いざという時、チャンスを逃さない質問はどんな質問でしょうか。
チャンスは突然やってくるからです。
これまで、ノーベル賞受章の方に5人ほどにお会いしたことがあります。
アマルティアセン
マーティ・アハティサーリ氏
ジミー・カーター氏
リゴベルタ・メンチュウ
コフィー・ーアナン前国連事務総長
です。
ある時は講演の聴講者として、ある時は同じ会議の参加者として、ある時は機内で、または同じ組織の一員として。。。
世界で女性初の防衛大臣を務めたフィンランドの元大臣の方や国際赤十字委員会(ICRC)のトップとランチをご一緒したこともありました。
そういう機会はある日突然やってくるものです。
お話しをさせていただくことができたり、ある時はせっかくの機会があったのにもかかわらず、一言も発せられないまま終わってしまったこともありました。
そんな体験を重ねて、もしたった一つだけ質問をすることができたなら、どんな質問をしたらいいだろう?と考えるようになりました。
そういう人には「本物のオーラ」があり、「ともかくこの人からには学びたい!」と思わせる何かがあるものです。
または、そういう役職こそなくても、「ほんもの」に出会う時、ビビビっ!とそれまで眠っていた細胞さえもが目覚めるように、ともかく何かを聞きたい、と感じることもあります。
でも、仮にたった一つしか質問する時間がなかったとしたら、どんなことを聞くのがいいのでしょうか?
しかも、相手が言っていることをより理解し、同時に、 相手への敬意を示し、信頼関係の構築にもなる質問があるとしたら、それはどういうものでしょうか?
それをお伝えする前に、簡単に先に挙げた方の功績とお会いした時の感想(あくまでも個人的なものです)を簡単にお伝えさせてください(敬称略)。
マルッティ・アハティサーリ(2008年ノーベル賞平和賞受章):
元フィンランド大統領でコソボ(バルカン)紛争の仲裁も関わり、アチェ(インドネシア)での紛争の歴史的な終結を導く。
彼には独立を果たしたばかりの南スーダンについての展望と当時の懸念について質問をする機会をいただきました。その時の彼の答えは今の戦闘状態の続く状況をすでに示唆していました。紛争は根本的に解決しないと繰り返すものだ、と分かっていたのだと思います。
ジミー・カーター(2002年ノーベル賞平和賞受章):
39代目の元米国の大統領。大統領時代のカーターの評価は必ずしも高いものではなかったものの、引退後のカーターは、米国大統領経験者として北朝鮮やキューバを初めて訪問するなど、個人として国家や安全保障政策等の制約を受けず、紛争を未然に防ぐ「予防外交」を展開し、その活動が評価された。大統領退任後の活動に対してノーベル賞を受賞したのはカーターのみで、離任後21年後の2002年に受賞。
1994年には、アメリカ大統領経験者として初めて訪朝し、金日成国家主席と会談。韓国大統領金泳三との南北首脳会談実施の提案をし、金日成の同意を得た(1994年、ただし金日成主席の急死で南北首脳会談は実現せず)。また、「悪の枢軸」としてイラクや北朝鮮への先制攻撃を容認する当時のブッシュ政権に対して、仲裁などを通じたソフトランディングの成果と選択肢を示し続けた。
個人的には、東ティモールと南スーダンでそれぞれカーター財団の選挙監視団の活動に触れたことと、2011年の南スーダンの独立をめぐる住民投票の際に、87歳の(当時)という高齢なのに彼本人が南スーダンまでやってきて関係者と対話を重ねた時に、彼の意図は「ほんもの」だと感じました。
アマルティアセン(1998年ノーベル経済学賞受賞):
貧困とは、食料不足から起こるのではなく、不平等から起こること、そして人が潜在能力を生かしているかどうか、という「潜在能力」(ケイパビリティ)の課題である、と言った。
自身の出身であるバングラデシュの例を元に「飼いならされた主婦、あきらめきった奴隷は、ほんの少しの幸せでも満足してしまう」と言い、弱い立場の人々が潜在能力を生かし社会参加することを主張している。
彼が経済学賞を受賞した翌年にオックスフォード大学で行われた彼の講演へ行きました。オックスフォード大学で一番大きなホールは学生と教授で満席でした。経済学が専門なのに、難しい数式は一切使わず、彼が話していたのは哲学というか人間や社会についてでした。学生から出た質問に丁寧に応え、同じ経済学の教授から出た難しい質問にはとても単純に応えていたのが印象に残りました。真実や本質というのはシンプルなものなんだーただそう感じました。
リゴベルタ・メンチュウ・トゥム(1992年ノーベル賞平和賞受章):
マヤ民族に対する暴力と弾圧が蔓延していたグアテマラの内戦中に家族を殺されながら、軍政との和解を呼びかけた立役者。個人的には、この5人の中でもっとも威厳を感じたのは彼女でした。他の3人が元大統領だったり、国連のトップという役職を経て、またはそうした役職を通じての受賞の中で、彼女からは一個人の芯の強さと偉大さを感じました。
コフィー・アナン前国連事務総長(2001年ノーベル賞平和賞受章):
7代目の国連事務総長。冷戦の終結後、世界各地で内戦が起こる中、国連の活性化と国際システムの実効性(多国間主義)の強化を図る。国連の平和支援能力の強化にも尽力し、東ティモールで紛争からの復興がはじまろうとする中で、2001年のミレニアムの幕開けの年のノーベル平和賞受賞は国際協調体制をサポートする後押しとなった。
彼個人というよりも、冷戦後の可能性にかけた国際協調主義への期待をこめた受賞でしたが、私は彼の在任中に国連で働けたことを誇りに思っています。静かな物言いで謙虚であるからこそ、周りの人にも本当に大切なものを思い出させるような力を感じました。
さて、先の質問にお答えしたいと思います。
たった、一つだけ質問をすることができるのなから、どんな質問をしたらいいか?
彼らがなぜそう考えるようになったのか、というその理由やその背景を聞くことです。
例えば、このような言い方です。
「今、あなたが仰った事はとても大切だと感じました。あなたが仰ったことを理解したいと思っているのですが、よかったら、どうしてそのように考えるようになったのか教えていただけませんか?」
他にはこういう言い方です。
◎それは、どういう意味ですか?それはなぜ大事なのですか?
◎この事とあなたのテーマとどんな関係がありますか?
◎どのような考えでその結論にいたったのですか?
◎そうおっしゃるのにはどんな理由があるからですか?
◎ そうおっしゃるのはなにか体験がおありでますか?
つまり、彼らがなんでそう考えるのか、というその理由や背景を聞き続けることです。
なぜ?を5回聞き続ける とその課題の本質に辿り着くと言われているからです。
とくに、相手がどのような体験を経て、そのような考えを持つように至ったのか聞くことはその課題の本質に向かってさらに掘り下げることになります。
そして、相手の理由について聞くことは、こちら側のかってな推測に基づいて聞くのではなく、新しい理解や可能性にオープンになるために聞くことにも役立ちます。
先に、ある程度の理由や背景を先に相手が伝えてくれることもあるでしょう。
もしそうだとしても、さらに、突っ込んでみることもできます。
時にはあなたの質問自体が思わぬ気づきを相手にもたらすかも知れません。
なぜなら、本人も質問されてはじめて気づくことも考えることもあるからです。
一流の人であるほど、喜んでこうした質問に答えてくれます。
なぜなら、そこにこそ本質があるからです。
お互いに通じ合ったと感じる時には、「わかった!」という稲妻がおりるような体験さえあります。
いざという時、チャンスをつくる質問をぜひ覚えてください。