私たちは自由に発想すること、考えること、やりたいことを削がされてきました。
最近そう思ったのは、ある小学校の前に飾られていた子供たちの絵がみんな同じような絵に見えたからです。
太陽があって、
お花が咲いていて、
子供たちが笑っている
いわゆる「いい子」の絵に見えました。
きっと、こう描いたら褒められる、または先生はこういうものを望んでいるんだろうという空気を読む能力が高いのでしょう。
ふと思ってしまいます。
子どもの描く絵なんだから、
紫色の太陽とか
みどり色のお月さまが
あってもいいんじゃないか?、と。
子どもたちはこういう絵が気に入られるだろう、
ということを敏感に察します。
同様に、なにげねい大人の一言で、自分が本当に描きたいことは描いてはいけないんだ、
もう自分の好きなように描くのはやめよう、と思うこともあります。
私の友人は小さい頃、運動能力があまりない、というか、バランスが悪くて走るのが苦手だったそうです。
ある時、徒競走があったのですが、その走り方をある大人に笑われてしまって、それから人前で走るのをやめてしまった、そうです。
または、好きに選んでもいいよ、と言われながら
「こっちの方が安いからこっちにしなさい」
「こっちの方がいいのよ」と
言われて結局自分の要望や意見が聞かれなかった(尊重されなかった)ということはよくあります。
それがあるレベルでは、
「どうせ自分の意見は尊重されないんだ」
「どうせ自分の意見は重要じゃないから」といった
思いグセの元にあるのかも知れません。
実は、そんな例はめずらしくありません。
だから、
やりたいことをやればいいよ、
好きなように決めてもいいよ
好きなことをやるのが成功への道
と言われても、
そんな時の経験が無意識に
自由に発想すること、求めること、考えることを止めているかも知れません。
でも、私たちはもう立派な大人です。
そんな意見はいつでも自分の中から解除できます。
自分が描きたいと思ったら、太陽の色はピンクでも紫でもいいのです。
それは元々誰の中にもあるものです。
そんな感性こそがその人をユニークにするものです。
自分が描きたいと思ったら、太陽の色はピンクでも紫でもいいのです。
おすすめは、自分だけの「自分ノート」をつくることです。
自分が感じたこと、思ったことをどんどん書いていきます。
自分が感じたことや思ったことに間違いも正解もありません。
書き方も正解も間違いもありません。
色ペンを使ったり、シールなんか貼るのも楽しそうですね。
そうやって、自分の意見を表していくことに慣れていくことができます。
私たちは今すぐに自分の表現や意見、クリエーティビティーを取り戻すことができます。