最近、ある大学4年生の方でもうすぐ卒業なんです、という方にお会いしました。
彼女いわく、自分にはやりたいことがあるんだけど、ある社長さんの一言でそれが「ぐらついた」んだそうです。
確かに、
周りと違う生き方をしようとする時、
周りとは違う意見や考えを言う時
新しいことを始める時、
そういうことは起こるもの。
いわば、自分の「感覚」を信じていられるかどうかが試される瞬間の一つでしょうか。
私も日本に帰ってきてから、「また海外に戻らないんですか?」と少なくとも100回以上聞かれ、なんで博士課程やらないんですか?ともよく聞かました。
「博士課程、興味ありません」と言ったら、相手が怒り始めたこともありました。(本当の話しです。)
最近よく聞かれるのは、「なんで国連を経てカウンセラーになったのですか?」という質問。
聞かれたら答えるものの、こっちが言わんとしていることが伝わる場合もあるし、伝わらない場合もあります。
はっきり言って、みんなに理解されることはないし、あり得ないと思う。
世の中にはどんなに努力しても理解しあえない人がいる。(たぶんお互いに)
全員に賛同されることもない。
もし全員に賛同されたら、逆におそらくかなり気持ち悪いだろうとも思います◕‿◕。
念のために一言付け加えておくと、私は職業柄として個人的な性格としても、仕事でもお互いが理解するために、実際にたくさんの人に耳を傾けてきたし、理解をするための努力はいとわない方だと思う。
でも、これは悲観的な意味で言っているわけではなくて、人生は有限だから、自分のことを理解してくれる人に理解をしてもらえばいいのだというシンプルな結論に私を導いてくれているのです。
みんなに理解されたい、ということがいかに労力を要することかも体験しています。
私の場合、クーリエジャポンという雑誌(媒体)で連載を始めて、この事が自分の中でさらに腑に落ちました。
記事を書くにはエネルギーがいる。
時間も労力もかけて記事を書くのだから、出来るだけたくさんの人に読んでもらいたいし、もちろん「いい記事だった」と言われたら嬉しい。
でも、「万人受けしたい」という考えがふとよぎったりすると、「プッツリ」と見事に筆が止まってしまったり、頭の中で思考がぐるぐるし始めて、文章さえもグルグルし始めるのです。。。
「ああ、みんなに受けよう、理解されようなんて思ったら記事なんて書けやしない!」と実感をもって体験したのでした。
とはいえ、特に自分が大切だと思っていることを書いた時には、相手が同じように感じてくれないと「ショック」に感じることはあります。
でも、それをパーソナルにとらえないことも同時に学んでいます。
そして、だからこそ、理解し合える人や気の合う人、共鳴する人がいたらなおさら嬉しいし、そういう関係があるのは、決して「当たり前」じゃないから、その価値をよりありがたいなと思うようになりました。
だから、自分のメンターの先生に改めてありがとうと伝えたり、友人関係でもそう表現することは多くなったように思います。
だって本当に「当たり前」ではないから!^^
私はもうすぐ卒業だという彼女に言いました。
「私も最近も同じような体験があったし、そういうこと (理解されないことや、自分とはまったく違う意見を持つような人と一緒になること)はいつになってもあるよ。」
「でも、大学四年生の時と今との違いは何かと言うとね、そんなにぐらつかなくなること。」
それは本当にそうなのです。
似たように感じる人は、以下にご紹介する5つの「原則」をぜひ思い出してください。
1、誰かが何かを言う時、その人はほとんどの場合相手の事というよりは、大抵自分のことを投影して発言している。
だから「ああ、自分のことを言ってるんだね」と思えばいい。
2、自分の価値が評価されるところへ行こう。
ある人やあるグループにその価値を認められなくても、自分のアイデアや作品の価値を評価してくれる人が必ずどこかに存在する。
私は最近5人くらいの編集者さんにお会いする機会をいただきましたが、回を重ねていくうちに、自分の意図と強みがより明確になっていって、最後は自分と相手の望む方向性とアングルがマッチする方にお会いすることができました。
イエスキリストはこういう言葉を残したと言われています。
Go where invited. Stay where welcomed. If you are no longer welcomed, leave the dust behind and leave immediately.
招かれているところへ行きなさい。歓迎されたところに留まりなさい。歓迎されなくなったらすぐに去りなさい。
だからこそ、自分と共鳴する人や先生、仲間と出会うことの価値もより分かりますね。
3、自分と違う意見を言われても、それをパーソナルにとらえないこと。
自分と違う意見が存在し、その意見をただそのまま受け入れられることができるのは誰もがどこかの段階で学ぶレッスンのように感じます。
4、自分が自分を認め、自分が自分の一番の理解者になること。
自分が自分を認め、自分が自分の一番の理解者になると、他人に認めて欲しい、理解して欲しいという他人に対する欲求が少なくなってきます。
5、自分だけが自分に関する最終的な権威
究極のところ、誰が何と言おうとも自分の人生を生きるのは自分です。誰かの意見は参考にはできるけど、当然ながら、その結果を生きるのは自分です。
自分の内なる声に耳を澄ませ、自分の感覚を信じることを学ぶと人生に対する余裕と自信が生まれてきます。
テレビとスマホの電源を切って、自分の中の直感に耳をすます時間をとって、瞑想をしたり、自分の内なる声とのつながりを育む時間を持ちましょう!
あぁ………救われた。涙がにじんだ。私は変わり者だから、孤独なのではないのだな、他人から見た「孤独」が私にとってはエネルギーチャージができていたのね。
絵を描いたり、日記をつけているときの心地よさは大切にしたい。
励ましと勇気が頂ける記事に感謝いたします!ありがとうございました☆
読んでくださってありがとうございます^^絵を描いたり、日記をつけているときは心地よさを感じられるのですね。そういう瞬間は誰がなんんと言おうともプライスレスな瞬間ですよね。本当に大切なことを大切だと感じられるような、そんな社会を少しでもつくっていきたいな、と改めて思います。どうぞ穏やかな春の日をお過ごしくださいね。😊