私がよく聞かれる質問の中に、なんで国連やめてカウンセラー・コーチなんですか?というものがあります。
国連=もっと大きいことができる=インパクトが大きい
それなのになぜ「小さいこと?」
単純に「どうして?」「この人ってどんな人なの?」とも思うと思います。
なので、その質問の意味はよく分かります。
なにより、私自身が「大きなこと」をしたいと思ってきましたし、大きいことに関われる楽しさも体験させてもらいました。
その意味でいうならば、私は、国連のキャリアの中でも、二つの独立国(東ティモール、南スーダン)の独立のプロセスに関わるという、その意味ではかなり「野心的」でかなり「ピンポイント」な選択をしてきました。
(国連は自己志願制の組織で勝手に派遣されることはありません。)
同じ国連という組織でも、紛争国の最前線に行く人も、国が独立を果たすプロセスに関わる人も、しかもそれを二回も体験する人もあまりいないので、この組み合わせはかれな「稀」です。
東ティモールの独立前の一年間の間は、正当性を持つ新しい政府と国の体制ができるまで、内戦でインフラが破壊され、文字通り何もなかった状態の時には、国連が「暫定政府」を務めていました。
その仕事は、それこそ国境の交渉から、貨幣、教育制度、行政、選挙、憲法の策定、学校の運営まで含まれました。そして、一年の間で選挙が行われ、学校の制度警察ができ、憲法ができ、学校が再開されました。
キャリアの最初にそんな「成功体験」を目の当たりにさせてもらったことは、私が国連でのキャリアを続けるモーチベーションになりました。
同時に、「全ての物事には両面がある」というのも大きな秩序の真理なのだと感じます。
大きな組織であるがゆえの矛盾も同じくらい存在します。
官僚主義、安保理決議と国連PKOの現場間の政治的なギャップ、ヒエラルキー組織。。。
つい最近も、南スーダンでの食糧危機に対する人道支援の一環として、ヘリコプターから食糧が投下されるシーンを見ました。
世界の格差がより大きくなっているという時代に、さて、「この支援はいったい役に立っているんだろうか?」という根本的な疑問が私の中で浮かびました。
こうした疑問は、この業界にかかわると、国連であれNGOであれ、いずれかの段階で思うことです。
その疑問はごくごく健全な疑問だと思いますが、だからと言って、全てが無駄だというのも違うと思うし、0か100かの議論になる必要もないと思います。
ただ、面白いのは、一人一人の「その先」だと思います。
それで、「あなたはどうするの?」と。
ちなみに、「大衆を救うために勤勉に働くより、一人の人のために全身全霊を捧げる方が気高い。」という言葉を残したのは、1953年から二代目の国連事務総長を務めたダグ・ハマーショルドでした。
彼は、スウェーデンの元外交官で、財務次官と外務次官を経て、第二代国連事務総長を務めました。ノーベル平和賞を授与されるなど非常に高い評価を残した人です。
無名から国連事務総長へ抜擢され、今の国連の基礎を作ったことから「国連の坂本竜馬のような人」という表現をしていた人がいました。
数々の華々しい外交の裏側の取引、各国の思惑、国益追求のどろどろのはざまで、どうしていつも平和を目指す判断が下すことが出来続けたか?
類まれなリーダーシップ、彼が希求した国連の未来像とはどのようなものだったのか、そして我々は今、そこから何を学ぶことができるのか?
その様子は、スウェーデン政府が彼の生誕100周年記念事業として編纂した評伝集から垣間見ることができます。
https://www.amazon.co.jp/世界平和への冒険旅行-ダグ・ハマーショルドと国連の未来-ブライアン・アークハート-セルゲイ・フルシチョフ/dp/479480945X
「大衆を救うために勤勉に働くより、一人の人のために全身全霊を捧げる方が気高い。」
もし彼が生きていたら、彼の言葉の意味をさらにもっと聞きたいところです。
国連事務総長という立場の人が残したコメントとして非常に印象に残っています。