人間に対する激怒も絶望も原理主義も受け入れた境地で体験中のブレークスルー

heartsutrafeature

 

丸5年たって一つの「ブレークスルー」に達したように感じます。

年末に、ある大学に呼ばれて、130人のクラスで講義をした時の感想をいただきました。

 

 

「南スーダンの紛争は、一見、自分たちの生活からは離れたものに思いました。けれど、特別な支援が必要という訳ではなく、当たり前の日常をおくれるように人間的な部分に寄り添っていく姿勢が大事だと改めて思いました。」

 

 

「今日の授業を受けて『人としてそこにいること』という言葉にすごく重みを感じました。当たり前のことを当たり前に行い、中立の立場であることの重要さを強く考えさせられました。自分の視野をもっと広げて物事を見ていく必要があると感じました。」

 

今年で5年目(5回目)。私の中でも一つの「手ごたえ」がありました。

 

自分で言うのもなんですが、内容は自分の体験してきたことが中心なので、それなりに面白いと思います。

 

有難いことに、学生さんのアンケートでも「一番印象に残った授業」に何度かあげられたそうです。

 

ただ、自分でも覚えていますが、たった一年前の授業は「ぜっ不調」でした。

 

実際の体験を交えてお話しください、ということなので、私の場合、南スーダンを事例として話すことになるのですが、ちょうどその頃、私の南スーダンでのトラウマ・PTSDの「未完了」が浮上していたのだと思います。

 

無意識的に、表面的な話しで終わらそうとするのです。

 

こんなことを話したら相手の「絶望」や「トラウマ」を刺激するんじゃないか?と。

 

相手は大学二年生。中学3年生のもうすぐ卒業という時に、3.11を体験して、卒業式をすることもなく大学に入学した人もたくさんいたそうです。

 

そして今私が話そうとするのは南スーダンという国のことについて。

 

南スーダンは、世界の中でも、シリア内戦で伝えられるようなことに近い人間による蛮行が現在進行形で起きている国の一つです。

 

だからといって、その惨状について、いかにひどいことが起きているかを話すことが求められていた訳でもありません。

 

そして、個人的にもそれがいい方法だとも思わないけれども、

 

とはいえ、「希望的エンディング」で無理やり終わらせようとしている自分がいました。

 

 

無意識的にですが、きっと自分の奥深い部分にあった「絶望」に触れるのを避けていたのでしょう(確かに南スーダンでも、簡単な解決策は見えていませんが)

 

 

それ以来、数ヶ月が経ち、一見「平穏」のようだったのですが、私を「揺さぶる」出来事が続きました。

 

昨年の初夏にバングラデシュで日本人が亡くなるテロ事件が起こった時、私の知人が現場に呼ばれ、

 

同じ頃、南スーダンでは再び内戦が勃発し、銃弾が飛び交う中「たった今も銃弾の音が聞こえる」と南スーダン人の友人からメッセンジャーが送られてきました。

 

今度は、バングラデシュ人の友人から「テロ事件にショックを受けている」と相談が来ました。

 

 

 

 

まあ、なんとも「世界」はほんとうに小さいです 😅

 

 

こうして、私は、自分の中の「未完了」に向き合わざるをえなくなりました。

 

ただ、たった今、心から安堵を感じるのは、そんなこんなさえも含めて、私は「谷」の「向こう側」に到達することができたという事です。

 

人間に対する激怒も絶望も原理主義も紛争もいったん受け入れることにしたのです。

 

これは賛同するとも、諦めるという意味でもなくて、人間の強さも弱さも美しさも醜さも含め、人間という存在を受け入れた、自分が変えられないことに対して闘うことをやめた、というニュアンスの方が近いでしょうか。

 

 

モラル的に正しいからという意味でもなくて、それが私にとって楽になる方法だったからです。

 

そして、人を「インスパイアー」したいのなら、自分が「インスパイアー」されていよう、と。

 

 

今回の講義では、南スーダンでの仲裁についての私の体験談を中心にお話ししましたが、

 

言葉を超えて伝わったのは、そんな私の心境だったかも知れません。

 

「実際に紛争を見てきた人の話しを聞いたことで、戦争をする人への見方が変わりました。その人が子どもの時から紛争が起きていて隣に銃があって、紛争が起きているのだとしたら、それが当たり前になってしまって、解決策が分からなくなってしまうのだと思いました。」

 

「紛争地域でのお話は一つ一つがとても印象的だった。争っている人たちは、その生活が当たり前となっていて、ただ話しをきくだけでいい、それだけで心は変わるという言葉にとても感銘を受けた。」

 

IUHW感想文.jpg

 

そんなことも受け入れると(今の私でできる範囲ですが)、逆にそこから伝わるものがあるということ ー これは今回体験した大きな発見でした。

 

私の目的の一つは、悲惨さを伝えるのでもなく、残虐さを伝えるものでもなく、人間として感じてそれぞれ考えて欲しいということだったので、そういう意味では私にとっては大成功でした。

 

 

そして、この「ブレークスルーな境地」をまだまだ体験中です。◕‿◕。

 

映画監督のスティーブン・スピルバーグは、「戦争は人間を極限の状態に置き、人間の選択を問う」と言いました。

 

「人間は悲しみも苦しみも受け入れるほど、喜びを受け取る器も大きくなる。」という賢人の言葉もあります。

 

 

世界はあいからず激動のようですが、自分の中にそれと同調するものがなければ、そうしたことに心乱されることはありません。

 

自分がコントロールできないことを変えることはできないのだとしたら、自分の中で穏やかでいる方法をみつけたいものです。◕‿◕。

 

 

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投稿者: blossomjp

80カ国以上もの人達が ー文化も言葉も職歴も違う人達が ー アフリカの僻地で出会い、突然「国連軍」として「国連警察」として「国連職員」として仕事を始めることになっった。。。 国連に「出稼ぎ」に来ている人もハーバード卒業の「エリート」もみんな一緒。カオスでにぎやかな現場で80カ国の人たちが一緒に平和を築くためには?!

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