オックスフォード大学の大学院ではあまり授業の数は多くはなく、チュートリアルと言われる教授との一対一の個人指導で一年間の学びが進められていく、というお話しをしたことがあります。
記事⇨ オックスフォード流「考える力」ー一流は何をどの順番に考えればいいのかを知っている
授業を受けずに一対一の個人指導を受けるという制度にもびっくりしたのですが、さらにびっくりしたのは、一年間で一回も答えが示されないことでした。
一年のうちに約24回ほど小論文を書き、教授とのチュートリアルの時間を持ちました。
その一年間、私は教授からこれが答えだ、というようなことを一度も聞くことがありませんでした。
こんなままで年度末の試験を受けて受かるんだろうか、という心配が何度も頭をよぎりました。
なぜなら、自分の答えが合っているかどうかが分からなかったからです。
正直、この間の期間はシンドかったです。
学生が年度末試験に向けて感じるプレッシャーは相当なものです。
イギリスの場合はいくら年度中に真面目に講義を受けていたとしても、最後の試験でできなければ修士号を受けられないからです。
何度も、教授に「答えは何ですか?」「これでいいんでしょうか?!」と聞きたくなったものです。
でも、自分の意見が正しいのか合っているのかは、誰も言ってくれません。
その替わりに聞かれるのは、決まって同じ質問でした。
「なんであなたはそう思うのか?」と。
これは私の担当教授がいじわるだったという訳ではなく、オックスフォード大学のチュートリアルの目的とは、
ある一つの「正解」を聞く・知る・学ぶためではなく、自分なりの意見をや考え方をつくっていくための訓練をする時間だったからです。
そもそも試験で出される問題にさえも「正解」は存在しなかったのです。
私の場合は、人類学という分野の背景や鍵になる先行理論を理解して、それを踏まえているかどうかは判断されますが、その上でどんな意見を述べるかには、正解はなく、基本的にその人の思考プロセスを確認するのが試験のポイントなのです。
これまでの学校教育では、決められた範囲の試験の問題に対して、一つの正解を出すのが勉強だとされてきました。
日本で教育を受けた私たちは、問題にはなんらかの「答え」が存在するものだと思っています。
でも、そうした勉強の仕方では私たちが直面する問題には対処できなくなってきました。
スマホとYoutubeの発達で人間が一日に接する情報量は数百倍~数千倍になり、少し前の「最新情報」はすぐに「最新」ではなくなります。そして、世界情勢の変化も早く、予測不可能なことが増えています。
これまで上手くいった方法が万能でもありません。より柔軟に問題に対応していくこと、そして新しいアイデアや解決法が求められています。
ますます私たち一人一人の考えが自分の考えを持つことが大切になっています。
考えるために私たちの頭を柔らかくして、自分で考え新しい発想ができるようになるためにまず理解するべきことは「答えは一つではない」という事実です。