なぜその問題に関わりたいのか?と聞かれて、答えるのに困ったらー自分の内側から湧いてくる純粋な感覚に勝る『何かをする理由』はないから

なんで自分はこんな風に考えるんだろう?

なんで自分はこんなに「不器用」なんだろう?

なんでもっと適当にできないんだろう?

 

 

自分でもよく分からないけどやっぱり「世界」のことに関わりたいというタイプの人たちがいます。

 

彼らは周りからはよくこんなことを言われるそうです。

 

なぜ、そこまで世界の貧困や環境、平和の問題に関わることが大切なの?

なぜ、安全な日本の生活に満足できないのか?と。

 

ただ、これは本人にとっても「理屈」でわかるレベルのことではありません。

 

時には一生懸命に自分を納得させようとするのですが、「理屈」で説明しようとしてもできることではありません。

 

人間を深い部分で動かす原動力というものはとうてい「理屈」を越えているものだからです。

 

あえて言葉で説明するとしたら、それが「自分が自分であること」の表現だから、でしょうか。

 

 

世界100カ国、18-25歳の42,257人による若者の仕事観に関する調査「2015 Youth Speak Survey Millennials Insight Report」というものがあります。

 

国連とプライスウォーターハウスクーパーの支援でアイセック(AIESEC)という団体がまとめたものです。

 

その中の仕事に求めるもので大切なものは何ですか?という質問で、世界の若者は「成長できる機会」と「意義を感じられる」ことをトップに挙げています。

 

職場にはどんなことを望みますか?という質問に対しては、例えば、このような回答が挙げられています。「僕にとって大切なことは、常に成長できる機会や環境、自分が関わっていることが社会にインパクトをもたらしていると感じられること」22歳、インド

 

2015年「2015 Youth Speak Survey Millennials Insight Report」より。

 

わたし自身、これは国連で働くことを目指していた時のことですが、なぜここまで世界の平和(争い)や貧困の問題に関心が向くのか?と自分でも思ったことを思い出します。

 

あえて一言で言うならば、自分の内側から湧いてくる純粋な感覚に勝る『何かをする理由』はないと思っています。

 

聖書にはこのような言葉があります。

 

「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。」(ピリピ 2:12)

 

これは、人にはそれぞれ使命があって、その方向に向かえるように、心の中に情熱や想いが湧いてくる、という意味です。

 

これは私自身実感します。そのような想いや情熱がなかったら、国連で10年も働く中でも、と南スーダンのような国で4年間も働くことはできなかったと思います。やはり、それは「与えられたもの」だったと実感します。

 

そして、また次のステップや次の仕事、方向性が与えられることがあります。その時にふさわしい情熱や想いがまた与えられるということです。

 

ですから、自分に正直に生きてる人は、時に「不器用」と思ったり、そのように思われることもあるかも知れませんが、神さまの目にはとても美しいのです。

 

 

「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。」ピリピ2:12

 

‘For it is God who works in you, to will and act in order to fulfill  his good purpose.’ Philippians 2:12

「自信がつくのを待ってもこない。自信がつくのを待ったらこのまま一生終わってしまう」ニューヨークで発見した自信の「正体」❗️

私たちは、いったい何をして、どこまでやったら「自信」というものがつくのでしょうか?

 

私自身、ニューヨークの国連本部の花形部署で働く機会を得ながら、長い間自信を感じられずにずい分悩んだので、「自信を持つ」ためにいろんなことをしたものでした。

 

いったい何をして、どこまでやったら「自信」というものがつくのだろう?と思っていました。

 

ニューヨークという場所がらスピーチのクラスに参加したこともありました。

 

ただ、いつも自分の能力や努力が「足りない」気がして、この「足りない」という強迫観念のような私のお悩みはかなり長い間続きました。

 

 

一番苦しかったのは、何かをやっても達成した気がする訳でもなくて、いくらやっても自分の中で「これでいい」と思えなかったこと、でした。

 

私にとって精神的なストレスが一番大きかったのはおそらくこの頃で、出張とストレスが重なって、機内で倒れたこともありました。

 

自信について、いろいろな角度からの答え方があるかとは思いますが、もし自信を「外からの評価」に求めるのならば、究極的にはキリがないとも思います。

 

仮に資格を得ても、ハーバート大学やオックスフォード大学を卒業しても、自動的に自信がつく訳でもないことは私自身が知っています。

 

私自身オックスフォード大学の大学院で勉強していた時に驚いたのは、オックスフォード大学の学生さえ、自信がないと感じているという事実でした。

 

すると、ますます分からなくなります。

 

自信とはいったいどうしたらつくのだろうか?と。

 

しかし、ある頃から、チャンスが巡ってきているのに、ノーと言っているような自分に嫌気がさして来たのです。そして、気がつき始めたのです。

 

「自信がつくのを待ってもこない。自信がつくまで待ったらこのまま一生終わってしまう」、と。

 

もちろん場数を踏むというのは真実だと思います。やはり、スピーチにしろプレゼンにしろ、経験を重ねることで確実に自信は上がりました。

 

ただ、ある時に自分で一歩踏み出す勇気が必要になる時というのはあると思うのです。

 

それからのキャリアを振り返ってみても、その時の感覚はあっていたと思います。自信がつくのを一生待っていても何もできないのです。

 

そして、もう一つ自信というものの「正体」に気がつきました。

 

それは「自信をなくさせている原因」に気づいたからでした。

 

それは、自分は「こうあるべきだ」という自分が自分にかけていたプレッシャーでした。

 

自分が自分に対してもっている自分の中の理想像でした。

 

例えば、私の場合、

 

「国連の本部で働く人」はこうあるべき、

なにか「かっこいい事」を言わないといけない、

という自分の中の理想像とのたたかいでした。

 

 

ただ、そもそも完璧というものは存在しないし、自分の中の理想像は絶対に手の届かない目標です。

 

完璧であれば、失敗や批判を避けることができて、傷つく可能性も避けることができると思っています。ただ、これによって、常に私たちは周りの人たちと比較することになり、自分はそうでないと思っている部分が常に不安としてのし掛かります。

 

自分の価値は、どれだけ達成したかで決まる、という思い込みがあるのです。

 

私たちは社会やメディア、学校、親からの「こうであるべき」というプレッシャーやイメージに晒されています。

 

そして、私たちの自信がどれだけこうしたプレッシャーやイメージ、信念にネガティブに影響されているかを知るとびっくりします。

 

例えば、このような「あるべき像」です。

 

いつもよい成績をとらなければいけない。

絶対に失敗をしてはいけない。

周囲の人に賞賛されなければいけない。

やるからには有名にならなければいけない。

誰よりも優れていなければいけない。

優秀でなければいけない。

スマートでなければいけない。

お金は苦労して得るものだ。

 

 

メディアの影響もあります。

 

もっと痩せなければいけない。

人気者にならなければいけない。

優秀でなければいけない。

かっこよくなければいけない。

おしゃれでなければいけない。

女性は若くなければいけない。

 

 

そして、私たちは常に周りの人たちと比較して、自分はそうでないと思っている部分が常に不安としてのし掛かります。

 

失敗したらどうしよう。。。

間違えたらどうしよう。。。

人の期待に応えらえなかったらどうしよう。。。

こんな自分。。。

どうせ無理。。。

 

そんな不安ばかりだと誰だって足がすくんでしまいます。

 

しかも、私たちは多くの場合メディアで取り上げられる人たちの成功や華やかな部分にしか触れていないのです。

 

ベストセラー作家で、この「足りない病」(欠乏意識)についての本を書いたリン・ツイストさんは、消費カルチャーの時代を生きる私たちは常に「足りない」「足りない」「足りない」というメッセージにさらされている、と言います。

 

もっと言うと、日本が世界の中で第3位の経済大国でありながら、不安と閉塞感に覆われているのは、この「足りない病」とも関係があるのではないか?、と個人的には感じます。

 

ただそうした仕組みに気づいた私たちは、こうした自分の中の信念を再整理することができます。

 

それは本当なのでしょうか?

今の自分に役立つ信念でしょうか?

もし、これとは反対のことをしたらどうなるのでしょうか?

 

まずこうした自分の中の信念に気がつくことが改善のための大きな一歩です。大抵、こうした信念は、あまりに自分の中で自動的に発生していて、そうした影響があることすら気が付かないからです。そして、今の自分に役立つ信念に書き直すことができます。

 

 

【ワーク】

自分の中の「こうあるべきだ」を書き出しましょう。

それは本当なのでしょうか?

今の自分に役立つ信念でしょうか?

他人から褒められるよりも自分にとって大切なことは何ですか?

もし、これとは反対のことをしたらどうなるのでしょうか?

 

今の自分に役立つ信念に書き直しましょう。

もし、仮に~だとしても自分は自分を受け入れ自分の味方であることを宣言します。

 

① 自分の中の「こうあるべきだ」を書き出します。

② ハートに手をあてます。

③ 心の中で宣言します。「もし自分の中で自分は優秀じゃないと思ってる部分があったとしても、私は自分を深く受け入れます。」

 

例)

優秀でなければいけない⇨「もし自分の中で自分は優秀じゃないと思ってる部分があったとしても、私は自分を深く受け入れます。」

 

かっこよくなければいけない。⇨「もし自分の中で自分はかっこよくないと思ってる部分があったとしても、私は自分を深く受け入れます。」

 

スマートでなければいけない。⇨「もし自分の中で自分はスマートじゃないと思ってる部分があったとしても、私は自分を深く受け入れます。」

QUIET REVOLUTION 人口の三分の一は内向型ー社会を変える「静かな革命❗️」②

内向型の強みとして、共感能力の高さ、感受性の高さが挙げられます。

  

ここで言う「繊細な」という意味は、その人の「構造」というか「つくり」というか、特性が繊細であるという意味であって、「ナイーブ」であるとも「弱い」という意味とも違います。

 

別の言い方をすると、感じ取る能力が高い人、共感能力の高い人たちです。

 

「繊細」とだけ聞くと、「競争社会」の基準からすると「弱み」のように聞こえるかも知れませんが、これからの時代、「感受性が高い」ということはますます「大きな武器」となっていくことでしょう。

 

 

では、「感受性」が高いことの「強み」とは例えばどういうものでしょうか?

 

例えば、相手が伝える1の情報から、その何十倍もの情報を読み取る能力です。または、より大きな流れや全体像をつかむ能力です。

 

これは、「洞察力」(insight)と呼ばれます。

 

例えば、この人は、言葉ではこう言っているけど、その人の本心はいったい何なんだろう?または、「ミーティングで部長はこう言っているけど、どうも他の人たちはしらけてるなあ。みんなの本心はいったい何なんだろう?

 

今、会議で起きていることやこの組織全体で起きていることは何だろう?」といったより深層の部分に意識がむく能力です。

 

 

これは、人と関わる仕事、交渉や仲裁、ファシリテーション、リーダーシップといった分野で大きな力になります。

 

 

紛争地の現場でも、私にとってこの力が大きな助けとなりました。

 

例えば、南スーダンのような紛争地では、この先数ヶ月、政情がどうなるのか分からないというような環境に置かれます。

 

そのような環境の中で、国連のスタッフは、いろんな人に会って情報収集をし、あり得るシナリオなどを考え、分析を加えながら、それぞれの場合どう対処したらいいかを決定していきます。

 

私は、そういう地で仕事をする人として、いろいろな人に会って生の情報(感覚)を得て、この先の流れを掴んでおくことは、決定的に大事なことだと感じていたので、できるだけそういう時間は意識的にとるようにしていました。

 

そうした習慣もあったので、政情的に何かが起きたり、新しいニュースがあったとしても、「ああ、これはこれ以上『大事』にはならないな」、「今回は注意」など、ある程度予測がついたりしました。

 

私の「鋭敏なアンテナ」が、相手が伝える1の情報からその何十倍もの情報を読み取ってくれるのか、私の分析が流れを読んでいた、全体像を掴んでいた、ということは実際にありました。

 

同じ街にいながら、同じ国にいながら、同じ人に会いながら、同じ情報を耳にしながら、その人が導き出す結論や分析はまったく人それそれでした。

 

断片的な情報から、全体像を「掴んでいく」能力はまさに大きな力です。

 

こうして、私の感受性の高さ・繊細さは「分析力」「判断力」「紛争解決力」(仲裁力・対人関係能力)として、紛争解決の最前線で大きな武器となってくれました。

 

言葉で伝わるのは10%にも満たないと言われていますが、 

 

例えば、

初めて会う人との関係構築の中で、

 

全く新しい環境 (組織や街や国など) に慣れるために、

 

お互いに母国語ではない言語で話している時など、「感受性」が役に立つ場面はけっこう多いのではと思います。

 

この力は、そしてコーチ・カウンセラー・講師として発揮されています。

 

ある方の相談内容について聴いている時に、その方が言わんとしていることの全体像や課題の根っこの部分が「パッと」把握できる能力です。

 

もちろん、いくつか質問をして、課題を探ったり、それを確認してきますが、洞察力が大きな土台をつくってくれています。

 

実際、最近は、この「感じ取る能力」・「共感能力」のビジネス上の価値が科学的にも証明されつつあります。

 

5年連続で全世界での視聴回数ベスト5内にランクインし続け、2016年12月現在で全世界での総視聴数が27,677,409回(!)を超えているTEDがあります。

 

ヒューストン大学の心理学者ブレネーブラウン による「Power of Vulnerability」です。共感の力こそが、クリエティビティーやイノベーションへの入り口だと言っています。

 

世界中の企業や組織がクリエティビティーやイノベーションを求めています。

ただ、 それが大事だろうとは思っていながら、それがどうしたら起こるのか分からない。

 

そして、人間はいくら理性的に判断し、行動していると思っていても(そう信じたくても)、実際には感情で動く生き物だということも私たちは知っています。 

 

誰でも傷つくのは怖い。批判されるのも失敗するのも嫌。

 

 

見えないところで直感やイノベーション、クリエイティビティーを潰しているのはこうした「不安」や「恥」の意識だと言われています。

 

そして、その「解毒剤」こそが「共感」であると、このTEDの著者ブレネーブラウンは言っています。

 

そして、「共感」が起こる時の大きな要素として、「相手の感情がわかること」(feeling with the other)が挙げられています。

 

このTEDの後、彼女のところには、アメリカ中のCEOや企業からイノベーションを起こす秘訣を教えて欲しいと、講演の依頼が殺到したそうです。

 

 

「共感の力」とビジネスの接点が科学的に証明されつつあること、このテーマが全TEDの中でもベスト4にランクインし続けている事実そのものが興味深い現象だと思います。

 

感受性や共感能力はビジネス上でも大きな価値なのです。

同じ本を複数名で読むとどうなるか?ー 「自分にしかできない分野」「自分だからこそできること」を見つける方法

同じ本を数人で読むという読書法があります。

 

とても面白い読書法の一つで、それぞれが自分の興味のある分野で背景を調べたり、下読みをして参加したり、またはその場で一緒に読み進めて、最後に感想を伝え合う形式のものもあります。

 

 

なぜ同じ本を複数名で読むのか?

 

同じ本を複数名で読むとどうなるのか?

 

 

「自分を知る」というテーマとしても大きなヒントがあるので、トマ・ピケティーの『21世紀の資本』を数人で読んだ時の体験をお伝えしたいと思います。

 

トマ・ピケティーは、フランスの経済学者です。代表作『21世紀の資本』は、「格差の拡大の原型がはっきりと示された」として、発行された2015年には日本でも大きな話題になりました。

 

『21世紀の資本』は、2014年4月には英語訳版が発売されるやアマゾンの売上総合1位になるなど大ヒットし、アメリカでは2014年春の発売以降、半年で50万部のベストセラーとなり、2015年1月現在で、世界10数カ国で累計100万部を突破したそうです。

 

定価は5500円で、608ページに及ぶ専門用語をちりばめた大著なので、気になるけど買わなかった、でも内容が知りたい、という人は多かったと思います。

 

トマ・ピケティーの『21世紀の資本』をみんなで読もう、という話しになったのも、難しそうなので、みんなの知恵を持ち寄った方がよさそうだ、と思ったからでした。

 

実際、複数人の人と一緒に同じ本を読むと、とても面白いことに気がつきます。

 

同じ本を読んでいるのですが、それぞれが関心をもった視点、気づいたこと、それを読んでどう思ったのかなど、持ち寄る視点がぜんぜん違うのです。

 

例えば、

ーなぜ彼はこのテーマを書いたのかというトマ・ピケティーのバックグラウンドに興味を持った人

ー彼の家族構成に興味を持った人

ー彼のアメリカでのレビューに興味を持った人

ー彼の著書の後に世界銀行が発表した世界の格差についてに興味をもった人

ー日本のメディアのあり方や考える力について思いが及んだ人

などでした。

 

本当にそれぞれが気づく視点や読んだ後の感想は見事に違いました。

 

しごく当然のことのように聞こえるかも知れませんが、このような体験をすると本当に人の受け取り方は人それぞれに違うのだということが腑に落ちます。

 

これも改めて考えてみるととても面白いことだと思いますが、人は同じ場所にいたり、一見同じ情報を受け取りながら、それぞれの「フィルター」や興味・関心分野に従って情報を処理していくのです。

 

私が南スーダンで働いていた時に実感したことですが、同じ国にいながら、情勢分析の結論がかなり違ったこともありました。

 

では何がその違いを生むのでしょうか?

 

例えば、その人の知識、教育、職業、経験値、考える力、価値観・興味や関心などです。

 

この場合の価値観とはどんなことを大切だと思っているか、といったものです。

 

複数で同じ本を読んでみると面白いのは、なぜその人は、「この点に興味をもったんだろう?」という点その人独自のポイントが見えてくることです。

 

 

ー彼の背景に注目した人は彼の主張や理論だけでなく、人間としてのライフストーリーに興味がある人なのかも知れません。人や社会をより深く理解する能力や洞察力に長けているかも知れません。

 

ーアメリカと日本でのレビューの違いに興味をもった人は、データやより複数の視点を取り入れる客観性を重視する人なのかも知れません。

 

ー格差の是正に注目した人は平等や公平さに興味があるかも知れません。

 

本人にあまり自覚はないかも知れませんが、「なぜか私はこういうことに興味をもつ」という視点やアングルが必ずあるのです。

 

これこそが、「自分にしかできない分野」「自分だからこそできること」「私たち一人一人ができる分野がある」というその人の「存在意義」といったものに近いかも知れません。

 

それは職業でもなく、それを本人が意識していてもいなくても、自然にやっているようなこと(その人がいるだけで周りが落ち着くと感じる人、周りの人を癒す人、聞き上手で人の意見を引き出す人、など)です。

 

「世界は地球上の一人一人を必要としている」という意味が単なる言葉ではなく、その意味がより腑に落ちる体験でした。

 

これは自分一人では分からないことです。

 

他者の存在を通じて、自分の立ち位置がわかるのです。

 

読書会といった形式でなくとも、会社での会議といったフォーマルな場からいったん離れて、利害関係のない、まったくプライベートな場で、自分の意見を自由に表現したり、シェアできる場を体験できることはとてもいい体験だと思います。

 

そんな体験の積み重ねが自分を知ること、そして自信につながることでしょう。

 

ぜひ試してみて下さい。

「自分を知る」ということー「自分がやりたいことが分からない人」とランチ選びの関係

突然質問です。

三日前に食べたランチを覚えていますか?

 

 

なんでランチかと言うと、「自分を知る」ということの一つだからです。

 

「自分を知る」というと、とても大きなことのように聞こえるかも知れませんが、ごくごく日常の中にあります。

 

先日あるカフェで、ケール&キーウィージュースをオーダーしました。

 

私の身体は疲れている時によくケールを欲しがります。ビタミンやミネラルが多いので、身体に浸透する感じがします。

 

出てきたのはとてもとても小さいジュースでした。

 

しかも、ほとんどケールの味はしませんでした。

 

 

その瞬間いろんなことが頭に浮かびました。

 

 

ーああ、これなら自分でつくった方がいいな

ーあのスーパーで最近ケールは見なくなったけど、どこのスーパーにあるのかな?

ーケールをみかけたら買っておこう(希少だから)

ー他に自分にエネルギーをくれる食べ物は何だろう?(エネルギーの高い物を口にしたい)

ーどんなものを食べる時に身体の調子がいいのだろう?

 

 

難しい結論でもなんでもないけれども、「そんな思い」をとても強くしました。

 

こうやって私たちは、日々何かを「感じ」、「発見し」、「思い」、「修正し」、「決めて」います。

 

しかも、体験したものが「期待外れだったりすると、じゃあ「次はこうしよう」「だから、今度はこうしたい」と、その反対に対する思いを強くします。

 

 

私の場合、スタバのラテよりも数百円高かったジュースが期待ハズレだったので、自分でケールスムージを作りたくなりました。
私はこの店で同じジュースを買うということは「繰り返さない」でしょうし、この体験は、自分の身体やエネルギーの状態に意識を向けるきっかけの一つになりました。

 

 

こうして、私たちは日々何かを発見したり、「学んで」います。

そして、自分について発見しています。

 

これを「体験」というのですね。

 

 

体験というのは、単なる「事実」の列挙ではなく、その出来事を通じて自分は何を感じ、思い、結論づけたか?ということだそうです。

 

 

 

 

自分がやりたいことが分からない人は多いようですが、

そんな人こそ、自分が食べるランチを「完全に」「意識的に」「全責任をもって」選んでみてください。

 

 

なんで、私はこれを食べたいと思ったのか?

美味しかったですか?自分で星をつけるとしたらいくつ?

あまり美味しくなかったですか?自分で星をつけるとしたらいくつ?

 

 

なんでそのお店・メニューを選んだのですか?

外見はどうだったのか?

お店の雰囲気はどう感じたのか?

お店のスタッフやシェフの印象はどうだったのか?

直感的な第一印象は何と言っていたのか?

 

 

その感覚はあくまでも主観的です。

それでいいのです。

自分が感じることに「正解」も「間違い」もないからです。

 

 

大事なのは、じゃあ次はこうしたいな、というサイクルに繋がっていることです。

 

 

食べ物は私たちの感覚を正直に刺激してくれるものの一つです。

「美味しい」と単純に満足を感じるし、「美味しくない」とイマイチだったな、と単純に感じるからです。

 

 

 

食に対する意欲は人生に対する意欲と比例する、といった友人がいました。

私たちは日々食するもので成り立っているので、それを聞いた時になるほど!と思ったことがあります。

 

美味しいものがわかることは一流の音楽や「ほんもの」がわかるということにも繋がっていると個人的には思います。

 

そして、「いいお店」が分かること・知っていることは、大人のリソースとしてはとても重宝されるものです。

 

 

「今日の私」は、日々の体験の結果です。

 

どんな体験にも無駄はありません。

 

「体験」こそが私たちを学ばせてくれます。

「なんかよさそう」「やってみたい」「会ってみたい」ーその純粋な感覚に勝る『何かをする理由』はない

 

 

「自分にはまだ無理だ」「まだ準備が足りない」と感じる方は多いようです。

 

 

コーチングや講座なりが、すぐに分かりやすい「成果」や「結果」を生むかどうかは人それぞれなので正直わかりません。

 

ただ、なんらかの「結果」を生まなければいけない、という発想自体が、社会的に植え付けられた「成果志向」で、ある意味で私たちはそれに縛られ過ぎているかなと思う面もあります。

 

 

結果や成果は大事だと思いますが、それが前提だとただ体験したり、新しいことを試したり、新しい人と会ったり、といったことのハードルがすごく高くなってしまいます。

 

個人的には、「なんかよさそう」「やってみたい」「会ってみたい」「試してみたい」という感覚がもっと尊重されてもいいのかなと感じます。

 

 

「なんかよさそう」「やってみたい」「会ってみたい」「試してみたい」という理由だけで、何かをやるには十分な理由だと思います。

 

 

もっとはっきり言うと、自分の内側から湧いてくる純粋な感覚に勝る『何かをする理由』はないと思っています。

 

 

なんらかの結果や成果を出した人に私たちが触れる時、その人の成果や結果が目につきますが、

 

その影にはその何十何百倍もの「トライ・アンド・エラー」があるものです。

 

いろんな人と会って、刺激的な時もあれば、あんまり面白くなかったなと感じることもあれば、「やっぱり」と思うこともあれば、「え、意外!」という驚くこともあるでしょう。

 

それこそが「体験」です。

 

文章にしても際に人の目に触れられる文章は、実際書いたものの1割もないかも知れません。

 

私自身、最初に文章を書き始めた頃は、とても人様に見せられるような内容でも文章でもありませんでした。

 

(なにせ、私はほぼ10年間英語で仕事をしてきたのでそもそも日本語を書く環境にいなかったのです。)

 

最初は自分のために書いていたものが、だんだんと慣れていく内に人に伝えたい、とより意識をするようになっていきました。

 

今はもっと自分の体験を還元するという目的が強いですが、最初はもっと純粋に自分の興味・関心や整理のためだったので、私は自由に楽に始められました。

 

最初から何かに連載をするためだったら、私の中の書くハードルは高くなって楽しめなくなっていたかも知れません。

 

 

どんな分野でも、「成果」や「結果」の影にはその何十倍もの「準備」や「無駄」があるものです。

 

一番はじめの書いたものの10の内の7割〜8割が削られる時もあります。そうして研ぎ澄まされた文章となっていくのでしょう。

 

でも、削られた部分は「無駄」ではないのです。

 

目に見えないけれども、そうした部分が見える部分に「深み」をもたらしてくれるのです。

 

読む人も文字となっている何倍以上ものことを感じとってくれます。

 

 

 

子供の時には、私たちは「最短で」「一つの正解」にたどり着く方法を訓練されます。

 

大人の生活では、私たちは「一直線」でゴールにたどり着くわけではありません。

それがいい訳でもありません。

ましてや、たった一つの正解はありません。

 

 

「急がば回れ」じゃないですが、いろいろなことを「体験すること」こそが長いスパンでは結果を生むということもあるようにも感じています。

 

 

「体験する」にもいろいろな種類があるとは思いますが、自分の視野や世界が広がるもの、自分が自分を知る・発見すること、人との関係性を深めるものは、投資をする価値があるでしょう。

 

 

コーチング・カウンセリングの大きな意義の一つは、まさに、「自分が自分を知る・発見」し、「自分との関係性を深める」ための「自分のための時間を持つ」ということだと思います。

 

 

もしよかったら、ただ自分のために「心地よい時間を持つ」という贈り物をされてみてください。

 

素敵な春の日をお過ごしください。

 

QUIET REVOLUTION 人口の半分から三分の一は内向型ー社会を変える「静かな革命」!

人口の半分から三分の一は内向型 (introvert)なタイプだそうです。最近、内向的な人の資質が注目されています。

 

有名人としては、ビルゲイツ、オバマ前米国大統領、ウォーレン・バフェット、J・K・ローリング(「ハリー・ポッター」の著者)、ジュリアロバーツ、マハトマ・ガンジー、アインシュタイン、オードリー・ヘップバーン、エイブラハム・リンカーン、などです。

 

julia-roberts-036-10.jpg

 

私自身、国際機関で働いていた時、組織の理念には共感するものの、声が強い方がいいみたいな風潮には違和感を感じていました。

 

 

国際会議では193カ国もの加盟国が次から次へと自国の主張を続けるのを何時間も聞き続けながら、

 

果たしてもこの会議はどこかへ向かっているのだろうか?

新しい視点やなんらかの合意を生み出しているだろうか?と思ったこともありました。

 

また、内向型だからこそ発揮できる能力や社会的役割があるのではないか?と感じていました。

 

アメリカでミリオンセラーになった ’Quiet ‒ The Power of Inroverts in a World That Can’t Stop Talking’ 邦題「 内向型人間の時代、社会 を変える静かな人の力」の著者であるスーザンケインは、内向型の人の強みについてこう言っています。

 

内向的な人は、

 

洞察力がある、

創造性が高い

集中力が高い

芯が強い、

聞き上手である、

周りに流されない、

思慮深い、

感受性が豊か

繊細さがある

忍耐力が高い

持続力が高い

富や名声などの誘惑に惹かれることは比較的少ない、

自分の興味のある分野に関してものすごい集中力を発揮する、

芸術分野で成功するのは内向型の人が多い、

等です。 

 

 

ビル・ゲイツは、他人の意見に動じない内向型の強さを持った人の典型だそうです。

 

ウォーレン・バフェットが経済危機の最中でも成果を上げ続けられたのは、市場が荒れ周りの人間が気が動転している時でも慎重に考えられる知的な粘り強さがあったこと、そして、世間の多数意見や社会のプレッシャーから距離をおいて自分の判断基準を持つ内向型の強みを持っていたからだ、と言われています。

 

当然ながら、内向型には内向型の強みがあります。

 

ちなみに、内向型であるというのは、内気とかシャイであるという意味ではなく、内向的か外向的かの違いは、エネルギーの取り込み方のことを言います。

 

 

「外向型」は人と話したり外からの刺激でエネルギーを得るので、より多くの刺激を受けるために広く浅く経験することを好むのに対して、「内向型」は、エネルギーをアイデアや感情など自分の内から得るために、深く感じたり経験することを好む、と言われています。

 

 

そういう私も内向型で(研修の一環で受けたテストでもそういう結果が出て、本人の自覚もあります)、国連のような組織で働きながら、私のようなタイプはどのようなリーダーシップスタイルが合うんだろう?と思ったことがありました。

 

 

そして、自分の体験を振り返ってみると、洞察力がある、創造性が高いはかなりはっきりと強みとして発揮されてきたと思います。

 

改めて腑に落ちたのは、「聞き上手でメンバーの能力を引き出す」という内向型の強みです。

 

そして、内戦をしてきた国の軍人たちが、なぜ私に悩みを打ち明けてくるのか、という私の中の「謎」が解けたような気がしました。

 

彼らは自分の国で内戦をしてきた国の軍人です。

 

それなのに、私が講師を務めた研修で私のところにやってきて、こう言い出すのです。

 

 

「『人間』らしくあることを自分に求めていいんだって思ったんです。実は、軍隊をやめようと思っていて。。。」

 

(ええっ?!この研修そういう研修だったっけ?汗)

 

 

あるレセプションでは、ワイングラスを片手に米軍の高官の一人が「実はこんなことがあってね。。。」と、彼の中の深い体験を語りだしたこともありました。彼は米軍のアジア・大平洋司令部の最高司令官(General)の一人でした。

 

 

最初は、正直私自身が驚いたものでした。

 

そもそも私自身が、外向的に振舞わなければいけない、とも、自己主張をしなければいけないとも思っていないので、誰の中にもある内向型の部分、というか、深い部分を見せてもいいと安心したのかも知れません。

 

今、思えば「聞き上手さ」ということが自然に発揮されていたんだ思います。

 

 

ただ、私自身が自分ではないスタイルで自己主張をしたり、無理に外向型にふるまったとしたら、そのような体験はしなかったかもしれません。

 

 

カルフォルニア大学で行われた実験で、外向型と内向型がお互いを高く評価した、という実験結果があります。

 

内向型は外向型に対して、話題を次から次に提供してくれたので話しやすかった、と言い、外向型は内向型との会話に対して、リラックスできて自分が抱えている問題を話しやすいと感じた、のです。

 

実際以上に元気にふるまわないといけないというプレッシャーを感じなかったからだと指摘されています。

 

 

誰の中にも内向型の部分も外向型の部分もあります。

 

どちらがいいというよりは、大切なことは、

内向型というタイプの特性を理解すること、

そして、内向型としての強みを活かす方法を考えよう、という事だと思います。

 

 

なにより内向型の人は、無理に外向型のように振る舞う必要もなく、

 

ただ自分が自分であればいい!

 

これが一番大切なことだと思います 😊

周りの人の強みや得意分野を相手に見れるほど、自分の強みも受け入れられるようになる

どんな人にでも強みや得意な分野がある。

そこに目を向けて伸ばし、活かすことー

すべての人の強みや特性が上手く活かされたらどんなチーム・組織になるんだろう?

元司令官はそんな楽しみを私に教えてくれました。

 

そして、人の強みに目を向けることの更なる効果も感じています。

 

実は人の強みや得意分野に目を向けることによって助かるのはなにより自分じゃないか?と思うのです。

 

私たちは、うまくいっていないことや、人の間違いはいくらでも目につきます。

 

世界のニュースを開けば、毎日新しい「問題」と「危機」を耳にします。

 

いくら指摘してもきりがないほどです。

 

でも、人の強みや得意分野に目を向けることによって助かるのは実は自分だと思うのです。

 

私たちは自分で自分がやってきたことを評価することや、自分の強みを認めることにはあまり慣れていません。

 

自分に厳しいタイプの人はなおさらです。

 

日本人は世界の中でも、強みを苦手な分野を克服しようとする傾向が最も高いそうです。

 

無意識的には、私たちは周りに与えたものが自分に返ってくることを知っています。

 

そういう意味では、私たちは周りの人たちの人の強みや得意分野にも目を向けるほど、自分の強みを認めたり、自分が自分を認めることを「訓練」し許可しているのです。

 

世界65カ国以上で実践されているものに、Nonvioent Communication(NVC)=非暴力コミュニケーションというものがあります。

 

学校やコミュニティー、会社・組織でのコミュニケーションを活性化するツールとして知られています。

 

そこで教えられている原則はこう言っています。

 

「相手のどこが悪いのかに焦点を当てるのではなく、『助言する』立場にある自分に焦点を当てる」

 

私がカウンセラーとしてのトレーニングを受けた時にも、相手の「完全な姿」を見るというトレーニングを受けました。

 

私たちは誰もがなんらの課題やチャレンジを持っていますが、それはその人自身に問題があるというわけではありません。

 

仮に病気をしていたとしてもその人の回復した姿を見ることができます。

 

いまなんらかの課題を持っていてもそれを乗り越え、より強くなって姿を見ることができます。

 

自信がないと言っている人がいたとしても、私たちはその人の本来の才能や能力を見ることができます。

 

実は、震災などで被災した人のニュースを見る時、紛争の被害にあっている人のニュースを見る時にも当てはまります。

 

もし、彼らを、「かわいそうな人」と見るとしたら、私たちは彼らを「弱体化する」エネルギーを送ることになってしまいます。

 

替わりに、彼らが生活を再建し、被災した人たちがお互いを助け合い、逆行を乗り越えた勇気あるストーリーが新聞一面を飾っていることを想像することができます。

 

 

 

 

問題や大きな課題があってもその人自身は人間として欠けているわけではないのです。

 

同じ職場の人、チームの人の強みや得意分野を書き出してみましょう。

 

周りの人の強みや得意分野を相手に見れるほど、自分の強みも受け入れられるようになりますよ!

新しいチームに参加するとき、リーダーや上司になった時、周りの人たちの強みをどうやって発見すればいいのでしょうか?

新しいチームに参加するとき、新しいプロジェクトに関わるとき、リーダーや上司として誰かに関わる時、周りの人たちの強みをどうやって発見すればいいのでしょうか?

 

人は第一印象だけでは判断できないし、その人さえもが気づいていない強みを見てあげることがその人のサポートになる、そして究極的には自分をも助けることになる ー この点についてとても意識をすることになった体験があります。

 

アジアと中東8カ国の軍隊での訓練の講師を務めていた時のことでした。

 

その訓練は、国連の平和維持活動に参加する軍に平和維持活動について理解をしてもらい、仮想国のシナリオを元に演習を行うことでした。

 

参加国は、ネパール、スリランカ、フィリピン、バングラデシュ、モンゴル、ヨルダン、タイ等でした。

 

全員が同じ演習をこなすのですが、それぞれのパフォーマンスにはそれぞれの国の特質が見事に表れました。

 

演習では、住民のデモ隊に対して対峙するものもあれば、人道支援の車列が武装勢力に襲われ、それに対処するというシナリオもありました。

 

演習でありながら、決して簡単な内容ではないのですが、ある国の軍隊の番で、判断に躊躇があるというか、私の目には「および腰」のように見える態度がありました。

 

その様子に私は「本番だったらどうすんだ!」と自分でもびっくりする位に怒っていました。

 

演習でありながら、実際に起こりえることばかりなので、ただの演習だと思えなかったのだと思います。

 

そして、そのことをその日の夕食で同席したある元PKO司令官に話すことになりました。

 

彼は紛争地の最前線で30何カ国もの軍人、1万人もの国連軍を指揮した人です。

彼は落ち着いた口調で私にこう言ってくださいました。

 

「いろいろな国の人たちがいるところがチャレンジでもあるけど強みだよ。」と。

 

たしかに!

この一言が私の頭の中でこだましました。

 

「きっとあの国の人たちの得意な分野があるはず!」

 

ともかく明日は、もっとこの国の人たちについて理解してみよう、と思いました。

 

神さまに、この人たちを昨日までの「私の目」ではなく、まったく「新しい目」で見せてください、とお願いしました。

 

私の相手への見方らや捉え方が変わったからでしょうか、彼らは、次の日の演習では素晴しいパフォーマンスをはじめました。

 

そして、前日の演習では、通訳や上官からの指示が誤解されて伝わっていたことが判明しました。

 

昨日の原因は、彼らの能力の問題ではなく、指示系統に問題があったのです。

 

 

そしてさらに!

演習後に行なわれていた、国別対抗のサッカー大会でそのチームが見事に優勝したのです。

 

身体的にもっと大柄なヨルダンやネパールチームを断然に引き離してぐんぐんと勝ち抜いての優勝は本当に見事なものでした。

 

私はサッカーは詳しくないのですが、素人目から見ても、パス回しとチームワークが抜群でした。

 

サッカー大会で優勝できたなら演習が出来ないはずがない!、と改めて思いました。

 

たった1日だけの演習で、しかもその日の私の見方だけで、彼らの能力を判断しようとしていた自分を反省しました。

 

 

 

どんな人にでも得意な分野がある。

そこに目を向けて伸ばし、活かすことー

すべての人の強みや特性が上手く活かされたらどんなチーム・組織になるんだろう?

 

司令官はそんな楽しみを私に教えてくれました。

アメリカ人の50%は自分を社会不安(social anxiety)があると思っている?!ープレゼンで緊張が一瞬でなくなる仏教の言葉

私たちに力をくれる意図とは反対に私たちの力を削ぐものに、私たちの「怖れ」や「欲」があります。

 

かっこいいことを言わなきゃいけない

優秀そうなことを言わなきゃいけない

失敗しちゃいけない

賞賛されたい

勝ちたい

相手に仕返しをしたい

などです。

 

これは自分の意識が「内」に向いている状態です。

自意識が内に向いている時には「外」に出すパワーになりません。

 

 

とはいえ、私自身、国連ニューヨークの本部にいた時には、とてもそんな風には思えず、会議でも何か「かっこいいことを言わなきゃいけない」というプレッシャーを感じていました。

 

ニューヨーク本部にいた時には、国連の中でも花形部署のさらに花形部署で働く機会をえて、とても優秀な上司や同僚たちに恵まれました。

 

その後の国連キャリアを考えても、そのような人たちと一緒に働くことができて、それは本当に恵まれたことだったのですが、周りを特に優秀な人たちに囲まれて、自分が自分に必要以上にプレッシャーをかけていたのだと思います。

 

ニューヨークにいた時には、週末にスピーチのクラスを受講したこともありました。

 

ニューヨークという場所がら面白かったのは、同じクラスに女優志望などいろいろな職業の人たちがいたことです。

 

当時の私から見たら、その彼女は十分に堂々として見えたのですが、オーディションにもっと自信をもってのぞみたい、ということでした。

 

そして、そのクラスに出て、私がびっくりしたのは、一見自信のありそうな人たちがみんな自信がない、と言っていたことでした。

 

アメリカ人の50%は自分を社会不安(social anxiety)があると思っているという数字もあります。

 

ニューヨークという中で、会議では常に優秀でスマートで、しかも、プライベートでも社交的でなければならない、というようなプレッシャーのレベルが高いのだろうなと思いました。

 

そして、最近も似たような相談を受けました。

 

彼女はアメリカ在住で、あるグローバル企業の海外事業部の統括(マネージャー)を任されている方です。

 

一見小柄な体つきながら、とても努力家で仕事に全力、そして愛されキャラなので、ほとんど周りはアメリカ人という職場環境の中で上司や周りからも信頼をえている様子が伺えます。

 

近いうちにさらに大きな仕事を、という話しもあるそうです。

 

彼女いわく、「周りからは気付かれてはいないけれども、大きな会議やプレゼンの前には実はドキドキするんです。意識が自分に向いてしまうんです。」と。

 

会議の前に、心の中で緊張したり不安を感じている人は実は意外に多いのではないかと思っています。

 

私自身は、自分がどう思われているか、ということよりも、現場ではこんなことが起こっている、もっとこうした方がいいと思う、という点により意識が向くにつれて、自分が楽になっていったという体験を持っていますが、それでも不安を感じる時の対処方をお伝えしました。

 

それは、会議やプレゼンの前に、事前に参加者に「祝福を送る」というものです。

 

これは私がスリランカ軍の講師を務めることになり緊張していた時に、あるベテランの同時通訳者の方から教えてもらったものです。

 

そして私のメンターの先生からは、唱えるだけで自分の状態(周波数)がかわるマントラを教えてもらいました。

 

聞く側というのは話し手に尊重されているかどうかをとても敏感に感じるものですから、そういう意味でも効果的です。

 

なにより、自分の意識が「内」から「外」へ向かうのを助けてくれます。

 

 

May I be happy.

May I be well.

May I be free from suffering.

 

私が幸せでありますように。

私が健康でありますように。

私が苦しみから自由でありますように。

 

May you be happy.

May you be well.

May you be free from suffering.

 

あなたが幸せでありますように。

あなたが健康でありますように。

あなたが苦しみから自由でありますように。

 

May we be happy.

May we be well.

May we be free from suffering.

 

私たちが幸せでありますように。

私たちが健康でありますように。

私たちが苦しみから自由でありますように。

 

以上は、ハートスートラ(般若心経)の文言ですが、これ自体に非常に強い言霊が込められているので、この文言自体がとても周波数の高い言葉です。

 

グーグルで行われているマインドフルネストレーニングでも似たようなトレーニングが行われていることを知りました。

 

自分の中の「心の準備」がえきて、自分の心の中で「落ち着き」を感じられると、事前に「これはイケる!」と感じられるようになって、始まる前から成功を確信することさえあります。

 

なにより、自分が感情的に落ち着いていられると、一息つける余裕が生まれます。

 

余裕ができると、相手のことや会議で今何が起きていているかを観察できるようになります。

 

観察できるようになると、じゃあ何をしたらいいのか、何を言ったらいいのか、ということが自然に分かるようになります。

 

ぜひ試してみてくださいね。

^○^