私たちはもっとお互いに突っ込みあっていいと思います。
どんな時に私たちは相手のことを理解したと感じて、自分のことを理解したと感じるのでしょうか?
よく多様性がイノベーションを生むと言われますが、仮にいろいろなバックグラウンドを持った人たちが100人集まってもこの人たちが、相互作用を及ばさなかったら、何の化学反応も新しいことも生みません。
例えば、こういう例です。
Aさんがある映画が楽しかったと言ったとします。
Bさんはそれを聞いて、「私はね、あの映画が好き」と言います。
AさんもBさんも「ふーん」と思って、その会話は終わります。
Aさんはあの映画が好き。Bさんは別の映画が好き。
この会話に何も間違ありませんが、それ以上二人の会話は深まりません。
二人の場合でも、仮に100人いても千人いても、
それぞれが自分の意見をただ一方的に表明するだけなら、何の相互作用も起こりません。
私は国連ニューヨーク本部での軍縮国際会議で、193もの加盟国が主張をし続けるのを聞き続けながら、この会議はいったいどこかへ向かっているんだろうか、何かを生み出しているのだろうか?と感じたこともあります。
最近は傾聴の力がよく言われていますが、日本では逆に会話の「その先」があまりないと感じます。
175カ国の人たちと一緒に働いてきた感覚からすると、突っ込みが足りないと思います。
では、どんな時に私たちは会話が深まり、相手のことを理解したと感じるのでしょうか?
例えばこういう質問です。
どうしてそう思ったの?
それってどういう意味?
なんでそう考えるの?
つまり、相手がそのような考えをもつに至った理由や背景まで踏み込むことです。
実際、そうした質問は相手との関係性を深めるのに役立ちます。こうした質問は、相手へのより深い関心と興味を示すことでもあるからです。
自分の考えについて聞かれることで、相手は理解されたと感じるでしょうし、少なくとも相手が理解しようとしていると感じます。
時にはあなたの質問自体が思わぬ気づきを相手にもたらすこともあります。
なぜなら、本人もなんでか考えたことがないかも知れないからです。
そして、信頼関係の構築にもつながります。
私がこうした質問を意識するようになったのは南スーダンで兵士の人たちとの関係構築のために彼らに会いに通っていた時でした。
私は彼らと一緒に仕事をする上で、まず彼らを理解しないといけないと思っていました。
わたしはこんな質問をしていました。
「今、あなたが仰った事はとても大切だと感じました。あなたが仰ったことを理解したいと思っているのですが、よかったら、どうしてそのように考えるようになったのか教えていただけませんか?」
こう質問をすると、彼らは喜んでいろんなことを話してくれました。
他にはこういう質問です。
◎ どのような考えでその結論にいたったのですか?
◎ そうおっしゃるののはどんな理由があるからですか?
◎ 今のあなたの意見に関係することで私が知っておくべき歴史や体験がありますか?
つまり、彼らがなんでそう考えるのか、というその理由や背景を聞き続けたのでした。
これは「対話」と呼ばれるアプローチです。
当時はそんなことは知りませんでしたが、まったく違うバックグランドの人たちを理解しようする中で、本能的にたどり着いた方法だったと思います。
対話の聞く目的とは、
自分の理解を広げるために聞くこと
自分とは違う意見や異なる視点を理解するために聞くこと
相手がどのような体験を経て、そのような考えを持つように至ったのか聞くこと
自分の推測に基づいて聞くのではなく、新しい理解や可能性にオープンになるために聞くことです。
これとは逆なのが「伝達」か「議論」です。
私たちが触れるほとんどの情報発信は、このどちらかです。
伝達とは、情報のA地点からB地点への移動(ほとんどの情報発信、通達はここに分類さ れる) であり、
議論(discussion)は、自分の意見の優位性を主張し、相手を説得する(どちらかが正しい、どちらかが「勝つ」)のが目的です。
議論も対話も必要な場合はありますが、お互いの理解が深まったり、新しい見方ができるようになったり、同意が生まれる時には、なんらかの形で対話的な要素が必要となってきます。
私たちは日常的にもっと突っ込んでいいと思うのです。^^