私たちに力をくれる意図とは反対に私たちの力を削ぐものに、私たちの「欲」があります。
相手を打ち負かしたい、
相手に仕返しをしたり
自分だけ勝ちたい
かっこいいことを言わなきゃいけない
優秀そうなことを言わなきゃいけない
評価を受けたい
賞賛されたい
などです。
その逆に、私たちの力を引き出してくれるようなより大きな「意図」は例えばこのようなものです。
チーム全体を勝たせること、
相手のことを理解すること
相手とのつながりを深めること
相手に与えること
チームに貢献すること
この仕事を通じて社会・国全体に貢献すること
人類に貢献すること、
等です。
人間誰しもそういう思いや欲はあるものです。ただ、一流選手の持つ意味付けの力の例でもお伝えしたように、その次元にいる限り本当の力は身につくことはありません。
努力を重ねることはもちろん大切ですが、自分のためだけに努力を重ねるような努力には限界があります。一人でいくら時間を費やしてもそれを超えたより大きな「意図」の力には到底かなうことはできません。
より大きな意図を持つ時に、自分の力が引き出されたり、次のレベルに飛躍する機会も与えらえるということを私自身も体験してきました。
私が自分の中の欲に目を向け、本当に自分に力をくれるのはどういうアプローチなんだろう?という問いに私が向き合うことになったのは国連の仕事で南スーダンへ赴任した時でした。
南スーダンとは約40年間も内戦が続いた国です。紛争が起きていた国では、建物が破壊されていたり、街中に軍人や銃を持った人たちがいるなど紛争の影響をいろいろな所で感じることがありました。ただそうした面は、比較的に分かりやすい方で、私が感じたのは、「武力の文化」による影響でした。
「武力の文化」というのは、私の表現ですが、「偉いのは力(武力・火力)を持つもの」という社会や人間関係のあり方です。
分かりやすい例で言うと、軍服を着た人や銃をもった人たちが、レストランで相手に威喝を与えて、従わせるような態度です。そしてそれが当然といったような振る舞いです。
生まれた時から紛争があり、平和や教育、話し合いといったことを一切体験したことがないことも関係しているのでしょう、自分の思い通りに会議や話し合いが進まないと、すぐに攻撃的な態度になる人もいました。
そうした国全体の緊張感は、私たち国連スタッフにも大きな影響を及ぼしたようでした。事務所の同僚たちの間で、より攻撃的になったり、競争的になったりすることが起きていたのです。足の引っ張り合いもあり、お湯のシャワーも出ないなど、ただでさえストレスの高い環境で、さらに士気が下がるという悪循環が起きていました。
私が赴任した当時はすでに停戦が合意されていて、命の危険を感じるようなことはありませんでしたが、ストレス研究やトラウマ研究が示すように、社会全体のトラウマが、その環境にいる個人やその人の対人関係に大きな影響を及ぼすことがあります。
そのような環境におかれたことで、普段はなんとか隠せたような人間の欲やダークな面が、表面化したのだと思います。
そんな職場環境。仕事はいくらやっても終わらない位にあります。このままでは燃え尽きるのは時間の問題だと思いました。
しかも、外は時に40度を超える灼熱の気候。
ちょっと外に出るだけで体力を消耗し、寝るのも一苦労です。後に改善されましたが、お湯のシャワーも満足にないし、携帯電話もほとんど通じません (当時)。
国連は基本的には自動昇進も自動更新もない自己志願制の組織です。いくら、現場を体験したい、独立国の誕生に立ち会いたい、と自分で選んでニューヨーク本部から南スーダンに赴任したとはいえ、私はもしかしたらすごくバカな選択をしたのかも知れない。。。
さすがにそんな考えが何度か頭をよぎりました。
ただ、思ったよりも大変なので来週ニューヨークに戻ります、と言う訳にもいきません。
その時、私には二つの大きな選択が与えられていたように思いました。
1、相手に仕返しをしたり「競争」と「武力の文化」に加わること
2、まったく違う方法をみつけること
「武力の文化」とは、相手を打ち負かしたい、仕返しをしたり、賞賛されたい、自分だけ勝ちたいなど先に挙げたような欲(エゴ)の方法です。
「そんなことをしたら自分が潰れてしまう」
それははっきりと本能的に感じ取っていました。
ここを抜け出せる全く違う方法は何だろう?
私はたった一人でもいいから、本当に大切だと思うことをやろう、と思いました。
そして、人との関係を一人一人と丁寧に結んでいこうと思いました。
まず、私はオフィスの人達と「本気で」「笑顔で」「挨拶すること」を始めました。
ニューヨークから赴任したばかりの時には、皮肉っぽく「ニューヨーク本部の人」と言われたこともありました。
「正論」も「本部の理論」も、職場でも外でも通用しそうもないことも感じていました。
こうして、私は文字通り「必要に迫られて」、オフィスにいる同僚たちと毎日挨拶を交わしながら、一人一人の価値観や関心に意識を向けながら、この人はどうしたら動いてくれるのだろうか?ということを試行錯誤していく事になったのです。
まだ紛争が終わったばかりの土地です。
国連という組織自体、まだ信用を得ている訳ではありません。
土地柄、挨拶を交わすことは、文字通り、「私はあなたの敵ではありません。私はあなたを尊重しています。」ということをはっきりと示す意思表示でもありました。
どこの社会もそうであるように、アフリカは特に人ベースの社会です。携帯もメールも通じない環境ではその意味がさらに大きくなります。
私のキャリアの中でも、この時ほど、意識してオフィスで会う人たちに声をかけていた時期はなかったと思います。
そんな姿勢が日常的に培われたからでしょうか、私は気がついたら現役の兵士の人しかり、司令官しかり、私は彼らとの関係構築に手応えをつかみ始めていました。
彼らは、一度信頼を得るとお互いの関係をとても大切にするという面もあります。そして、そんな会話の中で彼らの本音を垣間みることもありました。そして、私の仕事に必要な情報を教えてくれることもありました。
そして、彼らの生の声に触れることは、時には、情勢報告や分析レポートといった形で活かされていきました。
そして、何より私自身が、現地ではこんなことが起きている、もっとこうした方がいいんじゃないか、という一番大切なところにフォーカスし続けるにつれ、自分の中のモーチベショーンも実際の成果といった面でも手応えを感じていました。
そして、こうした流れの中で、本当の意味で「聴く」ということの力や仲裁の力を体験し、そうした仕事が評価され多国籍チームのリーダーに抜擢されることになりました。
さらにその後は個人専門家として世界的なプログラムの講師を務めることになったのも、原点はこうした体験にあると思っています。
自分の仕事や関わりの意図をどこに「設定」するのか?
より大きな意図を持つ時に、自分の力が引き出されたり、次のレベルに飛躍する機会も与えらえます。