若い人たちは内向きだと言われることがありますが、実際に若い人たちと接してみると、若い人たちは世界のことに関心はあるし、実はもっと知りたいと思っている、感じます。
南スーダンのことについて話すと興味を持って聞いてくれますし、他人事のように聞こえるニュースには関心は持てなくても、身近な人が実際に体験したことには興味を持つ、という体験をしています。
しかし、一見、「関心がない」と表現される現象においても、少し検証がいるようにも感じます。
一つは、単に、関心がないのではなく、すぐに解決できないことや、やっても無理そうなことは無駄、という意識があるよう感じることはあります。
そこには、問題には「正解」があるはずだ、という根本的な思い込みがあるのかもしれません。
または、課題を追うよりも解決することの方が価値がある、という前提があるのかもしれません。
塾や大学受験で叩き込まれた影響かもしれません。
ただ、わたしの体験を振り返っても、「問いを持つこと」が、次の道を開いてくれました。
例えば、「民族が違うからといって本当に人は争うのだろうか?」という疑問が紛争地にわたしを向かわせました。
その問いがあったからこそ、現場へ行き、自分の目で見て感じ、いろいろな人に会い、そして国連や米軍で働くなどいろいろなことを体験させてくれました。
実際に、国連に入ってからも、現場での問題に触れる度にこのやり方でいいのだろうか?という問いに何度もぶつかりました。それに対しても決まった答えはありませんでした。
ただ、自分が見て感じたこと、体験したことの全てを含めて自分なりの答えや結論を出していくという大きな機会をもらったのだと感じます。
そういう意味では、私の仕事の本質は、問い続けることだったのかも知れません。
私たちが何かの答えを求めるとき、その方が一直線で一見効率がよさそうに見えます。
しかし、人生とは直線ではなく、そのような問いが様々な機会や出会いをくれ、扉を開いてくれるのです。
FOR IT IS GOD WHO WORKS IN YOU TO WILL AND TO ACT IN ORDER TO FULFILL HIS GOOD PURPOSE. Philippians 2:13