なんで自分はこんな風に考えるんだろう?
なんで自分はこんなに「不器用」なんだろう?
なんでもっと適当にできないんだろう?
自分でもよく分からないけどやっぱり「世界」のことに関わりたいというタイプの人たちがいます。
彼らは周りからはよくこんなことを言われるものです。
なぜ、そこまで世界に関わることが大切なの?
なぜ、安全な日本の生活に満足できないのか?と。
ただ、これは本人にとっても「理屈」でわかるレベルのことではありません。
時には一生懸命に自分を納得させようとするのですが、「理屈」で説明しようとしてもできることではありません。
人間を深い部分で動かす原動力というものはとうてい「理屈」を越えているものだからです。
あえて言葉で説明するとしたら、それが「自分が自分であること」の表現だから、でしょうか。
私自身、自分の体験を振り返り、そして、似たようなタイプの人たちにお会いするようになった体験から言えるのは、
あえて言えば、生まれてくる前に魂のレベルで、地球全体の発展に関わりたいと望んで転生してきた人たちがいるということでしょうか。
世界100カ国、18-25歳の42,257人によるミレニアル世代の若者の仕事観に関する調査でも、新しい世代は、自分を成長させてくれる機会に貪欲であること、そして、仕事の意義に高い価値をおくという点が改めて確認されています。
「社会や地球全体の発展があってこそ本当の発展」という意識です。
2015年「2015 Youth Speak Survey Millennials Insight Report」より。
モノに興味がないとも言われる世代。
ある意味本当に大切なことを大切にしたいと感じているのでしょう。
私自身、南スーダンといった紛争地の最前線で、いろいろなことを体験させてもらいました。
現場の仕事はけっして簡単ではなかったし、現場ならではの矛盾や葛藤に直面したことは多々ありました。
つい先月も戦闘状態と人道危機の続く南スーダンで、食料がヘリコプターから投下されている映像を見ながら、こう思わざるをえませんでした。
「世界の格差がますます広がっているという時代に、もっと根本的な解決法はないんだろうか?」
「いつまで食料を投下し続ければいいのだろうか?」と。
しかもPTSDと燃え尽き症候群にさえなりました。
それでも、それでも、それでも、そんな体験も含めてそれでもやれてよかったと思います。
それでも私にとっては「プライスレス」な体験でした。
ある意味で「特権」だったと思います。
だから、人がなんと言おうとも、やっぱりチャレンジして欲しいと思います。
海外で働くこと自体が偉いわけでもないし、今の時代、国連や国際機関が唯一の方法でもないでしょう。
人によっていろいろな選択や感じ方があるでしょう。
もしかしたら、それはあくまでも次へのステップかも知れません。
しかも、なんらかの成果や結論が出るかどうかもわかりません。
それでも、自分の内側から湧いてくる純粋な感覚に勝る『何かをする理由』はないと思っています。
自分に正直に生きてる人は美しいです。
その姿だけで人に勇気を与えるのです。