「自分にはまだ無理だ」「まだ準備が足りない」と感じる方は多いようです。
コーチングや講座なりが、すぐに分かりやすい「成果」や「結果」を生むかどうかは人それぞれなので正直わかりません。
ただ、なんらかの「結果」を生まなければいけない、という発想自体が、社会的に植え付けられた「成果志向」で、ある意味で私たちはそれに縛られ過ぎているかなと思う面もあります。
結果や成果は大事だと思いますが、それが前提だとただ体験したり、新しいことを試したり、新しい人と会ったり、といったことのハードルがすごく高くなってしまいます。
個人的には、「なんかよさそう」「やってみたい」「会ってみたい」「試してみたい」という感覚がもっと尊重されてもいいのかなと感じます。
「なんかよさそう」「やってみたい」「会ってみたい」「試してみたい」という理由だけで、何かをやるには十分な理由だと思います。
もっとはっきり言うと、自分の内側から湧いてくる純粋な感覚に勝る『何かをする理由』はないと思っています。
なんらかの結果や成果を出した人に私たちが触れる時、その人の成果や結果が目につきますが、
その影にはその何十何百倍もの「トライ・アンド・エラー」があるものです。
いろんな人と会って、刺激的な時もあれば、あんまり面白くなかったなと感じることもあれば、「やっぱり」と思うこともあれば、「え、意外!」という驚くこともあるでしょう。
それこそが「体験」です。
文章にしても際に人の目に触れられる文章は、実際書いたものの1割もないかも知れません。
私自身、最初に文章を書き始めた頃は、とても人様に見せられるような内容でも文章でもありませんでした。
(なにせ、私はほぼ10年間英語で仕事をしてきたのでそもそも日本語を書く環境にいなかったのです。)
最初は自分のために書いていたものが、だんだんと慣れていく内に人に伝えたい、とより意識をするようになっていきました。
今はもっと自分の体験を還元するという目的が強いですが、最初はもっと純粋に自分の興味・関心や整理のためだったので、私は自由に楽に始められました。
最初から何かに連載をするためだったら、私の中の書くハードルは高くなって楽しめなくなっていたかも知れません。
どんな分野でも、「成果」や「結果」の影にはその何十倍もの「準備」や「無駄」があるものです。
一番はじめの書いたものの10の内の7割〜8割が削られる時もあります。そうして研ぎ澄まされた文章となっていくのでしょう。
でも、削られた部分は「無駄」ではないのです。
目に見えないけれども、そうした部分が見える部分に「深み」をもたらしてくれるのです。
読む人も文字となっている何倍以上ものことを感じとってくれます。
子供の時には、私たちは「最短で」「一つの正解」にたどり着く方法を訓練されます。
大人の生活では、私たちは「一直線」でゴールにたどり着くわけではありません。
それがいい訳でもありません。
ましてや、たった一つの正解はありません。
「急がば回れ」じゃないですが、いろいろなことを「体験すること」こそが長いスパンでは結果を生むということもあるようにも感じています。
「体験する」にもいろいろな種類があるとは思いますが、自分の視野や世界が広がるもの、自分が自分を知る・発見すること、人との関係性を深めるものは、投資をする価値があるでしょう。
コーチング・カウンセリングの大きな意義の一つは、まさに、「自分が自分を知る・発見」し、「自分との関係性を深める」ための「自分のための時間を持つ」ということだと思います。
もしよかったら、ただ自分のために「心地よい時間を持つ」という贈り物をされてみてください。
素敵な春の日をお過ごしください。