいいという意味ではないですよ。
心の準備はしておいて、「ああ、お試しがきた!」と気づきながら、自分の誠実さを保てる強さを持っておきたいものですね!