矛盾や葛藤も体験して「だからこそ」見えるその先の世界ーコフィー・アナン国連事務総長の手紙を代筆した時

人の本当の影響力とはどこから来るのでしょうか?

 

米国大統領が発する大統領令に各州から次から次へと差し止めが出される状況を目のあたりにする時、「政府の力」ってなんだろうか?という疑問が浮かびました。

 

この場合の「政府」とは一つの比喩で、いわゆる私たちが「絶対」だと思っているもの、いわゆる「権威」や「常識」だとしているもの、私たちが「当たり前」だと思っているものの象徴です。

 

今年に入ってから、これまでなんとか正当化されてきたかのように見える権威主義や世界的な政策の矛盾や限界がますますはっきりと浮上してきているように感じます。

 

実際、相手に公的な肩書きがあったり、役職が上であったとしても、私たちが本当にその人の言うことに耳を傾けるかどうかはまったく別の話しです。

 

では、人がなんらかの「力」や「影響力」を発揮する時、その力はどこから来るのでしょうか?

 

そうした資質の一つは、その人がその人であるという「正直さ」や「誠実さ」だと感じます。

 

その人が人間として「完璧」であることでもなく、すべての答えや解決策を持っているわけでもなく、いろいろな矛盾や葛藤も含めて、完璧でもない不十分な状態をも受け入れながら、「そのうえで私はこう選択している」という姿勢です。

 

トランプ時代の流れも関係するのか、この数ヶ月間は、国際機関関係者や人道援助関係者から「私が目指していた世界ってこういうものだったのでしょうか?」という相談がありました。

 

私自身、つい先月も戦闘状態と人道危機の続く南スーダンで、食料がヘリコプターから投下されている映像を見ながら、こう思わざるをえませんでした。

 

「世界の格差がますます広がっているという時代に、もっと根本的な解決法はないんだろうか?」

 

「いつまで食料を投下し続ければいいのだろうか?」と。

 

誤解のないように一言付け加えると、今すぐ食料投下をやめればいいかというとそう単純な問題でもありません。

 

ただ、人道支援や国際援助の現場(業界)では、誰もが必ず直面する疑問です。

 

これをビジネスに置き換えてみても、人間の営みの現場というのは、いろいろな矛盾や葛藤がつきものです。

 

ただ同時に、私はそうした相談を聞きながら、その最中にいたらそうは思えないかも知れないけれども、こうした体験こそが人に深みをくれたり、成長させてくれる機会なんじゃないか?

 

 

そして、だからこそ「その矛盾や葛藤の上で自分はどうするか?」という「その先」こそが面白いところなんじゃないか?と思いました。

 

 

そんな事を考えていたら、国連ニューヨーク本部のPKO局時代のある上司のことを思い出しました。

 

彼はまさに、いろいろな矛盾や葛藤の上でそしてどうするか?という姿を見せてくれた一人だったからです。

 

その上司は、当時コフィー・アナン国連事務総長の右腕として、スレブレニツァ虐殺に関する国連の最終報告書を取りまとめた人の一人でした。

 

 

スレブレニツァ虐殺とは、1995年7月に、ボスニア・スレブレニツァの8000人以上もの住民がセルビア人勢力に虐殺された事件です。第二次世界大戦以降、ヨーロッパで最大の大量虐殺でとされ、旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷(ICTY)では、ジェノサイドであると認定されました。

 

当時、ボスニアのスレブレニツァには、国連が保護する「安全地帯」が指定され、370人の武装したオランダ軍の国連軍がいましたが、セルビア人勢力による虐殺を止めることができずに国連軍のプレゼンスの前で虐殺をゆるした、という経緯がありました。

 

当時の安保理や事務局を含め国連側の体制や判断にも多くの課題が指摘され、最終報告書では、あくまでも第三者的な視点での分析と結論を出すことが求められていました。

 

国際的にも大きな注目を集めた事件でしたから、表面的な報告では国際社会の納得も得られなかったことでしょうし、国連の正当性や信用をも揺るがす大事件です。

 

実際に、その後国連ではいくつかの改革が行われました。

 

それだけを考えても、大きなプレッシャーのかかる仕事だっただろうと想像します。

 

その時、彼は何を思い、その体験はその後の彼にどうつながっていったのだろうか?

 

私がそんな上司の「歴史」を垣間見ることになったのは、コフィー・アナン国連事務総長(当時)の手紙を代筆するようにと言われた時のことです。

 

手紙は1995年にボスニア・ヘルチェゴビナで起きたスレブレニツァ虐殺関係者宛で、その内容は、国連事務総長よりスレブレニッツ虐殺関係者に10週年の追悼式での公開ディスカッションに参加して欲しいとお願いするものでした。

 

行数にしてたった5行ほどの手紙でしたが、私は書くのに数日かかってしまいました。

 

国連事務総長という立場でスレブレニツァ虐殺関係者に向けて手紙を出すことに対して、その事実をある程度は知らずに私はその五行さえ書き出すことができないと感じ、どんな言葉が適切なのか、と考えざるをえなかったからです。

 

私の仕事としてはたった5行を書くことでしたが、差出人が国連事務総長だったからか、その5行の背景にある様々な葛藤や矛盾を体験したようにさえ感じました。

 

そして、その10周年の追悼式の日がやってきました。

 

彼は自分の部屋のドアを閉め切り、自分が追悼式で伝えるべきことは何かということに集中しているようでした。

 

いよいよ、追悼式が始まりました。

 

国連ニューヨーク本部のダグハマーショルドホールの壇上には蝋燭が飾られ、参加者全員で黙祷を捧げました。

 

そして、パネルディスカッションが始まりました。

 

正直、ディスカッションの内容は覚えていません。

 

 

ただ、今でも覚えているのは、パネルの壇上で関係者とまっすぐに向き合っていた上司の姿でした。

 

彼は最終報告書作成の責任者の一人であり、そして本部の要職という立場にありながら、壇上にいたのは一人の人間としての彼でした。

 

その時の心境について、彼の口から直接聞いたことはありませんでしたが、彼の関係者とのやり取りを垣間見ながら私なりに感じたことがありました。

 

その時の彼の心境をあえて言葉にするならば、このように表現出来たかもしれません。

 

「だからこそ私は今ここにいる。だから私はこう信じる。」と。

 

いろいろな矛盾や葛藤もすべてを含めて今の彼がある ー そんなことを感じたのでした。

 

人間と人間が集まる時その程度の差こそあれど、矛盾や葛藤はおこりえます。

 

そして、どうしたらいいのか?という問いに対する絶対唯一の答えもないでしょう。

 

その先の判断や選択も人それぞれだと思います。人の数だけ答えがあることでしょう。

 

同時に、だからこそ、自分の中の「だからこそ」、そして、一人一人の「だからこそ」を大切にしたいと改めて思います。

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投稿者: blossomjp

80カ国以上もの人達が ー文化も言葉も職歴も違う人達が ー アフリカの僻地で出会い、突然「国連軍」として「国連警察」として「国連職員」として仕事を始めることになっった。。。 国連に「出稼ぎ」に来ている人もハーバード卒業の「エリート」もみんな一緒。カオスでにぎやかな現場で80カ国の人たちが一緒に平和を築くためには?!

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